6. ケルト・ゲルマン、北欧神話の神々 - 2. エッダと北欧神話の世界 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

ケルト・ゲルマン、北欧神話の神々
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INDEX
1. ケルト神話の様相
2. エッダと北欧神話の世界
3. ゲルマンの神々
4. 主神オーディンとトール等の主要な神々
5. 悪神ロキの物語
6. 神々の黄昏と世界の終末
7. ゲルマン的英雄像

2.

エッダと北欧神話の世界


はじめに
 通常ヨーロッパの神話というと南欧のギリシア・ローマ神話に対して北欧のケルト・ゲルマン神話という言い方がされますが、じつはこの「ゲルマン神話」と呼ばれているものは北辺の島アイスランドに残された歌謡集「エッダ」が今日残されている唯一の資料であり、内陸部のゲルマン人についてはほとんど資料がなく、「陸のゲルマン人」の信仰形態はほとんど分かっていません。私たちが持っているのは北欧の「島のゲルマン人」、つまり端的に言えばスカンディナヴィア地方からアイスランドに流れたゲルマン人のものだけなので、従ってむしろ「北欧神話」という言い方をしたほうがいいとされます。
 ただし、ここではケルト神話と区別する意味もあって「ゲルマン神話」という言い方もしていきます。そして、この「ゲルマン人」というのが現在の西欧各国の民族となっているということをしっかり理解しておきましょう。
 「エッダ」以外の資料としてはわずかにローマの間接的な資料がありますが、そこではドナール(トール)が「雷神」と捕らえられて「ジュピター」と同一視されていたり、ウォーダン(オーディン)がメルキューレと、ティウツ(ティール)が軍神マルスと同一視されていたことくらいしかわかりません。ただこれからでも上記の三神が主要神であったのだろうということと、その性格がローマ人にどのように捕らえられていたかが伺え、彼らの本来の神格の一端が見えるということは言えるでしょう。

ゲルマン民族
 現在の西欧人の祖であるゲルマン民族の起源はよく分かっていませんが、インド・ヨーロッパ語族の一つであり、紀元前1000年頃現在の北ドイツ辺りに集落を形成した部族とされます。そして先行民族のケルト民族を押しのけて拡大していったと考えられています。このゲルマン人が歴史に登場するのはやはりギリシア・ローマとの関係が生じてからで、紀元前100年代になってローマと事を起こしているのが歴史的最初となります。
 やがて、北ヨーロッパから中央部にかけて多くの部族にわかれて各地に点在するようになり、紀元前二世紀頃には彼等はローマに傭兵として雇われたりしてローマの内部に入り込み、小作民や下級官吏になったりする者も多くなっていたようです。こうしてゲルマン民族がやがてローマ帝国に入り込む素地ができあがっていったわけです。
 そして、紀元後372年ころ、東北の方にあったアジア系の部族フン族が西に移動を開始し、フン族は有能な族長アッティラに率いられて勢力を伸ばしてローマ帝国領内に侵入、さらに西に勢力を伸ばすほどの勢いを持っていました。
 そのためフン族に近い土地にいた内陸ゲルマン民族の東ゴート族が弾き出されるかっこうで西に移動せざるをえなくなり、玉突き状にその西にいた西ゴート族が押し出され、ここにゲルマン民族の大移動がはじまりました。その結果、ローマ帝国の西半分は移動してきたゲルマン人に乗っ取られゲルマン人の国になってしまったのでした。これが現在の西欧諸国のはじまりとなるわけです。
 ですからゲルマン神話を見るということは現在の西欧人(南欧と東欧の源流はゲルマン人ではないので除かれる)の心性・精神の源・伝統を見るということにつながるわけですが、早くからキリスト教化した内陸部のゲルマン人はその民族の精神の伝統を伝えることをしませんでした。とはいっても人間の心性・精神はそんなに簡単に変わるわけもなく自分たちの伝統をキリスト教の習俗に巧みに残しているのですが(たとえばクリスマスや曜日の呼び名など)、言葉として伝えることがなかったためにその全容を知ることができなくなってしまったのです。
 他方、北欧から西域のゲルマン人はキリスト教化するのが9世紀から11世紀と遅く、そのためここには伝統的な神々の神話が保持されていました。その具体的なものが1200年代に「スノッリ」という文学者によってかかれた「エッダ」であり、それによってゲルマン人の神話の大筋が知られ、さらにそのスノッリが資料としていた古代神話が1600年代の半ばにアイスランドで発見された歌謡群に見いだされて北欧神話が甦ることになったのです。
 しかしこれは当然「島のゲルマン人」によるもので内陸のゲルマン人のものとは大分異なっていることが考えられ、さらに伝承自体が「歌謡群」ですから相互に独立的で統一されているわけもなく、写本も時代的に隔たっていますから時代的影響も異なり、容易に統一的に全体を見ることができません。現在の研究では、たとえばノルウェーでは「トール神」が主神であったと考えられるのに対して「歌謡集」では「オーディン」が主神の位置にいるなど「神格」の変容もあって複雑とされています。

「エッダ」
 しかしとにかく北欧神話の主要資料はその「歌謡集」に尽きていますので、北欧神話とは「エッダ」ということになるので簡単にそれを説明しておきます。
 アイスランドは本土に遠かったためかキリスト教の伝播も遅く弱かったようで、おそらくかなり早く大陸から流れてきたゲルマン人は長く彼らの伝統的精神を保持してその神話も伝えていました。どの民族の神話も原型は「歌謡」の形で謳われていたものと考えられますが、ここではそれがそのまま文字化されています。その文字化は紀元後の9世紀から13世紀にかけてとされます。
 その後、13世紀にアイスランドの政治家にして文学者であったスノッリ・ストゥルルソン(1178〜1241)が詩の入門書という意味合いで、当時まだ民間に流布していた歌謡集をもとにして「エッダ」と呼ばれているものを著しました。そしてさらに1600年代になってスノッリが下敷きにしていたと思われる歌謡群が発見されたのです(ただし一部スノッリにあって歌謡集に見つかっていない物語もあるので、すべての歌謡が発見されているわけではないらしい)。現在この二つを共に「エッダ」と呼んでいますが、両者を区別して、原型の方を「古エッダ」「歌謡エッダ」などと呼び、スノッリのものを「新エッダ」「散文エッダ」ないし著者の名をとって「スノッリのエッダ」などと呼んでいます。ただし、世に出た順序から言えばスノッリのものの方が先でしたが、原型の歌謡集は元来名前などなかったものですから、集大成の形としてスノッリにならって「エッダ」と呼ぶようにしたというわけです。
 ただ、「エッダ」という言葉の意味はよく分かっておらず、「曾祖母」という意味で老婆が孫たちに語り伝える話という意味であろうとか、あるいは「エッダ」という発音はスノッリが若い頃勉強していた土地「オッディ」の所有格型で、したがってこれは「オッディの書」と訳されるものだとかの解釈があります。
 他方「古エッダ」とされたものは1643年にアイスランドで発見された30編ほどの歌謡と、それに加えて後に発見された歌謡・英雄伝説の集大成となります。現在では40ほどの歌謡の集大成となっています(編集者によって数が異なる)。個々の歌謡が何時どこで形成されたのかなど詳しいことは分かっていませんが、アイスランドや一部ノルウェーで書かれたものかと考えられています。内容は「神々の物語」「英雄物語」「箴言」と分けて考えられますが、これは多くの神話に共通しています。

「神々の物語」
 この神々の物語は、「宇宙の生成と創造」「神々と巨人族との壮絶な戦いと滅亡」の物語が主体となっています。ゲルマン神話の最大特徴の一つがこの「神々の滅亡」というものでその後生き残った神々による「新たな世界」が言われはするものの、全体的に見るとそれは大きなテーマとはなっておらず「神々の滅亡」が主要テーマという珍しい構造になっています。
 ここでもギリシア神話と同様さまざまの神々が活躍してきますが、「オーディン」が主神となっており、他に「トール神」が神々の活躍の中心となっています。注目されるのが「ロキ」と呼ばれる神で、この神はひょうきんな行動・態度で軽妙に立ち居振る舞って大きな活躍をしているかと思うと、陰険・陰湿に満ちた面を見せて神々を平気で騙してトラブルの元となり、ついには神々の敵となって巨人族に寝返り世界の滅亡の元となるという神です。こうした神の存在もゲルマン神話の特徴と言えます。
 ただし、これらは先に示したように一つの歌として謳われているわけではなく、それぞれのテーマをもったさまざまの歌謡にさまざまにちりばめられているものです。しかし、全体的な内容は「エッダ」の冒頭に置かれている「巫女の預言」が示してきますので、ある意味でまとまった物語としても意識されていたのでしょう。

「英雄物語」
 神々は、世界の終末に備えて多くの英雄たちをその死後神の館に招き入れていたのであり、そうした神々の目に適った英雄の物語がたくさん物語られてきます。ここではキリスト教の影響を受けていない時代のゲルマンの英雄達の心意気が語られているとされ、勇敢で剛毅な男達の物語となり、敵にだまされ殺されることになっても平然として己を貫き通す男、死を予測しても勇敢に敵に立ち向かっていく姿などが英雄像を形成しています。これらはいわゆる「ニーベルンゲン伝説(中世の騎士道歌謡)」の原型を示しているとされます。

「箴言」
 神話は多かれ少なかれ人々の生活上の指針や価値観を示してくるものであり、それはこのゲルマン神話においても例外ではありません。それらは人間の生活ですから民族によってそんなに大きな違いはなく、古代世界にあっては大体おなじような価値観を示していると言えます。たとえば、財産も家族も自分もやがてなくなっていくものだが、名誉・名声は消して朽ちることなく永遠であるといった考えや、愚か者は財産その他欲望の対象を得るとつけあがって自分がひとかどのもののように思うものだが「思慮」に関しては何も獲得してはいない、「分別」こそ最大の友、といった考えはギリシアにも見いだすことができて、ある意味で人類に普遍的なものとも言えます。この箴言の集大成である「オーディンの箴言」の部分は当時の社会を伺わせて興味深いものがあります。

「スノッリのエッダ」
 詩人スノッリが書いたこの書は三部に分かれていて、一部は日本訳で「ギョルヴィたぶらかし」という変な表題がついていますが、これは伝説的な王ギョルヴィが神々の地を訪れ世界の過去と未来について話をきき、神々がたくさんの話をしてくれた後、これ以上の話はないのでこれで満足せよ、と言った瞬間にこれまであった神々の館は跡形もなく消え失せ彼は野原に突っ立っているだけであったというところから名付けられたものです。
 このスノッリの「エッダ」は伝承された歌謡の中の神話・伝説を元にして見事な叙事詩としてまとめ上げたもので、文学的に整理されている一方貴重な資料を提供しています。
 二部は詩語の解釈と同時代の詩人の作品の引用、三部はみずから創った詩の入門者のための模範となる頌歌とその解説となっています。私達にとっては一部が重要になります。

「ゲルマン神話の世界像」
 これは古歌謡の「巫女の予言」と呼ばれるものが全体像を与え、またこれに基づいて豊かな叙事詩にまとめた「スノッリのエッダ」が全体を捕らえるに分かり易くなっています。
 「巫女の予言」というのは巨人族に属していた巫女が神々の主神「オーディン」の命によって過去と未来とを話して聞かせるという内容になっています。なお、神々の名前ですが、ゲルマン部族で発音が異なりさまざまの表記があり、ここで「オーディン」としたものは日本でも「ヴェーダン、ヴォーダン」という名前でも紹介されています。ここでは谷口幸男訳の「エッダ」での日本訳の表記に従います。

 巫女は先ず世界の生成について語りだしますが、そこで「九つの世界、九つの根を地の下に張り巡らしたかの世界樹」を覚えている、としているのが注目されます。つまり古代ゲルマン人は世界を九つの部分に分けそれを貫く一本の木というイメージで世界全体をイメージしていたようです。これからこの九つの世界が出てきますが、とりあえず紹介しておくと先ず「オーディンたちアース神の国、アース・ガルド」「ニョルズ一族の国ヴァナ・ヘイム」「フレイ神の支配する妖精の国アールヴ・ヘイム」「火の巨人スルトの支配する火の世界ムスペル・ヘイム」「人間界ミズ・ガルズ」「巨人族の国ヨーツン・ヘイム」「死者の国ニヴル・ヘル」「暗黒のこびとの国スヴァルタールヴァ・ヘイム」そして「極北の国ニフル・ヘイム」となります。これは通常の民族が世界をせいぜい「神の国」「人間の国」「死者の国」と三つくらいにしかイメージしていないのと比べると大きな特徴になります。ただこれらの国々が存在として別世界ではなく一つの世界の中にあって互いに連続しているのは、「ヘブライ神話」系列など少数を除いて、古代民族に共通しています。

 さて、原初の昔には「砂」もなく「海」もなく「冷たい浪」もなかった。「大地」もなければ「天」もなく、「奈落の口」があるだけでどこにも草一本生えていなかった。
 そこに一番初めにできたのは南の方に「ムスペル(火の国)」という世界でありそれは明るく、熱く、焔を挙げて燃え上がり、何人も近づくこともできなかった。そこの国境を守っているのは「スルト」であった。
 なお「巫女の予言」の終わりの方で世界の終末が語られる時、「スルト」は手に燃えさかる剣を持ち、世界の終末の時にやってきて荒らし回り、神々を討ち果たして全世界を火で焼き尽くすとされます。すなわち、「スルトは南より枝の破滅(火)もて攻め寄せ、戦の神々の剣より太陽がきらめく。岩は崩れ落ち、女巨人は倒れ、人々は冥府への道をたどり、天は裂ける」と歌われます。

 「ニフル・ヘイム(極北の国)」ができたのは大地が作られる何代も前のことであった。その真ん中に「泉」があってそこから11本の河が流れ出していた。
 エーリヴーガルという河があり、そこの毒気を含んだ泡が、火の中から流れ出る溶岩のように固まるほどに、例の泉から遠く離れて流れて来たとき、それは「氷」に変わった。そしてその「氷」が止まって流れなくなると、毒気から発された靄がその上に立ちこめ、それが凍っては「霜」となり、それは次から次に重なり合って奈落の口に達している。
 奈落の口の北側は、重い氷と霜で覆われ、中には靄が立ちこめ突風が吹いている。だが南側は「ムスペル・ヘイム(火の国)」から飛んでくる火花によってそれから守られている。
 ちょうど、「ニフル・ヘイム(極北の国)」から寒冷やあらゆる恐ろしいものがやってくるように、そのように「ムスペル・ヘイム(火の国)」の近くにあるものは熱くて明るい。そして「奈落の口」は風の凪いだ空のように穏やかだった。
 そして「霜」と「熱風」とがぶつかると霜は解けて滴り、その滴が熱を送る者の力によって生命を得て「人」の姿となった。それは「ユミル」と呼ばれた。
 
 彼が寝ていると汗をかいた。その時左腕の下から男と女が生まれた。彼の一方の足がもう一方の足と息子をこしらえた。これから一族が生まれたのだがそれが「霜の巨人族」だ。
 霜がしたたり落ちたとき、次に「アウズフムラ」という牝牛が生まれた。その乳首から四つの乳の河が流れ出た。この牛が「ユミル」を養った。
 牝牛は塩辛い霜で覆われた石をなめていた。石をなめていると人間の髪の毛のようなものが石からでてきた。翌日には人間の頭のようなものが、三日目には人間全体の姿がそっくり現れた。この人間のような原初の存在は「ブーリ」と呼ばれ容姿が美しく偉丈夫だった。彼は「ボル」という息子を得た。この「ボル」は巨人族の娘を妻として二人の間に三人のこどもが生まれた。一人が「オーディン(彼が結局神々の主神となる)」で、その兄弟が「ヴィリ」と「ヴェー」であった。この「オーディン」とその兄弟が天地を支配しているのだ。

 「ボル」の息子たち、つまり「オーディン」たちが「ユミル」を殺した。そして「ユミル」が倒れた時、その傷口からおびただしい血が流れ、洪水となりそのため「霜の巨人族」はすべて溺れて死んだ。ただ一人、「ベルゲルミル」だけは妻と一緒に「挽き臼」の台に上って助かった。この二人から新しい霜の巨人族が生まれていくことになる。
 一方「オーディン」たちは死んだ「ユミル」の身体を奈落の口へと運んできてそれから「大地」を作り、その「血」から海と湖を作った。すなわち、「肉」から大地を、「骨」から岩を、歯と顎と砕けた骨から石や砂利を作った。
 流れ出した血から海を作り、大地をその中に置き、輪のようにその周りに海を巡らしたのでそれを越えていくことは不可能に思えるのだ。
 オーディンたちはまたユミルの頭蓋骨をとってそれから「天」を作り、四隅をくっつけて大地においた。その四隅の下には「こびと」を一人ずつおいた。こうして「東・西・南・北」ができた。
 それからオーディンたちは「ムスペル・ヘイム(火の国)」から吹き出している火花を捕らえ、天の中ほどにおいた。オーディンたちはあらゆる光にその場所を定め、その運行を定めた。この時から「日と年」の数が計算されている。
 大地の外形は円形で、外側は深い海が取り巻いている。その海岸にオーディンたちは「巨人族」の住む土地を与えた(ここが巨人族の国ヨーツン・ヘイムとなる。そして彼らがアース神たちの宿敵となる)。
だが、その内部には砦を作った。それはユミルの睫毛で作られ、この砦を「ミズ・ガルズ(文字通りには中央地域で、ここが人類のいる人間界)」と呼んだ。オーディンたちはまたユミルの脳みそをつかんで空中に投げ、それは雲となった。

 「ミズ・ガルズ」に住む人類だが、オーディンたちが海岸沿いに歩いていると二つの木片を見つけた。これを拾って「人間」を作ったとなるのですが、「スノッリのエッダ」では以下第一の神(だからオーディンになると思われる)が「息と生命」を与え、第二の神が(ということはその兄弟「ヴィリ」になると思われる)が「知恵と運動」を、第三の神が(「ヴェー」になると思われる)が「顔と言葉と耳と目」を与えた。オーディンたちはこの人間に衣服と名前を与えた。男は「アスク(とねりこ)」、女は「エムブラ(楡)」といい、この二人から人類が生まれることとなった。
 ただしこれが「巫女の預言」では「三人の強いが優しい神々が家に帰る途中岸辺で無力で自らの運命を知らぬアスクとエムブラを見つけた。彼らは息をもっていなかった。心も持っていなかった。生命の暖かさも身振りも良い姿も持っていなかった。オーディンは息を与え、ヘーニルは心を与え、ローズルは生命の暖かさと良い姿を与えた」となっています。このヘーニルとローズルはこの書だけにしか出てこない神でオーディンとの関係もその位置も不明です。また成り行きからしてここは世界形成に携わっているブルの三兄弟「オーディン、ヴィリ、ヴェー」でないとつじつまが合わないわけで、「巫女の預言」の記述がよく分からなくなります。そんなわけでスノッリは「第一の神、第二の神、第三の神」としていたのかもしれません。

 その後オーディンたちは世界の真ん中に「アース・ガルド」という砦をつくり、そこに神々とその子どもたちが住むことになった。オーディンは高座に座りすべてを照覧する。
 この地上から天へは一つの道があり、それは「ビフレスト」というが、人間たちはそれを「虹」と呼んでいる。これは(世界の終末時に)「火の国ムスペルの軍勢」がくるまで壊れることがない。
 その後神々は「ユミル(原初の巨人でこれが殺されて自然万物が作られた)」の肉の中に生まれウジ虫にすぎなかった「こびと」たちがうごめいているのを思い出し、呪文を与えて彼らに人間の知恵と姿を与えた。彼らは岩の間や地中に住んでいる。

 このようにして作られた世界の全体は一本の「とねりこの木」によって支えられている。この木の梢は天の上にまで突き出ていて、枝は全世界の上に広がっている。その根っこは三本に分かれ、一本の根は「極北の国ニフル・ヘイム」の真ん中にある泉にまで達し、そこでは悪しき竜がこの根をかじっている。もう一本の根は巨人たちの国ヨーツン・ヘイムに延びている。その端のところに無限の知恵の水が沸く泉があって、それは一人の巨人によって守られているのだがオーディンはここにやってきて自分の片目を差し出してここの水を飲ませてもらい無限の知恵を手に入れた。第三の根は「神々の国アース・ガルト」にあり、その根の下には特別に神聖な泉があってそこに神々は裁きの法廷を持っている。

 以上に見られるように北欧神話の世界観というのは、「深淵」がはじめにあり「灼熱と寒冷」が生じ、その「対立・相乗作用」から生命が生じ、その生命体が新しい生命に「殺されて」万物が作られていったという構造になっています。
 まず、この「深淵」というイメージは「何もない」という表現でしょうが、イメージとしてはわかりやすく、さらに「灼熱と寒冷の対立・相乗作用による生命の誕生」というのも、これは何かしら地球の創成期の様子を思わせて興味深いものがあります。
 また、その「生命体」である「ユミル」を殺してそこから天地自然を作っていく様子は獲物である動物の解体作業のようで、これはゲルマン人が狩猟民族であったことの証のようにも思えます。
 他方、ギリシア神話の捕らえ方というのは一つなる自然の穏やかな自然的働きによる姿・形の「生成」という捕らえになっており、ここにはゲルマン神話に見られる「対立概念」「闘争」という観念がありません。ですから「国」にしても「神々の世界」と「人間の世界」と「妖精の世界」「妖怪の世界」、といった区分がありません。ゲルマン神話では意識的に九つにまで世界を独立されているのと比べると著しい違いといえます。
 つまりギリシア人は「つねに脅かされる外敵」というものを持つことなく民族として大きく優性になり拡大していったのに対して、「島のゲルマン人」は「外敵」を常に外に持ってそれとの「抗争」の中で戦いつつ自らを保持していったという民族の歴史の思い出が反映されているような気がします。それが神話の中で「巨大な悪の国」を設定して、それとの抗争が神々の物語となるという大筋を作らせているように思えます。


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