6. ケルト・ゲルマン、北欧神話の神々 - 1. ケルト神話の様相 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

ケルト・ゲルマン、北欧神話の神々
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INDEX
1. ケルト神話の様相
2. エッダと北欧神話の世界
3. ゲルマンの神々
4. 主神オーディンとトール等の主要な神々
5. 悪神ロキの物語
6. 神々の黄昏と世界の終末
7. ゲルマン的英雄像

1.

ケルト神話の様相


ケルト民族
 現在の西欧人の原型は「ゲルマン人」と言えますが、このゲルマン人に先立って現在の西欧に展開し、ゲルマン人に大きな影響を与えつつ少数ながらアイルランドやフランスのブルターニュ地方などに今日まで命脈を保っているのが「ケルト民族」です。最近ではこのケルト人がゲルマン人=西欧人に与えた影響の深さが認識される一方、ケルトの民話・神話・文学が発掘されその文学性の豊かさなどが一般にも良く知られるようになり研究もすすめられるようになりました。
 また、とりわけ現在のイギリスで問題になっているアイルランド闘争は、アイルランド=ケルト民族を圧迫・迫害し続けてきたゲルマン人=イギリス人に対する反抗という意味があって問題の根の深さが言われています。
 このケルト人の発生ですが、どの民族も始めをたどれば石器時代までいってしまいます。そして古代にあって現在のヨーロッパの北から中央にかけて展開していたケルト人の場合も紀元前2000年にはすでにそれなりの部族を形成していたようです。しかし歴史に現れてくるのは先行して大きな文化を築いていたギリシア・ローマ世界との関係においてですので紀元前6〜5世紀くらい、とりわけ紀元前4〜3世紀頃からとなります。
 実際「ケルト人」という呼び名も古代ギリシア人の呼び名なのであり、ギリシア人はかれらを「ケルトイ」と呼んでいたのでした。ちなみにローマ時代には彼らはローマ人によって「ガラタイないしガリ」と呼ばれています。ローマ文献にしょっちゅうでてくる「ガリア地方」というのはようするにこのガリ人(ケルト人)の展開していた地方というわけで南欧を除いたほぼ現在の西欧に相当します。
 人種ですが、このケルト人も印欧語族の一派となります。ただケルト人は部族ごとに多方面に散って展開していたため、歴史的に多くの民族との混血が地方ごとに行われた結果人種的特徴は共通的にいえないようで、言語や宗教などの文化・精神面において一つの民族と括られるくらいとされています。

 古代ケルト人についてはギリシア・ローマ文献が伝えるところがほとんどすべてといえますが、とりわけカエサルの「ガリア戦記(前58〜51年にかけての遠征記)」が有名となっています。それらの文献によるとケルト人は紀元前七世紀頃西欧全体に拡散しはじめ、紀元前五世紀にはその中の一派がブリタニア、現在のイギリスに渡って「ブルトン人」となっています。そしてこの五世紀の末頃には民族の大移動が生じています。この中で重要なのがイベリア半島に入った部族で、彼らは先住民族と混交して「ケルト・イベリア人」を形成しています。南ドイツにいた部族のボイイ族は東に移動して「ボヘミア」を形成し、北イタリアに入った部族は「ボノニア」という都市を建設しこれが現在の「ボローニア」というわけです。小アジアに渡った部族は「ガラタイ人」となっていますが、使徒パウロによる「ガラテア書簡」とは彼らの子孫宛てというわけでした。また、いまだ大帝国を形成する以前のローマに侵入しているのも興味深く、さらに古代ギリシア最大の聖地「デルポイ」まで侵入しておりました。
 このようにケルト人は紀元前200年代には当時の世界に大きな影響を与えていたのでした。しかしカエサルの遠征によってローマに屈服してしまった彼らはその後衰退の一途を辿り、さらにゲルマン民族のアングロ・サクソンの支配下に屈服し屈辱の歴史となっていくのでした。

ケルト神話の伝承のありかた
 さて、このケルト人の心性・精神を表現している筈の「神話」がここでのテーマとなるわけですが、口承で伝えられていたと考えられるその神話は、大陸のケルト人の場合にあってはローマが彼らを支配してしまった段階で消え去ってしまったようです。カエサルの報告では「ドルイド」とよばれる神官たちがその父なる神を教え、その「神」は「ディス」と呼ばれてガリア人はその子孫であるとしていて、そこではローマのメルクリウスやミネルヴァに相当する神々がいたとされています。
 現代の研究者が苦労してその神々を復元して、ギリシア・ローマの神々に相当するものとして数々の神々をあげています。研究者によれば300〜400人になるとも言われ、さらに主だったものは70人ほどともされていますが、特に重要なものとして12人が紹介されたりします。ただしこれは、ローマ時代にローマの神々と比較同一視された結果であり、先立するギリシャ神話のオリュンポス12神に適応させた結果とも言えます。
 たとえば、ギリシア・ローマのヘルメス・メルキューレ(前者がギリシャ名で後者がローマ名)に相当する「テウタテス」、アポロン(ギリシャ・ローマとも)に相当する「ベレノス」、アレス・マルスに相当する「エスス」、ゼウス・ジュピターに相当する「タラニス」、ハデス・プルトに相当する「ケルヌノス」、アテネ・ミネルヴァに相当する「ブリギド」などを挙げています。
 しかし、ケルトの神々には「人間との関わりの物語」などはなく、神々がそのまま人間であるようなものなので、そんなにすっきりと相当するとは言えないところもあります。ようするに言えることは、たくさんの神がいて祭られ犠牲が捧げられて崇拝されていたという、どこの民族にあっても当たり前にあったことくらいです。
 他方、この大陸のケルト人に対してアイルランドなどに渡った「島のケルト部族」の方は相当にしっかりと民族の独自性を残したようで、キリスト教化された後にもその民族の神話・民話を残していきました。ただし神話自体がギリシア神話のようにまとまった体系を持っているわけではなく、世界の始まりについての話しも残されていません。もっとも、こうしたことは世界の神話の多くでも普通のことですから怪しむにはたりません。
 またさらに、これはさまざまの伝承を独自に時代的にもばらばらに筆写した写本文献として残されているわけで、その写本群の間に統一もありません。また仮にこれらすべてが古代の昔は一人の神官によって物語られていたのだとしても、彼は場合に応じて適当な話しを聞かせただけで、はじめから「まとまりのある話」など意識されていたともおもえません。ですからこれらを全体的に統一して物語ることはできないわけです。
 参考までに写本を列挙してみると次ぎのようになります。

アイルランドの写本
「侵略の書」紀元10世紀、「赤牛の書」紀元11世紀、「レンスターの書」紀元12世紀、「バリモートの書」紀元14世紀、「レカン黄書」14世紀。

スコットランドの写本
「ディーアの書」紀元11〜12世紀、「リズモアの書」紀元16世紀。

ウェールズの写本
「カーマーゼン黒書」紀元12世紀、「マビオギオン」「ハーゲスト赤書」紀元14世紀。

 これらは1700年代になってまとめられ「オシアンの詩」として世に公刊されて有名となり、多くの文人に刺激を与えさまざまの作品を生み出させ、また「アイルランド文芸復興運動」を引き起こしていったのでした。これらの物語の特徴は「英雄物語」に帰着するともいえ、優れた英雄の勲し、崇高さ、愛とロマン、悲劇の哀感といったところになります。一体にケルト神話・民話の特徴としてこの哀感がいつも感じられるのは、侵略者であったローマやゲルマン民族に押されて行く「悲しみや苦しみ、そして復活の希望」といった感情の中で彩られていったのでしょうか。
 現在「ケルト神話」という表題で本も出版されていますが、それらは大体「オシアンの詩」に基づき、さらに歴史的に研究されている「ドルイド」のあり方などを付加したものと言えるでしょう。こうした事情を知った上でケルト神話に関わる本をひもとくと良いでしょう。ここではその導入ということで、粗筋だけを紹介しておきます。

「アーサー王伝説」
 そのケルトの英雄物語としてもっとも人々に知られているのが「アーサー王物語」ですが、これはケルト伝説の「アーサー王」をモデルに、その後西欧のさまざまの作家がイメージをふくらませて拡大・脚色し、キリスト教的倫理を付加して、物語として「アーサー王と円卓の騎士の物語」として一大ロマン劇にしたことで有名となっているものです。
 本来のケルトの伝説では、もともとこの「アーサー王」というのは実在のケルトの王であったようで、侵略してくる異民族に対してケルト民族を率いてこれを撃退した王として古文献に名前が記録されています。その後、ローマのカエサル、続いてゲルマンのアングロ・サクソンに征服されてしまったケルト民族ですが、その時点でアーサー王は「ケルト再興」のために復活してくれる「民族の英雄」となり伝説が形成されていったようです。ですから太古のケルト神話というより、ケルトの受難時代に作られた物語と言えますが、ケルト人にとっては伝統的神話・伝説の一つとも思われたでしょう。
 その神話・伝説化された時点での物語の祖型は、ケルトのブリテン王が魔法使いマーリンの力を借りて、他者に嫁いでいた恋する女イグレーヌと交わることに成功し、ここにアーサーが生まれる。長じてアーサーは宝剣エクスカリバーを得てブリテンの王となり、やがてギネビアと結婚する。そして侵略を計る異民族と戦いこれを平定し、敵の息の根を止めようと長い遠征の旅に出る。ところが留守を預けられていた甥のモルドレッドがアーサーの留守を狙って王位を簒奪し、アーサーの妻ギネビアまで自分のものにしてしまうという事件が持ち上がった。急を聞いてアーサー王はとって返してモルドレッドを倒すけれど自分も重傷を負ってしまいアバロンの島へと去っていく、というものです。
 この物語に中世の宮廷風の色合いを加え、恋愛物語を付加し(トリスタンとイゾルデの悲恋物語などが典型的)、さらに「円卓の騎士団」の物語がくわわり、「聖杯伝説」が加わり、キリスト教倫理に色づけられという具合にして発展していくことになりました。
 ケルトの原型では英雄的な王とその再来(アバロンに去った王がやがて傷をいやして戻ってくる)という民族願望の伝説であったものが西欧に受け入れられて中世騎士道の物語と変形されていったわけです。

「侵略の書」の概略
 これらの英雄物語の中心になると考えられるのが「侵略の書」に見られる「部族の支配交代の神話」となると思われます。というのもこの支配交代にまつわって他のさまざまの物語が展開されていくからです。この物語は「部族の支配交代」という実際にあった事実をモデルとしてその思い出を物語っていると考えられ、これはギリシア神話などに見られる神々の支配交代神話と軸を同じくしていると思われます。そしてその中で自分たちの奉ずる神々の姿を形成していったと思われます。
 その神話は「トゥアサ・デ・ダナン(女神ダヌーの一族、ダーナ神族)」の物語が中心となります。つまり、彼らがこの島に来る以前は「パーソロン」「ニュブズ」の族に次いで「フィルボルグないしフォヴォリ族」の一族がこの地を支配しており、ダーナの一族は彼らと戦い融和してここの支配者となり、そしてさらに「ミレシウス」の到来によって退いていくとなります。
 ですから最期の「ミレシウス」の一族が最終的にアイルランド人となりそうで、従ってここに重点があってもよさそうなのですが物語は「ダーナの一族」が中心なのでした。これはどうも、最期の「ミレシウス一族」というのは遠来の異民族が来訪して定着してアイルランド人となったというわけではなく、むしろアイルランド人の「キリスト教化」を意味しているようで、「ダーナの一族」というのが生来のアイルランド人ないしその奉ずる神々だったようなのです。アイルランドのケルト人はこんな形でキリスト教化された後も父祖伝来の神々を残していったと思われるのですが、ここでその物語の粗筋をみてみましょう。

 さて、「ダヌー女神」の一族とされる神の一族は船に乗って海を渡りアイルランドの地に至った。彼らはこの島を支配していた「フィルボルグの一族」に島の半分をもらいたいと申し入れたが拒否され、ここに二つの種族は戦いとなっていった。激戦となり、ダーナの一族の王「ヌアドゥ(ヌアザ)」は一度鞘を抜かれると相手を倒さずにはいないという宝剣の持ち主ではあったのだが、戦いとなって右腕を肩から切り落とされてしまった。こうしてこの戦いの勝利を諦め「和平」を提案して兵を引くこととなり、こうして二つの種族は共にこの島にあることとなった。
 しかし右手をうしなったヌアドゥは王位を譲るということになり、ここにその王位を奪ったのは「ブレス」という男であった。ところがこのブレスというのは、確かに母親はダーナの一族であったけれど、父親というのが「フォヴォリ」(ダナンの一族にとっては仇敵であり、海の一族であって凶暴で醜く悪しく描かれるが、むしろ先住民族ないしその神々と考えられる)の一族の王であった。つまり、ある時船でやってきたフォヴォリの王はたまたま海岸に来ていたダナン一族の娘を犯してしまい、こうしてその娘は子どもを孕まされてしまった。そして生んだ子どもがブレスなのであり、彼は「フォヴォリの王」の血をひいているため強力ではあったのだが、しかし性格は至って悪かった。
 こうして王となったブレスはその悪の性格のままにダナンの一族に重税をかけ、使役を強要し苦しめていった。その上ダナンの一族の英雄たちにも苦役を課し、たとえば兵士全員の食料を供給することができるという魔法の鍋の持ち主で祭儀を司る英雄「ダグダ」は城の回りに壕を掘らされ、勇猛な戦士「オグマ」は城を使う薪を毎日海の向こうの島から運ぶことを命じられた。しかし食べ物を十分に与えられていないオグマは海を渡るとき薪の三分の二を波にさらわれてしまうのであった。
 こんな状況にブレスへの一族の反感は強まっていき、七年経ったところで遂に彼を王位から追放することとした。一方、片腕を失っていた先の王ヌアドゥは医術の英雄「ディアン・ケーフト」によって銀の腕を付けてもらい、さらにその息子の「ミアフ」によって筋肉と腱を付けてもらって腕を回復していた。そこで一族は再びヌアドゥを王に復活させたのであった。
 しかしヌアドゥは、ある時宴会を催している最中に来訪して彼の前で万能の力を見せた「ルー」に王位を譲る決意をした。このルーの父親はたしかにダーナの一族の男であったが、母親というのが「フォヴォリ」の王であったバロルの娘であった。
 しかしこのルーに率いられたダーナの一族はやがて「バロル」に率いられたフォヴォリの一族と戦いとなっていった。ルーは祖父に当たるバロルに対して素晴らしい戦い振りを見せていった。ルーは当初仇敵バロルの血をひいているということで戦いに出られないようダーナの一族によって幽閉されて見張りを付けられていたのに、いざ戦いが始まると易々とその囲みを抜け出して戦場に現れ、片目・片足となって踊りつつ魔法の歌を歌って全軍を鼓舞して回った。またルーの祖父でフォヴォリの王バロルは一つ目の巨人で、しかもその目は四人がかかりでしか開けられない目蓋で閉じられていた。というのもその目に睨まれた者は無力となってしまうのでうかつに開けていられないからであった。先の王ヌアドゥは果敢にもこのバロルに立ち向かっていったがバロルに討ち取られてしまった。
 こうして王ルーは祖父バロルに立ち向かうことになり、悪口を浴びせ、それに応じて目を開けてきたバロルに対して石を投げつけその一つ目に命中させた。強力なその石はバロルの目を頭から突き抜かせて後方に飛ばし、その目はフォヴォリの軍勢の目の前に落ち、そのためフォヴォリの軍勢は皆無力となって遁走していった。こうしてダーナの一族は勝利し、アイルランドを支配し続けた。
 しかしやがて「ミレシウス」がやってきて戦いとなり、ダーナの一族は敗れて、そこで地上をミレシウスに譲って自分たちは地上を退き「異界」に住むことにしたという。しかし彼らは聖霊として常に人間たちに関わり、時に応じて豊壌を送ってきたり、気にくわない時には争いを引き起こしているという。

 この最期の「異界」に関しては「聖霊・妖精達の国」と考えてもよく、ケルト神話・民話に出てくる「楽園」と見なしてもいいのかも知れません。ここは時空を越えた場所で「聖霊・妖精たち」が住み、平和で苦しみもなく穏やかな国で、もし人間がここに来て歓待されてやがて人間界に戻ってみると何百年も経っていたという日本の「浦島太郎」の物語に相当するような話しもあります。
 ダーナの一族が破れて退いても地上に影響を与え続けているということはダーナの一族こそがアイルランド人にとってのかつての神々であり、キリスト教の伝来と同時にその神の位置こそ退いたけれど、アイルランド人の中に生き続けるということの意思表示であって、こんな形で神話を残した「島のケルト民族」の先祖に対する熱い思いを感じ取ることができると言えます。
 要するに、以上に見られるように一見これは「人間の物語」そのもので部族の支配交代の物語となりそれは多分歴史的にはそうに違いないと思われますが、同時にこれが「神々の物語」でもあるのです。ここでの物語の「英雄」がそれぞれ「ダヌー女神の子孫」なのであって彼ら自体が「神」として描かれているのでした。そして恐らく古代にあっては彼らがそのまま崇拝の対象となって祭儀を持っていたと考えられます。
 この構造は日本の『古事記』の神の場合にも当てはまります。そしてこれはある意味でギリシア神話にも当てはまるところがあり、神話というものの多くがこうした構造をもっていると言えます。つまり「人間のことは神のこと」「神のことは人間のこと」というわけです。神と人間とが厳然としてその存在のあり方が異なるとされるのは「ユダヤ・キリスト教・イスラーム」においてのことであり、古代人にとっては「神」はもっと人間に身近なものだったのです。神は自然の力であり、その自然の力は人間の内にもあるからです。武力一つとってみても、それは人間がもっているものですが、それに強弱があり、その根源の力は自然力にありそれを強く体言している英雄がそのまま神として敬われることになるというわけで、近代日本ですらそうした現象があり「乃木大将」がそのまま「乃木神社の祭神」となり「東郷大将」は「東郷神社の祭神」というわけでした。また「菅原道真」が「天神」として祭られやがて「学問の神」とされているのも同じ構造です。こうした見方が古代ケルトにもあったというわけですが、これはギリシア神話にもあり、多くの古代人に共通の神観念であったと言えるでしょう。
 ですから「神」の代表的なものは「豊作」を司り、「勝利や武力」を司り、また「知識や詩」を司り、「技芸」を司り、「美や愛」を司るものなのです。この力の象徴が「神」なのであり、従ってこれを強く示しているものは「神的な存在」なのです。このケルトの物語においてもそうなのであり、「女神ダヌー」というのは要するに「豊壌の大地母神」といえ、上の物語に出てこなかったその他にもたくさんの「神々」がいて、さまざまの物語の中で活躍しています。たとえば「知識と詩の女神」としては「ブリギト」が、「死の女神」で鴉の姿となって戦場に現れる「モリガン」とか、「技芸の神ルー」とか「海神マナナン」などがさまざまの物語の中で活躍してきます。
 ただしギリシアの神のようにその役割や性格・姿が明確・一定しているわけではありません。ケルト神話は神々と人間、妖精、木々や動物が自在に交叉していて、神かと思うと人間に、人間かと思うと妖精に、動物だと思うと人間だったりという具合になっているのです。この性格はもちろんギリシア神話にもあり神話というものの特徴とも言えますが、この自在さ(何でもあり)という性格がケルト神話には強いということです。これはギリシア神話が詩人達によって意図的に展開されていったのに対して、ケルトではそうした展開がなかっただけに神話というものの「祖型」が保たれているとも言えます。


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