5. 古代エジプトと中東の神々 - 6. ペルシャの神々とゾロアスター教 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

古代エジプトと中東の神々
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INDEX
1. 古代エジプト神話とその死生観
2. 古代エジプトの主要な神々
3. メソポタミア、シュメールの神話
4. セム族の主神「バール神」とヘブライの「ヤハウェ神」
5. ヘブライの神話
6. ペルシャの神々とゾロアスター教

6.

ペルシャの神々とゾロアスター教


はじめに
 紀元前600年代にはいって。それ以前2500年にわたって中東全域に展開してこの広大な領域を支配していたセム族は衰退していきます。代わって、北から東にかけては新たに「インド・ヨーロッパ語族」に属する「メディア・ペルシャ」が台頭してきて、500年代に下がって中東領域は「アケメネス朝ペルシャ」と呼ばれる「ペルシャ人」の支配地となっていきました。このペルシャが、バビロニアに滅ぼされてその地にとらわれていたユダヤの民を救いだし解放者となる一方で、国家的には支配したわけで、ペルシャのユダヤに対する影響は限りなく大きかったと思われます。
 この「ペルシャ」というのは実は「イラン」のことです。「イラン」というのは「インド・ヨーロッパ語族」の一つ「アーリア族」の名称のなまったものです。ですからこの「イラン」という名称の方がずっと古く、また広く適応されます。
 一方私達が文化を問題にするときにはその文化が発祥・発展した当時の名称を用いるのが普通なので、昔のイラン人の文化は「ペルシャ文化」という言い方をするのでした。このペルシャ文化はさまざまの面で優れた特色を見せており、私達のテーマとなっている宗教についても
「ゾロアスター教」を持っていたことで有名です。

ゾロアスター教
 このゾロアスター教というのは「ゾロアスター(ゾロアストラ、ザラスシュトラ)」という人物によって、古代アーリア民族つまり「ペルシャの神話」を基盤に創設された宗教ですが、彼の生年には諸説があってよく分かっていません。一般には一応紀元前600年頃としています。
 ちなみにもしこのゾロアスターの時代を紀元前600年から500年にかけてとする説に従うならば、同じ中東の西のパレスチナ地方でヘブライ(ユダヤ)神話から
「ユダヤ教」が確立されていく時代と一致します。そしてまたこの年代はペルシャ人と同じアーリア民族の出であるインドで、仏陀によって「仏教」が提唱されていく時代であり、遠くギリシャにあっては、世界を神話ではなく科学的に説明しようという純粋に学問的な「自然哲学」などが出現した時代であって、人類が「世界や人間」について本格的な意識を持ち始めた時代であったと言えます。
 このゾロアスター教が良く知られているのは、かつてペルシャ民族がイスラームに征服されるまではペルシャの「国教」としてペルシャ人全体の宗教であり、今日でもインドを中心に十数万の信者を持つということ以上に、その思想が周辺民族から西洋・東洋にまで多くの影響を与えてきたからです。このゾロアスター教は中国にも大きな影響を与え、「火」を特別視していたことから
「拝火教」とも呼ばれていました。
 一方その土台となっている「ペルシャ神話」というのもこのゾロアスターを境目として三段階に分けて考えることができ、ゾロアスター教によってまとめられて展開されたペルシャ神話は今日のイスラームとなっているイラン人にとっても自分たちのアイデンティティーの源泉となっていると考えられます。

 先ず一段階目は
ゾロアスター以前のペルシャ神話となります。これは文字化されることなく口承で伝えられていたもので、この多くがゾロアスター教に取り入れられていると考えられています。
 第二段階がいうまでもなく
「ゾロアスター教」で、神話的に語られていた神々のあり方が一つの体系の中に位置づけられて明確な性格付けが行われてきます。このゾロアスターの教えは後代に編纂された「聖典アヴェスタ」に記録され、それは中世ペルシャ語文献に残されてきましたが多くが散逸し、のちに編纂し直された現在の聖典は原典の四分の一程度になってしまっていると言われます。その聖典の最古の部分を特に「ガーサー」といい教祖ゾロアスターの言葉とされます。それ以外はゾロアスターの死後に付加されたもので、古代ペルシャ神話やそれ以外の宗教、例えば「ミトラ教」の影響なども見いだせるとされます。この他に「ゾロアスター文書」としてササン朝ペルシャおよび中世ペルシャ語で書かれた諸文書があり、これは中世ペルシャ語がパフラヴィー語と呼ばれるところから「パフラヴィー語神話」と呼ばれますが、この文書に書かれた神話は古代ペルシャ神話に基づいているため、散逸したゾロアスターの聖典の不備を補っているとされます。
 第三段階は紀元後1010年フィルダウスィーという詩人が近世ペルシャ語で書いた「民族叙事詩」であり、これを
『シャー・ナーメ』と呼んでいます。これは主に今示した「パフラヴィー語神話」に基づいているとされますが、すでにペルシャ神話がイスラーム化した後に書かれているためその神話も「イスラーム化」しており、従って「唯一神アッラー」しか神はでてこないわけで、またかつて神とされていた神格もすべて人間の英雄にされてしまっていますし、またゾロアスター教とは無関係の人物まで登場してきてしまいます。しかしそれでも典拠がゾロアスター教時代の「パフラヴィー語神話」であるためその精神は十分に残され、古代ペルシャ以来のペルシャ人のアイデンティティーは失われていないと考えられています。
 そのイスラーム化についてですが、そもそもゾロアスター教自体は「多神教」で「善・悪二元論」ではあるのですが、「最高神」として「アフラ・マズダ」がおり、この神の性格は「唯一神」へあと少しくらいの位置にいるためペルシャ人はイスラームの「唯一神」へと改宗するのにさほどの抵抗感もなかったのかもしれません。ただしそうはいっても完全に「改宗」ではあるわけで、したがって「伝統的なゾロアスター教」を守ろうとする人々の多くは隣のインド方面に逃れ、そこでゾロアスター教を守っていこうとしました。そのため今日でもインドのボンベイ周辺がゾロアスター教の本拠になっているわけでした。
 そして一方現代のイラン人はイスラームとなったわけですから当然このイスラーム的にまとめられた『シャー・メーナ』をもって自分たちの「民族神話」としています。しかし、ここには「創世神話」などゾロアスター教時代のものは省かれています。しかし一方で創世神話も別途残ってきているのでペルシャ神話の詳しい姿を再現することができています。ということはやはりペルシャ人は太古の昔からの自分たちの民族のアイデンティティーに関わるものは、たとえイスラームに改宗しても残してきているということです。

教祖ゾロアスター
 ゾロアスターという人物は先に示したようにはっきりした年代は分かっていないのですが、一応伝承によって紀元前600年代から500年代、ペルシャが台頭してきた頃を生きた人物であると考えられています。
 出身は当時のことですから大半のペルシャ人と同様「遊牧民」であったことがその両親の名前などから推定されています。しかし伝承によるとどうも幼い頃から宗教儀礼の仕事に関心をもっていたようで、20際頃に放浪の旅に出ているようですが、30際頃に神からの啓示を受けたとされます。
 それは「春の季節祭」の時であったとされます。夜明け前、ハオマという植物から汁を搾って神に捧げる儀式を執り行うため水を求めて近くの川にでかけ、戻ろうとしたその瞬間に彼は光り輝くものを見たといいます。この存在は一説では
「善思の神ウォフ・マナフ」であったとされるようですが、ともかくこの神に導かれて彼は「最高神アフラ・マズダ」と彼に仕える神々のもとへと赴き、ここで彼の魂が開示されたといいます。
 このタイプの、神ないし天使との出会いは後代のイスラームの開祖「ムハンマド」にもあります。ちなみに「イエス」や「仏陀」にはこれはありません。また「モーゼ」などのユダヤ教の預言者達は「神の声」を聞くだけでした。
 ともかくこうして
「最高神アフラ・マズダ」によって魂を開かれたゾロアスーはその後も何度となく「神の幻」と出会いその教えを授けられていったとされます。そして困難な伝道の末に理解が得られてペルシャの国教となっていったというわけでした。

ゾロアスター教の思想
 通常ゾロアスター教は「善・悪」二元論として説明されます。「善神」であって最高神とされる「アフラ・マズダ」の他に独立的存在として「悪神」がおり「対立関係」を形成しているからです。そしてそれぞれにその配下として多くの神がいるという構造をしています。
 この「善・悪二元論」による神体系の基本構造は現実社会のあり方を良く説明するので理解しやすそうですが、神の体系としては非常に特徴的なのです。そのあり方は同じ中東の「セム族」とも、近隣であり「悪神」もいる「エジプト」とも、ペルシャと同族であるインド・ヨーロッパ語族の代表格である「ギリシャ」とも全く異なっています。
 もっとも「善・悪」二元とはいってももちろん中心になるのは「善神」の方で、人間はこちらにこそ従わねばならないとされるのは当然でした。つまりゾロアスター教での「最高神」は「アフラ・マズダ」とされ、この神は(「悪の世界」をのぞけば)
「全知全能」であり「善の創造者」であって完全であり欠けるところがなく、光明で世を満たす存在とされます。これも一見当たり前のように見えますが実はそうではなく、一神教となるユダヤの神の系譜、つまりキリスト教・イスラームの神が結局こうなるので現代の私達には当たり前に見えているだけで古代世界ではものすごく珍しいといえるのです。
 というのも古代の神というのは「自然力の人格化」でしたから「人間世界の反映」という性格を強く持ち「強力」ではありますが「人間的」で、したがって感情的で、過ちも犯し、恣意的だからです。ですからユダヤ教の神が、そのヘブライ神話に見られるような人間的感情を持つ神から「唯一絶対の神」となっていくのには、そのユダヤ民族を解放し支配したペルシャのゾロアスター教の影響が大きかったと考えられるわけでした。

天地創造
 この「アフラ・マズダ」は宇宙の「創造主」であることは今指摘しましたが、この創造神話もなかなか興味深いものがあります。それによると彼は365日かけて「六段階」で宇宙を創造していきます。ということは一年が365日であることを知っていて、この一年を六つに分けているわけですが、ただしこれは等分ではありません。しかし季節のあり方が投影されている感じはします。ヘブライ神話が「七日」の創造になっているのに比べると一年というその創造神話にはある種の自然的事物の持つ季節的合理性が伺えるような気もします。ただし創造の順序についてはヘブライ神話も似ています。その創造の順序は次ぎのようです。
第一段階は「天、および天体」。40日。
第二段階は「水」。55日。
第三段階は「地」。70日。
第四段階は「植物」。25日。
第五段階は「動物」。75日。
第六段階は「人間」。70日。

 第一段階で
「空」「星」がつくられますが、ここで「十二宮」の他648万の星々がつくられこれらは「悪神」との戦いに備えてであるとされています。つまり「アフラ・マズダ」は始めから悪神の存在を知っていたのでした。
 第二段階で水は
「水の女神アナーヒター」の泉より発して大海へ注いだ、となります。
 次いで第三段階で「泥水」から
「大地」が創造されたとされます。そしてそこに大きな山が隆起し、その山頂の東西に窓があり太陽は毎日東の窓から出て西の窓に入ったとされます。そして世界は七つに区分されます。さらに神がここに16の国を造ると「悪神」はこれに対抗する「災厄」を作りその繁栄を妨害しようとした、といわれます。
 第四段階で大海の真ん中に一本の巨大な
「木」が創造されここから数万の植物が生まれたとされます。
 第五段階で最初に創造されたのは白く輝く
「牡牛」であったとされ、この「原始牛」は悪神の攻撃を受けて殺されたが、その精液は月に運ばれてそこから一対の牛がうまれ、続いてさまざまの動物が生まれ、大地、空、海へと住み分けられたと言われます。
 最後の第六段階で、
人類の祖「ガヨーマルト」が創造された、となります。

善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マンユ
 以上の創造神話の中にすでに「悪神」が出現しているわけですが、この二神は宇宙の創造以前、一方は「光明」に他方は「暗黒」にいたとされます。光明にいた善神アフラ・マズダはそのことを知っていたけれど「悪神アンラ・マンユ(アハリマン)」は当初そのことを知らなかったといいます。
 そこで「善神アフラ・マズダ」は「悪神アンラ・マンユ」に知られないようにこの宇宙を創造したといいます。この第一期の時代が三千年続き、第二期となってこの宇宙は目に見えるようになり、そこで「悪神アンラ・マンユ」は
「配下の悪魔デーヴァ」を遣わしこの宇宙に侵入してきたけれど「アフラ・マズダ」に撃退されて退き地上は平和であったといいます。
 こうして三千年立って第三期となり、再び満を持した「悪神」は地上へと侵入して「善神」との間にすさまじい戦いとなったといいます。 ここにおいて前期にはなかった
「悪徳」がこの地上に充満したといいます。こうして「虚偽」「不正」「災厄」がはびこっていくわけで、つまり「悪神アンラ・マンユの優勢の時代」というわけでした。
 そして
「ゾロアスター」の登場とともに第四期に入り、この期の終わりをもって「最後の審判」という終局を迎えることになるのでした。私達は現在この最後の第四期にいるわけで、この期間は「善」と「悪」とが入り乱れ一進一退の時期とされ、人類は「悪」と戦わなければならず、そうすることで「最後の審判」で死後天国に行くことができ、そうせずに「悪を選択」したものは永遠の地獄に堕ちるとされるのでした。こうした「善」のために戦う人々のために、三千年の千年ごとにゾロアスターを継ぐ者が現れ人類を指導するとされています。
 
 この基本構造は、現実のこの地上世界を
「悲観的」に見る見方が強いと感じられます。もちろん最終的には「善の勝ち」とされるのは当たり前かもしれませんが、地上世界に限ってみると「悪神」の勢力が圧倒していると見えます。そしてその中で人類は「善神」に従うことが要求されているのであって、このことは、現実の人間世界は悪に支配されているという世界認識があるからでしょう。つまり、この地上世界には悪がはびこっている、しかしそれに負けずに正義を守ろう、というアピールになっているわけでした。これは後に「キリスト教・イスラーム」両者でも基本的な立場となります。もちろん他の宗教にはこうした主張がないというわけではありませんが、しかしこのアピールが「核」になっているというのはゾロアスター教の強い特徴であるように考えられます。こうした考え方のところに「最後の審判」といった思想が生じてくるのではないかと考えられるのでした。
 ゾロアスター教でもっとも重要な思想の一つが、この
「最後の審判」「天国と地獄」という思想で、これらは一般にキリスト教の思想だと思われてしまっていますが、そのキリスト教の母胎であるヘブライ神話にはこうした考えは全くなく、それ故このキリスト教の思想は遠くこのゾロアスター教の影響下にあるのではないかと推測されるのです。
 といっても、もちろんその経緯はユダヤ教の一派を通して、となります。つまりユダヤ人はペルシャの支配下にあった時に、この解放者でもあったペルシャの国教であるゾロアスター教の影響を強く受けたと考えられるのです。つまり、イエス時代のユダヤ教のパリサイ派にはこうした思想が見られる一方、ヘブライ神話にこだわる保守的なサドカイ派にはこうした思想が全くありません。ということは、ユダヤ人がバビロン補囚の後ペルシャの支配下にあった時代に、後にパリサイ派を形成する学者たちがこのゾロアスター教の影響を受けた可能性が非常に強いということです。

天国と地獄の考え、終末論
 その「最後の審判」と「天国と地獄」ですが、人が死ぬと魂は三日三晩さまって自分の生前の言葉や思考・行為などを思いめぐらして裁判の場所に向かうとされます。
 そこには
三人の裁判官がおり、死者のすべての言葉・思考・行為が記録されている台帳があって、それによって善人と悪人とが判別されるとされます。
 そして善人の魂は美しい乙女に導かれ、悪人は醜い老婆に導かれて
「チンワントの橋」に向かうことになり、善人はこの橋を何なく渡れるのに対し悪人にはこの橋は剣となってしまい、悪人の魂は切り裂かれ悲鳴と共に地獄に堕ちることになると言われます。
 善人の魂は天国に迎えられ、星の世界、また月の世界で、さらに太陽の世界で温かくもてなしをうけた上で
「最高神アフラ・マズダ」の下に行き永遠の平安の人生が約束されるとなります。
 悪人の魂は天国のはじめの「星・月・太陽」の三つの世界に対応する小地獄の世界があってその三つの世界でさんざんに責め苦をうけたあげく、最後の
「地獄」に堕ちて、文字通り「地獄の釜ゆで」など悲惨この上ない拷問・責め苦を永遠に受けることになるとされます。
 この地獄は「終わり」というものがありません。ですから生前での本当に短い人生の間の選択が「天国での永遠の平安」か「地獄での永遠の苦悩」かを決めてしまうとされるわけでした。
 一方、この「個々人の裁判」に加えて
「人類そのものの最後の審判」というものがあって、ここで死者はすべて復活してきます。ところがそこに天より巨大な彗星が落ちてきてすべてをその業火で焼き尽くしていくとされます。しかし善人はその火を何とも思わず暖かな牛乳のように思うのに対して悪人には灼熱の火となって全身を焼き尽くすとされます。そして善人は三日三晩もてなしをうけて天国に戻っていくのにたいして悪人は三日三晩溶鉱炉で焼かれて再び地獄に堕ちていくとされます。一方ここで「善神」と「悪神」の最後の決戦が行われ、「悪」は滅び去って世界は再び「悪神」の侵入しなかった状態へと戻る、とされるのでした。
 この「復活」と「世界の終末」の思想も興味深いもので、これまたヘブライ神話には全くなく、しかもキリスト教の中心思想となっています。この影響はやはりこのゾロアスター教しか考えられないわけでした。

アフラ・マズダの従神たち
 一方この「善神アフラ・マズダ」の世界ですが、その下に七人の「不死にして聖なる存在」とされる「アムシャ・スプンタ」と呼ばれる「従神」たちがおり、この従神たちがさまざまのことを統括するとされます。つまり「アフラ・マズダ」は自分でことを行うのではなくこの従神たちを使ってことをなしていくというわけでした。この七人とはすべて「女神」であり次ぎのようになります。
1、聖霊のスプンタ・マンユ。人間に関与。
2、善思のウォフ・マナフ。家畜に関与。
3、宇宙秩序・正義のアシャ。火に関与。
4、献身・敬虔のアールマイティー。大地に関与。
5、理想の王国のクシャスラ。天空に関与。
6、完璧のハルワタート。水に関与。
7、不死のアムルタート。植物に関与。

 以上の女神達はいってみれば
「アフラ・マズダ」の変容した姿とも言え、第一の「スプンタ・マンユ」などは時にアフラ・マズダと同一視される位の近さを持つとされます。「聖霊」と言われているわけですので、これをキリスト教的に言えば「神の働き」を意味します。ですから近いわけで、実際キリスト教ではこの二者と「イエス・キリスト」を加えこの三者を「同一」とするわけでした。それを「至聖三者」と呼んだり「三位一体」などと呼んでいるわけです。こんな思考がキリスト教などに遙かに先立ってこのゾロアスター教に存在していたのでした。
 一方、第二の
「ウォフ・マナフ」「善思考」ですから「アフラ・マズダ」の思考そのものであり、神話的表現では「アフラ・マズダの助言者」といった具合になります。
 
 そしてとりわけ特徴的になるのが第三の
「アシャ」であり、彼女は「火」だとされているわけですが、この「ゾロアスター教」が「拝火教」と呼ばれたようにこの宗教では「火」というものが特別な意味を持っていました。ですから「火のアシャ」が特別視されても当然なわけでした。このアシャの統括するところは先ず天体の運行や昼夜・季節の秩序などの「宇宙秩序」ですが、天と地は同じ「アフラ・マズダ」の創造した世界として連動しているわけで同時に人間界における「秩序」の統括者となり、その「アシャ」の統括のあり方をまもることが「正義」とされたわけです。この地上世界にあっての秩序は先ず「神と人間」をつなぐ「祭儀・儀礼に関するあり方」となり、さらに「社会身分・序列の遵守」となり、その上で「しきたりや社会秩序の遵守」となります。このゾロアスター教が一般の人々に受け入れられた要因はおそらく先に示した「最後の審判」の思想にあると考えられますが、これがペルシアの「国教」つまり朝廷の宗教とされた一番の要因はこの「社会身分・階級・秩序」の遵守の思想にあったと考えられます。これは実際問題として「朝廷による君主支配」の遵守となるからです。
 一方「アシャ」の持つ
「火」というものの性格ですが、これは終末において「アフラ・マズダ」が悪を「火で裁く」と言われていることと連動していると考えられます(これはまたキリスト教での洗礼者ヨハネやイエスが、最後の審判にて神に従っていなかったものが「地獄の火」に投げ込まれるとしている、としていることに再現されてきます)。つまり、「火」とは善神アフラ・マズタの勝利をシンボライズしているわけで、そうである以上「火」は「聖なるもの」となるからです。こうしたことからゾロアスター教では「火」を特別視して「火」をアフラ・マズダの顕現としてこれを拝するのでした。
 従って、ゾロアスター教では祭儀において
「聖別された火」というものがあり、その「聖別」の有り様は複雑ですが、そうして「聖別された火」は「聖火殿」に収められて、他の火と混ぜられたり分割されたりの手を加えられることなく「純粋」なまま絶やされることなく燃やされ「礼拝の対象」になります。一方これ以外にも日常的な祈りの対象とされる「火」が各家庭・各個人にもあり、信者は日常的に「火」を携帯することになりました。携帯できない場合は太陽や月や今では「電気」でも代用にされつつ礼拝の対象になっています。
 ただ、こう見てくるとこのゾロアスター教では死後は火葬になるのではないかと思われるのですがそうはなりません。火で焼かれるのは最後の審判の時だけで、ゾロアスター教では
「鳥葬」が有名になっています。これはゾロアスター教では人が死ぬとその身体に「悪霊」が取り憑くとの信仰があって、その悪霊を取り去るための儀礼があるほか、「鳥」がその悪霊を駆除するという信仰があったからです。

ヤザタ、かつての神話の神々
 一方、こうした七人の従神の下にさらに「崇拝すべき存在」とされる「ヤザタ」と呼ばれる存在がいます。このヤザタは多くが親類筋である「インド神話」と対応しており「アーリア民族」の初期の神々と考えられます。
 例えばインドの
「サラスヴァティー」(彼女は日本の弁財天となります)はゾロアスター教では「水の女神アナーヒター」とされヤザタの一人とされていますが、元来彼女は「アーリア民族の地母神」であったと考えられ、従ってその神話的地位は非常に高いものがありました。
 ですからゾロアスター教の時代になっても彼女は依然として高い地位を失っておらず、時に「アフラ・マズダ」とならんで
ペルシャ王朝の守護神ともされていたようでした。ですからこの「ヤザタ」を「下級神」と見なすべきではありません。いってみれば先の「七人の従神」が内容的に「アフラ・マズダ」の場面場面に応じた「変容」の姿であって「本体は一つ」に収斂されると考えられ得るのに対して、この「ヤザタ」がアフラ・マズダの下にいる「従神」とされるべきでしょう。しかもその位置はあたかもギリシャ神話に於ける「主神ゼウス」に対する「神アポロン」や「女神アテネ」に相当するような非常に高い位置にいるように見なせます。
 実際、アフラ・マズダはゾロアスターにたいする啓示の中で、「我が泉の主である女神アナーヒターに犠牲を捧げよ。アナーヒターは地上にあまねく存在し健康を授け、水を与え、家畜を富ませ、耕地を潤し、富を増大させ、国を繁栄させる聖なる神である」と語っているほどでした。
 この「ヤザタ」にはたくさんの神々がおり、そのほとんどは「古代神」でしたが、ゾロアスター教の中に取り込まれてその姿は「詩的・絵的」に描かれています。この神々を見ることはゾロアスター教以前の太古の時代のペルシャの民間神話のあり方を推察させ古代ペルシャの基本的な世界観を見せてきます。それはやはり自然世界を「善・悪二元論」的に説明する物語となっているのが注目されます。
 
 この「ヤザタ」には
太陽の「フワル」、月の「マーフ」、火の「アータル」、風の「ワータ」、地の「ザム」、草の「ハオマ」などが挙げられているように、本来「自然」が形象化された神々が主体だったのでしょうが、それが「人間にかかわる働き」が形象化されていったところで「人格神」が出てきたというのはおそらくどの民族でも同様であったと考えられます。
 その「人間にかかわる働き」の人格化としての神々の姿を何人か紹介してみますが、ペルシャ神話の特色としてその
「姿の描き」が非常に「絵的」であることが挙げられます。つまり「イメージ性」に富んでいるということですが、しかしギリシャ神話の神々のように「活動的物語」として語られてくるわけではありません。その「姿・形」だけがイメージ的なのが特色なのです。これはおそらく「神々は讃えられる存在」としてあったからだと考えられます。
 つまり「神」というのは民族によってその機能は相当に異なっており、たとえば古代ギリシャのオリュンポス神信仰は「生きて活動する人間のモデル・社会秩序の根拠」という性格もっています。この「人間活動のモデル・社会秩序の根拠」という働きを示しているのは他には「北欧の神々」となるでしょう。
 ちなみに日本の「神」というのは「祈願される対象」であり、事柄が何にせよ「繁栄・成功を授けてくれる力」として考えられていましたから「讃えられるべき麗しい姿」も持たなかったし、「人間のモデル」としての素晴らしく高く強い能力の提示もせず活動もしていないわけです。こんな具合に民族毎にその神々のあり方というのはかなり異なった意味をもっているわけでした。以下、ペルシャの神々の姿を描いてみます。

水の女神アナーヒター
 今言及した女神アナーヒターですが、この女神は指摘しておいたようにインドの「サラスヴァティー(河の神)」に相当し日本では「弁財天」となって崇拝された女神となります。
 彼女は「水の女神」として知られているわけですが、「水」というのは動植物の命を保ち育む
「繁殖」の源であり、つまり彼女は元来太古の「地母神」であったと考えられ、従ってその崇拝は強いものがありゾロアスター教の成立の後にあっても「最高神アフラ・マズダ」と並び、さらに「正義・戦い・後には太陽」とも同一視された重要神「ミトゥラ神」と並んで「三幅の神」として「アケメネス王朝の守護神」とされていたほどです。
 しかもさらに時代が下がって紀元後の「ササン朝」となった時にも、その始祖「ササン」は
「アナーヒター神殿」の司祭であったと言われます。この「アナーヒター」という言葉の意味は「清浄」という意味であるとされて、従って彼女はあらゆるものを浄化する女神でありその姿も美しく描かれています。
 
 光り輝き、すらりとした背の高き、美しき女神アナーヒターの両の腕は真っ白く輝き、自ら戦車を駆って疾駆し地上にあまねく大量の水を送り出す。
 慈悲深く、偉大なる女神はすべての男たちの精子を浄め、すべての女たちの子宮を浄めて安産を司る。
 アナーヒターは黄金の百の星がきらめく王冠をかぶり、黄金の耳輪と首飾りを付け、豪奢な毛皮を身にまとう。
 アナーヒターは数千の軍勢を持ち、千の入り江と千の水路を持つがそのそれぞれの広さは名馬を駆った騎士といえども一回りするのに40日もかかってしまう。その水路には千の柱を持ち百の光り輝く窓と一万の露台を有する宮殿が建ち並び、その宮殿には麗しい香りを漂わせる寝台がしつらえられている。
 
 以上にように歌われるアナーヒターはイスラームの後には「神」とはされなくなってしまったわけですが、
「ナーヒード」と名前を変えて「金星」として姿をとどめることになりました。

雨の神、ティシュトリア
 この「雨の神」は「シリウス星」として姿を留めることになりますが、「水」を何より大事とするこの民族は「水の女神」の他にも「雨の神」をも持っていました。この神は次ぎのように歌われます。
 
 月の最初の十夜にあって、彼は光の中を飛びながら、やがて十五の歳の若き少年へと変身していく。その身体は光り輝き背は高く、力は強さに満ちあふれ、賢く凛々しい姿を持っていた。次ぎの十夜にこの神は光の中で黄金の角持つ牛に身を変える。最後の十夜でこの神は黄金の耳と黄金の飾りをつけた真白き馬へと変身していく。
この雨神は年ごとに「美しき白馬」の姿でウォルカシャ海岸の岸辺へと降りていく。しかし「悪神」の配下にあったアパオシャは醜き黒馬の姿となって「白馬」に挑み、「旱魃」をもたらそうとて戦っていく。両者は三日三晩戦うが、悪魔アパオシャの力は勝り「雨神」は退き逃げて嘆き悲しむ。彼に力を与えるに人間による「祭り」が必要だった。彼が負けたのは人間が彼をきちんと祭らなかったからなのだ。祭りによって彼は十頭の馬、十頭のラクダ、十頭の牛、十の山、十の川の力と強さをアフラ・マズダに授けられ、再び白馬となって海岸へととって返す。黒馬アパオシャとの戦いは激烈だった。しかし遂に彼はアパオシャをうち破り海岸から駆逐したのであった。白馬の姿の雨神ティシュトリアが海に入ると海は沸き立ち、蒸気が雲となって昇っていった。この雨雲を風神ワータが世界の七つの地域へと運んでいった。こうして雨神ティシュトリアは世界の七つの地域に潤いの雨を降らせていくのであった。

 この描きを見ると、神は「讃え祭られる」存在なのだと先に指摘しておいたことの意味が分かると思います。つまり神は
「讃えられ祭られる」ことによって「力を得て」その働きを十分に行うことができ、それがひいては人間に恩恵をもたらす、といった構造になっていることが読み取れると思います。先に神信仰にはさまざまのタイプがあることを紹介しておきましたが、このタイプが「神とは讃え祭られる存在」としてあったというタイプのものなのでした。

契約の神ミトゥラ
 このミトゥラ神も古代にあっては広く深い信仰を持たれていた神であり、先に言及したようにアケメネス朝の時代にあっては主神アフラ・マズダや水の女神アナーヒターとならんで「三幅の神」として碑文に刻まれていたわけです。
 この神は民族に秩序を保つ「契約」の神として
「正義の神」と言えます。さらにその姿の描写に「太陽」との関わりが見られることから後には「太陽神」ともされました。
 他方この「ミトゥラ神信仰」はローマへと伝播して
「ミトラス教」という宗教となってローマ帝国を席巻するほどの勢力を持ち、時代的に「キリスト教」と拮抗して(紀元後一世紀から四世紀)ライバル関係となり、やがて「キリスト教の勝利」となって消えていくことになったのですが実はしぶとく「クリスマス」となって生き続けてしまったのです。つまり12月25日というのはこの「太陽神としてのミトラス教」の重要な祭日であり「太陽=ミトラスの復活」を意味していました。
 あれやこれやで、この「太陽の復活」を祝うミトラス教や民間の祭りをキリスト教は撲滅できず、逆にそちらに同化されてしまって「光としてのイエスの降誕」と捕らえ返してこの祭りを継続することにしてしまったのでした。こんな具合に「ミトゥラ」という神は強力な神であったわけです。
 
 ミトゥラ神は千の耳と万の目を持ち、あらゆる事を見、あらゆることを聞いていてすべてに精通していた。彼は広大な牧地を持っていて、創造主アフラ・マズダがハラー山に建設した輝く宮殿に住んでいた。そこは光に満ちて暗闇というものがなく、寒さつのる風も熱風も吹くことがなかった。病気も災厄もここにはなかった。時がくるとミスラは太陽に先駆けて駿馬のごとく昇り行き、ハラー山の頂にその身を現した。そこから彼は慈愛の目をもってアーリアの民族すべての地を見回した。
すべての地、すべての国に光りと支配を授ける彼は「契約」を破り欺く者には激怒した。もしそうした者が現れた時にはどの村どの町であろうと容赦なく滅ぼした。すべてを知るミトゥラ神はすべてのヤザタの神々の中でももっとも強く勇敢で勝利をもたらす神であった。そのため地にある戦士たちも彼を敬い彼にしたがった。彼は死後の審判においても人々を裁く裁判役となり、その人の死後の行く末を裁くのであった。

勝利の神ウルスラグナ
 この神は「戦いの神」であるため当然「王侯・戦士」たちにとって最重要の神となり、こうしたタイプの神はどこの民族も主要神として持っていました。でから「ササン朝」にはこの神の名前に由来する名前を持った王も存在していたほどです。昔日はおそらくインドのインドラがそうであるように主神的な位置を持ち多くの機能をもっていたと思われますが、その地位を「アフラ・マズダ」に譲った時にその機能の多くも失ってただ「戦の勝利」だけを管轄するようになったのでしょう。この神の姿は「変身」の神として謳われており、その姿は十となります。
 
 第一にこの神は「風」の姿となって現れ、ゾロアスターに対して「我は最強にして、もっとも多くの勝利を得、悪魔と人間の敵意とを打ち砕く」と語ったと言われます。
 第二にこの神は、黄金の耳と黄金の角を持つ雄牛に変身する。
 第三にこの神は、黄金の耳を持ち黄金の飾りを付けた美しい白馬に変身する。
 第四にこの神は、鋭い歯を持ち足が速く長い毛を持つラクダに変身する。
 第五にこの神は、鋭い爪を持つ猪に変身する。
 第六にこの神は、15歳の輝く若者に変身する。
 第七にこの神は、どの鳥よりも早く飛ぶ大鴉に変身する。
 第八にこの神は、野生の美しい雄羊に変身する。
 第九にこの神は、鋭い角を持った戦う雄鹿に変身する
 最期にこの神は、黄金の刃がついた太刀を持つ人間に変身して現れる。
 以上の中でも第七の大鴉の羽根はとりわけ大事で、この羽根を持つ者は敵の呪いをはね返し、だから羽根の力によって誰も彼を倒すことはできなくなる。また、戦闘があって勝負が付かないとき、両軍の間に四枚の羽根が投げられると、いち早くそれに気付いて「ウルスラグナ」を拝んだ方に勝利が与えられるという。
 
 この神は先に指摘したようにアーリア民族の太古の神の一人でインド側では
「インドラ」として展開したと考えられていますが、インドラは「雷の神」としてしばしばギリシャの「ゼウス」や北欧の「トール」と比較されます。戦神として暴風の神を従えアーリア人の敵を倒す戦士として、あるいは悪竜を退治するものとして讃えられています。
 さらにこのアーリア人の神々の名前は紀元前14世紀頃の小アジアのヒッタイト・ミタンニ文書に見られるところから広い範囲にわたって知られていた神であることが分かります。その広く知られた神々とは、先の「ミトゥラ」やこの「戦士の神」さらにインド側での「天空神バルナ」などですが、この「バルナ」は結局イランのゾロアスターによって「アフラ・マズダ」とされていったのではないかとも考えられています。
 いずれにせよ、これらの古代の神々はイランでは「ゾロアスター教」の神の体系の中に「従神」として位置づけられることになり、一方インドでは仏教に取り入れられたりヒンズー教の神々とされていくなどして変容していったのでした。この事情は日本の「弁財天」や「帝釈天」を見ればそれがインド由来とは思えないほどになっているのを見れば理解できると思います。

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