5. 古代エジプトと中東の神々 - 4. セム族の主神「バール神」とヘブライの「ヤハウェ神」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

古代エジプトと中東の神々
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INDEX
1. 古代エジプト神話とその死生観
2. 古代エジプトの主要な神々
3. メソポタミア、シュメールの神話
4. セム族の主神「バール神」とヘブライの「ヤハウェ神」
5. ヘブライの神話
6. ペルシャの神々とゾロアスター教

4.

セム族の主神「バール神」とヘブライの「ヤハウェ神」


ヘブライの民族
 オリエントの東部は紀元前3000以前から2000年くらいまで栄えた「メソポタミア文明」を形成した「シュメール人」からはじまり、その文明は2000年代にこの地を支配したセム族の「アッカド」、さらにそれが北部の「アッシリア」、南部の「バビロニア」と引き継がれていたわけですが、一方西部の方も同じ「セム族」の民族が活動していました。
 セム族がオリエント地方に姿を現し始めたのは紀元前3000年頃からとされますが、それは東部の「アッカド」だけの話しではなく、西部も同様であったと考えられています。そして紀元前2000年代に入って
「ウガリト王国」が北部のシリア地方にあって栄え、さらに「フェニキア人」が台頭し、またさらに紀元前1000年代の終わりに南部のパレスチナ地方に「ヘブライ(イスラエル・ユダヤ)人」の王国が形成されるのでした。そして、この民族の結束を図るために、セム族に共通の神「バール」に代えて「自分たち独自の神、ヤハウェ」を主張していったと考えられます。ですからその限り、相当に政治的な意味合いの強い神であったと言えます。
 ところでその
「ヘブライ」という言葉ですが、私達は通常「ヘブライ人」「ヘブライ語」「ヘブライ神話」などという言葉を使う一方で、同じ民族のことを「イスラエル人」とか「ユダヤ人」とか呼び、その宗教は「ユダヤ教」と呼んでいます。この言葉の使い分けは複雑ですが、とりあえずは「同じ民族」を指しています。イスラエルというのが一般的な名称のようで、「ヘブライ」というのは「貧しい流浪の民」という軽蔑的な言葉だったようですがやがて定着してしまい、特に古い時代を意味させるときは「ヘブライ」という言い方をしています。そしてやがて後代「ユダ王国」を形成してペルシャ支配時代に「ユダヤ教」を成立させてからは「ユダヤ」という言い方をするということで理解しておいてください。

ユダヤ教の形成までの民族史
 さて、このヘブライの民族が作り上げた宗教ですが、その民間信仰の時代から「ユダヤ教」が成立するには次のようないきさつがあります。
 すなわち、
ダビデ王の下にヘブライ人が作り上げた「国家」がその子ソロモンの死と共に早々と分裂して北の「イスラエル」と南の「ユダ」に分裂し、やがて北のイスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、南のユダもバビロニアに占拠されて結局イスラエル民族の国家はここに消滅します。そして「ユダの市民」はバビロニアにつれて行かれてしまいます。これを通常バビロン補囚と呼んでいますが、それは台頭してきたペルシャがバビロニアを滅ぼしたところで終わり、寛大であったペルシャは、ユダの市民を支配はしましたがバビロニアから解放してやり故郷に帰ることを許してあげたのでした。
 そしてユダの市民は故郷に帰って、自分たちの不運を嘆きながらこれは「神」への信仰が薄かったからだと反省して、これまでの民間宗教的であった宗教を確実な宗教体系に作り上げていったのです。それを私たちは
「ユダヤ教」と呼んでいるのでした。こうして紀元前六世紀後半から五世紀にかけて「ユダヤ教」は意識的に形成されていったわけで、その性格は「ユダヤ人(イスラエル人)のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教」という特質を持ちました。もちろんそれはそれ以前の「ヘブライ神話」を整理したものです。その神話は後に『旧約聖書』とされてキリスト教に入り込み、そこでも重視されるところから「モーゼの出エジプトの物語」「十戒」など映画などにもなって良く知られた物語となりました。
 「ユダヤ教」というのは結局のところこうしてユダヤ(イスラエル)民族史と関連して形成されたものですので、ここで先ずイスラエルの「民族史」から見ていきましょう。それは
「創世記」「出エジプト記」に記された物語となりますが、その大雑把な筋は次ぎのようになります。

 先ず
「メソポタミア地方のウル」に居た「アブラハム」という人物に神の声があって、彼は都市「ウル」を出てハランを経由して「カナン」にたどり着きます。「ウル」というのはユーフラテス河の下流です。そして「カナン」というのが現在のパレスチナ地方で後にユダヤ(イスラエル)人の国家が創設されるところでした。つまりアブラハムは東のメソポタミア地方からはるか西へと移動していったわけです。そして神はこの地方をアブラハムの子孫に与えると約束したといいます。そしてこの「約束」がユダヤ教の「核」となるのであって、ユダヤ教とはこの「神の約束の実現」を目的としたものなのでした。ですから宗教としては非常に「現実的・現世的」なものですが、これは「豊穣」を願う原初の宗教の基本的姿とも言えます。
 さてアブラハムの妻は神の予言があって男の子
「イサク」を生みます。ところが神はこのイサクを神への「犠牲」として差し出せなどと命令してきました。これは祭壇のところで喉を切り裂き命を捧げるということですからアブラハムは悩みますが「神の言いつけ」ということで祭壇を築いてイサクを犠牲として殺そうとします。しかしそこに神の使いが現れてアブラハムの信仰の厚さを讃えます。つまり「試した」というわけでした。同時に合格したアブラハムは神に祝福されたということになります。
 こうしてイサクは助かり、やがて結婚して
「エサウ」「ヤコブ」の双子を得ました。エサウの方が長子で継承権を持っていたのですが、母はヤコブを愛していてヤコブに悪知恵を授け、ヤコブはそれに乗って老齢のため良く目が見えなくなっていた父イサクを騙してエサウと偽ってその継承権を奪ってしまいました。このヤコブが一名「イスラエル」といいイスラエル民族の名前となります。
 イスラエルという名のヤコブは妻を四人持って十二人の子どもを得ます(後代のイスラームが妻を四人までとしたのは、宗教的にはこれが根拠と思われる。イスラームのアラブ人も自分たちの始祖を「アブラハム」としているからである。)。この12人の子ども達がいわゆる
「イスラエル12部族」の祖とされるわけです。ところがヤコブは末子である「ヨセフ」だけを贔屓し、そのため他の子どもたちはヨセフをねたみます。その上ヨセフは自分が皆の上に立つ夢を見たなどといったのでさらに憎まれてしまいます。そこで兄弟たちはヨセフを殺してしまおうとしましたが一部の兄弟は反対し、そこで穴に落としておこうとしましたが、そこにエジプトの隊商が通りかかってのでヨセフを彼等に売り払ってしまいました。
 ヨセフは
エジプトにあって召使いとして仕えていましたが、ある事情から王様の「夢」を解いてやり登用されて大臣にまでなっていきました。そうした時「飢饉」になってヨセフ達の兄弟がエジプトにやってきて再会し、ここでヤコブ(イスラエル)達はエジプトに住むことになったというわけでした。
 彼等の処遇も始めの頃は良かったのですが、やがて時代が経ってヤコブの子孫達は疎まれるようになって奴隷化され、ここで
「モーゼ」が出現してエジプトを脱出していくという物語になっていくわけです。

 以上の簡単な筋の中にも民族史的に幾つかの重要なポイントがあります。すなわちイスラエル民族の出自は「メソポタミア」だと言われているわけで、これは最近の発掘その他の研究によっても認められています。ですから彼等は「東のセム族の一派」であったというわけでした。従ってその神話が
バビロン的なのもうなづけます。
 ただ、ヘブライ人のパレスチナ地方への侵入にも幾つかの部族による段階的なものがあったのではとされています。すなわち先ず「アブラハム族」が紀元前1800年頃移動して北に迂回してパレスチナ地方に入り、その後400年くらい経って前1400年頃に「ヤコブ族」がやはり北に回って東側から入り、最後に何等かの事情でエジプトに流れていた「セム族(ヤコブ族?)の一派」が前1200年頃エジプトを出て「モーゼ」に率いられてパレスチナ地方に入っていったのではなかろうかというわけです。そしてこの最後の「モーゼ」による侵入以降がとりわけ大事だとされるのでした。
 ただし、肝心のエジプトにいたという「セム族(ヤコブ族?)の一派」についてはこれを疑問視する見解も有力なものとしてあります。しかし、ここでは一般の説に従って一応「エジプトから」としておこうと思います。
 
西方セム族の神「バール神」
 一方、こうしたヘブライ人の侵入以前にもパレスチナ地方には人々が住んでいたわけで、宗教的な側面では北方シリア方面に展開していた「ウガリト王国」がとりわけ重要とされます。この「ウガリト王国」は、イスラエル民族がこの地方に進出してくるずっと以前、紀元前2000年代から繁栄した古代都市国家で、東方のシュメール・アッシリア・バビロニアともまたさらに北方の小アジアにあったヒッタイトとも交流し、また西のエーゲ海にも進出し少し遅れてきたギリシャ・ミケーネ人にも影響を与えたであろうとされている民族でした。もちろんセム族の一派で、同じセム族の民族で後代に重要民族として歴史に名前を留める「フェニキア人」はその親類筋の民族であったとされています。
 そしてそのウガリト王国からはその文書であるウガリト文書が大量に発掘されたことからその王国やその神のあり方の詳細が知られます。しかしこれは当然ウガリト王国だけの神であるよりむしろ西方に展開していたセム族の神と考えるべきで、したがって近親関係にあったフェニキア人も同様の神をもっていました。
 その神体系の中で「バール」という神が有名になっています。この
「バール」はこの地方に展開したセム族の神として紀元前3000から1000年代にかけてこの地方において有力であった神であり、『旧約聖書』の列王記の17章以下での「予言者エリア」の伝承において「イスラエル」にさえ「バール神信仰」が盛んになっていたことが記されています。その時の王「アハブ王」の后「イゼベル」はフェニキア人とされていますので、フェニキアの「バール神」信仰の影響かと推測されます。
 それにしてもこの証言からは、この時代はやはりフェニキア人もヘブライ人も混在し(同じセム族に属する親類ですから不思議ではありません)、ダビデによって「イスラエル王国」が結成され、ソロモンによってヤハウェ神殿が建造されていても、今だその神観念が一本化、絶対化されていたわけではないことが良く分かります。ヘブライ人独自の
「ヤハウェ信仰」がヘブライ人(イスラエル人)にとって絶対のものになるのはやはりバビロン補囚の後、一般に「ユダヤ教成立時代」とされる紀元前五世紀にまで大きく下がってこなければならないでしょう。それまでは「ヤハウェ信仰の準備時代」と言うべきだと考えられます。

「バール神」を伝えるウガリト文書でその神話を簡単に紹介してみましょう。神々の集会があり
「天の神イルウ(エール)」のもとに皆が集まって来たとき、海の竜神である「ヤム(混沌をあらわすとされる)は自分が支配者になろうとして使者を送り込んだという。老いたイルウはそれに譲歩してしまうが、「バール」は激怒して、職人の神が作り出した特別の棍棒をもってヤムと戦いこれにうち勝つ。
 神々の宴会があり、バールの
妹「アナト」の勇猛さが示される。バールはこの妹「アナト」に依頼して支配者にふさわしい宮殿を造ってくれるよう天の神に頼み、そこに住まう。やがてしばらくして「冥界の神モト」が冥界に来るよう声をかけバールは出かけていくた。しかし冥界にあってバールはだまされてモトに捕らわれてしまう。一方妹のアナトはバールを求めて冥界へと来たり、モトを倒していく。しかしモトは復活してしまい、他方自由となっていたバールはモトと壮絶な戦いの後ついにモトにうち勝つ。しかし「バール」は七年の支配の、後地下に降りていった。

 この神話に見られる「バール」は
「戦士」であると同時に実は「穀物」も象徴しています。地下にいったり「再生」したりはその穀物の姿を現しています。「七年後の地下への下り」などはヘブライ神話である『創世記』41.29にある「豊壌の七年」にそのまま受け継がれています。一方「妹のアナト」は東方のシュメール・バビロニア系列の「女神イシュタル(イナンナ)」と同じ性格を持っているといえます。この「バール」は西方セム族間において別名「ハダド」とも呼ばれ、それは「主」という意味をもって「主神」となり、後代のギリシャのゼウスに似た性格を持っていて「雨・雷光」をつかさどり、強大な戦士であると同時に穀物の繁栄を司って、彼と女神との性的交渉が「繁栄のシンボル」として「聖婚」儀礼が各地で行われたようでした。

 この「ウガリト」の神観念にバビロニアなど東方のセム族との近似性が認められるように、同じセム族である「ヘブライの神話」がこれらと無縁に存在していたわけもなく、その原型はすべてのセム族に共通していてそれが各部族ごとの展開を見せていったと考えられます。ですからその「神観念」も「世界観・人間観」も基本は元来のセム族のものであり「ヘブライ・ユダヤ教」に特有とされるさまざまの特質もこの展開の中に考えられるべきでしょう。


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