5. 古代エジプトと中東の神々 - 3. メソポタミア、シュメールの神話 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

古代エジプトと中東の神々
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INDEX
1. 古代エジプト神話とその死生観
2. 古代エジプトの主要な神々
3. メソポタミア、シュメールの神話
4. セム族の主神「バール神」とヘブライの「ヤハウェ神」
5. ヘブライの神話
6. ペルシャの神々とゾロアスター教

3.

メソポタミア、シュメールの神話


はじめに
 中東・オリエント地方の文明の始まりは、現在のイラク地方のチグリス・ユーフラテスという二つの河の流域に紀元前3000年以前から栄えていたいわゆる「四大文明」の一つであるメソポタミア文明となります。そのはじまりはシュメール人によるものでしたが、やがてアラブ系のセム族の台頭によりそれに吸収されていきました。こうして中東の神々が現れてくるわけですが、その中東・オリエントの「神」もこのメソポタミアのシュメールの神が最初になります。
 やがて後代になってヘブライ人(ユダヤ・イスラエル人)の神「ヤハゥエ」を生み出し、そこから「イエスの神」が生まれ、さらにそこからイスラームの「アッラー」が生じてくることになるのでした。一見違って見えるこの三つの宗教の神は実は「同じ神」なのですけれど、それがどうして違って見えることになったのか、その本来の性格はどのようなものであったのかを考える上でもこの
シュメールの神話は重要な鍵となります。

シュメール神話
 さて、この紀元前3000年以上にさかのぼるこのメソポタミア文明の民族は「シュメール人」と呼ばれていますが、その民族の由来は現在もよく分かっていません。そしてこのシュメール人はやがてこのメソポタミア地方に南西から進入してきたアラブ起源のセム族に征服されていきます。このオリエントに展開したセム族がアラブ起源だということは「アラブのイスラーム」を見るとき大事なポイントになるでしょう。この進出してきたセム族の名前は「アッカド」と呼ばれますが、このアッカドは先行の高度なシュメール文明に感化されてその「神」もシュメールの神を引き継いでいきます。
 そのあり方はちょうどローマがギリシャ神話を引き継いで自分たちの神の体系をつくったのと似ていると言えます。さらにこのアッカドは後に
「バビロニア」と「アッシリア」となって展開していきますが、その「神」もシュメール以来の神を引き継いでいきます。そしてこの二つの部族はやがて全オリエントを征服するような巨大な部族となっていきますので、中東・オリエントの基本的な神とは「シュメール起源の神に融合したセム族の神」であるということになります。やがてここにも変化が生じてきますが、まずこのシュメールからセム族までの神の姿からみていきましょう。

シュメールからセム族へ引き継がれる神々
 シュメールの神々としては、「天神アヌ」「太陽神ウトゥ」「月神ナンナ」「金星イナンナ」「大気の神エンリル」「大地と水の神エンキ」など「天空神」を中心に数百の神々がおりました。これらの神々はそのまま名前を変えて次代の「アッカド民族」に引き継がれていきます。例えば「太陽神はシャマシュ」となり「月神はシン」「金星はイシュタル」という具合です。これはギリシア神話とローマ神話にも見られる現象で「文化の受容・継承」に伴うものでしょうが、これは同じような世界観を持っていたことから生じた結果でしょう。
 ここでの特徴は「神々」が
「天体の人格化」という性格を持っていることですが、これは太古の人類が「神」というものに出会うもっとも基本のあり方でした。何故なら人類は「自然の中」に生きていたのですから、自分たちはもちろんその食物となる動物も植物も太陽によって育まれていることにすぐ気付くわけで、しかもその太陽は「人間の力」などでは左右できない超越的なものであったからです。同じ理由で「月日」を教える「月」も、生物を文字通り生み育む「大地」も、また様々の自然現象に関係するものも、星々も「神」と見なされていくのは当然でした。そしてこれらの神々の関係が神話となっていく段階で「世界や人間」についての考え方が整理されていったのです。
 ただ、メソポタミアのシュメールの神体系は「太陽神ウトゥ」「月神ナンナ」「金星イナンナ」を中心として数百の神々がいたわけですが、この三人だけが原初の中心の神というわけではなく他に主神もいることは、次ぎに見る「ギルガメシュ叙事詩」でも明らかで、そこでは「天神アヌ」が物事を決めている主神であり、また
創造の女神「アルル」がいてエンキドゥという人間を作っています。さらに「冥界の女王イルカルラ」も登場してきます。こうした神々の中で後代の展開の中で誰かが主神になっていくわけです。

天地創造と人間の創造
 先ずシュメール神話で最大の特徴として注目されるのが「天地の創造と人間の創造」となり、この思想は中東・オリエントの最大特徴ともいえます。この思想は一般には「ヘブライ神話」で知られていますが、ヘブライはシュメールよりかなり後代の、しかも中東西部に展開した民族でした。しかし彼等も同じ「セム族」に属し、したがってシュメールとの関連も見られるわけで、有名な「ノアの方舟」の後その子孫は「東に移りシナルの地に平野を得てバベルの塔を建てた」と語られているのですが、そのヘブライ神話にある「シナル」というのが「シュメール」のなまった言い方であるとされています。
 その天地の創造の物語ですが、初めに
「天」と「大地」が造られ、そして「チグリス」「ユーフラテス」の河が造られ、そして天には「天神アヌ」「大気の神エンリル」「太陽神ウトゥ」「大地と水の神エンキ」がおり、神々は相談して次ぎに何を創ろうかということになって「神々に仕えるものとして人間を造ろう」となって、そして「女神アルル」を召し出して人間を造らせいったのでした。そしてそこに「穀物や知恵の神ニバダ」を送ったとなります。
 ここにある「人間を神々に仕えるものとして創造した」という話しはヘブライ神話での
「アダムとイブ」の物語にそのまま現れてきますし、また人間界に穀物ばかりか「知恵」が必要であったというこの神話はヘブライ神話での「人間が禁断の木の実、つまり知恵の実を食べてしまい地上に追放された」という物語と通じています。

女神イナンナの冥界くだり
 その他の神話としては「女神イナンナ」の冥界くだりの神話が知られています。冥界くだりというのは結局のところ「植物の再生」と連なり「豊壌」を表しています。
 女神イナンナは時に
「金星」として、あるいは「愛欲・美の女神」などともされますが、本来は太古の昔の「豊壌の女神」「大地母神」の神話的発展でしょう。彼女とその夫とされる「ドゥムジ」が後にセム族によって「タンムーズ神話」となっていきます。そこでは「イナンナ」は「イシュタル」という名前になり「ドゥムジ」が「タンムーズ」となるわけでした。

 女神イナンナは自分の姉
「エレシュキガル」が支配している冥界へと下る気になり、自分に仕える神「ニンシュプル」に三日経って帰ってこなかったら他の神々の助けを求めるようにと言い置いてたくさんの飾りを身に付けて下って行った。冥界に行き着くと門番「ネティ」がおり、ネティはイナンナが降りてきたことをエレシュキガルに伝えた。彼女は不愉快に思ったが(生きている者が冥界に行くことはタブーであったから)、その身に付けている飾りを取ってから入れるようにと伝えた、ところが冥界には「七つの門」があって、そのためイナンナはこれらの門をくぐった時には身ぐるみはがれたようになってしまった。しかし冥界の神々はやはり生きているものが勝手に冥界に入り込んだことを許さず、彼女を死刑にしてしまい死体を釘に掛けてつるしてしまった。
 「ニンシュプル」は三日経っても主人のイナンナが戻ってこないので言いつけ通り他の神々に助けを求めた。しかし、他の神々は冥界との関わりを怖れて誰も助けにこなかった。だが
「水・大地の神であるエンキ」だけは救助に動き、彼は自分の爪から人間を作り出し食物と水を持たせて冥界に送り込み、イナンナを生き返らせた。
 しかし彼女が地上に戻るためには「身代わり」を置いていく必要があった。彼女はそれをさがしながら地上への道を辿るが途中で夫「ドゥムジ」と遭遇した。ところがドゥムジはイナンナが冥界で死んでいたのに悲しんでいなかったことが判明してイナンナは怒りドゥムジを身代わりにしたのであった。一方ドゥムジの姉で「植物の神」であった
「ゲシュティンアンナ」がこれを知って弟を助けようと冥界にくだり、半年はドゥムジが、半年はゲシュティンアンナが冥界にとどまることになった、というものです。
 この神話は一見して明らかにギリシャ神話の「大地の女神デメテルとその娘、植物の種を表象するペルセポネ」の神話と通じています。つまり、植物の種は一度地中にまかれて死に、そこから再び再生して芽を出すという内容の神話ですが、ここのイナンナの冥界下りの神話はまさにそうした
「植物とその再生」をモチーフとしています。これは「豊壌の祈り」に通じているものです。こんな具合にシュメールの神話は原初的な「自然世界や人間についての理解」を伝えているのでした。これはまたヘブライ神話の「豊壌の七年」の物語などに引き継がれています。

ギルガメシュ叙事詩
 英雄神話として史上最古のまとまった物語になるシュメールの「ギルガメシュ叙事詩」は結局「アッカド」「アッシリア」などに引き継がれて全オリエント地方に広く分布することになって歴史をかいくぐり、今日にまで生き残ってくることになりました。この叙事詩はオリエント地方の「神と人間」のあり方を伝え、特に「不死や真実の平安を得ることのできない人間の宿命」を語ってきて重要です。結論的に言うとこの「人間の弱さの自覚」が中東・オリエントの宗教の鍵となってくると言えます。

 
「ギルガメシュ」は三分の二が神で三分の一が人間という「半神半人」の男であった。彼は南メソポタミアにある都市の一つ「ウルク」の王であったが当初は「暴君」として振る舞っていた。これに困ったウルクの人々は「天神アヌ」に祈りを捧げた。「天神アヌ」はこのウルクの人々の願いを聞き届け、「女神アルル」を呼び出しギルガメシュに対抗できる者を作り出すように命じた。女神アルルは「粘土」から毛むくじゃらの大男「エンキドゥ」を作り出していった(この「粘土からの人間の創造」はそのままずっと後代の『旧約聖書』の創世記に見る「人間の創造」に現れてきます)。
 エンキドゥは野原にあって動物たちと暮らし草を食べ水飲み場で水を飲んでいた。このエンキドゥの姿を狩りに来ていた人間が見つけ、その野獣のような姿を自分の父に報告した。父は息子に、ウルクの神殿に仕えている「遊女」を連れていきエンキドゥを誘わせろ、そうすればエンキドゥも女を知って人間らしくなるだろうと知恵を授けた。
 息子は遊女を連れて野原に戻り、水飲み場へと行ってエンキドゥが現れるのを待っていた。三日目にエンキドゥがやった来たとき、遊女は言いつけられていた通りにエンキドゥに近づいて胸元をはだけて誘い、着ているものを脱いでいった。エンキドゥは遊女に抱きつき六日と七晩彼女と交わり続けた。動物たちは逃げていったがエンキドゥは力も抜けそれを追うこともできなくなっていた(どうもここでエンキドゥは「野獣」から「人間」になったというわけなのでしょう。この「女」が「男」を誘うというあり方も何となく「アダムとイヴ」を連想させます)。
 遊女はエンキドゥにウルクの城のすばらしさ、町のにぎわい、王ギルガメシュの力などを話して聞かせてウルクへ来るよう誘った。エンキドゥはそれを聞いて彼女に自分をウルクにつれていくように頼んだ。
 ギルガメシュは自分に「星」が落ちてくる夢を見て、母である「女神ニンスン」にその意味を尋ねた。母である女神ニンスンはその夢はギルガメシュに対抗する者が現れるしるしであると説明した。
 一方、エンキドゥは女に連れられてウルクの城門のところにやってきた。大勢の人たちが城門前の広場へと集まってきた。ギルガメシュも城門を出てエンキドゥの前に立ちはだかった。二人は組んずほぐれつの戦いとなり、牡牛のようにぶつかり合い、家屋の壁は崩れ戸は飛び散った。戦いは延々と続き勝負がつかなかった。二人は互いにその力を讃え二人は堅い友情で結ばれることになった。
 ギルガメシュは親友となったエンキドゥとともに杉の森の
「怪物フワワ(フンババ)」を退治に出かけることになった。フワワは巨大な龍であり、洪水、火災、死をもたらす怪物だったので、二人は「太陽神ウトゥ」の許しを得て50人の部下をつれていくことになった。二人は武器の職人に大きな鉈や剣を作らせてそれを携えて出かけた。七つの山を越えた大遠征となり、二人は森の奥へと進んでいった。ここでギルガメシュは三つの夢を見た。それはギルガメシュに山が崩れかかってくる夢、氷雨が通り過ぎていく夢、手足がしびれる夢であった(これは親友エンキドゥの死やその後のギルガメシュの運命を暗示しているようです)。
 良い夢ではなかったけれど二人はさらに奥へと進んでいった。そして出会ったフワワと激しい戦いとなりついにこれを倒した。こうして二人は杉の木を伐採してユーフラテスの川岸へと運んでいった(杉の木は古代社会にあってはすべてのエネルギー、事物の材料として「生命」的なものでした。この「杉の森」を支配するということは王・英雄の条件ともいえました)。
 城へと戻ったギルガメシュは身体を洗い、身なりを整えた。その姿は凛々しく立派であった。それをかいま見た
「女神イナンナ(イシュタル)」はギルガメシュに言い寄り、自分の夫になれば宝玉と黄金の二輪車を贈ろうと言ってきた。しかしギルガメシュは女神イナンナがこれまで愛しては捨てていった「鳥やライオン」「庭番」などを指摘してその態度を非難した。イナンナは激怒して自分の父になる「天神アヌ」のところにやってきて「天の牛」をギルガメシュの都ウルクに送り込むことを懇願した。 
 娘の頼みということで「天神アヌ」もこれを承知し、「天の牛」はウルクへと送り込まれて災害をもたらしていった。ギルガメシュとエンキドゥは力を合わせてこれと戦い、ついにエンキドゥがこの「天の牛」を倒していった。しかしこれは「天」のものであったため神々は会議を持ち、「天」に所属するものを殺したということでエンキドゥの死の運命が決められた。
 エンキドゥは病に倒れた。ギルガメシュは涙を流しながらこれを見守っていた。エンキドゥは夢うつつの中で自分をウルクに連れてきた女を呪った。そしてこれから行く死者の国を夢に見た。鳥の姿をした冥界の死者が彼を冥界の女王
「イルカルラ」のもとに連れていく。「暗黒の家」「入った者は出ることのない家」と呼ばれる冥界では鳥のような翼を持った死者たちがチリや粘土を食べていた。エクキドゥは十二日寝台に横たわりそして死んだ。
 ギルガメシュはエンキドゥとの出会い、杉の森への遠征などを思い出し親友の死を悲しんだ。そしてその悲しみや死への怖れからギルガメシュは
「永遠の生命」を求めて旅にでた。ギルガメシュはさまよい、やがて「双子の山」マーシュの山に達した。ここは「サソリ人間」の住む地であり、彼等は山のトンネルの入り口を守っていた。ギルガメシュはそのサソリ人間の許しを得てトンネルの中へと入っていった。真っ暗なトンネルをどこまでも進んでいった。やっと明かりが見え、外にでるとそこは紅や青の宝玉を実につけた樹々が茂り、楽園となっていた(これが創世記の「エデンの園」のモデルかとも言われますが内容的に符号するとはいえないようです)。
 ギルガメシュはさらに「永遠の命」を求めて旅を続けていった。死んだ親友エンキドゥのことが思い出される。しかし旅の途中で出会った女は彼に「永遠の生命」など求めず、故郷に帰って家族を喜ばせるが良いと忠告するのであった(この忠告は「人間は人間らしくあれ」という忠告になります。永遠の生命など人間は求めてはならないという忠告です)。
 しかし遂にギルガメシュは「永遠の生命」を得たという
「ウトナピシュテム」に出会うのであった。しかし彼はどうしてその生命を得たのかその理由を知らないのであった。彼は自分の運命を語り出す。それによると彼はシュルパックの町に住んでいたが、神々がこの町を大洪水によって滅ぼす決意をしたという。そのとき「神エア」がウトナピシュテムに「方舟」を作って一族や動物たちと共に乗り込むように忠告を与えた。そして大洪水となって地を六日間荒れ狂った。方舟は「ニシルの山」に流れ着き、その後「鳩、ツバメ、大鳥」が放たれて水が引いたことが知られた。ウトナピシュテムは方舟を出て神に感謝を捧げた。神々の間では「エア神」がウトナピシュテムの一族を助けてしまったことについて議論があったが、結局それを認めて彼等には永遠の生命を与えて遠方の河口に住まわせることにしたという(この部分が「ノアの方舟」と同じであることは有名でしばしば引用される箇所です)。
 ギルガメシュは永遠の生命の秘密が分からないことに失望し、また旅の疲れから六日もの間眠り込んでしまった。そして故郷に戻ろうとしたが、そうした彼を哀れんでウトナピシュテムの妻は海中にある若返りの草を教えるのであった。ギルガメシュは海中に潜りこの草を得るのに成功する。そして帰路についたが、ある泉のところで水浴している時に蛇が忍んできてこの草を食べてしまったのであった(蛇の脱皮を説明している)。
 ギルガメシュは落胆してウルクの故郷へと戻っていった。そうした彼のもとに冥界に下ったエンキドゥの亡霊が現れ、冥界の様子を語って聞かせ、ギルガメシュもまた死の運命を避けることはできないと告げるのであった。

 この「ギルガメシュ叙事詩」はオリエント世界ばかりかギリシャ神話にも共通するテーマを含んでおり、指摘しておいたように特に「ウトナピシュテムと洪水」の話しは『旧約聖書(元来はユダヤ教の聖典でヘブライの神話ということになります)』の
「ノアの方舟」と全く同じモチーフであることで有名になっています。これはまた異文化の民族ギリシャ神話では「デウカリオンの神話」として同じモチーフがあり、そうなると古代世界に共通した「自然の脅威」の物語なのかもしれません。また、例えば最後近く「若返りの草」を蛇が食べてしまった話しなどは「神話」に多くみられる「現象の説明話し」の一つで蛇が「脱皮」しては若返る(と思われていた)ことの説明ともなっていますが、内容的には「蛇」というのはヘブライの「アダムとイヴの物語」でイヴを誘惑して「禁断の木の実」を食べさせてしまう「邪魔者」として登場するわけで、ここではギルガメシュの願望を邪魔する者として登場していたのでした。
 しかし何より注意されるのが「永遠の生命」を求めてそれが得られない
「人間の分限性」が語られていることで、これはシュメール以来その文化を引き継いだオリエントの人々に共通の観念となっていると考えられます。ヘブライ神話での神に追放される「アダムとイヴ」の物語にもこれが反映しています。エジプトの場合は来世とか永遠性・再生・不死といった観念が強く存在して「ミイラ」を始めとしてピラミッドや巨大神殿など「地上に記念物を残す」という感覚が観察されるのに対して、ギルガメシュ叙事詩では「人は死んだら地下に葬られるだけ」「冥界は暗黒の世界でチリと泥の世界」というある種のあきらめがあり、人間には「永遠の生命」は決して得られないことが再三にわたって強く語られてわいました。最後にエンキドゥが言っていたように、ギルガメシュは「三分の二」が神なのにそれでも駄目だとされていたのです。いや、先に「女神イナンナの神話」でも女神イナンナは一度死んでしまっていました(もっとも彼女は後に復活できましたけれど)。人間はそんな「永遠」を考えるのではなく「死に至る前の今を楽しむしかない存在」だとされているのです。こうした「あきらめと現実の快楽の求め」という悲しみの境地を明確に乗り越える思想は結局「イエス」を待たなくてはならないのでした。

バビロニア・アッシリアの神話
 「バビロニアとアッシリア」が上の「シュメール」そして「アッカド」の後裔になるということは先に示しておいたことですが、したがってその神話も「シュメール・アッカド」のものを引き継いでいます。
 バビロニアの主神は
「マルドック」、アッシリアの主神は「アッシュール」といい、この主神は彼等の独自性を主張するものなので「彼等に独自のもの」ですが、他の神々はほとんどがが「シュメール・アッカド」以来のもので、したがって名前もそのシュメール時代の原初の名前やアッカドのセム語名で呼ばれています。例えば先に紹介したシュメールの「大気の神エンリル」はシュメール時代すでに「神々の父」とされていきましたがこれがアッカドに入って「ベル」と呼ばれ、そしてこれが後のバビロン第一王朝時代になって、「主神マルドゥク」と合体して「ベル・マルドゥク」となって最高神になっているのに典型的に現れています。さらにこの「ベル」は西方では「バール」と呼ばれます。この「バール」はヘブライの神「ヤハゥエ」との抗争という形で「旧約聖書」に描かれてきます。ですからヘブライの神というのも基本的な「神」についての考え方は上に見た「シュメール・アッカドの神」を引き継いでいると言えるのでした。

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