3.ギリシャ神話、その主題と旋律 - 8. 闇の神々 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

ギリシャ神話、その主題と旋律
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INDEX
1. ギリシャ神話とは
2. ギリシャ神話の日本語資料
3. 宇宙ないし神々の生成の物語
4. クロノスの一族
5. プロメテウスの神話
6. オリュンポスの神々の物語
7. 神々の「恋」と「異性関係」
8. 闇の神々
9. 神話を彩る妖精たち
10. 英雄ペルセウス伝説
11. 豪傑ヘラクレス伝説
12. アルゴー船伝説
13. テセウス伝説と迷宮の神話
14. テバイを巡る三つの伝説
15. 英雄アムピアラオス伝説
16. トロイ戦争伝説の大筋
17. トロイ戦争の発端と前夜
18. トロイ戦争(ホメロスの『イリアス』全24巻の内容)
19. トロイの落城にまつわる諸伝承
20. トロイからの帰還物語
21. 星座のギリシャ神話、
黄道12宮の星座物語

8.

闇の神々

「運命のモイラ」 「死のケルとタナトス」 「眠りのヒュブノス」 「夢のオネイロス」 「迷妄・破滅のアテ」 「復讐のエリニュス」


 ギリシャ神話や英雄伝説を読むとき、その物語を彩っているのは主立った神々や英雄の「脇を固める様々の神々や人物・妖怪・怪獣」になる。この脇役たちはあまり紹介されることがなく、ちょっと登場して消えてしまうか悪役として終わるかだけだが、物語を面白くしているのはこの脇役たちと言える。
 この脇役には大きく分けて三種類あり、一つは主要神の脇にいる神々で、「太陽神ヘリオスとか月の女神セレネとか、曙、虹、季節、青春、風、芸術、勝利」その他その他輝きを持った神々となる。第二が
「闇の神々」で「死とか運命とか迷妄とか復讐とかの神々」となる。第三が「妖怪・怪獣たち」となる。ここではその紹介されることの少ない「闇の神々」を紹介しておく。
 この神々の多くはヘシオドスの神々の系譜では主要神を生み出すことになる「大地ガイア」とはことなりもう一つの系譜として挙げられる
「夜ニュクス」の子どもたちとなる。

運命の女神モイラ
 これらの闇の神々の中で有名なのは「運命の女神モイラ(モイライ)」となる。この女神たちは三人姉妹とされ生まれついての老婆とされている。その名前は一般に「アトロポス」「クロト」「ラケシス」とされていて、「アトロポス」とは「曲げることができないもの」という意味を持ち「過去」を司り、「クロト」は現在を紡ぎ、ラケシスが「未来を紡ぐ」とされる。これで一生涯になるわけだが、そのおしまいの糸を切る「ハサミ」を持つのはラケシスともアトロポスとも言われてはっきりしない。
 彼女たちの役割は、ヘシオドスによって
「人間たちの生まれに際して良運と悪運を授ける」とされ、彼女たちは人間にせよ神々にせよ「ヒュブリス(驕慢・傲慢、分をわきまえず越権行為でること)」に対してその罪を追求しその罪に対して報いが遂げられるまでその怒りを和らげることはないとされている。従って、一般に思われているように、人間は完全に「運命に手繰られている」というわけではなく、要するに、死を逃れられない、未来が見えないとかの「人間の分限性」をいう女神と理解すべきである。ただし一般には「人の運命を決めてくる」と考えられていて、特にそれは「死の運命」とされているのは一般の人々の思いがそこにあるからだろう。
 このモイラが印象深く登場してくるのは
「カリュドンの英雄メレアグロスの伝承」で、彼が生まれた時その母親が夢うつつに三人の老婆を見て、その老婆が木片を炉の火の中に投げ入れて「生まれた子よ、我らはお前とこの木片とに同じだけの寿命を与えよう」といって消えたという。母は大急ぎで起きて、炉から木片を取り出してそれを水に入れて火を消して、それを箱に入れて大事に秘めておいた。彼は成長してのち、不死の異名をとるほどのすさまじい豪傑に育つ。ところが女神アルテミスの呪いでカリュドンの地に巨大なイノシシが出没して人々を困窮させる。そして猛り狂うそのイノシシをメレアグロスが退治するのだが、彼はその名誉を、一番矢を射るのに成功した女傑のアタランタに与える。ところが、それを快く思わない連中がそれを奪い去ろうとしたためメレアグロスと争いになり、立ち向かってきた叔父と従兄弟を殺してしまう。ところがそれを知った母親は息子のメレアグロスに対して言いようのない怒りを感じて、秘めておいたあの木片を取り出して火にくべてしまい、こうしてメレアグロスは命を落としていったとされる。ちなみに、古代ギリシャでの「兄弟・姉妹」に対する思いは何者にも代え難いところがあるような物語が多く、古代ギリシャにおける家族のありかた、家族倫理の研究に一つのテーマとなる。

ケル(ケレス)と死の神タナトス
 「死にまつわる神々」には「死」そのもの、「死の定め」など別個に名前があるが、「死の定め」といったニュアンスの「ケル(ケレス)」が比較的知られている。このケルは普通名詞として使われ、この場合もほとんど「死の運命」を意味しており、ゼウスがアキレウスとヘクトルの「死の運命」をはかりにかけるときに使われている言葉となる。これが人格化されて神となったときの用法も同じことで、ケルはたとえば槍が刺さったような場合に「ケルにとりつかれた」というような表現で言われた。これが複数形にされて「我々は無数のケレスに取り巻かれている」といった表現などは、人間にとって「さけられない死」を言っていると理解できる。人格化されたときの姿は、血に染まった赤黒い衣を身につけ、恐ろしい形相にランランとした目つきで牙を光らせ、翼を持って目に見えずに飛び、死者を引きづりその血をすするなどと、一般的なイメージ通りの姿をしている。これはすでにホメロスにそのような姿で描かれ、そこでは「戦場に怖ろしいケルも共にあり、討たれたばかりでまだ息のある者、あるいはまだ討たれていない者、さらにはすでに息絶えた者たちの両足を掴んで乱戦の間をひきづって行く、その肩にまとう衣は血に赤く染まっている」と描かれている。
 その他、「死」という言葉そのものの
「タナトス」も神格化されて物語に登場してくる。たとえばエウリピデスの『アルケスティス』の中で、墓のところで死者のアルケスティスを冥界につれていこうとした「タナトス」を、ヘラクレスが打ちのめして彼女を連れ戻してくるなどというのがある。あるいは「シシュポスの伝承」でも、「死神タナトス」が彼を迎えに来たとき、シシュポスは「死神タナトス」をだまして鉄の鎖で縛って押し込めてしまい、タナトスはやっとのことでヘルメス神に助けてもらいほうほうのていで逃げだし目的を果たせなかったという。ポンペイの壁画ではカンムリをつけて黒衣をまとい手には刀を携えている。この刀は「死への犠牲」として死人の鬢の毛をきるためとも言われる。

眠りのヒュプノスと夢のオネイロス
 この「眠りヒュプノス」は、ホメロスの『イリアス』の中で面白い一場面を作っているので知られているが、それはトロイ戦争でギリシャ方に味方している女神ヘラが、とりあえずトロイ方を優位にさせているゼウスをだまして愛のベッドに誘って「眠らせて」しまい、その間にギリシャ方を優位にさせてしまう場面で、ヘラはゼウスを寝入らせるために「眠りの神」に手助けを頼むのであった。しかし、かつて似たようなことでゼウスを眠らせ、そのおかげでこっぴどい目にあった経験からそれを断ってくる「ヒュプノス」に対して、ヘラは「優美の女神カリス」の一人を妻にしてあげるからといってついに協力させてしまう場面となる。人のいい「眠りの神」だが、実際ヘシオドスでもこの「眠りの神」は大地と海原を穏やかに行き来し人間どもに優しい、と歌われている。確かに、眠りは疲れをとり苦労を一時でも忘れさせてくれる。この神が人間的姿で描かれる時は、眠たそうなまなざしをして、額のところに翼を持ち、眠りのシンボルである「ケシの実」か「眠りの角」を手にしている。
 その兄弟が「夢のオネイロス」で、彼は
「夢の館」にいるのだが、その館には門が二つあり、一つの門は「象牙の門」でそこから出てくる夢は偽りを語り、一方「角の門」から出た夢は真実を語るとされる。つまり夢というのはギリシャに限らず「夢占い」として人々になじみで、日本でも「正夢」といった言い方があるのと同じである。

争いの女神エリス
 この女神も「夜ニュクス」の子どもとなる。この女神についてはトロイ戦争伝説の発端となる「三美神の争い」の種を蒔いた女神として知られている。すなわち、女神テティスと人間の英雄ペレウスの結婚式ということで、すべての神々も招待されて出席していたのだが、彼女だけは招待されていなかった。「争いの女神」だから当然ではあるが、しかしそれでおとなしくしているわけもないのが「争いの争いたるゆえん」で、彼女はその結婚式に黄金のリンゴを投げ入れ、それには「もっとも美しい女神へ」と書かれていたというわけである。これは女性の間で争いを生むには絶対的な言葉であった。しかも、神々には「謙譲の美徳」などというものは全く存在しないから、当然「美」を自分のものとしている女神たちが名乗りをあげる。それが成熟した家庭婦人の持つ「円熟の美」を管轄する主神ゼウスの妻ヘラと、若い女性の知性的な美を持つとイメージされる女神アテネと、セクシャルな女性の美の女神アフロディテであった。そして争いになったところでその審判としてトロイの王子パリスが選ばれ、このパリスはアフロディテが約束した「絶世の美女」という賄賂につられてアフロディテを選んでしまい、そのためギリシャのスパルタの王妃であったヘレネを籠絡してしまったところからトロイ戦争になってしまったわけである。こうしてエリスは三女神の間の争いだけではなく、ギリシャとトロイの間での争いを生み出したわけで、争いの女神はここまでの強い力を持っているのであった。

迷妄・破滅の女神アテ
 この女神もしばしば登場してくる女神であるが、ホメロスの『イリアス』でも総大将アガメムノンがアキレウスに対して理不尽な言動を働いたところからアキレウスを怒らせてしまい、おかでアキレウスが戦陣から引いてしまったおかげであわや敗北という瀬戸際まで追い込まれてしまった事態があった。その事態に対して、アガメムノンは「女神アテの仕業だ」と弁解している場面などがでてくる。要するに「とんでもない考え違い、自分勝手な主張、迷妄」とそこから引き起こされてくる「致命的な過ち」そしてそれに基づく「破滅」を象徴している女神と言える。ギリシャでは通常の常識的レベルを超えたさまざまの事柄は「わけがわからない」故に「神々の仕業」としたわけで、こうした「迷妄・錯誤」もそうしたものとされていたわけである。日本での「魔が差した」に近い感覚があるのかもしれないが、それよりもっと強い。

復讐の女神エリニュス
 この女神たちはアイスキュロスの悲劇『エウメニデス(慈しみの女神たち)』で有名となっているが、ヘシオドスでのアフロディテの誕生の場面が、そのままエリニュスたちの生誕についての話となっている。つまり彼女たちは「夜ニュクス」の一族ではなく、「天ウラノス」の一族となる。その話は、初代の神「ウラノス」がその子であったクロノスに駆逐される場面で、ウラノスが妻ガイアのもとを訪れベッドに入ろうとしたところを隠れていたクロノスが現れ、その男根を捕まれて草刈鎌でばっさり切り取られてしまう。切り取られた男根は海に捨てられてそこに泡が波立ち、そこから美しい女神アフロディテが生まれるわけだが、切り取られた時流れた血からは「凶暴な巨人ギガンテスたち」「槍の柄となるトネリコの精」そして「復讐の女神エリニュス」が生まれてくることになるのであった。
 こんな具合に、はじめから
「身内による血の流し」に関わって生まれているのであるが、その典型的な例がアイスキュロスの悲劇に描かれてくるわけである。その次第はトロイ戦争にまつわるが、トロイ遠征の総大将であったアガメムノンはトロイへの出征に先立って娘イビゲニアを犠牲にしており、それは娘ばかりか妻クリュタイメストラも欺くものであった。そのため、クリュタイメストラの憤怒は深く、彼女は「娘の敵」としてアガメムノンを待ち続けて、十年たって凱旋してきたアガメムノンに対して単身復讐に挑んでいく。こうしてアガメムノンを倒すのに成功するが、アガメムノンの息子オレストスにとっては母は「父の敵」となってしまったわけである。ところが、当時の社会は日本の武家社会と同じく息子は父の敵を討たなければ家督が嗣げないので、オレステスは社会秩序を体言する神アポロンに促されてその敵をとってしまう。ということは「母殺し」となってしまったわけで、彼はその母の血から生じた「復讐の女神」に狂気とさせられ追われることになってしまう。このままでは地獄の果てまで永遠に追われ続けることになるわけで、オレステスはアポロンに助けを求め、そのアドバイスによってアテネに赴き女神アテネによる裁判を求める。女神はアテネの長老からなる裁判団を結成して裁判に挑み、結果として白黒半々ということでオレステスを無罪とする一方で、エリニュスを「復讐の女神」から「慈しみの女神」への変貌と「人々からの敬神」を約束してことを納めていったのであった。
 ここに見られるように、この女神たちの職分は本来的に
「血縁間の掟」の遵守にあるわけで、とりわけその殺害は最大の罪であったからここにエリニュスたちの登場があるわけである。
 しかしそれだけではなく、自然哲学者として有名なヘラクレイトスの言葉に「太陽がもしその軌道をはずれたらエリニュスによって正されるだろう」というのがあり、これは
「自然的摂理・自然理法」つまり「絶対的に守られねばならない理法・秩序」の守り手のようにも理解される。これは同時に「血族間の関係は自然理法・摂理」として捕らえられていたこともいえる。したがって、オレステスはどんな理由があるにせよ「罪あり」として追われなければならなかったのである。しかもその裁判でも女神アテネは、自分はアポロンたちと同じ神族(社会秩序の神)だからオレステスを無罪とすると先に宣言しているのであるが、それでも人間の長老たちの投票では一票差とはいいながらオレステス有罪となっていて、それゆえ「半々となって放免」となったわけである。つまり「人間的にはやはりオレステスは有罪」だけれど「社会秩序」を勘案してやって放免にすることができるというのがアイスキュロスの判断であったわけである。
 そして、ここでエリニュスが「復讐の女神」から「慈しみの女神」に変貌するということは、太古の
「血族的部族倫理」に代えて「民主制社会」としての社会倫理への変容を言っているものと理解される。
 彼女たちはヘシオドスやアイスキュロスにあっても人数ははっきりしていないが、のちには三人とされ
「アレクト(終わることがない)」「ティシポネ(殺戮への復讐)」「メガイラ(容赦のない目で見る)」と呼ばれている。姿はアイスキュロスに描かれているように恐ろしい容貌で髪は無数の蛇、おどろおどろしい黒衣をまとっていて、翼をもっている。
 また変わった話では海の神ポセイドンがこのエリニュスの一人と交わって(通常ではデメテルとされているが)駿馬アリオンを生んだという逸話があることで、ポセイドンというのは「馬の神」だからそれはそれでもいいのだが、なぜエリニュスなのか分からない。
 別途ポセイドンはその顔を見たものは恐ろしさのあまり石になってしまうというゴルゴンの一人メドゥサとの間にも天馬ペガサスを生んでいて、ポセイドンというのはそういう変態趣味なのかとも思われるが、ただメドゥサの方はもともと美しい少女であったものが女神のねたみで恐ろしい顔にさせられたとされているので、エリニュスも元は美人だったのかとも思いたいけれど、そういう話は見いだせない。

ゴルゴン
 ついでにその「ゴルゴン」だが、彼女たちは通常は妖怪とされているけれど、もともとは原住民族の「神」であったものが、ギリシャ民族の到来時に反抗し、負けた時に「妖怪」にされてしまったのかと考えられる。
 彼女たちはギリシャ神話では
三人姉妹とされて、その中の「メドゥサ」だけが「死の運命」を持っていたとされる。彼女たちは鋭い牙を剥き出しにした醜悪な容貌を持ち、頭髪は蛇で、その怖ろしい顔は見る者を石に化したとされる。
 彼女は
「英雄ペルセウスの物語」で退治される妖怪として有名だが、ペルセウスはゼウスが黄金の雨となって忍び込んで少女ダナエを犯して孕ませた子どもで、成長して後ひょんなことで「ゴルゴン退治」にやらされることになり女神アテネの助けを得て冒険していったのだった。当然メドゥサの首が狙われ、磨いた盾を鏡代わりに使われて首を取られてしまったのであった。その後この首はアテネの盾にくっつけられることになったが、一般にこのメドゥサの首は「魔よけ」として神殿その他の建物に使われ、よく遺跡で目にすることができる。
 つまりメドゥサは、元来はこうした太古の
「除魔の女神」であったと考えられるのであり、ギリシャの神話体系の中に取り込まれる中で妖怪化させられた「可哀相な女神」の一人と考えられるのである。つまりどうも来訪したギリシャ民族に征服された部族の女神であって、その反抗が強烈であったために征服された時に「強かった」印象が「醜悪な顔の妖怪」にされてしまったのではないかと考えられるわけである。
 後代の神話では、彼女はもともと美しい少女神であって、それがポセイドンに見初められてしまい、そのためポセイドンの妻であったアムピトリテに疎まれてこんな姿にさせられたとも、あるいはその美しい髪を自慢したため女神アテネによって蛇の髪の毛にされ醜くされたとも言われる。アテネとの場合はアテネがメドゥサの頭のついた盾を持っていたところから(これはメドゥサの首が魔除けであることからあり得る話し)物語化された後代の作家による創作話だと考えられる。従って、別伝としてポセイドンがこのメドゥサを犯してしまった場所がこともあろうにアテネの神殿であったため 女神の怒りに触れて醜くされてしまったなどともされている。
 このポセイドンとの関係は何か太古の昔の神体系の名残があるようで、実際、このメドゥサがペルセウスに首を取られた時そこからポセイドンのシンボルである馬、それも「天馬ペガサス」が生まれ出ているのであり、これはポセイドンの子どもとされているのだが、こうした話し自体に何か深い意味が見られるような感じもするわけである。

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