1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 6. 小アジア「トロイ文明」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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6.

小アジア「トロイ文明」

世界遺産「トロイの遺跡」


■トロイ戦争伝説の「トロイ」
小アジアのトロイ文明地図-小 拡大地図を見る>>
小アジア、現在のトルコ領の北西端、エーゲ海から黒海に入る入り口。
トロイ戦争伝説の舞台、トロイの遺跡。
西洋考古学、歴史、神話学の原点。最古の文学「ホメロス」の世界。
都市の建設自体は紀元前3000年にさかのぼるとされるが(第一市)、ホメロスの「トロイ戦争」は紀元前1200年代(第六市か七市)と推定。
詳細は不明。おそらくインド・ヨーロッパ語族の一派でギリシャ人と近い部族と推定。
 トロイの最初の興隆期は紀元前2600年〜2150頃のいわゆる「第二市」だが(ここは都市が地震などでつぶれてはその上に再建するという形で、結局大きくわけて9回の建造が行われ、その順番に従って第一市、第二市というように呼ぶ)、紀元前1700年〜1280年頃さらに大きな都市となり(第六市)、そしてその展開とみなせる1280〜1200年の七市の時にホメロスに歌われて有名な「トロイ戦争」があったとされる。
 神話伝説としては二つ。先史時代のギリシャの英雄ヘラクレスが、トロイの難儀を助けたのにトロイの王が約束を破り、怒ったヘラクレスがここを攻め落とした、というもの。この神話の持っている意味は、ギリシャ人は相当に初期の時代からこのトロイと関わり合っていたということで、それも「攻撃の対象」であったということを示している。
 もう一つが、有名な、ギリシャのスパルタ王の后ヘレネがトロイの王子パリスに籠絡されて出奔、それを取り戻すため「ミケーネ」を中心としたギリシャ連合軍がここを攻め、英雄アキレウスの活躍や知将オデュッセウスによる「木馬の計」によってここを陥落したというホメロスの物語となる。
 さらに発掘にまつわる物語として「シュリーマンの物語」がある。すなわち、その情熱のすさまじさ、発想力、判断力、決断力において異常な才を持ち、その語学力と商才においては文字通り大天才であったドイツ人のシュリーマンが、幼い時の夢「ホメロスの世界を掘り出す」という偉業の物語はすでに「伝説」となっている。
 ここは、考古・歴史・神話学の原点。まずはそれを発掘した「シュリーマンの情熱」を我が身に移そう。第二にやはり「トロイ戦争伝説」に浸って、ここに生きた人々とその家族の思いに、死の戦いに赴く大将ヘクトルとその妻アンドロマケの交情に心を馳せよう。そうでないとここはつまらない。その上で、「神話の背後には事実がある」ということが証明された地として、「トロイ戦争伝説」の背後を探ってみるとよい。こうして始めて考古学や歴史学は意味を持つ。そのためにこそ、先ず写真でここの遺跡を追ってみよう。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 第六市の城壁前にて
【01 第六市の城壁前にて】
トロイは現在のトルコにあり、エーゲ海から黒海に入る手前の海峡「マルマラ海」の入り口にある。ここは、歴史・考古・神話学上でも突出した意味をもち、これらの学は「ここから始まった」と言っても過言ではない。それは、ここが西洋文化の原点であるホメロスの「トロイ戦争伝説」の舞台であることと、その「伝説」を発掘したシュリーマンの情熱と奇才とによっている。
02 木馬の観光用模型
【02 木馬の観光用模型】
観光用の木馬であるが、これはトロイ戦争伝説での「トロイの落城の逸話」に基づく。トロイ戦争伝説を、近代人はただの詩人のフィクションと信じていたのだが、その伝説を「史実に基づく伝説」と捕らえた鬼才がシュリーマンであり、それを証明するために彼自身がほとんど伝説的な生涯を送ったのであった。「神話・伝承には歴史的事実の背景がある」という見方はここから始まった。
03 正面の案内板
【03 正面の案内板】
トロイの城塞遺跡そのものは、東西240×南北180メートルくらいでそう大きはないが、トロイの町そのものはかなり大きなものであったことが判明している。この城塞跡は、「ヒッサリック」と呼ばれる半島状に平原に突き出た丘であり、シュリーマンが「ここが伝説のトロイ」として発掘に取りかかったのは1870年のことであった。
04 六市の見張り台の土台
【04 六市の見張り台の土台】
遺跡は六市の城壁から見学していく。六市というのは、トロイの町が崩壊してはその上に町を再建していったその六番目の都市という意味である。第一市は紀元前3000年に遡るが、第一次興隆期は第二市になり、時代的には紀元前2500〜2200頃とする。もっとも重要なトロイ戦争の時期は六市ないし第七市のaという紀元前1200年代中頃と推定。
05 六市の城壁
【05 六市の城壁】
トロイの町とトロイ戦争に関しては、「ここがホメロスのトロイ戦争の舞台のトロイ」という明確な考古学的証拠はでてはいない。しかし、状況証拠からここがそのトロイと信じられている。そして戦争の時期は六市ないし七市とされるので城壁自体は六市のものであり、この城壁がトロイ戦争の舞台として良い。
06 六市の城壁のはさみ壁
【06 六市の城壁のはさみ壁】
城壁を石積みで作るとどこでも皆似たようなものになるが、このはさみ壁の造りは攻め手であるギリシャのミケーネやティリンスの城塞にも存在し、その類似点に興味が向く。堅牢な城塞都市であるが「尚武の社会」というよりむしろ、エーゲ海から黒海に抜ける海峡を支配し、海行く船団に水・食料の供給や海路の安全の保証に伴う税金などで潤っていた社会と考えられる。
07 九市アテネ神殿への登り口
【07 九市アテネ神殿への登り口】
はさみ壁のところを抜けて城塞内部に入る。ここはトロイ戦争の後しばらく放棄・空白期間があって、紀元前700年代にギリシャ人が入植して再建したと考えられる。それがさらにローマ帝国へと引き継がれたが、やがて年月とともに衰退していった。そのためここにはローマ期の遺構までが存在している。
08 九市アテネ神殿
【08 九市アテネ神殿】
そのギリシャ・ローマ時代のアテネ神殿跡となる。当然それ以前のトロイ戦争の時代にも何らかの神殿があって可笑しくはないのだが発見されていない。
09 アテネ神殿からトロイ平原
【09 アテネ神殿からトロイ平原】
ここからトロイ平原が良く見える。現在は平原で海は見えないが、古代の海岸線は湾状になって近くまで来ていたと推測されている。いずれにせよ、この平原がトロイとギリシャの英雄達の戦いの舞台となっていたと考えると感慨もひとしおとなる。
10 六市南門
【10 六市南門】
六市の南門であるが、この第六市がトロイの舞台であったとする説も今以て有力で、また、第七市がその舞台であったとしても基本的には第六市の門や城壁は大部分が七市に残っていた筈であるからこれがトロイの舞台であったと言って良い。
11 六市建物遺構
【11 六市建物遺構】
同じく六市の建物遺構となる。これがもしトロイ戦争の時代のものだとすると、その戦争に巻き込まれていた人々の悲しく苦しい息吹が込められていることになる。遺跡はそうした時代の人々の息吹を追うものでなければ意味がない。
12 六市宮殿跡
【12 六市宮殿跡】
六市の宮殿遺構とされているものであるが、その復元の図が現場の図版に示されている。
13 一市、城壁と門
【13 一市、城壁と門】
紀元前3000年というトロイの最初期の遺構となる。城壁と見なされる壁の石積みが観察されるが、自然石をただ積み上げただけという「荒い」積み方であることがすぐに判別される。
14 一市
【14 一市】
ここはより明確に初期の建造のあり方が見て取れる。ただ、こうした遺構を沈黙の中に一人で見ていると、古代の昔により強く惹かれていく。ここは見栄えのする遺跡ではないけれど、トロイ戦争伝説を知っていれば、その時代へと強く人を誘ってくる遺跡であると言える。
15 一市
【15 一市】
シュリーマンの掘った跡がそのまま残っている箇所の一つで、シュリーマンの思いが強烈に伝わってくる場所。彼の発掘について多くの考古学者は、「素人の分際で発掘などしたためトロイの遺構を台無しにしてしまった」という非難を繰り返してきた。しかしそれは「ねたみ」でしかない。何故なら、当時の考古学のレベルはシュリーマン以上ではなかったからである。
16 二市
【16 二市】
第二市になるとかなりしっかりした遺構を残してくる。これはそのうちの一つ。
17 二市の城壁
【17 二市の城壁】
同じく第二市の城壁であり、最初期の興隆のトロイを良く示している遺構。
18 二市
【18 二市】
第二市の町の中央にあった建物で、実際のところは何であったか判別できてはおらず、宮廷とか神殿とかメガロン式の住居とか呼ばれているものへ向かう道路。
19 二市神殿入り口
【19 二市神殿入り口】
第二市の中央にあった建物が何であったか同定はできていないが神殿であった可能性もある。その建物への入り口。
20 二市の斜路
【20 二市の斜路】
第二市の時代の中央の建物に入るための「斜路」。シュリーマンはトロイ戦争伝説の中にでてくる、有名な城塞への入り口である「スカイア門」と想定したが、それは時代も異なり誤解であった。しかし、この斜路はトロイの人々の足跡を強烈に思い起こさせて、(修復前の遺構は)感動を覚えた。
21 修復された斜路
【21 修復された斜路】
今、斜路の風情を「覚えた」と過去形で紹介したのは、現在は修復されてしまって古代の遺構の雰囲気はなくなり、しかも観光客の増大で荒らされた結果「立ち入り禁止」のロープまで張られて、やむを得ないことではあるのだが風情はなくなってしまった。
22 修復された斜路
【22 修復された斜路】
斜路を正面にみているが、修復前の、過去に誘う雰囲気はなくなってはいるものの、当時の土木技術の確かさは修復によって良く再現されている。修復はしばしばこの両面を持っていて、プラス思考でみていくことも必要であろう。
23 二市の黄金の発掘場所
【23 二市の黄金の発掘場所】
シュリーマンが第二市の黄金を見つけ出したのは、この斜路から北西に回る場所とされているので、この写真に見える奥がそのあたりになると思われる。これに関わり、シュリーマンへの考古学者による「ねたみ」による非難は一般化されて、彼を「財宝・財産目当ての山師」とも言わしめた。大商人であったシュリーマンは世界最大級の巨万の金持ちであったにもかかわらず。
24 二市の貴族の館
【24 二市の貴族の館】
第二市が最初の興隆期であったことはすでに指摘してあるが、その当時の貴族の館の跡とされる。現在その復元図が脇に立てられている。
25 二、三、四市の城壁
【25 二、三、四市の城壁】
二市、三市、四市の城壁が積み重なっている現場で、九層になっていたという積み重ねのあり方が良く観察される。
26 遺跡内部の様相
【26 遺跡内部の様相】
遺跡内部の様子を示しているが、現在の遺跡のあり方が良く分かると思う。こんな状況なので、復元図はじめ案内がないと良く分からないのは当然である。
27 遺跡内部の様相
【27 遺跡内部の様相】
トロイの遺跡は、人によってはつまらないかもしれない。というのも、せいぜい「城壁」くらいしかなく、驚嘆したり、好奇の目で見たり、感心したりできるものなど何一つないからだ。観光名所になり得たのは「世界遺産」指定など受けたからであり、昔は閑散としていた。だからここへは少しは「トロイの物語」をかじって来て欲しい。
28 遺跡内部の様相
【28 遺跡内部の様相】
若い諸君であれば、シュリーマンの『古代への情熱』を読んでくれると良い。もちろん「自伝」というのは大人になって書くものだから、誰が書いても当然のように虚飾や脚色、勘違い、自分の主観がたくさん含まれる。シュリーマンも例外ではない。しかし、「燃えるような熱情」に間違いはない。学ぶべきはこの「熱情」なのだ。この熱情で遺跡を見よう。そうすれば遺跡も生きる。
29 遺跡内部の様相
【29 遺跡内部の様相】
遺跡を歩きながら、ここで戦い破れたトロイの英雄たちの戦いぶりを思うがよい。国を守ろうと、妻や家族を守ろうと必死で戦ったヘクトルたちの血の息吹を感じとるがよい。ここの真っ赤な花々は、トロイの戦士たちの流した血を吸って真っ赤に咲いている。僕が始めてここに来たとき、僕は「この花は・・・血潮だ」、と息を飲み込んだ。
30 遺跡内部の様相
【30 遺跡内部の様相】
ここはシュリーマンの発掘現場だ。シュリーマンは中傷にさらされた。学者は「批判は大事だ」という。その通りだが、それは冷静で客観的で根拠を持ち、そして一番大切なことは「将来の発展に向けられた」批判となっていなければならないことだ。そうでないものはただ「人をおとしめようとする悪意」でしかない。
31 シュリーマンの発掘現場
【31 シュリーマンの発掘現場】
シュリーマンの発掘現場。傑出した業績をあげたシュリーマンに対する考古学者たちの「ねたみの非難」は、「成功者を貶める話しは喜ばれる」という原理によって一般にも喜ばれて広まった。現地を見て、「ひどい発掘だ」という人もいるが、シュリーマンの発掘が、その後すぐにエリートで希代の秀才考古学者デルプフェルトと協同作業になっていたことを忘れているようである。
32 発掘現場に残す尖塔
【32 発掘現場に残す尖塔】
発掘現場は、基本的に全部を掘ってしまうということはせず、必ず一部を後世のために残す。その残された部分は尖塔のような形状になって残る。シュリーマンもそうしていた。シュリーマンの発掘は、デルプフェルトの参加を得て本格的となっており、当時のレベルとしては最高レベルにまで達していたことも指摘しておこう。
33 八市
【33 八市】
ギリシャ時代の八市の遺構となる。トロイ戦争後、ここはしばらく見捨てられていたようだが、その後しばらく経ってギリシャ人が入植した。トロイ戦争の後に見捨てられた理由だが、攻め手のミケーネ・ギリシャにとっては、トロイに勝利すればそれで良かったということなのかも知れない。伝説通り、誘拐されたヘレネの奪回が目的だったらそれで良いことになる。
34 九市
【34 九市】
トロイ最後のローマ期の遺構となる。
35 九市の劇場
【35 九市の劇場】
ローマ期の遺構であることもっとも良く示している「ローマ劇場」となる。これは城壁の外に作られている。
36 ヘレスポントスの海
【36 ヘレスポントスの海】
現在のマルマラ海であるが、古代はこの海が湾となる形でトロイの町の近くにまで迫っていたと推測されている。ホメロスの記述からしてもそうでなければならない。ギリシャ軍の本営は海岸に作られており、ギリシャ勢はトロイを攻めてはそこに戻っているからで、現在ほど遠くてはそれは不可能となる。
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