1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

13.

南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡

世界遺産パエストゥムの遺跡。 世界遺産アグリジェントの神殿群。 セリヌンテの神殿群。 セジェスタの神殿。 シラクサの遺跡。 エウリアロの城塞。 タオルミナの劇場。 メガラ・ヒュブライアの遺跡。 ナクソスの遺跡。


南イタリア、シチリア島の古代ギリシャの世界遺産・・・ 「パウストゥム、アグリジェント、シラクサ」。その他、世界遺産未指定の「セリヌンテ、セジェスタ等」
南イタリア、シチリア島の古代ギリシャの世界遺産地図-小 拡大地図を見る>>
イタリア本土南部、シチリア島。
「パエストゥム」「アグリジェント」「シラクサ」。
古代ギリシャはギリシャ本土の他、現在の南イタリアも領域としており、この地方からもたくさんの著名人を排出している。とりわけシチリア島の「アクラガス(現アグリジェント)」や「シュラクサイ(現シラクサ)」は古代ギリシャの要の都市の一つであった。従って当時の遺構が世界遺産指定されている。
古代ギリシャの最盛期となる紀元前6世紀から4世紀。
古代ギリシャ人。
 古代ギリシャ人は、南イタリア地方に紀元前700年代には植民し都市を形成していた。その展開上に紀元前600年末、ないし500年代初頭にセレ河の河口に近いこの地に町が形成されたと考えられている。その町は海の神ポセイドンにあやかって「ポセイドニア」と呼ばれた(パエストゥムというのはそのなまり)。その後、イタリア半島を故郷とするルカニア人が台頭してきてこの町はその支配下に置かれ、さらに273年ローマ支配となる。パエストゥムにはギリシャ時代の三つの神殿が残存しその保存状態も良いことで知られる。
 一方「シチリア島」だが、ここが南イタリアのギリシャ都市の中心として歴史的に脚光を浴びるのは紀元前500年代からであり、「シチリアないしシシリー」は古代名を「シケリア」という。それはギリシャ人がこの島にやってきたとき遭遇した先住民族の名前から採られている。その先住民族をギリシャ人は「シクリ人」と呼びこの島を「シクリ人の地」という意味で「シケリア」と呼んだ。
 その典型的な都市が今日観光名所となっているシケリア地方の中心であった「シラクサ(古代名シュラクサイ)」、「アグリジェント(古代名アクラガス)」、さらに「セリヌンテ(古代名セリヌス)」などとなる。
 パエストゥムとアグリジェントには、古代ギリシャ神殿の中でももっとも保存状態が良いと言われる神殿が存在している(もう一つはアテネのヘパイストス神殿)。パエストゥムのものは「第二ヘラ神殿」がそれになるが、そこにあるもう二つの神殿の残存状況も良い。
 アグリジェントのものは「コンコルディア神殿」とよばれるものであるが、これらによって古代神殿の原型を忍ぶことができる。

(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 通称「ポセイドン神殿、正式には第二ヘラ神殿」前にて
【01 通称「ポセイドン神殿、正式には第二ヘラ神殿」前にて】
この神殿が通称「ポセイドン神殿」と呼ばれることになったのは、いうまでもなくこの町が古代には「ポセイドニア」という名前であったからで、「海の神ポセイドン」に捧げられた神殿であると推測されたからである。しかしその後の調査により、この地方一帯が主神ゼウスの妻である「女神ヘラ」に捧げられた聖域であったことが判明し、また発掘調査によって「ヘラ神殿」と同定された。
02 遺跡を望む
【02 遺跡を望む】
この古代ポセイドニアという町は相当に広い。その中で、今日この史跡を東西に二分している国道の西側部分だけが遺跡として公開されており、残存している遺構は比較的固まってあるので見学に不便はない。南から入っていくと写真のように神殿が見えてくる。この視線からの神殿は見栄えが良い。
03 通称「ポセイドン神殿、正式には第二ヘラ神殿」西面
【03 通称「ポセイドン神殿、正式には第二ヘラ神殿」西面】
「ヘラ女神」というのは、本来ギリシャ以前からの「大地母神」がギリシャの神体系の中に引き入れられたものと考えられている。ギリシャ人が移動して現住民族と同化した場合、その原住民族の大地母神をギリシャの女神として、たとえば「アルテミス」とか「アフロディテ」とか「ヘラ」とかしていた。ここでもそうした事情でこの地方が「ヘラの聖域」とされたのかと推測される。
04 第二ヘラ神殿東面
【04 第二ヘラ神殿東面】
残存状態の良さが分かる(ただし現在は修復中で鉄柱に囲まれ見る影もない)。紀元前460年頃の建造かと推測されるが、この時代はちょうどギリシャ・アテネのパルテノン神殿と同じ頃となる。しかし、奥行きが深く初期の神殿の造りの型が残っている。従って見た目の姿もパルテノンとはだいぶ異なり、どっしりとしていて落ち着きがあり見事であるが、パルテノンのような調和的端正さはない。
05 通称「バシリカ」、正式名称「第一ヘラ神殿」
【05 通称「バシリカ」、正式名称「第一ヘラ神殿」】
紀元前500年代半ばの建造なので前出の第二ヘラ神殿より100年くらい古い。様式は第二ヘラ神殿と同じだが、第二ヘラ神殿より大きく、また正面の柱が9本という変則的な造りとなっている。そのため発見時に「バシリカ(集会場)」と推定されたのだが、その後の研究で神殿であったことが判明した。神体としては矢張り「ヘラ女神」とされ、こちらの方が古いので「第一ヘラ神殿」と呼ばれる。
06 通称「ケレス神殿」、正式名称「アテネ神殿」
【06 通称「ケレス神殿」、正式名称「アテネ神殿」】
遺跡の北側、少し小高いところにある。規模は小さいが全面6本、側面13本という古典期ギリシャ神殿の基本形の造りとなっている。建造は紀元前500年末と推定。当初はローマの農業神「ケレス」の神殿かと思われていたのだが、発掘調査によって「アテネ神殿」と推測。また女神アテネは町の守護神として小高いところに神殿を持つのが通例であることからも「アテネ神殿」とされる所以がある。
07 アグリジェントの「ディオスクロイ神殿」前にて
【07 アグリジェントの「ディオスクロイ神殿」前にて】
シチリア島の南岸、ほぼ中央にアグリジェントの遺跡がある。ここは古代には「アクラガス」と呼ばれた都市で、紀元前580年頃ギリシャ都市ゲラの人々の手によって建設され繁栄した。紀元前406年にカルタゴによって壊滅されるが、前340年にはシラクサの援軍によって再建される。前210年にはローマの支配下に入り、紀元後800年代にイスラムの侵攻により壊滅した。
08 ディオスクロイ神殿
【08 ディオスクロイ神殿】
紀元前400年代後半に建造された「双子神(ディオスクロイ)カストルとポルュデイケスの神殿」の角の部分の柱。双子神は「航海の守り神」として、あるいは「勝利をもたらす神」として祭られる。この神殿は、破壊は激しいのに何かしら魅力的なところがあって、アグリジェントのシンボルとして使われることもある。この辺りはギリシャ人以前の原住民による古くから祭儀が行われた由緒ある場所。
09 ゼウス神殿
【09 ゼウス神殿】
カルタゴとの戦いの戦勝記念に紀元前480年頃建造に着手された。「主神ゼウスの神殿」として大神殿が計画されたが、あまりに巨大でありすぎて結局未完成のうちに計画者であった王のテロンは死んでしまった。さらに復讐戦に来たカルタゴ軍に破れて町は壊滅され、二度とこの神殿は再建されないまま地震で崩壊してしまった。遺跡でその巨大さを忍ことができる。
10 ゼウス神殿
【10 ゼウス神殿】
この神殿は、大きさは約113×56メートルで柱の高さ18メートルとなり柱の直径は4メートルあった。基壇も巨大で、神殿全体の高さが40メートルとなると推定。ギリシャ世界でも最大級の神殿。柱の数が正面七柱、側面十四というのは変わっている。通常正面の柱は偶数。また、柱と柱の間が石壁でふさがれて壁状になっているのはギリシャ神殿の常識を大きく逸脱している。
11 ゼウス神殿の人柱
【11 ゼウス神殿の人柱】
その石壁の上部には凹みが作られ、そこに軒回りを支える「人柱型の彫刻(テラモン)」が置かれていたのが最大特徴。人柱型彫刻はアテネのアクロポリスの「乙女像(カリアティード)」が有名だが、こちらは「男性像」で、柱というより軒の支えといった様相となる。そのレプリカが現場に置かれている。
12 人柱彫刻(テラモン)の本物
【12 人柱彫刻(テラモン)の本物】
博物館に収蔵されているテラモンの本物。大きさはおよそ7メートルくらい。ほぼ完全な格好のテラモンはこの一体だけで、後は数個の頭部と断片くらいとなっている。
13 テラモンの復元模型
【13 テラモンの復元模型】
こんな格好でテラモンが神殿の軒を支えるように柱間の壁の上半分に並べられていた。計算上38体になると推定される。
14 ゼウス神殿の復元模型
【14 ゼウス神殿の復元模型】
復元模型であるが、こうした様相を持つ神殿の作例は他にない。全体的に全く通常のギリシャ神殿の様式を逸脱した造りとなっており、建造を命じた王テロンには何か「他にはないものを」という意気込みがあったようである。
15 瓦礫の神殿跡
【15 瓦礫の神殿跡】
アグリジェントの遺跡は整備されている部分と未整備のまま放置されているところがある。遺構を見るには整備されているところがいいが、古代を忍ぶには未整備のところが何とも言えず心を動かしてくる。この写真はその未整備の部分の一部となる。
16 コンコルディア神殿遠景
【16 コンコルディア神殿遠景】
アグリジェントの遺跡は「神殿の谷」と呼ばれる1.5キロ強の狭い鞍部地域に一列に並んで点在するように残っている。その真ん中あたりに「コンコルディア神殿」がある。これは残存しているギリシャ神殿の中でももっとも保存状態が良いものの一つとして知られている。キリスト教の時代に教会堂に改造されていて、近代になって古代の時代の形に修復・復元された。
17 コンコルディア神殿
【17 コンコルディア神殿】
建造は前450年頃かと推定。柱が正面6本、側面13本という古典期ギリシャ神殿の基本形を持ちバランスが良い。大きさは大体40×17メートルで柱の高さが7メートル弱となる。ギリシャ本土の神殿はほとんど大理石だが、南イタリアのものは石造りであるため風化して茶色にくすみ醜く見えるのが残念。古代にあっては漆喰できれいに仕上げがされていた。
18 コンコルディア神殿
【18 コンコルディア神殿】
この神殿の名前の「コンコルディア」というのは「共和、和合」というような意味だが、この神殿の本来の名前ではない。この付近から発掘された碑文にその名があったことからそう呼ばれたのだが、調査の結果それはこの神殿とは無関係であった。しかしそれではどの神の神殿だったのかは不明。
19 夜景のコンコルディア神殿
【19 夜景のコンコルディア神殿】
世界遺産となって観光客も増え、遠目からも美しさをアピールするように夜は照明が当てられている。ぽっかり浮かんだ神殿は矢張り美しい。
20 ヘラクレス神殿遠景
【20 ヘラクレス神殿遠景】
コンコルディア神殿の西に一列にきれいに柱が立ち並んで見える神殿が目に付く。通称「ヘラクレスの神殿」である。これはここにある神殿のうちもっとも古いもので紀元前520年頃建造かと推定されている。
21 ヘラクレス神殿
【21 ヘラクレス神殿】
この神殿はヘラクレス神殿と呼ばれてはいるが、古代ギリシャ時代の本尊の神は不明。ローマ時代に再建された時、ヘラクレスが祭られたようでこの名前がある。ヘラクレスはギリシャ最大の豪傑として知られた英雄で、数々の凄まじい冒険の後、天に昇って神になった。ローマ時代には「災難・苦難の時の助け」といった性格の神とされた。
22 夕日のヘラクレス神殿
【22 夕日のヘラクレス神殿】
この神殿は、ギリシャ神殿としては初期に属するものなので、正面6本、側面15本をかぞえるアルカイク期(初期という意味)の特徴、つまり横に長くまたその長さに比して高さは低いという特徴を示した典型的なドリス式神殿となる。大きさは大体67×25メートルくらい。南側の八本の柱だけが再建された。
23 ヘラ神殿遠景
【23 ヘラ神殿遠景】
東の端にあるのが「ヘラ神殿」となる。建造の時代も様式も有名なコンコルディア神殿とほとんど同じで、こちらの方が少し古く少し小さいかとも見られているがそんなに違いはなく、紀元前470年頃と推定されている。ただし、実際にこの神殿がどの神に捧げられていたものなのかは、コンコルディア神殿共々はっきりしていない。推定で「ヘラ神殿」とされているだけ。
24 ヘラ神殿西正面
【24 ヘラ神殿西正面】
この神殿とコンコルディア神殿は、原型の姿はそっくりに作られていたようだが現在このヘラ神殿はコンコルディア神殿に比べてかなり崩れているので、一般の人にはその同様さを辿るのは困難。
25 ヘラ神殿東正面
【25 ヘラ神殿東正面】
他方、ヘラ神殿の東面の前には、犠牲を捧げた「祭壇」が付設している。ただしこれも破壊がひどく原型が良く保存されていない。壁には火災の跡も認められるようだが普通の観光客は内部に入れないのでそれも見ることはできない。
26 ヘラ神殿夜景
【26 ヘラ神殿夜景】
この神殿は遠目に見たとき、なかなかいい風情をしている。駐車場の方から歩いてくると高台に見えてきて回りの灌木や空とのバランスがよく、絶好の写真対象となり「廃墟の神殿」という感じをもっともよく出している。とりわけ人のいなくなった夕方など情緒溢れている。
27 セリヌンテの遺跡にて
【27 セリヌンテの遺跡にて】
アグリジェントから海岸沿いを西に行ったところにあるのが「古代セリヌス」現在セリヌンテと呼ばれている海辺の村である。ここは地中海の西に展開する基地として最適の土地だったせいか、ギリシャ人は北アフリカにあったカルタゴのフェニキア人とぶつかっていた。その争いに勝ってギリシャ人がここを手中にしたのが紀元前600年代とされる。当時の神殿遺構がたくさん残存する。
28 セリヌンテのアクロポリス遠望
【28 セリヌンテのアクロポリス遠望】
セリヌンテの地形だが、昔は北から二本の河が流れていた。一本は現在も見られるモディオーネ河で、昔のセリヌス河。もう一本はゴルゴ・ディ・コットーネ河といい現在は消滅して谷間になっている。この二本の河に挟まれた高台の、南の高台がアクロポリスでここに西の神殿群がある。そして現在消滅してしまったゴルゴ・ディ・コットーネ河の東の高台にもう一つの神殿群が建設されていた。
29 E神殿、通称「ヘラ神殿」
【29 E神殿、通称「ヘラ神殿」】
東の神殿群で始めに目につくのがこの神殿で、これはセリヌンテで一番復元状態がよく偉容を誇っている。柱がほぼ完全に残って、正面6柱、側面15となる。大きさは大体68×25メートルなのでアテネのパルテノン神殿より少し小振り。この神殿は通称「ヘラ神殿」とされるがはっきりした祭神は分かっていない。それはどの神殿にも言えて、そのため正式にはアルファベットで呼ばれる。
30 F神殿、通称「アテネ神殿」
【30 F神殿、通称「アテネ神殿」】
E神殿の隣、つまり三つ並んだ真ん中の神殿がF神殿とよばれる。これは三つのうちでもっとも古く、紀元前500年代半ばと推定。三つのうち一番小さく、誰の神殿かの同定も困難。通称「アテネ神殿」とよばれるが、これもこの神殿が一番古いとすればアクロポリスの守護神「女神アテネ」がふさわしいといったところからの推定。
31 G神殿、通称「ゼウス神殿」
【31 G神殿、通称「ゼウス神殿」】
一番奥の神殿は巨大な柱の残骸の墓場としか見えない。大きさは大体113×54メートルもある巨大なもの。その巨大さから「主神ゼウス神殿」と推察。最近ではここからアポロンの名前が刻まれた刻文が見つかったということでアポロン神殿と紹介することもあるが、いずれにしても証拠不十分。紀元前550年頃着工され、かなりの程度建造されたが未完成に終わったらしい。
32 G神殿内部
【32 G神殿内部】
ゼウスの神殿が巨大につくられるのは近くのアグリジェントに例があり、競い合って「ゼウス神殿」を作ったとも考えられる。ここは瓦礫の山としか見えない中に、大きな円柱が一本だけ下から三分の一程度だけ立っていて、その柱を中心に辺りの巨大な残骸の間を歩くと往時の規模を忍ぶことができる。写真をとるには絶好だが、必ず人なり物を入れて撮らないとその規模がでてこない。
33 ゴルゴ・ディ・コットーネ河の跡
【33 ゴルゴ・ディ・コットーネ河の跡】
古代セリヌスの港のあった付近で、ここに現在は消滅しているゴルゴ・ディ・コットーネ河が流れ込んでいた。その消滅の跡もたどれる。ここから左手が西でアクロポリスに通じ、遠目に東の神殿群のE神殿、通称「ヘラ神殿」が遠望される。
34 古代セリヌスのアクロポリス、C神殿
【34 古代セリヌスのアクロポリス、C神殿】
この神殿は500年代半ばの建造で、このアクロポリスにある神殿の中では最も古く、またおよそ64×24メートルと最も大きなものとなる。したがって、おそらくこの神殿がここの中心神殿だったと思われるが、どの神のものかは分かっていない。14本の柱が復元され、ここでは一番形が残っている神殿となる。この神殿を飾っていた軒飾りのメトープも三枚発見されパレルモの博物館に収蔵。
35 古代セリヌスのアクロポリスの北門
【35 古代セリヌスのアクロポリスの北門】
セリヌンテの西の遺跡であるアクロポリスは変則的な形の高台となる。ここに見られる町壁は紀元前409年にここが破壊された後に建造された防御壁の名残。それ以前のものは新しい壁の建材にされてしまったので残っていない。アクロポリスは直行する二本の道路によって区分けされ、様々な公共建物や神殿、宗教的建物があった。神殿としては五つあり、それぞれ今日「A、B、C、D、O」とアルファベットで呼ばれている。
36 セジェスタの神殿跡にて
【36 セジェスタの神殿跡にて】
セジェスタは、古代ギリシャ時代には「エゲスタ」と呼ばれていた。このエゲスタの住民はあの伝説のトロイ戦争の落人との伝承を持つ。トロイからの脱出ということではローマ建国の祖とされるアイネイアスが有名だが、歴史家ヘラニコスの断片にもこのアイネイアスとならんで落人としてエゲスタという名前が記されていて何らかの伝承があったらしい。そのためここはローマの友邦となっていた。
37 □セジェスタの神殿
【37 □セジェスタの神殿】
紀元前400年代の建造で、ドリス式の神殿。正面六本、側面十四本の柱を現存し、上部の破風部分も残っている。建築様式としては、ギリシャ本土のものは床面の上に直接柱を立てているのに対しこの神殿には四角い台座がある。また、柱に「溝」が彫られておらず結局最後の仕上げがほどこされていない。しかし、内陣や前室、後室の痕跡は確認され、普通のギリシャ神殿の形は整っていた。
38 セジェスタの神殿遠景
【38 セジェスタの神殿遠景】
この神殿は形として外観も美しいが、周囲の景色に見事に溶け合っており、劇場へと丘を登っていく途中からの遠景がそれを示している。ただ、神殿そのものの色合いはギリシャ本土のものと比べイタリアのものは茶褐色できれいとは言えないが、この神殿は形のバランスが美しく、その色合いを問題にしない。
39 セジェスタの劇場
【39 セジェスタの劇場】
神殿の東の小高い丘、バルバロ山の頂上にある劇場は眺望のすばらしさで知られる。現在見るものは紀元前200年代半ばのものと推察。北を向いて半円形に開き、直径は63メートル、岩を削って七つのくさび形に区分けした20段の階段状の観客席となる。発掘調査によりこの劇場の下から紀元前10〜9世紀にさかのぼる古い建物の遺構が発見され、特別な場所だったかと推察される。
40 シラクサ、アテネ神殿前にて
【40 シラクサ、アテネ神殿前にて】
シチリア島の東南の海岸に古代から今日まで続く「シラクサ(古代名シラクサイ)」がある。ここはかつてシチリア全島の中心都市とした栄えたところで、紀元前700年代には開拓されていた。ここは古代ギリシャの政治・社会史に重要な都市だが、文化史的にも、悲劇作家アイスキュロス、哲学者プラトン、ヘレニズム時代の科学者アルキメデスなどの伝承を持つ場所としても知られている。
41 オルティジア島のアポロン神殿
【41 オルティジア島のアポロン神殿】
シラクサは、現在は本土と短い橋でつながっているオルティジア島と呼ばれる島が本来の古代ギリシャの市内で、段々本土側に拡大されていった。そのオルティジア島での最大のギリシャ遺構がアポロン神殿となる。この神殿はシチリア全島でももっとも古いものとされ紀元前500年代前半の建設とされる。現在は基壇と数本の柱の下部と内陣の壁の一部があるだけだが、由緒の古い神殿として重要。
42 大聖堂(ドゥオーモ)ないし古代のアテネ神殿
【42 大聖堂(ドゥオーモ)ないし古代のアテネ神殿】
外見はキリスト教の聖堂だが、脇に回れば古代ギリシャの神殿の柱があらわで、もと神殿であったことが一目でわかる。キリスト教時代になって多くのギリシャ神殿が柱間を塗りつぶされて壁にされてキリスト教会堂に改造されたのだが、こんなに見事にそのギリシャ神殿の改造の姿をみせている教会は他にない。そういう意味で実に貴重。
43 本土側、考古学地区の劇場
【43 本土側、考古学地区の劇場】
本土に渡って、考古学地区と呼ばれる地区に遺構が固まっている。ここの劇場は、紀元前400年代に建造されていたものが前200年代にヒエロン二世によって改築され拡張されて大規模の劇場となり、その後ローマ時代にも改築が加えられて現在みている姿となった。このシラクサには古代ギリシャ最大の悲劇作家アイスキュロスが二度来ており、ここでその劇を上演したと伝えられている。
44 シラクサの劇場
【44 シラクサの劇場】
シチリア島でも最大の劇場として知られ、数多いギリシャ劇場の中でも傑作の一つ。収容観客数は15000。岩山の麓部分を削り、観客席は61段(46段のみ残存)直径138メートル、9区画を持ち、階段席の中間辺りで二分されるように通路が弧を描くように走り見事な造りになっている。劇場の上部にはテラスがあり柱廊が設けられている。そこのニンフの洞窟には今も水が流れる。
45 円形闘技場
【45 円形闘技場】
円形闘技場というのはギリシャ時代には存在せず、ローマ時代のものとなる。これは紀元後200〜300年代のものかと推定。楕円形をしており、サイズは約140×119メートル、中央の舞台は70×40メートルと相当な大きさを誇っており、これはポンペイのそれをも上回る。ということはこのシラクサはローマ時代にも大きな都市として栄えていたということを証拠だてている。
46 ヒエロン二世の祭壇
【46 ヒエロン二世の祭壇】
紀元前200年代の建造でヒエロン二世による。岩盤を削って建造しているが、最大の特徴はその巨大さで、全長200メートル近くある。奥行きは22.8メートルくらい。こんな巨大な規模の祭壇は他に例がない。伝承によるとヒエロンは、ゼウスの大祭に際して450頭もの牛をここで丸焼きにしてゼウスに捧げ、そのお下がりの肉を市民に振る舞って大宴会を催したという。
47 エウリアロの城塞
【47 エウリアロの城塞】
シラクサの町から8キロほどの高台にある城塞遺構で紀元前400前後に建造。ここは戦略的な立地条件といいその建造の合理性と装備の優れから古代軍事工学の最大傑作と言われる。ディオニュシオス一世が対カルタゴのために建造。現在目にするのはビザンティン時代に改修。城の正面は三重の掘りによって守られ、内部は要塞と東の囲いとに分類され、東の囲いの中には兵舎や貯水槽などがある。
48 タオルミナの劇場(未指定)
【48 タオルミナの劇場(未指定)】
タオルミナは元来原住民族のシクリ人の町であったが、紀元前300年代にシラクサのディオニュシオスによってギリシャ化された。その後ヒエロン二世の時代に作られたのがこの劇場となる。劇場は岩山を巧みに利用して、遙かにエトナ火山をのぞめるようになっていた。しかし前100年代になってローマに占拠され、劇場も大改造されてせっかくの景観が観客席から見えなくされてしまった。
49 南イタリア、シチリア島のギリシャ世界遺産
【49 メガラ・ヒュブライアの遺跡(未指定)】
シチリア島には他にも、世界遺産とはなっていないがギリシャ史跡がたくさんある。これはその中の一つでシラクサに近い「メガラ・ヒュブライア」となる。ギリシャ本土「メガラ」の植民都市となる。紀元前700年代の建設という由緒を持ち、ローマの侵略となる200年代まで栄えた、現在の遺跡は大部分が前3〜200年代のものだが、古い部分も出ている。
50 南イタリア、シチリア島のギリシャ世界遺産
【50 ナクソスの遺跡(未指定)】
タオルミナに近い海岸にある広大なギリシャ遺跡であるが、目立つ遺構はほとんど残っておらず、広い領域にポツリポツリと小さな遺構が散在しているだけ。ギリシャの「ナクソス島」の住民の植民都市となる。
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