1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

16.

南フランスと小アジアのローマ遺跡

世界遺産、南仏「アルル」の遺跡。南仏「リヨン」のローマ劇場。南仏「ポン・デュ・ガールの水道橋」。 小アジア、世界遺産「パムッカレとヒエラポリス」。以下世界遺産未登録。エフェソスのローマ遺跡。ペルガモンのローマ遺跡、アスクレペイオン。『聖書』黙示録の七つの教会、エフェソス、ペルガモン等の残りの五つ「スミルナ」「テアテラ」「サルディス」「フィラデルフィア」「ラオディキア」。アフロディシアスのローマ遺跡。アンタルヤのハドリアヌスの門。ペルゲのローマ都市遺跡。アスペンドスのローマ遺構。シデのローマ遺跡。


■南仏のローマ世界遺産と小アジアのローマ都市
南仏と小アジアのローマ遺跡地図-小 拡大地図を見る>>
南フランス海岸。および小アジア(現在のトルコ)の主にエーゲ海沿い、地中海沿い領域、そこから内陸に入った場所。
南フランスの「アルル」「リヨン」「ポン・デュガール」。小アジアの世界遺産「ヒエラポリスとパムッカレ」。
ここではむしろ世界遺産指定を受けていない小アジアのローマ遺跡を多く紹介する。まず最重要ともいえる「エフェソス」、ついで「ペルガモン」を抜かすことはできない。さらにキリスト教の黙示録で「七つの教会(共同体)」として名指しされている諸都市、内陸の代表的ローマ都市「アフロディシアス」、ついで地中海沿いの代表的都市「ペルゲ」「アスペンドス」「シデ」等。
ローマ帝国は、結果として世界の中心であった東方世界へと進出していく。そして重要地をローマ都市化していった。
他方で、当時未開であった西欧を開拓したことが、後世の西欧を形成せしめたという意味で重要である。その足掛かりは地中海沿いの旧ギリシャ都市。
紀元前4500年頃から2500年頃まで。
ローマ人、ギリシャ人、および現住民族
 歴史的に、世界の中心は常に東地中海から東にあり続けていた。それは西欧が台頭するつい最近までそうであった。世界の西方に属する文明史は「エジプト、メソポタミア」にはじまり、東地中海のクレタ島からギリシャ本土と小アジアに花咲き、そこから再び中東のヘレニズム世界に広がり、それらを引き継いだのがローマ帝国であった。それによって、中東に発祥した「イエスの教え」はギリシャを経てローマに伝わり、そうして西欧の宗教「キリスト教」となり得たのであった。こうしてローマ帝国もまた小アジアから中東を中心としていたので、その主要な都市遺跡は小アジアから中東にあることになったのである。さらにそれを東領域のローマ帝国、いわゆる「ビザンティン帝国」が引き継ぎ、ついで世界は「イスラーム帝国」「オスマン帝国」となって、やはり近代まで東地中海から東の世界が中心であり続けた。
 紀元後1500年代くらいから、西欧がギリシャ文芸の再生により台頭し、そして、1800〜1900年代になって近代ヨーロッパとして興隆し、ついに現代世界を支配するまでになるのである。その遠因は、ローマ帝国が西欧領域を開拓していたことにある。
 西欧の地中海沿いも古代ギリシャだったのであり、そこをローマが引き継いだという事実を知ろう。そして、小アジアがローマ帝国にとって最重要地で、だからやがて都市ローマは捨てられ、コンスタンティノポリスに都が移されたということに気がついて欲しい。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 アルルのローマ城塞の門
【01 アルルのローマ城塞の門】
現在のフランスの地にある「アルル」は古代ローマ都市として繁栄し、中世にはスペインのサンディアゴへの巡礼の拠点の一つとなっていた。そこでここは「ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」として世界遺産登録され、遺構としては、ローマ劇場、円形闘技場。地下回廊とフォルム、コンスタンティヌスの浴場、アリスカン(大墓地)、サン・トロフィホム教会などが一括されている。
02 アルルのローマ劇場
【02 アルルのローマ劇場】
フランス人としては、イタリア以外の西欧にわずかしかのこされていないローマ遺跡は大事ということで世界遺産としたのだろうが、地中海全域に広がるローマの遺構そのものとしては質も規模も重要性もたいしたものではない。この劇場は紀元前1世紀の建造で、中世には石取り場で後に要塞にされていた。ここから出土した「アルルのヴィーナス」が知られる。
03 アルルの円形闘技場
【03 アルルの円形闘技場】
イタリア以外の西欧に残る円形闘技場もここくらいのものなので、それなりの意味はあるのだろうが、規模は収容人数2万くらいのもの。歴史的重要性や建造史的な意味はない。1世紀末の建造。もともとは3層であったが現在は2層のみ。
04 リヨンの町並み
【04 リヨンの町並み】
「リヨン」も古代から中世にかけて繁栄した町ということで「旧市街」が「歴史地区」として世界遺産登録されている。従ってここは「何が」ということが言いにくい史跡となっている。
05 リヨンのローマ劇場
【05 リヨンのローマ劇場】
古代ローマ関係ではフルヴィエールの丘に残された劇場くらいのものとなる。紀元前40年頃のものとされるが、特に何か言われがあるわけではない。
06 ポン・デュガールの水道橋
【06 ポン・デュガールの水道橋】
フランスにあるローマ遺構としてはこれが一番重要。建造技術の上でも建造美の上でも非常に優れている。紀元前19年頃の完成とされ、建造者はアウグストゥスの片腕として知られ西欧地区を平定したアグリッパ(前63〜12)。水道橋の長さは全長50キロに及んだ筈だが、現在残存しているのはゴルドン河に掛かる275メートルとなる。河に映った姿の美しさも注目。
07 水道橋の水路
【07 水道橋の水路】
この水道橋は全長における高低差が17メートルしかなく、1キロあたり34センチの勾配で延々と水が流れてきた。この建造技術は驚嘆に値する。その水路は水道橋の上を水路とする形のものであった。
08 小アジア、ヒエラポリスとパムッカレ
【08 小アジア、ヒエラポリスとパムッカレ】
ここは「自然と歴史遺産」の複合的な世界遺産。自然の面で言うと、ここは「チャル山」という岩山の中腹にあり、平地から100メートルほどの高さの台地となって上から石灰を含んだ温泉が流れ、その石灰が堆積して「白い城」のようになったことから「パムッカレ(綿の城)」と命名された。その北側にヒエラポリスの遺跡が広がる。
09 パムッカレの温泉プール
【09 パムッカレの温泉プール】
台地は棚状になっていてそこに温泉の水がたまってプール状となっている。ただし、現在温泉の湯の出は著しく低下し、観光客に荒らされた結果「白い肌」はすっかりよごれてしまった。また当然温泉の温度はひどく低くなってしまっている。そのため現在では一部を除いて立ち入り禁止となっている。
10 ヒエラポリスの遺跡
【10 ヒエラポリスの遺跡】
ヒエラポリスは紀元前190年頃、ペルガモン王国のエウメノス二世が「温泉町」程度であったここを都市化した。ヒエラポリスというのは「聖なるポリス」という意味になるが、その名前の由来として、ペルガモン王国の伝説の祖とされるテレポスの妻「ヒエラ」からとったとか、この地が「地母神シビル」の聖地であったからとかの説がある。ローマ時代、小アジアの中心的な都市。
11 ローマ遺構の転がる温泉プール
【11 ローマ遺構の転がる温泉プール】
ヒエラポリスはほぼ南北に広がり、南に石灰棚がある。ヒエラポリスの遺跡自体は広い割に見所と言えるものは少なく、温泉プールと化しているプールの底に本物のローマ時代の柱などが転がっているところで泳げる、というのが売り物になっているような遺跡である。
12 浴場
【12 浴場】
ローマ都市に浴場はつきものであるが、ヒエラポリスも南と北に二つ浴場があった。現在南の浴場は博物館となっている。
13 ローマ劇場
【13 ローマ劇場】
ヒエラポリスでもっとも残存状態がいいのがローマ劇場となる。紀元後2世紀、ハドリアヌスによる建造と伝えられる。収容数15000と言われる。ローマ時代の特徴だが、半円形で傾斜も険しい。劇場に興味のある人なら、小アジアには残存状態の良い劇場がたくさんあるので比べてみると面白い。
14 ドミティアヌス門(ローマ門)
【14 ドミティアヌス門(ローマ門)】
南から北に延びている古代の幹線道路の突き当たりに三つのアーチを持つ門がある。紀元1世紀に元老院の副議長がドミティアヌスに献じたもので、大きさはあるが凱旋門のような華美な造りにはなっていない(通常の凱旋門は中央アーチが高くバランス的に美しく、武勲を讃えた彫刻で彩られる)。ただしもちろん昔は大理石が張られて綺麗だったはず。
15 ネクロポリス(墓場)
【15 ネクロポリス(墓場)】
ネクロポリスというのは文字通りには「死者の町」という意味で、要するに「墓場」。古代ギリシア・ローマでは墓地は町の門のすぐ外に作られることが多かった。全体として1000をはるかに越す墓が残り、残存している墓地の規模の大きさはローマ世界でここが最大。時代ごとのさまざまの石棺の作りなどを観察することができる。一般に北門のものが紹介されるが、それ以外にもある。
16 エフェソス(現代名エフェス)(世界遺産未指定)
【16 エフェソス(現代名エフェス)(世界遺産未指定)】
小アジアにあるローマ遺跡としてはエフェソスが最大でもっとも見所が多い。ギリシャ時代からビザンティンまで重要地であり遺構も多く、当然世界遺産登録されて可笑しくないのだが未指定。すでに紀元前11世紀には建設。現在見る遺構はペルガモン王国のリュシマコスの時代に移築されたもの。前133年ローマの支配下に入っても興隆は続いてキリスト教史でも重要となる。
17 ヴァリウスの浴場
【17 ヴァリウスの浴場】
南と北に遺跡入り口があるが、南からの方が便利。遺構として残っている唯一の門であるマグネシア門から入る。ウェスパシヌス帝(69〜79)の時代のもの。北入り口の方にはコレッソス門があったが残存していない。入り口を入って右手に崩れ落ちたアーチ状の建造物が並んでいるようにみえる建物の残骸が見える。これは二世紀のローマ式浴場の遺構でヴァリアスの浴場という。
18 オーデイオン
【18 オーデイオン】
北西に向かっていくが、右手の劇場は「オーデイオン」といい、通常「音楽堂」と訳されているように、音楽や小さな催し物に使用されたり、あるいは代表者会議などにも使われたローマ時代に特有のもの。オーデイオンは大劇場と違って屋根付きのことが多く、ここも本来は屋根があった。建設時期はアントニヌス・ピウス帝の時(在位138〜161年)。収容人数およそ1400。
19 ヘラクレス門
【19 ヘラクレス門】
その先に一対の門があるが、これは「ヘラクレスの門」と呼ばれる。ヘラクレスはギリシャを代表する豪傑英雄であるがローマでも親しまれ、何か恐ろしい事、困ったこと、びっくりしたことなどがあったときに彼の名前をさけぶ、という使い方がされた。ようするに「助け手として強力なもの」のシンボルとして日常的に口にされていた英雄である。
20 トラヤヌスの泉
【20 トラヤヌスの泉】
その先の右側に、二本の角柱に三角の積み木を乗せたような玄関状の建造物があるが、これはトラヤヌスの泉という。ローマ皇帝トラヤヌス(在位、紀元後98〜117年)に捧げられたもので、建造は103年前後。正面以外ほとんど何も残っていないが、二階建ての建物で、入った中央にプールがあり、向かいの壁には巨大なトラヤヌスの像が立ち、その足もとから水が吹き出し、三方から二重の柱に囲まれたプールに流れ込んでいたという。
21 ハドリアヌス神殿
【21 ハドリアヌス神殿】
その先に、内側の二本が円柱、外側が角柱の四本の白いコリントス様式の柱の上にアーチが乗っている美しい建物があるが、皇帝ハドリアヌス(在位、117〜138年)に捧げられた神殿(138年建造)。神殿の前に四つの台座があるが、これは後代付加されたもの。神殿の正面アーチの中央の顔は「好運の女神テュケ」。その奥の入り口の上部にはゴルゴンのメドゥサ。
22 クラテス通り
【22 クラテス通り】
以上の遺構が並んでいる通りをクラテス通りといい、メインストリートであった。ローマのメインストリートは基本的に列柱通りとなっているが、ここもそうなっている。注目すべきはその歩道部分のモザイク文様で、こうした華美・豪華さがローマの特色とも言える。
23
【23 】
南からクラテス通りを下ってきた左側に高級邸宅があり、近年発掘されて一般公開された。ローマの高級住宅は床にモザイク、壁にはフレスコ画といった装飾が一般的に施されていた。ここの住居も大きく、また華麗である。
24 ケルスス図書館
【24 ケルスス図書館】
クラテス通りの正面にあるのがケルスス(英語読みだとセルシウス)の図書館。ケルススはローマ帝国の小アジアの執政官であり、彼の死後その息子が父の記念と遺産の有効利用ということで墓所の上に建造した(117年)。柱の間の女性像は「知恵、徳、知識、好運」のシンボル。ここはアレクサンドリア、ペルガモンに次ぐ大図書館であった。
25 マーブル通り
【25 マーブル通り】
南入口から入りクラテス通りを来て正面がケルスス図書館であったが、そこから右に曲がってさらに大通りが続く。その右に入ったところからの通りを「マーブル通り」と呼んでいる。クラテス通りとマーブル通りの交差点の右に「娼婦の館」と言われる建物があり、マーブル通りを少し行ったところに「娼婦の館の広告」と称せられている彫り物が敷石に見られる。その先に劇場がある。
26 劇場
【26 劇場】
ピオン山の麓を削って斜面を観客席にするという典型的なギリシャ劇場が原型。紀元前3世紀のヘレニズム時代のもの。それをローマ期に拡張してローマ風劇場に改造した。収容数2500とされる。直径が154メートル、高さ38メートルとなる。音響効果を上げるための拡声器が設置されている。キリスト教伝道師パウロがここで大騒動の種となったことは有名。
27 アルカディアン通り(港通り)
【27 アルカディアン通り(港通り)】
劇場から正面に真っ直ぐ伸びているのが「アルカディア通り」で通称「港通り」。幅11メートル、長さ530メートル。突端から消滅しているように見えるが、そこが港であった。ヘレニズム時代の道路をローマ期に皇帝アルカディオスが拡張したことでこの名前がある。なお、途中で右折すると門を出て5キロほど先の「アルテミス神殿」方向への道となる。
28 ペルガモン(世界遺産未指定)
【28 ペルガモン(世界遺産未指定)】
エフェソスの北の内陸部にあるヘレニズム期の代表的な都市であり、アッタロス王家の支配する小アジア西部の首都であった。都市の建設自体はギリシャ古典期以前からであるが、アレクサンドロス大王の死によってその武将の一人であったリュシマコスがここを拠点にこの地方一帯を支配した。彼の戦死(紀元前282)の後、その武将フィレタイロス(アッタロス王家の祖)が継ぐ。
29 ペルガモンの町
【29 ペルガモンの町】
ペルガモンは、ローマ時代となって「ローマの属領」としてさらに興隆を続ける。町の造りは写真正面の丘の下から上までに展開した。現在見学に値するのは上市のみで、中市から下市は急坂の上に未整備で道らしいものもないので遺跡を荒らすし、いろいろと危険なので一般人は入らない方が良い。整備された上市への道があるのでそれを行く。
30 トラヤヌス神殿
【30 トラヤヌス神殿】
丘一帯に建築された都市であるが、一番上は「王城」としてこの都市の中心であり、見所はここに集中している。一番目立つ遺構が「トラヤヌス神殿」で、皇帝トラヤヌスを引き継いだ皇帝ハドリアヌス(在位117〜138年)がトラヤヌスを記念して建造したもの。ローマ皇帝に捧げられた神殿は小アジアにとりわけ特徴的で、こことエフェスのものが良く知られている。
31 劇場
【31 劇場】
入り口から左手のほうに回ると劇場がある。これはかなり大きいが、特徴的なのは急斜面であることと、ここから見るパノラマ状の景色である。原型は紀元前2世紀のヘレニズム時代だが、現在眼にするのはローマ時代の改装によるもの。オルケストラの端に、演劇の神ディオニュソスの神殿がある。
32 アスクレペイオン
【32 アスクレペイオン】
ペルガモンの城塞から西南に2キロほどのところにある。紀元前四世紀頃からギリシャのピダウロスを中心に「医神アスクレピオス信仰」が盛んとなり、各地にその神域(同時に医療センター)が作られる。ペルガモンの興隆に伴ってここにも勧請されて盛んとなる。現在目にしているのは紀元後二世紀前半のローマ時代のもの。
33 地下道
【33 地下道】
ここのアスクレピオス神域(つまり医療センター)には「蛇の毒」が薬になることの発見とかさまざまのエピソードがあるが、医療施設としても独特の施設があり、トンネルはその最たるものとなる。患者はここを通って医療室に入ったようなのだが、かなり長いトンネルで、ある種の精神作用を引き起こす施設であったらしい。
34 スミルナ(現在のイズミール)(世界遺産未指定)
【34 スミルナ(現在のイズミール)(世界遺産未指定)】
現在のトルコの西部、エーゲ海に面した領域は古代ギリシャ領域であり、それがそのままローマに引き継がれてローマ都市となる。その代表的な町はキリスト教の代表的共同体(教会)となり、「ヨハネ黙示録」で、その文書が宛てられた「七つの教会」となる。その一つが古代のスミルナ、現在の大都市イズミールとなり、わずかだがローマ・アゴラの跡が残っている。
35 テアテラ(世界遺産未指定)
【35 テアテラ(世界遺産未指定)】
ペルガモンから時計回りで下、つまり北東に降りていくと古代テアテラ、現在のアクヒサルに至る。町の真ん中に遺跡が残っている。この町はかつて綿や羊毛、染料などが取り扱われる商業の町として栄えた。現在も綿花の産地の町となるようである。
36 サルディス(世界遺産未指定)
【36 サルディス(世界遺産未指定)】
ここは「リィディア王国」の「クロイソス王の都」として有名。後にキュロス大王のペルシャに破れて「ペルシャの都市」となり、ここからペルシャの「スサ」までいわゆる「王の道」という延長2500キロにも及ぶ道路が建設され、小アジアの中心地とされた。こうしてローマ時代になっても重要都市であり続けた。その面影を「アルテミス神殿」などでしのぶことができる。
37 フィラデルフィア(世界遺産未指定)
【37 フィラデルフィア(世界遺産未指定)】
サルディスからさらに南におりてくると「フィラデルフィア」に至る。現在のアラシェヒル。ペルガモン王国の王であったアッタロス二世フィラデルフォスによって建設されたことからこの名前がある。紀元前150年くらいの建設。栄えて「小アテネ」と呼ばれた。キリスト教が伝えられて、ここは多くのキリスト者を得て「七つの教会」の一つにかぞえられるほどになった。
38 ラオディキア(世界遺産未指定)
【38 ラオディキア(世界遺産未指定)】
さらに南におりてパムッカレ近郊にラオディキアがある。ローマ期には商業都市として知られた富裕な町で、したがってヨハネは「あなた方は自分が豊であり何の不自由もないと思いこんでいるようだが、実はあなた方は自分が惨めな者、哀れむべきもの、貧しい者であることに気がついていない」と非難している。遺跡は訪れる人もいない荒れ地の中の瓦礫の残骸でしかない。
39 アフロディシアス(世界遺産未指定)
【39 アフロディシアス(世界遺産未指定)】
内陸にあるパムッカレからエーゲ海の方に戻る山中にある遺跡で、太古の昔から大地母神の聖地であったようだが、この町が歴史的に有名になるのはヘレニズム時代からローマ時代において。ギリシャ時代に、太古の大地母神が「アフロディテ女神」に同化されて「アフロディシアス」という名前になった。ローマ期、ここはこの地方の首都とされ政治・経済・学芸の中心であった。
40 テトラファイロン
【40 テトラファイロン】
ここは、遺跡としてかなり広く、さまざまの遺構が観察される。「テトラファイロン」は英語だが、ギリシャ語からの造語で「四つ門」という意味。四つの柱が一組になったものが四つ組み合わさったものとなる。2世紀の建造で、これと類似のものは中東シリアの「パルミラ」にもある。そこでは大通りの中央に設置されていて、それぞれの四つの柱の真ん中に彫像が置かれていた。
41 スタディオン(競技場)
【41 スタディオン(競技場)】
この遺跡での最大の見所の一つがこれになる。ギリシャ・小アジアに残存している古代ギリシア・ローマのスタディオンの中で最大規模となる。長い階段状の客席の保存状態も良い。建造はローマ期の紀元後1〜2世紀と推定。スタディオンの規模は長さ262メートル、幅59メートルで、観客席は3万人収容。競技以外にもさまざまのコンテストや「闘技場」としても使われた。
42 アフロディテ神殿
【42 アフロディテ神殿】
14本のイオニア式の柱が残り、そして二本だけが柱上帯でつながっている。ローマのハドリアヌス皇帝の時代(117〜138年)に「境内」が付設。後世になってキリスト教会に改造され、東の端にその教会時代の「後陣」の跡が残っており、さらに少し離れて東に「境内入り口(プロピュライア)」の遺構が観察される。
43 アンタルヤ(古代名アッタレイア)(世界遺産未指定)
【43 アンタルヤ(古代名アッタレイア)(世界遺産未指定)】
ペルガモン王「アッタロス2世」によって建造されたことからこの名前がある。現在古代の遺構としは、ローマ期のこの「ハドリアヌスの門」以外何もない。現在はリゾート地として有名。たたし、ここの考古学博物館には「神々の部屋」と呼ばれる部屋があり、ここは必見の場所となる。
44 ペルゲ(世界遺産未指定)(世界遺産未指定)
【44 ペルゲ(世界遺産未指定)】
アンタルヤの郊外15キロくらい東北に行った内陸部にある。ここの歴史は古く、紀元前11世紀頃にはギリシャ人によって「都市国家」が建設されていた。アンタルヤの考古学博物館はこのペルゲ出土のものが中心で、ローマ時代の繁栄期の豪華な施設に置かれていた素晴らしい美術品を展示している。
45 ペルゲの都市遺跡
【45 ペルゲの都市遺跡】
「正門」を入った右手に見える崩れ落ちた二つの塔は、昔日は15メートルもあった一対の円筒状の塔であり、ローマ期以前のヘレニズム期である紀元前三世紀の建造になる門となる。ここから、後のローマ期のメイン・ロードが延びている。いわゆるローマ期に特有の「列柱通り」となる。
46 スタディアム
【46 スタディアム】
これは12000人収容という競技場で、保存状態も良い。ここは、アーチを多用することで巨大な建造を可能にしているローマ期特有の建造技術が良く観察できる。観客席の外壁の外側に見られる70にものぼるアーチ型のスペースだが、これは観客席の下部を外側からくりぬいた形になっていて、ここには商店が開かれていたらしくその名前や品物書きなどが掘り込まれている。
47 アスペンドス(世界遺産未指定)
【47 アスペンドス(世界遺産未指定)】
アンタルヤからおよそ45〜50キロほど東に位置している。ここの遺構としては「劇場」が有名で、ローマ時代の劇場でも最大級に保存状態が良く、とりわけ立派で豪華な姿をしておりローマ劇場の典型的な姿をみることができる。建造は二世紀後半となり五賢帝の一人「マルクス・アウレリウス(在位161〜180)」の時代。
48 アスペンドスの「水道橋」
【48 アスペンドスの「水道橋」】
畑の中に長々と1キロにわたって伸びている。この水道橋は、直径28センチ長さ86センチの管を長々とつなげていくやり方で、橋の後半部分の勾配が少し高くなっているのだが、流れてくる水圧でそれをクリアーすることができた。また上部は「歩行道路」となっていて、ここが雨などで湿地帯となった時などはそこを歩くことができた。
49 シデ(世界遺産未指定)
【49 シデ(世界遺産未指定)】
アスペンドスからさらに数キロ東に「シデ」がある。地中海に着き出した最長幅300、長さ300メートルの半島に町が建設されて半島の底辺に当たる陸地部分に城壁を築くことで陸地からの侵略が防がれていた。この町は紀元前七世紀というギリシャ時代からの都市。ここはギリシャ都市を経て後に海賊の町となっていたが、ローマの進出以降は「ローマ都市」として発展した。
50 シデの遺跡
【50 シデの遺跡】
ここは「リゾート・観光の町」と化し、内部の遺跡は現代の建造物に利用されてしまっており、古代の面影を偲ぶ雰囲気はほとんどない。わずかに町の周辺部に神殿やアゴラなどが観察される。劇場は一万五千人収容という大きなもの。劇場の東となりにある90メートル四方ほどの広い空間が「アゴラ」。中央に周囲を25本の列柱で囲み店舗がしつらえられていた。
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