1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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1. 「マルタ島」の
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2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

18.

ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」

シケリア島、世界遺産ピアッツア・アルメリーナの「カサーレ」。 イスタンブールの宮殿モザイク。 ガジアンテップ「ゼウグマ」のモザイク。 アンタクヤの「モザイク博物館」。


■ローマのモザイク群
ローマのモザイク群地図-小 拡大地図を見る>>
イタリア・シチリア島の「ピアッツァ・アルメリーナ近郊」。および小アジア(現在トルコ地方)の「イスタンブール」「ガズィアンテップ」「アンタクヤ」。
シチリア、ピアッツア・アルメリーナの「カサーレ」。イスタンブールは「歴史地区」という指定となっているためすべての歴史遺産が世界遺産だとするとイスタンブールのローマ旧王宮跡となる現在の「モザイク博物館」も含まれることになる。ガズィアンテップとアンタクヤは世界遺産指定されていない。
ローマ帝国のあり方は遺跡や遺物で知られるわけであるが、その重要な資料として「モザイク」がある。これは絵画的意味もさることながら、当時の都市のあり方や風俗などを示す資料となる。以上はその代表的なものとなる。
ローマ人
 ローマ人の邸宅は、邸宅と呼ばれるに足るものは、例外なく床にモザイク、壁に壁画となっている。従ってローマのモザイクは、地中海中のローマ邸宅のあるところ何処にでも存在していることになるのだが、その代表的なものとなるとイタリア・シチリア島のピアッツア・アルメリーナ近郊の「カサーレ」となり、そうした意味でここは世界遺産となっている。
 他方、ローマ都市で埋もれた小アジアにもモザイクはたくさんあり、発掘されているものはわずかではあるもののイスタンブールのローマ皇帝の宮殿跡で現在「モザイク博物館」とされているところのものと、ガズィアンテップ博物館に収蔵されている「ゼウグマのモザイク」、そしてアンタクヤの博物館にある「モザイク」が代表的なものとなる。これらは題材も絵画的表現もそれぞれ特徴的であり、それらを比較するとおもしろい。
 このページはすべて「モザイク」となる。「カサーレ」は大邸宅で、たくさんの部屋や廊下を持ち、当然たくさんのモザイクがある。それを部屋ごとに歩いていくコースに沿って(見学コースは必ずしも一定してはいない)順次紹介していく。ここではローマの風俗が描かれ、ローマ人の生活を知る資料的意味もある。
 小アジアでのモザイクだが、宮殿遺構のモザイクはユニークだ。何を描いているのか推察しよう。「ゼウグマ」と「アンタクヤ」のモザイクは絵画的筆致が異なる。他方で題材の面白さもあり、それを語る神話へと誘われてくれるといい。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 カサーレ
【01 カサーレ】
ピアッツァ・アルメリーナの町から6キロほど南の丘陵の谷間に、世界遺産「ローマ時代の別荘跡(ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ、通称「カサーレ」)」がある。紀元後300年頃のもので、皇帝マクシミアヌスかあるいはその息子マクセンティウスの別荘として建設されたと推定。3500平方メートルの床面一杯にモザイクが施され、ローマ期のモザイクの一大宝庫となっている。
02 浴場施設のボイラー跡
【02 浴場施設のボイラー跡】
モザイクはローマ社会を反映して貴重な資料なのだが、遺構もまた当時の社会を映している。ここでの「浴場」の設備がとりわけ豪華だが、ローマ社会に浴場はつきものとなる。ここは、個人の別荘でも浴場は豪勢に作られていたその良い見本となっている。この別荘の西翼はその「浴場施設群」で、写真は浴場のためのボイラー跡となる。
03 微温水浴室
【03 微温水浴室】
微温水浴室にはボイラーで温められた空気が送られた。床が消失しているため内部構造がしっかり観察できる。「微温水浴室」とは「熱温室」と「冷水室」の間にあり、いきなりからだを冷やさず、少しずつ体温を下げるための施設。
04 マッサージの部屋
【04 マッサージの部屋】
冷水浴の部屋と微温水浴の部屋をつなぐ小さな正方形の部屋があるのだが、そこはマッサージの部屋と推定。その部屋のモザイクで、召使いの男が主人と見られる、顔の部分が剥落している男の体をマッサージしているか、あるいは汗をぬぐっている絵柄が見られる。その下に香油らしきものを持っている召使いがいる。
05 アトリウム(玄関前庭)
【05 アトリウム(玄関前庭)】
「アトリウム」と呼ばれる玄関前にしつらえられた前庭状のもの。これもローマの高級住宅に必ずついていたものとなる。ここは半円形で、回りを柱廊で囲まれている。中央に泉があった。右手が玄関。
06 玄関ホール
【06 玄関ホール】
玄関ホールのモザイクは大部分が剥落しているが、図柄は「皇帝を出迎える人々」をえがいたものと推定される。
07 ペリステュールム
【07 ペリステュールム】
ローマの邸宅は、長方形の中庭を中心にその回りをぐるりと建物で取り囲むという構造をしている。写真はその中庭で、ラテン語の発音では「ペリステュールム」と呼ぶが、原義は「列柱廊」という意味で、内容的には列柱廊で囲まれた中庭のこと。列柱廊の部分には動物のモザイクがある。泉水も復元されて当時の面影がしのべる。
08 列柱廊のモザイク
【08 列柱廊のモザイク】
列柱廊の部分にあるモザイクで、ここにはメダルのような形をして中に動物の顔が描かれているが、野獣なのにこの顔の表情が愛らしい。
09 列柱廊のモザイク
【09 列柱廊のモザイク】
ペリステュールム(列柱中庭)を囲む列柱のモザイクの全景。
10 水洗トイレ前の空間
【10 水洗トイレ前の空間】
ペリステュールムの西側の列柱に連結している水洗トイレに入る前の空間のモザイク。動物や鳥の和やかな様子が描かれている。
11 控えの部屋
【11 控えの部屋】
ペリステュールムの北西部に位置する部屋で、台形の「控えの部屋」と推定。西翼の浴室にいく控えの間であったのだろう。ここに五人の男女を描いたモザイクがあるが、マクシミアヌスの館と仮定して、中央が后のエウトロピア、両脇にその子ども達マクセンティウスとファウスタと推定。端の人物は召使い。
12 マクセンティウス
【12 マクセンティウス】
その拡大写真。向かって右の少年がマクセンティウスと推定されるのだが、その証拠としてマクセンティウスは斜視であったとされ、このモザイクも斜視のように描かれていると言われる。見方によってそう見えなくもないが、うがちすぎとも思える。
13 体操室
【13 体操室】
控えの部屋のすぐ西側の部屋は「体操室」で、浴場は体操室を備えているのが普通。汗を流してから風呂に入るというわけ。ここに戦車競争のモザイクがある。ローマのチルコ・マッシモと推定され、左手のオベリスクが一本しか描かれていないことから、二本目を立てたコンスタンティヌス以前の館との推定が為されたことでも知られる。
14 戦車競争のモザイク
【14 戦車競争のモザイク】
戦車競争の様相が良く示されているモザイクで、当時は赤、緑、白、青の四組がそれぞれ二台ずつを出場させた。コース区分を示す三角錐の標識も見える。「ヤシの葉」は優勝の印。
15 四季の部屋
【15 四季の部屋】
北翼には小部屋が並んでいるのだが、それらの西半分の部屋のモザイクは状態が悪い。東の半分の部屋に良いモザイクが見られる。これはその北翼の真ん中からすぐ東の部屋で「四季の部屋」と呼んでいる。ここに四人の人物がメダル状の円盤の中に描かれているのだが、それぞれ春・夏・秋・冬を表すとされる。その他は魚や鳥。
16 漁をするクピードの部屋
【16 漁をするクピードの部屋】
その東隣の部屋は「漁をするクピードの部屋」と呼ばれる。写真のように漁をしているクピードが描かれていて、愛らしい。
17 小さな狩りの部屋
【17 小さな狩りの部屋】
その東隣は「小さな狩りの部屋」と呼ばれている部屋。この別荘は「狩りのための別荘」と推定されているのだが、その狩りの場面を描き、従って狩りの風情は当然のこと、当時のこの別荘の回りの風情が映されていると思われる。
18 壮大な狩りの廊下
【18 壮大な狩りの廊下】
その東隣は「八角形モザイクの部屋」、その背後が「四角形のモザイクの部屋」となり、突き当たって東翼となる。この東翼の前に南北に横たわった長い廊下があり、それは「壮大な狩りの廊下」と呼ばれ、長さ65メートル、幅5メートルとなる。
19 壮大な狩りの廊下の情景
【19 壮大な狩りの廊下の情景】
ここには、おそらくアフリカあたりでの猛獣狩りの様子が描かれており、すさまじい猛獣の狩りの場面やダチョウなどの図柄、また捕らえた野獣や動物をローマに送る船の様子なども描かれている。
20 マクシミアヌスのモザイク
【20 マクシミアヌスのモザイク】
この壮大な狩りの廊下のモザイクの中にこの情景があるのだが、これはこの別荘の持ち主を皇帝マクシミアヌスと理解して、そのマクシミアヌスの図柄と推測する説がある。その推定は、背後を守る近衛兵の左の人物の肩の紋章が、マクシミアヌス家のシンボルの紋章ではないかと推定されたところから。
21 ビキニ姿の少女たち
【21 ビキニ姿の少女たち】
壮大な狩りの廊下を眺めながら南翼まで下がってくる。南翼は食堂を主体として、幾つかの小部屋が並んでいるが、その東北部の部屋に「ビキニ姿の少女たち」という有名なモザイクを持った部屋がある。ただし、この姿は「水着としてのビキニ」ではなく、むしろ「下着ないし体操着」と言うべきもの。
22 体操着の少女たち
【22 体操着の少女たち】
当時はスポーツ的な遊びをするときには当然チャラチャラした上着ではうごけないので、「下着」になって活発な動きをしたというわけ。あるいはむしろ、この下着的な着衣が「体操着」であったと考えても良い。ボールやその他かの遊具や道具などが見られる。ヤシの葉は勝者の印。
23 苦悶する巨人
【23 苦悶する巨人】
南翼は楕円形の列柱式中庭を持ち、それを中心としてその南北に小部屋が並び東に大きな食堂を持つという構造になっている。食堂のモザイクは苦悶する巨人族の図柄で、こんなのが食堂を飾っているとは、コロッセオで殺し合いを楽しんでいたローマ人らしいと妙に感心してしまう。
24 リュクルゴスのモザイク
【24 リュクルゴスのモザイク】
これも食堂のモザイクであるが、これはディオニュソス伝説の一場面で、ディオニュソスを迫害するトラキアの王リュクルゴスが呪いを受けて破滅していく物語である。これも凄惨な物語で、こんなものばかり食堂のモザイクのテーマにするとは何なのだろうと思えてくる。
25 牧神パーンと愛のエロース
【25 牧神パーンと愛のエロース】
壮大な狩りの廊下の東翼に来ても多くのモザイクを鑑賞できる。保存状態の良いものを見ていくとこの「パーンとエロース」の図柄がある。上半身は人間だが、羊の下半身をして角を生やした山野の神「パーン」と愛の神「エロース」との「醜と愛」の争いか、などと解説される図柄である。
26 オデュッセウスとポリュペーモス
【26 オデュッセウスとポリュペーモス】
東翼の北部の部屋の一つにオデュッセウスの物語に題材をとった、一つ眼の巨人ポリュペーモスに酒を飲ませて酔い潰そうとする「オデュッセウス」のモザイクがある。ただし、ここではポリュペーモスは「三眼」となっている。
27 寝室ないし愛の部屋
【27 寝室ないし愛の部屋】
オデュッセウスの部屋の隣に寝室と推定される部屋があり、そこに「愛の交歓」という寝室らしいモザイクがある。こうしたタイプのモザイクは珍しい。
28 小アジア・イスタンブールのモザイク博物館
【28 小アジア・イスタンブールのモザイク博物館】
現在のトルコ・イスタンブールは昔日のローマ帝国の首都コンスタンティノポリスであるから当然大宮殿があった。しかし、オスマンに落とされて、この宮殿の上にブルー・モスクが建てられてしまったと推定され、そのためかつての宮殿が発掘されていない。わずかにこの部分だけが発掘されてモザイクが発見されたところから「モザイク博物館」として公開されている。
29 モザイクの一例
【29 モザイクの一例】
モザイクは、当然作者の芸術感覚が反映されて図柄や意匠はさまざまとなる。ここではなにやら架空の動物などがいて興味深い、中央のバナナをとっているのも人間とは見えない。猿が果物をたたき落とそうとしているしか見えないのだが、どういう意図の図柄なのか。
30 写実的なモザイク
【30 写実的なモザイク】
もちろんローマで一般的であった「狩りの場面」と見られるものもあるが、ここのモザイクの特徴は非常に写実的なことである。とてもモザイクとは思えず「油絵」のように見える。「蛇を襲う鷲」の図柄など驚嘆してしまう。
31 カズィアンテップのモザイク博物館(世界遺産未指定)
【31 カズィアンテップのモザイク博物館(世界遺産未指定)】
シリアとの国教に近いトルコ東南部の町、ガズィアンテップの博物館。ここには近郊のベルクス・ゼウグマの遺跡がダムのせいで水没してしまうため、そこのモザイクが移されて展示されている。ローマ・モザイクの代表的な博物館の一つ。ここは、紀元前3世紀にセレウコス朝のニカトール一世によって建造された町だがローマ時代に繁栄。このモザイクの図柄は「アキレウスの場面」。
32 アンティオペを誘惑するサテュロス
【32 アンティオペを誘惑するサテュロス】
このゼウグマのモザイクの特徴として、先ず「絵画的」であることが挙げられる。同時に現存しているモザイクはギリシャ神話に題材をとっているものがほとんどというのも特徴と言えるかもしれない。これは「アンティオペを誘惑するサテュロス」であるが、このサテュロスは神ゼウスの変身した姿で、こうして子どもを孕むことになったアンティオペの波乱の人生が始まる。
33 テオノエーのモザイク
【33 テオノエーのモザイク】
絵画的なモザイクの代表的なもの。題材は「テオノエー」の物語であることは女性の頭の上のギリシャ語名で分かるが、どの場面なのか良く分からない。神話では、浚われたテオノエーを求めて父と姉妹が探索し、姉妹レウキッペーは男の司祭に変装してテオノエーに再会するので、ひょっとしたら右の白い服の、顔の部分が剥落してしまった人物がレウキッペーなのかも知れない。
34 オケアノスとテティス
【34 オケアノスとテティス】
写実的描写の一つで、大洋の神「オケアノス」と海の女神「テティス」。このモザイクの顔の写実性はまるで近代のそれのような感じがする。
35 ペルセウスとアンドロメダ
【35 ペルセウスとアンドロメダ】
この図もギリシャ神話で、ゴルゴンのメドゥサ退治のペルセウスが、海の怪獣に犠牲として捧げられそうになっていた乙女アンドロメダを助け出す場面。こんな具合に、モザイクを鑑賞する時にはギリシャ神話の知識が必要になることが多い。
36 アンタクヤのモザイク博物館(世界遺産未指定)
【36 アンタクヤのモザイク博物館(世界遺産未指定)】
ここはヘレニズム・セレウコス朝の首都アンティオケアだったのだが、現在は小さな地方都市。シリア国境に近い。ここに近郊から発掘されたローマ・モザイクを展示する博物館があり、「イスタンブール、ガズィアンテップ」とこの「アンタクヤ」が小アジアでの代表的なローマ・モザイク博物館となる。このモザイクは「ソーテーリア」。
37 四季を人格化したモザイク
【37 四季を人格化したモザイク】
前出の「ソーテーリア」はギリシャ語で「救済」を意味する。しかし、古代ギリシャで女神として神格化はされていない。とりあえず「救済」の人格化と言える。一方、このモザイクは、四隅の人物が「四季」をあらわしており、この二つは抽象的働きや自然を「人格化」している代表と言える。
38 メガロプシュキアのモザイク
【38 メガロプシュキアのモザイク】
「メガロプシュキア」と呼ばれているモザイクだが、この「メガロプシュキア」も「大きな心」という意味を持ち、抽象的観念の人格化となる。
39 オルペウスのモザイク
【39 オルペウスのモザイク】
自然や抽象の人格化だけではなく、ここのモザイクもギリシャ神話に題材をとったものも多く、この右下のモザイクは音楽の英雄「オルペウス」となる。
40 エコーとナルキッソス
【40 エコーとナルキッソス】
ギリシャ神話に題材を取っているものの代表。左が木霊となってしまう「エコー」で、真ん中に彼女が恋してしまった自己愛の起源となる「ナルキッソス」、そして右に「愛の神エロース」がいる。この図柄はまるで近代絵画を思わすが、それも道理で、近代西欧文化とは「ギリシャ文芸復興」だったのだから。
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