1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会バー
HOME
INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

11.

古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会

世界遺産オリンピアの遺跡。 オリンピア博物館。 オリンピック競技博物館。 世界遺産デルポイの競技場。 イストモスの競技場。 ネメアの競技場。 アテナイのパナシナイコ競技場。 現代オリンピック聖火


■古代ギリシャ四大競技場
ギリシャの四大競技場地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ本土のペロポネソス半島に四大競技場の「オリンピア」「ネメア」「イストモス」があり、中部ギリシャの南に「デルフィ」がある。
競技会が主要な要素として世界遺産指定されているのは、オリンピックの故郷「オリンピア」だけであろう。他にアポロンの神託所である「デルフォイ(デルフィ)」が世界遺産だが、ここに四大競技の一つの競技場もあった。他の二つは指定外。加えて、近代オリンピックの始まりとなったアテネの競技場と聖火も紹介。
言うまでもなく「近代スポーツの故郷」だからで、世界の民族は「武術」は生み出したが、いわゆる「スポーツ」を生むことはなく、それは古代ギリシャだけの現象であった。
オリンピックの記録は紀元前776年から。
古典期ギリシャ人。
 スポーツ競技は「オリンピック」だけではなくて古代ギリシャでは各地で行われており、ギリシャ人の生活と不可分の関係にあった。それはつまり「民主制」と不可分の関係を持ち、すべての市民が自由に平等に競うあうことができたからである。
 また、古代ギリシャの精神の一つとして「アゴーン、競い合い」というものがあり、スポーツだけではなく音楽でも演劇でも皆「競い合い」であった。古代ギリシャ人はここに人間の活動の原点をみていたようである。
 古代ギリシャ人は「葬送」において、「客人の歓待」において「スポーツ」で競い合って死者や客人を喜ばせていたことはホメロスにも明らかであるが、一方、スポーツは「神々への奉納」として行われたのであり、そのため四大競技会はすべて「神事」として「神域」で行われた。
 「オリンピック」はキリスト教の時代となって禁止されるローマ時代の紀元後393年まで続き、内乱・外国侵略などがあったにもかかわらず1200年近く一度も途絶えず開催された。「競技会」は「神ゼウスへの奉納行事」であったため、祭典中は「休戦」となった。オリンピックの祭典は四年ごとであったことはよく知られている。
 古代ギリシャ人の市民は、薄暮に起き出して仕事に取りかかって、そして午後はスポーツにいそしんだ。だから、そのスポーツのための競技場はどこの都市も持っていた。その最大の祭りが「四大競技会」で、さらにその最大のものがオリンピアでの「オリンピック」だった。スポーツはギリシャ人の命の一つだった。その四つの競技場と、付録にアテネの競技場を紹介する。スポーツの精神を、この写真を追いながら感じ取ってもらいたい。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 オリンピアにて
【01 オリンピアにて】
ペロポネソス半島の西北の内陸部にあったオリュンピアは「神ゼウスの神域」であった。ここで奉納された競技会が「オリンピック」というわけ。記録としては紀元前776年〜紀元後393年まで1000年以上一度も中断されることなく続いた。終わりはローマ皇帝テオドシウスによるキリスト教の国教化に伴う「異教の廃止令」による。
02 オリンピア全体模型
【02 オリンピア全体模型】
ここは「町」ではなく純粋に「神域」であり、オリンピックは神ゼウスに捧げる「神事」であった(だからキリスト教の国教化によって廃止されてしまった)。従ってここには基本的に「神殿」その他神域にかかわる建物以外は何もなかった。わずかに「工房」や「宿泊場(レオニダイオン)」などがつくられているが、それだけに限られている。
03 体育場
【03 体育場】
現在、遺跡入り口は北西にあり、そこを入ると「体育練習場(ギムナシオン)」が見えてくる。脇を流れるクラディオス河の流れが変わって西部を流失させてしまったため、現在はその東部分だけしか残っていない。本来は競技場と同じ広さを持っており、回りを列柱が囲っていた。現在、その東部の列柱の下部が観察できる。
04 闘技場と「はなずおう」の花
【04 闘技場と「はなずおう」の花】
体育練習場の南には「闘技場(パライストラ)」があり、春先だとユダの花(日本的には「花ずおう」)に覆われている。ここはレスリングやボクシングなど格闘技の練習場であった。列柱で中庭を囲い、回りに部屋を配するという構造となっている。
05 フィディアスの仕事場
【05 フィディアスの仕事場】
その南にフィディアス(古典発音だとフェイディアス)の工房があった。フィディアスは当時の最大の彫刻家で、世界の七驚嘆の一つに数えられる「オリンピアのゼウス像」の制作の他、アテネのアクロポリス再建の総指揮者であり、またアテネ像の制作者でもあった。工房の上に、後にキリスト教会が建てられてしまって、現在は教会廃墟となっている。
06 レオニダイオン(宿泊場)
【06 レオニダイオン(宿泊場)】
さらにその南に「レオニダイオン」と呼ばれる宿泊場がある。紀元前四世紀後半のものでVIP用の宿泊場であった。大きさは81×74メートルという大きなもの。ナクソス島のレオニダスの寄進なのでこの名前がある。
07 ゼウス神殿の柱
【07 ゼウス神殿の柱】
神域中央に大きな神殿跡があり、それが「ゼウス神殿」となる。現在その柱の一本が復元された。建造時期は紀元前470〜456年と推定され、これはアテネのパルテノン神殿(前447〜432年)に20年ほど先立っている。従って様式もことなり、こちらは「厳格様式」と呼ばれる。像の方は、逆にパルテノンが先でこちらのゼウスの方が後となる。
08 ゼウス神殿
【08 ゼウス神殿】
大きさは約28×64メートル、ドリス式の柱、配置は6×13という盛期(古典期)に典型的なもので、がっちりとして重々しい印象を与えるものであった筈。この内部にフィディアスの制作になるゼウス像が安置され、その素晴らしさは「世界の七驚嘆」の一つに数えられ、見る人々に感動を与えていたことが記録されている。
09 パイオニウスのニケー台座
【09 パイオニウスのニケー台座】
ゼウス神殿東正面に面して「パイオニオスのニケ像」が置かれており、その高い台座が残っている。台座の高さは9メートルとなり、二つの銘文が刻まれて、「メッセニアとナウパクトスの人々がスパルタを破った記念に、そこから得た金からこの像を捧げる」という意味と「メンデの人パイオニオスがこれを制作」という意味のものとなる。
10 パイオニウスのニケー
【10 パイオニウスのニケー】
紀元前420年頃の制作で、身体にまとわりついた服を透かして肉体があらわとなり、その身体表現において当時の代表的な傑作と評価されている。身長は2.16メートルほどとなる(なお、個人的意見としては、顔が削られてしまっている頭部は展示しない方がいいと思う)。オリンピア博物館に収蔵。
11 フィリッペイオン
【11 フィリッペイオン】
北のもう一つの神殿「ヘラ神殿」に向かう途中に、三本の柱が復元されている丸い建物遺構がある。「フィリッペイオン」と呼ばれるが、これはマケドニアの王フィリップスが前338年のカイロネイアの戦いでの勝利を記念して奉納したもの。しかしフィリップスはほどなく暗殺されてしまったため、完成は息子のアレクサンドロス大王によって為された。
12 ヘラ神殿
【12 ヘラ神殿】
紀元前600年頃の建造で、現存する神殿の最古のものとなる。柱の数と配置が6×16本となっており、全体が細長い造りとなっているが、これは初期時代(アルカイク期)の特徴となる。柱の形状が異なるのは、元来木造の柱であったものが、腐るなどの不都合に応じて石造りに変えられていったせいとされる。
13 ヘラ神殿の祭壇
【13 ヘラ神殿前のゼウスの祭壇】
ヘラ神殿の東正面の前にある祭壇であるが、この神域には70もの祭壇があり、さまざまに供物が捧げられていた。現在、近代オリンピックの聖火はここで点火されている。
14 ニュンフェイオン
【14 ニュンフェイオン】
「ヘラ神殿」を少し東に行った丘の麓に紀元後二世紀のローマ時代に建造されたもので、ニュンフェイオンとは要するに「泉、給水場」を意味する。この形式はローマの様式で、ここにはローマ皇帝や寄進者であるヘロディス・アッティコス(アテネのアクロポリスの音楽堂の寄進者でもある)の家族の像が置かれていたと言われる。
15 メトロオン
【15 メトロオン】
さらに東に「メトロオン」の土台遺構がある。メトロオンとは「母(メーテル)」から命名されたもので、多分ゼウスの母「レア」を祭った神殿。建造は4世紀初頭と推定され、大きさは約11×21メートルくらいのもの。ローマ時代になって「アウグストゥスの神殿」にされてしまった。
16 エコーのストア
【16 エコーのストア】
人が集まるところには「ストア(列柱廊)」があるのが普通だが、このストアは紀元前4世紀後半に着工されたのに完成は紀元前1世紀にまで引き延ばされていると推定され、どうしてなのか良く分からない。「エコーのストア」との命名はローマ時代になってからで、当初は「ストア・ポイキレ(絵画館)」となっていた筈。
17 ザネス
【17 ザネス】
メトロオンからエコーのストアに至る丘の裾に台座が並んでいるが、これは「ザネス(「神ゼウス」の方言である「ザン」の複数形)といい、ここにはオリンピックで不正を働いた者たちに科せられた罰金によって立てられた像(おそらくゼウス像と推定)が並べられ、それは記録されてしまうので不名誉が記録されてしまうことになった。
18 スタディアム入り口アーチ
【18 スタディアム入り口アーチ】
スタディオンへの入り口通路で、トンネル状になっていて長さ32メートルあった。現在トンネルの天蓋の部分はほとんど欠落して入り口のところだけとなっている。
19 スタディアム
【19 スタディアム】
スタディオンは合計五回改修されたと推定されていて、位置もずれていく。現在眼にするのは紀元前4世紀中頃の三回目の改修で移された位置のものとなる。はじめの頃のものは神域の中まで食い込んでいた。神域から東に出る形にされた理由としては、しばしば宗教的理由や意識などがいわれるが、むしろ観客の増大などの物理的理由と考えられる。
20 スタート板
【20 スタート板】
スタディアムに残る「スタート板」であるが、オリンピックの初期の頃は端から端までの短距離走(およそ200メートル走)であった。それが後に往復の中距離や長距離と増えていった。スタディアムの両端にスタート板(ないし「ゴール点、折り返し点標識」)が設置されている。勝者には「オリーブの葉の冠」が与えられた。
21 スタディアム全景
【21 スタディアム全景】
走路の距離は現在のメートルに直すと192.27メートルとなる。この長さは競技場によって少しずつ異なるが、一応伝承によるヘラクレスの足の長さの600倍ということになっている。このオリンピアのスタディアムの観覧席にベンチが設置されていない理由は不明。収容能力は4万以上あるとされる。
22 観覧席にて
【22 観覧席にて】
スタディアムに観覧席がない理由として「収容人数を増やすため」という説がある。しかし、座るとこういう格好になるわけだが、これで観客が多く座れることになるのか疑問。春に行くとこうして花畑の中に居られるのはとてもいい。実際の古代オリンピックは真夏に行われていた。選手は素っ裸であったことは有名。
23 クラディオス川
【23 クラディオス川】
オリンピア遺跡の東を流れているクラディオス河で、現在は大した河ではないが、古代は大きな河であったらしい。ここを船で往復する訪問者も多くあったという。
24 ゼウス神殿西破風
【24 ゼウス神殿西破風】
ゼウス神殿にあった彫刻群がかなりの保存度で発見され、これは彫刻史上での宝となった。掘り出された破風彫刻はその配列順序を復元して展覧しているが(ただし復元案については異論もある)、西破風は「ラピタイ族とケンタウロスの戦い」というテーマで、ギリシャ彫刻にしばしば題材がとられているもの。これはその代表的なもので傑作の誉れが高い。
25 西破風中央のアポロン像
【25 西破風中央のアポロン像】
西破風の中央部で、神アポロンが右手を差し出しているが、そこにケンタウロスがラピタイの王の結婚式で花嫁となるヒッポダメイア(ないしデイダメイア)に襲いかかっている。静と動のコンビネーションが見事に一つの緊張感の中に統一されている。このテーマがゼウス神殿の破風に採択されている理由は不明。
26 ゼウス神殿東破風
【26 ゼウス神殿東破風】
東破風のテーマはオリンピアにゆかりのもので、ペロポネソス半島に名前を残す英雄ペロプスの伝承をテーマとしている。このペロプスの墓前で「ヘラクレス」がゼウスの奉納競技を執り行ったのがオリンピックの発祥とされる。従って、ゼウスの神域の中にペロプスの墓域もあったのだが、現在はほとんどその痕跡を追えない。
27 東破風中央のゼウス像
【27 東破風中央のゼウス像】
ペロプスの伝承のハイライトである、ヒッポダメイア(西破風のヒッポダメイアとは別人)への求婚を巡って、その父オイノマオス王との戦車競争の挑戦の場面となる。中央に神ゼウスを配し、向かって右にペロプスとヒッポダメイアが並び、向かって左にオイノマウスと王妃ステロペが配されている。
28 ヘラクレス、アウゲウスの家畜舎掃除
【28 ヘラクレス、アウゲウスの
             家畜舎掃除】
ゼウス神殿の神室の前面と後面にそれぞれ6枚ずつ、オリンピックを創始したヘラクレスの12の功業のメトープがあった。これは「アウゲイアスの家畜舎の山となった糞掃除」の場面だが、右に立つ女神アテネの表情がとてもいい。
29 ヘラクレス、クレタの牡牛
【29 ヘラクレス、クレタの牡牛】
同じくヘラクレスの「クレタの牛退治」の場面だが、ヘラクレスと牛の動的な身体表現が素晴らしい。
30 ヘラクレス、ステュンパロスの鳥群
【30 ヘラクレス、ステュンパロスの鳥群】
同じくステュンパロスの怪鳥退治の場面で、左手の女性は物語からして女神アテネとしか考えられないのだが(ヘラクレスは、鳥を追い出すために女神アテネから巨大な音を出す特別な「ガラガラ」をもらう)、兜も盾も持っていない女神アテネは珍しい。
31 ヘルメスとディオニュソス
【31 ヘルメスとディオニュソス】
古代の著述家パウサニアスのオリンピアにかかわる記録の中に「プラクシテレス作の、赤ん坊のディオニュソスを抱くヘルメス像」があり、この像が発掘された時、まさにパウサニアスの記録通りの作品が発掘されたとして有名になった。プラクシテレスの真作となると美術的意味と価値は計り知れないからである。ただし最近では疑問も提出されている。
32 クーベルタンの碑
【32 クーベルタンの碑】
100数十年前、近代オリンピックを復活させたクーベルタンの碑であるが、最近ではクーベルタンの意図は粉砕され、オリンピックは「政治の道具」「金儲けの場」となってしまっている。この碑を見て、オリンピックの精神をもう一度考え直すべき時であろう。オリンピア博物館のさらに北の奥にひっそりとたたずんでいる。
33 幅跳びのおもり
【33 幅跳びのおもり】
オリンピアの町の中に小さなオリンピック競技博物館があり、オリンピックにまつわったものを展示している。これは古代での幅跳びの時に用いられたもので、両手に持って振り、反動をつけて跳んだものと推定される。なお、古代オリンピックにまつわるものは別途博物館を作るべきであるとして現在別に建設中。
34 オリンピック競技博物館
【34 オリンピック競技博物館】
オリンピック競技博物館にある「聖火」のトーチ。
35 コマネチの記事
【35 コマネチの記事】
体操のコマネチの記事であるが、懐かしい記事がいろいろとある。
36 デルフィのスタディアムにて
【36 デルフィのスタディアムにて】
デルフィの競技場であるが、古代ギリシャではオリンピア以外にさらに三つの全国大会の競技会を持っていた。その一つがデルフィのアポロンの神域で行われていた「ピュティア祭」での競技会となる。当初は8年毎の「音楽祭(アポロンは音楽の神)」であったのだが、前582年から4年ごとになり、スポーツ競技も加えられた。
37 デルフィのスタディアム
【37 デルフィのスタディアム】
神域からさらに山道を上ったところにスタディアムがある。ここには紀元前五世紀に競技場が建造され(それ以前は広場状になっていたらしい)、紀元後の二世紀にヘロディス・アッティコスが「観覧席」を寄進した(それ以前はオリンピアと同様「土手」状であった)。走路の長さは178メートルとなる。
38 スタート板
【38 スタート板】
ここにもオリンピアと同じようなスタート板とゴール板が設置されている。これが通常の様式であったらしい。スタート板には二本の溝が引かれて、走者毎に区分する棒がたてられていたようである。
39 スタートの位置
【39 スタートの位置】
スタートの仕方は写真のようなクラウチング・スタートではなく、立ち姿で腰をかがめ、スタート板に横に引かれた溝に足の指を掛けていたらしい。なお、勝者にはここでは「月桂冠」が与えられた(オリンピアでは「オリーブの冠」)。
40 デルフィの練習場
【40 デルフィの練習場】
デルフィの神域に入る手前に練習場が作られていた。紀元前4世紀に建造され、ここではスポーツ祭典の時の練習場としてだけではなく、さまざまの活動・行事のための空間として多目的施設として用いられていたようである。
41 イストモスのポセイドン神殿跡
【41 イストモスのポセイドン神殿跡】
コリントスの郊外に「海の神ポセイドンの神域」があり、そこでの「イストミア大祭」が三つ目の全国大会となる。発祥は、コリントス王シシュポスが、海に投身自殺した「イーノーとメリケルテース」のための葬送競技会として創始、ないしアテネの英雄テセウスがシニスを退治したときという神話伝説を語るが、歴史的に何時が発祥かははっきりしない。
42 イストモスのスタート板
【42 イストモスのスタート板】
ここのスタート板は変わっていて、写真のような柵が設置されていて、その横棒を支えるものは全て紐で結ばれて、それをスタート係が束ねて持っており、引っ張ると全ての横棒がはずれてスタートできるという仕掛けになっていた。
43 ネメアのスタディアムの地下道
【43 ネメアのスタディアムの地下道】
コリントスから少し入ったところにネメアというところがあり、ここにゼウスの神域があり「ネメア祭」が執り行われていた。ここが四つ目の全国大会となる。ヘラクレスの最初の功業である「ネメアの獅子退治」の際の伝承が発祥を語るが、歴史的には紀元前573年が始まりとされる。
44 ネメアの地下道出口
【44 ネメアの地下道出口】
ここにはオリンピアでは崩れてしまった「トンネル」が残存している。トンネルをくぐってスタディアムに入ると、一つの異空間への空間移送の働きを持ち、選手はこうして日常世界から「神事にかかわる選手」として精神的に高揚したものと考えられる。スポーツにおける「高揚作用」が力を出させることを古代ギリシャ人も経験的に知っていたと思われる。
45 ネメアのスタディアム
【45 ネメアのスタディアム】
このスタディアムは脇に水はけのための溝を持っている。グランド整備の観念があったことを物語っている。
46 スタート板
【46 スタート板】
スタートのところであるが半円形になっているのが他のスタディアムには見ない構造である。こうして各所のスタディアムを見ていくと少しずつ特徴を見いだしていくのが面白い。
47 アテネのパナシナイコ競技場
【47 アテネのパナシナイコ競技場】
アテネの競技場であるが、これは紀元前330頃に建造されて、紀元後140年頃ヘロディス・アッティコスが白亜の大理石で豪壮に改装。その後、長いあいだ埋もれていたものを、第一回近代オリンピックのために当時の富豪が私財をなげうって再建したものである。近代競技のためなので古代とは赴きが異なり、近代的なコース区分となっている。
48 観客席
【48 観客席】
これは全国大会のものではなくアテネ市民のためのスタディアムであった筈だが、オリンピア以上の規模を持ち(収容数5万)、外見はどこのスタディアムをも遙かに上回る豪華さをもっていたことが理解される。伝承では、このために有名なペンテリコンの石切場が枯渇してしまったと伝えられているほどである。当時のアテネの勢力が良く理解できる。
49 オリンピックの聖火
【49 オリンピックの聖火】
現代のオリンピックの「聖火」であるが、これはアテネ・オリンピックの時のものとなる。オリンピックの聖火は一度ここに運ばれて、ここから世界に飛んでいくことになるらしい。
▲ページのトップへ