1. 世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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1. 「マルタ島」の
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世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

7.

古代ギリシャ、「ミケーネ文明」

世界遺産登録は「ミケーネとティリンスの城塞」が組みとなって。ミケーネの城塞。 アトレウスやその他の墳墓。 ティリンスの城塞。 ピュロスの王宮。 イタカ島。 オルコメノスの墳墓。 アウリスの「アルテミス神殿跡」。 ミケーネ美術「黄金のマスク、壁画等」。


■英雄時代のミケーネ
ギリシャ・ミケーネ文明地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ本土、ペロポネソス半島
トロイ攻めの総大将アガメムノンの城「ミケーネ」と英雄ディオメデスの城「ティリンス」。付随的に、未指定の「ピュロス」「イタカ」「オルコメノス」などのミケーネ時代の遺跡、「アテネ考古学博物館収蔵の黄金細工や壁画」など紹介。
トロイと並び、西洋考古学、歴史、神話学の原点。最古の文学ホメロスの世界。
紀元前1600年から1200年頃まで。
ギリシャ・ミケーネ人
 トロイと同じくシュリーマンが明らかにした「ミケーネ文明」と呼ばれているギリシャ本土の文明。この時代のことを一般に「英雄時代」とか「青銅器時代」と呼ぶ。時代的に紀元前1600〜1200年代にかけてギリシャ本土を中心にエーゲ海、クレタ島、小アジアから南イタリアにまで展開していたギリシャ人による最初の文明。
 その社会の特質は通常「尚武」にあったとされ、そのシンボルとして「堅固な城塞」であるミケーネやティリンスの城やそこから発掘された刀剣類などが紹介される。しかし先行するクレタのミノア文明の影響も強く受けていると言え、それは工芸品やとりわけ壁画に観察され、華やかな文明社会であった一面も見せている。
 他方、ギリシャ神話に有名な、その目をみると石に化してしまうという妖怪ゴルゴンのメドゥーサ退治の英雄ペルセウスがティリンスの城主で、彼が枝城としてミケーネ城を建造したとされる。歴史的にだんだんミケーネに中心が移っていったようである。
 ミケーネ文明の遺構はギリシャ本土を越えて地中海全域に及んでいて、海洋・植民的性格を持っていたと推定される。
 ミケーネは、いわゆる「ミケーネ文明」の発見地であり中心地。その文明に迫るには、先ずやはりトロイ戦争伝説の前後の物語に浸るが良い。ここはトロイ攻めの総大将アガメムノンの城であり、その戦争のために父に犠牲にされてしまった少女イピゲニアの家であり、その娘の犠牲を悲しみ夫アガメムノンを惨殺したクリュタイメストラの夫殺しの現場であり、そして自分も我が子に殺されていった現場である。「イピゲニア」とつぶやきながら遺跡を歩くといい。そうすればここは「生きて」くる。そうするとここに生きていた女たちの生活が見えてくる。そうすると、この社会も彷彿としてくる。そうして始めて歴史学や考古学は意味を持ち、本や資料が意味を持ってくる。そのために、先ず写真でイメージをふくらまそう。城塞遺跡だけではなく、壁画や遺物がそのイメージづくりに役に立つ。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 ミケーネの城塞前にて

【01 ミケーネの城塞前にて】

ミケーネ文明はギリシャ本土初の高度な文明で、紀元前1600年頃から紀元前1200年頃まで存続。この文明の最後について、古くは「ドーリア人の侵入」が言われたが、現在では疑問視され、諸説が言われているがまだ定説はない。ミケーネとティリンスが組みになって世界遺産指定されている。
02 ミケーネの城塞の遠景
【02 ミケーネの城塞の遠景】
ミケーネの城塞の全体像であるが、ここを世に出したのもトロイを発掘したシュリーマンであり、シュリーマンは単なるおとぎ話とされていた「トロイ文明」と「ミケーネ文明」の二つまでも世に出したことになる。その後の考古学者たちにねたまれても仕方がないくらいの、考古・歴史学史上で傑出した人物となる。
03 ミケーネの城塞
【03 ミケーネの城塞】
ミケーネの城塞は、今は荒涼たる荒野の中にぽつんとたたずんでいる。しかし一説では、ミケーネ文明の興隆期にはここはうっそうとした豊かな森であり、それを食い尽くしてこの文明は滅んでいったという研究もある。少なくとも水と森に豊かでないと人間は暮らしていけないわけで、現在見るこんな状況ではなかったことは確実である。
04 ミケーネ城の獅子門へのアプローチ
【04 ミケーネ城の獅子門へのアプローチ】
ミケーネの城塞の出入り口となり、通称「獅子門」と言われる。この門は「はさみ壁」で左右を挟まれ、攻め手が左右の壁の上から攻撃される仕組みになっている。この仕組みはトロイの城塞にも観察される。また石組みは、表部分には切石を綺麗に積み上げ、初期の自然石を積み上げる方式より発展している。こうした城塞のありかたから、ミケーネ文明は「尚武の文明」とされる。
05 獅子門
【05 獅子門】
獅子門と呼ばれるのは、入り口上部の浮き彫りが二頭の獅子であることによる。注目されるのはその二頭の獅子が向かい合っている中央にある柱で、これは上部が広い「クレタ式の柱」であり、ここに先行文化であるクレタ・ミノア文明の影響が明白に見て取れる。ミケーネ人は紀元前1400年代にクレタに進出し、ミノア人と並存しやがて乗っ取った形になったと推測されている。
06 円形墳墓
【06 円形墳墓】
いわゆる「円形墳墓」と呼ばれているもので、二つ発掘されているが、これは城壁内にある「円形墳墓A」と呼ばれているもの。シュリーマンは、ここから多くの黄金細工などを発掘し、ホメロスにある「黄金に富むミケーネ」を実証した。発掘の鍬が入ったのは1876年。
07 円形墳墓
【07 円形墳墓】
「円形墳墓」は古いタイプの墳墓となる。全体が二重の石板によって囲まれ、直径が24メートルほど。中に六個の竪穴墓があり、遺体が19体。男性の遺体8体、女性のものが9体あり、子どもが2体あった。その副葬品の豪華なことから王族の墓とされる。
08 王宮への道
【08 王宮への道】
王宮は城塞内の高台の上に建造されていた。この城塞は東西に長く作られ、中央に王宮がある。獅子門や円形墳墓は西のはずれに位置している。城塞内部の見学は東に向かって行く形となる。
09 王宮の入り口
【09 王宮の入り口】
王宮の入り口となる。入り口は王宮の西に作られている。王宮と聞くとクレタ・ミノア文明のそれのような大規模な宮殿を想像してしまうが、ミケーネの王宮はそれほどでもない。もちろん城塞は大きなものだが、その城塞の中に大きな部屋と小さな部屋を組み合わせた王宮と想定される建物が置かれた。
10 王宮内部
【10 王宮内部】
王宮内部の全体を見ている。中央は中庭とも大広間とも紹介されるが、床面が漆喰で覆われていたことが現在も観察でき、昔日には華麗な装飾が施されていた筈である。その先が主要な部屋であるメガロンとなる。
11 王宮内部
【11 王宮内部】
メガロンは主室であり、大きな炉を中央にもち、四本の柱を周囲に持っていた。その炉の跡や柱の土台部分が残っている。メガロンには細長い前室が付いており、そこからメガロンに入る扉を止めていた跡となる二つの穴も見える。
12 王宮内部の小部屋(風呂場?)
【12 王宮内部の小部屋(風呂場?)】
この王宮は北面に小さな部屋を残しているが、これが何であったのかは不明。一説では「風呂場」とされ、城主アガメムノンがその妻に復讐されて殺害された現場であるなどと言われるが、これは伝説に釣られた話。ただし、本当に風呂場であった可能性もある。この北面には他にも複数の部屋があったと推定されるが、現在は破壊され痕跡がたどれない。
13 内部から見た裏横の門
【13 内部から見た裏横の門】
王宮からさらに奥へ進む場合、北の城壁に沿っていくと北門に出会う。この北門は左手の城壁がさらに先まで伸びており、正面に回り込まないと外からは見えない工夫となっている。
14 外部から見た裏横の門
【14 外部から見た裏横の門】
北門を外に回って正面に見ている。通常ここは閉鎖されているのだが、時々壊れていて外から入り込むことができる時もある。
15 城塞の最奥にある門
【15 城塞の最奥にある門】
さらに最深部まで行くと(東端になる)、裏山へと抜ける「隠し門」がある。敵が来るという場合、東は険しい山なので地形的に西からしか来れず、そのためこの出入り口は敵に気付かれない。ここから山に逃れていくか、あるいはここからこっそり出撃して迂回して敵の背後をつくことも可能であったろう。
16 表の井戸と地下井戸への入り口
【16 表の井戸と地下井戸への入り口】
この東の最深部には「貯水井戸」もあった。手前の丸い囲みが貯水槽で、奥に三角に見えるところが地下水槽への入り口となる。城塞に水は不可欠であり、こうした設備は必須であった。
17 地下井戸への入り口
【17 地下井戸への入り口】
地下水槽であるが、入り口の石組みは、石を通路の上部になるほど送りこんで三角形の形にしており、これを「持ち送り式」と呼んでいる。階段は城塞の地下に潜り込むように90段くらい続いている。水は外部の泉から、焼いた導管をつなぎ合わせて水路を造ってここに引いていた。
18 地下井戸への階段
【18 地下井戸への階段】
地下水槽への階段は「くの字」に折れ曲がって下に続いていく。貯水層といっても特別に地下に水槽を作ってあるわけではなく、最深部がそのまま貯水槽となり、広さは人間が5〜6人入ったら一杯となる程度である。ただし階段部分も貯水部分となるように固められているので深さはいくらでも取れ、水としては相当の量が入る。
19 表の井戸
【19 表の井戸】
外部に設置されていた水槽は、雨水などをためて日常的に使用していたと考えられる。現在は使用していないので泥水となっている。ただしこれも春先までで、夏には枯れている。
【20 蜂の巣型墳墓(アトレウスの墳墓)】
ミケーネの墳墓は先に見た「円形墳墓」の他に、もうひとつ「蜂の巣型トロス」と呼ばれる独特の形式のものがある。蜂の巣型のものの方が新しい様式となる。これは、小高い丘を切り込み、土を取り去った空間を石で綺麗にドームのような「蜂の巣の形」に固め、そのドームへと導く導入路を作って、最終的に土をかぶせて隠した。
21 アトレウスの墳墓
【21 アトレウスの墳墓】
蜂の巣型のトロスはドームを持った円形の部屋を主体にそれへの導入路という形態となっているわけだが、写真はその導入路から本体の円形のドームの部屋への入り口となる。
22 クリュタイメストラの墳墓
【22 クリュタイメストラの墳墓】
蜂の巣型の墳墓はこのミケーネに九つも発見され、さらに当時のギリシャ世界のあちこちに発見されている。その分布のあり方は我が国の前方後円墳のそれに似ている。つまり一つの王族のためのものではなく、各地の豪族達の墳墓と考えられる。写真はミケーネの九つの墳墓一つで、ミケーネ王アガメムノンに復讐の刃を下した妻クリュタイメストラの墳墓と呼ばれている。
23 アイギストスの墳墓
【23 アイギストスの墳墓】
同じく、クリュタイムストラの墳墓の近くにあるもので、クリュタイメストラの愛人アイギストスの名前が付けられている。これは古代ギリシャの著作家パウサニアスによっての命名である。
24 庶民の墳墓
【24 庶民の墳墓】
この、丘を切り込んで内部を墓場とするやり方は、ごく単純で粗末なものもこのミケーネで発見されている。石などで固められてはおらず、粗末なものなので「庶民の墓」と考えられている。
25 ティリンスの復元模型
【25 ティリンスの復元模型】
ミケーネ文明を代表するもう一つの遺構「ティリンスの城塞」の復元模型。ミケーネから南方に下がったところにある。これは、ゴルゴンのメドゥサ退治の神話で有名な「ペルセウスの城」であり、そのペルセウスが後にミケーネとミデアに枝城を作ったとされている。従って初期の英雄時代(青銅器時代)はこちらが中心で、やがてミケーネに中心が移っていったと考えられる。
26 ティリンスの城塞
【26 ティリンスの城塞】
城塞の壁であるが、ここの城壁は古代ギリシャの著作家パウサニアスがピラミッドに比肩すると讃えただけのことはあり、壁の厚さは7〜10メートル、全長1500メートル、高さ7〜10メートル内外という巨大なもので、自然石を積み上げたキュクロープス式の代表的なもの。
27 ティリンスの城門へのアプローチ
【27 ティリンスの城門へのアプローチ】
敵がこの城を攻める場合、この両側を壁で挟まれた通路を通らなければ内部に入れない。この通路は長く、また壁の両側から攻撃を受けることになり、さらに場内に入るにはこの通路の奥にしつらえられている頑丈な城門を打ち破らなければならない。当時にあって難攻不落の設備をもっていたと言える。
28 持ち送り式の廊下
【28 持ち送り式の廊下】
場内の廊下で、石を上に行くほど中央に送りこんでいく「持ち送り」式の作り方となる。東と南に残っているが、東は長さ30メートルで六つの部屋に導く。部屋の使用目的は、倉庫であったか、あるいは城に詰めている兵士のための兵舎であったかといったところ。
29 ティリンスの城内
【29 ティリンスの城内】
ティリンスの城塞の南部分でこちらに王宮など主要建物が固まっている。土台しか残っていないが部屋の配置などは良く理解できる。中庭ないし大広間を経てメガロンに入る構造はミケーネと変わらない。
30 ピュロスの王宮
【30 ティリンス城の間道出入り口】
城壁にしつらえられている「間道」で、80段ほどの長い階段に導かれて王宮から外に抜けられるようになっている。仮に敵がこの穴に気付いて上ってきても、たちまち内部の兵士によって攻撃にさらされるような形になっており、また階段を登り切れても一種の落とし穴が作られているなど防御の構えは十分になされている。
31 ピュロスの王宮
【31 ピュロスの王宮】
同時代のピュロスの王宮であるが、ここは世界遺産指定されていない。ホメロスに登場する「ネストルの居城」となる。場所はペロポネソス半島の南西部の奥で、土地そのものが難攻不落の場所にある。そのためか、この城は城塞を持っていない。考古学的にはここから線文字粘土板が大量に発見されたことが重要。
32 ピュロスの王宮の炉
【32 ピュロスの王宮の炉】
ピュロスも基本的にミケーネやティリンスと同様「メガロン」を中心とした王宮施設となっていて、写真はそのメガロンの「炉」となる。当時の青い文様が残っているのが観察される。
33 ピュロスの風呂桶
【33 ピュロスの風呂桶】
ここからは「風呂桶」が発見されている。ピュロスの王宮については、ホメロスの『オデュッセイア』の中で、父を求めて旅するオデュッセウスの息子テレマコスがここを訪れ、ネストルに歓待されて「風呂」に入る場面がでてくる。そのためこれを通称「テレマコスの風呂桶」と呼んでいる。
34 ピュロスの王宮の階段
【34 ピュロスの王宮の階段】
ピュロスの王宮は最低でも二階建てであったことがこの階段遺構から理解できる。
35 イタカ島にて
【35 イタカ島にて】
イタカ島は、ホメロスのミケーネ時代に題材をとった二つの叙事詩『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの故郷として有名である。場所はギリシャ本土の西の海上に点在する島々の一つで比較的小さな島である。
36 イタカ島の様子
【36 イタカ島の様子】
『オデュッセイア』はトロイ戦争の英雄オデュッセウスの10年にわたる「海洋冒険」物語であるが、女神の島での不老不死を投げ捨ててまで故郷を目指した男の物語として、人間の実際の故郷だけでなく精神的な意味でも「故郷願望・故郷帰還」のモデルとされてさまざまの文学・映画などの題材とされてきた。
37 イタカ・ニンフの洞窟
【37 イタカ・ニンフの洞窟】
イタカ島の海岸に近い山間にある洞窟で、オデュッセウスが帰還したとき携えてきた財宝を隠しておいたところという「ふれこみ」になっているところ。実際のホメロスの物語にはそうした描写はない。遺構がほとんど発見されていないオデュッセウスを忍ぶ「よすが」としているところと考えておけば良い。
38 オルコメノスにて
【38 オルコメノスにて】
ギリシャ本土、デルフィに近い西側にあるオルコメノスもホメロスに登場し、その富の豊かであったことがその描写によって知られる。そのためシュリーマンはここにも発掘の鍬を入れており、蜂の巣型トロスを発見したが、このトロスはミケーネのアトレウスの墳墓と比肩する規模を持っており、勢力の盛んであったことが理解される。
39 エピダウロス・ミケーネの橋
【39 エピダウロス・ミケーネの橋】
ティリンスからさらに南に下がり、エピダウロスに向かう途中にミケーネ時代の橋の遺構が幾つかある。持ち送り式の石組みで作られている。
40 アウリス・アルテミス神殿にて
【40 アウリス・アルテミス神殿にて】
アテネから北東に向かい、エウボイア島を正面にみる海岸線に、アウリスのアルテミスの神域がある。アウリスは、トロイに向かうギリシャ軍が集結したところであり、ここで女神アルテミスに不敬を働いたアガメムノンが娘イピゲニアを犠牲に捧げてしまい、妻クリュタイメストラに復讐されるというミケーネ城の悲劇へと連なった。
41 アガメムノンのマスク
【41 アガメムノンのマスク】
ミケーネの円形墳墓から発見されたものの代表的なもの。これを発見したとき。その風貌からシュリーマンは「アガメムノンのもの」と考えたが、これは紀元前1500年代のものと推定され、アガメムノンの時代である前1200年よりさらに300年ほど遡ることが判明している。しかし、通称として「アガメムノンのマスク」という言い方はそのままとなっている。
42 黄金のマスク群
【42 黄金のマスク群】
黄金マスクは「アガメムノンのマスク」だけではなく、王と推定される男性像の遺体に被せられていて五面存在している。円形墳墓Bからは金と銀の合金のマスクが一つ発見されている。マスクは二種類の顔立ちが認められ、一つはアガメムノンにように眼を閉じて鋭い顔つきのものと、ここに見られる目を開けた丸顔のものとある。
43 ネストールのカップ
【43 ネストールのカップ】
「黄金製のコップ」で、ホメロスの描写にある「ネストルの持つコップ」に酷似していることから「ネストルのコップ」と呼ばれる。
44 黄金製のカップ群
【44 黄金製のカップ群】
その他のコップ群で、埋葬の際、日常的に使用していたものが副葬品とされたのかも知れない。
45 黄金細工
【45 黄金細工】
黄金の装飾品である。こんなものが大量に出土したわけで、ホメロスに言われる「黄金に富むミケーネ」は文字通り本当であったことが実証されたと言える。
46 象眼の剣
【46 象眼の剣】
矢張り副葬品として発見された銅の剣であるが、それに施された象眼が見事である。こうした副葬品を見ると、その美術に対する洗練された感性に賛嘆せざるを得ない。
47 壁画・ミケーネの女性
【47 壁画・ミケーネの女性】
ミケーネ文明を代表する壁画の一つであるが、これを見ると「ミケーネ文明は尚武の文明」という断定はひどく一面的な見方だと言える。この美しい女性の衣装の華麗であることは素晴らしく。こんな女性が闊歩していた王宮はさぞかし華やかなものであったろう。頭部のカールは何を表しているのだろうか。
48 女性像
【48 女性像】
同じく女性像であるが、この女性の顔立ちの穏やかなことは、一般に言われる「ミケーネ文明は野蛮な戦士たちの集団」という断定に疑いを持たせる。
49 女性像(巫女?)
【49 女性像(巫女?)】
ティリンス出度のものであるが、ミケーネの壁画の代表と言われて有名なもの。愛らしい少女の出で立ちは「巫女か」と想像されている。
50 壺絵・ミケーネの戦士
【50 壺絵・ミケーネの戦士】
ミケーネの戦士を描いた壺であり、当時の戦士の姿が良く理解できる。左手に盾を持ち、右手に槍を携えている。かぶっている兜は、ホメロスに出てくるイノシシのキバを束ねて作ったものと推定される。
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