1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
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18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

5.

小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」

世界遺産ハットゥシャシュの遺跡。 ヤズルカヤの聖域。 アナトリア博物館。 アスランテペの遺跡。


■鉄器と戦車戦術のヒッタイト
ヒッタイト帝国地図-小 拡大地図を見る>>
小アジア、現在のトルコ領域の内陸部
古代ヒッタイト帝国の首都「ハットゥシャッシュ」と聖域「ヤズルカヤ」。付随的に、世界遺産とはなっていない「アスランテペ」、アンカラの「アナトリア博物館収蔵の遺物」など。
小アジアの古代文明。鉄器と戦車戦術、エジプトとの「カデシュの戦い」「世界初の国際条約」など古代史に重要。
ヒッタイト古王国は紀元前1700年から1200年頃まで。その後、「新ヒッタイトとして細々と継続。
インド・ヨーロッパ語族。
 現在のトルコの首都「アンカラ」から東におよそ250キロメートルほど行った所に、現代のトルコ名で地名を「ボアズカレ」ないし「ボアズキョイ」というところに、古代ヒッタイト王国の都「ハットウシャシュ」の遺跡がある。
 そのヒッタイト民族の歴史は紀元前2000年くらい北方バルカン半島から入ってきたと思われる「インド・ヨーロッパ語族」に属する民族がその当時この地方にいたハッティという現住民族と融和して、やがて統一国家を造っていった。この民族のことを「ヒッタイト」と呼んでいる。
 全盛時その勢力は当時の大帝国であったエジプトと張り合うくらいのものがあり、紀元前1285年頃に「カデシュの戦い」が生じた。戦いはほとんど引き分けで、そこで両者は条約を結んで和睦し、それが史上初めての国際条約であったとされる。
 このヒッタイトは紀元前1200年頃、通常「海の民」と呼ばれる民族によって滅ぼされたとされるが疑問も多い。
 文化的に興味深いのは「ハットゥシャシュ」から北東に二キロほど行った所にある「聖域」ないし「霊場」で、「ヤズルカヤ」というが、これは「碑文のある岩場」という意味で、岩肌に神々の浮き彫りがあり、当時の神信仰のありかたが伺える。
 ハットゥシャッシュの遺跡は広大である。そこに土台石だけとなっている家屋群の遺構が広々と並んでいる。一見ここは「瓦礫の空間」でしかない。しかし、ここに生きていた人々は何を思い、何を喜び、何を悲しんだのか、と思ってみよう。イメージをふくらまそう。そうした時に、土台だけの「巨大な神殿」や「神々の浮き彫り」の意味もその姿をおぼろだけれど現してくる。とりあえず「瓦礫の空間」を順路に従って写真で見てもらう。ここに意味を見ていくのは諸君たちなのだ。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 ライオン門にて
【01 ライオン門にて】
現在のトルコ地方の内陸、北部から南部にかけて大きく広がる領域を支配した。発祥は紀元前2000年頃と考えられるが、興隆は紀元前1700〜1200頃でギリシャのミケーネ文明と同時期となる。「鉄器」の使用、「戦車戦術」、エジプトとの「カデシュの戦い」と「史上初の国際条約」の当事者などで知られる。その都「ハットゥシャッシュ」が世界遺産指定されている。
02 城壁復元
【02 城壁復元】
トルコの首都アンカラから東におよそ250キロほどのボアズカレというところに「ハットゥシャシュの遺跡」が広がる。この文明は、戦車戦術で有名なように「尚武の社会」であったようで、その都の城塞も堅固・壮大なものであった。その城壁の一部が復元されている。
03 全体遠景の一部
【03 全体遠景の一部】
遺跡の広大さをみているが、ここは狭い谷に挟まれた地であり防御に適した土地であった。そのため現在ここは「ボアズカレ(狭い谷)」と呼ばれたり「ボアズキョイ(渓谷の村)」とか呼ばれている。
04 全体遠景の一部
【04 全体遠景の一部】
遠くまで見通せる防御に適した土地であったにもかかわらず紀元前1200年頃、何らかの事情で滅亡する。その原因として、通説は「海の民の来襲」としている。しかしこの「海の民」は正体も不明で、滅亡させた後自分たちの領地として君臨しているわけでもなく、納得しがたいところがたくさんある。
05 大城塞
【05 大城塞】
広大な都の中に作られていた大城塞であり、ギリシャ風に言えば「アクロポリス」と言える都市の中心地で文字通り「城塞」となっていた。ここから多くの粘土板文書が発掘されてヒッタイト文明の様相が分かってきた。これほどの城塞を誇る文明は、当時にあってエジプトやギリシャのミケーネと匹敵する。
06 城壁の土台
【06 城壁の土台】
堅牢であった城壁のおそらく見張り台の部分になるのであろうか。この「尚武の文明」は西方にあったトロイ文明と同時期で、両者は隣り合っていたわけであるが、その関係は良く分かっていない。普通なら、ヒッタイトとエジプトのようにライバルとして衝突していそうだが、そうもなっていなかったようである。
07 ライオン門
【07 ライオン門】
城壁は当然外部との出入り口を持つが(六つほど同定)、エジプトやメソポタミア地方に向いた南の三つが重要な門と見なされる。そのうちの一つが「ライオン門」と呼ばれ、ライオンの浮き彫り彫刻が残存している。
08 スフィンクス門の外側
【08 スフィンクス門の外側】
もう一つが「スフィンクス門」となる。ここのスフィンクスはベルリンとイスタンブールに持って行かれていて現地では眼にできない。ここには全長70メートル強のトンネルがしつらえられており、そのトンネルの突端にこの門が設置される構造になっている。
09 スフィンクス門からの外部景色
【09 スフィンクス門からの外部景色】
見られるように、この方面の斜面が比較的緩く、敵の侵入が容易であるためより強固な門にしたものと推測される。
10 スフィンクス門のトンネル通路
【10 スフィンクス門のトンネル通路】
スフィンクス門に付設されているトンネルを城塞内部から見ている。敵が門を破ったとしてもこのトンネルを通ってこなければならず、内部で待ちかまえている戦士と戦うのは不利となるような造りといえる。
11 王の門、内側
【11 王の門、内側】
さらにもう一つ重要な門が南東を向いた「王の門」となる。その内側には一人の戦士のレリーフがあり、当初は王の彫像かと考えられて「王の門」と呼ばれたのだが、現在ではそうではなく「戦士」であったとされる。ここに置かれているのはレプリカで本物はアンカラのアナトリア博物館にある。
12 王の門のレリーフ本物
【12 王の門のレリーフ本物】
アナトリア博物館に置かれている戦士のレリーフの本物。
13 王の門、外側
【13 王の門、外側】
王の門を外側から見ているが、造りは「ライオン門」と同じ構造である。この外側の門にはライオン門のような彫刻が見あたらない。その代わり内側に「戦士」の像があったわけで、この違いはどういう意味があるのか不明。
14 ドーム型遺構
【14 ドーム型遺構】
このハットゥシャシュ遺跡の中でもっとも良い保存状態を示している。ドーム型の建造物だが、どういう目的で使われていたのか不明。内部にはヒエログリフで戦勝記念の文が書かれている。
15 遺跡全景一部
【15 遺跡全景一部】
ここから再び遺跡全体を見ようとしているのだがカメラに収まりきれない。
16 ニシャンテペの碑文
【16 ニシャンテペの碑文】
この大きな岩の表面にシュピルリウマシュ王の偉業を讃えた文が刻まれていたのだが、現在ではほとんど判読不能になっている。保存について何らかの手を打つ必要を感じるのだがどうしたら良いか?
17 大神殿、神域の入り口
【17 大神殿、神域の入り口】
古代世界はどこでも「神」との関わりにおいて社会が形成されているので、かならず祭儀場やあるいは神殿などが存在する。ここではその神殿の入り口の門に、ほとんど原型を留めていないが、ライオンと思われるレリーフが施されているのが観察できる。
18 大神殿
【18 大神殿】
その神はどこでも「豊穣」を司るものとして「自然的なパワー」を神格化したものや「戦争の神」などが基本となる。このヒッタイト文明の神体系も同様。
19 大神殿
【19 大神殿】
160×130メートルくらいある大きな神殿であるが、土台だけしか残っていないのでその大きさは分かっても細部まで判読し難い。この土台の上に日干し煉瓦を積んで建造したと推定。中庭を囲むように40位の部屋が作られ、東西の大きな部屋に主神である「天神テシェプ」とその妻「太陽女神ヘパトゥ」が祭られていたと推定される。
20 ヤズルカヤ、小回廊にて
【20 ヤズルカヤ、小回廊にて】
ハットゥシャッシュの遺跡から北東に2キロくらい行ったところに「霊場」がある。ヤズルカヤというが文字通りには「碑文のある岩場」となる。トゥトゥハリア二世ないし四世の霊場として建造されたと考えられているが、神々のレリーフが重要となる。
21 ヤズルカヤ回廊入り口
【21 ヤズルカヤ回廊入り口】
この霊場は、適当に並んだ岩をくりぬき削りして作った二つの空間をホール状にして、それぞれの岩壁に神々のレリーフを彫り込み、その岸壁の作るホールに入る手前に神殿を造るという構造になっている。神殿は土台のみ。写真はその岸壁ホールに入る入り口のところ。
22 大回廊全体
【22 大回廊全体】
岸壁の作るホールは二つあるが、そのうち大きなものを日本では「大回廊」と呼んでいる。ここではそのホールを全体的にみているが、岸壁に彫り込まれたレリーフも観察できる。
23 大回廊、12神
【23 大回廊、12神】
大回廊の「神々の行進」で、ここでは左手の12守護神の行進から、とんがり帽子をかぶった姿の男性神のレリーフを見ている。右手に対面するこちら側の岩にはスカートをはいた女性神の行進が掘られている。両者は奥で対面する形となる。全体で63神になると数えられる。
24 大回廊、神々の行進
【24 大回廊、神々の行進】
大回廊の神々のレリーフは摩滅が激しく、ほとんど原型が判別できないものが多い。このレリーフの中央は「天を支える二対の牛の神」なのだが、ほとんど判別できない。発見当時記録された模写図で判別できる程度となっている。この「牛」というのは古代世界で「聖獣」とされることが多かったのはクレタ島のミノア文明がそうであった。
25 大回廊、神々の行進中央
【25 大回廊、神々の行進中央】
大回廊の奥で男性神と女神が行き会った場面で、もっとも重要な場面となる。左手の男性神は主神である「天神テシェプ」でギリシャの主神ゼウスと同様「雨・嵐」を司るとされる。右手のスカートをはいた女神はその妻「ヘパトゥ」で太陽を表すとされる。ヘパトゥの背後に「双頭の鷲」が観察されるのは興味深い。これはアラジァヒュイックの遺跡にもある。
26 大回廊、二人の女神
【26 大回廊、二人の女神】
中央に二人の女神が観察されるが「戦の女神ニナッタとクリッタ」となる。その右手は完全に摩滅して何もないが、ここにはメソポタミアの重要女神「イシュタル」と同定される女神がいたことが発掘当時の模写図で判明している。女神イシュタルの重要性からして、この摩滅は何としても取り返しのつかない痛恨のものとなる。
27 大回廊、トゥトゥハリア四世
【27 大回廊、トゥトゥハリア四世】
大回廊の入り口近くの右手にあるこのレリーフはトゥトゥハリア四世のもので、丸い帽子をかぶり左手には曲がった杖を持ち、二つの山を踏まえている。
28 小回廊全体
【28 小回廊全体】
二つのホールの、もう一つの岸壁で作られたホールを見ているがここを「小回廊」と呼んでいる。見ての通りホールが狭いからであるが、こちらの方がレリーフの保存状態は良い。こちらの保存状態の良さを見るにつけ、大回廊での破壊に疑義が生じてくる。人為的破壊があったのだろうか。
29 小回廊、シャルルマ神とトゥトゥハリア
【29 小回廊、シャルルマ神とトゥトゥハリア】
小回廊のシャルルマ神に抱かれたトゥトゥハリア四世のレリーフであるが、シャルルマ神というのは天神テシェプとその妻太陽女神ヘパトゥの子とされ、図表現では母であるヘパトゥに従っていることが大回廊の図から分かる。
30 小回廊、12神
【30 小回廊、12神】
小回廊入り口右手の岩に掘られた「12守護神の行進」となる。ほとんど発掘当時の状態を保持しているが、実際これを見るにつけ大回廊の破壊振りに納得いかない。12守護神はとんがり帽子をかぶり、半月状の武器を担いでいる。
31 小回廊、剣の神
【31 小回廊、剣の神】
小回廊の、内容のはっきりしないレリーフであるが、男性神の頭部の下に左右を向いてライオンの上体が彫られ、その下にさらに二頭ないし二つの物体があり、その下に剣の柄と見えるものが彫り込まれている。全体として「神像」の姿となっていることから「剣の神」などとも言われている。
32 ヒッタイト戦士のレリーフ
【32 ヒッタイト戦士のレリーフ】
アンカラのアナトリア博物館に収蔵のレリーフでヒッタイトの戦車が描かれている。ヒッタイトの戦車戦術は、御者と弓兵と槍兵の三者が組みになっていたとされるが、ここでは御者と弓兵しか描かれていない。
33 ヒッタイト戦士のレリーフ
【33 ヒッタイト戦士のレリーフ】
ヒッタイトの戦士の姿を描いている。古代文明の様相は、文献もさることながら、こうしたレリーフなどで究明されることが非常に多い。
34 アスランテペの獅子
【34 アスランテペの獅子】
ヒッタイトの遺跡は、古代ヒッタイトの滅亡の後に南方に逃れた人々によって「新ヒッタイト」として再建された当時の遺跡が南部に散在しているが、これはマラテア近郊にあるアスランテペの遺跡から発掘されたライオン像となる。
35 アスランテペの遺跡
【35 アスランテペの遺跡】
アスランテペの遺跡を見ている。発掘中であるため昔日の町の様子は分からないが、発掘現場を見ることに意味がある。
36 アスランテペの遺跡
【36 アスランテペの遺跡】
同じくアスランテペの発掘現場となる。発掘された主要なものはアンカラのアナトリア博物館に持って行かれている。
37 アスランテペの遺跡
【37 アスランテペの遺跡】
アスランテペの発掘の現状で、普段はこうして覆いを掛けてある。
38 ヒッタイトの壺
【38 ヒッタイトの壺】
ヒッタイトの壺であるが、ここに描かれた絵によって当時の風俗などが究明されている。遺物というのはそれ自体としての価値の他に、古代文化を解く糸口になってくるという意味も多々ある。
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