1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 10. 古代ギリシャの世界遺産群 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会バー
HOME
INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

10.

古代ギリシャの世界遺産群

デルポイ(デルフィ)の遺跡。 デルフィ博物館。 エピダウロスの劇場。 エピダウロスの遺跡。 エピダウロスの医療器具。 バッサイのアポロン神殿。 サモスのヘラ神域。 サモスの古代のトンネル。 サモス「残存する最大のクーロス像」。


■古代ギリシャの世界遺産・・・「デルポイ、エピダウロス、バッサイ、サモス」
ギリシャの世界遺産地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ本土、ペロポネソス半島、エーゲ海。
「デルポイ」「エピダウロス」「バッサイ」「サモス」。
デルポイは、古代世界の「神託所」の中でももっとも重要な神託所。エピダウロスは組織的な病院の源で医学の発展の基盤。またエピダウロスには古代劇場のもっとも保存状態の良いものが残存。「バッサイ」は独特の神殿形式。サモスはイオニア式神殿をはじめトンネルなど古代建造技術の優れを見せている。
古代ギリシャの最盛期となる紀元前7世紀から4世紀まで。
古代ギリシャ人。
 ギリシャの世界遺産は2008年現在、登録数が17で場所的には20箇所。そのうち古代ギリシャ関係は、このホームページで別個紹介している「ミケーネとティリンス」「アテネのアクロポリス」「オリンピア」「デロス」「ヴェルギナ」と、ここで紹介する四つを加えて九つとなる。
 人間の文化は合理性と非合理性を併せ持つものとして形成されるのが普通である。古代ギリシャでも、非合理の代表としての「神託」抜きに重要な政治・外交・戦争・植民などを決して行わなかった。他方で、合理と非合理の融合としての芸術や美術に卓抜した独特の様式であるリアリズム様式を生み出して現代芸術の源となった。加えて合理の面では、哲学はじめ諸学問の発祥という形となり、ここには人文・社会系学問だけではなく数学や生物・物理・医学などの自然科学もあって、それが近代学問・科学の基盤となった。
 「デルポイ」は神アポロンの聖地であり、古代ギリシャ人は人生の大事、国家の大事の際には必ずここの神託を乞い、それ抜きには行動を起こさなかった。
 エピダウロスは「医神アスクレピオスの聖地」で、それは同時に医学研究・医療施設を意味していた。さらにここには古代劇場の中でももっとも優れたものと言われる劇場が残存し、その美しさと音響効果の秀抜さは特筆されている。
 バッサイには、遙かな山奥になぜか大きなアポロン神殿が建立されており、その立地の意味もさることながら、その神殿形式のあり方の独特さが注目されている。
 サモス島は現在のトルコに隣接している島であるが、この地方は「イオニア」と呼ばれて独特の建築様式を生み出した。ここにはそのほかに古代ギリシャの歴史の父といわれるヘロドトスを驚嘆させたトンネルなどの建造物があった。
 古代ギリシャの世界遺産は「現代文化・学問・芸術等の源」であり、現代文化の性格を知るためにはここに立ち返らなければならない。そうした意味で最重要の文化と言える。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 デルポイ、アポロンの聖地にて
【01 デルポイ、アポロンの聖地にて】
30年ほど前、デルポイを始めて訪れた時の若い頃の写真。ここは中部ギリシャの南に位置するパルナッソス山の南斜面でありコリントス湾を望む。パルナッソス山は神アポロンだけではなく、神ディオニュソスはじめさまざまの神が関係する聖山であった。ギリシャ民族の渡来以前から原住民族の聖地であったらしく、紀元前1600年頃のギリシャ人の到来以来も聖地とされた。
02 花と「輝きの岩」
【02 花と「輝きの岩」】
背景としているのは、ギリシャ語で文字通りには「輝き岩」となり、春に来るとこのように花に埋もれて美しい。しかしこの「輝き岩」は、罪人をここから突き落としたと伝えられる絶壁で、伝承によると寓話作家アイソポス(英語読みで、あの「イソップ」のこと)がここで誤解されて罪人として突き落とされて死んだとされる場所である。
03 「アテネ・プロナイア」から見るアポロンの聖域】
【03 「アテネ・プロナイア」から見るアポロンの聖域】
このデルポイの「アポロンの聖域」に入る前に「女神アテネの聖域」がある。「前神域」といった意味となる「プロナイア」と呼ばれる。女神アテネは「守護神」であるから、この聖なる山そのものを守護する意味があったのだろうか。そこからアポロンの聖域を遠望している。中央に見える数本の柱がアポロン神殿である。崖を背景とした険しい斜面の立地に注目して欲しい。
04 アポロンの聖域の入り口前のストア
【04 アポロンの聖域の入り口前のストア】
アポロンの聖域の入り口であるが、手前の柱はローマ時代に付加された入り口前のストア(列柱廊)であり、後方にアポロン神殿の柱が見える。ここにアポロンの聖域が形成されるには、アポロンが太古の神霊「大蛇のピュトン」を射殺してここを自分の聖地とする神話をはじめさまざまの伝承があり、それらはこの聖域の形成史を背景に持っていると考えられる。
05 シュビラの岩
【05 シュビラの岩】
ここは太古の昔の「原初の神託の岩」とされ、ここに巫女(シュビラ)が座って神託を授けていたとされる。この一帯が「大蛇ピュトン」が守っていた聖域とされ、そのためか、ここを乗っ取って聖地としたギリシャ人は、ここに自分たちの「もっとも原初の宇宙創生の神ガイア」の聖域を作っていた。ただし、後に後方にあるアポロン神殿の壁の工事の際に破壊されている。
06 アテナイ人の宝庫
【06 アテナイ人の宝庫】
「シュビラの岩」の手前に、復元された「アテナイ人の宝庫」がある。ギリシャの主要諸都市は何事につけてここに神託を伺いに来たりお礼参りしていて、その都度貢ぎ物をもってきていたのでそれらの品々を収蔵する宝庫を持っていた。これはそのうちの一つで「古代アテナイ」の宝庫となる。また、ここの壁には古代ギリシャの楽譜が刻まれていたのも重要遺物となった(現在博物館に収蔵)。
07 聖域の主要部
【07 聖域の主要部】
左から「アテナイ人の宝庫」「シュビラの岩」右が「アテナイ人のストア」となる。その右にアポロン神殿がくる。「アテナイ人のストア」はそのアポロン神殿の石壁を背面としていて、30メートルほどの短いものだが、前480年のサラミスの海戦の勝利を記念してその戦利品を展示した。石壁には現在でもくっきりと碑文が刻まれているのが観察される。碑文はこんな具合に刻まれるのが普通。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□。
08 アポロン神殿
【08 アポロン神殿】
伝承によると、今日に残るアポロン神殿は「石造り」のものとしては三代目となる。伝説はそれ以前のものとして「月桂樹」「蜜蝋と羽」「青銅」での三代の建造を伝える。石造りの最初は紀元前600年代とされるが前548年に焼失、再建は小アジアのリュディア王クロイソスの寄金によるとの伝承がある。クロイソスとデルポイとの関係は歴史家ヘロドトスによって詳しく伝えられている。
09 アポロンの神託所
【09 アポロンの神託所】
伝承では、神託は地下の奥室(アドュトン)で下されたとされるが、発掘で地下室は発見されなかった。また巫女が鼎に座ってそれを吸ったとされる霊気を吹き出す「大地の割れ目」もなかった。地震で埋もれたか、あるいは浅い半地下式の部屋の炉で薬草がたかれたのか。神託は、神かがりとなった巫女の言葉を神官が書き留めたとされる。ただし、空豆による籤のようなものもあった。
10 聖域の全体俯瞰
【10 聖域の全体俯瞰】
劇場の上から全体を見ている。立地のあり方を確認。他方、劇場だが、これは古代ギリシャも終焉に近い紀元前160年頃完成のもの。アポロンの祭典たる音楽祭(ピュティア祭)はそれよりはるか数百年以前からのものであり、従って、建造以降はいざ知らず、伝統的にはここが音楽祭の舞台ではなかったといえる。たぶん、上方にある競技場が舞台だったのだろう。
11 競技場
【11 競技場】
この聖域の祭りである「プュティア祭」は「音楽の神」アポロンの祭りとして、本来「音楽祭」が主体であった。しかし、紀元前582年からスポーツ競技も加えられるようになった。その競技場が聖域の最上部にある。このスタディアムの建造は紀元前400年代であり、従って、それ以前は広場状になっていた空間で音楽・スポーツの祭典が行われていたと推定される。
12 道のカスタリアの泉
【12 道のカスタリアの泉】
アポロンの聖域から東に700メートルほど行くと(というか、本来の道筋としてはこちらが最初になるのだが)、岸壁沿いの、くの字に曲がった道沿いに「カスタリアの泉」と呼ばれる石組みの浅いプールがある。アポロンの聖域を訪ねる者が先ずここで身を清めた。ギリシャ期以前から「聖なる泉」として存在していたものを整備したもの。岸壁の奥から水が流れてきていた。
13 岩のカストリア
【13 岩のカストリア】
今の「道のカストリアの泉」は岸壁の裂け目のところにあるのだが、その裂け目を入っていくと(現在は立ち入り禁止)、後代のローマ期の泉の跡がある。たぶん本来の「道のカストリアの泉」に効率良く水を供給するために作られたのだろう。他方、巫女も泉で身を清めたのだが、その場所は不明。「道のカストリア」で早朝人の居ない時だったか?
14 アテネ・プロナイアにて
【14 アテネ・プロナイアにて】
カストリアの泉からさらに東に行くと、「前神域」となるアテネの聖域がある。「アテネ・プロナイア」という。ここからミケーネ時代の女神像と同定される像が発掘されており、ここも古い時代からの聖地であったことが確証されている。ここは地震や土砂崩れの被害に遭いやすいところで崩壊が激しいが、独特の霊気を持った場所の一つである。
15 アテネ・プロナイアのトロス
【15 アテネ・プロナイアのトロス】
ここでひときわ目立つのが三本の柱が復元されている「円形の建物」で、こうした円形の建物を「トロス」と呼ぶ。他にエピダウロスやオリンピアなどにみられるが、いずれも本来の使用目的は不明。アテナイのアゴラにあるトロスだけは公務執行の中心会場で名誉の会食が行われていたことが判明しているので、このトロスも似た機能をもっていたとも考えられる。
16 「アテネ・プロナイア」の全体
【16 「アテネ・プロナイア」の全体】
アテネ・プロナイアは100×30メートル位の広さを持つ神域で、トロスの向こう側に「アテネの新神殿」があり、トロスのこちら側に奥から「マッシリア人の宝庫」「奉納ポリス不明のドリス式の宝庫」と並び、一番手前が「アテネ古神殿」となる。
17 アテネ古神殿の柱
【17 アテネ古神殿の柱】
アテネ神殿は、紀元前600年代中頃という早い時期に建造されており、紀元前500年頃に再建されている。通常ギリシャ神殿は東西に軸を置くのが普通なのだが、この神殿は南北軸となっている。地震によって崩壊し、トロスの向こう側に場所を変えて作られたのが新神殿。その古神殿の柱が数本残っているが、ここは一人でいると、霊気と古代への誘因力が非常に強い。
18 デルフィ博物館「オンパロス(へそ石)」
【18 デルフィ博物館「オンパロス(へそ石)」】
アポロン神殿には世界の中心を表す「へそ石」が置かれたが、古代からそのレプリカが神殿脇に置かれていたとされ、そのヘレニズム期のものが発掘された。このへそ石は、ゼウスが誕生した時に父クロノスに飲み込まれるところを身代わりになった石とされ、さらにゼウスは世界の端から二羽の鷲を飛ばして行き会ったところを世界の中心としてその「へそ石」を置いたが、それがここであった。
19 アポロンの像
【19 アポロンの像】
この像はどういうわけかあまり紹介されないのだが、おそらくはこの聖地の主アポロンの像であると推察でき、それだけで紹介されるに足ると言える。顔は象牙で、髪の毛(ないし被り物)は黄金である。そのほかの部分も黄金製であったと推察される。アポロンの聖地に来て、アポロンにお目見えしないのは残念であろうから紹介しておいた。
20 アポロンと使い鳥のカラス
【20 アポロンと使い鳥のカラス】
皿絵のアポロン。この図柄はコロニスの神話にある。アポロンがコロニスという少女と恋仲になったが、コロニスは人間の青年に心を移した、という使い鳥のカラスの言葉にアポロンはコロニスを殺してしまう(ちなみに、その時救い出されたアポロンの子どもが、後に医術の神となるアスクレピオス)。しかし、アポロンはそんな報告をしたカラスを呪って真っ黒にしてしまったという。
21 シフノス人の宝庫、「アポロンとヘラクレスの争い
【21 シフノス人の宝庫、「アポロンとヘラクレスの争い」】
ここの博物館には重要な美術作品が多いが、これはシフノス人の宝庫に付随していた東破風(屋根の三角部分)の彫刻で紀元前530年頃のもの。図柄は、ヘラクレスがデルポイで聖なる鼎を奪おうとして神アポロンと争うことになった次第を描いたもの。このシフノス人の宝庫は「巨人族と神々の戦争ギガントマキア」「トロイ戦争と神々の会談」など重要な浮き彫り彫刻も残している。
22 デルポイ近郊の道
【22 デルポイ近郊の道】
この三叉路は、一方はデルポイに、一方はテバイに、一方はコリントスの方面となる。つまり、伝説に名高いオイディプスがコリントスからここに来て、テバイからデルポイに向かう老人と出会い、道の譲り合いから争いになって老人を殺してしまい、そしてそのままテバイ方面に向かっていったという「オイディプス伝説」の舞台を思い起こさせる場所である。その老人こそ実の父なのであった。
23 エピダウロスでの悲劇の上演
【23 エピダウロスでの悲劇の上演】
ペロポネソス半島に入り、海辺を一路南へと下ると程なくエピダウロスに到着する。このエピダウロスは「医神アスクレピオスの聖域」として有名であった。ここに、その美しさで古代から有名であった「ギリシャ劇場」があった。それは四年に一度のアスクレピオスの祭典のためのものであった。それを我々は、夏の毎週末に行われるフェスティバルで追体験できる。
24 エピダウロスの劇場
【24 エピダウロスの劇場】
古代ギリシャ劇場というのは、丘の麓を扇状にならして斜面を観客席にし、麓を丸く円にした形と思えば良い。この劇場は残存しているギリシャ劇場の中でももっとも保存状態がよく、紀元前300年代のものを前100年代に改修したものが現在目にするものである。収容観客数は12000以上と言われる。古代の作家パウサニアスは「もっとも美しい劇場」として特筆している。
25 上から見た劇場
【25 上から見た劇場】
観客席の下の丸い円をオルケストラといい、歌舞団(「コロス」といい、現在のコーラスの語源)が歌い踊った。当然「楽隊」もおり、それが今日の「オーケストラ」の語源。観客席のことは「セアトロン」といい、これが「シアター」の語源。オルケストラの真ん中に円形に石台が埋め込まれているが(人が立っているところ)、現存の喜劇から推察するに神像が置かれたらしい。
26 現代の演劇の上演
【26 現代の演劇の上演】
現代の演劇の源はここにある。つまり「リアリズム演劇」であり、それを古代の台本のままに(ただし現代ギリシャ語に翻訳されている)見ることができる。もちろん上演としては古代にはなかった照明もあり、役者のあり方も異なっていて、現代劇風にアレンジされていることもあるが、しかしそれでも、ここに古代ギリシャ演劇は生きていることを実感できる。
27 アスクレピオスの聖域
【27 アスクレピオスの聖域】
医神アスクレピオスの聖域は、現在の遺跡入り口に近い劇場の北西に広がる。というより、古代では劇場はこの聖域のもっとも奥まったところにあったのであり、今ではもっとも遠くの北西の突端が昔の入り口なのであった。ここの遺物はほとんど土台だけしか残っておらず、建物として同定するのが難しい。しかし、春行くと「ムスカリの群生」に出会い、これはすばらしい。
28 アスクレピオスの神殿のアバトン
【28 アスクレピオスの神殿のアバトン】
昔は何とも同定しがたい遺跡であったが、近年復元作業が進められている。これはアスクレピオス神殿の北側に敷設されていた、病人が寝て夢の中で神に啓示をもらうという、もっとも大切な建物であり列柱廊の形をしていた。その建物をアバトンといった。「夢占い」の効果は、近代の心理学のフロイトを思えば理解できるであろう。古代ギリシャの哲学はすでにそうした考察を行っていた。
29 アバトンのさらなる復元状況
【29 アバトンのさらなる復元状況】
同じ箇所を数年後に再び写真にとっている。復元の様子がさらに進んでいるのが理解できるであろう。復元にはいろいろと難しい問題もあるのだが、少なくとも土台ではイメージできない古代の様子が理解できるようになるという利点があり、そうした意味のものとして見ていくと良い。
30 トロス
【30 トロス】
エピダウロスにもデルポイと同様に「円形の建物、トロス」があった。この建物の目的は不明。内側は迷路状に三重の同心円となっていて、小アジアのペルガモンのアスクレピオス神域に現存するトンネルに推定される「胎内回帰効果」「再生効果」がここでも期待されていたか、儀礼・儀式的な建物だったか、聖なる蛇の飼育場であったか、さまざまに推定されている。
31 復元作業中のトロス
【31 復元作業中のトロス】
そのトロスも復元されている。始めてこれを目にしたときの感激や、「何なのか」という疑問や好奇心の誘因においては薄くなってしまってはいるが、その復元作業を通してこのトロスの本来の姿や目的が研究されることになり、復元作業というのは研究促進にとっても重要な契機となるので、そうしたプラス思考でみてみよう。
32 スタディアム
【32 スタディアム】
このエピダウロスにもスタディアムがあった。四年ごとに行われたアスクレピオス大祭の際に行われた競技のためのものである。南北の両方の斜面に石造りの観客席が作られていたことが見える。スタートラインのところに走路を分ける柱が観察されるのが興味深い。ここの走路の長さは181メートルであった。
33 博物館のアスクレピオス像
【33 博物館のアスクレピオス像】
アスクレピオス信仰の中心地がなぜこのエピダウロスなのかは判然とはしない。神話としてはアポロンがコロニスに孕ませたアスクレピオスはここで取り上げられて育てられたという。アスクレピオスの像は「蛇」を持つのが定番で、蛇は「再生」のシンボル(脱皮から)であった。
34 博物館の古代の手術道具
【34 博物館の古代の手術道具】
エピダウロスは、要するに現代風に言えば「医療施設」であった。ここの医療としては「夢占い」が有名なのだが、実はさまざまの医療がほどこされ、薬での治療ばかりではなく手術まで行われていたのである。碑文などでの記録は「奇跡」ないし「おとぎ話」めいた話で伝わるのでその非科学性が疑われるのだが、実際は相当に科学的な治療が行われていたことがこうした遺品などから明らかとなっている。
35 医療のための皿や薬壺など
【35 医療のための皿や薬壺など】
手術道具だけではなく、はかりや皿や壺なども観察される。はかりは薬をはかるためのもの、皿は薬をつぶしたり調合したりしたもの、壺は薬を入れた壺と推察される。ちなみにギリシャの医学は「環境医学」を重視していたことが医学の祖ヒポクラテスの著作から判明しており、「水と空気と大地の清らかさ」が求められた。このエピダウロスはそうした条件にかなった地であったと推察される。
36 バッサイのアポロン神殿
【36 バッサイのアポロン神殿】
ペロポネソス半島の中央の西寄りの山の中にアンドリツェナという昔は素朴な良い村があった(今は観光客の増加のためかひどい村だ)。そこから10数キロほど山中を行ったところに、突如として大きな神殿が現れて人を驚かした。それが「アポロン・エピクリオス」と呼ばれる神殿であった。山の麓のフィガリアの町を疫病から救ったということでアポロンがここにまつられたのであった。
37 現在のアポロン神殿
【37 現在のアポロン神殿】
この神殿は1765年にフランス人によって発見されて以来、西欧人による略奪の歴史となって、現在大英博物館に収蔵されている20枚ほどのフリーズ以外は、奪い合いの中でほとんど破壊・消滅してしまっている。おまけに神殿自体も崩壊の危機になってしまい、こうして今はテントをかぶせられて守られる始末になっている。
38 アポロン神殿の内陣
【38 アポロン神殿の内陣】
アポロン神殿の内陣の壁はよく残っていることがわかる。この神殿が世界遺産指定されていることの理由の一つとしてこの神殿のユニークさがあり、ギリシャ神殿史の上で重要だからである。この神殿は通例と異なり南北軸を持ち、この写真では見えないが、神像に朝日の光りを当てる細工と推定される東壁の開き口を持ち、内陣中央の柱はコリント式でこれが最初のコリント式柱とされる。
39 アポロン神殿の外柱
【39 アポロン神殿の外柱】
この神殿は、アテナイのパルテノンの設計者イクティノスの設計とされるのだが、その造りはまるで異なる。前面6本の柱に側面15本とは古い時代のアルカイク期のものを思わせ、どうもデルポイのアポロン神殿の縮尺版にしたらしい。専門的議論は別として、一般には「何でこんなところにこんな神殿を? 工事も大変だし、参拝にも不便ではないか」などと考えながら見るといい。
40 サモス島の「ヘラの聖域」
【40 サモス島の「ヘラの聖域」】
エーゲ海を東に、現在のトルコに近い島々の一つにサモス島がある。この島の「ヘラの聖域」と「ピュタゴリオン」とが組になって世界遺産指定されている。「ヘラの聖域」には、もっとも初期の神殿となるイオニア式の神殿「ヘラ神殿」があり、また現在、数学者ピュタゴラスにちなんで命名された「ピュタゴリオン」は古代サモスの中心であった。写真は「ヘラの聖域」の古代の参道となる。
41 「ヘラの聖域」の参道
【41 「ヘラの聖域」の参道】
現在の遺跡の入り口は向こう側の端にあるが、古代の参詣者はこの道から来た。ここの歴史は古く、紀元前750年頃には神殿の原初形態が建造されたとされ、それはギリシャ神殿建築の最古期に属するものとなる。そして紀元前6世紀頃から神殿建築が盛んとなり、ロイコスによる神殿が崩壊した後に、紀元前540年頃時の支配者ポリュクラトスによる建造が始められたという。
42 「ヘラ神殿」
【42 「ヘラ神殿」】
ポリュクラテスによる神殿の建造は巨大なもので、基礎部分で全長112.2×55.16メートルとなり、柱も東正面が8本の柱が三列、裏の西面は9本の柱が三列、側面は24本の柱が二列で、合計123本となったとされる。このサモス島で開発されたイオニア式の神殿の特徴はこうした「豪華・華麗さ」にあった。
43 「ヘラ神殿の柱」
【43 「ヘラ神殿の柱」】
現在、そのヘラ神殿の柱の一本の半分が復元されている。本来の高さは20メートルあった。イオニア式の神殿の柱は、ギリシャ本土で発展したドリス式とは異なり、柱の中央から下部がふくらむようになる「エンタシス」を持っておらず、細身で美しい。ただし、これだけ巨大な神殿になるとその柱はかなり太くなる。
44 「ピュタゴリオン」の港
【44 「ピュタゴリオン」の港】
現在サモス島の中心は、船の着く現在のサモス(ヴァティ)となるが、古代はこのピュタゴリオン(古代サモス)が中心であった。数学者ピュタゴラスの聖地ということで現在は「ピュタゴリオン」と呼ばれる。ここの突堤が歴史の父ヘロドトスによって「三大驚嘆建造物」とされた。もう一つはいうまでもなく巨大な「ヘラ神殿」となる。
45 エウパリノスのトンネル入り口
【45 エウパリノスのトンネル入り口】
もう一つの「驚嘆建造物」がこのトンネルで、紀元前524年から15年かけて作られた。世界最古の本格的なトンネルであり、トンネルの両端から掘り始めて山の下でつながるように計画され見事に寸分の狂いもなくつながった。その建造技術には驚嘆の他はない。その入り口であるが狭く、太った人では入るのに困難である。
46 トンネル内部
【46 トンネル内部】
このトンネルは全長が1356メートルあり、水を引くのが主な目的であったが、人が行き来するようにも作られた。入り口は狭いが内部はこのように広い。写真の右の金網がかぶせられている部分が水路で、明かりのあるところが歩行路である。
47 サモスのクーロス
【47 サモスのクーロス】
このサモス島が誇るものにはもう一つあって、それがこのクーロス(男性像)となる。これはおよそ5メートルとなり、現存している完全態の像の中ではもっとも大きい。ギリシャ彫刻の初期の時代、何故こうした巨像が作られたのかは不明であるが、いずれにせよその「クーロス像」の代表的なものとなる。
▲ページのトップへ