1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 21. ギリシャのビザンティン世界遺産群 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

21.

ギリシャのビザンティン世界遺産群

「オシオス・ルーカス修道院」。「ダフニ修道院」。ヒオス島「ネア・モニの修道院」。パトモス島「黙示録の洞窟とヨハネ教会」。「テッサロニケの教会群」」


■ギリシャ・ビザンティンの世界遺産
ギリシャ・ビザンティンの世界遺産地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ本土、ヒオス島、パトモス島。
「オシオス・ルーカス修道院、ダフニ修道院、ネア・モニ修道院、以上三つ組」「パトモス島のヨハネ教会」「テッサロニケの教会群」。
ビザンティン文化の代表。
紀元後1000年代。中期ビザンティン。
ビザンティン・ギリシャ人。
 ギリシャの「オシオス・ルーカス」「ダフニ」「ネア・モニ」の三つの修道院は、場所は遠く離れているが、同じように「中期(1000年代)ビザンティンの教会堂とモザイク」を残し、その時代の精神を示すものとして「三つ組」として「ユネスコ世界遺産」に指定されている。
 「オシオス・ルーカス修道院」はアテネ方面からデルフィに向かい、デルフィ近くで道を脇にそれて山道を走り、やがて何もない山間の開けた場所に、広い谷に向かってポツリとこの修道院だけがある。冬になると雪に閉ざされ行き交うこともできない僻地で、「神の降りたもう地」などとも言われるように「霊地」の雰囲気を持った場所。
 「ダフニ修道院」は逆にアテネ郊外にあり、脇をコリントスに向かう幹線道路が通り、バスの便もあり誰でも何時でも容易に行くことができる(ただし現在は閉鎖中)。
 「ネア・モニ修道院」はヒオス島の奥まった山間にあり、空港ないし港からタクシーか何かを飛ばしていくしかない。町からは十数キロ離れた山間の開けたところにある。
 「パトモス島」が有名なのは、ここに島流しにされた聖ヨハネが幽閉された洞窟内で天啓を受け、現在『聖書』の最期のページを飾る「ヨハネ黙示録」をここで書いたからである。そのヨハネが天啓を受けた洞窟遺構とその記念のヨハネ教会とが「ユネスコ世界遺産」に指定されている。
 もう一つ「テッサロニケの教会群」を見る。現在ギリシャ第二の都市として北方の中心都市となっているが、ビザンティンの時代にも首都コンスタンティノポリスに次ぐ第二の都市として繁栄していた歴史的に由緒ある都市。現在この都市に残るビザンティンの教会群が「世界遺産」に指定されている。
 ビザンティン文化・美術がもっとも華やかだったのが紀元後1000年代頃と言えるかも知れない。その当時の遺構を教会モザイクとして残しているのが紹介したはじめの三つ組の修道院となる。その見事なモザイクが最大の見所。加えてパトモス島は「黙示録の島」として知られる。その著者ヨハネを忍ぶ島となる。テッサロニケは初・中期ビザンティンの第二の都市として数々の教会を持つ。都市の教会群のあり方を探るのが見所となる。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 オシオス・ルーカス修道院遠景
【01 オシオス・ルーカス修道院遠景】
この修道院の由来は、修道院の名前が示すように、紀元953年に昇天した聖ルーカスがこの地に建造したものとなる。しかし、ここは後で見る「ダフニ」などと同様1200年代にフランク族の襲来を受けて占拠され、カトリックの「シトー会」の修道院にされてしまう。フランク族が撤退して後修復され現在に至り、ここは「聖ルーカス」を慕う巡礼者の訪れる地となっている。
02 オシオス・ルーカス修道院外観
【02 オシオス・ルーカス修道院外観】
この修道院の外観だが、山地から広い谷間にゆっくり降りてくるように道を来ると、左手に教会のドームとひときわ目立って塔が見えて来る。その背後から正面に開けている空間と調和してまるで異次元にきたかのような雰囲気がする。修道院は谷間への斜面に作られているため駐車場から左手に教会を見ながら右手にゆっくり道を降りて迂回するように教会の前庭へと導かれていく。
03 オシオス・ルーカス修道院中庭
【03 オシオス・ルーカス修道院中庭】
教会は壁に囲まれているが、山間のことなのでかなりゆがんだ格好になっている。前庭から教会の方に向かった正面に見える建物は修道院の食堂であった(現在はパンフなどの売り場となっている)。左には塔がやはり目に付く。食堂の脇が入り口になっており、入った左手から正面に長く「くの字」に伸びている建物が修道士の独居房。
04 オシオス・ルーカスの修道士
【04 オシオス・ルーカスの修道士】
ここは多くのギリシャ正教徒が訪れる場所となっているが、現役の修道院であり修道院を守る司祭がいる。時折見かけることができるが、その時にはあたかも中世にタイムスリップしたような雰囲気がする。
05 オシオス・ルーカス修道院の構造
【05 オシオス・ルーカス修道院の構造】
ここは二つの聖堂が合体して造られており、入り口から入ってすぐの大きい聖堂が主聖堂で聖オシオス・ルーカスに捧げられた教会。「カトリコン」あるいは「聖ルーカス教会」と呼ばれている。奥の小さめのものは「聖母」のための教会で、ギリシャ語的には「テオトコス」となるが、これはシトー会に占拠されていた時代のもののようで、通常の呼び名は「ノートルダム教会」となる。
06 オシオス・ルーカス教会
【06 オシオス・ルーカス教会】
主聖堂となるオシオス・ルーカスに捧げられた教会。建造は後900〜1000年代とされ、内部のモザイクは1000年代のもの。一方、奥の「ノートルダム教会」だが、これは何のために付設されたのかというと「聖ルーカス教会」の方が「巡礼教会」として一般的な教会とされているのに対し、こちらは「修道院教会」として「修道院の礼拝所」といった役割のようである。
07 オスオス教会から裏手に
【07 オスオス教会から裏手に】
「ノートルダム教会」だが、元来は「聖ルーカスの礼拝所」であったようである。それがどうも現在の名前が示すようにフランク族のシトー会が改造した教会だと考えられる。裏手に回ってみるとそのノートルダム教会の特徴が分かる。
08 オシオス教会の裏手
【08 オシオス教会の裏手】
ノートルダム教会の構造がルーカス教会とは相当に異なっているのはさまざまのところに観察されるが、素人目にも分かるのが「ドーム」のあり方、また「後陣」のあり方で、向かって左手のルーカス教会はここだけが一つぽっこり外にはみ出しているのに対し、右の「ノートルダム教会」の方は後陣の両脇に「小後陣」が作られて、外から見ると三つの出っ張り壁面のようになっている。
09 修道院からの風景
【09 修道院からの風景】
先にも示したようにこの地は周りに何もない。ここはもともと山間の崖の上である。ギリシャ正教の修道院にはこうしたタイプのものが非常に多く、人の訪れるに困難な山間僻地や崖の上など「一般人の来れない」場所が選ばれている。ここも冬となると雪に閉ざされることがしばしばである。
10 修道院からの遠景
【10 修道院からの遠景】
この方面には「人の雰囲気」がまるでない。ただの荒野であり、イエスの「荒野での修行」を彷彿させる。おそらくルーカスはそうした雰囲気を求めてこの地に来て修道院を作ったのかと思われる。正教の修道士の求めるところがどこにあったのかが良く伺える場所と言える。
11 修道院に咲く野の花
【11 修道院に咲く野の花】
聖書にはしばしば「野の花」が出てくる。修道士は春になってこれらの花を見てはイエスの教えを胸に思い出す一方、神の造りたもうた世の美しさを感じ取ったことであろう。
12 オシオス・ルー会教会玄関廊(ナルテックス)
【12 オシオス・ルー会教会玄関廊(ナルテックス)】
紀元1000年代に遡る中期ビザンティンの聖画が観察される最大の場所は玄関廊(ナルテックス)になる。玄関廊を入った正面の本堂への入り口の上に「キリスト」の威厳に満ちた姿に出会う。ビザンティンのイコン(聖画)は一定の様式があるのだが、イコン(聖画)は美術作品ではなく「神の国の鏡」、「神の国への通路」という意味があり、従って、個人的・勝手な解釈は許されない。
13 玄関廊のマリア
【13 玄関廊のマリア】
そのイエスのモザイクの上に視線をやると「生神女マリア(一般の言い方では聖母マリア)」のモザイクが見られる。正教でのマリアの位置づけと我々が良く知る西欧カトリックでの位置づけは少々ことなっている。カトリックではマリアはほとんど「神格化」されて信仰の対象ともなっているといえるが、正教ではあくまでも「神の子イエスを生んだ女性」という位置づけで理解される。
14 マリアとヨハネと天使たち
【14 マリアとヨハネと天使たち】
その「マリア」の周りをアップしてみると、対となるように「洗礼者ヨハネ」がおり、両脇に天使ガブリエルとミカエルとがいる。役割としてマリアとヨハネはイエスの脇を固めるような位置づけとなっていて、特別な位置が与えられている。ガブリエルとミカエルは新約聖書で重要な働きをする天使となっていて、しばしば教会堂の門の両脇に描かれている。
15 十字架のキリスト
【15 十字架のキリスト】
正教の教会堂の内部は、イエスやマリアの事績、使徒たち、聖人たちが描かれている。事績の中で有名なものがとりわけ目につく。このモザイクはイエスの十字架刑を描き、脇にはマリアと使徒ヨハネとが描かれている。
16 復活
【16 復活】
「復活」と聞くと「イエスの三日目の復活」を思い出しそれで終わりになってしまうのが普通だが、正教ではそれももちろんあるが、むしろ「人類のイエスによる救済と復活」といった観念が強い。この図柄はイエスが地獄の底から人類の祖アダムを引っ張り上げている図柄で、アダムに伴って人類が復活・救済されることとなる。
17 洗足
【17 洗足】
イエスは自分の使命として「召使いとして人に仕える」ということを、当時奴隷の仕事とされた「足を洗う」という形で示した。洗ってもらっているのは使徒ペテロとなる。これは使徒に受け継がれ、さらにあらゆる司祭に受け継がれるべき教えであった。それを受け継ぐ庶民の中の貧しい聖職者も出てきた反面、主流の教会は「権威」となってこのイエスの教えは空洞化されていった。

18 天井の聖人たち
【18 天井の聖人たち】
正教の教会堂にはあらゆるところにモザイクが描かれており、天井にもこのように聖人の姿が描かれている。教会内では何処にいても、イエスや天使、聖人たちに見つめられて(見守られて、人によっては見張られて)いることになる。
19 □パウロ
【19 □パウロ】
玄関廊ではさまざまのモザイクに出会うのだが、もちろん使徒たちもいて、これは「パウロ」となる。パウロの描き方も決まり・様式があって、「頭がはげ上がって、ちょっと毛がたれている」のはパウロと決まっている。パウロはイエスの昇天後の弟子で「伝道師」として名を残した聖人となる。
20 ペテロ
【20 ペテロ】
パウロと対になるような位置に描かれているがペテロとなる。ペテロはイエスの最初の弟子であり、聖書では特に弟子の順位付けはないけれど、筆致として第一の弟子のように描かれている。
21 マリアとイエス
【21 マリアとイエス】
玄関廊から教会本堂に入ると正面が聖域となり「後陣(アプシス)」と呼ばれる。その上に「イエスを抱いたマリア」が描かれるのが正教の教会堂の様式となっている。マリアは意味付けとして「教会」を表すとされ、人々をイエスへと誘う者として理解されている。
22 ドームの「イエスの生誕」
【22 ドームの「イエスの生誕」】
教会の真ん中にドームを持つのがビザンティン教会の様式だが、そのドームを支える四隅の部分にはやはり定番の図柄が見られる。これは「イエスの生誕」となる。周りには天使たちがおり、イエスを見守っている。
23 洗礼
【23 洗礼】
同じくドームを支える四隅のモザイクの一つで、これは「イエスの洗礼」となる。もちろん洗礼を授けているのは「洗礼者ヨハネ」となる。
24 イエスおよびイエスを抱くマリア
【24 イエスおよびイエスを抱くマリア】
二つの図柄のうち上のものはイエスで、下がイエスを抱くマリアとなる。こんな具合に我々はどこに視線を向けてもイエスに出会うような格好となる。なお、イエスの描きの様式で一番わかりやすいのは「十字架」を背後に背負っていることである。ただし下の方が隠れているので十字架と見えないかも知れないが「横軸」は良く見えるであろう。
25 地下聖堂のフレスコ画「イエスのイエルサレム入場」
【25 地下聖堂のフレスコ画「イエスのイエルサレム入場」】
ここにはモザイクと同時に「フレスコ画」も存在し、両者が同一聖堂内で見られるのは有名な所ではテサロニケの「聖使徒教会」とコンスタンティノープルの「コーラ修道院」くらいしかなくその点でも貴重。もっとも地下聖堂のフレスコ画などはモザイクと同時代の紀元後1000年代前半のものだが、教会ドームその他のフレスコはモザイクが損傷・破壊された後に補修したもので後代のものになる。
26 地下聖堂「最後の晩餐」
【26 地下聖堂「最後の晩餐」】
地下聖堂というのは後953年に死んだ「聖ルーカス」の墓所であり、ここは数々の奇跡を生んだとしてギリシャ人には有名で、そのため多くの巡礼者がくる。フレスコ画というのは要するに「絵筆でえがいたもの」となる。モザイクは言うまでもなく「小さな色のついた破片」を貼り付けていくものとなる。
27 地下聖堂「十字架からおろされるイエス」
【27 地下聖堂「十字架からおろされるイエス」】
地下聖堂のフレスコ画は一部がはげているが、題材が有名なものなので何の図柄かすぐ分かる。これは十字架からおろされるイエスとなる。
28 地下聖堂「トマスの疑い」
【28 地下聖堂「トマスの疑い」】
この図柄は、イエスの復活にさいして使徒トマスはそれを信じず、イエスの十字架上の傷を確認しない限り信じないと言ったのに対して、復活したイエスがその傷をトマスに確認させている図柄となる。
29 聖オシオス・ルーカスのモザイク
【29 聖オシオス・ルーカスのモザイク】
再びルーカス教会に戻り、北側(左手)の本堂からノートルダム教会(本来は聖ルーカスの礼拝所)に入る入り口の壁に描かれている聖ルーカスの図柄。
30 ダフニ修道院にて
【30 ダフニ修道院にて】
アテネに戻り、コリントス方面に向かう道路の左手に鬱そうとした森があり、その一角にダフニ修道院がある。今では喧噪の大通りに面した格好になってしまったが、往時は静かな森のたたずまいの中にひっそりとあった。「ダフニ」といわれていることから分かるように、ここは古代はアポロンの聖域(アポロン・ダフナイオス)であった。古代の聖域がキリスト教会に改造されるのは普通であった。
31 ダフニ修道院
【31 ダフニ修道院】
古代ギリシャのアポロン神殿は紀元後の395年にゴート族の来襲によって破壊され、その跡地に500年代になって「マリア」に捧げられた修道院がたてられた。この修道院の玄関廊の柱の一本にイオニア式の柱があるが、それは昔日のアポロン神殿の柱を流用したもの。1205年になって十字軍が侵略してきてカトリックのシトー会の教会にされてしまったが、再び正教の修道院として復活。
32 ヒオス島、ネア・モニの修道院
【32 ヒオス島、ネア・モニの修道院】
町から山地を登ってきて浅い谷に開けているところに遠くこの修道院が見えてくる。低めの粗い石の壁が取り囲んでいるが、そこから糸杉とドーム、そして塔だけがぽっかり姿を表しており、清楚で静寂な神の国の雰囲気をかもしているのがとても良い。この場所は任意に選ばれたわけではなく、「奇跡のイコン」と言われる「マリアのイコン」が発見された場所とされている。
33 ネア・モニの修道院の特徴
【33 ネア・モニの修道院の特徴】
教会ドームは、円屋根のフチが大きく波打って八つの波があり、塔状に突き出していて回りの糸杉と調和して非常に美しい姿を示している。この美しさがこの修道院の外見の最大特徴。また教会の作りも少々変わっていて、内玄関廊が半円形に外にはみ出しているのは殆ど他にない。しかもその玄関廊に交叉させるように棒状に廊下をくっつけたように「外玄関廊」を作ってあるのも珍しい。
34 ネア・モニの修道院
【34 ネア・モニの修道院】
この修道院の建設は1040年頃と推定され、時のビザンティン皇帝となったコンスタティヌス・モノマクス(帝位1042〜1055)の支援で建てられたものだが、それは自分の即位を早くから予言していた三人の修道士への返礼であったと言われ、わざわざコンスタンティノポリスから建築家とイコン作家を送り込んだと言われる。そのためこの修道院は山間にあるにもかかわらず非常に立派なもので、この時代の建築として最高度の出来映えを示している。
35 ギリシャ・ビザンティン
【35 ネア・モニ修道院内部のモザイク】
ここのモザイクはそれぞれ立派で、絶対に必見という目玉を示すことはできないが、色彩鮮やかで見事なものを見ることができる。実際、ここまでくるような人は研究者以外には教会モザイクに相当に入れ込んでいるマニアくらいの人でない限り居ないので、そうした人はもう自分で心に響くイコンを見いだすことができるので自分でさがすのが良い。
36 モザイク「復活」
【36 モザイク「復活」】
僕自身のことでいうと、何処でも見ることができるのに前出の「イエスの洗礼図」が妙に心引かれたことを覚えている。そして矢張り各所で見ることができるのだがこの「復活」の図柄が強く心引かれる。ビザンティン・ギリシャの人々のキリストに対する願いがここに込められているからであろう。
37 パトモス島「ヨハネ教会」遠望
【37 パトモス島「ヨハネ教会」遠望】
このパトモス島が有名なのは、ここに島流しにされた聖ヨハネが幽閉された洞窟内で天啓を受け、現在「聖書」の最期のページを飾る「ヨハネ黙示録」を書いたからであり、そのヨハネが天啓を受けた洞窟遺構とその記念のヨハネ教会とが「ユネスコ世界遺産」に指定されている。黙示録の著者であるヨハネがここに流されたのは紀元後95年頃ドミティアヌス帝(帝位81〜96年)によってであるとされる。
38 ヨハネの幽閉されていた洞窟とその記念聖堂入り口
【38 ヨハネの幽閉されていた洞窟とその記念聖堂入り口】
ヨハネがこの洞窟で受けた天啓は、「黙示録」と言われるように「暗黙に示す」ためのイメージ的な語りや比喩・暗喩に富み、世界の退廃と罪とそれを裁く物語が「世の終末」を語って一般にも有名。しかし、本来の目的・内容は、受難に続く「キリスト者の勝利」を語り、教会に対する「希望と励まし」を語るもの。
39 聖ヨハネ修道院
【39 聖ヨハネ修道院】
修道院の中に入ると中庭に出、昔日の遺構が並んでいる。中央教会はもっとも古い建物で1090年頃のもの。そこを抜けると「マリア礼拝堂」がありフレスコ画が見事。その他「旧食堂」とか「クリストドゥーロス礼拝堂」などがあるが、ここで一番重要なのは「資料館」でここにはかつての図書館、古文書室、宝物室にあったものが集められ、13000点もの古文書やイコンなどがある。
40 修道院からの展望
【40 修道院からの展望】
ヨハネを記念して建てられた「聖ヨハネ修道院」は、ヨハネが幽閉されていた洞窟のさらに上の方にある。外見は小高い丘の上に作られた「城塞」といった方が良く、とても修道院には見えないがこれは海賊などの襲撃に備えたものだろう。そこからの展望で教会の位置が理解されよう。紀元後1000年代の終わり頃に着工されその後幾代にもわたって補強されてきた。
41 テッサロニケのディミトリオス教会
【41 テッサロニケのディミトリオス教会】
テッサロニケは現在ギリシャ第二の都市として北方の中心都市となっているが、ビザンティンの時代にも首都コンスタンティノポリスに次ぐ第二の都市として繁栄していた歴史的に由緒ある都市。現在この都市に残るビザンティンの教会群は「世界遺産」に指定されている。その中心教会がこの都市の守護聖人ディミトリオス教会となる。
42 ディミトリオス教会内部のフレスコ
【42 ディミトリオス教会内部のフレスコ】
この教会は紀元後400年代に聖ディミトリオスが幽閉され殉教した「墓」の場所に建てられた教会。幾たびかの破壊・修復を経てきたが1917年に火災でほとんど崩壊したものを建て直したもの。形は600年代の創建当時のままバシリカ式を再現している。残されたものは残しているので、モザイクやフレスコに時代的に600年代の非常に古いものが数点あり貴重。
43 内部のモザイク
【43 内部のモザイク】
右手の柱には聖ディミトリオスと福音書をもった助祭、二人の創立者に挟まれた聖ディミトリオス、そして聖セルゲイオスが描かれている。左手の柱には二人の子どもに挟まれた聖ディミトリオス、聖母マリア、聖テオドシウスなどが描かれている。ただしテオドシウスのものはかなり後代のもの。聖堂西壁に見られるモザイクは聖ディミトリオスに寄進する二人の人物を描いている。
44 アヒロピイトス教会
【44 アヒロピイトス教会】
創建は400年代のバシリカ式の教会。この教会の名前は「人の手で作成されたのではない」という意味合いだが、要するに「イコン(聖画)、つまり板絵やモザイク、フレスコ壁画など」は、人間の手になる「絵」ではなく、「人間の手によるのではない」聖性そのものの現れであるという意味合いを持つ。
45 アヒロピイトス教会内部
【45 アヒロピイトス教会内部】
この教会で注目されるのが内部の柱をつなぐアーチの内側に描かれたモザイク模様で、それは様々の意匠を示し、その美しさで知られる。
46 聖ソフィア教会
【46 聖ソフィア教会】
コンスタンティノポリスにある「すべての教会の原型」である「聖ソフィア教会」と同じ名前を持っていることで知られているが、実際それをモデルにしたらしい。もちろん規模は小さい。創建については、時代的に600〜700年代にまで遡るかと考えられている。
47 ソフィア教会のアプシス
【47 ソフィア教会のアプシス】
教会内部の奧は後陣(アプシス)と呼ばれるが、その上の方に「イエスを抱くマリア」が描かれるのはビザンティン教会の様式となる。コンスタンティノポリスのソフィア教会のマリアのプロポーションが九身頭と頭が小さく気品があって天上的な雰囲気があるのに対して、こちらは顔が大きく、そのため表情もかなり異なり人間的で、慈愛がにじみ出ている。
48 パナギア・ハルケオン教会
【48 パナギア・ハルケオン教会】
アヒロピイトス教会からエグナティア街道を少し東にいったところにある1000年代の建造になる小さな教会。周辺の鍛冶屋集団の教会だったとされている。ギリシャ十字式の典型的なプランで、内部にフレスコ画があるが、暗くてよく見えないのが残念。しかし、外観は非常に美しい。
49 オシオス・ダヴィッド教会
【49 オシオス・ダヴィッド教会】
テッサロニケの町の高台にあり、錯綜した道が入り組んでいる家々の並びの中にある。もともとはラトモス修道院の聖堂であったようだが、西半分がなくなっていて奇妙な形になっている。小さな聖堂なのだが、内部のイコンはすばらしい。ただし、年代ははっきりしていないようである。
50 復活祭の家の飾り
【50 復活祭の家の飾り】
ギリシャは復活祭を大々的に祝う。ただし日取りは旧暦でやっているため移動し、内容も西欧カトリックのものとは大きな違いを示す。国民的祭りと言うべきで人々は家を飾り立て、真っ赤な復活祭の卵を造り、一年のエネルギーをここに費やすように祭り寿ぐ。
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