1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

23.

ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産

モブルガリア「カザンラク」「トラキア古墳」「リラ山とリラの僧院」「首都ソフィアの教会(未登録)」。「ボヤナの聖堂」「ヴェリコ・タルノボ(未登録)」「イヴァノボの岩窟聖堂」。  ルーマニア「ブカレスト(未登録)」、「モルドヴァ地方のヴォロネッツ修道院」「フモール修道院」「モルドヴィツァ修道院」「スチェヴィツア修道院」「プトナ修道院」「パトラウツィの教会」「アルボーレの教会」「ドラゴミルナ修道院」「プロボタ修道院」「スチャバの教会」


■ブルガリアとルーマニアのモルドヴァ地方の世界遺産
ブルガリアとルーマニアのモルドヴァ地方の世界遺産地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ北方、バルカン半島の東側で東端は黒海に面する。
ブルガリアの「リラの僧院」「ボヤナの聖堂」「イヴァノヴォの岩窟聖堂」「トラキアの古墳」。ルーマニアでは「モルドヴァ地方の教会群」に特化する。
ブルガリアやルーマニアは地中海域とは言えないが、地中海域に展開したビザンティン文化の東欧への展開であり、東欧独特の正教文化がある。
紀元後600年以降。
ブルガリア人とルーマニア人。
ブルガリア
 ブルガリア地方は、紀元前はトラキア人が活動。地理的な関係でやがてギリシャ人が支配し、さらにはローマ人が支配するようになる。そのローマ帝国の後半のことを「ビザンティン帝国」と名付けているので、中世初期ここはビザンティン帝国の支配領域となり、その時代の紀元後600年くらいに現在のブルガリア人が進出してくることになる。したがって、この地方にはトラキアの遺構、ギリシャ・ローマ時代の遺跡も残り、そしてビザンティン時代の宗教である「正教キリスト教」がこの地方にそのまま残り、現在のブルガリア人の精神ともなった。そのブルガリア人の精神を反映している「ブルガリア正教」の教会が世界遺産に指定されているわけで、その代表的なものが「リラの僧院」や「イヴァノゥオの岩窟聖堂」などになる。
ルーマニア
 ブルガリアの北に広がるルーマニアだが、ここは民族的にローマ時代の属州であった「ダキア人」を源にするとされる。この民族は紀元前700年代にこの地方に根を下ろしたヨーロッパ系民族であるとされて、このダキア人は紀元後の106年ローマ皇帝トラヤヌスによって属州とされて以来ローマ人と混血してラテン化していったと言われる。それが国名「ルーマニア(つまりローマ・ニア)」に現れているが、紀元後の200年代後半のゲルマン人の大移動の時から1000年にわたって歴史の足跡が途絶えている。そして再び歴史に顔を出してくるのは後1300年となる。現在のルーマニアだが、ハンガリーを破って独立した現在のルーマニアの南地方の「ワラキア公国」の建設(1324年)と現在のルーマニアの東領域になる「モルドヴァ公国」の建設(1359年)の二つの王国の建設が基とされているので、「ワラキア公国」の建設である1324年が「現在のルーマニアのはじまり」と言える。
 東欧のビザンティン正教文化の展開のあり方とその社会、民族精神を教会に見る。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 ブルガリア
【01 ブルガリア】
バラ祭りの「バラの王女」に扮した少女と写真に収まっているが、現在のブルガリアは「バラの香水」で有名で、世界最大の産出国として知られる。毎年春にはその中心であるトラキア地方のカザンラクで「バラ祭り」があり世界中から人々が集まってくる。
02 カザンラクのトラキア古墳
【02 カザンラクのトラキア古墳】
カザンラクは紀元前の「トラキアの古墳」があることで知られる。トラキア地方というのはギリシャ・エーゲ海北岸沿いからブルガリア南部を指し、トラキア人は独自の民族性を保っていた。トラキア古墳の世界遺産は二箇所あって、一つは北部のドナウ川に近いところにある。有名なのはこのカザンラクの墳墓で見事な壁画が残されている。時期的には紀元前300末か200年代初め頃と推定。
03 カザンラクのトラキア古墳
【03 カザンラクのトラキア古墳】
古墳というのは、人が入れば入るだけ傷むので現在は封鎖されている。その代わり、隣に精密に再現した古墳レプリカがあって、それによって「トラキア文化」に触れることができる。前室には戦闘に赴く兵士たちの行列の場面が見られる。
04 カザンラクのトラキア古墳
【04 カザンラクのトラキア古墳】
玄室にこの墓の主と考えられる王族の男性とその妻、ものを運ぶ召使いたちの様子が描かれている。上部に丸く円が描かれていて、大きく分けると二つの帯を持ち、内側は馬車競争で三台の馬車が円に収まるように描かれている。外側の主体となる帯の部分にイスに座した夫婦がおり、簡易イスに座した男性は手にカップを持っていて、女性は立派なイスに座し男性と手を取り合っている。
05 リラ山を望む
【05 リラ山を望む】
ブルガリアといえば「リラの僧院」となる。ブルガリア正教の総本山であり、ブルガリア正教徒の精神的支柱となっている。10世紀にイワン・リルスキーが「リラ山」の山中に隠遁して修行したことを基盤として、その後彼を慕う修行者たちが集まってきて「集落」を形成していったとされる。1200〜1300年代の盛期の第二次ブルガリア王国の時代に興隆し、修道院は特別視されて修道院文化が栄えた。
06 リラの僧院
【06 リラの僧院】
1300年代末にブルガリアはオスマン・トルコ支配下に置かれてしまうが、この時代にあっても僧院は独立性を保っていったと言われる。しかしオスマン支配下の時代に内政の乱れもあって国土全体が荒れて、ここも襲撃され略奪などが行われて衰微していった。決定的だったのは1833年の火事で「フレリョの塔」を除いてこの時にほとんどの建物が焼失してしまった。
07 リラの僧院
【07 リラの僧院】
しかし、ブルガリア正教徒の総力を結集して素晴らしい修道院を再建した。広大な敷地をぐるりと取り囲んで僧坊が建てられ、その中央にギリシャ十字型の「生神女教会(聖母教会)」がある。正面にアーチが並び、白と黒の横縞で緑の屋根、上の階と側面が白と赤の横縞という非常に印象的な装飾を持った建物に、中央に大ドームが乗り回りにも小ドームが並んでいるという壮麗な建物である。
08 リラの僧院の現在
【08 リラの僧院の現在】
1945年にブルガリアは共産党政権となり、教会財産は国家に没収されてしまう。しかし僧院側の根強い反抗に1953年度以降教会に返還され、むしろ国家からの補助まででるようになった。これはブルガリア人の正教ないしリラの僧院に対する信仰の強さによる。我々がここを訪れるのは「古い教会建物」を見るためではなく(それは無い)、ブルガリア人の精神に触れるためなのである。
09 リラの僧院内部
【09 リラの僧院内部】
内部は例によって「イコン(聖画)」で覆われている。ここは先にも示したように建物としては新しいものなので、壁画も当然新しい。ここで我々が見ようとするのは中世のビザンティン文化・歴史遺産なのではなく、「今も生きるブルガリア正教徒の心」なのである。
10 首都ソフィアのアレクサンドル・ネフスキー教会】
【10 首都ソフィアのアレクサンドル・ネフスキー教会】
世界遺産ではないけれど、ブルガリアを見るためにこの教会も紹介しておく。これはブルガリア独立の契機となる「ロシアとトルコの戦争」で戦死したロシア兵20万の慰霊のための教会でバルカン半島最大の教会となる。建造は1882年の着工で40年を費やした。このロシアの勝利がトルコからブルガリアが独立できた契機となったため、ブルガリアはロシアに対して好意的となる。
11 ペトカ教会
【11 ペトカ教会】
地上に屋根の部分だけしか出ていない教会。オスマン支配時代の1300年代の建造であり、イスラームに遠慮して半分地下状になる目立たない場所に建造したと言われている(現在は町のど真ん中になっている)。窓もない質素な作りだがこれはビザンティンの教会としては普通。現在は、半地下部分は整備されてカフェなんかが並んでいる。
12 ペトカ教会内部
【12 ペトカ教会内部】
内部はビザンティン教会の様式に従って「イコン(聖画)」で覆われていたが、現在は見る影もない。放置されてしまうとこんな状態になるのが普通で、すばらしい壁画イコンが残っている教会というのは「生き続けた教会」か、オスマン時代に塗り込められていたものが復元したものに限られるのである。
13 共産党本部
【13 共産党本部】
東欧を紹介しようとすると、近代史はギリシャなど少数をのぞいて共産党支配の歴史を語らなければならない。ブルガリアも例外ではなく、共産党本部が町の中心に大きくそびえていた。
14 ボヤナの聖堂
【14 ボヤナの聖堂】
首都ソフィアの南の郊外に世界遺産となっているボヤナの聖堂がある。1000年代の建造でブルガリア王家の私的な礼拝堂。聖堂は増築のため通常のビザンティン様式を逸脱している。また、世界遺産指定はその建物よりむしろ内部の壁画イコンにあるようで、写真撮影禁止なので図柄を示すことはできないが、近代絵画の趣がありビザンティン様式を逸脱していると言われる。
15 ヴェリコ・タルノヴォ
【15 ヴェリコ・タルノヴォ】
1187〜1393年にかけての「第二次ブルガリア王国」の首都であったところ。500年近いトルコ支配の後、1878年にロシアがトルコを破ったことによって解放され、ブルガリアが独立したときの最初の議会が旧都であったここで開催されている。町の東側にツァレヴェッツの丘があり、この丘全体が宮殿となっていた。中腹にかつての王宮跡があり、丘の上には「大主教教会」がある。
16 ヴェリコ・タルノヴォの町の遠望
【16 ヴェリコ・タルノヴォの町の遠望】
旧都の風情を良く残しているとされ、ブルガリア人にも人気となっているとのこと。ヤントラ川が町の中央を流れその川沿いの丘陵に家々が立ち並んでいて「絵」のような風情を醸し出している。坂が多いので歩いて回るのは少し大変かもしれないが、職人街の散策は楽しい。
17 イヴァノヴォの石窟聖堂
【17 イヴァノヴォの石窟聖堂】
ブルガリア北部のルセンスキー・ロム河の谷間には高さ50bを超す断崖があり、ここに300を超す岩窟聖堂が造られていた。ブルガリア正教の巡礼地として栄えていたがオスマン支配下になって衰退。
18 イヴァノヴォの石窟聖堂の外観
【18 イヴァノヴォの石窟聖堂の外観】
正教の修道院というのは、一途に神との交流を目指すため、一般の人々が訪れることのできないような山間僻地や崖の上に作られることが多い。ここでも崖の中腹に岩窟をつくっていた。現在は迂回して歩いて訪れることができるが、昔は崖を登るか縄ばしごを使っていたはず。
19岩窟聖堂の内部
【19 岩窟聖堂の内部】
修道士が暮らしていた部屋である。冬は酷寒の地となり、およそ人間が暮らせるような空間とは思えないが、正教の修道というのは想像を絶するような過酷な環境も全くものともせず、むしろそうした環境を選んでいた。その精神がここにも見られる。
20 イエスの神性の顕現
【20 イエスの神性の顕現】
通常「テオファニア」と呼んでいるが、要するに「イエス」が山上で神としての性格を表した場面で『聖書』でのハイライトの場面とも言える。修道士はこの場面を自らの修行の目的としていたのではないかと思われる。つまり「神を見る」瞬間である。部屋の中央の天井に描かれている。
21 ルーマニアの女性たち
【21 ルーマニアの女性たち】
ルーマニアの女性たちと写真を撮ったものだが、親娘である。これで見ると理解されるように、ルーマニアの女性は西欧的な面立ちだが、それにハンガリーやチェコあるいはスラブ系が入っているようで、その民族のルーツがこんなところにも推測される。ルーマニアの女性は飛び抜けた美人が非常に多く、圧倒される。
22 モルドォヴァ地方の教会群。ヴォロネッツ」
【22 モルドォヴァ地方の教会群。
「ヴォロネッツ」】
一般に「モルドヴァ地方の五つの教会」と言われる。それには世界遺産指定の「アルボーレ」「フモール」「ヴォロネッツ」「モルドヴィツァ」の四つの教会と、世界遺産指定から漏れている「スチェヴィッツア」の教会が数えられている。それ以外に、「スチャバ」「パトラウツィ」「プロボタ」の各教会が世界遺産指定となる。ただし現地に行くと、どうも指定教会が曖昧である。
23 ヴォロネッツの「聖ゲオルゲ教会」
【23 ヴォロネッツの「聖ゲオルゲ教会」】
この地方の教会の特色は、外壁がすばらしい壁画イコンで埋もれていることで、これはギリシャのカストリアでも見られるが規模が違う。世界遺産指定はこれらの教会がこの地方の歴史と精神を表すことにもあるが、この外壁イコンという様式にもよると思われる。ここでは「青」がとりわけ有名で「ヴォロネッツの青」と称えられる。シュテファン大公によって建設、1488年完成。
24 ゲオルゲ教会の「最後の審判」
【24 ゲオルゲ教会の「最後の審判」】
ここの「最期の審判」を描いた図柄もすばらしく、天国への階段や地獄への没落などが詳細に描かれている。全体的にモルドヴァの教会群には「最期の審判」の図柄が強調されていて、これは「オスマン・トルコの侵略による正教キリスト教の危機」に直面していた正教徒ルーマニア人の、「天国と地獄」への思いがこうした図柄を意識させたのかもしれない。
25 フモール修道院、「生神女マリア被昇天教会」
【25 フモール修道院、
「生神女マリア被昇天教会」】
フモール修道院の中に「マリア被昇天教会」がある。モルドヴァ公国の大臣であったブブイオグによって1530年に再建されたもの。ここの教会の壁画イコンは「赤」が特徴的。通常「正教」にあっては「イコン(聖画)」は「絵に描かれた聖書」であって作者などということは問題にされないのだが、ここは「宮廷画家のトマ」という人物によって描かれたとされている。
26 フモールの教会の外観
【26 フモールの教会の外観】
外観の説明が後になってしまったが、この地方の聖堂の形は、コンスタンティノポリスの正教教会堂の原型となる「アヤ(アギア)・ソフィア教会」の形とはまるで異なり、あたかも巨大な楕円形の桶が幅広の帽子をかぶっているような姿を呈している。そして、帽子の真ん中に筒を持つ(つまりドームなのだが)形が多い。
27 教会の外壁「コンスタンティノポリスの陥落」
【27 教会の外壁
「コンスタンティノポリスの陥落」】
外壁イコンはかなり傷んでいて南面だけが鑑賞に耐えられる。この南面の下部に「コンスタンティノポリスの陥落」の図柄があり、それはオスマン・トルコによるビザンティンの滅亡と東欧侵略を意味していて、正教徒たるルーマニア人の悲痛な思いを託している。この図柄もこの地方の教会に多い。
28 西面「最後の審判」
【28 西面「最後の審判」】
ここにも再び「最期の審判」の図柄を見る。というか、ほとんどすべての教会にこれがあると言って過言ではない。当時のルーマニア人の思いが痛いほどに伝わってくる。
29 モルドヴィツア修道院の「受胎告示教会」
【29 モルドヴィツア修道院の「受胎告示教会」】
創建時の教会が崩壊した後、1532年にペトル・ラレシュ公によって場所を移されて再建された。この修道院には「ペトル公の聖堂奉献図」が描かれていて彼の肖像が観察される。外壁イコンは、フモールと同様「トマ」によるかと推定される。壮大な構造と色彩の完成度の高さはすばらしい。
30 モルドヴィツア修道院の尼僧
【30 モルドヴィツア修道院の尼僧】
この地方の修道院は現在も生きているものがほとんどである。男性修道僧が守っている修道院もあるが、多くは尼僧が守っているのに驚く。しかも若くて美しい女性も多く、尼僧になるということは俗世を捨てたということなのだが、先進国と言われる国には失われている「神への思い」が脈々と強く保たれているのに心打たれる。
31 教会南面「コンスタンティノポリスの陥落」
【31 教会南面
「コンスタンティノポリスの陥落」】
ここでも再び「コンスタンティノポリスの陥落」の図に出会う。右手からオスマン・トルコの大群が攻めてきている。この図柄は他にもあるが、モルドヴィツアの教会のものが一番きれいですばらしい出来映えになっている。
32 西面「最後の審判」
【32 西面「最後の審判」】
何度も繰り返しているが、「最後の審判」の壁画イコンがどの教会に行っても現れてくる。教会ごとに細かな図柄や表情が異なってはいるのだが、しかし、様式やまた精神構造はどこも変わらないと言える。
33 スチェヴィッツア修道院の「キリスト復活教会」
【33 スチェヴィッツア修道院の
「キリスト復活教会」】
世界遺産指定教会からどういうわけか漏れてしまっているこの教会は「五つの教会」の中でももっとも大きく、また壁画の完成度・美しさも高く、保存状態もいい。実際、どうして指定から漏れているのか皆目理由がわからない。モヴィラと大司教ゲオルグによって1581〜1601年の建立になり、高い壁に囲まれた広い四辺形の敷地に修道院と教会が建てられている。
34 スチェヴィッツアの教会の偉容
【34 スチェヴィッツアの教会の偉容】
ここの教会は見事な外観を示している。もしこの地方で一つだけしか教会を訪れることができないとしたならば、ヴォロネッツやモルドヴィツァもいいが、この教会が推挙に値する。教会の偉容も壁画イコンの見事さも傑出している。壁画は「イオンとソフロニエ兄弟」の作とされる。
35 外壁の「天国への階段」
【35 外壁の「天国への階段」】
この教会では北面の、最期の審判にモチーフをとった「天国への階段」が有名で、32段のはしごを境に右に天国へと登る人々と天使たち、左に地獄に落ちる人々が描かれている。もう一歩で天国というところからも落ちていく人がおり、天国への門への厳しさが描かれている。
36 スチェヴィッアの修道院の尼僧
【36 スチェヴィッアの修道院の尼僧】
この修道院も尼僧が守っており、時間ごとに礼拝の時を告げる尼僧が、教会の回りを「セマンドロン(日本ではシマンドロと表記している場合もある)」と呼ばれる長い板を木槌で叩いて歩いている姿を見かけることがある。こうした姿を見るにつけ、ルーマニアにはキリスト教が生きていると思わずにはいられない。
37 プトナ修道院
【37 プトナ修道院】
ここは世界遺産指定されていない。真っ白の壁をもった美しい修道院。1466年にシュテファン大公によって建立されたもので、ここに「シュテファン大公」が葬られている。
38 プトナ修道院の修道僧
【38 プトナ修道院の修道僧】
ここは男性の修道僧が守っている。この地方の修道院は人里を離れた山間僻地や崖の上ではなく村の近くに作られており、村の中心(場所ではなく精神的に)といった様相を示している。正教キリスト教がルーマニアの人々の心の支えであったことがよく理解される。
39 パトラウツィの「聖十字架教会」
【39 パトラウツィの「聖十字架教会」】
修道院内の礼拝堂としてシュテファン大公によって建造された。17×9メートルという小降りの教会だが、外観はとても美しい。世界遺産指定の一つ。
40 最後の審判
【40 最後の審判】
西面の「最後の審判」である。ここの保存状態はこれまでのものと比べてあまり良くないが、大体はたどれるであろう。こうしてたくさんのそれぞれの教会の同じ図柄をたどってみると、視点の微妙な違いなどが見て取れて興味深いものがある。
41 シュテファン大公の奉納
【41 シュテファン大公の奉納】
シュテファン大公が聖堂を献納する場面で、ふくよかな丸顔とその家族たちの表情が印象的。シュテファン大公はこの地方にたくさんの聖堂を建造しているのだが、その建造奉納をこの教会に大きく見事な構図と大胆な色で描いていて印象深い。写実的で一見「休廷絵画」のようにも見えて、ビザンティン教会であることを忘れてしまうほどである。
42 戦士の騎馬行列
【42 戦士の騎馬行列】
ここでは、ビザンティンの最後の皇帝コンスタンティヌス・パレオロゴスが侵略する敵オスマン・トルコとの戦いに赴く場面(かと想定される)が描かれており、その「群像」の描きが特徴的。先導するのは「戦闘天使ミカエル」と思われる。
43 アルボーレの「洗礼者ヨハネ教会」
【43 アルボーレの「洗礼者ヨハネ教会」】
1503年建立とされるこの教会は、軍司令官アルボーレが廷内の礼拝堂として建立。「五つの教会」の中では小さいが、教会堂のイコンの「薄緑」が特徴的(特に内部の絵に多い)。壁画はかなり傷んでいるがそれでもよく残っている方。画家ドラゴシュ・コーマンの作画とされる。
44 ドラゴミルナ修道院「聖神降臨教会」
【44 ドラゴミルナ修道院「聖神降臨教会」】
1602年、大司教アナスタシエ・クリムカによる建造。ここには外壁イコンはない。まるで巨大な岩の桶といった風情で、形はこれまでの教会と似てはいるが、ただドンと一つの固まりがあるだけで、建物の各部分の調和とかバランスといった美しさはなく、むしろ監獄のような厳しさがあって異質に映る。
45 プロボタ修道院の「聖ニコライ教会」
【45 プロボタ修道院の「聖ニコライ教会」】
ここは教会群から一つだけポツンと遠く離れているため行きにくい。1530年、ペトル・ラレシュ公による建造。高い壁に囲まれた修道院全体の建物配置が見事で印象深い修道院の一つ。ただし、壁画イコンはかなり色あせてこれまでにみてきたものからすると相当に劣る。ラレシュ公の墓室はこの修道院内にある。
46 プロボタ修道院の尼僧たち
【46 プロボタ修道院の尼僧たち】
ここも尼僧たちによって守られている。教会内でおみやげなど売っているが、これは教会の維持・補修資金に当てているもので商売ではない。ここは観光客にとっては来にくい場所にあるため、客も少ない。修道院の雰囲気を堪能するには良い修道院であると言える。
47 スチャバの「ゲオルギオス教会」
【47 スチャバの「ゲオルギオス教会」】
スチャバは中世のこの地方の君主の宮廷が置かれていて、いわば首都と言えた。現在もこのスチャバがこの地方の教会巡りの拠点となる。そこの教会堂であるが、外壁イコンは消滅している。
48 スチャバの教会にかかる虹
【48 スチャバの教会にかかる虹】
何ということもない虹ではあるのだが、教会巡りをしていてスチャバの教会にかかる虹を見たとき、神がノアの箱船の際に人類を二度と洪水で滅ぼすことはないとの約束の印としてかけた虹を思い出した。救済を願っていたであろうオスマン時代のこの地方の人々の願いに重なるであろう。
49 ヴォロネッツの教会の前にて
【49 ヴォロネッツの教会の前にて】
ヴォロネッツの教会前での写真だが、再びヴォロネッツの教会をはじめ、ルーマニアの教会を巡りに訪れたいと思う。ところで、このページを見た人はとても少ないと思う。感想をもらえるとありがたい。また、もし訪れた人であるならば、ここに漏れている情報などもらえたらうれしい。
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