1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
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25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
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歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

8.

古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」

世界遺産アクロポリスの「パルテノン神殿、エレクテイオン」等。アクロポリス博物館


■アテネ(古代アテナイ)のアクロポリス
ギリシャ・アテナイ(アテネ)地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ本土、現在のギリシャの首都。
古代ギリシャのシンボル「アクロポリス」および「アクロポリス博物館の収蔵彫刻」。
現代西欧・世界文化の故郷。
紀元前600年から300年までの盛期(古典期)ギリシャの時代。
古典期ギリシャのアテネ人。
 古代ギリシャ社会は「民衆主体社会」でそれを「デモクラティア(デモクラシィー・民主主義の語源)」と呼んだ。パルテノンやアクロポリスの建物が重要とされる意味の一つとして、これが「民主主義」下にある「民衆の意欲」のシンボルであったことが挙げられる。つまり、ギリシャ以外の地の遺構はほとんどが王侯貴族・権威宗教の権威のシンボル。
 古代ギリシャの文化が近代になって、ルネサンス運動(「再生」の意で、内容的にギリシャ文芸復興)によって近代西欧文化の原型とされて、そしてそれが世界中に広まって現代社会を形成したのであって、従って現代世界の文化の故郷と言える。
 アクロポリスはこの「パルテノン神殿」を中心としていくつかの建物がある。中心となる「パルテノン神殿」というのは「女神アテネ」に捧げられた神殿で、文字通りには「乙女・処女」という意味で、これは「女神アテネ」の性格の一つ。
 現在見ている遺構は紀元前5世紀のもの。この時代は哲学者ソクラテスが生きていた時代であり他に多くのギリシャの天才たちが活動していた。建造は古代ギリシャ最大の政治指導者ペリクレス。建築の総指揮者はギリシャ最大の彫刻家フィディアスで、当時を代表する建築家たちが加わり、ここの建物、彫刻は西洋建築・西洋美術の原点ともなった。
 ここは古代ギリシャ文化のシンボル。そして「パルテノン」はギリシャ神殿・美術の宝庫ということで多くの人々は訪ねる。それで良いのだが、少しひねくって見てみよう。ソクラテスがここで「優美の女神像」を作っていたという伝承もある。ソクラテスの父は「石工」であったからその可能性は大かもしれない。とにかく市民総出で工事に取りかかっていた。だからさまざまの形で市民としての有名人が関わっていた可能性がある。これこそ民主主義のアテネといえる。ここで、「真の学問・芸術」は民主主義が生む、と考えてみるのも良い。そしてアクロポリスには、ソクラテスをはじめ古代ギリシャの市民たちみんなが女神アテネに会いにきていたのだと思って見てほしい。写真は人類の宝といえるパルテノン神殿とそこにあった最高の美術作品の代表的なものを示す。その後の建築の原点と近代彫刻の原点だということで見てほしい。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 ピロパポスの丘にて
【01 ピロパポスの丘にて】
古代ギリシャは、紀元前1200年頃のミケーネ文明の衰退の後しばらく様相が分からない時代(いわゆる暗黒時代)が続き、紀元前800年以降から再び歴史に出てくる。そこからの時代を盛期ギリシャとする(一般には古典期と称される)。この盛期ギリシャは社会制度としての「ポリス制」「民主制」を形成・興隆させ、近代民主制の源となることで社会史上もっとも重要な社会となる。
02 ピロパポスからアクロポリス南面
【02 ピロパポスからアクロポリス南面】
ポリスというのは、高台から見渡せる範囲くらいの領域を限度として一つの国家形態を持ち、人口が数万から数十万単位のものを言う。今日の国家概念とは全く異なっていて規模も小さなものだが、各ポリスは「国」として完全に独立していた。アクロポリスというのはそのポリスの中心となる「町の高台」で、どのポリスも持っており、いざというときには城塞ともなった。
03 アゴラからアクロポリス北面
【03 アゴラからアクロポリス北面】
アテネはそのポリスの代表と言える。新石器時代から人が住み、ミケーネ時代にも城塞化されているが、ギリシャの代表となるのは盛期になってから。そのアクロポリスは城塞の働きを持っていたため、入り口となる西面をのぞいて垂直の壁面となって外敵の侵入を防いでいた。この北面は自然的岸壁の上部に人工的な城塞が建造されていることが良く観察される。
04 ゼウス神殿からアクロポリス東面と
【04 ゼウス神殿からアクロポリス東面】
アクロポリスの南面のゼウス神殿からアクロポリスを望むと南面と東面が同時に見えて、アクロポリスの城塞としての姿が良く観察される。ここは海抜150メートルで、麓からは70メートルほどの高さとなる。位置は古代アテネの都市の真ん中にあり、周囲にさまざまの諸施設が取り巻く形となっているが、この形態は珍しい。普通アクロポリスは町の背後にある。
05 民会場からアクロポリス西面
【05 民会場からアクロポリス西面】
アクロポリスの西面だけが斜面になっていてアクロポリスへの登り口はこの面だけにあった。斜路を上っていくと正面に「プロピュライア(出入り口門)」の建物があり、向かって右手にパルテノン神殿が大きく見える。これらの建物は、ペルシャ戦争で破壊された旧神殿を、戦勝後に復興させたもの。復興工事はトータルとして紀元前400年代の最興隆期のペリクレスの時代。
06 アクロポリスの麓
【06 アクロポリスの麓】
アクロポリスの西には「アレイオス・パゴス(軍神アレスの丘)」と呼ばれる岩山があり、そこからアクロポリスの麓や西面や北面が良く観察できる。このアクロポリスの復興工事の時期というのは、ソクラテスを初めとして古代ギリシャの文化が花開いていた時期となり、このアクロポリスは文字通り古代ギリシャ文化の象徴と言える。
07 アクロポリス入り口・プロピュライとア
【07 アクロポリス入り口・プロピュライア】
アクロポリスへの入り口のプロピュライアの様相であるが、中央に柱によって支えられている楼門があり、左手には「絵画館」と呼ばれる部屋が付設されていた。その絵画館の手前に大きな台座があるが、これはローマ時代のもので「アグリッパの銅像台座」。ローマは、巨大建築は得意だが、精巧さにおいてはギリシャに劣ることが観察できる。
08 プロピュライア右上のニケー神殿
【08 プロピュライア右上のニケー神殿】
プロピュライアの、向かって右には「ニケ神殿」が付設されている。ニケは勝利の女神であり、守護神という性格を持つ女神アテネに付き従っている従神。この神殿は小降りだが、調和のとれた美しさを示してギリシャ神殿の中でも優れたものの一つ。柱は細身で流麗な線を持つイオニア式となっている。
09 プロピュライア左上の絵画館
【09 プロピュライア左上の絵画館】
プロピュライアの左手の絵画館だが、絵画館と呼ばれるようにここには古代には絵画が飾られていた。現在それらは消滅している。板に描かれた絵画は残存が難しい。壁画も、マケドニアのものをのぞいて残っていない。従って、ギリシャ絵画は「壺絵・皿絵」だけになっている。
10 ピロピュライアからパルテノン神殿
【10 ピロピュライアからパルテノン神殿】
プロピュライアを抜けてアクロポリスに入る。この柱を通してみるパルテノン神殿はある種の感動を覚える。
11 パルテノン神殿西面からの全景
【11 パルテノン神殿西面からの全景】
「パルテノン神殿」だが、その名は文字通りには「処女・乙女」という意味で女神アテネの呼び名の一つ。あるいは、この名前は神殿西側にあった「処女達の部屋」にちなむともいわれる。「神の本名」で呼ばれていない主要神殿は他にないと思う。
12 西面の柱
【12 西面の柱】
西面は実は神殿の裏正面であり、表正面は東面となる。従って参拝に来た人は、神殿をぐるりと一回りするような格好となり、その立体性を嫌でも見ることになる。柱は重厚なドリス式を用い、柱の上部にメトープと呼ばれる彫刻群が刻まれ、さらにその上の破風の部分に立体彫刻が置かれていた。神殿内部の壁の上部にはレリーフという浅い彫刻がぐるりと一回り刻まれている。
13 パルテノン神殿北面
【13 パルテノン神殿北面】
北面であるが、この神殿の土台は水平ではなく、中央に来るに従って持ち上げられていて、要するに緩い曲線となっている。この曲線の上に中央が軽くふくらんだ「エンタシス様式」の柱が置かれているのだが、その柱も内側に傾けられているという、言ってみればこの神殿は「直線がない」建築とも形容できる。この建築技術の凄さは想像を絶する。
14 パルテノン神殿東正面
【14 パルテノン神殿東正面】
東正面の破風が西面より激しく破壊。それは、この神殿がキリスト教の時代に教会にされて、東面の上部から「光」を入れたため。「光」は「光の子」たるイスエを象徴。光=イエスを拝するという意味で教会は原則的に西を入り口とした。ギリシャ神殿も東西軸だが、それは日の出の光が神殿内部の神像を照らすためと考えられる。従って神像は東を向き、東が正面入り口となる。
15 パルテノン神殿南面
【15 パルテノン神殿南面】
南面であるが、ここが一番破壊が激しい。その理由は、ギリシャがトルコに支配されていた時代、トルコはベネチアと戦争となり、ここを火薬庫としていたことからベネチア軍がここに大砲をぶち込んだから。しかしそれにもかかわらずこれだけのものが残っているように、ここの建造はすさまじく堅固で大きな地震にも耐えてきた。
16 エレクテイオン前にて
【16 エレクテイオン前にて】
アクロポリスにはパルテノン神殿以外にも幾つか重要な建物があった。その一つが「エレクテイオン」と呼ばれる建物で、アテネの伝説の王「エレクテウス」にその名前の由来がある。これは、この王や女神アテネや神ポセイドンなどを祭った複合神殿であるため複雑な構造となっている。
17 エレクテイオンのカリアティード
【17 エレクテイオンのカリアティデス】
エレクテイオン南面のテラスにある、有名な「カリュアティデス」とよばれる「乙女の柱」となる。六体あったが、一体はイギリスに略奪され、残りの五体は現代の大気汚染の関係でアクロポリス博物館に収容されてしまった。現在はレプリカが置かれている。この写真は収蔵以前のものなので五体は本物。
18 エレクテイオン南からの全景
【18 エレクテイオン南からの全景】
南からエレクテイオンを全体的に見ている。複合神殿のおもしろさが良く分かる。小さな灌木が見えるが、これは「オリーブの木」で、このアテネの町の守護神を巡って女神アテネと海神ポセイドンが争った時、女神アテネがアクロポリスにオリーブをはやして勝利したという伝説のオリーブの木の末裔となる。
19 アレイオスパゴスからアゴラ
【19 アレイオスパゴスからアゴラ】
アクロポリスの西の北側に岩山があり、それは神話・伝説に戦争の神アレスが裁かれた場所とされ、そのため「アレイオス・パゴス=アレスの丘」と呼ばれる。ここから北に広がる古代アテネの中枢であった「アゴラ(政治・経済の活動が行われた広場)」が真下に良く見える。
20 アレイオスパゴス・パウロの碑
【20 アレイオスパゴス・パウロの碑】
そのアレイオス・パゴスは後代キリスト教伝導師のパウロが演説をおこなった場所として有名で、その記念版が張り込まれている。
21 アクロポリス博物館
【21 アクロポリス博物館】
アクロポリスの奥にここから発掘された彫刻群を収蔵した博物館がある。しかし、狭いために多くの作品が展示できず、現在はアクロポリスの麓に新しい博物館が新築された。
22 旧神殿破風の「青髭」
【22 旧神殿破風の「青髭」】
アクロポリスの彫刻群を紹介する。ここには「パルテノン神殿」以前に「神殿」があったが、ペルシャ戦争の時に破壊された。以前の神殿については、数も含めて不明なことが多く、そこにあった彫刻群も議論の対象となっている。とりあえず、これは初期(アルカイク期)彫刻の代表的なもので、通称「青髭」と呼ばれる「怪物テュフォーン」とされる。
23 旧神殿破風のアテネ
【23 旧神殿破風のアテネ】
旧神殿破風彫刻の「女神アテネ」。おそらく「巨人族との戦い」を描いたもの。アテネの像は2メートルほどの高さを持つ。ギリシャ彫刻は、初期(アルカイク期)の様式的なものから盛期(古典期)に入って写実的なものへと移行していく。これは初期のものなのだが、その移行の精神を表しているように思える。
24 仔牛を担ぐ男
【24 仔牛を担ぐ男】
初期(アルカイク期)の代表的作品の一つで、初期の様式性の一つである口元の「アルカイク・スマイル」も良く観察される。「スマイル」とは「口の形」から命名したもので、本当に笑っているわけではない。
25 クリティオスの少年
【25 クリティオスの少年】
盛期(古典期)に入ってのもので、その人体表現の写実性が美しく表れている。盛期(古典期)の彫刻の特徴は、細部に至るまで「写実的」でありながら、決して一部が強調された動きや描写、あるいは激しい動きや無駄な動きを描くことはなく、「端正で気品ある」作風となっている点にある。
26 金髪の少年
【26 金髪の少年】
盛期(古典期)彫刻の頭部の代表的なもの。その表情の端正さが盛期彫刻の代表的なものとさせている。ただし、もちろんはじめから頭部だけであったわけではなく、身体部は破壊して失われた。ギリシャ時代には頭部とか胸像とか作る習慣はなく、原則的に全身像となる。
27 ペプロスのコレー(少女)
【27 ペプロスのコレー(少女)】
ペプロスというのはこの像が身に付けている着物であるが、上下とも布をはおり、巻き付けただけといってもよい簡便な着物となる。コレーというのは「少女」という意味。この像は初期(アルカイク期)彫刻の代表的なもので、その表情は多くの人々を魅了する。髪の毛に赤の色が残っているように、ギリシャ彫刻は本来着色されていた。
28 キオスのコレー
【28 キオスのコレー】
コレー像としては典型的なもので、キトンというヒダができる形の着物を身に付けている。着物のあちこちに彩色されていた跡が残っている。
29 果物を持ったコレー
【29 果物を持ったコレー】
これもキトンを身に付けたコレー像の中で人気のものだが、右手に果物を持っているのが特徴的である。
30 パルテノン西破風復元
【30 パルテノン西破風復元】
ギリシャ神殿というのは、破風の部分にその神殿にまつわる神話・伝承に題材を取った彫刻群が置かれていることが多く、パルテノンの場合は東西の破風共に女神アテネにまつわる神話・伝承が描かれていた。この西破風は、女神アテネと海神ポセイドンのアテネの町の守護神争いがテーマとなっている。向かって中央左が女神アテネ。
31 パルテノン破風彫刻
【31 パルテノン破風彫刻】
破風彫刻の多くがイギリスのエルギンによって略奪されて、現在大英博物館に収蔵されている(ギリシャは返還運動を起こしているが成功していない)。近代になって、ギリシャの学者達が瓦礫の中から貴重なオリジナル彫刻の断片を見つけ出して復元した。これはそのうちの一つで、西破風に属する「ケクロプスとその娘」の像。
32 パルテノン破風彫刻
【32 パルテノン破風彫刻】
右の像が同じく西破風に属する「ポセイドン」の胸部で、右は「イリソス河の神」かと推定されている。ポセイドンの胸像は大英博物館にもあるのだが、その前部が失われた像となっている。その前部がアクロポリスの瓦礫の中から発見されてこのように復元された。従って、アクロポリスのものも大英博物館のものも両方ともオリジナルということになる。
33 パルテノン南のメトープ
【33 パルテノン南のメトープ】
パルテノン神殿の軒の部分にはメトープと呼ばれる彫刻群がぐるりと神殿を取り巻いていた。その題材は、アテネの伝説王テセウスにまつわる「ケンタウロスとラピタイ人の戦い」となる。このメトープの大半もエルギンによってはぎ取られて略奪されてしまったが、この南面の端だけはその難を免れたオリジナル。
34 西面内陣のフリーズ復元
【34 西面内陣のフリーズ復元】
パルテノン神殿は「破風彫刻(完全立体彫刻)」「メトープ彫刻(深掘りで、一部立体的となる彫刻)」「フリーズ彫刻(浅い彫りの彫刻)の三種類の彫刻を全て備えた唯一の神殿だが、このフリーズは内陣の上部をぐるりと囲むように作られていた。その復元の様子。
35 フリーズの中心「神々」
【35 フリーズの中心「神々」】
フリーズの多くもエルギンによってはぎ取られて略奪されたが、すでに神殿の破壊によって地上に落ちて埋もれていたものなどがその難を免れて近代になって発掘された。そのうちのフリーズの一つで、これはフリーズの主役となる「神々の閲覧」の場面で、これが略奪されなかったのは幸いであった。
36 フリーズの騎馬隊
【36 フリーズの騎馬隊】
同じく「騎馬隊」の場面となるが、このフリーズの題材は「パンアテナイア際(全アテネ祭)」の「女神アテネへの奉納行列」である。騎馬隊は昔日の貴族階級、民主制下にあっても上流階級・金持ち階級のシンボルであって、「行列の中心」となる。
37 フリーズ・供物を運ぶ女達
【37 フリーズ・供物を運ぶ女達】
同じく「供物を運ぶ女達」の場面で、これは女神アテネに供物を捧げる行事としてのパンアテナイア祭の「核」の描きとなる。こうしてトータルとして、主役としての「神々の閲覧」の場面、行列の中心「騎馬隊」の場面、核である「奉納行列」の場面の主要三場面が全てアクロポリスに残ったことになった。
38 サンダルを脱ぐニケー
【38 サンダルを脱ぐニケー】
アクロポリスには、プロピュライア(入り口)の向かって右の城塞突端部に「勝利の女神ニケ」の神殿があるが、その神殿を囲んでいた囲い壁に多くのニケの彫刻があった。これはそのうちの一つで、盛期ギリシャ彫刻の代表的なものと称賛されているものの一つ。着物のヒダを通して身体の美しさが良く表現されている。
39 沈思のアテネ
【39 沈思のアテネ】
奉納彫刻の一つで紀元前450年頃と推定。盛期ギリシャ彫刻の最高傑作の一つとされている。一般に「沈思のアテネ」と呼ばれるが、それはこの女神の表情から取られた命名で、この場面のテーマはいろいろ議論されているが定説はない。
40 カリアティード
【40 カリアティデス】
現在アクロポリス博物館に収蔵されてしまっている、エレクテイオンの「カリアティデス(乙女の柱像)」のオリジナル。現在エレクテイオンに近づいて身近に見ることはできないので、オリジナルのカリアティデスの彫刻的技法を見るには便利。
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