1.世界遺産にみる地中海域の古代・中世社会 - 14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

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INDEX
1. 「マルタ島」の
先史巨石神殿群
2. エジプト・
世界遺産ピラミッド群
3. クレタ島「ミノア文明」と「クノッソス」等
4. 「アトランティス大陸伝説」の「テラ(サントリーニ)島」
5. 小アジア「ヒッタイト文明」と「ハットゥシャシュ」
6. 小アジア「トロイ文明」
7. 古代ギリシャ、「ミケーネ文明」
8. 古代ギリシャ、アテナイの「アクロポリスとパルテノン」
9. アテナイ、「アクロポリスを巡る遺構」
10. 古代ギリシャの世界遺産群
11. 古代ギリシャ、オリンピアなど四大競技会
12. 古代ギリシャ彫刻史
13. 南イタリアとシケリア島のギリシャ遺跡
14. アレクサンドロス大王とヘレニズム世界
15. ローマ帝国、世界遺産「ローマとポンペイ」
16. 南フランスと小アジアのローマ遺跡
17. 中東のローマ遺跡、世界遺産「パルミラ、ペトラ、イエルサレム」
18. ローマのモザイク群、「シケリアと小アジア」
19. キリスト教伝道「パウロの道とエジプトの道」
20. ビザンティンの世界遺産、「小アジアとギリシャのメテオラ、ミストラ」
21. ギリシャのビザンティン世界遺産群
22. キプロス島の世界遺産、「先史、古代ギリシャ、ビザンティン」
23. ブルガリアとルーマニア・モルドヴァ地方の世界遺産
24. イスラーム世界の興隆、「中東、スペイン、エジプト・カイロ」
25. 古代ペルシャ(現イラン)の世界遺産
26. バチカン法王庁と
カトリック大聖堂
27.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その1
28.エスパーニャ(スペイン)
歴史紀行、その2
29.ちょっと変わったイスラーム、イランとモロッコ
30. シリア・ヨルダン歴史紀行
31. フランス(ガリア地方)開拓史
「先史巨石文明」から「ローマ帝国」まで
32. フランス中世の
「カトリック大聖堂」と「宮殿・古城」

14.

アレクサンドロス大王とヘレニズム世界

故郷ペラの遺跡。 ペラ博物館のモザイク。 アレクサンドロス像。 ミエザのアリストテレスの学校。 聖都ディオンの遺跡。 オリュンポス山。 小アジア「イッソス」の古戦場。 マケドニアの聖都、世界遺産「ヴェルギナ」。 世界遺産デロス島の遺跡。 小アジア、世界遺産「ネムルトダ」


■アレクサンドロス大王とヘレニズム
アレクサンドロスとヘレニズム地図-小 拡大地図を見る>>
ギリシャ北方の古代マケドニア。ヘレニズム世界とはそこから古代ペルシャすなわち小アジア、中東、中央アジアを含み込んだ領域となる。
ギリシャ北方、マケドニアの旧都「ヴェルギナ(古代アイガイ)」。ヘレニズム都市の代表ギリシャ・エーゲ海の島「デロス島」。小アジア、現在のトルコの内陸部のネムルト山にある「コンマゲネ王朝、アンティオコスの墳墓」。
 その他、世界遺産指定されてはいないが、関連遺構としてギリシャ北方、アレクサンドロス大王の故郷「ペラ」、師匠アリストテレスの学校「ミエザ」、マケドニアの聖都「ディオン」、アレクサンドロスとペルシャとの古戦場「イッソス」など紹介。
東西世界の融合という世界史上の画期的な出来事。その現象を「ヘレニズム(ギリシャ主義世界)」という。
紀元前300年以降。
ギリシャ・マケドニア人
 ヘレニズムというのは、ギリシャの本名「ヘラス」から取られた名称で「ギリシャ風・ギリシャ主義社会」という意味。ペルシャを制圧したアレクサンドロス大王によってギリシャ文化が中東・エジプトから中央アジアまで広げられ「東西文化の融合」が行われた現象をいう。
 世界遺産「ヴェルギナ」はアレクサンドロス大王の父フィリップス王の墳墓と認定され、その出土物から当時のマケドニア文化が忍ばれている。
 世界遺産「デロス島」はヘレニズム期に興隆し、ヘレニズム社会の特徴をよく示している。特に、「エジプトの神々の神域」が東西融合をよく示す。
 世界遺産「ネムルトダーの墳墓」は、アレクサンドロス大王の後継者の一人でシリア地方を支配していたセレウコス王朝の流れにある地方の王朝「コンマゲネ王朝」のアンティオコス一世の墳墓の地。その墳墓の独特さと、「ギリシャとペルシャの神が融合した神信仰」の神像によって、東西融合というヘレニズムの特質を良く表している。
 写真はアレクサンドロス大王の故郷「ペラ」からはじめ、「ミエザ」、「ディオン」さらに「イッソス」という具合にアレクサンドロス大王の夢の跡を追う。その後で、世界遺産「ヴェルギア」を紹介して、そしていわゆる「ヘレニズム都市」としてギリシャの世界遺産デロス島、最後に現在のトルコに位置する世界遺産「ネムルトダー」を紹介している。ここで、ヘレニズム期の特質を知るのも大事だが、それよりアレクサンドロス大王に興味をもってもらいたい。
(外国語の日本語表記は厄介で、さまざまの表記法がある。ここではとりあえずの表記とする。
01 アレクサンドロスの故郷ペラにて
【01 アレクサンドロスの故郷ペラにて】
北ギリシャの「テッサロニケ」から北西に40キロくらいの所に「古代マケドニア」の首都「ペラ」がある。紀元前5世紀末、それまでのマケドニアの首都「アイガイ」から遷都。ここはアレクサンドロス大王の故郷となり、新しい時代「ヘレニズム(ギリシャの本名「ヘラス」にちなんだ命名で「ギリシャ風・ギリシャ主義時代」という意味)」がここから開かれていった。
02 ペラの遺跡全景
【02 ペラの遺跡全景】
ペラの遺跡は、重要遺跡ではあるが一部しか発掘されておらず世界遺産指定されていない。ところで、古代ギリシャ世界の中での「古代マケドニア」の位置づけは微妙なのだが、少なくともギリシャ人の一部族で、古い時代の「王制」を保ち続けた部族とされる。そのため、アテネやスパルタを中心とする「ギリシャ・ポリス連合」とは別扱いにされていた。
03 モザイクの間
【03 モザイクの間】
現在眼にする遺跡は、4世紀末のカッサンドロスの再編になるもの。都市を囲む城壁の長さは全長8キロメートルに及ぶ。その中で発掘・公開されているのはほとんど三つの邸宅だけ(アゴラや宮殿などは発掘中)。相当に広い館で、右手の館は3千平方メートルとなる。「ディオニュソスの館」と呼ばれ、写真のところに「豹に乗るディオニュソス」のモザイクがあった。
04 現場のモザイク
【04 現場のモザイク】
遺跡入り口から見て、三つ並んだ邸宅跡の一番左手の邸宅は「ヘレネの略奪の館」と呼ばれ、中央の中庭を囲むように部屋が並んでいる。重要なのは、三つのモザイクが現場に残されていること。その代表的なものが「テセウスによるヘレネの略奪」という、テセウス伝説にある逸話をモザイクとしたもの。
05 テセウスによるヘレネの略奪図
【05 テセウスによるヘレネの略奪図】
ここのモザイクは、色の異なった小石を並べる「小石モザイク」。これ以降の、紀元前3世紀以降のモザイクは「テッサライ・モザイク」という、小さく切ったり砕いた小石やガラスやテラコッタを組み合わせるもの。ここにあるのはそれ以前の「小石モザイク」の代表的なもの。現場に残されているので埃をかぶって不鮮明だが、矢張り現場にあるという臨場感は何物にも代え難い。
06 鹿狩り図
【06 鹿狩り図】
同じく「ヘレネの略奪の館」にあるモザイクで、二人の若者が鹿狩りをしている図柄。右の、剣を振りかぶっている若者はアレクサンドロス大王を描いているのではという説もある。
07 ペラ博物館・鹿狩り図の前にて
【07 ペラ博物館・鹿狩り図の前にて】
ペラ博物館に収蔵されているモザイクで、「ライオン狩り」の図。「ディオニュソスの館」にあった。ディオニュソスの館は非常に大きく、南北に二つの中庭を配し、それを部屋が取り囲んでいる構造をしているが、その二つの中庭を隔てる中央の建物の西の部屋が「宴会場」と推察されて、その床面を飾っていた。
08 鹿狩りのアレクサンドロス図
【08 鹿狩りのアレクサンドロス図】
その「ライオン狩り」の左の若者がアレクサンドロスかと推定されている。邸宅は紀元前300年代末のものであり、紀元前356〜323年の生涯の大王をモデルにすることは可能で、この図柄はデルフィにもある「ライオンに襲われたアレクサンドロス大王に加勢する将軍クラテロス」と解釈されている。
09 豹に乗るディオニユソス図
【09 豹に乗るディオニユソス図】
「豹に乗るディオニュソス」はこの館の呼び名の所以となっているモザイクとなる。ディオニュソスの館の西翼に南北に並んだ部屋の一つで、「ライオン狩り」の部屋の南に隣接した部屋のモザイクとなる。
10 ケンタウロス図
【10 ケンタウロス図】
大半のモザイクは邸宅を飾っていたものだが、この「女のケンタウロス」は遺跡の南側にある、紀元前3世紀初頭と推定される家の遺構から発見されたもので、その宴会場と見られる部屋にあった。このケンタウロスが「女」であることはその乳房と乳首の描きで分かる。ちょっと珍しい。女のケンタウロスはもう一つ「男女組となったケンタウロス」がある。
11 アレクサンドロス大王の顔
【11 アレクサンドロス大王の顔】
アレクサンドロス大王の顔の部分の像であるが、鼻から口のあたりがそげてはいるものの、精悍であったに違いない大王の面影は良くたどれる。紀元前4世紀末のものと推定。
12 アレクサンドロス像
【12 アレクサンドロス像】
もう一つアレクサンドロス大王の全身像の八割くらい残存している像がある。小降りのものであるが、大王が神格化されていった後の作品であることは頭部に「角」をはやしていることから了解できる。山羊の姿をした山野の神パーンになぞらえて、「アレクサンドロス・パーン」などと呼ばれる。。
13 エロスの群像
【13 エロスの群像】
このペラの博物館の主役はいうまでもなく「モザイク」であるのだが、大王の像の他にもマケドニアの風俗を物語る遺品も展示されている。これはエロス群像であり、愛らしい。紀元前2世紀のものと推定。
14 黄金細工
【14 黄金細工】
ペラの近郊からこうした黄金細工が発掘され、華やかで豊かなマケドニアを物語っている。
15 黄金の冠
【15 黄金の冠】
これも同じく金細工で、こうしたタイプの豪華なものはヴェルギナで見られる。
16 ミエザ(アリストテレスの学校)
【16 ミエザ(アリストテレスの学校)】
場所が変わり、テッサロニケから真西の方角、「ヴェリア」の町から北にいった「ナウッサ」という町の近郊に「ミエザ」と推定されるところがある。ここはアレクサンドロス大王が哲学者アリストテレスによって教育されていたその場所となり、現在は綺麗な小川が流れる公園の奥まったところに遺構がある。
17 アリストテレスの学校
【17 アリストテレスの学校】
「ミエザのアリストテレスの学校」と呼ばれる場所で、カギ型に列柱廊が作られていた跡が見られる。左手の穴状のものは部屋のようになっていて、備品をおいていたのだろう。
18 アレクサンドロス閲兵の地ディオン
【18 アレクサンドロス閲兵の地ディオン】
場所が変わり、ここはテッサロニケから南に降りてきた、当時のマケドニアの南の境界に近いところにある「ディオン」となる。マケドニアの聖都であり、アレクサンドロスはここで閲兵式を執り行って、ここから小アジアへの東征に向かい二度とここに戻ることはなかった。
19 ディオンのイシスの神殿
【19 ディオンのイシスの神殿】
ディオンはオリュンポスの神々が住まう「オリュンポス山」の麓にあり、「ディオン」という名前自体「ゼウス」を意味する「ディオス」からきている。したがって勿論「ゼウスの神域(ゼウス・オリュンピオス)」があったが、現在ここを訪れると紀元後2世紀末と推定されるエジプト由来の「イシス神域」が第一に眼に付く。文化の歴史を思わせて興味深い。
20 ディオンの街路
【20 ディオンの街路】
ディオンの遺跡は公園状になっていて、南から入る形になっている。そのまま北に進んでいくと町の南門に来る。その南門から真っ直ぐ北に延びる大通りが幹線通りだったと思われる。幅約6メートルで長さは570メートルほどの立派なもの。ただし、敷石で舗装されたのはローマ時代になってから。ここも碁盤目状で整然とした町の造りであった。
21 ディオンの鎧と盾の壁
【21 ディオンの鎧と盾の壁】
南門から入って、この幹線道路の左手に「盾と鎧のレリーフ」が並んでいるのが、いかにもアレクサンドロス大王の閲兵式の場であったことを彷彿とさせる。ただし、これはその当時のものではなく、アレクサンドロス以降のヘレニズム時代のもの。しかし実物大のレリーフはやはり尚武の都を思わせる。
22 神々の住居オリュンポス山系
【22 神々の住居オリュンポス山系】
古代ギリシャの神々は、「オリュンポスの神々」という呼称を持つが、それはこのオリュンポス山にちなんでいる。ギリシャ北部にある最高峰(2917メートル)の山で、ここに神々の住まう住居があったとされる。単独の山ではなく連峰であり、頂上は雲に覆われていることが多い。
23 イッソスの戦いモザイク(ナポリ博)
【23 イッソスの戦いモザイク(ナポリ博)】
アレクサンドロス大王というとペルシャとの戦いがハイライトだが、そのハイライトの中でも「イッソスの戦い」が有名で、さらにその戦いのモザイクと推定されるものがポンペイの遺跡から発掘されている。中央にアレクサンドロスとペルシャ王「ダレイオス3世」と推定される二人がいる。
24 モザイクのアレクサンドロス大王
【24 モザイクのアレクサンドロス大王】
アレクサンドロス大王は常に戦陣の先頭に立って戦い、そのため何度も危機に陥っており負傷も絶えなかった。このイッソスでは、アレクサンドロスが敵将のダレイオスに向かって一気に迫っていった折の情景を、彼に従っていた部将が後にモザイクとして描いたと推定されている。
25 イッソスの古戦場(現トルコの南端近く)
【25 イッソスの古戦場(現トルコの南端近く)】
その「イッソスの古戦場」は、現在はトルコ領の南方、中東地域へ降りていく手前に位置している。「ピナコス河」を挟んで戦闘が繰り広げられたのだが、そのピナコス河のあった位置については未だ議論が決着していない。その意見の中の有力な学説に基づいて「古戦場」が特定されているが、現在は訪れる人も居ないただの原っぱとなっている。
26 古戦場のピナロス河の現状
【26 古戦場のピナロス河の現状】
ピナコス河と推定されている河であるが、古代にあってはもっと大きな河であった。現在はこんな小川になってしまっているが、これは近在のセレウコス朝の首都アンティオケアを流れていて、ローマまで通ずると謳われた有名な「オロンテス河」も同様で、近代の環境破壊のすさまじさをこんな遺跡にも感じ取れる。
27 古戦場に残るローマ水道橋
【27 古戦場に残るローマ水道橋】
ローマ時代に建造されたピナコス河畔にある水道橋の跡であり、歴史を感じさせる唯一の残存物。もちろんアレクサンドロス以降のものだが、現場に立つとある種の感慨を呼ぶ。
28 マケドニアの聖都・ヴェルギナ
【28 マケドニアの聖都・ヴェルギナ】
再びギリシャに戻って、古代マケドニアの「ヴェルギナ」となる。ここが世界遺産指定されている。現代名のヴェルギナは古代マケドニアの旧都「アイガイ」であり、ペラに都が遷都された後も「聖都」として特別な位置を保っていたと考えられている。ここにアレクサンドロス大王の父でマケドニアを強大な国に育てたフィリップス王の墳墓が発見されたことで有名となった。
29 宮殿跡
【29 宮殿跡】
ここの「王宮」遺構は、遷都される前の王宮(未発見)ではなく、紀元前4世紀フィリップスによってか、あるいはもう少し下ってカッサンドロスによって建造されたかどちらかと考えられている。ペラの王宮とは役割が異なり、儀式や大々的な公的な行事、あるいは夏の避暑に使われたかと考えられている。
30 宮殿のモザイク
【30 宮殿のモザイク】
この宮殿は約105×89メートルという大きなものであるが、中庭を囲んで周囲に部屋を配するという基本的な構造を持っている。そしてそのそれぞれの部屋にモザイクがあったと考えられるが、これはその中の一つとなる(ただし、近年埋め戻されてしまった)。
31 フィリップス暗殺の現場(劇場)
【31 フィリップス暗殺の現場(劇場)】
フィリップスが暗殺された劇場として知られる。二列目以降に石造りの座席がないがこれははじめから無く、多分木製の座席が作られていたのだろう。また、王族は隣接する王宮のベランダから見ていたという説もある。オルケストラが非常に大きい(直径28.4メートル)が、それは、この劇場が演劇のためよりむしろ「儀式・式典」の場であったことを示唆している。
32 フィリップスの墳墓
【32 フィリップスの墳墓】
フィリップス王の墳墓と同定されたもので、墳墓を覆っていた丘を発掘後そのまま元の形に復元する形で発掘墳墓をオリジナルのまま保ち、その下の発掘部分を博物館にしてしまったというユニークな博物館。発掘された黄金製の骨箱をはじめ貴重な埋蔵物が見学でき、ここが最大の見学場所となる。
33 レフカディアのマケドニア墳墓
【33 レフカディアのマケドニア墳墓】
ヴェルギナ近郊にはマケドニア様式の墳墓がたくさん発見されているが、これはレフカディア地方の墳墓で、通称「裁判の墳墓」と呼ばれているものである。写真は現場に置かれた当時のマケドニア式墳墓の構造の復元図となる。
34 墳墓の「冥界の審判」図
【34 墳墓の「冥界の審判」図】
「裁判の墳墓」であるが、裁判といっても「冥界での裁判」である。写真は左から、冥界での裁判官「アイアコス」と「ラダマンテュス」となる。この図柄について哲学者プラトンに描かれる冥界での裁判の様子が言及されることがあるが、特にそう考える必要もなく、墳墓であるのだからギリシャ世界に一般であった冥界の裁判官を描いたとして良い。
35 ヘレニズム都市デロスにて
【35 ヘレニズム都市デロスにて】
ヘレニズムの代表的遺構としてここでは世界遺産指定の「デロス島」を紹介しておく。デロス島は、神アポロンと女神アルテミスの生誕の地というギリシャ神話の舞台として、また歴史時代の「デロス同盟」の地として、そしてヘレニズム時代にもっとも栄えた海上貿易の港町として、ギリシャ史に長い歴史を持った島である。遺跡はヘレニズム期のものとなる。
36 デロス島全景
【36 デロス島全景】
デロス島は、南北5キロ、東西1.3キロほどの小さな島で、全島が遺跡といっても良い。こんな小さな島なので現代の大型船は停泊できず、近くの「ミコノス島」から小型船でくるしか方法がない。ここを丁寧に見学しようとすると一日では全く足りない。船は半日しか滞在してくれないし、ホテルもないので、毎日ミコノスから通うしかない。
37 聖道
【37 聖道】
現代も古代と同じ港の傍らにある船着き場に着くので、ここから上がって行けば古代のままにこの「聖道」に出てくる。この聖道の左手(海側)に列柱館の遺構があり、そこに紀元前3〜2世紀というヘレニズム期のフィリップス5世の奉納したことを記す文字が現在でも良く読み取れる。
38 ナクソスの巨像
【38 ナクソスの巨像】
ナクソスの人々が奉納したアポロン像の断片が左手に見える。この巨像は9〜10メートルはあったと考えられる。紀元前7世紀のアポロン像の胸部破片と腰の部分が二つになってアルテミスの神域に転がっている。もともとここにあったわけではなく、元来は聖堂を入ってすぐのナクソス人の家の台座に立っていた筈(ただし、この台座と像を巡ってはいろいろ問題もある)。
39 ライオンのテラス
【39 ライオンのテラス】
デロス島のシンボルとされる「ライオン像のテラス」でこれも紀元前7世紀のもの。現在は5体しか残っていないが、元来は9体であったとされる。ただしこれも最近博物館に収められてしまって、ここには精巧なレプリカが置かれている。写真はそれ以前のものなので本物。
40 イシス神殿
【40 イシス神殿】
この遺跡には、ヘレニズム期の特質でもあるエジプトの神々の神殿がしっかりと残っていて異彩を放っている。これはエジプトの母性神「イシスの神殿」であり、紀元前135年に奉納されたことが碑文に見える。
41 イルカの家のモザイク
【41 イルカの家のモザイク】
デロスには、港の北に広がる神域遺構と対になるように南にはヘレニズム期の家屋群があり、ここにはモザイクを持った邸宅が複数発掘されている。その一つ。通称「イルカの家」と呼ばれるのは言うまでもなくこのイルカのモザイクから。
42 クレオパトラの家
【42 クレオパトラの家】
紀元前2世紀のクレオパトラと呼ばれた女性(エジプトのプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラとは無関係)とその夫ディオスクリデスが住んでいた家で、そこに二人と見られる像が置かれていた。ここは当時の人々の息吹が感じられる場所の一つ。
43 トルコ・ネムルトダーにて
【43 トルコ・ネムルトダーにて】
場所変わり、現在のトルコ地方の内陸の奥にある「ネムルトダー」という山である。ここに、ヘレニズム期の地方王家(コンマゲネ王朝)の墳墓遺構が発見されて世界遺産となっている。コンマゲネ王朝というのはシリアのセレウコス王朝の流れにあり、ヘレニズム期の特質である東西文化の融合を良く示し、ここの神像はギリシャとペルシャの融合となっている。
44 アンティオコスの墳墓
【44 アンティオコスの墳墓】
この遺構は「コンマゲネのアンティオコス1世(在位前69〜31年)の墳墓」であり、標高2150メートルという高山の頂に作られている。墳墓は拳大の大きさの石を積み上げ、直径150メートル高さ50メートルの円錐形の小山としている。それを挟むように東西にテラスが作られ、そこに神々やアンティオコスの石像が置かれていた。
45 東のテラスの巨像群
【45 東のテラスの巨像群】
石像は、現在では首が落ちてしまい足下に転がっている。東テラスの落ちた首は、元の場所に残っている本体の胴部分の前に整理されて並べられている。向かって左から「アンティオコス」「女神コンマゲネ」、さらに「ゼウスとペルシャのアフラ・マズタの融合」「アポロンとミトラスの融合」「ヘラクレスとアルタグネスの融合」「鷲」「獅子」となる。
46 西のテラスの巨像群
【46 西のテラスの巨像群】
西のテラスは首が落ちたままに散らばっている。ただし、横向きなどになっていたものは直立に戻されている。向かって左から、ギリシャ名で示すと「アンティオコス」「ゼウス」「コンマゲネ」「アポロン」「ヘラクレス」「鷲」となる。
47 夕日のネムルトダー
【47 夕日のネムルトダー】
夕日のアンティオコスの墳墓であるが、こんな山の上に当時の人はどうしてこんな墳墓をつくったのか。盗賊などに荒らされることを怖れてか、「天に近く」あることがアンティオコスの望みであったのか。この夕日の遺跡を見ていると「天に近くあることを望んだ」と思えてくる。しかし臣下にとっては、祭礼の時は大変であったろう。
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