17.哲学入門、哲学的に物事を考えるとは〜西洋哲学史を巡って〜 - 13. 生と死を見つめた憂愁の哲学者、「キェルケゴール」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

17.「哲学」の一般的な用法と本来の用法
HOME
INDEX
1. 「哲学」の一般的な用法と本来の用法
2. 学問の発祥、「自然哲学者」の誕生
3. 哲学の始祖、「ソクラテス」
4. 師ソクラテスの問題への回答者「プラトン」
5. 学問・哲学の体系を形成した「アリストテレス」
6. 「ソクラテスの弟子たち」と「ローマ期の哲学」
7. 中世キリスト教神学、「アウグスティヌス」の場合
8. 近代哲学の祖、「デカルト」の思考法と「スピノザ」
9. もう一つの近代哲学の流れ、「ロックとイギリス経験論」
10. 近代哲学の集大成、「カント」の批判哲学とは
11. カントを引き継いだ「ドイツ観念論」
12. ドイツ観念論の行き着いた先「ヘーゲル」
13. 生と死を見つめた憂愁の哲学者、「キェルケゴール」
14. 近代唯物論哲学の巨星、「マルクス」
15. 生の徹底的肯定者、「ニーチェ」の場合
16. 現実に生きている人間の立場、実存主義の「サルトル」
17. 20世紀の哲学の外観
18. 西洋哲学史概略

13.

生と死を見つめた憂愁の哲学者、「キェルケゴール」


はじめに
 キェルケゴールは同時代人である
「哲学者ヘーゲルに対する根本的な批判」という形で自己の哲学を形成した哲学者となります。
 
そのヘーゲルの場合、人間というのはもうまるで「理性のかたまり、思考の主体」で、そうであるがゆえに「存在の真実に至れる」といったようなものでした。しかも、「すべては絶対者の現れ」として、「世界は全く理屈どおりになっている」というわけですから、世界は「理性と論理そのもの」でした。しかも、「人間とは理性」で、みんなそうで、そこに「一人一人」といった別などどこにもありません。ここには、泣いたり笑ったり不安におののく「一人の女ないし男」なんてものいません。人間はただどこまでも「ただの人間ないし理性」であって、男だの女だの、泣いてるだの笑ってるだの、「僕」だの「私」だのどこ探してもないのです。
  でもそれはない、
本当の人間は、「客観的な論理」で外側から眺められ、何の表情もない「人間」という「言葉」で捕らえられるものではない筈だ、とキェルケゴールは考えたのでした。

 また、キェルケゴールは20世紀前半の思想界を支配した
「実存主義」の先駆とされる哲学者ですが、その人生と思想はかなり壮絶なものがありました。そして、この「壮絶で悲しい人生が彼の哲学の基盤」になっているとされます。不幸な家族の中、精神的に大きなトラウマを抱えて苦悩し、身体も弱く、社会的にも非難の波に襲われ、教会からは憎まれ、そうした社会に負けじと食らいついていきましたがついに路傍に倒れ、のたれ死にしていったのでした。
 
「人生が彼の哲学を形成させた背景」であると考えられるなら、キェルケゴールの紹介は「その人生」の紹介から始められなければならないことになります。

キェルケゴールの人生
 その人生ですが、彼は
「1813年5月デンマークのコペンハーゲン」に生まれました。父親は裕福な毛織物商人でしたがキェルケゴールを生んだ年は56歳、母親が45歳という年寄りっ子で7人目の子どもでした。
 しかし彼は
「病弱でしかも少し背骨が曲がっていた」とか伝えられています。それはともかく、彼は「精神的に非常に不安定」であったようで、現代的に言うと「躁鬱症」らしく「憂鬱の気」を持つ反面で「社交的な側面」も併せ持ち、そのため自ら「自分は二つの顔を持つ。一つの顔で笑い、他方で泣いている」などと記しています。
 そうした彼は
「精神的にトラウマ」を持っていたことを自ら告白しているのですが、それが何だったのか生涯明らかにしなかったので、研究者は「背中が曲がっているという身体的な障害」だったのではないか、「躁鬱癖」だったのではないか、いや「若い頃放蕩」をしていたからではないかとかいろいろ推測していますが、本人が明かさずに死んでしまったのですから詳しい事は分かるはずもありません。

 ただ、考えられることは彼の思想・人生が一途に
「イエスの神」との異常なほどの献身的な関わりにあり、そのことが「イエスの神に欺瞞の衣を着せていると見なされるキリスト教会」にすさまじい非難を加えていく程のものとなっているのでした。ですから彼の精神的トラウマというのは身体とか社会的なものとは考えられず、むしろイエスの神との関わりにおける「精神的な負い目であった」という可能性もあります。
 つまり彼は、
「人は徹底的にイエスに従い、苦難にあって十字架を背負って生き、神において死ぬべきだ」と考えていたことは後の思想に現れてきます。そうだとすると自分に「罪」が見いだされた時それは「トラウマとなって苦悩の種」となってくるはずで、それは22歳の時の秋の頃に衝撃的な形で襲ってきたことが日記に記されています。
 そして
「自分の父が長生きをしているのは神の祝福ではなく、むしろ神の呪いであったと分かった」などと記しています。ということはこの「トラウマは父に由来している」とも理解できるわけで、それは父がまだ子どもの頃、荒野で羊の番をしていたとき飢えと寒さのために「神を呪った」ことがあったということを知ったことだろうと推測されたりしています。
 あるいは母は、父と結婚する前は召使いであり、
「父に手込めにされて子どもを宿し」そしてその後になって正式に結婚したという事実を知った時かとも推測されています。
 しかし、まだ子どもの頃の父が一晩中飢えと寒さの中で羊の番をしている時
「神様はひどい」と言ったことが、その子どもにとって「神への離反」になると考えられて「精神的トラウマ」になるのはあまりに幼稚と思われるので、あり得るとしたら「召使いの女に手を出した」という方かと思われますが、いずれにせよそれが「生涯のトラウマ」になって人生を狂わせた、とはどうもずいぶんと繊細な神経の持ち主であったと思われますが、実際にそうなのでした。

 ただしこの結婚から生まれた子供たちは皆不幸の星に生まれており、先ず五番目の子どもであった兄が13歳で死に、ついで22歳の長女が、さらに姉が33歳で、翌年には兄が24歳で死んでおり、後を追うように母が死に、さらには姉が33歳で死ぬというある意味で
「呪われた家族」と言えるあり方をしています。これでは彼が「憂鬱」になるのも無理はないとも言え、実際彼も「自分は33歳以上には生きられない」と思いこんでおり、それは父親もそうで、自分だけが生き残ってしまうと思っていたようでした。
 こうして彼は絶望して
「放蕩の生活」に身を持ち崩し、あげくの果ては「自殺未遂」まで起こしてしまいますが、「彼の才能」に気付いていた恩師によってかろうじて引き戻されていきます。
 そうした中、父親が自分ともう一人の兄を残して死んでしまい、これをキェルケゴールは
「父は自分の更正のために死んでくれたのだ」などと記しています。

 さて、こうして「キェルケゴールの事件」と言えばどこでも引用されてくる有名な事件へと進みます。それが
「レギーネ事件」と言われているものですが、彼が24歳の時に大学にあって卒業論文を書いている時、知人の家でまだ14歳であった「レギーネ・オルセン」という少女に出会ったのでした。キェルケゴールはこの少女に一目惚れしてしまい、三年の月日がたってレギーネが17歳となった時プロポーズに及んだのでした。キェルケゴールは27歳となっていました。
 これがしかし
「受け入れられて」レギーネから「OK」の返事がきたのです。キェルケゴールは有頂天になって喜びます。普通ならこれで彼も幸せに、と思うところですが、何と彼は一年後にこの「婚約を一方的に破棄」してしまったのでした。これは当然回りの人々から「非難ごうごう」となりました。
 彼はこの婚約破棄に対して、その理由としては
「愛していたから」とだけしか言っておらず、他に弁解の言葉も残していません。というわけで、キェルケゴール自身言うように「この婚約破棄の秘密を解く者は自分の思想の秘密を解く者だ」となってしまったのですが、これについて研究者は「精神的トラウマ」と結びつけて解釈するのが一般です。
 つまり、キェルケゴールの
「呪われた家系」とそれを引き起こしたと見なされていた「父親の血を引く自分」、それは「情欲によって母を犯した血」であり、あるいはまた「神を呪った血」ということになるし、「放蕩に溺れた自分」「33歳までに死ぬ(と思った)家の呪い」、といったものを挙げてくるわけですが、これで果たして「キェルケゴールの思想の秘密」を暴いたことになっているのか、私には判断できません。
 しかしいずれにしてもキェルケゴールが
「レギーネを死ぬまで愛していた」らしいことは間違いないようで、キェルケゴールは1855年の11月路傍に行き倒れて死ぬことになりますが、遺言として彼は、「自分の全著作とわずかながらも残っていた遺産(彼の父親は裕福でした)」をすべてレギーネに残していったのでした。
 こんな具合に、その内面の人生は波乱に富んでいましたが、外面的には
「卑俗な新聞の人身攻撃に反論」したり、「激しい教会への攻撃」をしながら「著作に専念」していて、生活は父の遺産でまかない、4度ほどさほど遠くないベルリンに赴いている他はほとんどコペンハーゲンにありました。
 その思想家としての仕事ですが、この
「レギーネとの出会いと別れ」とがキェルケゴールを一気に思想家にしていったようで、その内的体験に基づいた著作を次ぎから次ぎにと発表していきます。

キェルケゴールの思想の特色
 さて、はじめに紹介しておいたように、キェルケゴールは同時代人である哲学者ヘーゲルに対する根本的な立場批判という形で自己の哲学を形成しています。ヘーゲルにあっては世界は論理そのもので、しかも「人間とは理性」で、そこに「一人一人の人間」といった別などどこにもありません。ここには、泣いたり笑ったり不安におののく「一人の人間」はいないのです。ヘーゲルには「人間はただどこまでもただの人間ないし理性」であって、
「男だの女」だのの性別、「泣いてるだの笑ってる」だの感情、「僕だの私だの」の「個性」などどこ探してもないのです。
 キェルケゴールに言わせれば、
「それはない、本当の人間は何の表情もない人間という言葉で捕らえられるものではない筈だ」、とキェルケゴールは考えたのでした。

 そしてキェルケゴールは
「現実に生きて存在する人間」の立場にたとうとします。ともかく彼の人生はもうこれでもか、というくらい暗く重く、陰鬱で、絶対にこういう人間としてだけは生きたくない、と誰もが思うことは間違いないくらい暗く重いものでした。こんな人間なら、「一体俺って何なのだ」と思い、「他の人達とは違う自分のありよう」を見出だし、またそれは「すべての人間に言えることだ」と思って不思議はないでしょう。
 つまり一人一人が
「まさにその人」「取替えのきかない私」という性格をもち、さまざまな思いをもって生き、決して、エンピツのように「あれもこれもみんな同じエンピツ」というのと同じように「みんな人間」などといわれて済まされるようなものではない、ということを言ってくるのです。
 こういう人間の在り方を、エンピツのような
「物的な存在」と区別して「実存」とよびました。他のものとは違って、「こういうものとして現実に存在している」というありかたのことです。こうしてキェルケゴールは「実存哲学の祖」となったのです。

「人はどう生きるべきか」
 こんなわけで、キェルケゴールの問題は
「人はどう生き、生きるべきか」というソクラテスの根本の問題のところにとどまることになります。哲学の歴史はその後、この問いからプラトン、アリストテレスによって理論化(普遍化)の方向にいった一方、小ソクラテス学派のように社会的に自己の人生を実践する方向にいったものもありました。それらにたいしてキェルケゴールの道は「自己自身の中に沈潜する」といったようなタイプだといえます。「非常に個人的」だったのですが、その問題が「多くの人の共通の問題」であったので、結局彼は多くの人に読まれ問題にされるようになった、という哲学者の一人です。
 したがって、彼はヘーゲルのような壮大な
「体系の哲学者」ではありません。彼にとっていわゆる「理論的認識など無意味」でした。それはちょうど、恋人にふられた時、「世界の構造とか人間の道徳とは」などと語ってきかせたって全く無意味なのと同じです。そして「人は常にこうした泣き、笑い、不安の中にいる」ものです。だとしたら、そんな体系的哲学などどんな意味があるでしょう。精々、大学の研究室に閉じこもっていて生身のものとして生きることをほとんどしない「哲学教授たちのおしゃべりの種」となるくらいのことです。キェルケゴールはそうして「ヘーゲル学徒の学者達」をコテンパンに批判しています。確かにヘーゲルの哲学は「歴史、歴史」といいながら、肝心の「生きていた人間」を忘れ、歴史が抽象化され、いわば「外側から眺められている」といわれても仕方のない性格をもっていますから「キェルケゴールにとっては我慢ができなかった」でしょう。

「主体的なものが真理」
 そこでキェルケゴールは
「真理は主体的なんだ」ないし「主体的なものが真理である」と言ってくるわけです。言っている意味は「生きているこの私にかかわってこない真理なんか真理の名に値しない」ということです。つまり、とかく理論、特に「客観的」といわれるものは、「私」というものをできるだけ離れていこうとします。そして「ただ対象を冷たく記述しよう」という態度に終始します。これでは「生の意味」など絶対に語れるはずがないではないかというわけです。
 私たちが、それこそ
「のぼせあがるくらい熱く執着していくところには何らかの意味で真理があるはず」だ、と言うわけです。たとえば彼は宗教を例にひいていますが、神について何度も論を尽くしてその「存在証明」をやってみたところで、「信じられるか否か」が問題なのであって、「熱烈に信じている人にとっては神はまさに生きて存在」していますが、その証明を語れる人が信じていなかったとしたら、その「存在証明なんて何の意味もない」ということです。
 つまり、神が居るか居ないかを語れること、キリスト教は真理かという「理論」が問題なのではなく、
「私たちがそれとどう関係するか、私にとって真実か、信じられるか、が問題」なのです。というのも、私たちは「関係」の中で生きているのですから。私たちは「何かとかかわる」という仕方でしか生きられません。ところが、かかわりは「理屈どおり」になんかけっしていきません。私たちは「理論、理屈の中では生きられない」のです。
 後の実存主義者が強調することですが、
「私たちはどうして生まれ、何のために生き、死ぬのか、何にも分かって」いません。哲学の祖のソクラテスがはじめに言っていたように、「私たちが生きることの意味、本当には何が正しくなにが悪いのか」もまったくまるで分かっていないのです。こうした人間の在り方を直視することが大事だとキェルケゴールは言うわけです。

「あれか、これか」の決断
 さて、このように
「わけがわからない」ところに立たされている人間ですが、何とわからなくても「現に生きている」以上「生きねばならない」のです。死を選んだっていいですが、それも「選択」されたもので、その人の「生の表現」となります。つまり私たちは何としても、「何らかの生の表現」をせざるをえないのです。この現れは「決定されているわけもない」、とキェルケゴールは考えています。私たちは「選択」しなければならないのです。「ああするか、こうするか」これは自分できめなくてはなりません。いろんな可能性はあるのでしょうが、「あれか、これか」にしなければなりません。
 先の宗教の例で明らかでしょうが、キェルケゴールによると、人間は
「あれか、これかの淵」に立たされているようなものだ、ということになります。信仰なんてまさにそうで、「信じるか信じないかのどちらか」です。確かに、イエスやブッダの言っていることは大半信じられるけど、イエスやブッダが真実「神・仏」であったかどうかは確信が持ちないというタイプの人もいます。しかしこの人は「宗教として信じてはいない」ということは確実であって、宗教というのは常に「信じるか信じないか」でしかありません。
 キェルケゴールにいわせると
「人生そのものがそうなっている」と言うわけです。「あっちを選ぶかこっちを選ぶか」でしかないのです。「やらないですます」というのは「やらない」を選んだだけです。
 キェルケゴールはソクラテスが言ったのと全く同じことを言ってますが、
「結婚しても人は後悔するし、結婚しなくても人は後悔する」と言っています。でも人は「どちらかを選ばざるをえない」のです。でも、まさにこの「選ぶ」というところに「かけがえのない自己」があるのです。だとするなら、「あれもこれも混ぜ合わせてごまかす」「他人まかせにする」なんてことせず、「自ら決断して自己を実現して」いかなければなりません。なぜなら本来、どちらも「選ばずにおく」とか「選んでしまう」とか「中間」なんてことはできるわけないのであって、仮にそう見えることがあってもそれは、「何らかのごまかし」だけのことですから。

三段階の生き方
 こうして、人間の生き方についてキェルケゴールは
「三段階の生き方」を示してきます。一番下が「感性的な生き方」で、なぜこれが最低なのかというと、この人達は「刹那的、感覚的に生きてるだけ」で、快いもの、楽しいことだけを求めて生きている人達、人生の意味とか重みなんか「ダサイこと」といって軽蔑している人達だからです。流行でもなんでも「皆と同じ」であることを何より大事にする小市民、夢みたいなことを思っておしゃべりしているロマン主義者もこの人達の仲間です。ここには、「自ら決断して自分の人生を選びとっていこう」という「自己」がありません。

 第二が
「倫理的な生き方」です。さて、人々は「集団・社会の中にいて他者との関わりを大事にしよう」とするのが一般です。そうした人々は「他人を大事にして、いわゆる倫理的な生き方」をします。あるいは、第一の感性的生き方をしていた人の中にも「そうした生き方に空しさをおぼえる人達」が出てきます。そこで、中にはさらに一層感性的生き方に溺れ空しさを忘れようとする人達もいますが、「飛躍する人達」もでてきます。これは放蕩生活をしていたキェルケゴール自身の体験でしょう。そこに見られるのが「倫理的生き方をしている人達」です。ここで「決断」が問われます。飛躍できるか否か、大事なところですが、これは「他人がとやかくしてやることはできません」「自ら選ばなければ」なりません。ここの生き方そのものはそう難しい内容ではありません。人として精一杯「人をきずつけず、平和に生きていこう」という人達の生き方です。もちろん人間ですから間違えることはしょっちゅうです。ここでは「本当に正しい」とか「間違っている」とかは重要ではありません。むしろ、その正しさに「どうかかわっていこうか」という態度そのものが問題となります。いってみれば「誠実さ」が大事ということでしょうか。

 第三の
「宗教的生き方」というのはキェルケゴールがたどりついたもので、結局彼は「心の平安を宗教に」求めざるを得ませんでした。つまり、どうしてもこの俗世は平穏な生を保証せず、真面目に生きている人を疲れさせ嫌にさせてくる性格をもっています。となると「宗教」ということになってくるのは、「キリスト教信仰が千年以上もつづいていた」西洋では十分あり得ることなのかも知れません。ただし、彼は「既存のキリスト教会」には「徹底的な批判」を加え、「真実のキリスト教は教会には存在しない」としてこうして彼は教会から迫害され、一般市民(これはどうしても感性的生き方をする人達が多数だからでしょう)からも相手にされず、彼は「民衆の敵」みたいになり、悲惨な死に方をしなければなりませんでした。キェルケゴールが脚光を浴びるのはその死後になってからのことでした。

▲ページのトップへ