17.哲学入門、哲学的に物事を考えるとは〜西洋哲学史を巡って〜 - 7. 中世キリスト教神学、「アウグスティヌス」の場合 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

17.「哲学」の一般的な用法と本来の用法
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INDEX
1. 「哲学」の一般的な用法と本来の用法
2. 学問の発祥、「自然哲学者」の誕生
3. 哲学の始祖、「ソクラテス」
4. 師ソクラテスの問題への回答者「プラトン」
5. 学問・哲学の体系を形成した「アリストテレス」
6. 「ソクラテスの弟子たち」と「ローマ期の哲学」
7. 中世キリスト教神学、「アウグスティヌス」の場合
8. 近代哲学の祖、「デカルト」の思考法と「スピノザ」
9. もう一つの近代哲学の流れ、「ロックとイギリス経験論」
10. 近代哲学の集大成、「カント」の批判哲学とは
11. カントを引き継いだ「ドイツ観念論」
12. ドイツ観念論の行き着いた先「ヘーゲル」
13. 生と死を見つめた憂愁の哲学者、「キェルケゴール」
14. 近代唯物論哲学の巨星、「マルクス」
15. 生の徹底的肯定者、「ニーチェ」の場合
16. 現実に生きている人間の立場、実存主義の「サルトル」
17. 20世紀の哲学の外観
18. 西洋哲学史概略

7.

中世キリスト教神学、「アウグスティヌス」の場合


はじめに
 時代は紀元後400年前後の
「キリスト教」の勝利の時期となります。つまり、キリスト教が「ローマ帝国の国教」とされていく時期となりますが、この時期は「ギリシャ哲学は消され、キリスト教だけしか許されない時期」へと入っていく時代となります。「自由にものごとを考えるギリシャ的精神」はなくなり、「すべてキリスト教」でなければならないという「精神の暗黒」の時代となるため、時折「精神の暗黒時代」とも呼ばれたり、「哲学はキリスト教神学の女奴隷」などという標語でも言われた時代となります。
 ただし、
「キリスト教神学」という新たな「思想の発展」はあるわけで、文字通りの「暗黒」というわけではありません。その初期のキリスト教神学を代表する神学者が「アウグスティヌス」となります。
 アウグスティヌスは
「キリスト教神学者の最大教父」として知られていますが、彼ははじめからキリスト教者であったわけではありません。若い頃は「社会的な立身出世」を志して勉強したり、「身を持ち崩して放蕩の生活」をしたりしましたが、根は知性的な人間であったために思想的な問題に悩み、当時まだ力をもっていた「ギリシャ・ローマの哲学」に惹かれたり当時流行っていた「ペルシャ由来の宗教とキリスト教の融合したようなマニ教」に惹かれたりした「あげくにキリスト者になった」人でした。
 
それ以降は狂信的とも言えるくらいにキリスト教の擁護のための思想を展開してキリスト教最大の護教家として歴史に名前を残したのでした。

生涯
 
アウグスティヌス(354〜430年)は紀元後354年北アフリカのタガステというところにうまれましたがその「母モニカ」は敬虔なキリスト者として後世にも知られるようになった女性です。当時はまだキリスト教はローマ帝国の国教になってはいませんが(国教化は379年)すでに公認はされていて(313年)キリスト者であることは普通に認められていました。
 他方、まだ伝統的なローマの宗教も生きているわけで、父親のパトリキウスはその伝統にあった人でした。このことは結局アウグスティヌスを
「伝統の思想とキリスト教」という対立にどうしても引きずり込んだとも考えられます。後代のアウグスティヌスの問題がそこにあるからで、結局「思想遍歴」という形になっていきました。
 そのアウグスティヌスの生涯の前半については彼自身の手になる自伝的な書
『告白』があり詳しく知られます。宗教者というのはその人生が思想と深くかかわっている場合が多く、アウグスティヌスの場合もそうなりますので、先ず「彼の生涯」を追うことから始めてみましょう。
 それによりますと、先ず彼は当時繁栄していた「
北アフリカのカルタゴ(現代のチュニジアでイタリアのシチリア島と目と鼻の位置にある)」にでて勉強することから遍歴がはじまりました。都会にでて勉強することは普通の上流階級の子弟の普通のあり方です。そこでそうした社会で地位を得ようとする学生の通常学ぶ「法律と弁論術」とを学んだようですが、よくある話しで都会の誘惑に負けて「放蕩の生活」に入ってしまいます。
 しかし、たまたま
哲学者キケロ(ギリシャ哲学の紹介で知られ、内容は道徳的なものとなります)の「ホルテンシウス」という哲学的対話の本を手にして感動し、哲学への思いに駆られてきます。ここら辺がそこいらの放蕩者とは違っていた点で、これ以降彼は終生「哲学の世界」に埋没することになっていったのでした。19歳の時と言われています。
 一方でこの頃
『聖書』を手にしたようですが、聖書というのは読んでみればわかりますがパウロ書簡まで行かない限り、いわゆる「思想」的な深みなどありません。始めは福音書から読むのが普通ですがここに出会うのはイエスの言行の記述です。これがどうも哲学に燃えたばかりのアウグスティヌスにはもの足らなかったようでした。

 そうしたところに
「善悪二元論」をもってこの世界の有り様を説く「ペルシャのゾロアスター教」の流れにあって、これにキリスト教の思想など周辺思想を入れ込んで構成された「マニ教」に出会っています。基本的にこれは実際「現実社会」の有り様を説明するのに分かり易くアウグスティヌスはこれに惹かれていきます。その内容は、この世界は善の神アフラ・マズタと悪神との戦いの世界であり、現実は悪神が強く侵入してきているためこの地上には悪が充満しているが、やがて善神が自ら乗り出して悪神を倒していく、そして人間はこの善神へと帰依していることによって幸せが得られる、とする思想でした。
 
しかしこの段階でアウグスティヌスは「宗教者」になっているわけではなく、むしろ社会的な職にある者として、375年アウグスティヌス21歳の時、一度故郷に戻って「教師」などになっています。そして翌年再びカルタゴに帰ってそこでも「弁論術の教師」になっています。
 そこで出会ったのが
「アリストテレス」の哲学で、これを読むうち「善悪二元論」の立場にある「マニ教」に不整合性を感じ始めたようです。実際、世界を整合的に説明するには「マニ教的な善悪二元の対立」として説明するより、世界全体の構造を「質料(物事を構成する材料)と形相(事物の形)」の連鎖による階段状の構成と捕らえているアリストテレスの理論の方が理論的に優れているのでアリストテレスに教えられるところが多かったということでしょう。
 かといってすぐにアリストテレスに鞍替えしたわけではなく、よく分からなくなってしまったアウグスティヌスは、
「真理に対して懐疑と判断中止」という「懐疑論」の立場になってしまいます。アウグスティヌスの当時の懐疑論は、プラトンの流れにあるアカデメイアが代表していました。
 
一方アウグスティヌスは「社会的栄達を求める生活」から外れているわけではなく、哲学はあくまで「精神生活上のこと」でしかありません。まだまだ後のキリスト教思想家アウグスティヌスまでは遠いです。そしてアウグスティヌスはやがてもっと優れた社会的地位を求めて首都ローマに渡っていきます。383年アウグスティヌス29歳の時でした。そして翌384年にミラノに弁論術の教師の職をえましたが、ここが彼にとって人生の分かれ道となったのでした。

 すなわち、その地にあってアウグスティヌスは当時
「ミラノの司教を努めていたアンブロシウス」と出会い、その説教のすばらしさに「キリスト教への理解」が得られてキリスト教への道が開かれてくることになったのが一点で、さらには当時ラテン語に翻訳されていた「新プラトン学派の思想(「プロティノス」に代表される)」を当時有名な修辞学者であったマリウス・ヴィクトリヌスによって教えられたことが第二点でした。
 ここに始めてアウグスティヌスは「非物質的世界」に関わる整合的な思想を知り、物質世界の根拠としての
「超越的世界の存在」に目を開かれることになったのでした。こうしてアウグスティヌスの中で「キリスト教と新プラトン主義」とが結びついてきたのでした。そしてさらにアウグスティヌスはこの新プラトン主義の思想が「聖書のパウロ書簡の中でキリスト教的色彩をもって」(と、アウグスティヌスには見えた)語られていることを見いだしていったのです。
 新プラトン主義というのは、万物は「一つなる」善から流失し、それは光のように進みやがて闇に沈むがその間に様々の存在形態を示すというわけですが、人間の魂はその流れの中にあってその光を遡って真実なる善と合一できる、といった神秘主義的な哲学でした。ここでの、この世界が
「一者(神)から構成されている」ということや、人間の魂はその「一者(神)へと合一」していくことが目的とされることなどはキリスト教の思想にうまく合っていると言えました。
 しかしもちろん紀元後40〜60年頃に活動していたパウロの時代には、遙かに時代の下がった新プラトン主義哲学のプロティノスなど生まれているわけもなく、パウロが新プラトン主義と見なせるなどと言われても、パウロ自身は目を白黒させるだけでしょうが、要するにアウグスティヌスにとっては
「パウロの思想は新プラトン主義をキリスト教の中で先取りしている」と読めたわけでした。

 
しかしこうして思想的には自分の納得する世界へと誘われていったものの、まだ通常の人間として社会的栄達の生活に未練のあったアウグスティヌスはキリスト教に回心することにためらいがありました。
 ところが自分に新プラトン哲学を教えてくれたヴィクトリヌスが先にキリスト教に回心してしまったなどもあってキリスト教への心の準備が整えられていき、
「霊的生活」へと意志が向いていったようです。そうした386年の夏のある日ミラノのとある家の庭園にあったとき、「とりて読め(トゥレ・レゲ)」という子どもの声が響きます。もちろんこれは何も「聖書を取れ」という意味でも何でもなく、ただの遊びでの歌だったのですが、それを天からの声と感じ取ったアウグスティヌスはついに「『聖書』を手にとり」開いた所を呼んでキリスト者への道をとることを決意したといいます。その開かれたところというのはパウロの「ローマ書簡」の13の13〜14と言われています。それは「宴と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて・・・・・主イエスキリストをまといなさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」というもので、かつてアウグスティヌスが溺れ、今でも未練をもっている社会的栄達への警告と捕らえられたのでしょう。そして「教職を辞して」しばらく静養したのち387年アウグスティヌス33歳の時アンブロシウスによって「洗礼」を受けたのでした。
 
こうして母と共に故郷のアフリカに帰ろうとしたのですが、その母が死んでしまい(『告白』はここで終わっています)、やむなくアウグスティヌスは翌年になってから故郷にもどりそして財産を処分して修道生活へと入っていったのでした。
 そして391年、アウグスティヌス37歳の時
「ヒッポの司祭」に任じられます。そしてさらには司教ヴァレリウスの補佐となり、翌年そのヴァレリウスが老齢のため死んでからはアウグスティヌスがその後を引き継いで「司教」となって、かくしてこれからの人生は司教として「キリスト教教義の確立のために著作活動」へと入っていったのでした。そして30数年、紀元後430年ゲルマン民族の移動とローマ侵入に伴いヒッポがヴァンダル族に攻められているさなか病に倒れ没したのでした。

アウグスティヌスの神学
 さてそのアウグスティヌスの神学ですが、彼はキリスト教という「真理」に出会い、
「それを擁護するための神学」を展開するわけで徹頭徹尾それにのみ動機と内容があるということは言うまでもありません。そしてまたその神学説は「キリスト教の立場からの新プラトン主義」ということになるのも上に示した通りです。
 さて、その神学説を論理的に秩序付けると、先ず
「懐疑」から始められるでしょう。つまり私たちはさまざまのことについて「ああかな、こうかな」と思い「ああだ」と思ってもやがてひっくり返ってしまうということはしょっちゅう経験し、「ああだ」という答えは仮のものでしかなかったことを思いしらされます。つまりあらゆることについて「懐疑」が免れないのです。これはアウグスティヌスの場合には、先に彼の生涯をみたおり彼が一時「アカデメイア派の懐疑論」の立場にいたことと無縁ではありません。先ずアウグスティヌスはこの「懐疑論」を論駁しなければならないのです。
 ここでアウグスティヌスは一つだけ確実なものがあると言ってくるのでした。それは
「そうして懐疑しているこの私は存在している」ということです。なぜならその「懐疑している私」も存在しないのならば「懐疑」ということ自体が成立しないからです。

 こうして
「私の存在は保証される」とするのですが、さらにここから、私がこうして疑っているということはどうしてなのかというと、それは「私のうちに真理の規準」があってそれにてらして「これはそれに合っているかどうか」と疑っているのであって、その「真理の規準」がなければ疑うということ自体が成立してこないとします。
 ではこの「真理の規準」は何かというとそれは
「理性」だとします。実際「感覚」というのはただ外界の事物がこうした現れを見せているということしか言ってこないわけで、それから「事物の本性」などという把握の仕方をするのは理性の働きです。数学などはこの理性によってのみ成立する学問です。というのも数学が「点」としているものは「位置だけあって大きさを持たないもの」ですからこんなもの感覚界にあるわけありません。しかし私たちはそれを理性によって了解しているわけです。
 こんな具合に「理性」が真理の規準になるとしてこれは人間がつくりだしたものではないとされます。なぜなら、例えば理性は
「永遠」ということを理解しますが、こんな「永遠」などという概念を「有限なもの」がつくりだせるわけもないからです。だとするとその理性は「神」に依存しているとしか考えようがないとされます。「神の存在」はこうして保証されるとなります。

イデア
 そして実はこの神のうちに
「イデア(プラトンのいう「イデア」です)があって、このイデアというのは「事物の範型」ですから、「神に依存する人間の理性」はこのイデアを見ることができるのであって、それに照らして事物を判断することができるのだ、となるわけでした。これはもうプラトンそのものです。
 ただし神そのものについては、「神」とは本質的に地上的あり方をしない
「超越者」ですから、今地上にいる我々としては人間的能力によってはこの神を把握することはできないとされます。いくら理性といったってこの理性は今地上的なものになってしまっているからです。しかし把握不可能というわけではなく、それは「神に対する信仰と愛」のうちに啓示的に示されてくるのだとします。つまり神については「知識はない」のであって、知的作用によっては把握できないのだというのでした。これをアウグスティヌスは「無知の知(ドクタ・イグノランティア)」と呼んでいます。
 一方、新プラトン学派では
「この世界は神からの流出」として説明していましたが、アウグスティヌスは当然キリスト教の母胎であるユダヤ教の教えに従い「創造説」とならなければならないわけで、神は「無からの創造」を「イデアを原型」にしてなしていったとされるわけでした。

人間の罪と救済
 しかしそのようにすべての創造は神によっているとするならば、それでは
「何故、人間に罪があるのか」が問題になります。ここでアウグスティヌスは「人間の自由意志」ということをもちだします。つまり人間はその本性に「意志の自由」があったのだとするのです。というのも、もし人間が神に作られたままのものでありそれ以上でもそれ以下でもなくそこに自由も何もなかったとするなら、人間のすることなすこと一切人間には責任がなく、もしまずいことがあるのだとするならそれは「神が作り損なった」だけの話しで人間に罪があるわけではないということになるからです。
 そこで神は人間に
「自由意志」を与え、それによって「神への服従をみずから決して」くれることを願ったのだが、人間はそれを「悪用して神に離反する」という罪を犯してしまったのだ、としたのでした。そしてこの自由意志は人間の始祖である「アダム」のところにあったわけなのだけれど、アダムがそれを悪用して以来もう取り返しがつかず、「エデンの園」を追放され地上を彷徨なければならなくなったそれ以降、そのアダムの子孫であるすべての人間は「その先祖の原罪」をしょって「悪を犯さざるを得ない」みじめな存在になってしまったのだというわけでした。
 つまりこの「自由意志」はアダムだけにあって、アダムの子孫である私たちにはもうこの「神に従い、それ以外ではない」ということを選べる「自由意志」はなくなってしまっていて、この地上で
「悪を犯しつつ」悪戦苦闘するしかなくなっているというのでした。
 ですから、こうした状態から人間が救われるには
「神の恩寵」しかないわけで、人間がいくら頑張ってもそれで救われることはないというようなことになります。 つまり人間が救われるか否かは「全く神にのみ依存」していて「神によってあらかじめ定められる」というわけです(予定説)。では人間は何もしないでいいということになるのかというとそれはそうはならないのであって、「神の恩寵」は「教会を通して為され救済される」ので「教会生活」を大事にして生きなければならないとなるわけでした。
 もっとも論理的には、「救済は神だけが予定している者だけで、神だけが決める」のであって人間の努力は一切無効となりますので、教会に一所懸命通っても救済の保証はないことになります。
「絶対他力」の思想とはそういうことなのであり、「人間の努力」が少しでも必要だとなると「自力」となってしまうからです。
 これは人間には「自由意志がある」とするペラギウス派に対する論駁という意味がありました。つまり人間に自由意志があるとするとそこから為される「行為による救済」ということになり、言ってみれば「道徳性」が救済を決めるとなって、アウグスティヌスに言わせれば
「神への絶対信仰」はかすんでしまうというわけです。つまり「自力の思想」となってくるからです。

「悪」とは何か
 他方、こうして「万物の創造主」ということになると「悪の創造も」と聞きたくなるわけですが、アウグスティヌスは
「悪とは善の欠如」として、「マニ教」のような積極的存在とはしませんでした。ようするに「善」はアダムの追放されたこの地上に完全なるものとしてあるわけはないのであって、「善の欠如がこの地上の性格」なのであって「悪」とはそういうことであり、ただしその現象において「濃淡の差」があり、「愛や平和」のように濃く現れた場合それを「善」と呼んでいるだけで、それが薄いと「争いと戦争」となり「悪」と呼ばれるだけなのだとします。
 後に言及する『神の国』における「善・悪の戦い」という論もこのレベルで捕らえるべきものなのでしょう。分かり易く言えば、犯罪や争いを起こす人々も「悪魔そのもの」なのではなく「人間」であって少しは何かに対して「愛の心」も持っていると言えます。「愛と平和」を大事とする人々も「天使」なのではなく「人間」なのであって少しは醜い欲望や感情をもっているものです。
「程度の差」が一方を悪人として他方を「善人」としているわけでマニ教のような「絶対的悪」と「絶対善」の対立があるわけではないということとして理解しておけるでしょう。
 ただしこの「程度の差」は『神の国』では非常に大事なこととなってしまい、その程度の差は
「神の愛」に生きる人と「自己愛」に生きる人の「区別」となって現れて、「神の愛」に生きる人は最期の審判において「天の国の住民」として認知され、「自己愛」に生きて財産・地位・権力に自らを売り渡していた者は「地獄の住民」として永遠の地獄にたたき落とされるとなっています。この段階ではとても「程度の差」などとすましてはおられません。

時間論
 また、この「神による無からの創造」ということに関して、
「時間」というものが問題になりますが、アウグスティヌスは「心理的時間」というものを提唱したことで知られます。
 すなわち、宇宙的時間はすでにプラトンが天体の動きを規則的に秩序づけるものとして「イデア的な永遠性を写す動く模造」としての「時間」を提示していたのですが、アウグスティヌスはそれを「人間の内的な心理の動き」と捕らえ返して
「過去・現在・未来」「記憶・注視・予期」として時間は「心の中に存在している」と考えたのでした。

神の国
 アウグスティヌスの主著というと
『神の国』とされますが、ここでアウグスティヌスは人類史を六つの段階にわけて一種の歴史哲学を展開します。ただし、これが「人類史」という意味での歴史なのか、あるいは「人間の内的推移」を意味するのか議論のあるところとなります。
 彼によるとこの人類の歴史とは
「神の国と地の国の闘争史」であるとされます。「神の国」とはいうまでもなく「天上の国」なのだけれどこの地上にあってもその国の住民がおり、彼等はもともと天上の国の住民ではあるけれどこの地上で「巡礼の旅」をしているのだとされます。彼等は「神を思い、平和を愛し、優しさと誠実とをもって生きて」いきます。
 一方「地の国」とは「悪魔の国」でありその住民は
「肉体的欲望」にまみれ「快楽・遊び・贅沢・金、地上的権力」を求め「憎しみと争い」を招きます。この二つの国の住民がこの地にあって交叉し、時に一方が勝ち他方が負けるという事態が生じ、それが歴史となって現れるというわけでした。ですからこのとき「神の国」の住民が「地の国」の住民によってひどい目にあわされるという事態も生じてしまうわけです。
 しかしこの「神の国の住民」がだれなのかは分かりません。アウグスティヌスは教会の司教さんですから「神の国の住民とは教会生活を大事にする人」と言いたいところなのでしょうし実際そうも言うのですけれど、しかし一方でアウグスティヌスは
「教会の中にも毒の麦が生えている」という言い方で教会内部にすら「悪魔の国の住民が巣くっている」ことを指摘しています。
 そしてアウグスティヌスによれば
「イエス・キリストとともに今や最後の段階」にきていると言います。アウグスティヌスにとっての歴史とは当然彼が生きていた紀元後430年位までです。そしてイエスにおいてもそうであったように問題は「今」なのであって、「遠い未来に終末がくる」からそれまでに悔い改めなさいなどという発想は全くありません。
 
そして最後の審判においてこの二つの国は全く分離され、それぞれの国の住民はそれぞれの国に帰属し「神の国」の住民は永遠の平安を得るのに対し「地の国」の住民は永遠の地獄にたたき落とされることになるというわけでした。
 この思想の動機は先に示した生涯の晩年410年に起きたゲルマン民族の移動に伴うヴァンダル族のヒッポの攻撃にあったとされます。つまり異民族に攻められひどい目に遭わされても、それに耐えて
「教会生活」を大事に「神の国の住民らしく」していなければならないというメッセージであったのでしょう。

 この思想はもちろん「キリスト教」のものでありそれ以外ではありませんが、ただ哲学の面でいうならばここに始めてこの
「人類史を哲学の対象にしてきた」ものが生じたと言い得、「歴史哲学の最初」という評価ができます。ギリシャには「世界の創造と終末」といった考え方はありませんからそうした意味での直線的歴史哲学などあり得るわけもなかったのでした。むしろ「円環的・永遠的世界観」であり、その中での歴史はあっても「創造から終末まで」という歴史観はなく、それはユダヤ・キリスト教に特有の考え方なのです。 そしてここに「歴史の終末」ないし「歴史の目的」という観念が生じ、これはそれ以降の近代哲学にも多大の影響を及ぼすことになったのでした。というのも、近代の西洋人も結局は「キリスト教」の中でしかものごとを考えられない体質を持っているからです。

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