16.生と死に向き合った哲学者たち -13.「隠れて生きる」快楽主義、「エピクロス」の学派とは | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

16.生と死に向き合った哲学者たち
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INDEX
1. 人生をまっとうに考えた最初の哲学者「ソクラテス」
2. 獅子のように社会と戦った「犬のアンティステネス」
3. 流れる雲のように自由な「快楽主義のアリスティッポス」
4. 「正義の政治を思うプラトン」はどう生きた
5. プラトンの「天から落ちた人間とこの地での輪廻転生」
6. アリストテレスの「人間、生き方、社会」の論
7. 第二のソクラテス「酒瓶に住んだシノペのディオゲネス」
8. 愛に生きた「犬の夫婦哲学者クラテスとその妻ヒッパルキア」
9. 魂をもって現実を生きる「ストア学派の祖ゼノン」
10.ストア学派の「世界市民、自然に即して、不動心」
11. ストアの哲人「泰然とし自由な奴隷のエピクテートス」
12. ストアの哲人「哀愁の皇帝マルクス・アウレリウス」
13. 「隠れて生きた」快楽主義、「エピクロスの学派」
14. 神秘主義、新プラトン派の「プロティノス」

13.

「隠れて生きる」快楽主義、「エピクロス」の学派とは


はじめに
 古代ギリシャ末期のいわゆる「ヘレニズム期」から「ローマ帝国初期」の時代を代表するのは「ストア哲学」ともう一つ
「エピクロス学派」が重要です。このエピクロスの学派は「快楽主義」ということで有名で、この名前から連想されるイメージは悪く、昔から非難の対象にされてきました。しかし、実際の姿は全くそれとは異なり「俗世を避けた隠者」のようなものだったのです。その実際の姿を追ってみましょう。

エピクロスの経歴
 エピクロスが生まれたのは、計算すると紀元前341年の1月頃に生まれたことになります。ということはソクラテスが死んで60年ほど経っており、ストア学派のゼノンより6歳ほど年長ということになりますが、時代的には
「ストア学派のゼノンとほとんど同年輩」といえます。
 一方、その経歴ですが、彼は、アテナイ市民権を持ったまま移民するタイプの移民団の一員として
「サモス島に移民したアテナイ市民」の子どもとして生まれ、従って生まれはサモス島というアテナイから隔たった島ではありましたが、精神風土としては「本土のアテナイ人」とほとんど変わらなかったかもしれません。時代は、アレクサンドロス大王の死に伴ってひどい動乱の時代であり、エピクロスは18歳頃一度アテナイに行ったものの、動乱ゆえに父親が避難していた小アジアの町コロポンに逃れて、そこでさまざまの先達や同時代の哲学を勉強していたことが伝えられています。
 
こうして30代の半ば過ぎに再びアテナイに出てきてそこに庭園を買い、ここを学園として弟子をあつめて生活するようになってからはほとんどそこを出ることがなく、そして72歳で没したと伝えられています。

エピクロスの学園
 彼の学派は時折
「庭園学派」などと呼ばれることもあります。この「庭園」は、弟子達を含めた「生活の場」でもありみんなで応分の金を出し合って集団を支え運営し共同生活をするようなタイプの、いってみれば「教団」的なあり方でもあったようです。
 その集団は
「老若男女の差別」なく、「社会的地位の差別」なく、奴隷もおりました。ただし、この集団は、宗教的教団の色彩の強かった「ピュタゴラス教団」のような「私有財産を認めない共有主義・共産主義的な集団」ではなく、「友情」を基盤とする集団であって、いってみれば俗世を離れて田舎に引きこもって晴耕雨読の生活をする「隠者達の集団」といった雰囲気であったと考えられます。
 彼等の生活は
「友情を大事」に助け合い、「生活はつましく節約」をし、「質素な食事」で少しのワインがあれば大満足したけど普段は水だけというような生活であったと伝えられます。実際エピクロスは「水とパンだけで満足する」と言い、「チーズを小さな壺にいれて贈ってくれたら豪遊できよう」と言ったとか紹介されています。
 一方、この
「ひきこもり」は同時代のストア学派の「オープンさ」とは対極にあると言えます。こうしたあり方は、哲学史ではしばしばエピクロスの『断片』にある「隠れて生きよ」という標語で説明されます。つまりエピクロスは「市民生活を公に行わず隠遁生活をする」という形でこの時代に対する自分の姿勢を示してきたのでした。
 
こうした「隠れて生きる」ことを旨とする学派の特徴なのでしょうか、この学派はエピクロス以降も存続はしていきますがストア学派的な「時代的展開」を見せることはなくエピクロスの哲学がそのままに継承されていったようでした。したがってエピクロス学派の哲学者ということではローマ期にその哲学をラテン語で長大な詩にしたためたルクレティウスくらいしか知られた哲学者は出てきませんでした。

エピクロスの人物評価
 ところで彼についての当時の評価は、
「褒め讃えるもの」「ひどく貶しおとしめるもの」両極端の評価があったことが伝えられています。けなす方の評価はすごいもので、これは彼の学説、人物両面にわたっています。つまり彼の「みだらな手紙」「恥知らず」「おべっか」「肉体的快楽の賞賛」「あらゆる他学派や哲学者への悪口を極めた中傷」「美食」「無知蒙昧」「ひょろひょろのからだ」「好色」「他人の学説の剽窃」などなどこれでもか、といわんばかりです。
 これは、彼の学説が
「快楽論」であったところで、その快楽を卑俗な「肉体的快楽の追求」と誤解・曲解されたところからの中傷とみられます。つまり、俗社会の中で「卑俗な肉体的快楽」を追いかける連中が「エピクロスを隠れ蓑」にした結果から生じた中傷だろうということです。しかしそれにしてはその中傷は執拗に過ぎ、ほとんど「憎まれている」といった感じです。そこで、エピクロスは社会や他の学説への激しい攻撃をしていてそれが憎まれたという可能性もあり、そうした伝承もあります。
 
一方、それを伝える古代の哲学史家であるディオゲネス・ラエルティオスはエピクロスをそのようには描いていません。ディオゲネス・ラエルティオスはその書の最後の章をこのエピクロスに当てていて、詳細を極めた紹介に加えその手紙や学説の引用までしてエピクロスを伝えています。それによると、こうしたエピクロスを中傷する連中は気が狂っているとしか思えないとすら言ってきます。ただし、エピクロスのもとを去って他の師匠のもとへと行ってしまった弟子について、その弟子はエピクロスのこの上ない好意が重荷になったからであろうなどと述べているのですが、これなどは少し贔屓的な弁明とも言えます。
 しかし全体的に見て、
「多くの弟子達や友人の存在」「遺書に見られる身内の者への思いやり」またその「友情への信頼の主張」などの学説の内容など、またその哲学と人生からは「穏健さ」が伺われますので、その人柄は高潔であったと考えられます。つまり、その哲学は「心の平静を保つこと」にありその努力に終始していたこと、「俗世間を避けて隠れて生きよ」としていたこと、そして実際に「質素な生活」をしていて、「田舎の庭園で仲間たちと共同生活をしていたこと」などから見られる人物像ということです。

先行する「快楽論者アリスティッポス」との関係
 ところで「快楽論」というと、先達として
「ソクラテスの弟子であったキュレネのアリスティッポス」がおりました。そのアリスティッポスの学派キュレネ学派とエピクロスの快楽主義の関係ということは古代当時にあっても問題になったようで、古代の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスはその違いというものを丁寧に私たちに示してきます。
 それによると、キュレネ学派は「静的な快楽」は認めず
「動的な快」だけを快楽と認めたのにたいしエピクロスでは「両方とも快」として認められたということが最大のポイントとされているようです。
 「静的な快」というのは
「苦痛のない平穏さ」をイメージすればよく「動的な快」というのは「喜び踊る」ようなものだとイメージしておけばいいでしょう。これは肉体的にも心・精神的にも言えることです。そしてエピクロスというとその標語として言われる「アタラクシア」というのはこの「心の苦痛のない平穏さ」を意味していたと理解して、一般に哲学史ではエピクロスのいう「快楽主義」とはこの「心の平穏さ」だと理解されています。
 しかし実際は、エピクロスは
「静的快楽、動的快楽の両方とも認めた」のであって「動的な快楽を拒否」したり、山野で花や獣を友として生きる「隠者・宗教者」のような考えをしていたわけではないことは注意するべきでしょう。
 またキュレネ学派は「肉体上の快と苦」を「精神的快と苦の上位」に置いたのに対してエピクロスは逆に
「精神的快と苦を上位」においたと言われます。この根拠としては肉体上の苦痛は一過性であるが精神的苦痛は過去・現在・未来を貫いてくるから、と言っています。つまり「量的な多寡」が根拠にされていてどうも現代人が思うような「質的違い」は見られていないようです。つまり現代人は「精神的快」というと「宗教的聖人・隠者の精神」などをイメージしてしまうことが多いようですが、エピクロスにはそうした観念はないということです。つまりその「心の平穏さ」というものを宗教的・精神的に理解してはならず、むしろ「感情的・心理的・社会的な厄介事のない」というレベルのものとして理解しておくべきだろうということです。エピクロスがこうした精神的苦痛のなさを快の上位においたのには、これは思うにその時代の空気が人々に重くのしかかり精神的苦痛を相当に与えていたということを推察させます。
 先行する快楽論者アリスティポスの時代は、確かにアテナイは混乱していましたがまだ
「自主独立のポリス」の形骸は残していました。そしてアテナイ人ではない遠い北アフリカのキュレネ出身のアリスティッポスであれば「社会的自由人」であることもできたようでした。しかしエピクロスのいるアテナイはもはやかつてのポリスなど名前だけのものになっています。アレクサンドロス大王が死んで世界はその後継者争いのまっただ中です。不安と混迷がアテナイばかりかギリシャ全体を覆っており、心ある人々の心をさいなんでいたのでしょう。移民アテナイ人として故郷アテナイに郷愁をもっていたかもしれないエピクロスにとってアテナイの混迷はいいようのない悲しみと不安を与えていたのかと想像されます。

エピクロスの快楽主義
 そうした混迷の時代にあったエピクロスが「快楽主義」の立場にあったのは、アリスティッポスと同様、
「生物は生まれるとすぐに快楽を喜び、苦痛に対しては理屈抜きに本性的にこれを排除しようとするからだ」としていたからだと言われます。従って「徳」というものについても「徳自体」が目的なのではなく「徳のもたらす快楽」が望ましいからなのであって、それは丁度「医術」が望ましいのは「医術それ自体」が望ましいのではなく「健康」がのぞましいというのと同様だとしたようでした。要するに、徳のもたらす快とは、たとえば「正義が貫かれたという快」「公正が保たれているという快」「友情の厚さのもたらす快」などなどとなります。そして、エピクロスはこの「徳は快楽と切り離すことができないものだが、食べ物は快楽から切り離せる」と主張したとされます。つまり「徳と快」とは不可分の関係にあり「徳」は必然的に「快」をもたらすが、「食物は必ず快をもたらすとはかぎらず、その間に必然的な結びつきはない」というわけでした。
 こんなわけで、要は
「快楽をもたらすものは受け入れそうでないものは排除する」ということになるわけで、そうした視点でさまざまのことが言われてくることになるのでした。この時、エピクロスの視点は「不安、怖れ、安心、安全」ということが強調されていて、これだとどうしても「動的な快の積極的な追求」とはならないことになってしまいます。
 例えば彼はやたらと
「神」とか「死」ということを言ってくるのですが、その時「神罰を怖れることの不要」とか、「死を怖れることの無意味さ」などに多大の言葉を費やしてくるのでした。まるでその「不安からの解消こそが快」であり、それが人生の課題だといわんばかりなのでした。
 「快」の内容は以上のようなものだとして、彼は
「快楽は第一の善であり、それは我々に生まれながらに備わっているもので、我々はこの快楽からすべてのものを選び取ったり避けたりしているのであり、この快楽の感情を規準としてすべての善を判定しているのだ」としています。
 これは私たちの通常の行為のあり方をみてみれば確実に言えることです。誰だって「苦痛や不幸」を敢えて選び取ることはまず絶対にあり得ないでしょう。もちろん現象としてそう見えることもありますが、しかしそれも
「そこから生じると期待されている成果や結果が快・幸い・善」だと考えているから、その一見「苦痛や不幸と見えるもの」を選び取っているだけの話しです。難行苦行する人は、そこからの「悟り」や「神との交わり」を「幸い」と信じてそうしているのだし、あるいは苦難を選ぶのも「名誉やプライド」を守るのが「自分にとって善にして快」だからそうするのだし、自殺するのも現在の状況が耐えるに苦痛だからより「楽になる」死を選び取っているわけです。ですから「快に基づいてすべてのものが選び取られ避けられるのだ」とされるのです。

 しかしエピクロスは続けて、
「しかし我々は快楽であれば何でも良いという選択の仕方はしない」と言ってきます。もしそれが「多大な苦痛・不愉快」を生みだしそうなものはこれを避けるのだというわけです。これも分かり易いです。私たちも大体そうしていて、本当は朝眠くてグータラしていたくても、それでは会社をクビになって「多大な苦痛」になるだろうと予測して「目前の布団の中のぬくぬくした快」を吹き飛ばして嫌々ながらも会社に向かうのでした。
 私たちが
「苦痛を選び取ることがある」のも「予測される快を期待して」のことで、だから、たとえば高校生も「入試に受かる」という「安心・快」を求めて「苦痛だけの受験勉強」にも耐えられるのだと理解しておけばいいです。従って、結局この「快の予測能力」というものが問題になってくるわけで、「目前の快をそのまま享受したり、あるいは拒否する」のが善というわけでもないということになるわけです。
 従って、古代ギリシャの倫理で一般的によく言われていた
「アタルケイア(自足)」ということについてもエピクロスは、それは「どんな場合でもわずかで済ませる」ということではなく、「たくさんのものを持って居ない場合はわずかで済ませる」ことができるということになのだ、と言ってくるわけでした。ただしここで「たくさん持っている方が良い」と言ってるわけではなく、むしろ逆で、「贅沢を必要としていない人こそがもっともたのしく贅沢を享受する」のだ、と言ってきます。つまり、人間が生きていくのに必要な自然的欲求は手に入りやすいが(少しのもので足りる筈だから)、必要以上な欲求は手に入りにくい、ということをこの「自足を知る人」はよく知っているというわけでした。
 
「自然的で必要な快」ということをもう少し説明すると、例えばのどが渇いているとき水を飲みたいと思い水を飲み満足して「快」を感じます。これは「苦痛を解消する欲求」だったわけで、こういうのを「自然的必要の欲求の快」というわけで、一方「自然的だけど必要以上の欲求」というのは、贅沢な食事のように「苦痛を取り去る」のではなく「快楽を多様化」するようなものを意味すると言えます。ついでに「不必要な欲求」というのはたとえば「王冠をかぶったり自分の銅像を造ってみたり」を意味しているとなります。
 こうしてランク的に「快」をならべてみるとエピクロスのいう「快楽主義」というのは
「何とも質素なもの」になってしまうのが理解できようと思います。つまりエピクロスの「快楽主義」というのは「苦痛の解消」ということだったのであり、事実エピクロスは、我々が快楽を必要とするのは快楽が現にないということに「苦痛を感じている時」であって「苦痛を感じていない時には我々はもはや快楽を必要としない」と言っているのであり、これは「のどが乾いた時水を飲む」という例で理解されるでしょう。
 そういうわけでエピクロスは快楽とは
「幸福の始まり」であるが「また終わり」でもある、と言ってきます。確かに喉が乾いている時水を飲むのは「快」として「幸福の一瞬」であると同時に喉が潤って快は終わり「幸福も終わる」わけでした。
 そういうわけで、エピクロスは
「パンと水でも人が空腹の時には最高の快楽を与えてくる」のだ、と言ってくるのでした。エピクロス流に言うなら、「快楽の大きさの限度は苦痛を与えるものすべてが取り除かれること」なので、一杯の水とパンでも空腹の苦痛がすべて取り除かれたならば「最高の快楽」となるからです。
 かくして、質素な食事に慣れてさえいれば我々は十分に健康だし久しぶりに贅沢な食事にありついたときには誰よりもこれを楽しく味わえる、となり、生活上やむを得ない(苦痛の)仕事であってもこれに
「慣れていれば平気」となり、過酷な運命が襲ってもこれを怖れることがない、となるのでした。
 ですからエピクロスは言うわけですが、放蕩者の贅沢、享楽の生活が快楽主義なのではなく
「身体に苦痛がなく心に動揺のないことが快楽主義」というものなのだ、というわけでした。確かに放蕩者というのは「もっともっと欲しい」と贅沢を追い、いつも不満足で、少ししかないとなると気が狂ったようになるのが常で、これではいつも心は不満足で一杯といえますからとても「快楽」とはいえないわけです。エピクロスの言い方では「どんな快楽もそれ自体として悪いものではないのだけれど、ある種の快楽をもたらすものはその快楽よりも何倍も多くの災いをもたらす」のであって放蕩的な快楽主義者の快楽はこの「何倍もの災い」をうみだす類のものだというわけでした。そうなると結局、何が選ばれ何が避けられねばならないのかを見いだし、迷いとなる思いを消す「冷静な分別」が真実の快適な生活をもたらすのだ、となって、そうした分別をもたらす「思慮こそが最大の善」となると言われてくるのでした。
 エピクロスにとっての「快適な生活」とは今見たように
「迷いのない、心に動揺のない、質素で、必要なものだけあれば満足できる心」となりますからこれは「徳の生活」と言われても驚きません。先に「徳だけは快楽と切り離せない」と言われていたのを思い出してみましょう。エピクロスは「この思慮から他のすべての徳が生じてくる。この思慮を持って正しく立派に生きるのでなければ快適に生きることはできず、真に快適に生きることなしには思慮有るとも立派とも正しいとも言われないのだ」と言っています。

エピクロスと社会
 しかしどうしてこんな言ってみれば
「消極的な快楽論」になってきたのかというとそれはどうもやはりエピクロスの生きていた時代が大きく関係しているでしょう。というのも、エピクロスは「世の人々(つまり社会)から安心していられるというそういった目的が達成されうる手段だったら何だって自然にかなった善である」などといい、「世間の人々は有名となることをのぞんでいるが、それは世の人々からの安全を得られると考えての上であろう。しかし本当にそうならいいけど実際そうなるだろうか(違うだろう)」などと言っています。
 要するに、彼はさまざまの言い方で
「社会への非常な不安感」を示していて、「それからの脱却が哲学の課題」とされているのです。さらに、世間の大多数の人々が求めている衣・食・住の贅沢や性的・肉体的快楽が死や肉体的苦痛、心の恐怖を解消してくれるのならば我々は放蕩者に対して何の非難すべき点も持たない(けれど全然そうはならない)」とも言います。
 またエピクロスは「死や肉体的苦痛」に多大の恐怖心をもっていたと言えます。たとえば、
「食事のぜいたくの快楽や性的・肉体的快楽が否定されねばならないのは、それが心の不安を解消するのに役にたたないからだ」と言ってきます。実際先にも言及しましたが彼は「世間的不安や死の恐怖の克服」というのが重大な問題になっているのでこうした言い方が為されていると考えられるわけで、彼の哲学を解釈する上で重要なポイントとなると思われます。

エピクロスの自然学
 ですから、エピクロスにとって「自然学研究」というのもそうした問題のためだとはっきり言明もされてきます。すなわち、もしかりに天地の事や死にかかわる不安、さらに苦痛や欲望の限界の如何といったことが我々を悩ませなかったのならば
「我々は自然研究を必要とはしなかった」ろう、と言っているのでした。
 ようするに宇宙の本性を理解せず神話などに語られている「神罰」などで不安を感じているようではもっとも重要なことについての恐怖を解消できないから、
「自然研究をして宇宙の本性を知って不安を解消し、かくして快楽を真実に手にいれられる」のだ、というわけでした。
 そしてエピクロスがこの自然研究で
「唯物論」の立場をとったのも実はこの要望からなのであって、唯物論では死後の魂の世界などないということになりますから「死んだら全部チャラ」となって「死後の罰」などもないとなるし、「死の前に当然死はなく、死んだら全部終わりでそこには死もない」ということだから死を怖れる必要もないといったことだったのでした。
 つまりエピクロスの言い方では、死というのは人体を構成している最小物体である
「アトムに身体が解消される」だけのことで、解体されたものは感覚をもたず、だとするとそれは我々にとって何ものでもない、というわけでした。ただこの自然研究もけっこう理論として展開されていて哲学史ではそこが中心に紹介されているのですが、以上のようなエピクロスの問題意識を見るとここだけ紹介しても「エピクロス哲学」の理解という点ではあまり意味はないと言えます。
 さて、こうしてエピクロスの「快楽論」を見てきて彼の哲学の性格とはどのようなものであったのか、何が彼の人生を規定していたのかが見えてきたといえるでしょう。すなわち彼の問題は
「不安」だったのだと言えるでしょう。「世の中の混迷とその中に生きる人間の不安」が第一で、さらには「天地の事柄、死の恐怖」が常に言及されています。この不安から逃れることが問題だったのだとするなら彼が「隠れて生きる」という道をとったのもよく理解できます。そしてその快楽論というのも「快楽とは不安からの解消」だっただとするとエピクロスの哲学がアリスティッポスのそれとは違い「静なる快」に傾き、「心の平静なること」となるのもよく理解できるわけです。

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