16.生と死に向き合った哲学者たち - 5. プラトンの「天から落ちた人間とこの地での輪廻転生」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

16.生と死に向き合った哲学者たち
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INDEX
1. 人生をまっとうに考えた最初の哲学者「ソクラテス」
2. 獅子のように社会と戦った「犬のアンティステネス」
3. 流れる雲のように自由な「快楽主義のアリスティッポス」
4. 「正義の政治を思うプラトン」はどう生きた
5. プラトンの「天から落ちた人間とこの地での輪廻転生」
6. アリストテレスの「人間、生き方、社会」の論
7. 第二のソクラテス「酒瓶に住んだシノペのディオゲネス」
8. 愛に生きた「犬の夫婦哲学者クラテスとその妻ヒッパルキア」
9. 魂をもって現実を生きる「ストア学派の祖ゼノン」
10.ストア学派の「世界市民、自然に即して、不動心」
11. ストアの哲人「泰然とし自由な奴隷のエピクテートス」
12. ストアの哲人「哀愁の皇帝マルクス・アウレリウス」
13. 「隠れて生きた」快楽主義、「エピクロスの学派」
14. 神秘主義、新プラトン派の「プロティノス」

5.

プラトンの「天から落ちた人間とこの地での輪廻転生」


 プラトンの「生と死」にまつわる思想ということではその「輪廻転生論」が重要になるでしょう。それはプラトンの最盛期とも言える中期の対話編に集中して現れ、『パイドン』『パイドロス』『ゴルギアス』『国家』といったプラトンの多大な著作群の中でもとりわけ重要な著作の中で展開されてきます。すなわちこの事は、この「輪廻転生論」が「プラトンの真実」を語っているものだという評価を可能とします。
 ただし問題が問題ですので、実証できたり論理的に展開できたりするものではないため
「物語」という形式をとっていて、そのため現代の哲学史家はこれらを重要視せず、哲学の課題とされて論じられることがほとんどない問題となっています。しかし、ここにプラトンの「生と死にまつわる思想」が集約されていると言えるので、それを紹介します。

『国家』における「エルの物語」
 四つの対話編での物語は互いに補足しあったり重なったりしていますが、ここではその中でももっとも有名な
『国家』の中での「エルの物語」といわれるものを中心に紹介し、それを残りの著作で補足したいと思います。
 その物語は、一人の「エル」と呼ばれた兵士が神々に選ばれて
「死後の世界での出来事」を観察し、生き返って物語ったものを紹介するという形式になっています。言ってみれば中世のダンテの先取りとなります。

 
さて、エルは戦死してその魂が冥界へと道を辿っていった時、一つの霊妙な牧場のようなところに至った。そこでエルだけが選び出されてこれから巡る道のことを良く観察し人間たちに報告するようにとの司令を受けた。
 その広い牧場の左には
「地下に向かって二つの道」が開かれており、一方は下り道で他方は登り道という区分になっている。右手には「天に向かってやはり同じように二つの道」が続いていた。こちらも一つは登り道でもう一つは下り道という区分であった。その地下に向かう道と天に向かう道のちょうど真ん中の辺りには「裁判官たち」が座っていた。
 
『ゴルギアス』で補足すると、その裁判官は三人おり、真ん中に黄金の杖を持って「ミノス」が座り、その前に二人の裁判官が座っている。一人は「ラダマンテュス」でもう一人は「アイアコス」であった。「ミノス」と「ラダマンテュス」は、主神ゼウスが「アジアのフェニキアに居た王女エウローペ」をさらって「クレタ島」にわたってそこで生んだ子どもたちであり、「ミノス」はクレタを良く治めて繁栄させ、「ラダマンテュス」は弟としてそれを良く補佐したということで死後二人とも「冥界の裁判官」となったと神話に言われる。「神ゼウスの子どもたち」ということも要素となっていることはいうまでもない。もう一人の「アイアコス」はやはりゼウスがアテネの向かいにある島の「河の妖精アイギナ」に生ませた子どもで、その「アイギナ島」にあって「敬神の心」で有名であり、死後それゆえに「冥界の裁判官」にされたと神話は語っている。もちろん「神ゼウスの子」だからでもある。
 そしてその出身地に合わせて「アジア出身のエウローペの子であるラダマンテュス」が
「アジアからの人間の魂」を裁き(アジアというのは当時の感覚では「現在の中近東」をさしている。現在のイラクに相当する「メソポタミア」というのもギリシャ語だが、地中海岸からこの辺りまでが当時のギリシャ人の活動領域で、その地域をさして「アジア」と呼んでいた)、一方アテネの向かいの島の出身であるアイアコスは「ヨーロッパからの人間の魂」を裁くことになる(ヨーロッパというのは「エウローペ」にちなんだ名称で「エウローペの地」という意味となる。ゼウスがエウローペをアジアの地からクレタ島に浚って来たときに、これ以降「アジアの海岸線から西」「エウローペの地」と呼ぶことにすると宣言したことによる。当時の感覚では現在のギリシャからイタリアという当時のギリシャの支配領域を指す)。そして、二人が判断に困ったときに「ミノス」が最終判断を下すという役割となっていた。

 さてエルの物語に戻ると、そうして判定を受けた魂たちの中で
「正しい人生」を送ったという判定の印を付けられたものは「右手の天への道」へと指示され、「不正な人生」であったと判定された者はその「不正の所行のすべて」が書かれた印を付けられて「左側の地下に通じる道」を行くよう指示された。
 こうして二手に分かれた魂はそれぞれ指示された道へと向かっていったが、左手の道の一つからは
「ほこりまみれの汚い魂」が地下から登って来ていた。
 また同じように右手の道の片方からは
「きれいな姿の魂たち」が降りてくるのが見られた。彼らは長い旅路から戻ってきたようにこの牧場に集まり、互いに挨拶したりいろいろと語り合ったりしていた。地下から登ってきた者は天から降りてきた者に、天から降りてきた者は地下から登ってきた者にそれぞれ話しかけ互いに自分たちが経験してきた生活を語り合っていた。彼らのその生活は1000年間と決められていた。これは地上での人生の最大期間を100年としてその10倍ということである。
 地下から登ってきた者は自分が被った
「様々の悲惨で恐ろしい1000年の生活」を思い出しては悲しみにくれ、他方天から降りてきた者は「幸せであった1000年間の生活」を思い出し物語っていた。地下から登ってきた者というのはかつて地上にあった時に「不正を働いていた」者であり、地下界においてその「報いを10倍」にされて罰せられていたのである。他方「正しく」あった者は同じ割合で「10倍の報償の生活」を送っていたのであった。すなわち地上に在ったときの生活での正しい行いと不正な行いとが差引勘定されて、トータルとして「正しい」とされたり「不正」とされていたわけで、「程度の違い」がありそれに見合った度合いでの報いを10倍受けるというわけであった。もちろん「幼子の時」に死んでしまった者もいるわけであり、エルはその魂についても語ったけれど、それはとりたててここで語る必要はないとプラトンは省略してしまう。多分プラトンにとっては「意図的な人生の送り方」が問題にされていたからだろう。
 
 ところでどの魂にも
「報い、報償の生活」があったわけだが、大悪人についてはそんな程度ではすまない。エルは「かつて凶悪な独裁者」であった者の運命について次のように語る。1000年経ったということで地下界の底から登ってきても誰もがすんなりこの牧場に出られるわけではなく、出口にさしかかるとその出口は「十分に罪を購っていない魂」だと見なすと突然大声で吠え、するとどう猛な連中が待ちかまえていて火のような形相でその吠えられた魂に飛びかかりわしづかみにして再び地下へと連れ去るのである。そしてとうてい癒しがたい者と見なされた場合には悲惨きわまりなく、がんじがらめに縛り上げられ投げ倒され皮をはがされて引きずられ、棘の上をまるで羊毛を梳くようにその肉は引き裂かれて「見せしめ」にされ、とどのつまり「永遠の地獄であるタルタロス」へと投げ込まれてしまうのだが、何が恐ろしいといってこれほどの恐ろしいことは他になく、凶悪な独裁者がそうされていた、というのであった(タルタロスについてはさまざまの悲惨な刑罰の物語があり、山へ大石を転がし運んでも頂上から再び転がり落ちてしまい、また転がし登るということを永遠に繰り返しているとされる「シジュポスの神話」などが有名で、またひどい空腹と乾きの眼前にたわわな果物と水があるのにそれを取ろうとするとそのたびにそれは遠くなってしまい取れないということが永遠に繰り返されたりという物語などがある)。
 『ゴルギアス』で補足すると、こういう目にあうのは「かつて地上で独裁者・権力者とうたわれた者たち、政治家が大部分」だとされる。なぜなら彼らは「権力」があることから「自分の勝手」に国・民衆を動かし、結果として「最大の不正・不敬と過ち」を犯すことになってしまうからだと言われる。
 ただし、こうした権力者・政治家の中からも
「称賛に値する者」もごく少数ながら生まれてくる、とプラトンは言う。それは「正しく公正に政務を行った人たち」で、その代表的な人物に「アリステイデス」がいる、とプラトンは指摘している。このアリステイデスという人物は古代ギリシャ史上での重要人物だけれど、当時から「正義の人」というあだ名で呼ばれ、たとえばその役職に就くと大金持ちになって帰ってくると言われる「デロス島の財宝管財人」になりながら、ただでさえ貧乏だったのにさらに一層貧乏になって帰ってきたという逸話の他、その「清廉潔白で高潔な人物像」は伝説的となって伝えられている。ちなみにプラトンという人は人物評価に関してはものすごく辛辣で、ソクラテス以外の人物を讃えているということは殆ど無く、ここはその少ない例の一つとなる。

 さて、こうして牧場に集まった魂たちは七日をここで過ごすと八日目に再び旅に出なければならない。そして四日目にようやくある場所に到達することになる。そこは天の中軸の場所であり、そこには
「必然の女神アナンケ」とその娘「運命の女神たち」が座している。彼女たちは過去を司る「ラケシス」、現在を司る「クロト」、未来を司る「アトロポス」の三人である。
 そして魂たちは先ず
「ラケシス」の下に赴き、一列に並ぶ。女神の神官がラケシスの膝からさまざまのクジとさまざまの人生の見本を受け取って魂たちに向かって宣言する。これから「再び地上での人生」がはじまるが、それに際し、お前たちの「運命を導く神霊(ダイモン)」が定められねばならない。しかし、それは「お前たち自身が自らの神霊を選ぶ」のであり、神霊がお前たちを選ぶわけではない(つまり、自分の人生を送るその送り方はだれの責任でもなく「自分自身にある」ということ。プラトンの思想の特徴的ポイント)。
 そしてこれから
「人生選び」のクジを引くことになるが、一番に当たったものが一番にその人生を選ぶ権利が与えられる。しかし一度選んだならばその者は「必然の力によってその人生に縛り付け」られる。
 さて、
「人としての優れ」はそれを尊ぶか否かでその実現に差が出てくる。「人生のあり方の責任は選ぶ者、人間」にあり神に一切の責任はない(この言い方は有名となり後代にもしばしば引用された。「人生の選び」とは「人間」になったり「白鳥」になったり「獅子」になったり、また人間でも「男」や「女」、また「独裁者」になったり「歌手」になったり「スポーツ選手」になったり「農夫」や「商人」になったりとかを意味している)。
 こうして神官はクジをばらまき、魂たちはそれぞれ自分の傍に落ちてきたクジを拾い上げ、自分が何番目にクジを引くかを確認した。そしてさらに神官は
「人生の見本」をみんなの前においたが、その数はそこに居た魂たちよりはるかに多かった。そこにはあらゆる種類の人生の見本、たとえば動物の人生、人間の人生、それもあらゆる種類の人生があった。さらに「独裁者」に限っても、生涯を全うするタイプ、不慮の死を遂げるタイプ、没落するタイプなどさまざまのものがそろっていた。「名声」についても、容姿の点で、強さの点で、競技の点でなどのタイプ別があり、氏素性や家柄などのタイプの名声もあった。
 
当然、男の人生も女の人生もあった。皆平等にそれぞれの人生を選び、それに応じた性格に定められるのであった。
 ただし、
「選んだ人生に縛られる」という条件は必然であったが、それ以外のこと、たとえば富や貧乏などは混じり合い、健康と病気なども混じり合い、その中間などもあって、「どの人間にも起きてくるさまざまの事は混じり合って」いた。

 従って、この「人生の選び」の如何に人間にとってのすべてがかかってくるとはいえるのだが、これで「すべてが決まってくる」というわけではない。
「基本的あり方」が決まってくるだけであり、人生の中で起きてくるさまざまのことは「自分の裁量で決められる」ないし「決めなければならない」。従って、地上に在るとき他のことは一切差し置いても「善い人生と悪い人生を識別する能力と知識」を磨いておかなければならない。男であること女であること、富や貧乏、氏素性、私人としてあること公的任務についていること、身体の強さや弱さ、物わかりの良さ悪さ、「どういうことが魂のあり方と関わる時に善となり、また悪となるのか」「先天的なものと後天的なもの」が結びつく時「何を作り出すのか」、それらを考慮し「魂の本性」に目を向けて「魂が不正になる方向を悪」として人生に起きてくるさまざまのことを選択しなければならない。そうすれば「財産に目がくらんだり、地位・権力に憧れたりして悪事に赴く」こともなくなるだろう。そうした外的なものについてはつねに「ほど良さ・中間」をとり、どちらかの方向に度を超えた生活をしないように、と語られる。
 ちなみにここに言われた
「ほど良さ・中間」という精神はプラトンの弟子のアリストテレスに受け継がれてその倫理学を形成させていく。ただしプラトンの師であるソクラテスの方は、「財産それ自体が悪ではなくそれを獲得し使用する人によって善とも悪ともなる」という形で「ほど良さ・中間」的な考え方を持っていたが、自分自身に関してはとても「中間」とは言えず「極貧」であった。他方プラトンやアリストテレスの「人としての人生」のありかたは「ほどよかった」と言えるので、この『国家』での「ほど良さ・中間」という言葉はむしろ「プラトンの思想」と言えるだろう。

 さて、エルの物語に帰って、運命の女神ラケシスの神官は続けて次ぎのように宣言したとエルは報告してくる。「人生選び」の順番が最期になってしまったものも、
「心して選び誠実に努力して生きるならば満足のいく人生」が残っているし、また最初に選ぶものも吟味を怠りおろそかに選んではならない。
 このように神官が言い終わると、すぐに一番クジを持った者が大喜びで進み出てきてろくすっぽ調べもしないでその浅はかさと欲の深さによって
「最大の権力者・独裁者」の人生に飛びついた。しかし彼は選んでしまって、後になってその人生を丹念に調べてみるとそこには自分の子どもの肉を喰らうことをはじめ、さまざまの禍根が含み込まれていることに気付いて愕然とした(「自分の子どもの肉を喰らう」とかの例はギリシャ神話の物語に実際にある)。しかし彼はその責任が自分の選択にあるとはせずに、運命や神霊をはじめ自分以外のものすべてに八つ当たりしていた。
 この一番クジの男は
「天上から降りてきた」ものだったのだが、彼は前世では欲秩序立てられた国にあって「習慣として人としての優れ」を身につけて、おかげで死後は天にいけたのだが、「真実の知」を探求(これが愛知=哲学の内容とされているのは言うまでもない)していたわけではなかったので「本当の意味で魂の優れ」を身に付けておらず、ここにきてその人間としての品性の卑しさに負けてしまったのである。
 こうした失敗をしている者の多くはこのタイプの「天から降りてきたもの」に見られたが、他方
「地下から登ってきた者」は地下界における散々の苦悩の生活が身に染みていて、決して簡単に選び取ることをしない魂が多かった。こうしてここで多くの者が「良い人生と悪い人生」を過去の人生と未来の人生とで取り替える結果になっていた。
 
しかし、もし人がこの地上に生まれるたびに真実の人間の優れ、魂の優れについての知を求めて誠実に生きているならば、彼は決して地下界に落ちるという目に遭わないですみ、「つねに天にあって褒美の生を生きる」ことになる。

 『パイドロス』で補足すると、人間の魂は元来
「天に住んでいた神霊」であって、そこでの務めにおいて怠惰があって「翼を失って」地上に落ちてしまい、地上的なものとしての肉体を捕らえてその中に住んでいるものなのであった。従って、朽ちるべき地上的物体としての肉体が滅んだ時は地上を去らねばならず、別の世界に住むことになる(「地下界」と「幸福者の島」)。そして再び1000年経って地上で生きることになるが、それは天上に戻るための「翼を再生」させるためにであった。つまりこの地上での生活のあり方が「翼」を養うことになるのである。「真実の知」をもとめ、あるいは「美をもとめ」あるいは「真実の愛」に生きたものたちはその翼をはやすことができ、それを「三度繰り返すと生えそろって天に飛翔できる」ことになる。つまり、輪廻は3回だけで済み「天に戻れる」というわけである。ただし一般の魂も、もし地下界に落ちることがあってもそこでの苦悩の生活の中でそれが身に染みて「魂が浄化」されていれば再び地下界に落ちることもなくなって、こうして「10回の人生で天に戻れる」ことになると言われる。
 なお、「最初の地上での人生」のありかたは、かつて天にあって神霊として在ったときの
「天なる真実との触れあい」の度合いによって決定され、「最初は人間の生」とされているけれどその「人生の運命(つまり詩人になるとかスポーツ選手になるとか、農民、商人、政治家など)」は真実との触れあいの度合いが決めるという定めとなっている、としている。

 エルの物語に戻ると、エルは具体的な例を話してくる。たとえば
「(神話伝説上の人物で)音楽の名手オルペウス」であった魂が「白鳥の人生」を選んでいたが(白鳥は「音楽的な鳥」の代表とされていた)、それはオルペウスが人間としてあった時、女たちによって八つ裂きにされて殺されたからであって「人間の女」から生まれてくる気になれなかったから、と言われる。
 また
「タミュラス(やはり神話上の人物で歌の名手であり、音楽の女神ミューズに競演を挑んで不敬の罪とされてその視力ばかりか音楽の才能も奪われてしまった)」「夜鶯」の人生を選び(やはり再び美しく歌いたかったというわけだろう)、逆に「白鳥やその他の音楽的な動物たち」が人間の人生を選んでいたりした。
 トロイ戦争の英雄であった
「アイアス」「獅子」の人生を選んでいたが、これはアキレウスの形見の武具の所有を巡ってオデュッセウスと争い、負けて狂気となって滅んでいった一件に関して、裁定の不満があって人間に嫌気がさしていたから、とされている。
 またトロイ戦争の指揮官であった
「アガメムノン」であった魂は、やはりその妻クリュタイムストラによって殺されたという事から人間を嫌って「鷲」の人生を選んでいた。
 さらに
「走りの天才少女であったアタランタ(求婚者と徒競走をし負けた求婚者は命を取られた、という神話上の少女)」は「男子の競争者の名誉の人生」を目にしたとき、どうしても見過ごしにできずにそれを選んでいた(当時女性は「オリンピック」のような名誉の大会には出られなかった)。
 また逆に
「エペイオス(トロイ戦争で木馬を作成した技術者)」「技術に秀でた女」の人生を選んでいた(当時は「織物の技術」が最高の技術として女神アテネの司るところであった。「織物」は女の行う技術であり、それゆえ彼は女の織物の名手の人生を選んだということ)。
 そして最期のクジになっていたのがトロイ戦争の英雄で、「木馬の計」を案出してトロイを滅ぼすが、その帰路10年間も海を彷徨い艱難辛苦のあげくにやっと故郷に帰り着いた
「オデュッセウス」であった。彼は長いこと歩き回ってはさまざまの人生を調べて回りなかなか選ぶことをしなかった。そしてついに隅っこの方に誰からも顧みられることのなかった人生が転がっているのを見て取り、大喜びをしてもし自分が一番クジであったとしてもこの人生を選んだだろうと言って取り上げていた。それは「厄介ごとがない私人の平凡な人生」であり、彼はトロイ戦争から故郷を求めての10年にわたる海での漂白と艱難辛苦によってすっかり「名誉などへの野心も消えて心が浄化」されていたからであった。
 同じようにして「動物から人間に」また「動物から再び動物」になるものもいた。こうしてすべての魂たちが人生を選び取ると、再び元のように女神ラケシスのところに戻って整列し、ラケシスはその人生を見守り成就していくための神霊を魂たちが選び取ったままに付与した。そしてその神霊は魂を導いて今度は
「今を司る女神クロト」の下に連れて行き、「各人の運命を確実なもの」として、さらに「未来を司る女神アトロポス」のもとに連れて行って「運命の糸が取り返しの効かない不変のもの」としていった。その上で神霊は魂を「女神アナンケ」のところに連れて行き、その運命を「揺るぎなき必然」としていった。
 こうして魂たちは全員連れだって旅路をいくことになり、やがて
「レーテー(忘却)の野」へと至り付いた。そして夕方となって魂たちは「アメレース(放念)の河」のほとりで野営した。そして魂はこの河の水を決められただけ飲まなければならなかったが、思慮・自制心の無い者は決められた量よりもさらにたくさん飲んだしまった。この河の水は「忘却・放念の水」であったからこれを飲むと魂はこれまでのことを忘れてしまった。しかし地上にあって真実を思い出すことはできるのであり、そうすることが必要なのに飲み過ぎてしまったものはもはや全く「思い出すこともなくなり無知蒙昧のまま」に人生を送ることになってしまうわけである。
 
皆が寝静まると突然大地が揺れて雷鳴が轟き、魂たちはあたかも流星のように四方八方へと飛び散っていき新たな誕生のために上方へと飛んでいったのであった。
 
以上がプラトンの語る「死後の世界」の物語であり、ここには「人間の生の意味」と「如何に生きていくべきか」のプラトンの思想が物語り的に語られていることが見て取れるでしょう。ここを細かく解説していくことも可能ですが、ここは「小説的」に捕らえて各人が各人なりにここから何かをくみ取っていく、というプラトンの意図があるものとして細かな解説はしないことにしました。

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