15.西洋と中東の宗教的葛藤 - 5. 「イラン」「イラク」の問題 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

15.西洋と中東の宗教的葛藤
HOME
INDEX
1. 中東の現状と主要な紛争地
2. 西洋と中東を巡る宗教的紛争のキーワード
3. すべての元凶、パレスチナ問題
4. 中東戦争
5. 「イラン」「イラク」の問題
6. またもイギリスとアメリカの野望の餌食「アフガニスタン」
7. 「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」
8. 西洋と中東の摩擦の元凶、「十字軍」
9. オスマン・トルコ帝国と西洋との軋轢
10. イスラームとはどういうものか
11. イスラームの抗争の歴史
12. シーア派とはどういう派なのか
13. アメリカとイスラームの関係
14. 西欧世界の性格
15. 現代の宗教の欺瞞と迷走

5.

「イラン」「イラク」の問題


 アメリカの「反アメリカ国」に対する横暴な介入は、「イラク」「アフガニスタン」を越えて、現在「イラン」に向けられています。「核開発の疑惑」というものですが、他方でアメリカは「同盟国の核開発は許容」しており、そのため「西欧先進国」ばかりでなく「イスラエル」はもちろんの事、「インド」「パキスタン(最近関係が怪しくなっているがかつては親米国であった)」なども保有しています。第一、アメリカは地球を壊滅させてしまうほどの多量の核兵器を保有しているのであって、「自分は廃棄しないが、自分に敵対する者からは奪い取る」というのではずいぶんと「自分勝手な言い分」だと言えます。しかし、相変わらず世界はアメリカに服従しようとしています。「アメリカからの仕返し」が怖いからです。これは中東「イスラーム国」においても同様で、その中で「唯一」と言って良いほど公然とアメリカに「ノウ」を言いつのっているのが「イラン」となるのです。アメリカはこのイランの態度にいらだって「イチャモンを付けている」というのが実態だと言えます。

「イラン」とは
 イランは、ここは歴史的な言葉で言うと
「ペルシャ」です。ペルシャは元来アラブ系の民族ではなく「インド・ヨーロッパ語族」に属する「アーリア人」です。この「アーリア」が少し訛った形で「イラン」となっているのでした。
 彼等は古代から独特の文化を持ち古代ペルシャの宗教は
「ゾロアスター教」でした。そして中世になってアラブ・イスラームの侵入に伴ってイスラームに改宗したわけですが、イスラーム民族間の対立の中でここは「シーア派」の立場をとりました。そして結局現在「シーア派のイスラーム国」はこの「イラン」だけになっているのです。ということはつまりこのイランはもともとイスラーム国の中での異端児とみなされる状況を持っていたわけでした。
 事態をややこしくするのは例によって欧米諸国ですが、イギリス、ソ連、アメリカなどがこの地方の
「石油」に目をつけて奪取をもくろんでいたのです。そして第二次世界大戦においてイランはドイツ側にあったため、北からはソ連に攻められ南からはイギリスが攻め寄せて結局イランは倒されてしまいます。そしてソ連は占領したイランの北部に「アゼルバイジャン」「クルディスタン」の両国を作り南方への野心を残します。
 一方敗北した後のイランでは当然のように「民族主義」が勃興して
「モサデク政権」が誕生しました。しかしそのイランの新政権にたいして、北部を押さえていたソ連がさらに南下してくるのではないかと怖れたアメリカは亡命していた「パフラヴィー国王」を擁立して「モサデク政権」に対抗させ、CIAの暗躍でついに政権を奪取させることに成功します。こうしてパフラヴィー政権は「アメリカの傀儡政権」として親欧米政策をとりイランの欧米化を図っていきます。
 こうしていわゆる「欧米型の近代化」も推し進められましたが、石油の利権の多くが欧米に奪われました。またパフラヴィー政権は
「民衆抑圧政策」をとり、「石油の利潤はアメリカ、その他の一部上流階級」にのみ吸い上げられ、何よりもアメリカ人がイラン国内で犯罪を犯してもイランはそれを裁くこともできないという「主権」まで奪われていたことに「イスラーム指導者のホメイニ師」が怒りを爆発させ有名な金曜礼拝での演説で「イラン民衆の決起」をよびかけたのでした。もちろん「ホメイニ師」は政府に狙われて亡命していきます。しかし、民衆はその「ホメイニ師」を呼び戻して革命を成功させたのでした。1979年の事です。

 こうして
「イスラームによる国家」がイランに復活したのですが、これは周辺のイスラーム諸国の政府にとっては厄介な事態でもありました。というのも、どの国でも古くはイスラームの指導者・イスラーム法学者がそのまま民衆を指導するといういわば祭政一致の形態をとっていたわけですが、近代国家となったとき「政治家」が政治指導者となっていたのです。ところがイランの革命は昔のあり方に戻ったわけです。
 しかもイランの革命は
「イスラーム民衆による革命」でしたので、他の国においても同様の動きが生じかねませんでした。というのもこのイラン革命の時期というのは今から20年くらい前のことですが、すでに多くのイスラーム国には欧米の資本が大量に投入され、多かれ少なかれ何処でも「親欧米派の政権」になっていて貧富の格差は膨大となり民衆は置き去られていたからです。何時取り残されている民衆の爆発があるかわかりません。こうしてイランはイスラーム圏の中で目障りとされます。
 
ちなみにこの懸念は実際に最近の「北アフリカ」から「サウジ・アラビア」「中東」に実現しています。ホメイニ革命のイランはその「はしり」であったともいえるのです。

 この影響は直ぐに隣国「イラク」におよびます。イラクはイランの隣でしたから
「イランのシーア派の影響」が他より強くあり、イラクはこれを抑える必要を感じたのです。
 しかもイラクは
「スンニ派の中心地」でもありました。つまり、イラクは「バクダッド」を首都としていますがここはかつてのメソポタミア文明、さらにバビロニアの首都であり「イスラーム帝国時代の主体であったアッバース朝の首都」でもあったところです。要するに、歴史的にここがオリエントの中心だったのでありその自負もイラクには強くあると言われます。そしてそのバビロニアを滅ばしたのはペルシャ、つまりイランだし、要するに「歴史、民族、宗派どれとっても衝突する両国」であったわけでした。こうして両国間にまたがる地域の領土問題という名目で戦争に入ってしまいます。
 この時にまたアメリカの介入が入り、アメリカはホメイニ師を倒すために
「イラクに大量の軍事・財政援助」をしたのでした。これも今日忘れてはならない事実です。これがあったためにアメリカは後に「イラクには大量破壊兵器がある」と思いこんだと考えられるからです。しかしイランはこれに耐えてついに停戦にこぎつけました。
 今日「イラン」では「馬鹿なフセインがアメリカにたきつけられてイランを攻撃してきた」と理解しています。従ってまたイランは
「反米感情」が非常に強いということになります。こういう中で「アメリカ大使館占拠事件」などが勃発したのでした。

 他方「アメリカ」はこうしたイランの態度に非常に怒りを覚えたと考えられます。もともと
「アメリカが悪い」わけですが、自分の傀儡政権である「パフラヴィー政権」を倒され、石油利権はとりもどされてしまい、イラクに攻めさせても参らなかったイランであり、しかも大使館まで占拠されたというわけですから。こうしてアメリカは「イラン」を目の仇にしたのですが、他方で「イラクの親米派のフセインが反米派になってしまった」というところからターゲットを「イラク」に移さざるを得なくなり、こうしてしばらくは「イラン」は介入されずに済んだのでした。
 しかし、
「イラクからの撤退」を決めたアメリカは再び「イラン」に目を移して「核開発」を絶好の理由に「介入を始めてきた」というわけでした。

イラクの問題
 一方「フセイン時代のイラク」は大国志向が止まず、ついに
「クゥエート侵攻」という問題を起こしてきます。これにももちろん言い分はあるのですが(元来ここはイラクの一地方であった)、「クゥエート」という独立国になっている以上客観的には侵略と言えました。
 しかし問題は、フセインは
「アメリカからお墨付きをもらっていた」と信じたことです。というのも事前にフセインはアメリカ大使にこのことをつげたのですが、アメリカは「我関せず」と答えてきたからです。ところが後になってアメリカは、ここが石油資源の関係でこの地方最大の要所となっていたことに気付いて逆にイラクに対して侵略を敢行してきたのでした。これが「湾岸戦争」の内実です。フセインはあわてて世界にこの事実を告げつげたのですが誰も信じず相手にされないままフセインは負けていったのでした。この事実は後に当の「アメリカの議会」によって明らかにされて証拠文書もでてきたのですが、もう時すでに遅く、「ただの歴史」として記録されるだけとなってしまったのです。
 こうしてイラクは徹底的な
「反米勢力」となりました。フセインのアメリカをないがしろにする態度、さらに「石油」問題が大きく絡んで、こうして一方的に戦争を仕掛けたのが今度の「アメリカによるイラク攻撃」だったのです。いろいろ言われる理由は「口実」でしかなかったことは今日世界中の誰もが知っていることです。
 またさらにフランスが問題にしたように、アメリカの軍事的要望、つまり古い武器は消費して新しく武器を調達することで
「軍需企業の繁栄」を図り、また新しい武器のテストという性格もあると言われます。
 そのほかにアメリカでの
「キリスト教右翼」の台頭によるイスラーム撲滅への願いもあることが最近明らかにされてきました。この最後の問題は別途扱いますが、私達は「ニュースにだまされないように」ということをこの事件でいやと言うほど教えられているのですが、矢張りなかなか「アメリカ贔屓」が直らずに、中東の人々の嘆きの声が消されているのが残念です。

▲ページのトップへ