15.西洋と中東の宗教的葛藤 - 3. すべての元凶、パレスチナ問題 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

15.西洋と中東の宗教的葛藤
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INDEX
1. 中東の現状と主要な紛争地
2. 西洋と中東を巡る宗教的紛争のキーワード
3. すべての元凶、パレスチナ問題
4. 中東戦争
5. 「イラン」「イラク」の問題
6. またもイギリスとアメリカの野望の餌食「アフガニスタン」
7. 「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」
8. 西洋と中東の摩擦の元凶、「十字軍」
9. オスマン・トルコ帝国と西洋との軋轢
10. イスラームとはどういうものか
11. イスラームの抗争の歴史
12. シーア派とはどういう派なのか
13. アメリカとイスラームの関係
14. 西欧世界の性格
15. 現代の宗教の欺瞞と迷走

3.

すべての元凶、パレスチナ問題


 現在の中東を巡る問題としてはパレスチナ問題がやはり最も重要です。というのも結局これが現在の「西洋と中東の宗教的葛藤」の元凶となっているからです。この問題は厄介で複雑で大部な論考を必要としますが、ここでは簡単に紹介しておきます。

西洋でのユダヤ人迫害
 20世紀にはいる以前から西洋での
「ユダヤ人迫害」が行われていました。ヨーロッパ人から見ると、ユダヤ人というのはシェークスピアの「ベニスの商人」に明確に現れているように、「商売・金貸し」などで富を蓄えそれが膨大となり西洋の商人を圧迫しているという「経済的理由」がありました。
 実際ユダヤ人は商売に長けていることは事実で、今日の世界でも経済界を支配しているのはユダヤ人といわれ、とりわけアメリカは政治・経済・文化などあらゆる面でユダヤ人が支配し、アメリカは
「隠れたイスラエル」となっていてそのため「本家のイスラエル」の全面的擁護となっていると言われています。実際、アメリカでのユダヤ人の人口はイスラエルの人口を遙かに超えているとされ、しかもほとんどが上流階級・資産家に属しているとか言われます。

 またユダヤ人は、かつて
「キリスト教を迫害」してイエスや使徒達はじめ多くの信者を殺していたという「宗教的理由」などが挙げられます。これはキリスト教信者が「感情的にユダヤ人を嫌う」原因となります。宗教とは「心の支え」となるもので、従ってそれを否定する態度は「自分を否定している」と見るからです。西洋人は大半がキリスト教徒でしたから、「自分の宗教の祖」を殺したユダヤ人というものに嫌悪感をもっていたというわけです。もちろん「ユダヤ人」にとってみればイエスの活動は逆に自分たち「ユダヤ教の危機」だったからですが、こうした「姉妹宗教」は母体が同じだけに対立も激しくなってしまうのでした。
 こうして西洋・キリスト教徒はユダヤ人を憎み、この果てに
「ヒトラーによるユダヤ人の大虐殺」が起きてしまったのでした。ヒトラーのしたことは精神的に「ユダヤ人迫害をしていたキリスト教徒のしたこと」と同じでした。そのために西洋人はユダヤ人に対して非常に強い「負い目」をもつことになってしまい。それが仇となって、今度はユダヤ人が何をしてもそれを批判することができないという精神的・社会的状況ができあがってしまったのです。
 
そのためパレスチナ問題においてもイスラエル側が圧倒的に悪いということを知りながらそれを批判することができず、むしろ支援するということになってしまったのでした。
 
それをいいことにイスラエルの指導者はパレスチナに対する迫害・攻撃を激化させているのが現状で、さすがに欧米の文化人やイスラエル内部の一般民衆にすらこうしたイスラエル指導者のあり方を批判する人々が増えてきているのは事実です。

オスマン帝国とアラブ・イスラーム
 こうした泥沼のパレスチナ問題を生み出した直接の原因はイギリスにあります。これはパレスチナ問題を語る時は必ず指摘される事柄なのでもうすっかり有名になっていますが、いわゆるイギリスの三枚舌というものです。これは第一次世界大戦に関係していますが、これはとんでもない欺瞞でした。
 この時代に
「イギリスは中東を占拠して支配」していましたが、その回りにあるイスラーム国は「オスマン帝国」でした。そして、長年オスマン・トルコに支配されていたアラブ・イスラームの民族は異民族であるオスマン・トルコの支配に嫌気がさしており独立を狙っていたのでした。すなわち18世紀半ばにアラビア半島で「ワッハーブ運動」が起こり、トルコ的やペルシア的となっていたイスラームのあり方に反旗を翻し「ムハンマドに立ち返れ」と唱えました。これにアラブの部族が賛同してついに「ワッハーブ王国(1744〜1889)」が樹立します。オスマンからアラブが独立していく最初となります。
 それに続くようにエジプトでも
「ムハンマド・アリー(1769〜1849)」が出現して勢力を伸ばし、エジプト総督の地位をオスマンにみとめさせてしまいます。そして、ここから「近代エジプト」が出発するのです。ただし、エジプトはやがて「イギリスに乗っ取られて」しまい、再び独立への運動をはじめなければなりませんでしたが、アリーによる独立エジプトという性格が近代エジプトであることには変わりません。
 しかし、ともあれ、問題が起きた時の中東地方の支配者は侵略者のイギリスでした。そしてイギリスはアラブ諸国の「オスマン帝国」

イギリスの欺瞞、三枚舌
 
こうした動きの中で「ドイツ・オーストリア対イギリス・フランス・ロシアの連合軍」との間で「第一次世界大戦」が勃発し、オスマン帝国はドイツ側につきました。これに対してイギリスはアラブ側に書簡を送り(フセイン・マルクホン書簡)、アラブの助力を乞うてその中で戦争終了後パレスチナ地方の返還を約束したのでした。こうしてアラブはオスマン帝国に対して攻撃を開始したわけでした。この時「アラビアのロレンス」が活躍したわけですが結局彼は祖国イギリスに裏切られてしまうわけです。
 一方、イギリスは同盟国であるフランスなどと戦争終結後のパレスチナからアラブ・エジプト地方の
「分割統治の密約」を交わしていました(サイクス・ピコ条約)。
 さらにイギリスは「ユダヤ資本」に目を付けて、ユダヤの支援が得られたその暁にはパレスチナに
「ナショナル・ホームの建設」を許可するとの約束をしたのでした(バルフォア宣言)。以上の相異なる矛盾の約束を三枚舌と呼んでいるわけです。

 さて戦争が連合国側の勝利で終わった時(1918)、イギリスはさっさとアラブとの約束を反古にして「フランスとの共同統治」に入りました。一方ユダヤ人は「イギリスとの約束」に従って続々とパレスチナに入ってきます。もっともこの時期のユダヤ人は豊富な資金と商売力に物を言わせて何もわからないパレスチナ人から安く土地を買い占めるというやり方をとっていました。少なくとも武力による追い出しではありませんでした。
 
そして一方連合国の後押しで始まっていたバルカン諸国の独立運動などもあり1922年ついにオスマン帝国は崩壊しました。
 こうした状況に1930年頃から
「ナチス・ドイツ」が台頭してきてヨーロッパでの「ユダヤ人迫害」を激しくしていきました。そのためパレスチナに向かうユダヤ人は激増し、当然パレスチナ人との間で摩擦が生じるようになります。この間アラブ地方ではサウジ・アラビア王国とイラク王国が独立しています(1932)。

 そして1939年、ナチスによるドイツとイギリス・フランスとの間で戦争が勃発し
「第二次世界大戦」となっていくのでした。1940年代にはいりナチスのユダヤ人迫害は激しさを増しいわゆる「大量虐殺・ホローコースト」が起きます。ユダヤ人のパレスチナ流入はさらに激しさを増して当然でした。
 一方、イギリスにさっさと裏切られていた
「アラブ諸国」は結束の大事さを痛感して大戦終結の年である1945年「アラブ諸国連盟」を結成しています。イギリスはようやくパレスチナ地方から撤退しましたが、後始末が何もできていません。ここで尻ぬぐいということで国連が「パレスチナ分割案」を採択してきたのでした。しかしこの当時の国連とは欧米諸国だけのサロンみたいなもので、アラブ・アフリカ・東洋諸国はじめ後発の国々や発展途上国などおりはしません。「欧米の利害」だけでことは決められてしまうわけでした。ここで台頭してきた「アメリカ」が大きな影響力を発揮してきました。アメリカはユダヤ資本に依存していた国ですからこうして「イスラエル寄りの決議」になるのは火を見るより明らかであったわけです。
 そうしてイスラエルの建国ということになり勝手に線引きが行われ、これに基づきイスラエルは1948年
「独立」を宣言し、後押しをしていたアメリカが即座に承認し、またこの地方への影響力を残したいソ連も承認に踏み切りました。アラブは当然先のイギリスとの約束があるわけですからこれに反対していきます。しかしアメリカのバックのもとについにイスラエルは「武力でパレスチナ人の追い出し」に踏み切り、ここにパレスチナ難民が生じていくことになったのでした。そしてそのイスラエルによる国土拡大は国連決議を越えてどんどん拡大されていきました。そうした中で迫害され難民となっていたパレスチナの若者が結集して「パレスチナ解放戦線」も結成されていきます。実に迫害から16年も経っていました。

中東戦争
 ここからの現代史はもっと複雑になり泥沼になっていくわけです。ともかく第一次、第二次、第三次、第四次と続く
「中東戦争」が続発しますが、パレスチナ地方に限ってはことごとくアメリカの新兵器を大量に持つイスラエルがパレスチナ人を追いつめ領土を拡大していき、パレスチナ難民は激増し、時にはその難民地が爆撃されて多くのパレスチナの難民が殺されていったのでした。こうした中でパレスチナ側の「自爆攻撃」が生じるようになったわけです。
 これについては
「国家の名で行われる攻撃」は(つまりイスラエルという国家の場合)「戦闘行為」と呼ばれ「国家の名によらない」(パレスチナは国家として認められていない)攻撃は「テロ」と呼ばれる不公平がようやく最近気付かれてきました。
 ともあれ、こうして泥沼状態になっているわけですが、西欧でも最近では
「イスラエル・アメリカの身勝手さ、傲慢さ、欺瞞性」が少しずつ言われるようになっています。しかし、なかなか大きな声になりづらい理由として先に挙げた「ユダヤ人迫害」があり、欧米では「ユダヤ人批判はすぐにナチズムと結びつけられてしまう」のです。実際、西欧でこのパレスチナでのイスラエルを批判した学者はイスラエル・アメリカから必ず「ナチ」呼ばわれしています。こんな状況では「イスラエル・アメリカの暴挙」はやまないでしよう。

 さてこうした状況に現在のイスラーム国家はどういう態度を示しているかというと、民衆は当然パレスチナ側にいますが、
「政府はパレスチナは見殺しにしよう」という態度が濃厚です。「アメリカの政府援助と軍事の脅し」が効をそうしているようです。そしてこのままパレスチナはイスラエルに対して「大きな譲歩をして負け」となる公算が大とされます。
 絶望したパレスチナの若者の「自爆攻撃」はますます激増するのではないかと懸念されます。現在の自爆攻撃もそうした
「絶望と悲しみ」を背景にしているということを世界はもっとしっかり理解する必要があると言えます。


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