15.西洋と中東の宗教的葛藤 - 2. 西洋と中東を巡る宗教的紛争のキーワード | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

15.西洋と中東の宗教的葛藤
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INDEX
1. 中東の現状と主要な紛争地
2. 西洋と中東を巡る宗教的紛争のキーワード
3. すべての元凶、パレスチナ問題
4. 中東戦争
5. 「イラン」「イラク」の問題
6. またもイギリスとアメリカの野望の餌食「アフガニスタン」
7. 「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」
8. 西洋と中東の摩擦の元凶、「十字軍」
9. オスマン・トルコ帝国と西洋との軋轢
10. イスラームとはどういうものか
11. イスラームの抗争の歴史
12. シーア派とはどういう派なのか
13. アメリカとイスラームの関係
14. 西欧世界の性格
15. 現代の宗教の欺瞞と迷走

2.

西洋と中東を巡る宗教的紛争のキーワード


アメリカ・・・時に「アメリカ帝国主義」と言われるように「自国優先の世界支配」を企図している。最近の中近東への介入もその一環。大戦後に限ってもアメリカが軍隊を派兵した国々は、中国、韓国・朝鮮、グアテマラ、インドネシア、キューバ、コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ソマリア、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクとなってくる。その「軍事介入」に起因する混乱によりこれらの多くの国々が現在も苦難の中にいる。さらに、「経済介入」は全世界的規模となっている。その経済介入はたくさんの「親米独裁政権」を生み、アフリカ、中東など世界の紛争の元凶ともなっている。

アラファト・・・「パレスチナ解放戦線の指導者」として有名で、第一次、第二次「中東戦争」に参戦し、全パレスチナ学生連合時代の友人と「ファタハ」を形成、69年に再編成された「パレスチナ解放機構」の議長となる。イスラエルとの共存をはかり、イスラエルの和平派であった「ラビン首相」と手を結び翌年「パレスチナ自治政府」を発足しその指導者となる。しかし、イスラエルのラビン首相が暗殺されて共存は吹き飛び、晩年は信頼をうしなって不遇のうちに死んだ。

アルカイダ・・・アラブ人「ウサマ・ビン・ラディン」によって結成された「イスラーム原理主義者」による「反欧米・反イスラエル」の抵抗武装組織。欧米や親米イスラーム国内での政府を的とした自爆攻撃の首謀者とされる。全世界的に組織が拡大されていると言われるが、その実態は全く謎。まるで一つの「アルカイダ組織」があるかのごとくに言われるが、一つの指揮系統や上部・下部組織などはない。むしろイスラーム原理主義による「個々バラバラの武装集団」があるだけだが、これらを一括して「テロ組織・アルカイダ」とするのは「イスラーム脅威を煽る欧米の政治的意図」による。

イエルサレム・・・パレスチナ地方の都で、「古代イスラエルの首都」。古代イスラエル人(ユダヤ人)はこの地に「イスラエルの神ヤハゥエのための神殿」を建立し民族の要としていた。さらにここは後代「イエス・キリストの十字架刑の土地」となる。またさらに紀元後になってイスラームを提唱した「ムハンマドが天に昇っていった岩」がある。ちなみに、アラブ・イスラームは古代の中東を支配していたセム族の末裔で、実はイスラエル人もそのセム族の一部族であり、先祖は同じで共に「アブラハム」となる。従って双方の「神」も「同じ」となる。こうして、この場所は「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」という「三つの宗教の聖地」となった。現在、特にユダヤ教とイスラームの間に衝突状態があるが、歴史的に「平和共存」していた時代も長くあることは忘れてはならない事実である。

嘆きの壁・・・ローマ時代に反乱を企ててイエルサレムから追放された「都市のイスラエル(ユダヤ)人」は、破壊された「神殿の壁」を「民族の再建のシンボル」として巡礼して嘆いたことから「嘆きの壁」と呼ばれた(この壁に露がついて「泣いて」いるように見えたからという俗説もある)。

聖墳墓聖堂・・・ここはイエス・キリストが「十字架刑となり埋葬された土地(ゴルゴダの丘)」とされ、そこに「記念聖堂」を建立した。場所は「嘆きの壁」「岩のドーム」から目の前のほんのわずかのところにある。
岩のドーム・・・イスラームの預言者ムハンマドは、自分の始祖となるアブラハムゆかりの「神殿の丘の岩」から天に昇って神にみまえたとされる。イスラームはその岩を守るためその上にドームを建立した。これを「岩のドーム」という。ここはユダヤ教の神殿(現在の「嘆きの壁」はその一部とされる)があったのと同じ場所である。

イギリスの三枚舌・・・第一次世界大戦が勃発、小アジア・中東を支配するオスマン帝国はドイツ側につく。イギリスは中東アラブ側に書簡を送り(1915年「フセイン・マクマホン協定」)、対オスマンへの戦争を依頼し、戦争終了後はパレスチナ地方の返還を約束。一方イギリスは同盟国であるフランスなどと戦争終結後の近東の「分割統治の密約」を交わしていた(1916年、「サイクス・ピコ条約」)。さらにイギリスはユダヤ資本の獲得のために、ユダヤ人に「イスラエル(ユダヤ人)の国」をパレスチナに建設するとの約束をした(1917年、「バルフォア宣言」)。この三つの約束は全くの矛盾。戦争後(1918)、イギリスはアラブとの約束など無視して中近東を支配。ユダヤ人は続々とパレスチナに入る。このことが現在の中近東の混迷の最大原因だが、ここに立ち返って問題を整理して解決の道を探る作業は、「イギリスはじめ西欧諸国・アメリカ・ロシアにとって都合が悪い」ため、したがって全く行われていない。

イスラエル(近代イスラエル)・・・ローマ時代にイエルサレムを追われていた都市イスラエル人(ユダヤ人)が、20世紀になって世界大戦の際の欧米の思惑によって「イスラエルへの帰還」を果たして形成した国。ただし、ここは「パレスチナ人の住む領域」であったことから「平和的話し合い」が望まれたのに、イスラエル・アメリカは「武力によってパレスチナ人を爆撃・迫害」し、さらに「周辺イスラーム国の領土を侵犯」していることが大きな問題を生んでいる。

イスラーム・・・紀元後600年代に現在の「サウジ・アラビアのメッカ」において発祥(イスラーム歴は西暦に直すと紀元後622年としている)。始祖は「預言者ムハンマド」。その宗教の性格は神学的にはキリスト教を受け継ぎ、規範としてはユダヤ教と同じく中近東の生活習慣を反映している。そのため「ユダヤ教、キリスト教」は共に「同じ経典の民」とされている。キリスト教との最大の違いは「イエス」の位置づけの違いで、キリスト教では「イエスは神の子、救世主キリスト」とされるのに対して、イスラームでは「始祖ムハンマドに先立つ最大の預言者」となる。この違いは宗教的には「致命的な違い」となる。

イスラーム原理主義・・・「イスラームの世俗化」に対して生じた立場で、イスラームの原理に立ち返るべきとする立場。世俗化(財産・社会的地位などを重視し、また肉体的快楽・感情に基づいた文化を促進する傾向)への抵抗が「社会的・政治的」動きとなって、そうした世俗化を推し進めるイスラーム国家指導者に対する反抗となり、さらに現実に「資本を投入してくる欧米への反抗」となっていった。

イラク・・・古くはメソポタミア文明の発祥地で「古代バビロニア」。現在のイラク人の祖とされる。また「中世から近代までのイスラーム世界の中心地」であり、長く「バクダット」が首都とされていた。現代になって、フセイン大統領の時代にアメリカの後押しで「イラン攻撃」をおこしたが(イラン・イラク戦争)、フセインはクェート事件でアメリカに裏切られて「反米的」となった。こうしてアメリカに都合の悪くなったフセインは殺され、「アメリカによる親米傀儡政府」が作られているが殆ど機能せず、シーア派とスンニ派の対立、親米・反米派の対立、クルド独立運動も絡み「内乱状態」で、収拾不能状態に陥っている。

イラン・・・古代の「ペルシャ帝国」。「バビロニア」を滅ぼしてインドの西のインダス河から西領域を支配し世界初の大帝国を形成した。ローマ帝国時代も「パルティア」さらに「ササン朝ペルシャ」として独自の民族国家を長く維持した。中世になってアラブ・イスラームに侵略されて「イスラームに改宗」したが、反主流派である「シーア派の国」となりイスラーム世界で独自の位置を占めることになった。近代になってイギリス、ロシア、アメリカの支配を受け、「アメリカの傀儡政権パフレヴィー政権」を民衆による「ホメイニ革命」が倒したところからアメリカに憎まれ、その後もずっと介入されている。

ウサマ・ビン・ラディン・・・「アルカイダ」の結成者として有名で、確証がないままアメリカの「9.11事件の首謀者」とされた。アフガニスタンへのソ連の侵略に対する「ジハード」に応じて「対ソ連への戦士」となり、アメリカのCIAに教育された結果、武装集団を形成し指揮する能力を育成された。全世界に拡大されたアルカイダの指導者とされるが、居所も生死も不明で指揮を執ることなど不可能であったが、最近アメリカによる「殺害」が報じられた。

エジプト・・・四大文明の発祥地の一つで歴史的に重要だが、紀元後イスラームが発祥して早い時期にイスラームに改宗。十字軍を撃退したアラブの英雄「サラーフ・アッディーン」やオスマンからの独立を果たした「ムハンマド・アリー」などの英傑を生み、さらにイスラーム史の中で「ファティーマ朝」などさまざまの支配王朝を形成してイスラーム諸国の中で中心的な地位を占めていた。近年は欧米資本と組んで親米派となり、貧富の格差はすさまじく、その人民抑圧政策が国内でさまざまの事件(ルクソールの銃撃テロ、カイロやシャルム・エル・シェイクへの攻撃など)を生み、ついに今年革命的暴動が勃発して「長期ムバラク独裁政権」は滅ぼされた。

オスマン・トルコ・・・オスマン・トルコは1400年代から1900年前半まで「中近東から東欧を支配していたトルコ系民族」。東欧からさらにウィーンにまで攻め入ったことが東欧・西欧人に「イスラームに対する恐怖感と憎悪感」を生み出した。20世紀になって東欧の支配国が独立していき衰退したが、「新生トルコ」として再出発し、欧米化への傾向を強めた。現在トルコはイスタンブールが西洋にかかっていることからEUの加盟を願望しているが、政治的には可能だが西洋人の感情はなかなか難しいものがある。

キリスト教・・・近東パレスチナ地方の「ユダヤ教」を母体としてイエルサレムに発祥。始祖「イエス」「救世主(キリスト)」とされたところから一般に「イエス・キリスト」と呼ばれる。紀元後30年頃のローマ帝国の時代に成立。のちにローマ帝国の都がコンスタンティノポリス(現在のトルコのイスタンブール)に遷都されて以来ローマ帝国の国教とされてコンスタンティノポリスを中心として組織が確立。紀元後400年末期頃西欧領域がゲルマン人に占拠され、その地の「ローマ教会は伝統教会から分派」して「カトリック」を形成。やがて大勢力となって伝統教会を凌駕していく。「プロテスタント」はその「カトリック」の腐敗に対して「ルター」などが起こした「反カトリック」の総称。ローマ帝国以来の伝統教会は「正教(時にギリシャ正教)」と呼ばれ、ギリシャ、ロシアを中心に東欧に残存。

キリスト教原理主義・・・アメリカに特有の「極右キリスト教」の一派で、教義的には「聖書に書いてあることは全て真実」という立場に立ち、それも「文字通りに解し」そのため進化論なども認めない。「反イスラーム」を隠さず闘争的でその撲滅を主張している。「ブッシュ元大統領」はその熱心な信奉者で、この勢力が世界に及ぼしている悪影響は計り知れない。

サウジ・アラビア・・・アラビア半島、イスラームの創始者ムハンマドの生まれた「メッカ」の所在地で、イスラームの故郷の地。そのためイスラーム世界で特殊な地位を持つが、近年は欧米資本と結んで親米派となり、米軍の駐留を認可したり貧富の格差が増大したり、国王の独裁専制政治であったりで多くの問題を抱えている。これが「ウサマ・ビン・ラディン」のイスラーム原理主義運動を生み出した原因となる。

シーア派とスンニ派・・・イスラームの二大党派。スンニ派が主流でイスラームの大半がこれに属する。シーア派は「第四代正統カリフアリー」の暗殺以来、その血統の者だけを指導者(カリフ)とするという立場をとる。時に政治的に活動することがあり、その場合「反主流の立場」に立ち、正統スンニ派に対しての反抗勢力となる。勢力的には少数派であるが、「イラン」が伝統的にこの派に属していることがイスラーム世界に大きな影響を生んでいる。さらに現在は、このシーア派のイランに敵対していたスンニ派のイラクのフセインが抹殺されたことで、シーア派は飛躍的に勢力を拡大している。

シオニズム・・・「イスラエル人の極右思想」で、イエルサレムを首都とする「イスラエル人(ユダヤ人)のイスラエル人によるイスラエル人のための国家(時に「世界支配」まで言われる」を建設することを主張する。「シオン」とは古代イエルサレムの首都古代イエルサレムの中心地の丘の名前。この主張は「ユダヤ教徒以外はイスラエルに存在してはならない」となるので、「パレスチナ人を迫害」し、またパレスチナ人との交渉も認めないので、交渉を認める現在のイスラエル国家も認めない。

シリア・・・地中海の東海岸の北部からユーフラテス河を経てティグリス河まで至る領域。近代になってオスマン・トルコから独立したものの、西欧の介入を受けて「シリア」「レバノン」「ヨルダン」「イスラエル」「パレスチナ」などと分割・国境線が引かれてしまった。近代シリアの場合、「イスラエル」に「ゴラン高原など領土を侵犯」されているのが大問題となっている。少数政党ながら力を持つ「民族主義政党バース党」の支配だが、現在「少数政党支配の独裁制」であることから民衆の反感を買って内乱を起こされている。

十字軍・・・一般にキリスト教が聖地イエルサレムを奪回するために結成した「聖キリスト教軍」というイメージがある。しかしこれは「欧米キリスト教徒の作ったイメージ」に過ぎず、実態は「法王と皇帝の勢力争い」、「西欧貴族の新支配地の奪取」「ベネツィア商人などの経済的暗躍」といった性格のものであったことが判明している。事実として、女性・子ども・キリスト教徒を含めた「アラブ人の大虐殺」が行われていたことから、アラブ人にとっては「経典の民キリスト教徒の裏切り」「西洋人による侵略と虐殺」と捕らえられ、ここから「キリスト教とイスラームの憎悪の連鎖」が始まった。

西欧と東欧・・・西欧と東欧の区分は、ローマ帝国の時代、ディオクレティアヌスによる「ローマ帝国の東西区分統治(293年)」が起源。その区分線は簡単に言ってしまうとイタリア半島とギリシャの間にあるアドリア海の東辺り、現在のクロアチアの東をほぼまっすぐ南北に引いた線となる。その後西欧地域は「ゲルマン民族」に占拠され、宗教的には「カトリック」となり、東側は伝統的キリスト教「正教」が残り、民族的には「現地民族やスラブ系民族」の地となって宗教的にも民族的にも区分された。東欧は、ビザンティン帝国との抗争を経て1400年代にオスマン・トルコ支配。19世紀から20世紀に入って、ギリシャを始めとして東欧諸国のオスマンからの独立。他方で西欧・ソ連の介入を受け、ギリシャなどわずかをのぞいてソ連支配下に置かれる。近年完全独立し、西欧化・EU加入によって国を立て直そうとしている。

西洋・・・ヨーロッパと呼ばれるが、これはギリシャ神話の「エウローペの神話」に由来し、中東の「シリアやパレスチナ」および「現在のトルコ」の「海岸から西の地方」を指す。紀元前に東地中海を支配していた古代ギリシャ、さらにそれを引き継いだローマ帝国は中近東と密接な繋がりがあり、今日のような異質・敵対憎悪の感情はほとんどなかった。西洋が中近東と明確に区分されるようになったのは紀元後400年頃、西欧地域に西欧人の源「ゲルマン民族」が侵入してから。

西洋人・・・紀元前の代表的西洋人とは「ギリシャ人」。紀元頃から紀元後400年は「ローマ人」を指すとして良い。ローマ時代での西欧・東欧・中近東・北アフリカとの交流は「一つの国(ローマ帝国)」の中での出来事。その後西欧は「ゲルマン民族」、東欧は「現住民族」および「スラブ民族」の支配するところとなって、中近東の「アラブ民族」との間に明確な「別人種」意識が形成される。

セム族・・・古代アラブ系の民族で、紀元前2000年代から中近東地域を支配していた民族の総称。代表的な民族としては「バビロニア」「アッシリア」「フェニキア」「ヘブライ(イスラエル・ユダヤ人)」などがある。現在の中東・アラブ系民族の先祖。

中近東・中東・・・明確な区分はないのだが、地中海の東海岸からアラビア半島、さらにイランまでを含めた地域の総称と理解しておいて良い。地理的には一応地中海の東海岸を「近東」、その奥となるメソポタミア文化の展開地域である現在のイラク周辺を「中東」とし得るが、現在では東海岸を舞台に生じた戦争を「中東戦争」と呼ぶように、中近東全体を「中東」とすることが多い。

中東戦争・・・近代(1948年)以来、パレスチナやエジプトなどを舞台に第四次まで行われた「イスラエル・欧米」対「アラブ・エジプト」との間の戦争を総称する。結果的に、武力において優位で先制攻撃も辞さなかった「イスラエル・欧米側」の勝利に終わり、イスラエルはアラブ側の領土を大きく占領し(一部返還)多くの問題を生んでいる。

中東の歴史・・・紀元前の中近東はアラブ系民族「セム族」と印欧語族の「ペルシャ民族」の活動領域。紀元前末期になって「西洋のギリシャ・マケドニア」がペルシャを滅亡し中近東を支配する。その後は「ローマ帝国」が西洋・中近東・アフリカを支配。紀元後600年代の後半、「イスラームとして統一されたアラブ人」が中近東地域を奪回する。しかし1000年代になってここに東方から「セルジュク・トルコ人」が侵入して支配、それはさらに1400年代になって「オスマン・トルコ」に引き継がれる。(彼らもイスラームに改宗)。その後1000年代から西洋の十字軍の攻撃を経験しながら近代に至り、近代は「欧米植民地政策の犠牲」となりながら、オスマン・トルコの滅亡もあって「アラブ人の国」として複数国として独立。

帝国主義・・・近代西洋列強を中心とした「政治イデオロギー」で、他国を政治・経済的に支配し大国家を形成しようというもの。「西欧列強と旧ソ連、アメリカ」が代表的。とりわけ、スペインの南米支配、イギリスの中近東・中央アジア・インド・東南アジア支配、フランスの中近東・アフリカ支配、旧ソ連などの周辺諸国支配などの「領土的侵略」は今日まで紛争と混乱の種となっている。実質的にこの帝国主義を引き継いでいるのが「後発の現代アメリカ」で、ここは「経済的侵略と支配」という形をとっている。ただし、日本もかつて「大日本帝国」と名乗って大陸支配をもくろんでいたように、むしろ近代列強のほとんどがこの姿勢を持っていた。現代世界の混迷の元凶。

ハマス・・・1987年に結成された「パレスチナ解放組織」の一つ。PLOとは一線を画し、民衆レベルでの活動を中心としていた。和平派であったイスラエルの首相ラビンが右翼に暗殺されて右傾化を強めたイスラエルの攻撃に、かえってその活動は活発となり、妥協的なPLOの「ファタハ」と決別した。他方、欧米はこの「ファタハ」から欧米・イスラエルへの妥協路線を引き出すために、「民主化」という名目でのパレスチナ自治区総選挙を行わせた。ところが、欧米の思惑とはことなり民衆はハマスを支持した。「欧米・イスラエルはこの選挙結果を無視」し、逆に「ハマスを悪役」とすることに躍起となり、しかも「ハマス指導者を次々に暗殺」していった。そのため問題はさらにこじれて、ハマスもさらに戦闘的となり、パレスチナ自治区は内乱状態となってしまった。現在その修復が模索されている。

パレスチナ・・・イスラエル人(ユダヤ人)にとって、自分たちに神が与える約束の豊かな土地とは「カナンの地=パレスチナ地方」であるとされるところから、イスラエル人はこの地方は「イスラエル人だけの土地」とする。ローマ帝国の時代にイスラエル人は反乱を起こしてここを追放されるが、土地を離れられない農民のイスラエル人はここに残る。この人々が現在の「パレスチナ人の祖」とも言える。しかしこの人々はこの地方一帯のアラブ人がイスラームに改宗していった時、同様に「イスラームに改宗」していた。そのため、外地にあってユダヤ教のままでいて近年戻ってきた「都市イスラエル人」はそのシオニズム的態度によってパレスチナ人と融和しようとはせず、むしろ「迫害」している。

パレスチナ解放機構(PLO)・・・イスラエルのパレスチナ人迫害によって生じた難民の中から幾つかの反抗組織が生じ、それらが統合して1964年に結成された「パレスチナの解放のための組織」。三代目指導者「アラファト」はすでに1956に「ファタハ」を結成していて、この機構に加わって勢力を拡大し「ファタハ」はPLOの主体となった。しかし、「複数組織の合体」なので内部対立があって闘争は複雑となり、その隙を欧米・イスラエルに突かれて攪乱され、「アラファトも悪役」にされて、その死後PLOは弱体化してしまった。

ヘブライ(古代イスラエル)・・・セム族の一派で正式民族名は「イスラエル」。イスラエル民族の中で残存した「ユダ族」の名前から「ユダヤ」とも言われる。ヘブライというのは「砂漠をさまよう貧民の群れ」といった内容を持つが、イスラエル民族の別名とされてしまった。メソポタミア地方に発祥したが西方に移動し、紀元前1000年頃現在のパレスチナ地方に至って、サウル、ダビデ、ソロモン王によって「古代イスラエル王国」を形成。

ユダヤ教・・・「イスラエル(ユダヤ・ヘブライ)人」の民族宗教。原初のヘブライ神話の時代を経て、体系だった宗教形態にまとめられた紀元前6世紀頃からのものを「ユダヤ教」と呼ぶ。神ヤハゥエとの「契約」に基づく宗教で、神ヤハゥエから「豊かな土地(カナンの地と呼ばれるがここが現在のパレスチナ地方となる)」を授けてもらう代わりに、「ヤハゥエだけを神」として認めて、神の与えた「律法を遵守する」という性格のもので「ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教」

ユダヤ人・・・「イスラエル人」が本名。紀元前1000年頃にパレスチナ地方に形成された「古代イスラエル」を源とする。古代イスラエルは程なく分裂し、「北のイスラエル」は滅亡して、残った南の「ユダ」の人々はバビロニアに連行、やがて解放されパレスチナ地方に戻ってくる。このためイスラエル人はユダ部族民だけとなり、ここから「ユダヤ人」の名称ができた。外国支配を長く受け、ローマ時代に反乱を起こし敗北、追放される。以来、諸外国にあって存続するが「血統」としてはさまざまの血が混入して今日では民族としての「血の同一性」はほとんどなくなる。ユダヤ民族の同一性はむしろ「ユダヤ教」にあり、「ユダヤ人とはユダヤ教徒」として規定される。

ヨルダン・・・東地中海岸南部のパレスチナ地方の東に位置する。シリアやレバノンと同様「イスラエルの侵犯」の問題が絶えず、パレスチナ難民問題の他、ヨルダンの場合は「イエルサレム旧市街」が侵犯・占拠されている。ただし、政治的に妥協し、この妥協のためイスラエルやアメリカの介入を受けないで済み、一応国情としてはこのあたりで一番安定しているがイスラエルの問題が片づいたわけではない。政治的にも不安定な要素が多い。

レバノン・・・東地中海の海岸中央に沿った地域でイスラエルに隣接しているために困難の多い国で、現在は「パレスチナ難民の多さ」と、また「イスラエルの侵犯活動」が盛んなため、「対イスラエル武装勢力」の活動も盛ん。従って政情はきわめて不安定。


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