14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜 - 7. ソクラテスの「人間探求」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜
HOME
INDEX
1.神話から自然哲学の発生
2. 最初の自然哲学者「タレス」と「ミレトス学派」
3. 魂と音楽と数学のとりあわせ「ピュタゴラス」
4. 「論理」だけの世界「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然哲学者たち
5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」
6. ソクラテスにおける「自然学から生の哲学」への転換
7. ソクラテスの「人間探求」

7.

ソクラテスの「人間探求」


はじめに
 人が
「よく生きよう」と思った時、そしてそこにかかわる問題をしっかり見極めたいと思った時、一番根本になるのはいうまでもなくソクラテスです。なぜならソクラテスこそがそうした問題を史上始めて意識的・意図的に、そして方法的に問うた人だからです。ここが原点なのです。ですからこれまでも、そして今でも、多くの人々が何かあると必ずソクラテスに立ち返って行くのです。ソクラテスがすべての人々に勝って特別なのはそうした意味があるからなのです。
 もちろんこうした問題は哲学以前には
「神話」が扱っていた問題でした。その流れは「宗教」や「文学」へと展開していきましたが、「哲学」も同じ母体から生じた姉妹だったのです。ですからこの「宗教」「文学」「哲学」は同じように「人間とは何なのか」「人間の生きる意味はどこにあるのか」ということを主要テーマとしているのです。三者の異なりは「宗教は神・仏との関わり」で、すなわち絶対的なものとの関わりで「信仰」という形で問題にします。「文学」は「具体的人間の具体的活動の描き」という形で人間感性に訴えるように描きます。この二つは「神話」の直系の子どもといえます。内容も表現法も近いからです。
 これに対して「哲学」は
「人間理性による懐疑と筋道だった追求法」という先行する自然学の持っていた方法論となります。扱われる問題はすでに神話に扱われているものですが、ここには「批判・吟味」という独特のものがあり、語り口も具体的な描写ではなくなり「論理」となります。これが神話と哲学の最大の違いとなります。この「哲学」において「人間の生きる意味」を追求した最初がソクラテスということになるのでした。

ソクラテスの当時のアテナイの状況
 「生きる」ということが問題になる時には、必ずその人が生きている
「社会」というものが大きな問題となります。これは社会体制ということもそうですし、それに伴う「社会の価値観」というものが大きな課題になってきます。「戦士・騎士・武士の社会」では「戦士・騎士・武士の価値観」に関わって「人の生き方」というものが考えられます。
 実は、多くの神話の「英雄伝説」というのはこうした「戦士・騎士・武士の世界での人の生き方」を描いていると言えます。そうした中での「優れた人間のあり方」を描こうというのが英雄伝説となり、そこでの英雄のあり方が
「価値」として表現され、ここに「人間としての善・正・美」というものが示されてくることになるのでした。
 他方、ソクラテスが生きていたギリシャのアテナイは、古代社会ではここギリシャにしか見ることのできない非常に特殊な社会形態、すなわち、
「民主制の社会」でした。それは、ポリスという小さな「都市」のごときが一つの国家形態をもつという変わった社会であったこととも関係しています。ここで最も特徴絵的であったことは、「自由に考える」ということが可能な社会であったということです。それがソクラテスを生み出すことになるのです。専制君主制の社会では一般市民は奴隷並の扱いでしたから「自由」はありません。ですから「自由に考える」などということもできませんでした。あるいは中世の時代でもそうです。社会的に封建制で貴族が支配しており、一般庶民は「自由にものを考える」なんて夢にも考えられませんでした。しかしそれは貴族・僧侶たち上流階級も同様で、たとえば中世西欧世界では「キリスト教に反対の考え」など言おうものなら「異端裁判」で火あぶりにされてしまいました。古代ギリシャの民主主義社会ではそうしたタブーがなかったので「自由にものを考える」ということができたのです。そのためにこの時代に「哲学」だけではなく、「社会思想」「詩・文学」「悲・喜劇」「歴史・地誌」「政治・経済・法学」「医学」「天文」「生物」「数学」などなどさまざまの分野で「学問の祖」といわれる人たちが輩出したのです。
 ソクラテスはこうした時代・社会の人でしたから
「自由人」の代表と言えます。ソクラテスは「社会の価値観」からも自由に物事を考え、社会的価値とは無関係に「人間としての価値的生き方」を考えた人でした。
 ですから、一見するとソクラテスは「英雄時代」の英雄の生き方とは全然異なる、と思われそうです。しかし、実は驚くほどにソクラテスは
「神話の英雄」に生き写しなのでした。もちろん確かにソクラテスは「時代の子」としてのありかたを示しており、それはソクラテスを考える時大事な要素ではあるのですが、他方でソクラテスは「時代を超えた」人だったのです。ですから21世紀の今日にあっても問題になる最高人物の一人となっているわけです。
 ソクラテスと英雄との関係ですが、ソクラテスが無実の罪で死刑になるとき、彼は「死」を顧みず戦場に復帰して死んでいった
「トロイの英雄アキレウス」を引き合いに出してきます。また、そのソクラテスの人生の引き受け方は、父を殺し母から子をなしてしまうという運命に翻弄されつつ「それが己の人生」として凄惨な人生を自ら引き受けて生きていった「テバイの英雄オイディプス」にそっくりです。彼らは、時代や社会を超えて「人間としての人生に対する誠実さ」を示した英雄だったからです。ソクラテスが追い求めていたものとはそうした「生のあり方」であったのです。私達が「英雄時代の英雄」であるにも関わらず「英雄物語」に心が引かれていくのはそうした「時代を超えた人間としての生き方」を見ることができるからなのです。そして哲学者としては「ソクラテス」こそがその「もっとも誠実な人生」のモデル的人物となっているのでした。

民主制の問題
 ここで民主制社会という時代の子としてのソクラテスを見ておきます。ソクラテスは民主制が生みだした人ですが、それはもう一つ民主制のもっていた「裏の面」とも関係していました。それは、民主制で一番ものをいうのは何といっても
「弁論の術」だったことです。何せ「直接民主制」で、皆が「民会」に出席し、演説し、そして拍手喝さいをうけた者が勝ちをおさめます。裁判も同様です。裁判官は町の人々のなかからクジで選ばれました。遊び人だろうがヨボヨボ爺さんであろうが関係ありません。検事も弁護士もいませんので、自分で弁論しなければなりません。ここでも、うまく相手をやっつけた方が勝ちです。相手をやり込めるか、裁判官の気にいるような弁論、おべっかを使うとか、カッコイイしぐさで拍手喝さいを得るかすればいいのです。こうして、黒だろうが白だろうが関係なくなります。
 こうした社会で活躍したのが
「ソフィスト」と呼ばれる人々でした。ソフィストというのは「知者」という意味で、要するに、「教師」と考えてよく、彼等は「若者の教育」ということで「弁論術」を教えてお金をもうけていたのです。しかし、その教える内容が、「真実」ではなくて、「そう見せかける」「黒でも白と見せかける」という所にあったのですから、これはソクラテスにとって大問題でした。なぜなら、「真実などない」といっているのと同じでしたから。

プロタゴラス
 プロタゴラスはそのうちの一人で、
「万物の尺度は人間である」という言葉で有名です。このもともとの意味は、「人の形成する国政、社会常識、慣習」は社会ごとに異なっていて、人はそこの価値観で育ち従って国政や社会の異なるところで価値観も異なる、というような意味で、彼は多くのポリスを尋ね歩いて社会を観察した結果そういう結論を出したと推察されます。
 確かにこれは今日の社会にも当てはまります。しかし、これはつきつめていきますと、
「正・不正、善・悪、美・醜」も社会ごとに、いや、人ごとに異なるということになってきます。これも確かにそう言えそうです。しかし、そうなりますと、ある人に「正しい」と思われたならば、その人にとっては「それが正」ということになり、それは人ごとに異なり、争いになってしまいます。で、結局、一番強い人の言うことがまかり通る、ということになってしまいます。社会の在り方は何だかんだいってもこういう印象がぬぐいきれません。プロタゴラスはこういった在り方をズバッと核心をついて言っているので重要なのですが、こうなりますと彼の立場というのは懐疑論、ないし不可知論的な立場、つまり、真実はあるのかもしれないし無いかもしれない、いずれにしろ人間には知ることができない、といったような立場になってしまいます。

ソクラテスの疑問
 しかし、それはソクラテスにとっては大問題でした。なぜなら、
「正しいこと」の基準などない、ということになりますと、「人は勝手に好きなようにしていて構わない」ということになります。法律といったって、これもようするに「人」がつくったものなのだから、もし気に食わなければ「強くなって」それをいいように運用したり変更したりして構わない、ということになってきます。実際、社会はそんな風にも見えるのですが、「人間ってそんな風に生きていいのだろうか」とソクラテスならずとも思ってしまいます。
 ソクラテスの問題とは
「良く生きたい」ということでした。ところで、私たちにとっても最も望ましいことは、その考える具体的内容はさまざまであっても、「幸せ」と言い換えられます。一方、その「幸せ」というのは、一般には「財産」とか「地位」とか「名誉」とか考えられています。しかしそれらは、もちろんあるにこしたことはないわけですが、必ずしも本当の意味で幸せを保証するかとなるとそうでもない、ということに気が付きます。そして次ぎに「健康」とか「家族」とか「友人」とか「恋人」などと考えていくわけですが、これらも要するに「外的な要素」であり「付け加わってきたり無くなってしまう」ものですから、どうも良くわからなくなってきてしまうわけです。つまり「欲求は際限がなくなり」そして「付け加わってきたりなくなったりするのが当たり前」となり、すると「どうだったら幸せ」なのかわからなくなるという筋道だからです。
 そこでソクラテスは考えるわけですが、物事というのは何であれ
「それがそうであるということが十分に発揮されたところ」「そのもののよさ」があると考えました。譬えれば、ナイフは「よく切れる」ことで「よいナイフ」といわれます。同様、ピアニストは素晴らしい演奏をすることにおいて「よいピアニスト」であり、そこに「ピアニストとしての幸せ」があります。だとすると、人間も最も「人間らしくある」ことにおいて「最もよく」したがってそこに「人間としての幸せ」もあるのではないかと考えました。そして財産も地位も要するにそれらはそれ自体としての価値を持つわけではなく「それを用いる人」によって良くも悪くも働くと考えました。したがって問題は「人間性」にある、となったわけです。ですから、「よく生きる」ということは結局「人間としての優れ(アレテーといいます)」つまり「善・正しさ・美しさ」というところにあるとしたのです。
 人はそうしたものを獲得しなければなりません。しかし、こんなもの誰も本当の所は分からず、神様だけしか知らないようなものです。でも人間はそういう知を得たいと思います。神様のような「知者(ソフォス)」にはなれません。しかし、そうした
「知を愛する(フイロソフォス)」にはなれます。こういった立場をソクラテスは示してくるのです。「フィロソフォス」とは本来こういう意味での「愛知者」を意味していたのです。

 ところでここには「人間の優れ」や「善・正しさ・麗しさ」を、社会によって規定されているようなレベルのものではなく、
「本質そのもの」として捕らえる思考がありました。プロタゴラスの場合、「人間の優れ」も「善も正しさ」も社会によって決定されているものでした。したがって、そこでは「幸福の内容」まで決められているのです。ですから「知者=ソフォス」という立場を示すことができます。しかしソクラテスの立場はそうではないのです。例えば、正しいという行為も、具体的にはさまざまの姿をとっており、しばしば矛盾をし、なにが「本当には正しいのかわからない」というのが現実だという認識があります。これはプロタゴラスもそうでしたが、彼はここで「社会の習慣」をとりあえず善・正と認めようという立場を取りました。しかし、ソクラテスは徹底して「分からないものは分からない」とする一方で、その分からないものへと(行き着くことはないけれど)探求の道を進めて行くべきだ、としたのです。このプロタゴラスとソクラテスの分岐点は、プロタゴラスが結局「正しさ」というものを「具体的な場面」でしか考えられなかったのに対して、ソクラテスは「正しさ」というものを「本質的」に考えられることができた点にある、と言えるでしょう。
 本質的にとは、一つ一つの具体的な異なった在り方をしているものに共通している
「本来的在り方」のようなもので、例えば「人間の本質」というのは個々の異なった人間達に共通していてその異なっている人達を全員「人間」と呼ぶことができるようにさせている「本来的在り方」のことですが、こういった視点で考える時「本質的」な考え方と言われるわけです。ソクラテスは、個々の具体的で異なった正しい行為に共通していて、それらが異なっているにもかかわらず皆「正しい」と呼ぶことができるようにさせている「正しさそのもの」「正しさの本来的在り方」みたいなもので考えている、ということです。人間についても人間を具体的にとらえるのではなく、「魂」といった全ての人間に共通した「本質的在り方」で捕らえるようになります。

 いってみればここにソクラテスの独自性と歴史的意味とがあるのです。実際のところ「人生への問い」そのものは太古の昔から人間がいた限りにおいてあったものだと言えます。しかし、それはこの現実の場面から離れることはなく、その限り一つの「限定」のもとでの探求でしかなく、それは先に示したようにソフィストの場面で明確にされてきました。この場面では「人の優れ」や「善・正しさ・麗しさ」は「社会によって決定されている」ので、その社会の価値観に合わせて「どのように」実現させるか、だけが問題になってくるに過ぎません。もちろんそこには人間の欲望、情念、また遇運などもありうまくいかないわけで、そこにドラマが生じてホメロスやギリシャ悲劇の物語が書かれることになったのですが、基本的に
「ある特定の社会の中の人間」だけしか考えられていないのです。したがってここには「普遍性」というものがありません。つまり人間を「本質的」に問題にするという意識はなかったからです。しかし、こんな問題意識は現代でもなかなか難しいと言えます。こういった問題意識がポイントとなるのです。

知者の探求
 こうしてソクラテスは
「人間の優れについての知の探求」へと入っていきます。そして世に賢者の評判のある人物を歴訪していくことになったといいます。始めは政治的なリーダー達、ついで文化的リーダーとしての詩人達、そして最後に技術者を訪ねますが、結局「政治的リーダーは何も知らない」「詩人は立派なことを書いてはいるけれど、その書いていることについて何も知らない」「技術者はなるほどその当人の技術についてはよく知っているけれど、しかしそのゆえをもって肝心のこと(人間の優れ)まで知っていると錯誤してしまっている」という結論に達したと告白してきます。
 ここでの肝心なことというのが、先にいっておいた
「人間としての優れ」ないし「善・正しさ・美しさ」ということになるでしょう。しかし、本当に彼等はそれについて「無知蒙昧」な人達だったのでしょうか。だとすると彼等をリーダーとして認めていたアテナイ市民も馬鹿ばっかりということになりそうです。そんなことはないでしょう。彼等も一流の人士だった筈です、ただしそれはプロタゴラス的な場面でであって、当時認められていた「社会の価値観において優れた人達」だったのです。しかし、これがソクラテスの眼からすると駄目ということになるのは、プロタゴラス自身が批判されたのと同じ関係においてです。
 彼等はアテナイ社会で認められている「人間としての優れ」を信じ、社会が認めている「善・正しさ・美しさ」を前提していたのでしょう。一方ソクラテスは説明しましたように「本質的」に考えようとしていますから、彼等の態度は「一つの価値観を盲信している」無知な連中ということになってしまうのです。つまりソクラテスは「人間の優れ」を社会が認めている人間の優れ、すなわち「地位・財産・名誉職・権力」と言った方が早いでしょうが、そうしたレベルでは考えていないということです。先にも示しておきましたようにソクラテスは人間も本質的に考えそのレベルでの「優れ」を考えていますので、それを忘れてただ「地位・財産・名誉・権力」を考えて偉くなった人達は批判の対象になってしまうのは当然でした(無論、偉い人全部が駄目とされるわけではなく、人間として立派な人は正当に評価されます「正義の人」として今日まで有名な政治的リーダー、アリステイデスなどがそうです)。            

魂の配慮
 そうしたソクラテスの立場を言っているのがいわゆる
「魂の配慮」という言葉です。魂というのはこの場合譬えてみれば「車と運転手」の「運転手」に譬えられます。車の方は「肉体」ということになります。つまり私たちは具体的には「肉体」が動いているわけですが、それはそれ自体が動いているわけではなく、外から入ってくるデーターを感覚し、それに対して感情を持ち欲望をもちつつ「考え判断し決断して」車を動かす「運転手」に相当する「魂」が動かしている、というわけです。この魂の優れが何より大事なのは「車」の譬えでも説明つくでしょう。運転手が駄目な車はとんだ迷惑になってしまいます。そしてこの「魂の優れ」とは当然「財産・地位・名誉・権力」などではなく、「よく、正しく、美しく」いってみれば「勇気あり、賢く、節度あり、敬虔な」所に実現しているわけです。これこそがソクラテスにとっての「人間の優れ=アレテー」であったのです。ですから時にこれは「徳」と訳されてしまうこともあります。

不知の知
 こうした文脈で、いわゆる
「不知の知」ということが言われてくるのですが、これはようするに以上にみてきたような「人間の優れ」「善・正しさ・麗しさ」の本質について人間は本当のところを知らないが、その限り「不知」であるけれど、人間は「知らない」ということを「知る」存在だ、という人間のありようと、そういう存在であることの自覚を促す(つまり自分は正しさについて「知っている」といった態度をとるのではなく、むしろ追及さるべき問題として自覚し追及しながら今を生きて行く)ソクラテスの立場を示した言葉です。そして、この不知というのは、「何も知らない」ということより、今言及したような「善・正しさ」などについて現実社会の盲目的肯定の態度からそれを「疑い、吟味」する態度を意味しています。

「対話法」「産婆術」
 そうして「追求」していってもこれは人間である限り行き着くことはないでしょう。ただし永遠に得られないというのは「完全には」ということであって、追っても無駄ということをいっているわけではありません。頂上まではいけないにしてもかなり高いところまではいけるのであってフィロソフィアの目的とはその「登攀」そのものにあるのです。
 そしてこの登攀の道が
「理性と論理による吟味の道」という形で示されてくることになります。その道がいわゆる「対話法」とか「産婆術」とかよばれるやり方でした。これは例えば勇気なら勇気について二人ないし数人がお互いに意見を出し合い、吟味してどんな小さいつまらないものであっても矛盾がないかを見出だし批判し、さらに修正意見を出し、それをまた吟味し、また修正し、というやり方で、どんな下らない反論にも動じないような強固な意見を見出だして行く、という方法論でした。
 この見いだしていくのは「本人」がしなければならないことで、盲目的に他人の意見に従ったり、あるいは従わせてはならず、年長者の場合なら若い者に「刺激」を与えたり「経験・知識などの思考材料を与えたり」「考え方を指導したり」していく一方、若い者は自分の「経験・知識の不足」を自覚し「謙虚に」学んでいく姿勢を持っていなければならないとしていました。これを「産婆」のやり方になぞらえて
「産婆術」と呼んでいます。
 こうして見出だされていったものはもちろん議論上のこととされるのではなく、人生上のこととして「生き方の原理」にされていかなければなりません。たとえば「人はどんな仕方であれ不正を働いてはならない」といったような命題があり、これはいかなる議論をもってきても揺るぐことがない、としてこれを行動の原理にしていました。これは結局、ソクラテスが不当な判決であったとしても「裁判を受け入れる」として裁判所に出向いて十分正当と認められる論告を許されたその結果であるからとして「死刑判決」を甘受した理由の一つになってきます。つまり裁判官達の「判断の愚鈍さ」はあったとしても裁判そのものに「不当性」はなかったという理由からです。その正当性に対して今更脱獄などしては(裁判時、アテナイを出国すると申し出れば間違いなく認められたと考えられています)、これは「不当な行為になる」とソクラテスは言ったのです。こんな具合にソクラテスの示した「哲学」というのは具体的なものだったのです。なお、ソクラテスとそれに続いた人たちについては別途「生と死を見つめた哲学者たち」で紹介していきます。

▲ページのトップへ