14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜 - 6. ソクラテスにおける自然学から「生の哲学」への転換 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜
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INDEX
1.神話から自然哲学の発生
2. 最初の自然哲学者「タレス」と「ミレトス学派」
3. 魂と音楽と数学のとりあわせ「ピュタゴラス」
4. 「論理」だけの世界「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然哲学者たち
5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」
6. ソクラテスにおける「自然学から生の哲学」への転換
7. ソクラテスの「人間探求」

6.

ソクラテスにおける自然学から「生の哲学」への転換


はじめに
 前章まで、私達は神話にあった問題の大きなテーマが「世界とは何なのか」「世界はどのように生じてきたか」といった問題にあったことを指摘しました。そして、神話ではその原因としての「神」を物語的に語っていたわけですが、その「神」に代えて「自然そのもの」で説明しようとした態度が「自然科学的考察」を生んだと指摘し、その具体的なあり方をみてきたわけでした。
 この人たちを「自然学者」ないし「自然哲学者」と呼んでいるのですが、通常の哲学史では、この流れはソクラテスのところでいったん止まり、そしてその孫弟子となるアリストテレスのところで再び大きく出てきて飛躍し、さらにその弟子たちから個別科学者が輩出されて来たと説明されます。
 
「ソクラテスのところでいったん止まった」とは何をさしていっているのかというと、通常の哲学の教科書では、ソクラテスによって「問題が自然から人間へと転換した」という言い方で説明します。つまり、「人間とは何であり」「人はどのように生きていくべきか」ということが主要問題にされたから、というわけです。確かにそれはその通りです。しかし、ソクラテスは或る意味で自然学者のあり方を引き継いでいたのであり、それは「自然科学対象の明確な認識と限界」を教えることとなり、その場面で「人間のこと」が問題にされてくるのであり、自然には無関心で、いきなり「人間とは」などと大上段に問題にしてきたわけではないのです。
 そしてまた、その
「探求のあり方」は自然学者が確立したあり方を正統に受け継いでいました。それは「現実の観察とそこからの法則の探求」「理性による探求と吟味・批判の繰り返し」といった自然科学の手法です。哲学の教科書ではあまり指摘されていないことですが、これは大事なことであり、ソクラテスの「探求の道」はこれまでの先人たちが築き上げてきた探求の方法論に則っていたのです。

ソクラテスを主人公とした喜劇『雲』の中での自然学
 そうしたソクラテスを描いているのが喜劇作家アリストパネスであり、ここでのソクラテスは「自然学者」として描かれてきます。これは弟子プラトンの伝えるソクラテスと異なるということで一般の哲学書はアリストパネスの描きを殆ど無視してしまいますが、これは「プラトン」を権威とした権威主義的態度とすら言えます。あるいは「喜劇だから」という理由も一因かもしれませんが、当時のアリストパネスの喜劇は、当時最高の有名人をまな板に載せて
「風刺・諧謔・皮肉」で描く、ということを生命としておりました。これは「事実」を強調的にひねくって描くことによって笑いを取る性格をもっており、根も葉もない話しでは「風刺」にもならないのでした。
 アリストパネスの喜劇には、他には当時の政治指導者クレオンや有名な悲劇作家エウリピデスなどが喜劇の主人公としてまな板に載せられていますが、いずれも「事実」が「ひねくられて」描かれているものです。つまり、アリストパネスの喜劇は
「有名人における事実(少なくとも観衆に「そうだろうな」と思われるもの)が背景に無ければ笑いとならない性格をもっているのです。この喜劇でのソクラテスは「自然学者」であるわけですが、もしソクラテスがそうでなかったとしたら、その「自然科学的セリフ」は全然おかしくないものになってしまうのです。ソクラテスが「いつものように得意がって珍奇なことを言う(少なくとも観客は「確かに言いそうだ」と思う)」からおかしいです。
 そしてもう一つ、こうしたタイプの喜劇は「有名人」であって始めて成立する喜劇ですから、ソクラテスは当時すでに「有名人」であったことは確実です。その年齢は40歳くらいで、後に
「哲学者として有名になる以前のソクラテス」だということも大事な事実となります。つまり、ソクラテスは「自然学研究者から人生の哲学者」へと転換していった人であったと言えるということです。
 そこで先ず、ここでの「自然科学」の内容を検証してみましょう。この喜劇の中でソクラテスは、一つの「塾」のようなものを持ち、そこで自然学の研究をしたり邪論を教えたりしているものとして描かれています。こうした塾については、実際のソクラテスの場合は組織だった塾というより「仲間内」という性格のものであったことが弟子プラトンなどによって伝えられています。つまり
「人の集まる市場とか体育場」がソクラテスの談論の場であったとされていますが、「そこに集まる仲間」といったものを想定しておけばいいです。これは弟子のプラトンによってもクセノポンによっても確証されます。これを強調すれば「塾・学校」と描かれてもおかしくありません。
 そして、ここでのソクラテスの年齢ですが、先に指摘したように喜劇の上演年代からして40代前半頃かと推定されます。ですから、この当時すでに一つの
「ソクラテス集団」が形成されていたらしいという事実が見えます。ただし、この年齢はソクラテスが「哲学者」として有名になる年齢の前に相当します。ということは、ソクラテスは「哲学者」として有名になる以前から「自然学者」として有名人物となっていて弟子ないし研究仲間をもっていたらしいと考えられるわけです。
 ともあれ、この集団の特質としてアリストパネスがあげているのが
「自然学の研究」と「邪論の教授」となります。またこの当時ソクラテスを喜劇の舞台に乗せているのはアリストパネスだけではなかったのです。つまりソクラテスは当時アテナイ中誰一人知らない者がいない有名人になっていたのですが、それはどういう点であったのかも問題になるはずで、知られている「貧乏な乞食のような姿」だけでは説明がつきません。
 アリストパネスはその原因として
「自然について奇怪な説をもてあそぶ学者ソクラテス」を言っているわけです。この「奇怪性」は、少なくとも外からの姿としてはプラトンの伝える後年のソクラテスとほとんど変わらない印象がありますので、当時から「変わった学者」と見られていたのは確かでしょう。
 さて、このソクラテスを主人公とする喜劇は『雲』と題されているのですが、その中での自然学の性格というと、これは私たちがイメージする自然学とほとんど変わりません。すなわち、『雲』という題名自体が示しているように、これは
「群雲を呼び雨と雷を降らす神としてのゼウス」を退け、代わりに「自然的な雲」が雨を降らす本体であるとして自然現象として雨を説明するあり方に集約的に現れています。すなわち、雲が多量の水(水蒸気)に満たされて、満ちた所で必然的に運動を起こし、下に向かって「雨」となって水は降りる、一方その重くなった雲は下方運動を起こすわけだから相互にぶつかり合うことになり破裂してひどい音をだし、これが雷鳴となる、その運動の原因は「雲の渦巻き運動」であり、また稲妻というのは風が雲に入り閉じこめられると内部から雲を膨らまし、それが破裂するときその激しさによって燃焼したもの、といった具合です。しかも、「太陽が下界から水を繰り返し吸い上げている」などといったセリフまであって当時の自然学の観察の鋭さを伺わせています。もちろん客観的にはこれがソクラテス独自の理論であったとはいえず、むしろプラトンの『弁明』でソクラテスみずから指摘しているように、当時の自然学者の代表アナクサゴラス達の意見であったでしょうが、少なくともここではソクラテスがそうした理論をこね回す人物として描かれているのでした。

クセノポンの証言
 ここで弟子たちの証言を見てみましょう。ソクラテスが後年「哲学者」として有名になってからの弟子であるクセノポンの『メモラビリア』での証言は(クセノポンはソクラテスが60歳くらいの時に仲間うちに加わったと推定されている)、まずソクラテスは
「自然学を拒否」する人であった、というのが基本です。ただ、注意しなければならないのが続けて指摘されている「そうではあるけれど、師ソクラテスは自然学や数学の勉強はしていた」という但し書きと、ソクラテスは「有用である限りの勉強はすべきだけれど、度をこしてはならない」と言っていたという但し書きとです。ですから、クセノポンの理解によればこの「度を超す」という部分でソクラテスは「自然学を拒否」していたというわけで、それはアナクサゴラスのようなあり方を意味する、となっています。この但し書きを見ると、後年のソクラテスの自然学への態度ははっきりしているようで、「自然学の勉強はしていた」、したがってその有用性と無駄の部分とを理解しているが、有用である限りはそれを学んでよいが、度をこしてアナクサゴラスのようになってはならない、という趣旨で語っているといえます。ここで「有用性」とかまた「アナクサゴラスのように」とはどういう態度をいうのかというと、有用性ということではたとえば天文学に就いて言えば「種まきや交易のための船出に関わって時期を知り、月や年の時期を知る」というようなことであり、数学に就いて言えば「土地の測量や売買」といった全く功利的なものをクセノポンはあげています。これに対して、「アナクサゴラスのように」とは「太陽は火である、灼熱した石である」といった主張だといいます。
 クセノポンという弟子は「人品・人柄」においては群を抜いて立派な人だったようですが、実は「学問的業績」は殆どない人でした。その優れた「人生のエッセイ」の著作で後世にまで名前を残してくる人物なので「学問的考察」にはいささか欠けるようでした。したがって、アナクサゴラスのことも良く分かってはいないようです。ただ、こうした言い方に、ソクラテスが実際にアナクサゴラスなどを批判していたらしいという事実を嗅ぎ取ることは可能でしょう。
 また別の箇所では自然学者全体を批判したとして、その「実在の数の挙げ方、万物流転を説いたり不動を説いたり生成消滅を説いたり不生不滅を説いたり、互いに矛盾し一つとして意見が一致していない」ということを言っていたと述べています。これはタレス達ミレトス学派、エンペドクレスやアナクサゴラス達多元論者、ヘラクレイトスやパルメニデスを意味しているのは明瞭です。ということは、ソクラテスは彼らのことについても良く勉強していたということです。
 そしてクセノポンは付け加えるように、もう一つソクラテスが自然学の研究を拒絶したのは、こうした自然についての研究は人間の一生を費やしてしまい、他に
「大事なこと」の探究を妨げてしまうから、と言っていたということを挙げてきます。
 そしてその「大事なこと」として言っていたのが
「人間のこと」すなわち「人間の優れ」、具体的には「敬虔とは何か」「美とは何か」「正・不正について」「思慮」「勇気」「国家」「政治」とかそうした問題をいうとしています。最後の一節について言えば、プラトンが描く哲学者としてのソクラテスが問題にしていたのがこれらの「人間の問題」であったことはいうまでもなく、したがってこの部分はプラトンによっても確証できるでしょう。
 つまりクセノポンは先にも指摘しておいたように「ソクラテスがこうしたこと(自然学)を学ばなかった人間ではない」と言っていました。つまりソクラテスは時折こうした問題についての自分の知識や見解を述べていたということが十分に考えられるわけです。
 そしてクセノフォンの知るソクラテスというのは60歳以降のソクラテスであるわけですからアリストパネスの伝える40歳代の自然学者ソクラテスの時代から20年も後のソクラテスであるわけで、この間にソクラテスは「自然学から人生の哲学」へと移行していたのだと考えられるわけです。

プラトンの証言
 そしてもう一人弟子プラトンの証言ですが、プラトンの最初の著作である『弁明』の中では、ソクラテスを告発した者が
「自然学を問題にしているソクラテス」すなわち「無神論者ソクラテス(自然現象を「神の仕業」としていた時代にあって「自然現象は自然のこと」とするのは「無神論」と取られかねなかった」」として告発していると先ず指摘しています。そして続けて、ソクラテスはそれに対して、その弾劾されている自然学者としてのソクラテスの主張とは「アナクサゴラスの主張だ」と指摘し、「それは自分の主張ではない」ことを言明しているとしています。そして自分がそうしたことの主張者だと誤解をうけているのはかつてのアリストパネスの喜劇に原因がある、と師のソクラテスは弁明している、と書き残しています。この「アナクサゴラスの学説を語っていたにすぎない」というのと「アリストパネスによって自然学者ソクラテスのイメージが固定してしまっている」という二つは事実であったかもしれません。
 そうだとすると、この場合ソクラテスは他人からは「自然学を探究しその知識を披瀝しているソクラテス」となるわけです。これについては後世の最初の哲学史家とも言える「ディオゲネス」の証言もあり、「伝承ではソクラテスはアナクサゴラスの弟子であった」とされています。この弟子ということで文字通り現代的な「師弟関係」にあったととる必要はないでしょう。アナクサゴラスが自説を語っている場所に来て聴講している姿、あるいはアナクサゴラスの書物を読みふけっている姿、そのアナクサゴラスの学説に言及して人々に語っている姿などが何度か目撃されれば「弟子」と評価されたでしょうから。
 確証があるわけではありませんが、おそらくソクラテスとアナクサゴラスの関係はそうしたもので、知的好奇心と探究の精神に旺盛であったソクラテスが、アテナイにやってきて長い間逗留していた「当時の代表的な自然学者アナクサゴラス」の学説をはじめからバカにして問題にしなかったとは考え難いことです。こうしてアナクサゴラスの学説に習熟し、そしておそらくはその「批判」も交えて他人にそれを語っていたとしたらここに評価として
「自然学を探究しているソクラテス」など簡単に出てきてしまいます。結論的に言うとこれがソクラテスの実際ではないかと考えられます。
 そして加えて、この「ソクラテスのアナクサゴラス批判」の内容が、実は弟子プラトンの『パイドン』に詳しくみることができるのでした。

ソクラテスによる自然学批判
 その批判はクセノポンの伝えるソクラテスと同一軸にあるといえますが、さすがにプラトンは「学者」ですからクセノポンなど足下にも及ばない理由付けを伴って語っています。
 ここからの論はいささか「ややこしい」展開となります。ですからはじめに結論だけを指摘しておきますと、ソクラテスは、自然学は物事が
「如何にあるか、どのようにあるか」についての説明はできるが、「どうしてこのようにあるのか」については問題にしない、ということを言おうしてくるのです。この場合の「どうしてこのようにあるのか」という問いは、「こうあるのが必然・善だから」という答えに即したものなのだ、と指摘します。人間の場面で言えば、「ここにこう座っていることの原因」として「身体の構造」から説明することもできます。これをソクラテスは「自然学的説明」とするのです。他方、私達がここに座っているのは「ここに座るのが良いから」ということで座っているという説明ができます。ソクラテスは後者の答えを求めて、それゆえ自然学に失望したのだ、と語ってくるのです。この間のいきさつをプラトンの伝えるところで追ってみましょう。

 ここでのアナクサゴラス批判の発端は「魂は不滅であるか否か」という問によっておこされた
「事物の生成消滅の原因・根拠」という問題からでした。この問題についてソクラテスは自分の「過去の勉学の軌跡」を話してみよう、と切り出します。つまりソクラテスはそうした問題について昔探究していたというわけでした。ソクラテスは、自分は若い頃あの「自然についての探究」と呼ばれている知識を求めて熱中していたといいます。その時のソクラテスの関心は「事物が何を原因として生じ、また何を原因として消滅し、何を原因としてこのように存在しているかというその原因・根拠であった」と言ってきます。
 これはタレス以来の自然学の根本問題で、自然学者たる限り誰もがその問題について語ってきたのですからソクラテスが「自然学の探究」ということでこの問題こそに関心を持っていて当然だったでしょう。そしてその探究において、「熱と冷がある種の腐敗を得て、その時生物が形成される」のか「血液がそれによって我々が思考するところのものなのか、あるいは空気なのか、火なのか」「それともそれらのどれでもなく、頭脳こそが聞くとか見るとか嗅ぐとかの感覚をもたらして、それらから記憶と思いなし(ドクサ)が生じ、記憶と思いなしが静止することから、それら記憶と思いなしに即して知識が生ずるのか」そして「さらにそれらの消滅をも考察し、また天や大地の性状(パトス)をも考察した」と言ってきます。
 以上に言及されている諸説は実際自然学者の残されている断片にたどることができて人物も或る程度特定できます。これらはクセノポンでも確認できた「自然学者の学説を考察していたソクラテス」のその考察のあり方を詳しくのべたものともいえるでしょう。
 この結果としてソクラテスが行き着いたところは
「失望」であったと言ってきます。その失望のあり方をソクラテスは次ぎのように説明します。すなわち、「何によって人間は大きくなるのかと考えた時、以前は、それはだれにも明らかであると思っていた、つまり食べたり飲んだりすることからだと思っていた。すなわち食物から肉には肉が付け加わり骨には骨が付け加わり、そしてそれと同じ論理で他のもの共にもそれぞれそれらに固有のものが付け加わる、その時にわずかな量であったものが後で多となるのであり、そしてそのようにして小さな人間は大きくなるのだ」と思っていたという。さらに、「大きい人が小さい人の傍らに立っている場合、大きいのはまさに頭ぶんだけでだ、と見えたならばそれで十分に思えると考えていた。馬の場合もおなじだ」、さらに「十が八より多いのは二がそれらに付け加わっているからであり、二ペーキュスの長さが一ペーキュスより長いのは半分超過しているからだと考えていた」といいます。ところがこれでは「原因・根拠」を知っているということにはならないということに思いが至ったといってきます。何故かというと、「一に一を加えた時は二になるわけだけれど、その場合、それに付け加えられた方の一が二となったのか、あるいは付け加わってきた方の一が二になったのか、あるいは付け加わった一と付け加えられた一とが一方の他者への付加によって二となったのか、自分を納得させられない」からだと言ってきます。何故納得できないのかというと、「それらのそれぞれが互いに離れて居たときにはそれぞれは一であってその時二とはなっていなかった、それなのにそれらが互いに接近すると、その接近がそのそれぞれの一が二となったことの原因となったのだろうか、つまりたがいに近くに置かれたということの集合が原因なのか、わけが分からなかったから」だといいます。そして次いで、分割によっても二になるが、それは前とは反対のことが原因だということになるなどと言って納得できない理由をさらに言ってくるのでした。
 これはずいぶんと「屁理屈っぽい議論」に見え、「横道にそれた議論」だと見えます。それはともかくとして論を追ってみますと、ソクラテスはこうして「原因」の探究において自らに失望していたとき、ある人がアナクサゴラスの書物を読んで聞かせてくれていたとき
「ヌース」という概念が言われていることを学び、「この原因ならば」と喜んだといってきます。「ヌース」というのは通常「知性・理性」とか「精神」とか訳されますが、アナクサゴラスの場合には当然人間の思考主体を指すわけではなく「宇宙摂理」のようなものです。こうした用法は自然学者に珍しくはなく、ヘラクレイトスなども似たようなものを「ロゴス」と呼んでいました。ロゴスとは「言葉、論理、理法」という意味を持ち、ヘラクレイトスの場合は「宇宙理法」といった感じになるでしょう。
 ただこの「ヌース」には一般的用法としての
「人間の思考主体としての知性・理性」というものが読み取れてしまうわけで、この場合の知性はものを考え「こうあるのが善い」ということを言ってくるそうした働きが見られてしまうことになります。つまりソクラテスはこのアナクサゴラスの「ヌース」に、「そうあるのが最善という仕方ですべてを秩序づけるもの」を期待し、こうして「生成消滅」「存在」の原因についても「そうあるのが最も善い」という形でそうあらしめる「ヌース」が言われてくる筈とし、ここにその「最善とは何か」が言われている筈、と期待したのだと言ってくるのでした。
 そしてソクラテスはまず「大地は平面なのかそれとも球体なのか(当時地球が球体であることは知れ渡っていた知識であった)」その原因と必然性を「大地はこのようにあるのがより善であったから」という形で語り、また「大地が万有の中心にある」というのだったら、「なぜそれが他のあり方よりもより善」なのかを詳しく論じてくれるだろう、さらには太陽について月について星々についてそれらの運行速度のあり方、夏至や冬至のありかた、天体のさまざまな現象についてと期待したとつづけています。
 これらの天文学的問題は先の生物学的問題と同様自然学者達にとっての身近な問題でした。ですから自然学に興味を持った当時の人々はだれでも当然こうした問を問題にしたはずでソクラテスも例外ではなかったということです。その証言がアリストパネスの『雲』になるわけで、その中のソクラテスもこうした姿を示しているのでした。これは喜劇としてソクラテスの特殊性が際だたされていますが、一方「社会批判」という性格をもっていた喜劇の題材にされているということ自体、これは当時自然学がアテナイに流行っていたことの証拠ともなっているのであり、社会現象となっていたからこそアリストパネスはこれを問題化したのだといえるのです。つまりこうした自然学的探究は当時の社会の一つの傾向を示すもの、社会現象でありソクラテスに特殊のことではなかったということです。

「善」の要求
 一方、ここでのアナクサゴラスのヌースに
「善」という概念を期待したのがソクラテスの失敗だったのであり、ここでソクラテスは「裏切られた」という失望を感じることになったとつづけられます。ただ実の所、先に指摘しておいたようにアナクサゴラスのヌースというのはソクラテスが期待したようなそんな「知性的精神作用」だったのではなく、むしろミレトス学派以来の「自然理法」といったものだったのであり、「善」などという概念ははじめから期待できるような代物ではなかったのです。ですからはじめから「ヌース」という言葉を勝手に解釈した「無い物ねだり」だったのですが、ここに「ソクラテスの問題」を見ることができるという意味で重要な行文になっていると言えます。
 というのも、この「善」ということを問題にしているということは、自然を問題にしているように見えながら結局は
「人間の問題」に移行してしまう傾向を示し、実際『パイドン』ではそのように論は運ばれていくのでした。
 しかし翻って、何故自然に「善」などという概念を期待することなどがありえたのでしょうか。それは弟子のプラトンやさらにその弟子のアリストテレスにはっきり理解できます。すなわち、れらには
「宇宙の合目的性」が想定され、つまり自然はでたらめにあるのではなく一定の秩序のもとにあり、その秩序は当然「善」をめざしてある、とされるのです。宇宙はそうした「目的」としての「善」に方向付けられたものとして秩序だっているとされるのです。
 それでも「善」というのは「人間の求める価値」であり、自然に見られる概念ではないだろうと反論したくなるかもしれません。それは現代の人間が「自然」と「人間」を分断して二つを対立関係においてしまったからで、当時の世界観においては「自然と人間」は「対立」しているものではなく「同じものであり、同じ理法の下にある」ものだったのでこうした見解が言われても少しも不思議ではないのです。
 ただしソクラテスに限っては、取りあえず、もともとの問題が
「人間」にあったからだと考えた方が分かりやすいです(実際は自然も人間も連動しているのですが)。ソクラテス自身そのことを常に言っていたことはクセノポンでもありましたしプラトンでも全体の基調になっているほどです。その人間への関心はおそらく当時の「現実社会での人間のあり方」から喚起されたものでしょう。アテナイの社会は激動していき、その中で生きる人間のあり方は「人間」への関心をよびおこすに十分で、その実例はソクラテスだけではなく当時の知識人であるソフィストたちにも悲劇作家エウリピデスにも色濃く見られます。
 一方、いまだ哲学だの社会学だの心理学だの学問領域の区分など存在しない時代、この人間への問はエウリピデスのように悲劇の舞台で追求されるか、後に出現してくるソフィストのように「社会問題」とするか、あるいは「自然学」の中で行われるしかあり得ませんでした。実のところ、こうしてソクラテスが既存の「自然学」に問題を追求して失敗したことが
「新たな探究の道としての哲学」をうみだしたのだとすら言いうるのです。

ソクラテスの問題
 さて、話しを戻して、ソクラテスはアナクサゴラスの書物を読み進めるうち、彼が肝心のところで「ヌース」という概念を使っていないことに気づき落胆したと言ってきますが、それはつまりあいかわらず「原因」として「空気」とか「アイテール」とか「水」とかこれまでの自然学者が挙げていたような類の原因の説とおなじような原因の挙げ方をしているのを発見したからだといってきます。
 これは、「人間はその行うすべての行為をヌースによって為している」と主張しておきながら、「その後で、人間が行為するそれぞれの行為の原因」を語ろうとして次のように主張するようなものだと指摘してきます。すなわち、人間がここに座っているということの原因として、人間のからだは骨と腱とから形成されている、そして骨の方は固く、連結されながらもお互いから分離しており、他方腱の方は伸縮することが可能で、それが肉やらまたそれらを保持する皮膚と共に骨をくるんでいる、そこで骨がそれらの関節部で動いて腱が伸縮し、そしてそれが人間の体の諸部分を曲げることを可能にし、かくしてこの原因によって人間は足を曲げてここに座っている、といった説明方式だとします。ソクラテスが言うには「ここには肝心のヌースが全然語られていない」となります。
 以上に見られるソクラテスの述懐にあるアナクサゴラスによる原因の説明はいわゆる「自然科学的原因」であることは一目瞭然ですが、この説明方式が
「万物の原因としてのヌース」をはじめに想定していたことと矛盾しているというわけなのでした。
 ではソクラテスが期待したヌースによる説明方式はどのようなものであったかと言うと、「今私はここに“座っている”訳だが、その座っていることの原因は、裁判役の人たちが私を有罪とすることが
“より善い”と思い、またそれ故に私にとってもまたここに座っていることが“より善い”と思われ、そしてここにとどまり彼等が命ずるであろう刑罰をうけることが“より正しい”と思われたこと」が「ここに座っていることの真実の原因だ」というわけでした。
 ソクラテスは重ねて強調して、もし私がここにとどまり刑罰を受けることを脱獄することより
「より正しく、よりうるわしいこと」だと考えていなかったらとうの昔にこの骨も腱も遠くの国にあったことだろう、と言ってきます。ソクラテスにとっては「より善、より正、よりうるわしい」ということが私のすべてを説明しているものなのだ、というわけなのでした。
 この原因の説明方式は一見人間だけにしか通用しない思考判断による原因の説明でソクラテスが始めに問題にしていた生物学的天文学的問題には適用できない説明で、したがってソクラテスは「論を自然から人間にすり変えている」ようにも見えるかもしれません。
 しかし、それはそうなのではなく、このヌースは「宇宙摂理」としてあるのだとソクラテスは理解した(誤解した)限り、これは
「人間にも自然にもすべてに適用される原因」なのであり、このヌースは「人間をはじめすべての自然は“善”に即してこうある」として言ってくるべき筈のものだったのです。これが後に弟子プラトンによって精緻な論とされていき、全宇宙の原理ともされる「善のイデア」説を生み出していくことになるのでした。
 しかし、そうした壮大な宇宙論は取りあえず離れるとして、こうして私たちはソクラテスのもともとの問題がどこにあったのかをこの説明のありかたから非常に明白に嗅ぎ取ることができると言えます。それはつまり、ソクラテスのもともとの問題とは
「人間の行為、生の根拠」という問題であったということで、その人間の生の根拠、行為の根拠を求め、それを「神話的説明法」ではないところに、すなわち原因を追及しているとされる「自然科学」の場面に求めてみたということなのだろうと推察されうるのでした。 

 しかし、その場面でソクラテスは「説明方式の別」に気がついたようでした。ソクラテスは、確かに人間の身体の形状の説明も「座っている」ということの一つの説明にはなっていて、これも無視できないから今見たような自然科学的説明もあり得る、としてきます。しかしそれはソクラテスが期待した「ヌース」による説明ではなく、従って
「善・正・うるわしさ」というヌースが言ってくるべき筈の原因の説明ではない、つまり前者は個々の事象・現象の形状的説明であり「如何に」は説明するけど「どうして」という問に答えるものではないというわけなのでした。そしてソクラテスが求めているのは、後者の「どうして」という問、「根拠の問」に答える原因だったのでした。しかし「ヌース」などということをいいだしたアナクサゴラスにして「自然学者」である限りどうしても形状的説明の域を抜けきれないということをソクラテスは発見したのでした。こうしてソクラテスは「自然科学」から決別していくことになったと言えるでしょう。
 というのも、ソクラテスの問題としたものは今の論に明白に出ていた
「人間の生の根拠」、「善・正・うるわしさの本質的問」であることはプラトンの対話篇のそれこそすべてで確証できることですから。ソクラテスは「現実社会」での人間のあり方を問題とし、そこでの人間が「優れている」といわれる所以のものを探究し、そして「アレテー(優れ、徳)」の論にその問題は集中していくのでした。この限り「現実社会、現実の人間の優れ」が問題だったのだ、とは言えます。しかしこれは、こうして生きている「人間の根拠の探究」であったのであり、現実に「うまくやる」ことが求められたわけではありません。「現実問題」から「本質への問」になっていたからこそソクラテスは「新しい問の設立者」「哲学者」といわれることになったのであり、この「本質への問」という発想の基盤が、今見てきた若い頃の自然科学の勉強、真実の「原因」を期待し求めた探究のうちに醸成されていただろうということは言えます。

 こうして私たちは、ソクラテスの自然科学との関わりを指摘しうると考えるのです。まとめるならば、若い頃のソクラテスは自然学を勉強していたけれど、現実の中での人間の不確定なありかたをみていくうちに
「人間の生の根拠」を求めるようになり、それを「神話的に説明」するのではなく理性によって論理的に「原因の探求」をしていると見えた「自然学」に期待し、アリストパネスが証言しているような形で、すなわち「天地自然のこと」を探究すると見られる形で勉強していたろうということ、しかしその探究の目的は「原因」の探究とはいいながらそれまでの自然科学が示してきたような「如何にあるか」についての説明方式ではなく、むしろ「どうしてそうあるのか」という問であって、これがアナクサゴラスの「ヌース」という概念に求められていったということ、というのもヌースには知性・理性という意味合いがあり「善・正・うるわしさ」を言ってきてこれが「宇宙はこうあるのが善い」という形で説明する「宇宙摂理」と期待され、それは「何故、どうしてこうあるのか」を説明する「根拠の論」と見えたということでした。ところがアナクサゴラスはやはりこれまでの自然学者と同様「如何にあるか」の説明しかしておらず、ここにソクラテスは自然科学の限界を悟ったろうということ、こうして自然科学と離反していき、その「善・正・うるわしさ」をやはり最初の問題であった「人間の場面に限る」という形で「新たに」追求していくことになったのだろう、ということが言いうるわけで、この「新たな探究」の道が後に「フィロソフィア・哲学」と呼ばれる道になっていったというわけなのでした。

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