14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜 - 5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜
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INDEX
1.神話から自然哲学の発生
2. 最初の自然哲学者「タレス」と「ミレトス学派」
3. 魂と音楽と数学のとりあわせ「ピュタゴラス」
4. 「論理」だけの世界「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然哲学者たち
5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」
6. ソクラテスにおける「自然学から生の哲学」への転換
7. ソクラテスの「人間探求」

5.

最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」


はじめに
 古代ギリシャに「学」の精神が形成され、個別科学としては早くも
「医学」がそれとして意識されていたことはピュタゴラスを扱ったところでのべておきました。そこでの医学は「病気、怪我」などへの対処療法的な手当て、薬の投与よりも、むしろ「養生法」的なものであったことも述べておきましたが、ギリシャの医学は全体としてそうした方向をとりながら発展したようです。一方で、ピュタゴラス学派の場合、医学に哲学的な意味があったわけで、医学がそうした「自然哲学」的な色彩をもっていったのもギリシャに特徴的なものであったと言えます。
 こうした方向をはっきり示したのがピュタゴラス学派のアルクマイオンでしたが、こうした方向が推し進められて行く一方で、医学は「仮説」に基づくものであってはならず、むしろ
「観察というデーター」によらなければならないこと、そして人体について語らなければならないのだとするなら、哲学的・宇宙論的自然観から語るものであったはならず、むしろ「具体的な身体の症状の分析」に基づいて語られねばならないことを主張して、「近代的な」と呼べる「医学」をはじめて提唱してきたのが「医学の祖」といわれる「ヒッポクラテス」でした。これには、医学を自然哲学風に解釈してみせる自然学者のエンペドクレスなどへの反発もあったようです。ですから彼は「自然学者」とは呼ばれません。正当な意味で「医者」でした。いや、アリストテレスの言い方に従うと、「単なる医療医」を越えた「医学者」であり、その頂点に立つ人だったのです。史上はじめての本格的な「個別科学者」の誕生でした。神話から哲学への道は、こうして自然を哲学的に考えることからついに「個別科学」を生み出していったのでした。
 ただし、ここまでくるのに当然予測される時間はかかっているのであって、一足飛びというわけにはいきません。ヒッポクラテスはソクラテスと同時代人です。哲学もそうであったように、医学も、先人たちの努力があってのことです。そういうわけでヒッポクラテスの前に、今言及した先駆ともなるピュタゴラス派のアルクマイオンと、ヒッポクラテスによって批判された自然学者エンペドクレスとを見ておきましょう。

アルクマイオン
 アルクマイオンはピュタゴラスが活動した南イタリアのギリシャ都市クロトンの人で、ピュタゴラスの直弟子になるくらいの年代だと思われます。つまり紀元前500年頃の人だろうと推定されます。彼は健康状態を、
「乾・湿、冷・暖、甘い・辛いなどの対立」が「同じ勢力」をもった状態、つまり「調和」している状態が健康とし、そのバランスがくずれて何かが「独裁的」になることで病気になる、と基本を定めています。むろんだからといって何でも中間にすればよい、などと単純に考えていたわけではないようで、観察を重要視したらしく、史上始めて医学的に「解剖」をおこなったと伝えられます(ただし、詳しい内容は紹介されておらず、ただ「解剖に敢えて手をつけた最初の人」との記述のみです。ですから1543年のヴェサリウスによる『人体の構造』という著書以来の「生理学」的解剖であったのかどうかは不明ですが、古典時代のギリシャに解剖は知られていなかったということはありません。次に紹介する視神経に関する説はこの「解剖による成果」と考える研究者もおります)。さらに彼は「眼」にかんして多大の発見をした人とも伝えられます。
 興味深いのは
「感覚」に関する説で、彼は感覚の働きは「脳」にあるということを主張し、脳が「聞く、見る、嗅ぐ」などの感覚を与え、これらから「記憶と判断」とが形成され、これが定着することによって「知識」となると言っています。これは、感覚器官と脳の間には「通路(つまり神経)」があるからで、したがって、脳が変動させられると(脳震とう)この通路(神経)がふさがり感覚が麻痺することになる、それゆえ感覚障害は脳の「ずれ」にある、という考えと連なっています。紀元前も500年も前にこんな意見が堂々と主張され、しかもそれが記録されているということに驚かされます。

エンペドクレス
 前回に紹介しておいた人ですが、彼がヒッポクラテスによって批判されるようなはめになってしまったのは、彼にはアルクマイオンにあったような
「観察」という態度が失われていて、哲学的自然観からの医学理論になっていたからのようです。エンペドクレスもアルクマイオンとおなじように、反対性質の調和を基本に人体の健康を考えていたのですが、どうも彼はそれにこだわり、それをでることができなかったようで、そうした「学説だけに基づく医療」を提唱したようでした。あきらかにアルクマイオンから退歩していますが、これは彼が「観察」とデーターに基づくという「自然科学者」であるより、イタリア学派のもう一つの面であった「理論」への傾斜、あるいは「神秘主義」か、どちらかが強かったからでしょう。

ヒッポクラテス
 ここで主題をヒッポクラテスに持ってきましょう。ヒッポクラテスは、先に紹介したように医学の祖として有名な医学者で、彼によって現代的意味での「医学」、つまり
「経験科学」としての冷静な「観察とデーターに基づく治療法」、対処療法ではなく「病気の原因」の追及に基づく医療、さらに「人間そのものに目をむけた医術」、それに基づく「治療技術、予防、健康保持などの開発」、理念と方法論に基づく「環境医学」の提唱などがなされたと言われます。
 ヒポクラテスが生まれた年はBC460年頃と推定され、したがって、有名な哲学者ソクラテスなどと同時代に活躍したことになります。生まれた場所はエーゲ海の東のコス島で、ここは当時医学のメッカとして有名なところでした。今日もその医療機関であったアスクレピオス神殿({医の神}であり、この神域はそのまま医療施設であり、神官とは医師であった)の遺跡が残っています。彼は、アスクレピオス神殿に仕えていた医師であった父から教育をうけ、多くの医師達がそうであったように、各地を訪れては医療の傍ら様々の経験・観察を行い技術を磨いていったようです。晩年はギリシャ本土のラリッサにあり、そこで没しました。
 ソクラテス以前の経験科学に属する著作は殆ど散逸してしまいその全容が不明であるのに対し、その必要性のためか、ヒッポクラテスの名で伝えられる「医学の著作」だけはほとんど完全に後世にまで残りました。ただし、その全部がヒッポクラテスのものというわけではなく、その弟子たちや後世の医師団など複数の人の手になるものも含まれていることが今日分かっています。

ヒッポクラテスを準備したもの
 ところで、ヒッポクラテスは当然、突然出現したわけではなく、その前段階というものがある筈です。その、彼以前のギリシャ医術としてどういうものが考えられるか、というと以下のものが考えられます。

1. 戦争における、創傷医療や外科的医療
 ギリシャ最古の詩人であるホメロス(彼自身は、実在していたとするなら紀元前800年hらいか、と推定されていますが、ホメロスの『イリアス』に歌われるトロイ戦争は紀元前1200年代であり、ずれにしても相当の古さです)の叙事詩にすでにさまざまな医療に関する記述がありますが、物語自体は神々や英雄達による「詩的物語」であるのに、この医療に関しては、たった一か所で呪術的な言葉を言いながら治療している場面を除き、その医療の在り方は非常に科学的・合理的であると言われています。これは実際の戦闘における負傷に対しては当たり前の話ながら「役に立つ」治療をしなければならないわけで、そうした
「実際的要請」に応じての治療法が確立されていたからだろう、と考えられています。もちろん、しょっちゅう行われていた戦闘における「経験知」であったと考えられます。この経験知に豊かで判断力にすぐれ治療法が適切であった者が「医者」と呼ばれているわけで、ホメロスの『イリアス』では「マカオン」という英雄がそれに相当しています。

2.呪術的医療
 ギリシャに限らず、古代世界ではどこでもこうした呪術的治療法がありました。これは「医療効果」としては人間の精神に訴えかける治療法とも言え、暗示による
「心理療法」ともなり得たと考えられます。ですからこれは科学時代となっている今日でも伝統のまま、あるいは科学の装いに姿を変えて存続しているわけでした。もちろん「まがいもの」「迷信にしかすぎない」ものも多いわけで、その功罪はいつでもどこでも問題になるものでした。

3. 経験に基づく民間療法
 これも世界中に観察されるもので、
「薬草」などはこうした場面で開発されていたと言えます。これが組織だって行われれば「薬学」となり、それを組織的に施せば「医療施設」ということになってくるわけでした。

4、体育指導者による身体への配慮
 ギリシャは、武術とは違った意味でのスポーツなどを生み出した世界唯一の国ですが、そのスポーツの起源は相当に古く、そしてその興隆に基づき当然
「身体への配慮」があり、強い身体への関心、スタミナ、コンディショニングなどの配慮が工夫されていったと考えられます。

5、料理術
ピュタゴラスのところでみておきましたが、そこでは料理術に対する評価が高かったようです。いわゆるダイエットというのは本来
「生活法」そのものを意味しますが、やがて「食餌法」をさすようになったのも、これがやはり心身をきちんとバランスよく、健康にするということに気付かれたからでしょう。繰り返しますが、料理法というのは今日的な「グルメ」をいうのではなく、むしろ「ダイエット」であり、そのダイエットというのは「痩せる」食事法ではなく、「心身をバランスよく健康にする」という意味なのです。ですからピュタゴラスがこれを重視したのも当然でした。これは、詳細は煩雑を恐れて割愛しますが、プラトンの『饗宴』での登場人物エリュクシマコス(ヒッポクラテス学派の医者で、この学派も料理法を重視することになりました)の語りを読んでみると非常に分かりやすく説得的です。この当時こうした「ダイエット法」が「医学」の要として理論立てられていたことが良く理解できます。

古代ギリシャにおける医療施設
 古代ギリシャの特殊性は、以上のようなものを集大成して
「病院」というものを組織だって形成したことにあります。医療組織として「医術の神アスクレピオス」を祭った神殿があり、そこがそのまま医療機関となっていました。そうした医療所として古いものとしては『イリアス』の登場人物マカオン(アスクレピオスの息子とされる)の土地トリッカーが知られますが、有名なのはペロポネス半島の「エピダウロス」です。そして、後にさまざまな地に「アスクレピオス神域」が作られていきます。(医療の神域としては他にも「アンフィアレイオン」など別種のものもありました)。これらは、後代になると神殿の他に広大な聖域をもち、そこに様々の建物が付設されて入院施設もありました。そして、治療法としては先の薬草の開発ばかりではなく、手術道具なども発掘されています。さらに精神療法に含められるでしょうか、「夢」で治療法を教わったなどという記述などもあるので「夢判断」なども行われたのでしょう。温浴の設備やリラックスのための設備など現代的なさまざまの設備が開発されていました。
 アスクレピオスの神域の代表的なところであるコス島(ヒッポクラテスの故郷)やその対岸の小アジアのクニドス、またエピダウロスなどでも、
「環境などへの配慮、病状の観察記録、実際的施療における合理性」などが追及されて行ったようです。
 こうした背景にヒッポクラテスが出現するわけですが、そのヒッポクラテスの医学思想を簡単に箇条書きのようにして紹介しておきたいと思います。

1.哲学的仮説や臆断からの思弁的な考えの排除
 哲学は人間の本性や自然の原理について考えるものではありますが、
「具体的人間の健康」について語るものではありません。それにもかかわらず、そうした議論を好む者が医者の中にも多くいたようで、ヒッポクラテスはこれに非常な危惧を感じ、激しくこうした傾向を攻撃しました。それが先程言及したエンペドクレスにたいする批判などにあらわれているわけですが、もちろんそれは自然学者に対する反論というより、そういう自然学的理論をそのまま「具体的医療」に適応してしまおうとする傾向一般に対する批判と言えます。ただし、このことは「医学理論」の軽視を意味するのではなく、むろん「人体生理」に関する論は熱心に追及しておりました。それが自然全体とのかかわりで行われても一向に差し支えはないのだけれど、それは哲学的理論としてではなく、むしろ「人体の観察」から行われていくのでなければならない、と考えられていたようです。

2、自然の教える経験的知恵の重視
 要するに、今みた「哲学的理論」をもとに医学を考えるのではなく、医学というのは「具体的」なものなのだから、具体的事実が示してくるものを基本にしなければならない、という
「経験科学」の立場を言っていると理解しておけばいいです。今日の眼からすれば一見当たり前のことを言っているようですが、今日でも結構忘れられて「理論」ばっかりが先行してしまうことが多いものなのです。なぜなら経験というのは「個人的」なもので、しかも一時的であり「普遍性」をもたないからなのです。ですからこの立場は「綿密な観察」とそれを「数多くデーター」化し「記録」「普遍化」するということが要求されてきます。ヒポクラテスはそれをなしていった科学者だったのでした。

3、事実の観察の重視
 したがって、
「観察の重視」ということにつながるわけですが、ここで自分の個人的立場とか主観性とかを捨てなければならないという「難しい」ことが要求されてきます。たとえばこれこれの治療をしたけれど効果がなく死んでしまった、とか、悪化させてしまったとかの失敗まで記録することが要求されてしまうわけです。「隠して」おきたいことまで記録しなければなりません。ひょっとしたら患者個人のプライバシーの問題もあり「医の倫理」まで考えなければならないのです。ヒッポクラテスは淡々と「患者の死」をたくさん記録していますが、これはライバルたちの格好の攻撃の的にされかねないところで勇気が必要なことでした。しかも、この臨床記録には緻密さと客観性と事例の多さが要求されるわけで大変な作業であったわけです。こういうことが実際に行われ記録され今日まで残されたということにある種驚嘆せずにはいられません。

4、医学の限界の認識とそれに基づく技術の発展
 医学は全ての病人を癒したり、人間を不死にするものではありません。この限界を知っていることで逆に医療技術の進歩が計れることになるわけで、こういった認識を持っていないと、結局「神懸かり」的なもの、宗教に頼ることになってしまうことになります。「宗教に嵌まり込んだ」困った医者というのも実在するようですが、ヒッポクラテスは「アスクレピオス神殿の医師」であったくせに、いやむしろそうであったからなのでしょうか、それを警戒したようでした。
 ちなみに、アスクレピオスという神様は、もともとは神アポロンと人間の娘との間の半神で、父親と同様医術を得意としたのですが、ついには死者まで生き返らせるほどにまでなってしまい、これを見たゼウスが「摂理」に反するとして彼を雷で打ち殺したと言われます。そして彼は天上にのぼり神になったといわれますが、この彼が医療神として祭られるようになったわけで、エピダウロスやコスの神域がその代表というわけです。ともかく、アスクレピオス自身「医療と死」という課題を抱えた神様だったのです。

5、迷信との戦い
 病気における迷信は、いつの時代、どこの場所にもあったし、現在も根強くあるもので「医療」とは切っても切れません。これは、人間の精神的な要素が病気に多いにかかわっているからで、古代とか現代とかの時代の問題ではなく、また先進国とか後進国とかの問題でもなく、文明国とか野蛮人とかの問題ですらなく、「人類そのもの」にかかわった問題だと言えます。
 しかしこれは当然「科学的医療」の敵になるのは間違いがなく、したがって、科学的な医者であろうとするかぎり、迷信との戦いはどこでもいつでもなされねばならないことですが、こうしたことが「意識」されるのは大変なことであったのです。意識したって世間からはなくならないのですからこの戦いは大変なものがあるわけで、当然ヒッポクラテスも(現代の医師達も)完全には成功していません。

6、環境への配慮
 人間の社会生活そのものが健康や病気の流行と相関している、大気の在り方、水、住む場所などへの配慮が大切である、ということを強調しているのですが、これはヒッポクラテスの面目がもっとも躍如としている主張とされます。つまり、いってみれば
「環境医学」の提唱のようなものですが、ヒッポクラテスは、病気は「直す」よりも「かからない」ようにすることが大事だと強く主張しているのです。そのために、自分の生活環境、特に「空気のきれいなこと」「水が豊富できれいなこと」「住む場所、つまり暑過ぎたり寒過ぎたりしないところ」への配慮が何より優先されなければならない、と言うのです。
 これも当たり前のようでありながら、現代の人間はちっとも配慮していません。口先だけです。経済優先で環境破壊は無残なものです。現代人が本当には分かっていないことをこんな時代に提唱しているのも驚くべきことです。

7、食餌法の重視
 これも「環境への配慮」とならんで、ヒッポクラテスの中心的思想となります。二つとも
「生活の在り方」そのものが病気を引き起こし、あるいは健康を維持させている、ということであって、くりかえしますが、医学の本質は病気を直すことにあるのではなく、病気にかからないようにすることにある、というヒッポクラテスの主張をよく表しています。食餌法、つまりダイエットの内容についてはすでに説明しておいた通りです。

ヒポクラテスの「生理学」
 一方、ヒッポクラテスは、哲学的・自然学的医学は廃し、むしろ「生理学」を考究しておりました。その彼の学説は「四体液説」という形で知られています。現代医学からみればまるでバカバカしいと見えるでしょうが、科学的医学の一番始めの場面なのです。顕微鏡はじめ器具など何にもない時代の話です。私たちとしては、そうした何にもないところに先鞭をつけていったその意義を認めなくてはならないでしょう。その一部を簡単に紹介しておきます。

 ヒッポクラテスの四体液説人体における健康・病気の兆候を示す四つの体液。
1、血液 2、粘液 3、黄色の胆汁状液 4、黒い胆汁状液。
 体内を流れるこれらの体液の調子、調和が身体の自然を調整し、健康・病気を引き起こす
(体液病理説)。これらの体液の性質を次のように設定し、その体内での座を定めました。

 「血液」は「熱・湿」で気候的性質は「春」。体内における座は「心臓」。
 「黄胆汁」は「熱・乾」で気候的性質は「夏」。座は「肝臓」。
 「黒胆汁」は「冷・乾」で気候的性質は「秋」。座は「脾臓」。
 「粘液」は「冷・湿」で気候的性質は「冬」。座は「頭」。

 こうした設定において、例えばひどく単純に説明してみると、健康に関して次のような見解が示されます。例えば、冬は食事量は多めにし、飲料は少なめにする。その理由は、冬は多くのエネルギーを取り入れ、からだを暖める必要がある一方、冷たく湿った粘液は多いので、それを過剰にしてはならない。要するに言いたいことは
「体内の諸要素のバランス」を重視しろということであり、何事によらず、過剰と不足を避け、節度と調和こそが健康を保ち、病気を直すということです。そのバランスに関して、気候・風土を重視し、環境との和合を計る、ということを言い、これを踏まえて、反対のものは反対のものによってバランスをとらせる、といった思想であると考えておいてよいでしょう。
 こういった思想はしかしすでにピュタゴラスのところでも見ていましたが、ヒッポクラテスがピュタゴラスとどういう関係にあったかはよく分かっていません。ただ、医学思想として当時知られていたのはピュタゴラスのものだけだったでしょうから、何らかの形でヒッポクラテスがこの思想にふれていたと言う可能性はあるかもしれませんが、しかしこの問題はいずれにせよ推量の域を脱しません。

ヒッポクラテスの誓い
 現在、ヒッポクラテスの名で一番よく知られているのがこの
「誓い(ホルコス)」でしょう。これは医師の倫理をかたるものとして欧米の医学校でよく講義されていたようです(今でもされているかどうかは知りませんが、欧米ではヒッポクラテスの名はしばしば言及されるという話は聞いたことがあります。残念ながら日本ではほとんど一般に知られていないでしょう)。ただし、これはかなり後代になって作られたものがヒッポクラテスの名のもとに「全集」に入れられたものと考えられています。おそらく「学派の倫理」として始祖に遡るとされていたのでしょう。その内容は以下のようです。

1.師弟間での倫理
 師は親と同様、その子息は兄弟同様、医学の伝授は師と自分の子、及び誓約を交わした弟子との間でのみ行われ、みだりに他人に教えない、とあります。
 一見閉鎖的とも見えますがそうではないのであって、医療は「生き死に」にかかわることですからその任にたえ得る「基盤を持ち、基本的知識と識見」をもっていることが要求されるということです。「誰もが生半可な知識で勝手に医療行為ができる」状態は危険であるからです。近代以降「医師免許」「看護士免許」という形で医療行為者を限定しているのもこの思想から来ています。

2、患者の利益のための医学
 これには、
「致死薬の不投与」「堕胎薬の不投与」「結石患者への手術は専門家に任せる」といったことがあげられています。前の二つはいいとして、最後の項目ですが、ある種の手術はその道のプロがいたらしく、医師は万能のごとく振る舞ってはならず、己の分を守るべきを言ったものと解されます。さらに「どんな家にいくにせよ、不正・害悪を意図してはならず、特に、情欲をもってはならない」、とされます。また、「患者ばかりでなく、すべての人々の秘密の厳守」は当然でしょうが卓見です。
 ただし「堕胎薬の不投与」ですが、ここには母体保護の問題もあるわけで、事実、全集中に堕胎や避妊の処置に関する論稿も含まれていますので場合によっては許されていたのは当然です。

ヒポクラテス全集
 ついでヒッポクラテス学派の仕事を全体的に見ておきます。これをみることで古代の医学がどれほどのものだったか推察できると思います。なお、これは「ヒッポクラテス全集」という名前で残っているものですが、これはヒポクラテス個人のものばかりではないことは先にも指摘しておきました。要するに「始祖」の名による
「学派全体の書」です。著作の標題の訳はエンタープライズ社の日本訳全集によっておきます。訳は一部岩波文庫にもあります。

1.基本的な著作
『古来の医術について』
 自然哲学風の臆断による議論を廃し、古来の食餌法的医療を擁護するもので、学派の基本的立場を語っていると見なせます。

『空気、水、場所について』
 環境と人間との関わりを説き、「自然こそ疾病の医師である」という立場を示すもので「環境医学」の提唱の書物といえ、今日もっとも有名なものとなっています。

『人間の自然性について』
 先に示した四つの体液の関係で健康や病気を説明する「体液病理説」の基礎となるものです。

『神聖病について』
 神懸かりとされていた癲癇性の病気について「普通の病気」と同様自然的なことを示したもので「病気」を迷信的なものから解き放つ役割を果たしていると言えます。。
 以上の四書は非常に重要な書として、ヒッポクラテスを語る時欠かせない必読書と言えます。 

 その他、七という数を基礎にした大宇宙と小宇宙(人間)の対応を語る
『七について』もこの種のものといえるかもしれません。

2、医師の心得を語っているもの
『医師の心得』

 「人間への愛があるところに医術への愛もある」という言葉があることで有名です。

『品位について』
 「医師にして哲学者(愛知者)であるものは神に等しい」という言葉があることで有名です。
 この場合の「哲学(原語は愛知)」は、「良く生きることについての知の愛し求め」にして「事物の本質を考える態度」をいっていると理解しておきましょう。それが当時の同時代人ソクラテスの用法でしたから。

 これらに類するものとして
『医師について』、『診療所内において』、『法(医の本分)』などが挙げられるでしょう。

3、医学の擁護論
『術について』

 当時知識人をもって任じていた人々の群れを「ソフィスト」と呼びますが、そうした人々による医術にたいする「屁理屈的中傷」に対して医術を擁護する書です。
 その他、ディオゲネスの説を医学に適用したと見られる
『体内風気について』もこの類いと言えます。

4、食餌法(ディアイタ)に関するもの
『食餌法について、第一巻〜第四巻、(第四巻は「夢について」の副題を持つ)』
ここでの内容は食物療法という意味ではなく、ギリシャ語本来の意味である「生活法、養生法」という意味のもので、健康管理のための書といった性格を持つものです。
 第四巻は特に「夢」について、その健康との関わりを説き、そこから生活法を語っています。
 そのほか、
『健康時の摂生法について』『急性病の摂生法について』『その後代の追加篇』『栄養について』『液体の利用法について』などが同種のものと言えます。

5、流行病に関するもの
『流行病、第一巻〜第七巻』

 気候と流行病の関係について、様々な症例を詳細にまとめたものです。

6、疾病に関するもの
『疾病について、第一巻〜第四巻』

 様々な病気の症例、その原因やメカニズム、人体機能との関係を論ずるものです。そのほか
『内科疾患について』『疾患について』『痔について』『痔瘻について』などがあります。

7、婦人病に関するもの
『婦人病、第一巻〜第二巻』
 文字通り「婦人病・産婦人科」関係の論ですが、これに類するものがかなりの数あります。例えば、
『不妊症について』『婦人の自然性について』『重複妊娠について』『胎児の切断除去について』『処女の病について』『七ケ月児について』『八ケ月児について』『生殖について』『子供(胎児および誕生直後)の自然性について』『歯牙の発生について』などが含まれます。

8、外科的な問題に関するもの
『骨折について』『関節について』『梃子の原理を応用した整複法』『損傷について』『頭部の損傷について』などが含まれます。

9、病気の回復時期についてのもの
『分利について』

 分利とはクリシスの訳で、病気が快方に向かうか悪化するかの分かれ目に立つことを言います。ただこれは独立にそうした概念を論じたものではなく、様々の書からこれに関する重要と思われた記述を抜粋したものと考えられています。ほかに『分利の日について』があります。

10、人体の構造について
『人体の部位について』『肉質について』『線について』『心臓について』『視覚について』『骨の自然性について』
などがここに含まれます。

11、予知について
『予後』

 なじみのない訳語ですが、「プログノースティコン」ないし「プログノーシス」、要するに「前もって知る・予知」のことであり、患者の症状から、からだの変化、回復の目途をみるものです。
 「病気」ないし病人の個々の症状を切り離して見るのではなく、「病人を全体」としてみていく「コス学派」の特色があります。ほかに、
『コス学派の予後』『予言、第一巻〜第二巻』『箴言』などがあります。以上のほか、備忘録的なものとして『体液について』などがあります。

12、ヒッポクラテスの伝記『エペソスのソラノスによるヒッポクラテス伝』
 ソラノスは後二世紀の医者ですが、真偽はっきりしないものや伝説化している話しを含め、広く資料に当ってヒッポクラテス伝を作成したものです。そのほか、『書簡集』『アテナイ人の決議』『祭壇演説』『ヒッポクラテスの息子テッサロスによる特使としての演説』などがあります。

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