14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜 - 「論理」だけの世界、「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然学者たち | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜
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INDEX
1.神話から自然哲学の発生
2. 最初の自然哲学者「タレス」と「ミレトス学派」
3. 魂と音楽と数学のとりあわせ「ピュタゴラス」
4. 「論理」だけの世界「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然哲学者たち
5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」
6. ソクラテスにおける「自然学から生の哲学」への転換
7. ソクラテスの「人間探求」

4.

「論理」だけの世界、「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然学者たち


はじめに
 この章では、ピュタゴラスにあった「論理」で物事を追って行くという態度が、あきれるくらい徹底されたパルメニデスとゼノンをテーマに見て行こう、としているのですが、先行する「クセノファネス」から見ていきます。有名な
「ゼノンのパラドックス」だけを知りたいなら先にとばしてください。

クセノファネス
 彼は西方イオニア地方のコロポンの出身ですが、ピュタゴラス同様、東方イタリア地方に逃れてそこで活動した人でした。古代から彼はパルメニデスの先生などといわれていますが、むしろ孤高の人で、特別な師や弟子はいないと考えた方が当たっているようです。ただ、思想的にパルメニデス的なところもあるということで、このことは或る意味で重要なことではありました。その重要性というのは
「唯一神」を言い出した、というところにあるのですが、彼はホメロス的な、たくさん神々がいて互いに争ったりだましたり大騒ぎするような神を排撃して、唯一にして至高なるものとしての神を主張したのでした。クセノファネスといえばこのホメロス批判が有名であって、ホメロスの叙事詩に描かれる「人間的」な神々のありかたを批判して「もし牛や馬やライオンが神の姿を描いたとしたら馬は馬に牛は牛の姿で神を描くだろう」などと言っています。
 しかし、この神は「唯一」ではあってもキリスト教的な意味での唯一神ではなく、むしろミレトス学派的なものです。つまり、ミレトス学派にあっては「水」や「ト・アペイロン」「アエール」がそのものとして「神」でした。クセノファネスにとっても、この神は
「宇宙そのもの」なのです。「一つなる宇宙が神」であり、神は「全体として見、全体として考え、全体として聞く」ものでした。要するに、この存在世界はいろいろ生成したり消滅したりするように見えるけれど、本当の意味でそんなものはなく、すべては永遠で、全て神の現れだ、ということなのです。これは実はミレトス学派の場合でもそうなる筈なのであって、そのことは先に指摘しておきました。つまり、彼らのいう「神」というのはホメロスの叙事詩にある「人間的な神」ではなく、「宇宙生命・宇宙摂理」のようなものとなっていると指摘しておいたことです。クセノファネスはそれを明確にしてきた、という意味があると言えます。それと同時に、これは「存在」ということを論理で推し進めていった時の見解とも言え、その「論理だけの世界」を主張したパルメニデスと一脈通じてしまい、それゆえにパルメニデスの先生とされていったのでしょう。
 こうした先駆者とのかかわりでパルメニデスは問題にされてくるのですが、パルメニデスは、
「すべては一つにして不動」として「運動や多を否定」したことで良く知られています。しかし、神についてならいざ知らず、この世界そのものが不動であって運動もなく、多ということもない、と言われたのでは、これは私たちとしてはキョトンとするのが普通です。なぜなら、ほんの少しでも目を明けてみれば「世界はいろいろで、全て動いている」のが目に飛び込んでくるからです。これはパルメニデスにとっても同様であったでしょう。それにもかかわらず、どうして「世界は一つで、運動なんかない」などととんでもないことを言い出したのでしょうか。しかも彼は思想界に一大革命をもたらした人として、ソクラテス以前の自然学者の中でも最大級の人として評価されているのです。一見バカバカしいと思える彼の思想がなぜそんなに評価されるのでしょうか。

パルメニデスの生涯
 パルメニデスは、紀元前515年くらいの生まれと推定されていますが、そうだとするとタレスから110年くらい、ピュタゴラスからは55年くらい後の人ということになります。パルメニデスが老人になった時会ったとされるソクラテスは彼から45年くらい、プラトンは88年くらい後に生まれることになります。彼は南イタリアのエレアの人でした。ですからそういう意味でもピュタゴラスの系譜にあるということが言えます。そして実際、先に言及したディオゲネスは、パルメニデスはクセノファネスの弟子というよりむしろピュタゴラス学派のアメイニアスの弟子といえる、という意味の伝承を伝えています。ただしそれは、内容的にみると「魂のことを問題とする哲学者」としてではなく、「論理で世界を突き詰めて行く」という面での後継者であったと言えるでしょう。

「ある」の意味
 この「論理による追及」がどんなものかを見る前に、ヨーロッパ言語にまつわる問題をみておかなくてはなりません。これはヨーロッパの人達にとっては大問題になることであったのですが、日本人にとってはあまり問題にならないことなので私たちには分かりにくいものだからです。それは、動詞
「ある」という言葉にまつわる問題で、私たちにとっては「ある」といえばそれは殆ど「存在」を表していて、主語と形容詞や副詞を「結び付ける」動詞として使われることはほとんどありません。つまり、「本はここにある」とは言いますが、「本は白くある」という言い方はかなり特殊な言い方で普通には「本は白い」で終わりです。しかし、ヨーロッパの言語はどちらの場合も「be」動詞を使います。たとえば英語でも、「There is a book 」というように「存在」を表すと同時に「This book is white」というように「主語と形容詞の結び」にも使われるわけです。こうして、「存在」と「ただの結び付け」とが混同されてしまうという事態が生じるのです。これはさすがにプラトンやアリストテレスは気付いていてこの混同を問題にしていますが、彼等以前には殆ど気付かれず、またアリストテレス以降でもいろいろ厄介な論議を引き起こしたのです。
 これには、ギリシャの場合、ソクラテス以前の自然学者の段階では「性質と物質」「抽象的なものと具体物」というものの明確な分別がない、という存在認識も原因しているかもしれません。実のところ、こうした分別・明確化というのはこうした彼等の思索を通して為されてきたのであり、現代人には常識と思われていることも、長い時間をかけたギリシャ哲学者の思索の賜物なのであって、ガスリーたちが指摘しているように、元来人間はこうした分別はせずに世界をそのものとしてあるがままに捕らえていたものなのです。もし彼等の思索がなく、あるいはルネッサンスでギリシャ思想が復興しなかったとしたら、依然として人類は「そんな細かなこと」には神経を尖らせず、世界をあるがままに捕らえていたかも知れないのです。
 そのガスリーはさらに続けて、文法だの論理学だの現代人にとっては全くの常識となっていて、誰でも無意識のうちにそれを使って思考をしているわけだけれど、これが確立していない時代は当然そんな考え方はしないし、できないわけで、そんな時代の人をその時代に立ち返って理解しようというのは現代人にとっては非常に難しいことだ、といっていますがその通りでしょう。私たちはそうした「難しい」ことをしているわけなので、少々理解に苦しむところがあっても当たり前の話だ、と腹をくくって見て行くしかありません。それは何のためなのかというと、私たちの考え方のルーツ・原形を見て、私たちの思考の在り方そのもの、そして時には限界を見定めていくためなのです。実際、私たちが古代の思想を研究するということのもっとも重要な意味はそこにあるのであって、それに加え、時には私たちが忘れてしまった大事なことをここに見出だすこともあり、私たちが行き詰まっていることの打開策がここに見つかったこともしばしばなのです。当たり前の話で、私たち現代人の思考の原点がここにあるからなのです。

パルメニデスの「論理だけの世界
 少々前置きが長くなりましたが、こんなことを言わなくてはならないくらい、このパルメニデスの思想というのは私たちにとって「奇異」に映るものなのです。まず、今注意したことですが、「ある」という言葉がパルメニデスにとってどういう言葉であったかをはっきりさせておかなくてはなりません。彼の時代には、この「ある」という言葉が「存在」と「言葉の結び付け」という二つの機能をもつ、などという分別的考え方は当然ありません。こんなことに気付いて整理がなされるのは先にも言った通り後代のことですから。そしてパルメニデスにとって「ある」というのは
「存在」の方でした。これはある意味で当然で、「結び付けの言葉」も、たとえば「本は白い」という意味での「本は白くある」というのも、「本は白いものとして“ある=存在する”」と捕らえられるからです。こうして、まず「ある」という動詞は「存在」を意味する、とされました。
 そして次に「なる」という言葉ですが、これは当然、「××であったものから○○になった」と言う具合に捕らえられます。ところが、これは「××である」ものが「そうで“ない”もの(この場合○○)になった」というに他なりません。さて、先の同意によると「ある」というのは存在でした。しかるに、この場合、この「存在」に
「ない」という言葉がくっついたことになります。こんなことがあってたまるか、とパルメニデスは言ってくるのです。「存在」は「存在」なのであって、それに非存在を意味する「ない」などという言葉がくっつくわけがない、というのです。ということになりますと、一切の「なる」ということはあり得ないことになってしまいます。パルメニデスの主張していることはほとんどこれにつきますが、ガスリーの言うように、一見まるで無意味な言葉の遊びみたいに見えます。
 しかし、ここには、「ある」という事態をとことん理屈で追い込んでいく
「理性」の営みがあるのです。ここには、物事を徹底的に抽象的に捕らえる態度があり、そして外界の経験的事実が何を示しているか、などということには全く無頓着に、ただ理屈だけの世界に閉じこもって考察していこうという、おそるべき徹底した態度があるのです。そして、現代人が物事を抽象的に捕らえ、思考の上ではどういう結論になるのかを考えられるようになったのは、実はこうしたパルメニデスたちの仕事のおかげなのでした。
 もっとも、これもガスリーが触れていることですが、こうして始められた抽象的な思考がヨーロッパを誤らせる原因となった、と皮肉に評価する人もおりますが、ともかく、善かれ悪しかれ、こうしたヨーロッパの学問に特徴的な、事実にのみとどまるのではなく、それを越えた
「抽象概念(この場合は具体的な存在事物ではなく、そこから抽象された「ある」という抽象概念)」を思考するようになった最初の事例をここにみることができるのです。

 こうして、パルメニデスの言ってくることは、全く論理的で、その通りといわざるを得ない結果となってきます。すなわち、「なる」ということは
「変化・運動」ですから、まずこれが否定されてきます。なぜなら、変化や運動があるためには、「“ある”もの」が「“あらぬ”もの」になったり、「“あらぬ”ところ」に行くのでなければなりませんが、「ある」に「あらぬ」をくっつけることなどできないのだからこんなことは不可能だ、というわけです。
 一方、運動はもう一つ別の理由からもあり得ない、とされました。それは
「空間の否定」と言われているものが根拠にされるのですが、つまり、運動のおきる空間というのは「何もない空虚」という意味でなければなりません。なぜなら、何かがあったのではぶつかって動けません。しかし、それを認めることは「ない」が「ある」ということを認めるということであって、そんなことはできるわけがない、ということになります。そうなると、つまり空間は「すべて詰まっている」筈なのであって、運動のおき得る「空間」なんてある筈がない、ということになります。
 ということは「隙間」もないということに他なりませんから、宇宙は全く一つなるものの充実体で、永遠にして不動、全く「動き」というもののない
「完全なる静止の世界」ということにならざるを得ません。
 では、この「運動・変化してやまないこの世界」はどう理解するつもりなのだ、と文句をつけたくなりますが、パルメニデスは
「それは幻想だ」とあっけなく切り捨てます。だからといってパルメニデスはじっと家に籠りつづけ、息もしないでいた、というわけのものではないでしょう。パルメニデスの主張したかったことは、常識を優先させ、常識に合わせようと物事を考えるのではなく、むしろ物事は物事として何を示してくるか、ということを「論理的」に考えてみて、その論理をもとにものごとを改めて考えてみるべきだ、ということだったでしょう。
 実際、この論理というのは常識を越えて世界なり物事のありようということを考えさせていくことになるのです。その実例をパルメニデスの愛弟子のゼノンによって提示された問題で考えて見ましょう。それは全く「常識」には合いません。しかし、その言ってくることを論駁することは至難の技なのです。私たちはその難問を示されて、改めてこの世界のありよう、空間とは何なのか、時間とは何なのか、を考えて行かざるをえなくなるのです。この難問を簡略に示すことで、パルメニデスたちの思考のありようを考えて見ましょう。

ゼノンのパラドックス
 ゼノンには「多の存在の否定」という論理学的な議論もありますが、ここでは
「運動の否定」を見て行きます。

1、いわゆる
「二分割のパラドックス」と言われているものですが、これは運動の否定を言ってきます。内容ですが、仮に私たちがいる場所をA点とします。そして「運動がある」としてその運動の先をB点とします。さて、私たちがA点からB点にいくためには当然その半分の地点(これをC点としましょう)にいかなくてはなりません。ところが、このC点にいくためには当然その半分のところ(これをD点とします)にいかなくてはなりません。ところが、このD点にいくためにはさらにその半分の地点(これをE点とします)にいかなくてはなりません。こんなことをくりかえしていたら永遠に「半分、半分……………」と言い続けていなくてはならないわけで、論理的にはそうなります。つまり、点は無限となってしまうのです。しかるに有限の時間のうちに無限を行くなんてことは不可能ですから、わたしたちは永遠にB点どころか、一歩も動けないことになるのです。

2、似たような話ですが、いわゆる
「アキレウスと亀」というパラドックスもあります。これは足がとてつもなく速い英雄アキレウスといえども、足の遅い亀に追いつくことができない、というパラドックスです。さて、アキレウスが少し先の方に一匹の亀を見つけたとしてそれをつかまえようとして追いかけたとします。その亀のいる地点をLとしましょう。アキレウスはその亀をつかまえるためには当然L地点にいかなくてはなりません。ところがアキレウスがL地点にきた時、亀はいくら遅いといっても歩いていたのですから、もう少し先の方に行っている筈です。その地点をMとしましょう。アキレウスは今度はMまでこなくてはなりません。ところがアキレウスがMのところにきた時には、亀はやはり歩いていたのですから今度はN地点まで先に行っている筈です。アキレウスは今度はNまでこなくてはなりません。ところがアキレウスがN地点にきた時には亀はO地点に、さらにP、Q、R………と永遠に続いてしまうわけです。これではアキレウスといえども亀に追いつけません。これも理屈の上ではそうなるわけです。

 さて、以上の議論は
「時間や空間は無限に分割できる」という前提に立っていました。とりあえず、このことを覚えておいて下さい。説明の前に残りのパラドックスも見てしまいましょう。

3、つぎは、いわゆる
「飛んでいる矢は動かない」というパラドックスです。これは「時間」と「空間」という概念に更なる反省を迫るものですが、私たちは時間・空間というものをどのように考えているでしょうか。とりあえず「どんなものにせよ、それが自分自身と全く等しい大きさの空間を占めている時、それは静止している」とよんでおくことにしましょう。なぜなら、「動く」というのは、今占めている空間を「出て」いくことなのですから。「出て行かない」かぎりそれは「静止している」とよぶべきです。ところで、いま弦から離れた矢があったとして、その矢はどの瞬間をとっても「それと等しい空間」を占めていて、その空間を「出て行く」などということはありません。ということは、この矢はどの瞬間も「静止」しているとしかいいようがなく、動いている瞬間などないということになってしまいます。さて、ここでは、少なくとも「空間が一つの広がり」のようにされていました。前の二つのように「永遠に分割される」という前提にはなっていません。これも覚えておいて下さい。

4、四つ目は
「競技場のパドックス」といわれているものですが、これはかなりややこしいです。まず前提ですが、これも今の三番目のものと同様、「時間と空間が単位」のかたまりと考えられています。ここで、運動会を想定してみましょう。子供たちの遊戯がはじまりました。お父さん、お母さん、弟と妹の四人が並んで見学しています。その前を四人が一組に並んだ「組」がたくさん「右に左に」踊りながら通り過ぎて行きます。そこで変なことに気が付きました。その遊戯をしていた「四人組み」と見物していた四人の家族を図に書いて見ましょう。

見物人

D君 C君 B君 A君
一組、右に移動

二組、左に移動
Eさん Fさん Gさん Hさん
 この図で、一組さんは右に動き、二組さんは左に動きました。動く速さは遊戯ですから当然同じ速さです。動いた結果、この三つの列は重なりました。

D君 C君 B君 A君

Eさん Fさん Gさん Hさん

 ところで、この時、一組さんの先頭A君は二組さんの「Eさん」と「Fさん」の二人分だけしか動いていないのに、二組さんの先頭EさんはAさん、Bさん、Cさん、Dさんの四人分も擦れ違って動いています。

 さて、これを今度は時間に置き換えて見ましょう。つまり一人分を一秒とすると一組さんの先頭は二秒、二組さんの先頭は四秒かかっている、という計算になってしまいます。これは矛盾です。
 ところで、ここでは前提として
「時間は一定のかたまりだとしたならば」というのがありました。時間が「かたまり」なのだとしたら、理屈はこのパラドックス通りとなってしまいます。そこで、さて時間とは一体何だ、という問題を改めて考え直さなければならなくなってくるのです。
 以上の四つのパラドックスは、くりかえしますが、はじめの二つは
「時間・空間は無限に分割される」という前提でした。ところが、それは理屈の上で困ったことになったのでした。一方、おしまいの二つは、今度は逆に「時間・空間は一定の定まった広がりを持つ」という前提だったのです。ところが、ここでも、理屈の上では困ったことになったのでした。どう前提をたてても「駄目」という論が示されたのです。

 もちろん、これは再三断っているように「理屈だけで考えてみれば」という
「思考実験」のようなもので、パルメニデスやゼノンが呼吸もせず、食事もとらず、歩くこともせず暮らしていた、などということを言っているわけではありません。ところで、わたしたちはそうして暮らしながら、その暮らしの日々におきてくることを「当たり前」と信じ込み、それに改めて問い掛けてみるなんてことはしません。経験されることは「当たり前」のことなのです。しかし、もしこんな態度のままでいたなら、「地球は動かない」ことは常識のままであり、物が落ちることも当たり前のことであり「重力とか引力」とか改めて問題にされることもなかったでしょう。ニュートンもアインシュタインも生まれず、非ユークリッド幾何学(これは二点を通る平行線は永遠に交わらない、とするギリシャ以来のエウクレイデスによる幾何学を否定したもので、今日、この宇宙の在り方はこの非ユークリッド幾何学の方がうまく説明できるとされています)も決して生まれなかったでしょう。哲学や科学、総じて学問の多くはこうした「思考実験」的なところから生まれてきていることが多いのです。パルメニデスやゼノンはそうした「経験世界に惑わされずに」ただ「理性」だけを働かせて思考したその最初の実例だったのです。
 ところで一方、これはこれまでのような世界の説明に対して決定的なパンチをくらわしたようなもので、「水」にせよ、「ト・アペイロン」にせよ「アエール」にせよ、何にせよ、「一つのもの」からの生成というのは、このパルメニデスを論破しない限り、主張できないことになってしまいました。なぜなら、「一つ」という限りそれはパルメニデスが言う通り、じっと凝り固まって
「動くことができない」ことになりそうだからです。
 しかし、このままではこの自然世界が説明できません。経験世界を救わなければなりません。こうして、自然学者たちはどうしたかというと、パルメニデスを論破する代わりに(できそうにない、と考えたのでしょうか)、「一つ」のもとのもの、という考え方をやめにしたのです。はじめから
「もとのものは多」だ、としておけば、それならこの「多」は作用し合う筈ですから(そういう風にしておきました)、運動も生成も起きてきます。こうして、パルメニデス以降は「もとのもの」を「多」とする方向へと行きました。こうした自然学者を、「元」を「多」とした人々、ということで「多元論者」と呼んでいます。「学の継承」というのは、こんな風にしてどこまでもつづけられたのです。参考のために、この多元論者の代表的な人達を挙げておきましょう。

エンペドクレス
 彼はつぎのアナクサゴラスより多分10歳くらい若いですが、活動は先んじているようです。ピュタゴラス、パルメニデスの系譜にあり、イタリア地方、今日のシケリア島のアグリジェント(古代名アクラガス)の出身です。イタリア学派はどこか神秘的な人が多いのですが、彼もそうでした。医者にして科学者、そして神秘宗教家でもあったのです。つまり、こうした学問は彼にとっては
「魂の清め」「自然本性との合体」のためだったのです。
 ところで、彼の学説は
「四つのもとのもの」(これを四つの「根」と呼びました)と、「愛と憎しみ」という(かなり詩的な表現の)運動を起こす原理とで説明されます。四つの根というのは「火」「空気」「水」「土」という、中国でもよく挙げられる要素でした。ようするに、この地上の事物を観察すればその四つが要素として妥当というのはどこでもたいして変わらないのでしょう。この四つはそれぞれ不滅の要素でして、これらが互いに結び付いたり、離れたりして「生成・消滅」が起きるわけです。この四つの混合の割合の違いが事物の異なりとなってきて、宇宙はこうして形成されるのですが、その「結び付き」と「分離」の原理が「愛と憎しみ」というわけで、「愛」が支配的であれば四つの要素はたがいに「くっつこう」とし、そして全部くっついてしまうと今度はそこに「憎しみ」が生じて「たがいに分かれていく」ということになります。宇宙はこうした繰り返しの周期をもっているのですが、こうした全体的動きの中で、個々的にはこの二つの原理は二つとも不滅で「無くなる」ということはありませんから、支配力が劣ってきても働きはまだありますから働いて、個々的な生成消滅も繰り返されています。

アナクサゴラス
 紀元前500年頃の誕生と推定されますので、パルメニデスとは40くらいの差です。
 彼は東方イオニア学派に属します。クラゾメナイの出身でした。彼の場合は四つとか五つとか「数」の限定はありません。むしろ
「無限な小さな種」が宇宙を作り出している「もとのもの」であって、これの「量の差」が事物の違いを生み出している、ということになります。
 彼の学説の中でユニークなのは、こうした事物の生成の背後にあってこれを
「統御」している(ですから「生み出している」という言葉を使いたければ使ってもかまわないかもしれません)「ヌース(「知性・理性」とか訳されますが、日本語の語感とはかならずしもうまく合いません)」をいってきたことで有名です。ただし、これはソクラテスに大きな期待をもたせたのですが、失望させてしまいました。彼の説明は、せっかく「知性・理性」などというものを言ったのに「機械的」な説明に終わっていたからです。一方、「種」の方は、次のデモクリトスの先駆という意味で注意されるものでした。

デモクリトス
 紀元前460年頃の誕生と推定されるので、彼はソクラテス“後”の自然学者になります。ソクラテスより10歳位若いです。
 彼はギリシャ北方アブデラの人です。アナクサゴラスを一歩進めればそこに出現するであろう
「唯物論」はついにデモクリトスのところで出現することになりました。彼の学説は「アトム(原子)論」として良く知られています。これは全く「不可分(アトムとは不可分という意味なのです)」の微小な物体であって、それは無数ですが、各々の形も位置も異なり、「空虚」の中を全く機械的に運動して結合・分離を繰り返していることになります。それが宇宙ないし存在世界の在り方だと言うわけです。この「空虚」はパルメニデスによって否定されていたのですが、こんな形で「復権」しました。ただ彼もギリシャ人でした。精神と物質の分別はないのです。で、精神はやはりアトムとはされましたが、これは「自然」の本性と相関していて、理性の観照によって自然は理解されるとしたのです。こうして彼にも「倫理学」が作られましたが、こちらの方はたいしてユニークなところはありませんでした。

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