14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜 - 1. 神話から自然哲学の発生 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

14.神話から哲学へ 〜古代ギリシャでの哲学の誕生〜
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INDEX
1.神話から自然哲学の発生
2. 最初の自然哲学者「タレス」と「ミレトス学派」
3. 魂と音楽と数学のとりあわせ「ピュタゴラス」
4. 「論理」だけの世界「パルメニデスとゼノン」及び「多の原理」をいう自然哲学者たち
5. 最初の個別科学者「医学のヒッポクラテス」
6. ソクラテスにおける「自然学から生の哲学」への転換
7. ソクラテスの「人間探求」

1.

神話から自然哲学の発生


はじめに
 ギリシャ神話は
「宇宙の生成の物語」「原初の神々の争いと覇権の物語」「オリュンポスの神々の物語」「英雄物語」とで構成されています。これらの物語は要するに「この世界とは何なのか」「どのように生じたのか」をテーマとし、神々と人間の物語というのは「人間とは何なのか」「人間はどのように生きるべきなのか」をテーマにしているものです。
 そして、この問題こそ後世の
「哲学者」と呼ばれることになる人々が問題にしていたものなのであり、問題そのものは何ら変わりないのでした。

 ただ、その
「問いの仕方」に異りがあり、神話は自然や人間集団の中でのさまざまの葛藤において感じ取られてきた「世界のあり方」ないし「人間のあり方」を、「自然の摂理・ないし超越的なもの(神)との関わりで物語った」という形式のものだと言えます。それに対して哲学者は、その神話物語の伝統で生きてきた中で、後世になって問題を「意図的・自覚的」に設定して、「筋道だった仕方で理性によって」追及しているとなります。
 簡単に言ってしまえば、神話と哲学とでは問題そのものは変わりないけれど、追及の方法論が異なり、後世の哲学は
「神話の方法論であった感覚的とらえ」から発展させて「理性的に筋道だった追求」としたということなのです。このページは、こうして神話から生じてきた哲学のその発生から展開をみていきます。
 ただし、このページは神話の持っていた
「世界生成」にかかわった問題としての「自然哲学」をテーマにし、神話のもう一つのテーマであった「人間の生き方」にかかわっては、最初のソクラテスだけを紹介するにとどめ、後は別のページ「生と死を見つめた哲学者たち」で扱いたいと思います。

ギリシャ神話での世界の創成
 問題は
「宇宙のはじまり」についてとなります。ここから「神話から哲学」への道が切り開かれていきました。
 先ず「神話」の場面ですが、
「ヘシオドスの宇宙生成神話」によりますと「最初に生じたものは何か」と問うて、「始めにカオスが生じた」と言ってきます。その前のことについては何も言ってきません。「モヤモヤがあった」とすらも言ってきません。ところでこのカオスというのは通常「混沌」と訳されていますけれど、ここでは「開き口」あるいは「空隙」くらいの意味だろう、と考えられます。つまり、何かが開かなければ何も始まりません。あるいは「空隙」と捕らえると、ものとものとを「分け隔て」物として認知させる「形の形成の原理」かとも考えられます。なぜなら、「空隙」がないということになったらすべては「一つ」になってしまって「ものの形」などなくなってしまいますから。それはともかく、ここに名前で呼ばれるはじめてのものが生じたことになりました。  
 ついで
「ガイア(大地)」が生じた、としてきます。これは分かりやすいです。大地は形あるものの生成の「材料的原理」と考えられます。
 ところが次に
「大地の奥底にタルタロス」といってくるのですが、このタルタロスというのは無限の深い穴を意味しています。これは、大地が形あるものの生成の「材料的原理」と考えられるのに対して「消滅の原理」であると考えられます。というのも、ここは「二度と地上にでてくることができない」ところであるからで、後には「永遠の地獄」となってきます。生成ばかりでは増える一方になってしまうので「対概念」としてこんなタルタロスのごときを言ってきたのかも知れません。
 そして四番目に
「エロース」が生まれた、と言ってきます。このエロースは「愛」ということですが、ヘシオドスによって「神々の中でも最も美しく」「神々や人間の心や思慮をうちひしぐ」と語られていますので、要するに私たちの知っているあの「愛」でいいです。これが、二つのものを引き寄せて「子どもを生む原理」であることはいうまでもありません。
 はじめに生じたのは以上の四柱の神々でした。ここには、先に紹介した太古の時代の人々が出会った「自然の中に見られる生命力」のイメージが色濃く反映していると思われます。典型的なのが「愛エロース」ですが、「ガイア」にもその面影が見られるでしょう。「母なる大地」というイメージです。この母体としての母なる大地に「生産力」としてのエロースが働きかけて事物が生じてくるというわけでしょう。
 「カオス」と「タルタロス」というのが変わったところですが、カオスは「開き口」「空隙」で生成の原理であり、「タルタロス」は消滅の原理だとすると、ここにはかなり理屈っぽい
「宇宙にかかわる論理的説明の端緒」があると見なせます。

自然学の発生とその性格
 さて、古代ギリシャで学問的問いが発生したのは紀元前600年代、タレスやアナクシマンドロスなどいわゆる
「自然哲学者」とよばれる人達によってであるといわれます。この人達の特質はどこにあったのでしょうか。また、神話との関連性はどこにあるのでしょうか。
 ところで、このタレスやアナクシマンドロスなどを「自然哲学者」として意味づけて列挙してきたのは後代の哲学者アリストテレスです。その理由は、彼の考える哲学の問題にこの人達が始めて気付いてそれなりの考察をしているからということからでした。しかし、そんなことがどうして彼らのところで行われるようになったのか、ここが問題です。そして、彼らの前にはそうした人達はいなかったのか、ということも問題となります。
 じつはアリストテレス自身も挙げているのですが、ある意味ではその前にもいたのです。アリストテレスがあげているのは今見た神話作家のヘシオドスです。この人は紀元前700年代の人と推定されている「詩人」で、『神統記』や『仕事と日々』という書を残しています。これらは「神話」というべきものです。しかし、詩的にされた神話ですから、ここにはいわゆる「学問的理性の追及」はありません。にもかかわらずアリストテレスが学問の発生のところでこの詩人に触れてくるのは何故かというと、ここには
「世界の成り立ち、存在の構造」についてのある考えが示されているからなのです。そのことを私たちは前もってみておいたのでした。
 ヘシオドスがアリストテレスによって「哲学に先立つ人」とされているのは、私達がみてきたように、その説明が非常に「論理的」と見えるからなのでしょう。つまり、宇宙ができるのに
「材料(アリストテレスによって概念化され、そのときには「質料因」と訳されています)」が必要なのは言うまでもありませんが、ヘシオドスはここに「大地ガイア」を想定していました。さらにヘシオドスは「運動を起こす原因(アリストテレスの用語では「運動因」)」まで考えていることにアリストテレスは気づいていたのでしょう。いうまでもなく「エロース」でした。つまりこれは、ヘシオドスが宇宙の存在の原因を考えて自分なりの説明をしてきたのだ、とアリストテレスは理解しているわけです。この「理屈・論理」というものが「学問性」だというわけです。                        

 ちなみに、この神話による世界把握というのは古代の特徴、とうっかり考えてしまいがちですが、実のところ人類史はつい先頃までそうだったのです。西洋はヘブライ・キリスト教のもつ神話的世界把握が18世紀まで絶対的な考えであり、今日でも多くの人に生きています。仏教圏は仏教的世界把握によっていたのです。なぜそうであったのかというと、ここには「神の名で保証される真実」があったからです。人間、不安定なところでは生きていけません。どこかに「寄る辺」がなければなりません。それがここにあったのです。
 ですからギリシャ神話に世界についての把握があって当たり前だったのですが、ギリシャ人の不思議はここからはじまるのです。すなわちこの神話を『聖書』のごとくに大事にしていく一方で、こともあろうに、この民族の柱とも言うべき神話とは「別個に世界を考えよう」とした人々が生じてくるのです。
「神による説明」ではなく、「事柄を事柄そのもので説明しよう」という態度を貫こうという人々です。
 これはヘシオドスを一歩進めて「理屈」をこねたというような態度でしたが、こんな態度が生じたのは世界でここギリシャだけでした。実際彼らは世界の人類史の中の異分子とも言えます。こんな「理屈っぽい」民族は他にいません。この異分子が生じた理由ははっきりしませんが、世界のほとんどの民族が家父長制社会からやがて専制君主制へとなっていったのに対し、ここだけが「ポリス制度」という特殊な社会に移行し、
「民主制」へと発展していったことと無関係ではないでしょう。なぜなら、ここには「自由なる個人」という意識が濃厚にあり、その個人がみずからの力で自分を主張できたからです。与えられた権威によるのではなく、自分の感性、自分の理性が言ってくることに耳をかそうということです。
 これは、神話というものをどの民族も持っていたのに、ギリシャにだけしか
「学問」が生じなかった秘密をも語っています。今、「自由なる個人」にかかわってヘシオドスの名前をあげましたが、こんな古代に詩人として「固有名詞」があげられるなどというのは非常に特異な現象なのです。通常神話というのは「民族のもの」として「個人的作品」ではない筈です。作者なんていないのが普通です。ところがギリシャでは、たしかに核としての神話自体は民族に共通なのですが、細部は詩人によって異なり、しかもそれがそのまま国民の神話になってしまうという不思議な神話の形成・発展をしていくのです。ヘシオドスの前にはホメロスがいます。神話が常に「個人名」と共に伝わっているのです。こうした例は他にはありません。こんなにも古くからギリシャでは「個人」が「自由に自分の感性の赴くまま」を語り歌うことがされていたのです。こうした「個人の精神の自由」がまず何よりも指摘されておかなくてはなりません。このことの大事さは中世をみることですぐ分かります。中世はキリスト教という「絶対権威」ないし「束縛」がありましたから「精神の自由」はありません。果たせるかな「学問」や「芸術」は、キリスト教に奉仕するもの以外は、全く生まれなかったのでした。
 こうした「個人」の自由な自然世界にたいする感情をアリストテレスは有名な
「タウマゼイン」という言葉で表現しています。この言葉は一般に「驚嘆する」と翻訳されていて自然の仕組みに「びっくりする心」というように理解されています。確かに現象的にはそれでいいのですが、これは、「世間の常識や権威を疑う心」でもあるのです。ただ「びっくりしたなあ」で終わりでは「哲学の端緒」とアリストテレスが言っていることの意味が分かりません。驚嘆が「疑いの心となり、追及の心」となっているのでなければ話になりません。こうした心は「自由な精神」のあるところにしか生じて来ません。ただ「びっくり」するくらいのことならどの民族の誰もが経験します。ここから、「疑問、吟味、批判し追及する心」が生じて始めて「哲学の端緒」といわれる「タウマゼイン」と言い得るのです。この「精神の自由」をもっていたかどうかが実は分かれ目であって、ギリシャにはそれがあったのです。
 一方、こういう個人が育つためには、
「個人の自由による社会体制」ができ、さらに伝統的・保守的な考え方から自由になれる、すなわちさまざまの考え方にふれ、それを自分なりに受容できる機会の多い人々が必要になります。そしてそれを満足させるポリス(自主・自立の共同体で、小さな本当に小さいけれど「国家」といえます。「都市国家」と訳されることもありますがあまりうまい訳ではなく、そのため「ポリス」と原語でしめされるのが一般です)がギリシャに生まれたのです。
 それはまず、小アジアにあったギリシャのポリスからでした。その筆頭がタレスたちを生み出した
「ミレトス」でした。そしてもう一つ、南イタリアにあったギリシャ・ポリスもそうでした。ここも小アジアのギリシャ・ポリスと同じような条件が整っていました。彼らは早くから農民であることをやめ、土地にすがることから離れ「自分自身によって立とう」「自由に」ということをもっとも大事なこととしていました。個人の自由というものがなかった専制君主国家との決定的な差がここにあります。この「自主・独立・自治」の精神、「自由・革新」の精神が学問を生んだといえるでしょう。
 それでは、この小アジアで「いきなり」学問的態度が生じたのかというとそれはそうでもありません、エジプトなどに代表される「技術」が背景にありましたし、神話的発想も相当に残っています。しかしやはり、とにかく「神様の仕業」という形で物事を説明しようという態度をやめようとしたこと、自然について説明しようというのならその
「観察」に基づいて、「理性的・論理的」に説明するべきだとした点、そしてその自然に「一つの原理」をみようとしたことが決定的に他の民族と違っていたギリシャ独特のものの見方だったのです。
 しかし、彼らは近代以降の哲学者のように「神話の持つ世界観そのもの」を批判していったわけではありません。ギリシャの神話が語っていた世界観そのものは引き継いでいます。もっともそれは古代の思想家すべてに言えることです。そして語り口も詩的であり神話的要素を多分に持っています。それにもかかわらず、自然を自然の要素によって理論的に考えていこうとする態度がはっきりとでてきたのでした。

 まとめてくりかえしておきますが、学問の発生には、「必要のための実用的技術」「快適・安楽のための技術」をこえていく
「普遍的真理」への渇望がなければならないのですが、それは、権威や因習にとらわれず自由にみずからの感性と理性をはたらかせ、その言ってくることに耳をかたむけながら、しかしそれを盲信するのではなく、常に批判的に吟味をくりかえしていくという「個人の自由」と「精神の自由」とがなければならなかった、ということなのです。そうした条件をクリァーできた民族としてギリシャ民族がいたわけです。

自然哲学者
さて、そのギリシャ人がひどく特別であったのは、「自由」の精神の下に「平等」の精神もあり、それが学問や文化に対して
「批判」する精神も生み出していったことです。これは現代の私達からみれば大したことがないようにみえますが、世界中でそんなことができた民族は古代ギリシャ人だけで、現代の私達はそのギリシャに倣っているので批判能力が身についただけのことです。この批判能力というのは、ようするに物事を「経験と理性によって観」、「論理的」に考えることからできることであり、私達がギリシャ人から教わったたくさんのことの中でも、もっとも重要なものの一つです。
 その能力を使って、神話が語っていた「世界の在り方」を、別の角度から語ってみせたのが、後のアリストテレスによって「自然学者」とよばれた人達だったのです。この人達のやり方というのは後世になって「哲学的」とよばれることになる態度でした。この段階で彼らは
「自然哲学者」とよばれました。
 ここでは、
「経験と理性」によって物事を観て「論理的」に語る、ということですから、なんでもかんでも言われていることを頭から「信じる」などということは決してしません。ああかな、こうかなと「考えていく」態度が一番重要でした。ですから、出された結論がそのまま「信じられる」などということがあるわけもなく、すぐに「批判的」に見られ、さらなる議論を生み出していきます。これが「学問・研究の生命」とも言えるものです。こうして多くの自然学者が生まれていったのです。
 ただ、一つだけ注意しなければならないのは、こうしてこの人達もやがて「哲学者」と呼ばれるようになり、哲学史の始めにおかれるようになってしまったのですが、これはあまりうまいやり方ではありませんでした。というのも、確かに彼等は時間的にはソクラテスよりも早いのですが、その時代には当然「哲学」などという言葉もありません。その言葉はソクラテスによって使われ意味が与えられたのであって、その限りではソクラテスの与えた意味内容が最大に重要なわけです。そこでは「哲学」とは「よく生きることについての知恵の愛し求め」でした。
 しかし、自然学者が問題としたのは文字通り「自然世界」でした。実のところ、この問題はソクラテスの問いからやがて展開して出てくる問題として、ソクラテスの弟子プラトン、さらにその弟子アリストテレスによって引き継がれておもてに出てくることになる問題だったのであり、はじめから正面きって問題にされる事柄ではなかったのです。
 アリストテレスが哲学の姿を整え、さまざまのものの存在の神秘を解明しようとしたところで、自分に先だってそうした問題に少しでも語っている人がいればその人達も問題にしようということでソクラテス以前にさかのぼって見たものなのです。ですから、アリストテレスと関連させてみれば彼等の意味もよくわかるのですが、はじめに哲学の最初と紹介されてしまいますと、彼等の意味もよく分からず、それに一番肝心のソクラテスの与えた意味がぼやけてしまいます。ですから、これはアリストテレス自身が名付けていたようにただの「自然学者」としておいた方が良く、やがてこれが後世になって「自然哲学者」という内容として紹介されるようになったと理解すべきものなのでした。
 それはともかくとして、彼等が神話的にではなく
「自然そのものから世界の在り方」を考えようとしたことは、人類の精神史上革命的なことでした。しかし、そうはいっても全くこれまでと違った世界の在り方を示す、というわけではなく、「説明される本体、つまり、世界の在り方」は神話と変わりません。ただ、その説明の仕方が変わったということです。その世界の在り方、つまり世界観は、中世になってキリスト教が入ってくるまで変わりません。つまり、「すべてのものは自然全体の一部」であり、「すべては自然として一つ」だという考え方です。

 さて、それでは自然学者達はどのような説明を与えたのでしょうか。大事なことは次ぎのことです。

1、事物を「神の仕業」で説明するのではなく、自然物そのもので説明する。
2、自然的事物の観察に基づいて、理性によって論理的に説明する。
3、すべての自然、生成変化に「一つの原理」を見て説明する。

 自然学者が説明しようとした世界の在り方そのものは、ギリシャ神話での世界の生成の仕方と同じだといっておきましたが、それはつまり、
「もとのもの」が初めからから「在り」、しかも、そのものにはどうも運動の原理がはじめからあって、それで動きだして、事物が生まれ出ていった、ということでは全く変わらない、ということです。

ギリシャ神話での言い方はどうかと言いますと、
1. まず始めに何とも名づけようのない「あるもの」が在った。
2. それが「動きだし」混沌の開き口「カオス」、大地「ガイア」、底無しの「タルタロス」、そして、 愛「エロース」の四柱の神々が生まれた、となります。
3. そしてさらに、大地ガイアは天ウーラノスを生み、そこからたくさんの子供が生まれる。その系譜の中にゼウス、アポロン、アテーナーといったオリュンポスの12神がいる、と
いったことになります。

 それでは、自然学者による世界の生成の説明はどうか、といいますと、構造は今の神話と全く同じで、ただ、
「その、もとのものは何か」という問いが中心になってきます。そしてこの時、その「もとのもの」を「自然そのものの中で」説明しようとした、という点が大事であるわけです。                              
 この「もとのもの」をタレスは
「水」としました。それはきっと、あらゆるものに「水分」が含まれていること、水は気体にも液体にも固体にもなるけど「本体」は変わらないことなどの「観察」があったのでしょう。
 しかし、この説明は神話とは違って、常に「批判」されることを含んでいますから、早速批判されます。つまり、「水」といった「限定」をもっているものがどうして他のものになれるのか、とった批判で、こうして批判者であったアナクシマンドロスはその「もとのもの」は
「ト・アペイロン(無限定)」なるものなのだ、と主張しました。

 しかし、そうなりますと、そんな「無限定」なものからどうして「限定された自然物」が生まれてくるのか、という疑問がすぐに出てきてしまいます。こうして批判者アナクシメネスは、「自然的」ではあるけれど、形もなく、目にも見えない、つまり「限定性」のない
「空気」こそがその「もとのもの」なのだと主張しました。こういう「存在の原因」をさぐる態度が、後にアリストテレスによって評価されることになるのです。
 自然学者達の批判・探求はまだまだ続きます。続く
エンペドクレスは「たった一つ」のものからすべてが派生してくるとすることの無理を思って、この「もとのもの」は四つの原理からなっていると考えました。「絵の具」で考えてみれば分かりやすいように、四色の原色を混ぜ合わせて様々の色が出せます。つまり「混合」の比率が違ってくれば色も変わるように、その「もとのもの」の四つの要素の混合の比率がかわれば、様々のものが生じて不思議はないというわけです。
そしてこの混合(分離も当然あります)の原理として「愛と憎しみ」といった、イメージ的に分かりやすい説明もしてくれています。
 同じような発想はそれに続く
アナクサゴラスにもあり、彼は、たとえば牛乳をのんで髪の毛が生え、筋肉がつくといった「違ったものから違ったものが生じる」ことの原因を、牛乳にははじめから髪の毛の「要素」や筋肉の「要素」が含まれていたのだとしました。つまり、「もとのもの」は無数の「種」であって、この種は「すべて」を含んでいるのです。ですから、この種からは何でも生じることができます。しかし、だからといって何にでもなれるというわけにはいきません。そこには一定のルールがあり、したがって石ころをたべても筋肉は付きません。このルールをつくるものを「ヌース」と名付けました。ヌースはふつう日本語で「知性」と訳されますが、これは「宇宙的な知性」つまり摂理のようなものです。

 こんな具合に自然学者達は「自然」について考えていったのですが、中には、この「もとのもの」からの生成がどうしても理性的に説明できないと考えたひともいます。たとえば
パルメニデスは、「ある」ものは「ある」のであって、「ない」ものは「ない」というもっとも基本的な真理にこだわり、結局、生成というのは「ある」ものから「そうでない」ものへの移り行き言う以上、そんなことは起り得ない、と考えました。そして運動を否定してしまい、運動しているように見えるこの世界は「虚偽」の世界なのだと主張したのです。徹底的に「論理」で迫っていった一つの結果です。
 他方、この現象世界に一つの「理、摂理、論理」をみとめ、それを「ロゴス」と名づける一方、この現実世界の「絶え間ない流動」を強調する人もいました。
ヘラクレイトスです
 以上が主要な自然学者ですが、最後に彼等を引き継いで
デモクリトスが出てきます。デモクリトスは「唯物論」の祖として有名です。彼は全くの物体、それは「不可分の最小物体」で、無数にあって一つ一つ形も位置も動きも違い「空虚」の中を違った方向に動いているとします。その最小物体のことを「原子・アトム」と呼んで、その「アトム」による世界の形成を主張したのでした。魂なんてものも、要するにこのアトムのあつまりで、したがって死んだらそれでバラバラになって終わりです。すべては「機械的運動」なのです。
 ただし、デモクリトスやその師であるレウキッポス以外の自然学者はどうなのかといいますと、彼等の場合には「もとのもの」はある意味で生きているのです。生命そのものともいえ、自らの中に生成の原理をもっているのです。デモクリトスのようにただの死んだ物体の機械的運動ではないのです。なぜなら「自然は生きている」からです。タレスは「自然は神々で満ちている」と言っています。自然は生き生きとした「生命体」なのです。死の世界でただコチコチと動いている時計のような「機械」ではない、と考えていたからです。そこで彼等のような立場を「物活観」とよんでいます。
 こんなのが最初の「哲学者たち」の姿でした。以下の章ではその代表的な人々の語るところを紹介していきます。

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