13.キリスト教の祭りと行事 - 2. 復活祭 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

13.キリスト教の祭りと行事
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INDEX
1.クリスマス
2. 復活祭
3. バレンタインその他の祭
4. 12大祭
5. 典礼・奉神礼・礼拝
6. 「ミサ」と「聖体礼儀」
7. 秘蹟・機密

2.

復活祭


はじめに
 日本では、キリスト教の最大の祭りは「クリスマス」だと思われているようですが、それは西方カトリック世界でのもので、伝統的なキリスト教・正教の世界では
「復活祭」が最大・最重要の祭りとなります。従って「正教」ではこの日が教会歴における一年の最初とされます。
 それはキリスト教という宗教の骨幹が
「イエスの死からの復活=人類の死からの復活」という「救済願望」にあったからだと言えます。つまり、イエスは良く知られるようにユダヤ教の神官達に憎まれて捕まり、ローマの代官によって十字架で死に、その三日目(十字架刑は今日の暦で金曜、復活は日曜とされている)に復活して弟子達の前に現れたと言われているわけで、その受難と復活を祝うのが「復活祭」だというわけでした。
 ただし、「復活祭(正教では復活大祭)」という名称は日本のものであり、西洋などのキリスト教圏の言語には「復活」という意味の言葉は使われていません。伝統的な名称はギリシャ語の「パスハ」であり、英語とドイツ語を除いて、ほとんどの国はこの「パスハ」に由来した発音でこの祭りを呼んでいます。日本語の「復活祭」はこの
祭儀の意味をとった命名ですが、これは良くできた命名であると言えます。

パスハ
 パスハはギリシャ語には違いありませんが、これも元をただせばユダヤ教の
「過ぎ越しの祭り」を意味する「ペサハ」に由来し、これがイエスの活動していた地方の言語であるアラム語の「パスハ」という発音となって、これがギリシャ語として入った外来語だと言えます。
 「過ぎ越しの祭り」というのは、モーゼがエジプトを脱出するに際して、邪魔をするエジプト人にモーゼの神が災いを下すのですが、その災いはユダヤの民を
「過ぎ越して」安全に守ったという故事に由来するユダヤ教にとってのもっとも大事な祭りでした。
 これがキリスト教において「復活祭」と重ねられたということは、イエスの十字架の受難がこのユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」の時期と重なっていたということと、イエスの受難が人類を解放するに至る「過ぎ越し」と捕らえられたせいでしょう。
 
イースター
 ちなみに、英語とドイツ語ではこの「復活祭」を
「イースター、オステルン」と言いますが、これは北欧神話の「春の女神エオストレ」に由来すると言われます。つまり北欧で行われていた「春祭り」がこの「復活祭」の正体であったというわけで、キリスト教の伝播により北欧の女神の祭りである「春祭り」が、異教とされて失われることを北欧の民衆は受け入れることができず、「キリストの復活祭」に形を変えてそれを残したというわけでした。
 また、イースターというと
「イースター・エッグ(卵)」が良く知られていますが、これもその民衆の「春の祭りの名残」であろうと言われます。そもそもキリスト教に「卵」なぞ全然関わりがありません。それにも関わらず「卵」がキリスト教と結びつけられたのは、「イエスの死と復活」が「卵」でシンボライズされたからでしょう。実際、北欧に限らず「卵は生・再生のシンボル」とされていたのは世界各地にある考え方で、従って各地で容易に導入されたのでしょう。
 ですから初期教会の伝統をもっとも良く保つギリシャにおいてもこの「卵」の習慣は見られます。ここでは卵は真っ赤に染められますが、それは「赤」が
「血、すなわち死とそこからの再生」を象徴するからです。他の国々ではさまざまで、東欧では素晴らしい模様に描かれて芸術的とすら言えるものになっています。
 また、この「卵」とは別に西欧圏では
「ウサギ」が復活祭のシンボルとされますが、これは「多産」を意味していて文字通り「春の祭り」の名残と言えます。
 このように復活祭というのは一つにはユダヤ教に起源を持ち、もう一方で北欧神話に由来する「春祭り」に由来をもっているということが言えるのでした。
 
復活の意味
 キリスト教における「復活」という考え方は、キリスト教の母体であるユダヤ教の基本形には存在しません。またキリスト教の思想形成の基盤となった古代ギリシャには復活に近い考え方はあってもキリスト教の理解とは異なっています。つまりキリスト教における復活の思想は
「天ないし神の国への再生・復活」を意味しているのですが、この思想は紀元前3〜2世紀以降のユダヤ教末期になってはじめてユダヤ教世界に見られるようになった思想でした。その思想の源はペルシャのゾロアスター教にあり、それがバビロン補囚以降ヘブライ思想に流れ込んで黙示文学的な思想を形成せしめ(たとえばイザヤ書、エゼキエル書、ダニエル書など)、そして会派勢力としても「パリサイ派」というユダヤ教新興勢力を生みだし、彼らが魂の不滅とか最期の審判とか復活といったゾロアスター教に固有であった概念をユダヤ教の中に位置づけたと言えます。ですから当時パリサイ派と競っていた保守勢力の「サドカイ派」はこれらの思想を一切認めていませんでした。
 ユダヤ教の改革運動家であったイエスはこの「パリサイ派」の思想を受け継いでいると言えます。もちろんイエスがパリサイ派に敵対していたことは良く知られていますが、その敵意はパリサイ派の偽善性に対してであって思想そのものを否定していたわけではありません。
 イエスが十字架刑の「死」の後に「復活した」と信じられたのはこうした思想の下にであったと考えられ、それはパウロの解釈に濃厚に現れています。つまり、イエスの死はこの
「復活のための初穂」とされているのです(コリントス書15節など)。もちろん復活させる主体は「神」であり、従ってイエスの場合も「神がイエスを起こした」「神によって起こされた」という表現になります。
 すなわち、繰り返しますが「復活」というと何かゾンビのように「人間が生き返る」という意味に捕らえてしまう傾向があり、たとえ「天」に生き返るにしても現在のありかた・人格・性のまま生き返るように考えてしまうことが多いです。ですからマルコ福音書の中で復活を信じていないサドカイ派の人がイエスに、七人の兄弟が一人の女を兄が若死にするたびに妻にしていったとして、復活の時この女は誰の妻になるのか、というような質問をしてきたのでした。これに対してイエスは、天にあってはそうした人間としての特徴的区別はなくなり、人はあたかも「天使」のようなものとして生きると言っています。そして人間としてはとうの昔に死んでいるヘブライ民族の祖であるアブラハムやイサク、ヤコブに言及しながら「神」は死んだ者の神なのではなく「生きている者」の神であるという言い方で「彼らは生きている者」だということを示してきます。ですからヨハネ福音書にあってもイエスは
「私を信じる者は、たとえ(肉体としては)死んでも、生きる」と言ってくるのでした(11.25)。
 こんなのが「復活の思想」の内容であり、この地上的な生を超えた
「真実の神の下での生」の願望というわけでした。これを集約させているのが復活祭なので、伝統的なキリスト教においては復活祭がもっとも大事な祭りとなるのでした。

復活祭
 クリスマスは12月の25日と決まっているので、復活祭も曜日が決まっていると思われていますが、実は決まっていません。年ごとにその日取りが変わっていきます。
2007年は西欧では4月8日でした。2008年は3月23日、2009年は4月12日、2010年は4月4日となっていきます
 この行事の日取りの決定は、325年に開かれた第一回のニケア公会議で決定されているので、公認されてからのキリスト教行事の中でももっとも始めに決められた行事と言えます。それ以前には「復活を祝う」ということでは、
イエスが復活した週のはじめの日に集まって礼拝をしていました。この日をギリシャ語で「キリアキ(主の日)」と呼んでいましたが、これは日本では「日曜日」に相当します。つまり日曜日というのはただのお休みの日というわけではなく、キリスト教にとっては「小復活祭」とでも言うべき大事な日なのでした。従って日曜日というのは「安息日」でもありません。安息日は日本式では土曜日に当たります。
 それが2〜3世紀になって一年に一回、
ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの時期に大々的に祝うようになったのでした。それはたまたまイエスの受難から十字架、復活という出来事がユダヤ教の過ぎ越しの祭りと同時期であったという事情と、当時さまざまの立場があったキリスト教共同体の間で(大きく分けると反ユダヤ教主義者とユダヤ主義者となる)、勝ち残ったのがユダヤ教主義者たちであったことから起きた現象と言えます。
 ところがその日取りについて、ユダヤ教の流れを強く持つ教会はユダヤ教の過ぎ越しの祭りに倣ってニサンの月(今日の暦に直すと3月から4月にかけて)の14日の満月日としたのに対し、主日(日曜)を大事にしてその満月の次ぎの主日(日曜)とする派と分かれて論争になってしまいます。思想的にも、「受難」に重きをおくか「復活」に重きをおくかの違いがあったとも言われています。
 そのためにニケア公会議でその解決が図られたのでした。そしてそのときの取り決めで、祭はキリスト教共同体皆同じ主日(日曜日)に祝うとされました。その後も日取りの計算法で紆余曲折がありましたが、結局
「春分の日」の後の最初の満月の次ぎの主日(日曜日)と決められたのです。
 ところで、この当時の暦はユリウス・カエサルが紀元前46年にこれまでの太陰暦に代えて制定した太陽暦でした。その暦では一年が365.25日となり、実際の天文学的数字の365.2322と微妙にズレて、長い年月が経つと春分の日の実際の天文学的な現象と祭りの日にちとがずれてしまいました。そのため1582年にローマ教会はグレゴリウス教皇の声でこれを改革して、太陽暦はそのままでしたが閏年の入れ方を変えた新しい暦を作ったのでした。これをグレゴリウス暦と呼んでいます。そのときに春分の日を
3月21日としました(これは「取り決め」であり、キリスト教会が同じ日に復活を祝うという必要から決められたもので、実際の天文学上の春分の日と必ずしも一致しているわけではありません)。こうして復活祭の日取りはもっとも最初となる可能性のある3月22日から4月の25日までの間で移動する、ということになったのでした(ちなみに、3月22日になった最近の年は1818年で、次ぎは2285年となります。また4月25日となった最近の年は1943年で、次ぎは2038年になる計算です)。
 一方、伝統の東方の教会は現在でも
昔通りのユリウス暦のままでやっているところが多く(何故なら、ユリウス歴がキリスト教の本来の暦であって、グレゴリウス歴はローマ教会が勝手に始めたことであり、ローマ教会の勢力の拡大と同時に世界的に広まったものにすぎませんから)、そのため東西教会の復活祭の日取りがずれることになりました。これは少々ややこしく、ユリウス暦を分かるのは正教の教会関係者だけで一般には誰も分かりませんから、実際の祝日は現在の暦に合わせなければなりません。すなわち、計算はニケア公会議以来の取り決めに従ってユリウス暦で日取りをきめるのですが、それをさらに現在のグレゴリウス暦に直すのです。たとえば2006年はグレゴリウス暦の西方教会では4月16日でしたが、ユリウス暦の計算では4月10日になります。それはグレゴリウス暦だと4月23日に相当するので正教では復活大祭はこの日に執り行われました。2007年の場合はグレゴリウス暦の西方教会は4月8日となりますが、ユリウス暦では3月26日となります。しかしこれをグレゴリウス暦に当てはめると4月8日となってこの年は東西教会が一緒の日に復活祭を祝うことになりました。しかし2008年はグレゴリウス暦だと3月23日となりますがユリウス暦だと4月14日となり、これをグレゴリウス暦に当てはめると4月27日となって再びずれます。さらに2009年はグレゴリウス暦の西方教会は4月12日が復活祭となりますがユリウス暦だと4月6日となって、これをグレゴリウス暦に当てはめると4月19日となりこの年もずれてきます。その次ぎの2010年は、西方教会は4月4日ですが、東方教会はユリウス暦では3月22日になります。しかしこの日はグレゴリウス暦の4月4日となって再び一緒の日となる、といった案配なのでした。こんなややこしいことになってしまっているのをキリスト教世界は黙認しているわけではなく、統一しようという動きはあるのですが、何せ東西共に「伝統」を重視するのでなかなかまとまらないのが現状です。

徹夜祭
 復活祭はその前日からの「徹夜祭」が大事です。理由も大事です。つまり、ユダヤ教では日没が一日の終わりであり始まりとなります。従って「パスハ」として「過ぎ越しの祭り」と同一視された
キリスト教の「復活祭」も日没からとなるのです。またイエスは主日の早朝に復活したとされるので、「早朝」に祭りのハイライトがこなければならないことになります。
 復活を象徴する
「光の祭儀(蝋燭を灯すなど)」がハイライトとなります。そして聖書の朗読や洗礼式などがあり、正餐に与る儀式などが執り行われます。儀式は矢張り正教のものがもっとも儀式性に富んでいます。
 その正教のギリシャでは、教会の外で十字行(十字架を掲げた司祭を先頭に聖歌を唱いながら後進する行列)があり、聖堂を三周して聖堂の正面に立ち復活の讃歌が唱われます。そして夜中の十二時に鐘が響き渡り、司祭によってイエスの復活が告げられ会衆がそれに唱和しそれを三回繰り返し、聖歌を歌いながら聖堂に入り、そしてイエスの復活の地であるイエルサレムから運ばれた「復活の火」から移された蝋燭の火をそれぞれが自分の蝋燭に転々と移し、そして大事に火が消えないように行列を作って家路に戻りますので蝋燭の火の川が幾筋にも分かれて町を埋めます。
 この復活大祭の際に用いられる
「イコン(聖画)」は、一つはイエスが「アダムとイヴ」を死から引き出している図柄のイコンです。「アダムとイヴは人類の祖」ですから、それが死から引き出されることで「全人類も死から引き出され復活する」、となるわけです。もう一つはマグダラのマリアがイエスの墓に詣でたところすでにイスエはおらず天使に会うことになるという、「イエスの復活」の情景のイコンとなります。
 家に戻ったら早朝になっているわけですが、羊のレバーとお米のスープ(マギリツァ)や卵、サラダなどの食事をとり、徹夜でしたからしばらく寝て、そして起きてから復活祭の正餐の準備に取りかかるということになります。ギリシャでは羊の丸焼きが定番となり、みんなで集まってギリシャ・ダンスをしたりして喜び祝うという段取りになっています。

受難週
 復活祭というのはその当日だけが祭りというわけではなく、
復活祭前の一週間が「受難週」と呼ばれて非常に大事な一週間とされ、伝統的な正教ではそれぞれの日に特別礼拝が行われます。西欧ローマのカトリックでも木曜日の日没(つまり、当時は日没が一日の始まりですから今日的に言えば金曜日となりイエスの十字架の日)から三日間を「聖なる三日間」として十字架の受難と死と復活という三つのパートを持つイエスの受難劇を再現して復活を祝います。

レント
 復活祭の40日前から
西方教会では「レント」と呼ばれる期間が始まります。日本では四旬節と呼んで、入った日を「灰の水曜日」と呼びます(日曜日をこの40日間から除くため初日が水曜日になってしまったから)。正教ではこの期間を「大斎」と呼んでここから肉食などが禁じられます。つまり「断食月」です。レントというのは英語ですが、これは「春」を意味する「日が長くなる季節」を意味するLengthenに由来するといわれます。
 「灰の水曜日」と言われる所以は、前年の受難の主日(復活祭前の日曜日になり「枝の主日」などとも呼ばれ、英語ではパーム・サンデイ、つまり椰子の日曜などと呼ばれる)に燃やしてできた灰(灰は浄めや回心のシンボルとされる)を額や頭に塗って回心の印とする儀式が行われたからです。
 ただし今指摘したように、四旬節に日曜日はかぞえないので実際には40日以上となります。また、正教の言う「大斎」は日曜だけではなく土曜日もかぞえないのでさらにもっと長くなります。この40日というのは、イエスが宣教に入る前に荒野で40日修行を重ね、断食と悪魔の心未を受けたとされる故事に倣ったものです。
 ですからレントの期間というのは、
イエスの荒野での修行や悪魔の試みをなぞり、キリスト者としての心を整える期間という意味があります。従って肉食をはじめ油や酒などが禁じられたわけで、要するに本来的には「断食の期間」なのでした。

ペンテコステ(聖霊降臨、五旬節)
 また復活祭から始まる季節を
「復活節」といい、ペンテコステ(聖霊降臨)まで七週間つづくことになります。ペンテコステというのは、復活したイエスが弟子たちの前に40日にわたって姿を現して「聖霊による洗礼」を約束するのですが、その約束の日がユダヤ教での「五旬節(大麦の初穂を捧げる日から50日)」に相当しているとされるところからの祭日です。ペンテコステとはギリシャ語で50日目を意味する序数詞です。七週間とは49日ですから、復活祭当日をいれて50日目までが「復活節」というわけでした。

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