13.キリスト教の祭りと行事 - 1. クリスマス | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

13.キリスト教の祭りと行事
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INDEX
1.クリスマス
2. 復活祭
3. バレンタインその他の祭
4. 12大祭
5. 典礼・奉神礼・礼拝
6. 「ミサ」と「聖体礼儀」
7. 秘蹟・機密

1.

クリスマス


クリスマス
 
クリスマスというのは、一般には「イエス様の誕生日」と信じられているようです。「信仰」においては歴史的事実は問題にしませんから、それでいいです。
 しかし、「歴史的事実」としては、と問われるならば「そうではない」としか答えようがありません。つまり、イエスの誕生日は不明です。『聖書』をはじめ何処にもイエスの誕生日にかかわる歴史的手がかりは全くありません。
 しかし、『聖書』にはイエス様の誕生についての記述があるではないかといわれそうですが、これは「福音書記者」がある意図に基づいて作った「創作物語」であることはもう研究者では誰一人知らない人はおりません。ですからここの記述は「歴史的事実」とはなりません。
 ただし、クリスマスが
「イエス様の誕生を祝う日」という意味では間違いがなく、従ってクリスマスの正確な意味というと、何時なのだがはっきりとはわからないけれど「イエス・キリストの降誕を祝う日」ということになります。ですから「キリスト降誕祭」というのが正しい言い方とも言えるわけですが、一般には「クリスマス」ということで有名になってしまいました。

クリスマスという言葉
 クリスマスという言葉ですが、これは
「クリスト(キリスト)・マス」ということで英語です。英語の「Mas」というのはカトリックの「ミサ」に由来する言葉です。ミサというのは、とりあえずカトリック世界で使われている「儀礼」という意味の言葉だとしておいて下さい。後世に独立した西欧のキリスト教「カトリックのミサ」に由来するということになると、ローマ時代からの伝統を受け継いで東方に残存してきた「正教」ではこの言い方はしないだろうと推察できます。実際、伝統的キリスト教である「正教」のギリシャ語では「フリストゥー(キリスト)・ゲンナ」といいます。ゲンナとは誕生となり、「キリスト降誕」と訳すことになります。
 もっとも、これはカトリックの本来の言語であるラテン語でも同様だったのであり、そこでは
「Nativitas Domini(主の降誕)」といいました。ですから、今日でもラテン系の国ではラテン語の「ナティヴィタース」に由来する「ノエル(フランス語)、ナタル(ポルトガル語)」などといいます。
 ですから、「クリスマス」という言い方は全く
「近代の英語の呼び方」なのです。ただし、英語でのクリスマスはもう全世界的な言葉になってしまっていますから、今日では「正教徒」であるギリシャ人も「メリー・クリスマス」というカードを使っていますし(ただし外国人に出す場合)、日本の正教会ですらクリスマスと呼んでしまっていることもあります。
 文字の表記ですが、一般にクリスマスはX'masと書かれることが多いです。このXは英語のXだと思って「エックス・マス??・・・どういう意味??」と思う人が多いです。しかしこのXは英語なのではなくギリシャ語のX(クィー)という文字であり、「クリストス(キリスト)」の頭文字となります。ですからまた「'(アポストロフィー)」で「キリスト」を省略的に表記するなどとはあってはならないことで、この表記もおよそ変な用法ということになります。
 もっともXmasとしても、X−masとしても、いずれにしても「キリスト」を省略してしまっているわけですから、本来のキリスト教国であるヨーロッパでは普通はやりません。むしろ日本独特(東南アジアでも同様らしいが)の表記法と言った方がいいです。

日取り
 クリスマスの日取りは誰でも
「12月の25日」がその日だと思っています。そして、「正教」でもこの「クリスマス」をやりますので(ただし、本来は「キリスト降誕祭」として、です。その経緯は後で説明します)、ここでも12月25日にクリスマスを祝うことが多いです。
 確かにそうではあるのですが、これは西洋のキリスト教、つまり
カトリックとプロテスタントではこれで狂いはないものの、伝統的キリスト教である正教では少々厄介です。
 というのも、正教は一般に使われているグレゴリウス暦ではなく
「昔通りのユリウス暦」を使っているからです。ユリウス暦での12月25日は、グレゴリウス暦に置き換えると、19世紀には1月6日、20〜21世紀は1月7日、22世紀は1月8日とずれてきます。ですから今日正教で「クリスマス」をやろうとすると「1月7日」にやるのが正しいということになるのです。そして実際そうしている正教の教会もたくさんあります。
 しかし、そんなこととは露知らないのが一般信徒ですから、やはりグレゴリウス暦での12月25日がクリスマスだと思いこんで、正教でもこの日にそのつもりで来る人が絶えなくなったといわれます。そのため正教の教会でも例外的にこのクリスマスだけはグレゴリウス暦の12月25日にやることにした教会が多くなったのでした。

クリスマス・イヴ
 さらにこのクリスマスに絡んで「クリスマス・イヴ」があって、日本では一般に「聖夜礼拝」などという言葉で知られているものですが、これが重要とされています。その意味ですが、古代は「日没」が一日の終わりでしたから、日没以降が一日の始まりで、従って今日的に言うと夜は朝なのです。ですから
12月24日の夜とは古代では12月25の朝であり、ここからクリスマスが始まっていた、というわけでした。
 もっとも当初は、クリスマスの起源であるミトラス教のあり方のまま12月25日の日が昇った日中にやっていたようでした。それが5世紀頃から多分今指摘した理由で24日の夜から礼拝が始まるようになり、さらに6世紀に入って25日の早朝にも礼拝が行われるようになったと言われます。

祭りの起源
 それでは、なぜ12月25日にこんな「クリスマス」というような祭りが行われるようになったのか、というとこれは当時のローマ帝国に流布していた
「新興の宗教と昔からの伝統的民間信仰」に起源を持っているのでした。
 すなわち、当時ローマ帝国にはペルシャ由来の
「ミトラス教」という新興の宗教が流行っており、それは「光の祭り」という性格をもっていました。他方、このミトラス教の最大の「光の祭り」の時期というのは、これから光の時間が増えていくという「冬至」にあたっていて、それが「12月25日」だったのでした。
 他方、ローマ帝国内のどこでも、伝統的に民間には
「太陽や繁茂を祭る祭り」が執り行なわれていて、「光の宗教」である「ミトラス教」はそれと融合していたようです。たとえば、伝統的なローマの神である「農業神サトゥルヌスの祭り」もこのころにあった祭りでした。そして、これらが融合される形でキリスト教に取り入れられてクリスマスは形成されることになったのです。つまり、これらの「ペルシャ由来の新興宗教」と、ローマ帝国民の「伝統的な民間宗教」とがクリスマスの母体であったと言えるのです。
 その経緯ですが、キリスト教が国教となると「異教」の祭りはすべて廃止されました。ローマ人が大好きであったオリンピック(これはギリシャの「神ゼウスの祭典」のメイン・イベントだったのです)でさえ廃止されてしまったのです。ミトラス教もサトゥルヌスの祭りも当然駄目の筈でした。しかし、この日は何といっても
「冬至」で、季節そのものの「けじめの日」であり、また「太陽」を待ち望む日、あるいは「農作業」に向かっていく心構えが作られる時期です。民衆にとってはこれを止めるなどということはできない相談でした。
 ところが、うまいことにキリスト教の神
「イエス」「光」にたとえることができました。従って、「現実的な太陽」から「精神的な光」に変わってしまうものの、「光」であるには違いない、ということでイエスはすんなりこの祭りの主人公に「取って代われた」のです。
 また「農業神」の祭りもうまくいきました。というのも、
植物は「再生、死から生、永遠の生命」という観念を含んでいます。ところが、イエスもまた「死からの復活、永遠の生命」を約束するものでした。したがってここでも矛盾はありませんでした。こうして人々は太陽神の祭りと農業神の祭りを「イエスの地上への出現の祭り」つまり「降誕の祭り」にすり替えて継続していったのです。ですからミトラス教の祝日である12月25日がそのままキリスト教のクリスマスということになったのです。
 これは当時ローマ帝国の首都であったローマの教会が主体となっていたようで、また
「ローマ皇帝の肝いり」で始められたと伝えられます。遅くとも紀元後345年には始められていたと推察されています。「復活祭」を定めたニケア公会議が325年ですからそれからすぐに始められたと言えます。ローマ皇帝の肝いりですから、この祭りはローマ教会だけではなく、全てのキリスト教会のものとなったわけです。そんなわけで、今日ローマ帝国の時代のキリスト教をひきついでいる「正教」でも「キリスト降誕祭(今日のクリスマス)」は12月25日にやる、ということになったわけでした(ただし今日では正教の場合の日取りがずれていることは指摘しておきました)。

「契約の神ミトゥラ」
 ちなみに
「ミトラス教」ですが、そのご本尊の「ミトゥラ神」とはペルシャのアケメネス朝の時代にあっては主神アフラ・マズダや水の女神アナーヒターとならんで「三幅の神」として碑文に刻まれていた神です。
 この神は民族に秩序を保つ「契約」の神として
「正義の神」でした。さらにその姿の描写に「太陽」との関わりが見られることから後には「太陽神」ともされました。
 この「ミトゥラ神信仰」がローマ帝国へと伝播して「ミトラス教」という宗教となってローマ帝国を席巻するほどの勢力を持ち、時代的に「キリスト教」と拮抗して(紀元後一世紀から四世紀)ライバル関係となり、やがて「キリスト教」に吸収される格好で消えていくことになったのですが、先にみたように、しぶとく「クリスマス」となって生き続けてしまったのです。
 ペルシャでのミトゥラ神は次ぎのようにまとめられます。千の耳と万の目を持ち、あらゆる事を見、あらゆることを聞いていてすべてに精通していた。彼は広大な牧地を持っていて、創造主アフラ・マズダがハラー山に建設した輝く宮殿に住んでいた。そこは
「光に満ちて」暗闇というものがなく、寒さつのる風も熱風も吹くことがなかった。病気も災厄もここにはなかった。時がくるとミトゥラは太陽に先駆けて駿馬のごとく昇り行き、ハラー山の頂にその身を現した。そこから彼は「慈愛の目」をもってアーリアの民族すべての地を見回した。すべての地、すべての国に「光りと支配」を授ける彼は「契約」を破り欺く者には激怒した。もしそうした者が現れた時にはどの村どの町であろうと容赦なく滅ぼした。すべてを知るミトゥラ神はすべてのヤザタの神々の中でももっとも強く勇敢で勝利をもたらす神であった。そのため地にある戦士たちも彼を敬い彼にしたがった。彼は死後の審判においても人々を裁く「裁判役」となり、その人の死後の行く末を裁くのであった。
 
 さて、「ミトゥラ神」は以上に見られるような性格をもっていたのだとすると、私たちが今日教えられる
「イエスの性格」とそっくりであることが理解されると思います。つまり、このミトゥラ神の本質的な部分がそっくりそのままイエス・キリストにかぶせられていると言えるわけです。
 ただ、以上のような経緯はキリスト教信者にとってはどうでもいいことで関心ももっていない人が多いようですが、キリスト教教会の方はどうかというと、全く知らないわけではありません。少なくともローマ帝国にあった「太陽神崇拝」の祭りをキリスト教会が取り込んで、「偶像としての太陽」ではなく
「真の太陽」に目を向けさせる「伝道的な」祭りであったという認識は持っています。ですから、伝統を大事とする正教の教会でも、このクリスマスに関してのみユリウス暦にこだわらず、「伝道のため」に敢えてグレゴリウス暦でやるとしているというわけでした。
 他方、アメリカの保守・反動的な会派では、このクリスマスは
「異教の祭り」であったということで拒否して、クリスマスをやっていません。そういうキリスト教もあるのです。

ゲルマン人(現在の西欧人)の習慣
 他方、このクリスマスには
「北欧の民間の祭り」も入り込んできます。その経緯ですが、キリスト教がローマ帝国で国教化してほどなく、その西域を「北欧出身のゲルマン民族」が占拠してしまいます。そのゲルマン人は結局「ローマ教会と手を結ぶ」ことになり、キリスト教は新たな民族ゲルマン人の中に浸透していくことになりました。
 そのゲルマン族も伝統的なローマの民と同じような
「冬至の祭り」をもっていました。彼らは不滅のシンボルとして「常緑樹(もみの木など)」を立て、「贈物を交換」して春の再来を祝いあいました。そしてやがてこのゲルマン人の習俗もクリスマスに吸収されていったと言えます。
 ですから、クリスマスは地方色を濃く反映して今日にまでおよんでいるのです。つまり、たとえば、肉をくらい、飲み騒ぐという「冬至」の祭りをもっていたところは
「カーニバル」という形に発展させるし、古代ケルトのドルイド教の風習をのこしているところでは「宿り木」を軒に飾ったり、火祭りの風習のあったところではそのように、といった具合です。
 今日、クリスマスというと
「モミの木」が飾られますが、あれはキリスト教が発祥した中東などの地中海域にはない木です。もちろん「ローマ」にもありません。つまりこれは北方のゲルマン族の地にあるもので、それがクリスマスに取り入れられているということです。しかし理念として、この「ツリー」の風習もキリスト教のものにできたのです。キリスト教的意味づけは、昔、モミの木にぶらさげて神オーディンにささげられた「人身御供」の風習を、人類の罪をしょって、つまり「人身御供」として十字架上で死んだイエスに捕らえ返して、こうした野蛮な風習を昇華させた、ということになります。
 ただし、はじめの頃は、キリスト教は「人身御供」の習慣としてこれを嫌い撲滅しようとしたけれど、民衆はそれに対抗してこの習俗を保ちつづけ、結局やむなくキリスト教は先のような理屈をこねてこの習慣を取り入れることにしたと言われます。つまり、
「民衆の祭り」の方がねばり強かったというわけです。
 ただし、この習俗はかなり後代になってクリスマスに融合したと言われ、17世紀頃に一般化したとされます。こうしてモミの木を飾ってイエスを思うというわけですが、ゲルマン人はもともと「常緑樹」を春のシンボルとしていたにすぎなかったと言えます。キリスト教の難しい理屈はどうあれ、「寒く、すべてが枯れ果てた地に光をもたらしてくれる」ということで祭りができるならそれで良かったのでしょう。こうしてクリスマスという名のもとに
「伝統的な祭り」はつづけられたのです。これがゲルマン民族のクリスマスのとらえ方だと言えるのです。

馬小屋の模型
 なお、馬小屋にイエスが生まれて羊飼いや東方からの三人の博士たちが訪れているというクリスマス物語りの情景は、実は全く異なった二つの福音書(マタイとルカ福音書)の描きを合体させたものですが、その模型が教会の祭壇の前に作られる習慣があります。これは、伝承によると12世紀から13世紀にかけての人であるアッシシの聖フランチェスコからである、とされています。

サンタクロース
 クリスマスと言えばサンタクロースということになりますが、これも
ゲルマン人の民間宗教の残したものであり、今日の姿は「商業主義のシンボル」ともなっているものです。
 ただしそのモデルは存在していて、四世紀頃の小アジア(現在のトルコ)の地中海沿いにある町の司教であった
「聖ニコラウス」がモデルであるとされます。聖とはセイントというわけで、彼は「セイント・ニコラウス」となります。これはなまって「セントコラース」「シンタクロース」などとなってしまいますから容易に「サンタクロース」となってしまいます。
 彼の伝承として伝えられる有名な話しは、ある落ちぶれた男に三人の娘が居たけれど、彼女たちが年頃になっても嫁に出すにもお金がないということで悲しんでいたという。それを哀れんだニコラウスがそっと金貨をその家に投げ込んであげたというもので、その時干してあった
「靴下」の中にその金貨が入ったとされます。ここからクリスマス・プレゼントは靴下の中にということになったとされます。ただしこれは「作り話」のようですが、確かにニコラウスが貧しい子ども達にプレゼントをしたということくらいは信じても良いです。
 上の説以外にも話しがあって、それは北欧のゲルマン人の民話にある
「贈り物をしてくれる妖精」というものが起源だとされます。北欧神話の妖精(「こびと」であることが多い)たちは気前良く贈り物を贈ってくれるのです。これがニコラウス伝説に重ねられたと言えるでしょう。
 北欧では冬至の祭りに互いに贈り物をしたり、また子どもたちに贈り物をする習慣がありましたが、祭りの時に贈り物をするのは万国共通の習慣とも言えます。ですからゲルマン人の冬至の祭りがクリスマスに融合していったとき、当然のようにその贈り物の習慣も継続され、さらに世界中へと広まったといえそうです。
 今日の真っ赤な防寒服のサンタクロースですが、これは「
コカコーラ社」が作り出したものとして有名です。それ以前のサンタクロースは年齢も姿もさまざまで、北欧神話にあるように「こびと」であったり、それも子どもであったり老人であったりさまざまでしたが、これ以降サンタクロースは真っ赤な防寒服に身を包んだ恰幅のいい髭のおじいさん、ということになってしまったのでした。

クリスマス・ケーキとブーツに入ったお菓子
 これは日本だけといっていい習慣で、「ケーキ屋とお菓子屋の陰謀」です。ちなみにバレンタイン・デーのチョコレートも日本だけのものです。どうしてこんなものが日本だけではやることになったのか、欧米人は皆首をひねっています。

公現祭ないし神現祭
 クリスマスは一日で終わりと思っている人が大半で、それは正確にはその通りなのですが、ヨーロッパなどに行くと一月になっても飾り付けがそのままになっていて、もうとっくに年も開けてお正月も終わりに近いのに、といぶかることがあります。しかし実は
「クリスマス期間は1月の6日まで」続いているのです。
 その1月6日は
「公現祭ないし神現祭」と呼ばれている祭儀です。公現祭という言葉は西方教会系の、神現祭は正教の呼び名です。この場合は少し意味も違っているのですが、内容的に「神としてのイエスの現れ」と理解しておけば両者ともに納得するでしょう。
 繰り返しますが、12月25日は「降誕祭としてのクリスマス」で、1月6日は「神としての現れの日、公現祭・神現祭」というわけで、本来
「異なった祭日」であり、この二つを結んだ期間が「クリスマス期間」だ、ということです。
 ただし、この1月6日というのは正教の信者にはものすごく紛らわしいことになります。というのも、12月25日が
「降誕祭」でイエスの誕生を祝うとして、1月6日は「神の子イエスの現れ」を祝うといっても、「似たような感じ」がして、しかも時期が正教でのユリウス暦における12月25日とダブっているからです(特に19世紀はそのまま1月6日で、20世紀は1月7日となる)。つまり、正教で「1月6日」というと、クリスマスのユリウス暦のことを言っているのか、神現祭の日取りを言っているのか混乱してしまうというわけでした。そういうわけで、最近では正教も12月25日を降誕祭として、混乱をなくそうとしているのかもしれません。
 他方、伝統教会の一部では、たとえばアルメニア教会などは、現在でもこの
1月6日をイエスの降誕祭としています。ですからここでは「神現祭」と「降誕祭」が同じ日というわけで、ですから世界中の「降誕祭」を確認しだすとすごく厄介ということになります。
 この公現祭は、ギリシャ語原語で
「エピファニア」といい、「現れ、顕現」という意味を持ちます。しかし、正教が「神現祭」というのは、この事態を「エピファニア」よりむしろ「テオファニア」と捕らえているからで、これは「神の顕現」となります。
 ようするに正教では、この1月6日はイエスが神としてのあり方(正確には神と子と聖神の三位一体)が現された
「イエスの洗礼の日」を記念する日として捕らえることとなります。他方「エピファニア」の祭儀を取り入れた西方教会は、イエスの神性が示されたのは「イエスの誕生に東方から三人の博士がやってきてイエスを礼拝した日」としたのです。こうして内容が少々ずれて、そのため呼び名も両者で異なってしまったというわけでした。
 何故「1月6日」が「神としての現れの日」とされたのかというと、一説では、この日はエジプト地方での冬至に当たる日で、伝統的に太陽神ラーを祝う祭りや農作物の繁栄をもたらすナイル河の祭りが執り行われていた日であるとされます。エジプトのアレクサンドリアは当時のローマ帝国の文化的中心の都市であり、使徒達の時代にすでに伝道が行われていた(伝承ではマルコ)地方です。初期キリスト教の時代からローマ帝国の時代の中心的なキリスト教の都市であり、ローマ帝国の五つの総主教区の一つとなっているような都市でした。ですからこの地方の風習が初期キリスト教に大きな影響を与えていても当然です。
 あるいは何もエジプトに限定しなくても、小アジアから中東にかけて、この時期というのは冬至として太陽を待ち望み、あるいは農作業や農耕にまつわる祭りが伝統的に行われていました。それらが起源になっているとも言えます。
 それが、100〜200年くらい経って、後にローマ教会を中心として12月25日にイエスの誕生を祝う祭りが定着し、東方にあった諸教会もそれを受け入れました。他方、ローマ教会も1月6日の「エピファニア(テオファニア)祭」をやっていましたから、こうしてすべての教会が12月25日と1月6日をともに祝うことになったわけです。ただ、その二つの記念日が似ていたために、いろいろと混乱が生じてきたのですが、いずれにしても
12月25日から1月6日まで大事なお祭りの期間ということでは変わらないのでした。
 ちなみに1月6日というと日本では「お正月」ですが、これは元来「年神」を祭る神道的行事ですので外国ではこんな騒ぎはありません。1月1日に「年が変わった」というだけのイベントがあるくらいのものです。
 つまり、キリスト教圏でのこの期間は
「降誕節」として大事にされているのです。「お正月」ではありませんから誤解しないように。ただし、この降誕節の終了日はカトリック圏では、1月6日が公現祭と固定していて、その後の最初の日曜日の翌日がクリスマス期間(降誕節)終了の日となります。ですから年によってクリスマス期間の終わりが1月の半ば頃になることもあり得るわけでした。しかし、アメリカなどでは公現祭を1月2日から8日までの間の日曜日としていて、ここでも降誕節の終わりもずれてくることになります。

アドベント
 さらに、クリスマスは12月25日から1月6日の「公現祭」までの期間だけではなく、前半もあるのです。その前半となるのが
西方教会の用語でAdvent(アドベント)と呼ばれます。これはラテン語のAdventus(到来、接近といったような意味)に由来した英語です。日本では「待降節(たいこうせつ)」とか「降臨節(こうりんせつ)」とか呼んでいます。日本のキリスト教はアメリカの影響下にあるため「アドベント」という言い方は一般にも知られるようになりましたが、伝統教会である正教ではこんな言い方はありません。
 つまりこれは西方教会が重要視しているもので、西方の教会暦(教会はキリストにまつわる祭礼・行事によって一年の暦を作っている)ではこの
アドベントに入った主日(日曜日)が「一年の始まり」とされるのです。そして週ごとに「第一、第二、第三」と主日(日曜)を数えていって、第四主日(日曜)がクリスマス直前の主日となるのです。つまり、12月25日が火曜日だとすると、その前の日曜は当然12月23日になります。この日がクリスマス直前の主日であり、第四主日です。その一週間前が第三主日で、第一主日は12月2日となり、この日が「一年のはじまり」となるということです。
 正教では
「復活大祭」および「聖神降臨祭」が教会暦の節目となり、待降節を基準にはしません。これについては次の章で説明します。

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