10.キリスト教の光と影 - 8. 中世カトリック世界の異端騒動 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

10.キリスト教の光と影
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INDEX
1. 初期キリスト教の異端
2. 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」
3. 偶像崇拝の禁止
4. 「イコン・聖画」の問題
5. キリスト教のシンボルと教会堂
6.「天使と悪魔」「天国と地獄」その他の用語
7. マリア崇拝とは
8. 中世カトリック世界の異端騒動
9. 修道院とは
10. キリスト教の軍隊、「十字軍」とは
11. 異端審問と魔女狩り

8.

中世カトリック世界の異端騒動


はじめに
 
キリスト教における「影の部分」の最たるものは、中世カトリック世界に起きた「異端騒動」が有名となります。これは社会的にも大きな騒動となり、結局バチカンによって撲滅されていくのですが、何故、そうしたものが生まれ、大騒動となったのか、その性格はどのようなものであったのか、をテーマとします。そこにおいて、中世カトリック・バチカンの性格というものも浮かび上がってきます。

カタリ派
 1000年代の半ばに「ローマ教会」が東方の伝統的教会から分派・独立して
「カトリック」を形成していきました。その後、カトリック教会は西欧社会に天上的にも地上的にも君臨していくことになります。
 しかしそのカトリック教会の封建制的な教会組織とカトリック至上主義的な教義、何より皇帝権力と争いその権力まで取り込んでいくその
「俗化」に疑問を感じる人々もたくさんいました。そうした人々はカトリックとは離反した教えと組織を持つようになります。
 それはやがて1500年代に
プロテスタント運動となって現れるのですが、それ以前から反カトリックの運動というのは大規模にあったのでした。それらは皇帝勢力と結んでいたカトリック教会に弾圧されて「異端」とされて闇に葬られることになります。

 そうした中世の「異端」とされるものの中で
「カタリ派」が有名です。これは、12世紀後半から13世紀にかけて南フランスから現在のスペインとの国境沿い地域、北部・中部イタリア、さらにライン河流域から現在のベルギー域を中心に全ヨーロッパ中に展開した、非常に大規模な集団でした。このうち特に勢力の強かった南フランスの一派を「アルビジョア派・略してアルビ派」と呼んでいます。
 「カタリ」というのはギリシャ語の
「カタルシス・浄化、ないしカタロイ・浄化された者」という言葉からきている名前で、その名前の様に非常に厳しい禁欲的な戒律をもっていました。これは、思想的には「マニ教」、ないし「グノーシス思想」の流れにあり、10世紀ブルガリア地方で生じたマニ教的性格を持つとされた「ボゴミール派」の影響を受け形成されたとされます。従ってこのカタリ派は、マニ教やグノーシスの主要教義に則って、世界を「善と悪」の抗争と捕らえて、悪とはユダヤ教の神つまり「旧約の神(この世界の創造神であるが、この神は絶対的最高神なのではなく、低次の劣った邪悪な神であり、だからこの地上には災厄と邪悪が充満しているとする)」として、人間は本来善神の下にあったいわば「天使」のような存在だったのだけれど悪神に捕らわれて牢獄としての「肉体」の中に封じ込まれてしまった存在とします。
 そして、そこからの脱却と救済を告げたのが
「イエス」であるけれど、このイエスは救世主キリストたる「神の子」ではなく、「御使いの神」であってこの世に「教師」として赴いてくれたのであり、その教えに従い禁欲と清貧とによって自己覚醒をしていき救済へと赴こうとしたものです。これはまさしくマニ・グノーシスという古代に「異端」とされた思想そのままと言え、確かに正統教会を任ずる教会にとっては問題であったでしょう。つまり、神学としては以上のように「マニ・グノーシス的」なので、古代においてそれらが「異端」とされていたことからいっても、この場面でも「異端」とされるのは「教会史的」には当然でした。
 しかし、生活態度・精神的態度として、彼らは非常に厳しい戒律をもち、低劣・悪徳の「肉体」に奉仕しないように肉食・性交・結婚・財産などを拒否し厳しい禁欲生活を送りました。当然「清貧」を尊び、「瞑想」の内に神との出会いを願うという原始キリスト教の精神が復活していることが注意されます。バチカンにはこの精神はありませんでした。
 しかし当然、当時の権威であったカトリック教会と思想的に衝突しているわけで、そのため徹底的にローマ教会に憎まれ弾圧されて、
「十字軍」まで結成されて武力によって「残酷に壊滅」させられてしまいました。そんな集団でしたが、その拡大の大きさの秘密がどこにあったのかは謎ですが、とにかくこれが大勢力になっていたということはローマ教会の主張するキリスト教正統教義の絶対性も怪しかったということを示しており、カタリ派など「異端」の興隆はいろいろと問題をなげかけています。

ヴァルド派
 「カタリ派」以外にも多くの「異端とされた集団」が生じており、その一つに
「ヴァルド派」があります。フランスのリヨンの商人であったヴァルドの始めたもので、1173年頃に彼は旅芸人が聖アレクシウス伝を語るのを聴いて感動して回心し、商品ばかりか自分の持ち物を一切売り払って貧者に施しをし、それからは清貧の修行者のような生活に入ったといいます。そして彼はフランス語訳の『聖書』を用いて人々に語るようになり、多くの聴聞・追従者がでるようになりました。
 ところが、彼は正式の聖職者の資格はもっていなかったわけで、1178年にリヨンの大司教がこれを問題視して
「説法を禁止」させる処置にでたのでした。しかし、彼の教えに反カトリック的なものや教会に対する反抗の気持ちもないことが理解できた教皇のアレクサンドル三世は、翌年に条件付きでの説法を許可してきました。そして再びヴァルドは説法をはじめたのですが、しかしリヨンの大司教はそれが面白くなくて迫害をはじめ、1181年には教皇を動かして再び活動を禁止させてしまいます。
 しかし追われた弟子たちは各地に散って活動し、彼らは
「リヨンの貧者たち」と呼ばれて民衆の支持を得ていきます。これがリヨンの教会だけではなくバチカン・カトリック教会にも面白くなく映ったようで、1184年の教会会議で「異端」とされて破門されてしまったのです。
 その後1212年には、先代教皇の後を継いだ教皇イノケンティウス三世の取りなしで一部はカトリック教会への復帰がみとめられましたが、一部はこれまでの活動を継続し、現在でもイタリアなどに存続しています。
 これは教義の上でかつてのマニ教とかグノーシスとかの異端とされた思想を持っているわけでもなく、そのほかカトリックの教えに反する思想を持っていたわけでもなく、ただ
「清貧にあって」「神のみを想う」だけの集団で、したがって教義的に「異端」とは言えません。ですから、ヴァルドの当時の教皇もその説法を条件付きながら許可してきたのですが、問題は「正統教会の枠の外での活動」であったという点で、地元のリヨンの大司教はそれだけの理由でヴァルド派を迫害しバチカンによる破門にまで持ち込んでいったわけでした。この事件は、イエスの教えや使徒達の共同体のあり方、初期の教父たちの教えなど全く顧みず、ただ「自分の組織・権力」だけにこだわる中世カトリックの体質をよく示した事件といえます。

ベギン派
 上記の二つに少し遅れ、13世紀から14世紀にかけてヨーロッパ中に流布したもので、やはり
「清貧な生活」にこだわった生活を送ることを主体にしたものでした。生活は労働と托鉢により、快楽からは遠く、徳的な生活を旨としました。目指すところは「神と魂を一致」させることであり、そうした局地に至った人にはもはや教会生活だの儀礼だのは必要なく、「自由な霊」となった者は永遠であり、罪も知らず、何物も必要とはなくなり、神すら必要ではなく、至福の境地の中に遊んでいるといったような内容をもっていました。
 これは
「教会」というものを否定しているととられて、正統教会のバチカンに憎まれて「異端」とされて弾圧されてしまいました。

 以上に見られるように、この異端騒動というのは東方の伝統的教会世界にはほとんど存在せず、
「西欧のカトリック世界に特徴的」で、良く知られているものとしては今紹介した「ヴァルド派」「ベギン派」の他にも「フリー・スピリット派」「鞭打ち教団」「ヨアキムの終末論」などたくさんの異端が生じているのでした。そのためカトリック教会は「異端審問」の機関を作っていくことになるのでした。
 その異端の、カトリック社会での蔓延の理由として考えられるのは、本来のキリスト教は「イエスの権威」による救済というものであった筈のものがカトリックにおいては
「バチカン教会権威による救済」となってしまっていたということ、本来のイエスの教えは「魂の救済」にあって世俗的物質的救済にあったわけではないのに、カトリック教会の権威は世俗社会支配ともなっていて「世俗権威」と変わらず巨万の富を地上に積んで「贅沢と驕奢」に流れ、「魂の救済」という側面などどこにもなくなっていたこと、などに欺瞞を見る人々が多かったということでしょう。
 ですから反カトリックの「異端」とされた集団はどれもこれも
「清貧と禁欲と瞑想」という原始キリスト教にあった精神を特に強調していたのでした。そしてその根拠としてバチカンの教えよりも『聖書』そのものに描かれているイエスや使徒達の姿を重んじたのです。
 つまり、客観的には「異端」とされた方が初期のキリスト教の精神に則っており、バチカンの方こそイエスの精神や使徒達の共同体のありかたから果てしなく遠く離れていた
「真の異端」と言えるのでした(もちろん、この反省は現代のカトリックの一部には存在し、イエスの精神・使徒達の精神への復帰運動は続けられています。以上の指摘は「中世のバチカンの性格」ということです。念のため)。

秘密結社と「フリーメーソン」「薔薇十字団」
 以上のような教派的異端の他に中世西欧社会の特質として
「秘密結社」というものがあります。これはカトリック教会からひどく嫌われたという点で「異端」と通ずるところがありますが、定義的にはある理念や規律によって結ばれた共同体ではあるけれど、その組織の目的、会員、組織のあり方、規律などを一般社会や国家、教会などに「秘密にしている団体」、ということができます。その団体はひどく「儀式的」で、入団に際しての儀式から始めて節目節目での儀礼を持っていたといわれます。これがまた文学的・芸術的想像力を駆り立ててさまざまの伝承がさまざまの芸術ジャンルで作られていきました。有名なところではモーツゥアルトの「魔笛」とかゲーテの『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』などがあります。
 「秘密」結社なのですからその数や実態などが良く分からないのは当たり前ですが、とにかく会員相互の非常に強い結びつきがあるとされ、同時に当たり前の話しですが強い閉鎖性を持ったものとされています。従って、外部からはどんな思想を持っているか分からないわけで、場合によっては
「陰謀団」と見られても仕方がないところがありました。
 こういう秘密性をカトリックは嫌ったわけで、とりわけ
「異端思想」の伝播の媒体になっていると疑われたことから(どうも実際そうであった節もある)、カトリック教会はこれを警戒し、後には教会法に秘密結社への加入を禁ずる条項まで作っていきました(1374条)。
 その秘密結社の中で有名なのが
「フリーメーソン」で、秘密結社のくせにその内容が知られている団体です。もっとも、知られているのは初期のフリーメーソンではなく18世紀以降の近代のフリーメーソンなのですが、その発祥は「フリーメーソン(自由な石工)」という名前が示しているように、「石工職人(という言い方より、建築家と呼んだ方が実態にあっていると思われる)」の団体であったと考えられ、中世初期からのものと考えられます。彼らはヨーロッパ各国を「自由に」行き来して教会堂や宮殿などを建設していたわけで、そのために「職人組合」としての規律の確保や連絡・交流・救護所などの目的で各所に「ロッジ」と呼ばれる場所を作っていました。
 こうした、もともとある共通の規律や伝統・慣習を持っていた彼らは共通の儀礼や儀式を持ち、共通の道徳性を要求されていたわけで、当然閉鎖性を持ったものであったと言えます。ここでは彼らだけの常識に基づいた話し、あるいは彼らだけが知り得た特殊なニュースや話題が自由に交わされた反面、彼らはそれが外に漏れてトラブルになるのを嫌ったと思われます。こうしてこの団体は
「秘密結社」といった性格を持つようになったと考えられます。

 それが、時代が下がって18世紀頃になると様相が大分変わり、イギリスを中心に新たな展開を見せて石工の団体ではなくなって、この団体に忠誠を誓う者なら誰でも入れるような組織に変わっていきます。これが
「近代フリーメーソン」の発祥と言われているもので、ここには貴族や役人までが加入しており、あるいは思想家たちも加わっていました。ただしオープンというわけではなく、入団は推薦その他の資格が問われ、儀礼を経て入団が許され、秘密の合図でしかロッジに出入りすることはできませんでした。
 そして1700年代の初頭には総会が開かれ、貴族社会的な組織構造が作られていきました。表向きには「神への信仰と博愛思想による相互慈善活動」が掲げられましたが、実態はかなり
「自由思想」的なところがあったと見られ、そのために教皇による結社の禁止命令が為されていったと思われます(1738年)。この自由思想には神秘思想や無神論まであったと考えられプロテスタントからも強い忌避感情を持たれました。
 しかし、ここには思想家や芸術家や政治家などが会員として多くいたということから、その「自由」な思想が、近代思想や社会の形成に大きな影響を与えたとされ、
「アメリカの独立とその立国の思想」などにも多大の影響を与えたとも評されています。ただしもちろん「結社」として党派的に活動したというわけではなく、ここに所属していた思想家や芸術家の活動が目立っているということです。
 もう一つの特徴が、このころから財産を蓄えて社会的地位を獲得した
「ユダヤ人」が大量に加入してきたということで、そのためロッジの建設や祭壇などにユダヤ教のダビデやソロモン以来のユダヤ人の色彩が濃厚に取り入れられていきました。そのため、ここにはユダヤ系の資本家や文化人・芸術家・思想家が目立つようになり、ユダヤ教の選民思想による世界制覇の陰謀団体などと陰口をたたかれるようにまでなります。
 さらに時代が下がると
「全くオープン」になってしまい、今では「日本人の会員」まで存在するようになっています。ようするに、上流階級の一つの「サロン」のようになってしまったわけです。ですから本来「秘密結社」であったものが、オープンな「サロン」となってしまったわけですから、その実態が知られるようになったのも当たり前でした。しかしもはや「かつてのフリーメーソン」などとうの昔に消滅している、と言った方がいいでしょう。

 もう一つ
「薔薇十字団」というものが秘密結社の中で知られていますが、これは1600年の始め頃、突然ドイツからヨーロッパ全体に表に出てきた団体で、実在した団体なのか架空の団体なのかもはっきりしません。「秘密結社」なのですから当然です。
 ただ、
『化学の結婚』という著作を含む三つの著作がこの団体の名で出版されて多くの知識人の興味と関心を引いていきます。著作名からも分かるように「錬金術」や、あるいは「カバラー」とよばれるユダヤ教神秘思想を内容としていて、「知の拡大」「自然と社会の再生」といった思想は後の近代思想に影響を与えることになって知られているわけです。これは後にフリーメーソンに受け継がれたとされます。一方、18世紀以降、この「薔薇十字」を名乗る結社が多く出現し、「オカルティズム」への発展や、文学や芸術の「象徴主義」への発展をみせていったとされます。
 まとめてみると、「秘密結社」というのは社会から閉鎖的であったために、むしろ内部的には社会的権威からは「自由」という側面を持ち、そこに
「自由思想」というものが育まれる素地があったということが近代思想を生む力の一端になっていたと言えるわけです。

「イルミナティー」
 今日でも何かというと引き合いにだされてくる「異端集団」で悪意的に引き合いにだされてくる時には、この集団は
「破壊集団、陰謀集団、悪魔崇拝集団」などの代表的名称として使われています。しかし、実はこのイルミナティーという集団については殆ど内実が分かっては居ないのです。
 この集団は上記の
「秘密結社フリーメーソン」と関わっている、ないし内部に入り込んでいる、あるいは乗っ取っているなどとも言われ、世界支配をたくらんでいるなどと言われることもあるのですが、これも全然根も派もない妄言と言うべきでしょう。というか、要するに「確かなことは何もよく分かってはいない」というのが一番確かな答えだといえます。
 イルミナティーが関わっているとされる「フリーメーソン」は今日にも存続していますが、その内実は過去のものとは全くといっても良いほど異なっており、第一「本来、石工だけの秘密結社」であった筈のものが、今日ではあらゆる階層の人々に開かれ、秘密でも何でもなくなっているのですから、これを乗っ取っているとされるイルミナティーにしても
「秘密結社」としてとやかく言うこと自体ナンセンスと言えます。
 
「イルミナティー」のもともとですが、1776年ドイツの哲学者「ワイスハウプト」によって提唱された「啓蒙主義的、原始共産主義的、反カトリック的思想集団」として知られるものです。ちなみに「イルミナティー」というのはラテン語の「イルミノー(照らす、明るくする、飾る)」という動詞から派生している言葉で「照らし出されたもの」という意味になり、思想的言葉で訳すると「啓蒙、啓発された」となります。ちなみに、この言葉の派生語として今日「イルミネーション」という言葉があるので分かりやすいかもしれません。
 ところで、
「啓蒙主義」というのは、人間理性によって物事を理解していくべきとする近代哲学の態度を言いますので、ここには中世的な迷信や教会権威の押し付けの考え方を拒否する態度があります。従って、当時の知識人の共感を呼んだということは容易に推察できますが、「科学主義」ということはなかったようですし、科学者が組織の中核にいたということもなかったようです。
 また、この集団が提唱していたとされる
原始共産主義というのは、実は「使徒たちの時代のキリスト教」のあり方を意味します。ですから、ある意味で「本来への復帰運動」なのですが、そういうことになると、そこから遠く離れて権威主義と君主支配の封建体制の申し子のようになっているカトリック体制を批判することになるのは当然でした。
 そうだとしたなら「カトリック・バチカン」に憎まれるのはこれまた当然で、そうして1784年バチカンは
「秘密結社禁止令」を発布して秘密結社の取り締まりに入り、こうしてイルミナティーは消えていったとされます。

 ただし、後代になって再びこの「イルミナティー」を名乗る結社が形成されていくこともあったようで、その場合当然のように
「反カトリック的、反封建社会的結社」となっていたようでした。こうしたことが、イルミナティーにせよフリーメーソンにせよ、カトリック的・保守的・右翼的な人々によって「陰謀集団」とされていった経緯も良く分かります。


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