10.キリスト教の光と影 - 7. マリア崇拝とは | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

10.キリスト教の光と影
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INDEX
1. 初期キリスト教の異端
2. 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」
3. 偶像崇拝の禁止
4. 「イコン・聖画」の問題
5. キリスト教のシンボルと教会堂
6.「天使と悪魔」「天国と地獄」その他の用語
7. マリア崇拝とは
8. 中世カトリック世界の異端騒動
9. 修道院とは
10. キリスト教の軍隊、「十字軍」とは
11. 異端審問と魔女狩り

7.

マリア崇拝とは


はじめに
 
キリスト教というのは本来「救世主イエス」の信仰をいう筈です。ところが、西欧カトリック世界に行ってみますと、イエスよりむしろその母「聖母マリア」に対する強い信仰にぶつかってびっくりしてしまいます。教会にいっても「マリア様の肖像ばっかり」で「イエス様」の肖像をさがすのに苦労してしまうほどです。
しかし、『聖書』的には「マリア」は全く「礼拝の対象」となるような存在として描かれてはおらず、むしろ「ただの母親」といった程度の描きしかありません。それなのにどうしててこんな
「マリア信仰」がうまれ、しかもそれがキリスト教の主体にまでなってしまったのでしょうか。

「マリア信仰」の状況
 有名なフランス・パリの
「ノートルダム寺院」も、文字通りには「私たちの貴婦人、王女、姫、」といった意味ですが、要するに「聖母マリア」を意味しています。そしてこの名前をもった教会堂はカトリック世界には数知れずあります。マリアの名前を冠していない教会にしても、マリアの聖画を掲げ、マリアを崇拝対象としている教会の方が普通と言えるくらいです。カトリック信者が日常的に唱える「ロザリオの祈り」もマリア追憶のようなものですし、歌としても「アヴェ・マリア」を知らない人などいないと言えます。
 伝統教会の「正教」にも「マリア崇拝」は強くありますけれど、カトリックほど入れ込んでいるわけではありません。
 そんなわけで、世界には、とりわけカトリック圏には、
「マリアの奇跡」「マリアの出現伝説」が山ほどあって、その中でも有名なのがフランスの「ルルド」と言えます。この村の洞窟で14歳の少女にマリアが現れたとする伝承は、1858年2月11日とされますが、それから7月までに18回も現れたとされ、マリアが示した泉の水を飲むと病気がたちまち治るとされて現在でも年間2〜300万人もの人々が押しかける一大観光地(キリスト教徒は巡礼地という)になってしまったと言われます。またポルトガルの「ファティマ」も1917年にマリアが出現したとされて現在有名観光地となっています。
 実際、中世カトリックは「キリスト教」というより
「マリア教」といった色彩を帯びていたために、プロテスタント運動においてこの点も強い批判の対象となって、従って現在のプロテスタント各派には「マリア崇拝」はありません。つまり、『聖書』に根拠を求めることが全然できないからでした。
 現在のカトリックも、正当なこの批判を受けてマリア信仰を廃棄して「イエス信仰」にもどったのかというと、全然そうはなりませんでした。今でもカトリック世界ではマリア信仰の方が強いです。ただ中世ほどには極端にしないように努力しているといったところです。
 何故こんなにも西欧カトリックは「マリア信仰」にこだわるのか、それは西欧人の心性に迫る作業となって、宗教的、民族的、心理的、歴史的などの視点からの接近が必要になりますし、またこれは正確な答えなど与えられないでしょうが、キリスト教ないし西欧を考える時避けて通れない問題なので、その理由に迫ってみたいと思います。

『聖書』におけるマリア像
 もし現行の『聖書』にマリア信仰の明確な根拠があるとしたならいいわけですが、どう探しても「ない」というのが答えとなります。
結論的に言うならば、イエスの母のマリアは、「イエス」を生んだということで、天使ガブリエルから
「恵まれた人」と言われただけで、それ以外にはそこいらの「普通の母親」と全く変わらない描写しかありません。
 さて、「イエスの母マリヤ」について現行の『聖書』は
「ヨセフとの婚約」以前のことについては何も語ってはいません。現行聖書の福音書はヨセフとの婚約やイエスの処女懐胎という話しから始まっていますが、それもルカ福音書とマタイ福音書の二つだけです。以下次のようになります。

「マリアはヨセフと婚約し(ルカ)」、
「結婚前に、神の祝福によって、聖霊によって身ごもり(マタイ)」
「婚約者ヨセフの理解があり」
「ベツレヘムに行って馬小屋で子どもイエスを生み(ルカ)」
「ヘロデ王の迫害を怖れてエジプトに逃げ(マタイ)」
「ヘロデの死後ナザレに帰り(マタイ)」
「イエスを育てるマリアはイエスの神秘を感じ取る(ルカ)」
「イエスが狂っているとの報にやってくるけれど、イエスに拒否される(マルコ)」となっています。
 その後はヨハネ福音書の「カナの婚礼」の場面に登場しますが、このヨハネ福音書は理解が少々難しいです。ここではどういうわけか「マリア」という名前を出さず、二度くらい「イエスの母」という言い方で言及してくるだけです。このカナの婚礼の場面というのは、婚礼でブドウ酒がなくなってしまい、イエスが水をブドウ酒に変えたという有名な奇跡の場面ですけれど、ここでイエスは「ブドウ酒がなくなった」と言ってきた母に対して「婦人よ、あなたと私がどんな関わりがあるのか」という非常に冷たい言い方をしています。にもかかわらず、母は召使いに対して「この人が言いつけることは何でもするように」と命じています。それを受けてイエスは、召使いに瓶に水を入れさせてそれをブドウ酒に変える、となります。
 ここでのイエスの母に対する
「冷たさ」はどういうことなのでしょうか。一般には、「イエスの主導性、権威的あり方」を象徴するとされ、「(母であっても)権威ある自分と関わりのある存在ではない」と明言し、自分は「主導的・権威的なるものとして行動する」と語っている、と理解しているようです。しかし、後世に神学的に跡づけた理屈としてはこれでいいとしても、素直に読んでいる一般の人々にとっては全然釈然とはしません。良く分からないです。
 ヨハネ福音書はさらに、イエスの十字架刑の時にこの
「母」も傍らに居て(他の福音書では居ないことになっている)、イエスの最愛の弟子ヨハネにその後のことが託される、となっています。
 その後のこととして「使徒行伝(1.14)」が、たった一言で伝えるところでは、彼女もイエスの兄弟達も共同体の一員になったらしいことが示唆されているだけで、母マリアがこの共同体にあって尊敬されただの、ましてや崇拝されただの、全く一言もありません。

 しかしこれではキリスト教的には困るわけというわけで、聖書学者はすでにこれらの記述に聖母マリアへの特別な崇拝が伺われるなどとしていることもありますが、そう言わないとまずいからなのでしょうけれど、これは学問的には全くこじつけにもならない無理な主張であることは一目瞭然です。
 すなわち、以上までが現行の聖書の伝えるところだとすると、ここにはその後のカトリック教会が主張している「
マリアの永遠の処女性(つまり、ヨセフとも結婚もせず子どもも産まなかったとするわけです。したがって、聖書での「イエスの兄弟」の存在の記述は都合が悪いので、彼らは「いとこ」とされてしまいます)」はもとより、「マリアの被昇天(マリアが神の国へと、イエスないし天使によってあげられていくという主張で、これは、人類は最期の審判まで待たなくてはならないのに対して、マリアだけは例外的だという主張)」。あるいは、「マリアの無原罪・無謬性の主張(人類は人類の祖であるアダムとイヴの神の離反という罪を本性として持っているとするのが原罪論であるが、マリアはその原罪を免れているとする主張。しかしこれは結果として、マリアは「神そのもの」という主張に他ならなくなってしまう)」だの、彼女の神性を語る主張は何も根拠のない話しになるわけです。

神学的理由
 以上のような状況であるにもかかわらず、後のキリスト教はイエスの母マリアを「神性を帯びた存在」であると見なすわけですが、その理由は何処にあったのでしょうか。分かり易く筋を追ってみましょう。すると、これはイエスが「救世主キリスト」であることの主張の延長線上に出てくる主張と言えます。すなわちごく簡単に筋道を示してみましょう。

1. イエスは救世主キリスト=神の子
2. その神の子を宿すものは「神的な存在」である筈。
3. その「神の子を宿したのはマリア(ルカ福音書1.43では「我が主の母」と呼ばれている)」、
4. 従って「マリアは神的な存在」とならなければならない、となるわけです。

 こういう論理ではないとすると、論を逆行させると「イエスの神性・キリスト性」そのものが危うくなってしまうと考えられたのでしょう。ですからマリアは「神の子の母」と強く主張されなければならないとなったのだと推測されます。
 この理念がマリアを
「テオトコス」と呼ぶことに執着を持たせることになります。「テオトコス」というのは文字通りには「神を生んだもの(そのため正教では「生神女」と訳している)」となります。
 しかし後にイエスの人性・神性を巡っての論争で、イエスは「人」として地上にきた「神の子」なのだから、その「人性」を無視した「テオトコス」という言い方はまずいのではないか(だから「キリストの母」とすべきと主張)と論争が起きたのですが、結局「テオトコス」派に負けて異端とされて迫害される始末となりました。こうして
「マリアの女神的あり方」はどんどん突き進められていったのです。
 マリアの神的な存在の保証は、『聖書』の記述では「処女懐胎」しかありません。これ以外に全くありません。ただし、もちろん『聖書』の記述はマリアが神的であるとは一言も保証してはおらず、ただ「恵まれた女」とだけですが、これだけしかイエスの誕生の神性を保証する記述がないとすると、これは「シンボル」に過ぎないなどとすましているわけにもいかず、ここに
「イエスの神性とマリヤの特別存在性」を見るしかないわけです。
 従って彼女は
「永遠の処女」でなければならないことになります。何故なら、イエスの時だけの「一時的な処女懐胎」ではマリアの「神性」はほとんどなくなって、イエスの懐妊は偶然的な出来事になりかねません。こうして「永遠の処女」説が必要となりました。
 この処女性は、他方で「修道」で求められる「純潔(肉体的快楽を罪とし、性的交わりを拒絶する修徳の生活)」と関連して、マリアは「永遠の処女性のシンボル」とされていったと考えられます。
 こういうことになってしまうと、もう『聖書』の記述などどうでもいいわけで、
「マリアの被昇天」と行き、ついにはカトリック世界では「マリアの無原罪」へと論は進んでいったのでした。

 伝統教会の正教では
「マリアの特別性」「マリアの被昇天」までは認めますが、「マリアの無原罪」は認めません。ここまで行ってしまうと、マリアとイエスの区別もなくなって「両方とも神」というのと等しいことになってしまうからです。
 伝統教会の正教では当然
「イエスの無原罪」のみを主張するだけですが、それは「イエスだけは神の子」だからで、それ以外の存在は矢張り「人間」なのです。従って、たとえマリアといえども地上的存在で、確かにイエスとの関わりで神の子に近い存在とはなったけれど、「イエスに並ぶ存在ではない」のです。
 そうではあるのですが、何といっても
「イエスを宿した」という点で特別視されることになり、キリスト教世界がイコンとしてその世界を表現するようになった初期から「イエスの母マリア」の図柄が描かれていました。
 その「生神女マリア」の図柄として良く知られているのに
「ホディギトリア(道を示す)のマリア」があります。これは、マリアが左手に幼子イエスを抱いて、右手でイエスを指し示している(この子がキリスト、と指し示している)図柄で、イエスは右手で祝福の手(手の平をかざすポーズ)をとり、左手に巻物を持っています。マリアは頭をすっぽり覆う衣(マフォリオン)をかぶり、基本的に頭と両肩のところに「星」が輝いています。これは過去・現在・未来にわたって「聖処女」であることのシンボルとされます。
 もう一つ良く見るのが一般に
「エレウサ(慈しみ・慈愛)のマリア」と呼ばれている図柄で、これはマリアがイエスに「ほおずり」している絵柄となります。「憐れみのマリア」とも呼ばれますが、これはマリアがイエスの受難を予見して我が子を悼んでいる図と理解する場合です。
 さらに「両手を上に上げている」マリアがありますが、これは
「印の生神女マリア」といいます。名前の由来は、イザヤ書に「主は自ら一つの印をあなた方に与える。見よ、乙女が身ごもって男の子を産む」という言葉からです。一般に「オランテ(祈り)型」と言われますが、それはこのマリアの姿が祈りの姿勢をとっているところからです。ここでのイエスはマリアの胸の前に正面を向いて描かれています。
 もう一つが
「イスに座しているマリア」で、イエスを抱いていますが、この座像はイエスの座としての教会を表すとされます。マリアは教会のシンボルとされるわけです。

マリア信仰の民族的・心理的理由
 現行の『聖書』にはイエスの母マリアを特別な存在とする何らの根拠も見いだせないということを見ておいたわけですが、それにもかかわらずマリアを特別視していったのには神学的な理由のほかにも何か理由がありそうです。
 何故なら、神学的な説明というのは理論上の「論理」に過ぎないからで、一般民衆はあずかり知らない「学者の机上の論」のような議論とも言えます。ですから、そんなものがどうして一般民衆のものになったのか、しかも「マリア教」とでも呼んだ方がいいような事態にまでなっていたのか説明できません。
 従って「マリア信仰」の一般社会での蔓延については、とりあえず「神学」は後回しにして、キリスト教が広まった当時のローマ帝国の人々と文化の特質を見てみるのが良いような気がします。
それはすなわち
「大地母神としての女神信仰の生きていた地であり人々」をみるということです。たとえば当時の文化の中心はエジプトのアレクサンドリアにありました。ユダヤ教も初期のキリスト教もここが神学の一つの中心地となっていたほどです。
 ところがこの地はエジプトの伝統的な信仰
「イシス信仰」の地でした。この信仰はヘレニズム時代からギリシャに受容されてギリシャ文化の地に根付いていました。こうした、一般民衆の持っていたイシス信仰が、キリスト教の伝来、やがて国教とされてその「イシス信仰」を捨てなければならなくなった時に「ただ消されていった」とはとうてい思えません。この「イシス信仰」は「母性信仰」「再生信仰」と言えます。我が子ホルス(王権のシンボル)を抱いているイシスは母なるもののシンボルであり、また彼女は死後の再生の神オシリスの妻であり、それ以上にオシリスを生き返らせたのも彼女でした。こうしてイシスは「再生」への導きの女神ともなっています。
 キリスト教の場合も死後の再生がイエスの救世主としての最大の働きです。ある意味でオシリスの役割をしています(イシス信仰の民衆が見た時には、という意味です)。そしてイシスは王権のシンボル「ホルス」を抱いている母なるものでした。人々はこの「母なるもの」「再生への導き」をキリスト教に求めた時、そこに「イエスの母マリア」を見ても不思議とはおもえません。つまり、「イエスを抱くマリア」に
「ホルスを抱くイシス」を見たとも言えるのではないかと思えます。「母性信仰」は母から生まれるものとしての人類に消すことのできない性格であると言えます。こうしてマリアにイシスの性格が託されていったと考えるならば、民族的、心理的には説明が付くと思います。

 似たような「女神信仰」はキリスト教の広まっていった地域である
ギリシャ・ローマ世界にも存在しており、確かに彼らは「ゼウス・ジュピター」という男神を主神にはしていましたが、日常的には「かまどの女神、ヘスティア・ヴェスタ」を中心に生活の祭儀を行っていたのであるし、「女神アテネ・ミネルヴァ」を守護神として都市を守り、「女神ヘラ、ユーノ」に母性を見て民族の繁栄を祈っていたのでした。
 こうした「女神信仰」を捨てられない一般民衆は、キリスト教の伝来の時にそこに「マリア」を見て、マリアにそうした
「自分たちを抱き癒してくれる母性」を見たとしてもこれまた不思議ではありません。
 むしろそうした「母性の神」を全て捨て去って「唯一なる男神たる父」をいうキリスト教に帰依したとは信じられないと言えます。こうした民族というか人類の母性への心と、民族の持っていた民間信仰の女神のあり方とが「マリア信仰」に反映していると考えるのもあながち無理ではないような気がします。
 そしてこれは後の西欧世界のゲルマン人にも言えることではないかと考えられます。彼らは祭儀においても「クリスマス」に代表されるように「民族の民間信仰」を強く残した民族です。彼らの民間信仰である北欧神話でも主神は「ヴォーダン(オーディン)」「トール」であったりしますが、金曜日に名前を残す
「フレイないしフレイア」という二人の女神はゲルマン人にとっての「母なるもの」の象徴であったと言えます。ですから彼らはその曜日の名前に女神の名前を残してきたと考えられます。人間の母なるものを慕う心性は消せるものではありません。彼らもその母性を「マリア」に託して、マリア崇拝を強くしていったと考えられます。

参考
イエスの母マリアについては以上ですが、「マリア」という名前は『聖書』にたくさんでてきてややこしいです。そこで「聖母マリア」以外の「聖書に出てくる他のマリヤ」を紹介しておきます。

マグダラのマリア
 聖書の中のマリアとしては、イエスの母マリアよりも数段強い印象を与える女性となります。ですから、彼女についてはごく初期から問題になっていて、イエスにまつわる話しには絶対に欠かせない特別な女性となってきます。マグダラ出身で、イエスによって
「七つの悪霊」を追い出してもらって以降、生涯イエスに付き従った女性となります(ルカ8.2)。十字架のイエスを見守り、その墓に詣で、復活のイエスが初めて姿を示した女性として注目すべき存在となります(各福音書)。そのためか、彼女は原始キリスト教の時代にあって「最高の弟子」「イエスの真実の教えを教えられた弟子」としての伝承がうまれ、外典『マグダラのマリヤの福音書』まで書かれていました。
 もちろん、ここでのマリア像を正統教会は認めませんが、しかしこのマリヤがとりわけ印象的な女性であることは否めず、中世カトリックはこのマグダラのマリヤをルカ福音書7節以下にある「遊女」と合体させてしまい
「改悛した遊女・マグダラのマリヤ」像を作り上げて「改悛のシンボル」に仕立てあげていきます。こうして美術表現の一つの題材となって幾多の絵が描かれるようになりました。
 他方で、彼女はその後フランス・マルセイユ(古代ギリシャ都市でありローマ期にも栄えていた都市)に流れ30年そこにあって没したという伝承も生まれ、さらに、彼女は単なる弟子ではなく
「イエスの愛した女性」として「子ども」までもうけていたとの伝承もあり、それは現代に至っても『ダヴィンチ・コード』などさまざまのキリスト教異聞を生みだしている程です。さらに、これは単なる異聞にとどまらず、神学の上でも「イエスとの関わりで自己実現を果たしていった女性」というような評価を受けて論じられている程です。

マルタの姉妹マリア
 一般に
「マルタとマリア」という物語りとして知られているマリアです。ルカ福音書の場面が有名ですが、そこではイエスが家に来られたということで、マルタは一所懸命にイエスをもてなそうとして忙しく働いていたのに、マリアはイエスの前に座って話しを聞いてばかりで全然働こうとしなかった。それに対してマルタがイエスに、マリアにも働くように忠告して欲しいと言ったところ、イエスはマルタを諭して、お前は多くのことに心を配って思い煩っている、しかし無くてはならないものが一つだけある、それをマリアは選んだのだ、それを取り去ってはならない、と言ったというものです(ルカ福音書、10.39)。ただし、イエスはマルタをとがめているわけではなさそうで、したがってこの箇所は後に多くの神学的解釈が施されていきました。
 さらにこの姉妹はヨハネ福音書での
「ラザロの物語」に登場する「マルタとマリア」と同一と考えられ、そこでは兄弟ラザロの死に悲しむ姉妹にラザロの蘇りをつげるイエスが描かれています。この場面での姉妹はイエスへの信仰がしっかりした女性として描かれています。
 また、続けてヨハネ福音書はこのマリアがイエスに
「香油を振りかけ自分の髪の毛でぬぐい」、それをとがめる弟子ユダに対してマリアをかばうイエスを描いています(この情景はマルコ福音書にもある)。

クロパの妻マリア、ないしヤコブとヨセフの母マリア
 「クロパの母マリア」とは、ヨハネ福音書の十字架刑の場面で「その傍らにイエスの母と、その姉妹と、クロパの妻マリアとマグダラのマリアがたたずんでいた」という叙述によります。
 他方、マルコ福音書では、「遠くから見ていた女性、その中にマグダラのマリア、小ヤコブとヨセとの母マリア、また、サロメ」とあり、埋葬の場面では「マグダラのマリアとヨセの母マリアとはイエスが納められた場所を見届けた」とあって、香油の場面では「マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメ」とあります。
 復活のイエスが姿を見せた最初は「先ずマグダラのマリアにご自身を表した」とあって他のマリアは言及されません。
 マタイ福音書では同じ場面の描きで、「遠くから見ていた女性、その中にマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベタイの子たち」とあり、墓の場面では「マグダラのマリアと他のマリアとが墓に向かって」とあります。墓参の場面も「マグダラのマリアと他のマリア」となっています。
 ルカ福音書では、十字架にかかわった一連の出来事に「女達が見ていた、付いてきた、見届けた等と記述してきて、「この女たちというのはマグダラのマリア、ヨアンナ、およびヤコブの母マリア」としています。
 こうしてみますと、
「マグダラのマリア」一人がすべての福音書において言及されている女性であり、他はテンデンバラバラとなっています。「母マリア」ですらヨハネ福音書だけにしか登場していません。これは何を意味しているのか良くわかりません。とにかく、印象として「マグダラのマリア」だけが突出して特別であり、本来なら期待されて良いと思われる「母マリア」は殆ど無視に近い、ということしか見えてこないわけです。

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