10.キリスト教の光と影 - 4. イコンと聖画 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

10.キリスト教の光と影
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INDEX
1. 初期キリスト教の異端
2. 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」
3. 偶像崇拝の禁止
4. 「イコン・聖画」の問題
5. キリスト教のシンボルと教会堂
6.「天使と悪魔」「天国と地獄」その他の用語
7. マリア崇拝とは
8. 中世カトリック世界の異端騒動
9. 修道院とは
10. キリスト教の軍隊、「十字軍」とは
11. 異端審問と魔女狩り

4.

イコンと聖画


はじめに
 
キリスト教の「聖画」には二つの種類があり、伝統的なものは「正教の世界」にある「イコン」となり、もう一つは近代西欧の「美術としての聖画」となります。「偶像崇拝の禁止」を引き継いでいる筈のキリスト教はこれをどのように位置づけているのでしょうか。
 歴史的推移の大筋ですが、キリスト教の初期の時代から、「十字架や魚、シュロや鳩」などイエス・キリストをシンボライズする絵画表現が描かれていました。この段階では「似姿」ではないと理解されていたと思われます。
 それが、キリスト教の拡大に伴って、信徒のための思想教育、あるいは礼拝・儀礼の意味を分かりやすく理解させるためなのか、イエスの事績などが描かれていったようでした。
 こうして次の段階で、その「絵的表現」は独立的な意味をもつようになり、人類の初期からあった「像崇拝」と結びついて
「礼拝対象」になっていったと考えられます。この段階ではすでに「神を似姿として描く」と言われても反論できません。しかし、経緯を見るとそうなっていった理由が理解できます。この「似姿」のことを「イコン」といい伝統的キリスト教である「正教」においてとりわけ重要な意味をもつことになりました。

「イコン」
 「正教」の外見的特徴はいろいろありますが、まずもっとも特徴的なものとして教会内部の
「モザイク壁画、聖画(イコン)」があります。「イコン」とはギリシャ語であり、「像・姿・絵」という意味で英語では「アイコン」となります。「イコン」は「像・絵」なのですからそのように呼べば良さそうなものですが、実はこれは「西欧的絵画」とは異質のものなので、わざわざ「イコン」と呼ばれるのでした。
 教会に一歩入るとそうしたイコンに出迎えられるのですが、これは結論的に言うと
「神の国の映し、窓」であって、「個人的な美術表現」ではありません。その「イコン」には「キリストや生神女(聖母)マリア、12使徒や天使、聖人など」が描かれ、祈りの対象とされています。「キリストの絵」といってもここには西欧美術のような「作者の理解するキリスト」が描かれるのではなく、「キリストそのもの」が描かれるのです。つまり「美術作品」ではなく、「信仰そのもの」なのです。イコンを通して「キリスト」が現れているのです。「イコン」にはそうした「ただの物質的現象を超えた真実」があるがゆえに人の心をうつのです。
 ところが、こうした「美術表現において真実を見る」というのは実は古代ギリシャの伝統なのでした。真実を「具体的表現」のうちに見るという態度は中東とかアジアにはなかったのですが、ギリシャ人は
「目に見える形にこだわる」民族だったので、そうした精神があったのです。そうした態度において作られていたのがあのギリシャ彫刻だったのです。あれは元来「神像」でした。

イコンの問題性と意味
 ところで、再三指摘しておいたように、キリスト教は本来「偶像」は作れない筈です。それゆえ、このイコンに対しても激しい
反対運動(イコノクラスム・イコン破壊運動)がおきたこともあります(7〜8世紀にかけて)。その反対運動が起きた当時は「ローマ帝国」の時代ですが、西側がゲルマン人に占拠されて東側しか残っていない時代のローマ帝国で、これを一般に「ビザンティン帝国」と呼び習わしています。そのビザンティン人はイコンを守るのです。それというのも、ビザンティン人の中心の人々は「形を通して真実を知る」ギリシャ人でした。形のないものなど無にひとしかったのです。さすがに「偶像そのもの」である彫刻はつくれなかったのですが「絵」ならよかろう、としたのです。こうしてキリスト教は「ギリシャ化」をはっきりとこのイコンに残してしまうのでした。もちろん後に「神学的」にも説明して正当化しますけれど、感情的にはギリシャ人の血がイコンを作らせたと言えるでしょう。
 神学的な説明としては
「イエスの受肉」がもっとも説得的です。つまりキリストは「イエスという人間の姿としてこの地上に現れた」のです。「人間的な形」を示すのが悪いことだとするなら、キリストはイエスという人間の姿で地上にでてくることがない筈です。それが「人間の形」として出てきたのですからこの地上で「人間の形に描かれて」一向に差し支えがない筈だからです。
 ですから、もっとも大事なことですが、イコンは本来からして西欧的な意味での「美術作品」ではないのです。ここには「作者の主張とか、作者の理解、作者の感性、作者のイメージ」とかいった、通常西欧美術に要求される要素は全くありません。
 イコンはただ一点、それは
「神との出会い」をうながす、ということだけが目的です。その意味でイコンは「神の国の鏡でもあり通路」でもあります。「神と人間世界を結びつけるもの」、「キリストの神性と人性を一つに表すもの」と言えます。
 しかし、この教会の中に入るとむしろ絵画表現というものがもっていた「本来の働き」はどのようなものであったかがよく分かります。つまり、現象を描いているようでありながら実態は
「超越的なものを描き出している」ということです。
 これでは分かり難いと思いますが、正教関係の方がイコンを一般の人に紹介するのに分かりやすいたとえとして
「写真」にたとえることがよくあります。もちろん、一般の人に分かりやすく「たとえた」ものですから本当にそうだというわけではありません。つまり、たとえば亡くなった人の写真などです。この「写真」は本物であるわけありません。しかし、そこに「本物を映して」います。人はその写真を見て「本人」を思うことができます。だからその写真は大事なのであり、これがあることで人はその本人を自分のものとしておくことができるわけです。

西欧絵画との異なり
 その点、近代西欧のいわゆる宗教画とは全くちがうのです。西欧の宗教画は
「作者の宗教理解」を表現します。ですから「力強いキリスト」であったり「苦悩のキリスト」であったり「慈愛のキリスト」であったり千差万別のキリスト像が描かれてきます。「イコン」にはそれがありません。ですからどのイコンを見ても「似たり寄ったり」に見えます。「キリストは一人」だからです。
 ただし、現実には時代や場所によってそのイエス像にも微妙な違いもあり、ですからイコンを「美術」として見ることも可能で実際今日ではそうした見方もされています。そしてその美術史的意味を云々することもあり、その場合には美術的なことも問題にされ、あるいは「様式」の違いなどが議論されることもありますが、しかしそれは
「イコンの本来」からはどうでもいいことです。ですから正教の宗教関係者はそうした議論には全く介在してきません。
 ただイコンには、この現実の背後にあってこの現実を支えている世界を映しだす、という美術の持つ本質がとりわけ強くあるものですから、今日「美術の世界」でも問題にされてきたというだけのことです。
 しかし、イコンは本来美術ではありませんから、ある意味で
「形式的」です。その形式は「聖書の言語」と同じです。ですから「聖書の言語」が一定しているのと同様イコンも一定しているのが要求されるのです。ですからある意味でイコンには「個性」があっては困ります。こうして、イコンは人によっては「どれも同じよう」に見えてきてしまうわけですが、ここにはもともと今指摘したような宗教的意味があるのでした。つまり、宗教には「祈りの形式」というものがありますが、これは「一定」しているのが原則で「自由勝手」というわけにはいきません。形式化とは「規範」を意味しているのです。もっともこの規範の具体的表現の場面では地域によって時代によっての異なりがでてくるように、実はイコンにも地域的・時代的異なりは生じているのですがその精神は「変わらない」と言っておくべきでしょう。

イコンの見方
 そのイコンとの出会い方ですが、何とか手掛かりが欲しいです。それを私なりに少し示してみたいと思います。
 イコンのテーマにはさまざまがあり、聖書の物語、イエスの生涯をモチーフとした12大祭、また天使や聖人、その教会にまつわる出来事や人物(聖人)を描いたものなどがありますが、要するに、どれも
「神の世界への誘い」だと思って対面して下さい。
イコンの色調としては、その形式はまず基本的に
「明暗」にあるように思います。神の国の光を象徴しているのでしょうか、イコンには「金色」がふんだんに使われます。そして、この光を浮かび上がらせる部分とによって全体が構成されているようです。
 そうした基調があるせいなのでしょうか、近・現代絵画のように色とりどりに色彩をちりばめるということはなく、人物ごとに一ないし二色くらいで描き、赤、青、緑、紫、黄色、茶、白といったところが基本のようです。白が清純を表しているのは誰でも気付くでしょう。赤は殉教の血の色でしょう。緑は生命でしょう。青はどこまでも深いですから「存在の深み」なのでしょうか。ともかく、こうしたイメージが与えられます。
 また、形も
「神の国の人」としての姿をとり、その限り「写実的」とはなりません。また、同時に「神の国の住人」としての顔の共通性を持ってしまいます。人物の目の向きも大事で、これも何かを伝え、訴えてきます。キリストに真っ直ぐ見られている時、私たちは「問い掛けられて」いるように思ってしまいます。「生神女(一般的には聖母)マリア」や天使の目が下向きと見えるのは慈愛の目でしょう。神をのぞみ、賛美する聖人達は上を見ているようです。
 各部分も無作為ではありません。「キリスト像」を見てみますと口はしっかり閉じられ意思の強さを表しています。またさまざまの人物を見ていくと、負の人物でない限り横だけの顔というのはありません。立っている姿は当然「生きている」姿ですが、玉座に座っているのは「権威」を表し、したがって基本的にイエス・キリストに独特のものです。ただしイエスを抱いたマリアも座像があります。マリアは教会を象徴していますから
「イエス・キリストの座」として表現されているわけです。
 また、イエスの祝福の手の指は人差し指でIを、中指でC、薬指と親指を合わせてX、小指でCとして、その頭文字としています。イスキュスと読まれますが
「イイスス・クリストゥス」の略語です。
 十字架は殉教を表します。また、持ち物でその人物がわかります。巻き物をもつのは預言者、箱は医者、剣は兵士を表し、聖書を持つのは使徒、数珠をもっているのは修道士です。「白いあごひげ」をもっているのは「ペテロ」であり、「ヨハネ」は「もじゃもじゃの髭」、「パウロ」は「前頭部がハゲ」で、「デメトリオス」は「鎖かたびら」といった調子です。
 着衣の色も基本があり、イエスは「その輝きを表す金と生命を表す緑」が基調になっているようです。復活後のイエスだとそれが「紫」になってきます。マリアは青と紫が基調です。ペテロは金と灰色となっています。といっても例外もあり、以上は基本の基調といったところのようで、また古いものは色がハゲてくすんでいて何色なのかわかりません。
 人物についても基本のあり方があります。人物は
「後光」をもっていますが「イエス」の場合「後光」の中に十字架がえがかれその部分が見えます。そこにはギリシャ文字も見られます。向かって左から、「ο、ω、ν」となりますが、これはギリシャ語で「ホ・オーン」と読み、「存在する者、ありてある者」という神の存在性をいう言葉です。そしてこのイエスの後光が本物の「後光」なのであって、他の人物達の後光はすべてこの「イエスの後光の照り返し」となります。
 こんな具合に形式的なのは先に指摘しておいたように理由があり、それは教会の儀礼に形式があるのと同じなのです。ですから人物の頭部の大きさと身体の大きさにまで形式がありいってみれば全部に同じ形式が行き渡るのです。
 とはいっても時代や地域での異なりは当然生じてきて、全体的な印象としては初期のものはギリシャの影響が強く「立体的」であったのに対して中期になると「抽象的」になり後期になって再び「写実的」となっています。またギリシャのものとロシアのものとではその持つ雰囲気に大きな違いも見られます。
 近現代になると、ルネサンス以降の西洋の影響を受けて多様化し、西欧的なイコンまで現れてしまい大分混乱しています。とても「イコン」とはいえないような「似てもって非なる」ものまで現れ、また「美術的な評価」がなされたり作者が云々されたりしてイコンの概念が崩れ、今日再び「本来のイコン」への回帰も言われるようになっています。

教会堂での配列
 正教の教会のイコンの配置には一定の方式があり、大まかには、縦軸的に見ると、先ず教会中央の天井に(ドームがある場合はそのドームに)
「宇宙の支配者としての全能のイエス」が描かれて地上を見下ろし、その周りには天使や預言者使徒たちが描かれてきます。そしてその足下には「新約聖書」に描かれているさまざまの場面が描かれ、さらにその下に地上の聖人たちが描かれるというのが基本となります。
 水平的には、玄関廊のある場合その正面にイエスが、その周りにマリアや使徒たちが描かれ、祭室に入ると正面の祭壇後部のアプシスに「幼子イエスを抱くマリア」が描かれ、内壁にぐるりと12大祭の図柄が描かれるのが基本です。
先に言及した「12大祭のイコン」というのはイエスの生涯を追うような事跡を12選んだもので、それは次のようになります。
1、 「マリアの受胎告示」
2、 「イエスの降誕」
3、 「イエスの神殿奉献(イエスの誕生の後40日間の浄めの日を過ぎてイエスが神殿につれられていき、祭司シメオンとアンナによって救世主キリストとしての聖別をうけたというもの)」
4、 「ヨハネによるイエスの洗礼」
5、 「山上でイエスが神の姿を現したという変容」
6、 「死んだラザロを生き返らせたという蘇生」
7、 「イエスのイエルサレム入城」
8、 「十字架刑」
9、 「イエスの三日目の復活」
10、 「イエスの昇天」
11、 「聖霊降臨」
12、 「マリアの眠り」

芸術としての西欧キリスト教美術
 キリスト教における美術表現は、初期の時代のカタコンベなどに描かれた「シンボル的図象」(これには、結局キリスト教そのもののシンボルとなった「十字架」や、救世主イエスを意味する「魚」、あるいは「シュロ」とか「鳩」とかイエスにまつわった事物が含まれます)がはじまりだと言えますが、ここには当然「美術」という意識も、後の「イコン」の持つ「神の国の窓」という神の国への誘い・通路といった意識もなかったと言えます。
 人類は遙かな以前、人類らしく生き始めた最初から、自然の中に超越的存在を意識して豊作や災厄の除去を祈り感謝するということをしていましたが、そこにその「自然の力」をシンボライズするような、たとえば豊穣の女性像であるとか、あるいは獲物となる動物とかの似姿を描き、また像として刻んで祈るということをしていました。これは動物とは異なった人類の証みたいなものでしたから、どんな民族ももっていた習性と考えられます。ですから、あえてそれをやめた「ユダヤ教」というのはおよそ人間本性から離れた宗教であったと言えますが、それは偶像崇拝を当たり前のように持つ回りの部族との自主・独自性を主張する、つまり
「民族主義的イデオロギー」において生じた現象であったと考えられます。
 そのユダヤ教から出て西洋へと伝播してきたキリスト教ですが、伝播してきた先の西洋は
「神像崇拝」をもっとも発展させた地域の一つでした。この地方のギリシャ・ローマの人々は「神像」なしの宗教など考えられなかったでしょう。しかし、キリスト教にはそもそも「神の姿」というものがなかったので、キリスト教に改宗した人々は、十字架やシュロのごときイエスをイメージさせる「シンボル」で我慢するしかなかったと言えます。しかし、多くの民族に見られる「神像」というものはもともとが「シンボル」から発展したものであったと考えられるため、人々は「シンボル」であっても特に不満も感じなかったのかもしれません。
 そうして「シンボル」を描いて礼拝していくうちに、このシンボルは宗教の「伝播」や「信者への教え」に有効であることにも気づかれていったと考えられます。こうして図象表現は一般化し、そうこうするうちに、この「シンボル」はギリシャ・ローマ世界にあった伝統的な神々崇拝での神像とかさなっていったと考えられます。つまり、独自の
「神の表現」となっていったというわけですが、ここでキリスト教は「偶像崇拝の禁止」という戒律を持っていたために、像としての性格をより強く持っている「彫刻表現」というわけにはいかず、シンボルの段階により近い「絵画」の段階でとどまり、こうして「イコン」という独特の宗教表現を生んでいったと考えられます。
 この「イコン」は初期キリスト教の伝統を引き継ぐ東方世界で発展していくことになりますが、西方地方はやがて北方出自の「ゲルマン人」に占拠されてしまいます。そうして西方世界に一人取り残されたローマ教会は、ゲルマン人との融合を計って伝統的なキリスト教のあり方からどんどん離れていくことになり、独自のカトリック文化を形成していくことになりました。この時代の文化をいわゆる美術面でいうと、特に
「教会建築」に特徴を見ることができ、絵画的表現はむしろ衰退していると言えます。
 その理由は、ローマ教会ないしその教皇の
「権威の昂揚」「豪壮な教会建築」が何より有効であったからでしょう。ロマネスク建築の荘厳・重厚な造りからゴシックを経てバロックにいたるむしろ悪趣味的な豪壮・絢爛豪華さは「天上・天下を睥睨する権力」のシンボルとなっていたと言えます。それに比べて絵画的表現は「飾り」的にしか見られなかったようでした。それがステンドグラスなどに見られる「装飾的デザイン」と化した「聖画」です。
 やがて1500年代に至って、東方に残存していた後期ローマ帝国(一般にビザンティン帝国と命名される)に保持されていたギリシャ・ローマ文化が西欧に流れ込み、その人間主義的文化が再生されることになって西欧は一変することになります。これを
「ルネサンス」と言うわけですが、ここにおいて「絵画美術」が生み出されていくことになったと言えます。つまり、それまでの絵画的なものは教会などの「装飾」以外ではありませんでしたが、その「装飾性」から「美術」への転換が行われることになったのです。その「美術」とは、「個人の作家の感性と事象理解に基づく、作家独自の表現技法によって表現された絵画・彫刻等の具象表現」と規定しておきます。
 他方、人間主義的ギリシャ・ローマ文化を保持していた筈の東方ビザンティンでは逆に
「神の国の窓」としての宗教性の強い「イコン」が発展していて、そのため人間主義的絵画など生まれる余地がなかったと言えます。それに対して、そうした宗教性の強いイコンを持たなかった西欧地方は逆にギリシャ・ローマの持っていた「人間的美術表現」を生み出し得たという、何となく皮肉な結果となったのでした。
 こうした経緯ですから、ルネサンス美術も
「教会装飾」から始まっています。そしてここから「芸術」への進展が始まるのです。典型的なのがミケランジェロ(1475〜1564年)によるシスティーナ礼拝堂の絵画となります。これはもともとの注文は「装飾」だった筈ですが、ここではその天井一面に描かれた絵画はもう「教会装飾」の域を完全に脱して一つの「芸術」になっています。おなじく有名な「最後の審判」の絵もそうです。
 ここには、ミケランジェロという
「個人の作家」のキリスト教理解に基づく「自己表現」があり、それは絵画の内容・様式はもとより技法においても同様でした。伝統的「イコン」においては作家の自己主張などあってはなりません。何故ならイコンは「絵の聖書」なのであり、聖書に個人的解釈など入れてはならないのと同じ理由からです。従って「イコン」は様式性を生命としていますが、もともと「装飾」といった色彩を強くしていた西欧の宗教絵画にはそうした様式性を尊ぶ気風は失われていたと推測できます。これが「個人の感性・個人の事物理解」に基づく、「個人の作画技法」による絵画表現を生み出し得た理由であろうと考えられます。
 この「個人主義」は当然のように
「人間主義」とかさなり、またギリシャ美術の持っていた「リアリズム」と直結してきます。ミケランジェロは「馬」を描くのに本物の馬を解剖までしたという伝承がありますが、あってもおかしくない伝承です。
 そして私達はこれ以降、
「作家」というものを問題にしだすのですが、その理由は以上に指摘したところにあったわけです。ちなみに「イコン」では「作家」など問題にされません。またルネサンス以前に私達は西欧に「有名美術作家」なるものを持たず、一足飛びに古代ギリシャまで行かなくてはならなくなるのも以上のことから理解できると思います。

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