10.キリスト教の光と影 - 2. 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

10.キリスト教の光と影
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INDEX
1. 初期キリスト教の異端
2. 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」
3. 偶像崇拝の禁止
4. 「イコン・聖画」の問題
5. キリスト教のシンボルと教会堂
6.「天使と悪魔」「天国と地獄」その他の用語
7. マリア崇拝とは
8. 中世カトリック世界の異端騒動
9. 修道院とは
10. キリスト教の軍隊、「十字軍」とは
11. 異端審問と魔女狩り

2.

最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」


はじめに
 
ここでは、初期キリスト教の時代にキリスト教の最大のライバルであった「マニ教」「グノーシス思想」を見ます。これは初期キリスト教の時代にライバルであったばかりではなく、「中世においても」その影響力を失うことがなかったのでした。そして、キリスト教世界の中に生き続けてさまざまの集団を形成し、「カトリック・バチカンによって撲滅」されていくことになるのでした(「中世の異端」の章を参照)。そのため、今日においても正統を任ずるキリスト教会及び神学者たちはこれらの思想を「最大の危険思想」と見なして嫌悪し非難・中傷しつづけてきました。このページはキリスト教とその最大のライバルとの激しい抗争を見ていきます。

マニ教の発生
 
「紀元後200年代」になり、中東・オリエント地方に大きな宗教運動が起きてきます。それが「ペルシャに生じたマニ教」でした。これが当時にあって大きな勢力となって「キリスト教」と張り合い、結果的に負けていったのでした。
 これはペルシャ発祥ですから当然
「ペルシャの国教であったゾロアスター教の流れ」にありますが、キリスト教や近隣の宗教や思想のとの関わりにおいて発展し、厳しいけれど非常に精神性に富んだ宗教として多くの人々に迎えられ、やがてオリエントからエジプト、中央アジアから中国にまで一大勢力となります。
 これは西にあってはキリスト教世界に入り込んで、後にキリスト教神学者の最大の人物となるアウグスティヌスほどの人物をも若い時に長いこと「とりこ」にしていたほどでした。言ってみれば当時の
「キリスト教最大のライバル」だったのです。ですから後にキリスト教に転向したアウグスティヌスをはじめキリスト教会・学者は執拗にマニ教の排斥のために活動し、そのため皇帝によってすら「禁止の勅令」が出されたほどでした。
 ですからキリスト教が勝利した西洋では比較的早くこのマニ教は衰退していきますが、一方東に展開したマニ教は
「中国」にまで広まって発生以来1000年以上も生き続けます。しかしこれも13〜4世紀になって急激に衰え絶えてしまいました。その原因については今もって良く分かっていません。
 発祥地のペルシャなどオリエントの場合は恐らくは
「イスラーム」に吸収されたと考えられます。というのもマニ教の目的である「地上的悪からの救済とそのための戒律」はゾロアスター教からユダヤ・キリスト教を経てイスラームまで引き継がれた根本思想であったからです。中国での場合は恐らく政治的理由で迫害されたのでしょうが詳しくは分かっていません。
 他方、絶えて久しく20世紀になってそのマニ教の聖典の写本が発見されてその全貌が知られるようになり、その持っていた教義の壮大さと隠れた影響力の大きさには宗教史的に新たな研究の目が向けられる必要のある宗教と言えます。

教祖マニについて
 マニという人物は
紀元後216〜276年に活動した宗教家で、バビロン(当時はペルシャ、現在はイラク領)の生まれとされます。ペルシャ王シャープール一世に受け入れられ保護を受けたけれど、その王の死後、伝統に固執するゾロアスター教側の反感によって捕らえられ処刑されてしまったと伝えられます。多分ゾロアスター教とマニ教との間の関係はユダヤ教とイエス・キリスト教の関係に近いものがあったのでしょう。ユダヤ教から出たイエスがユダヤ教徒によって殺されたのとそっくりです。
 マニは伝えられるところでは父が宗教者でその影響の下にあって育ち、若い時からしばしば神の啓示を受けやがて独り立ちして預言者として伝道生活に入ったとされます。また伝承では彼は洗礼者ヨハネからイエスの流れと言える
「洗礼教団エルカザイ派」に属していたとも言われ、それが彼の思想形成に大きな影響を与えたとも考えられていますが、イエスがユダヤ教に流れ込んだゾロアスター教の思想の影響下にあったのだとするとマニがこれに親しんだのも不思議ではありません(これについては「イエス伝承」のページ、あるいは「中東の神の波乱の運命」のページなどを参照のこと)。
 つまりマニの思想形成には本来の流れであるゾロアスター教の他に、それが流れ込んで形成されていた
「ユダヤ・キリスト教」の思想があったというわけですが、しかし一方で中東で興隆していたギリシャ主義的な思想である「グノーシス主義」の色合いも強く、また東方へ展開したマニ教には「仏教」の思想の影響も強く観察されます。こんな具合にマニ教は当時の中東オリエント地方、及び周辺地域の思想・宗教を集大成したような教義体系を持っており、そこから西ではキリスト教内部にまで入って多大の影響を与え、東では中国にまで入って大勢力となっていたのでした。
 しかし思想的にはマニの宇宙・世界理解はゾロアスター教の持つ「善・悪二元論」でありこれがマニ教の核となっていて、本質的には
「ゾロアスター教の分派」としておいていいでしょう。
 マニ教では、ゾロアスターは当然のこととして、「イエス」や「仏陀」をも真理を悟った先駆者として認めています。ですからマニ教が何を問題にしていたかが良く分かるわけで、この三人に共通している思想、つまり
「地上の、欲望に基づく罪と悪の世界・苦しみの世界からの救済・脱却」が問題だったと言えるわけです。
 その世界観に関する教義は今も指摘したようにゾロアスター教に拠っており、大筋としては、世界は「善・光」と「悪・闇」との二つの要素からなり、それらは現在混じり合っているがやがて「善」たる光明が勝つことになっており、地上にある人間は今は「悪・闇」の世界にいるものの本体は光の要素を持つものなので自己の内にあるその光の要素に目覚めて
「光の国の住民」とならねばならないと説かれるのでした。そしてその真実の預言者として「マニ」が遣わされたということが基本となります。

マニ教とキリスト者アウグスティヌス
 このマニ教がキリスト教にとって大問題になってしまったのは、西方に展開したマニ教が自ら
「イエスの正統の使徒」を名乗ったからでした。ただこのこと自体は、ペルシャのゾロアスター教の思想である「天国と地獄」「死後の裁判」「天国への救済」などがユダヤ教を通してイエスに甚大な影響を与えていたので十分あり得たこととも言えます。つまりマニ教徒が「イエスの後裔」といった言い方をなしえたのは、キリスト教として確立した宗教にゾロアスター的な要素が強くあったからだというわけです。
 その核心の思想は
「悪・罪から神の国への救済」という思想であったでしょう。そしてこれはユダヤ教の本体であるヘブライ神話には全く存在しない思想でした。ユダヤ教では「地上の楽園たる約束の地」が目的とされていたのですから。そのユダヤ教に「悔い改め」とか「神の国への救済」とか「死後の裁判」といった思想をもたらしたのは、思想史的にみれば「ゾロアスター教」以外に考えられないのです。
 ですからゾロアスター教の流れにある「マニ教」が、そのゾロアスター教のユダヤ教への影響の下に出現したイエスの中に自分たちの教えの要素をみたとしても何らおかしくはないわけで、そこで彼らは当時興隆してきた「イエスの教え」に対して、自分たちこそ「イエスの使徒」であると名乗ったのでしょう。
 近代西欧の学者は全員キリスト教の世界の人間ですから、はじめからキリスト教を主体として物事を考える習性を持ち、したがってユダヤ・キリスト教がマニ教に影響を与えたと説明し、それが今日の定説となってしまっていますけれど、当時のマニ教徒にしてみればイエスの思想の核はもともと
「自分たちの思想」だったというわけで、別にキリスト教に影響されたわけではなくむしろ逆だ、というわけでした。思想史的な流れから言えばその主張の通りです。
 それはともあれ、この間のいきさつは
キリスト教神学者アウグスティヌス「マニ教論駁」で手にとるように読み取れます。アウグスティヌスは若いとき「マニ教徒」でした。そこからキリスト教に転向してからは執拗に「マニ教」を論駁していますが、それは要するに「マニ教徒」が「マニこそイエス・キリストの後裔・真実の使徒」と主張していた点に向けられています。とりわけ『フォルトゥナトゥス論駁』などを見ると、マニ教の司祭が自分たちを弁明するのにマニ教の書ではなくキリスト教『聖書』に基づいてのみアウグスティヌスに対峙しているのに驚きを感じてしまいます。これはマニ教徒がそれらの言葉は自分たちの思想圏にあるとの認識をもっていたからでしょう。
 しかしキリスト教側にしてみれば、これを放置したら、イエスの教えはマニ教に引き継がれてしまい、
「自分たちのキリスト教会は崩壊」ということになってしまいます。ですから「キリスト教」に転向したアウグスティヌスとしてはまさに「自分自身」の問題としてマニ教に対峙しなければならなかったのでした。
 そのアウグスティヌスがもっとも問題にしたのがゾロアスター教以来の「善・悪二元」というマニ教の核心の思想だったのです。

「善・悪二元論」
 これは宇宙を対等な二つの原理「善=光」と「悪=闇」から説明するものですが、宇宙にあるすべてはこのどちらかに属するとなり両者は全く相容れません。たとえば
魂は「善=光」に属し、肉体・物質は「悪=闇」に属することになります。これだけでもうアウグスティヌスたちキリスト教は困ってしまうわけで、何故かというと「イエス」を説明できなくなってしまうからです。なぜならキリスト教では、イエスは「神が肉体をまとって地上に来られた」と理解するわけですが、マニ教の立場になるとこれは矛盾となります。ですからマニ教の立場ではイエスは「預言者」か、あるいは神であったとしても「低次の神」になってしまって、「真実・純粋の神」ではないとなりますのでこれはキリスト教の骨幹を否定したのと同様になるわけでした。ちなみにイスラームでも、理由は少し違いますが、神が人間の姿をとることなどあり得ないとしてイエスの神性を否定し、イエスはムハンマッドに先立った「預言者」の一人と理解します。
 では
「人間」はどういうことになるのかというと、悪である「肉体」は善なる「魂」を捕らえておくために「闇」の原理によって作られたものだとなります。人間の目的はこの「悪なる肉体」から「善なる魂」が解放されることにあるというわけでした。これは「霊・肉」二元の対立、及び「霊の肉体からの解放」をいうキリスト教の一つの解釈と「同一見解」とも言えます。
 だからこそキリスト教側は困ったわけですが、しかしアウグスティヌスの批判によると、そうしたマニ教的な解釈だと人間が「悪」を為すのは「悪の原理」である肉体であり魂はあずかり知らないことになる、そういうことになると人間が悪を為すのは必然でこれを統御することなどできないとなってしまいます。なぜなら魂は
「とらわれの身」ですからこれに何ら介在することもできず、悪が悪の原理によって悪をなすのをただ黙ってみているより仕方がないとなるだろうというわけでした。これでは人間の「自由意志」などないということになって人間性も何もなくなってしまいます。
 しかしマニ教が何故「善・悪二元論」をゾロアスター教から受け継いでいるかというと、これは
「神を悪の原因」にしたくないからだと考えられます。何故なら、もし神がすべての原因なのだとしたらこの地上に蔓延している「悪も神が創造」したことになってきます。

 そこでマニ教の見解を分かり易く物語風に砕いて説明してみましょう。世界は「光たる神」に率いられた「善」の軍勢と「闇の悪魔」に率いられた「悪の軍勢」とが対立していたけれど、「闇の軍勢」は強力で善の世界に侵入してきた。そこで「神」は自分の将軍を遣わしてこれを平定させようとした。将軍は「エーテル、風、光明、水、火」という五人の隊長を率いて出征していったけれど、相手は強くて敗北してしまい捕虜になってしまった。やがて将軍は助け出されるものの、五人の隊長は捕らわれのままで、「闇の侵入」のままにこの世界は「光と闇」が混在することになった。しかし「王」たる「善=光」そのものが敗北しているわけではなく、やがてこの王自身の出馬によってこの世界は光のうちに取り戻される。そこで、人間はこれに従って光りの要素を取り戻すように努めていかなければならない、という具合になるでしょう。

 つまりこれだと「神」は「悪」とは全然関わりあっていないわけで、「善なる神」の栄光は傷つかずにすむわけです。それにも関わらず地上にdが蔓延していることの説明にもなっていました。
 これに対して「神がすべての創造主」とする立場では
「悪」の問題が説明つきません。とりわけ神は無限ともされますので、神は「無限」だから悪も含んでいるなどと言いたくなりますが、神のうちに悪が含まれているなどとは困った説明になってしまいます。じつのところキリスト教にとってこの「悪」の問題とは喉にささった骨のようにいつも身をさいなむものであって、いろいろ説明されてきましたが成功しているとは言い難い問題なのです。
 それにもかかわらず、アウグスティヌスがマニ教にとどまれなかったのは、「善・悪二元論」だとどうしても
「神は有限なもの」とならざるを得なかったからでしょう。有限である以上、物語的に言えば「闇の軍勢」に勝てる保証はないということになります。これでは「救われない」ということになりますから宗教としては破綻となります。
 ですからアウグスティヌスは、「悪」というのはそれ自体としてあるわけではなく「善」が何らか弱まった状態を指す言葉として捕らえ、弱くなる理由として人間の「自由意志」の存在と、それを神への不服従という形で使った人類の祖アダムとイヴの場面に原因を見るのでした。これは要するに悪の原因を人間に見ていると言えるわけですが、しかしここでの欠点は、何故神は人間をこんな
「不完全」なものとして創造したのかという疑問に答えられないことです。
 以上私達はマニ教とキリスト教の関係をみてきましたが、このことは中東ペルシャの思想とキリスト教の近似性と異なりの根本を見たのと同じような格好になっていることに気付かれたかと思います。キリスト教はユダヤ教から出ているにもかかわらずユダヤ教の「地上の約束の地」などどこかに消し飛んでいて、ゾロアスターが問題とした
「悪・罪からの救済」という土俵に移ってしまっていたのでした。ですから同じ土俵のものとして「マニ教」と戦っているのであり、したがってキリスト教はやがて「西洋人の宗教」にはなりますが本質は中東ペルシャの思想圏にあったとも言いうるわけでした。

 ちなみに東方に伝播したマニ教の思想も簡単に見ておきましょう。マニ教ではとにかく
「光たる神=善」が優位にならなければなりません。その光は、東方に伝播したマニ教の言い方では「愛・信・誠・敬・智・順・識・覚・秘・察」といういわゆる十徳によって現れるとされ、そのために人間はその徳を育てねばならないとされて厳しい戒律が課せられたのでした。
 信者は仏教教団に似て
「出家」「聴聞者」に別れ、当然「出家者」が救いの道を修行する者で「聴聞者」は在家にあってそれをサポートする者とされるわけですが、ちなみに若いとき「マニ教徒」であったアウグスティヌスは、その時自分は「聴聞者」であったと自ら言っています。
 さて、「出家」の場合、彼等には肉食・酒の禁止、悪行を慎み、情欲から離れる、といういわゆる「三封」が言われ、さらに戒律があり、沐浴と、日に四度の祈祷が課せられました。こうした厳しい戒律の下に一途に「光の国」を求めていく神秘主義がその特色として言われるわけです。
 ペルシャから西方に伝播した系統は
「罪のあがない」という意識が強く現れていましたが、東方に伝播したものは「自己覚醒」という側面が強いともいわれます。それはそれぞれの地域の持っていた宗教との関係があったからでしょう。つまり西方はキリスト教が勢力を伸ばしており、それは「悔い改め」という「罪のあがない」が核となる宗教でしたからそれとの関係においてここでも贖罪が表にでてきたのでしょう。東方は仏教が強かったわけで、そこでは修行によって「悟りを開く」ということ、つまり「仏となる」という「自己覚醒」の思想が強かったので、ここではマニ教の持つその面での要素が表にでてきたというわけです。

「グノーシス主義」
 一方、このマニ教の思想をテーマとする近年の研究・紹介では必ず
「グノーシス主義」というものと結びつけられています。ところがそれらの紹介は「グノーシス主義」というものの本来を説明しないまま解説しているため、専門家は別として、学生や一般の人には全くわけが分からないでしょう。
 一方、この「グノーシス主義」は一般にキリスト教との関係において語られることが多くそうした研究もたくさん為されていますので、まるでグノーシス主義は
「異端のキリスト教思想」のように思ってしまっている人もおります。しかし、グノーシス主義はもともとキリスト教の思想の一つというわけではなく、ただの「当時の思想の一つ」でしかなかったのであり、それをキリスト教学者が「異端のキリスト教思想」のように理解してヒステリックに攻撃したことから、そうした見解が一般的になってしまっただけの話しです。ここでその「グノーシス主義」も合わせて紹介しておきたいと思います。

 グノーシス主義というのはほぼキリスト教と同時期、つまり
紀元後1〜2世紀にギリシャから小アジア、中東のシリア・パレスチナ地方、エジプトに起こった「思想運動」で本来はキリスト教とは全く関係なく独自の思想運動として生じ発展していったものです。つまり「グノーシス」といっても一つの「思想・宗教教団」として組織されたものではなく、「世界・自己の本来を認識することによる救済」という共通項を持ったさまざまの思想・宗教集団を総称する言葉なのです。
 「グノーシス」というのは
「知識・認識」という意味のギリシャ語で、要するに「真理・神を認識することで救いに至る」というわけですが、ただしこの知識・認識は学問的な知識・認識ではなく「知的直観」的なものでかなり「神秘思想」の要素が強いです。
 グノーシス主義の成立過程についてはよく分かっておらず、当時のローマ帝国にたいする
「反体制的な知識人」たちによっておこされていった思想運動だったようですが、シリア・パレスチナ地方出身の「シモン・マグス」がしばしばグノーシスの祖と紹介されることがあります。この人はサマリア地方で活動したようですが不明の点が多いです。
 また今日にまで存続している洗礼集団「マンダ教」は東ヨルダンにあって起源は1世紀にまで遡るグノーシス主義の教団とされます。
 当時のグノーシス主義の主要都市はいうまでもなくギリシャ文化の新しい中心とされたエジプトの「アレクサンドリア」でした。「キリスト教・グノーシス主義」の祖とも言われる「ヴァレンティヌス」はここの出身でした。有名な「ヘルメス文書」もこのアレクサンドリアを中心としたヘレニズム都市で書かれたもので、その中のグノーシス文書である『ポイマンドレス』はグノーシス最初期のものとして貴重です。その他現在のグノーシス研究の主要書である『ナグ・ハマディ』も有名です。
 こうした一連の運動の一つとして「マニ教」がグノーシス主義宗教教団の一つに数えられ、その勢力の大きさから「後期グノーシス主義の代表」という言われ方がされるのでした。
 ただこんな「知による救済」ということは、下層民には分かりにくかった筈で、この運動は
「知識人」によっておこされて知識人の間で流布していたかなり限定的な運動であったと考えられます。従って初期キリスト教に見られるような「一般民衆」による大衆運動にはなり得ない性格をはじめから持っていたようで、たくさんの思想集団が作られ、また思想界におけるその影響力の大きさにもかかわらず、紀元後2〜3世紀に最盛期を迎えると4世紀には早くも衰退していき、わずかに「マニ教」に引き継がれて行く他は小さな集団となって存続を計る程度になったようです。ただしグノーシス文書は大量に書かれたようでさまざまの形で影響を後代まで残していったのでした。

「グノーシス神話」
 グノーシス神話はギリシャ神話、プラトン哲学、ユダヤ・キリスト教などを素材にしてそれを解釈し直して構築したという性格を持ち、さまざまの神話が提唱されていきましたが全体的に
「既成の宇宙観・人間観を逆転」させているという共通性をもっています。
 例えばユダヤ・キリスト教の人間観を逆転させているものとしては、「エデンの園」における物語が「悪なる蛇がイヴを誘惑し神がそれを裁く正義」となっているものを、
「蛇こそ人間に知恵を授けたもの、神とはその人間にとって抑圧者である」と解釈していくものなどが典型例となります。
 これは、この地上世界が
「悪」だという認識のもとに、その「悪なる世界」を真実の神が創造するわけもなく、この世界の創造は下級のダメ神の仕業でギリシャ哲学者プラトンの用語でいうと「デミウルゴス(一応「創造神」となりますが、下級神となります)」の仕業であるということになります。従って、この「ダメ神への離反」というのは「善」の志向とも言えるわけで、それを促した「蛇」こそ人間が「下級のダメ神」からの抑圧を脱し、真実の神のもとに至る知恵を授けたものと言える、というような筋道になっているわけです。
 今紹介したようにグノーシスでは一般に認められている体制的な思想を否定しています。ですから宇宙観においても同様で、プラトン以来のギリシャ宇宙観は「神の世界」が最上階にあり、その下に「星々の世界」「地上」となっていてこれは感覚的にも分かり易い宇宙観でした。そして、この宇宙観では当然地上に近くなればなるほど神から遠いとなるわけで、
「地上は影の世界、混沌の世界」ということになり、上に登るほど神に近いとなります。つまり「星々の世界」はプラトンでも「神的なるもの」となります。一方、その「神を知る」人間の魂は地上的なものである筈はなく、本来「神の世界に属していた」と考えられなければなりません。しかし人間の「身体」は地上的な物質であり、「魂」が天から没落して入り込んだ「墓場」みたいなものだとするわけです。そしてこの地上的身体に邪魔されて「魂」は本来を失い続けているわけだけれど、そこから脱却して上へと登っていけばやがて「魂の故郷」へ帰れるとしたわけです。これが「プラトンの哲学」の中核となります。
 一方グノーシスではこの「神・魂」と「物質・身体」の二元論は認めるものの、プラトンのような
「段階的世界」というものは認めず「神」以外の世界は「すべて物質界・混沌の悪の世界」と「二分」してくるのです。「魂」は「神の世界」のものであることは認められます。しかし「星」はやはり目に見える「物質」と捕らえられているのであり「目に見えない超越の世界」と区別された不完全な「目に見える物質の世界」とされ、こうして徹底した「超越的・非物質的世界」「感覚的物質世界」という完全な二元論の世界理解が為されているわけでした。ですからここでは段階的に上に登るという考え方は拒否されるのです。そうではなく「物質世界」から「非物質世界」へ「一気に超越」するのでなければならないわけです。考え方としては筋が通っていますが、こうしてこれは「神秘思想」になってしまうのでした。
 ということになると哲学としてはプラトンもアリストテレスも拒絶されます。一方、一般民衆にとってはギリシャ以来の「星々の世界の神話」、つまり「双子座、ポリュデイケスとカストール」「蛇座、医神アスクレピオス」「ヘラクレス座の豪傑ヘラクレス」などなどがみんな認められなくなってしまいます。こうしてグノーシス主義は多くの敵を作ることになっていきました。
 一方、こうした世界にあって人間の魂は如何にして救済されるのかということについては、人間の魂が何らかの事情でこの地上に没落したということではプラトンと同様で、これはまたキリスト教での「楽園追放」とも合います。こうして魂は肉体に閉じこめられて蒙昧のうちに過ごしているわけだけれど、啓示者を通して
「本来の自己の認識・知」に至った者の魂は身体を脱却して、あらゆる「自己たる魂」に敵対する物体的なもの「星々の世界」も含めてそれを突き破り、神へと合一していくと説くわけです。

「キリスト教との関係」
 以上のようなグノーシス思想がなぜキリスト教世界に蔓延したのかというと、今簡単に指摘したように、やはりキリスト教でも人間を神的なものとしながら地上への追放をいい、最終的にはその「救済」をいうものでしたから
「基本構造」は同じだったからです。しかもそれを可能とするものとしてグノーシスでは「啓示者」を言っていましたからこれが「イエス」にぴったり符号するわけでした。
 しかしそれが教義という段階になるとキリスト教との関係でいろいろとぶつかってきます。それ故にキリスト教はこのグノーシスを敵対視して激しく批判していったのでした。まず「星の世界」も含めてすべての物質世界を「混沌・悪」とする考え方は「世界を創造した神」のその創造の営みの意味が説明できません。ですからグノーシスではこの「創造の神」は「救済の神・真実の神」ではなく、
下級の創造神「デミウルゴス」であり、この神はランクが下の神だと説明したのです。ですからこの地上世界は不完全なのだとするわけです。しかしこれは正統キリスト教の「一神教」の世界理解とは異なっています。むしろ多神教になってしまいますから認められません。
 また、キリスト教側からの批判としては、人間が「自己認識・知」で神との合一ができるのだとすると、
「救済者・キリストの存在」など特に必要なく「自己鍛錬・自己覚醒」でいいということになってしまい、「啓示者」などと言ったってそのきっかけにすぎないわけで、とてもイエスのような「絶対的救済者」といった存在にはなりません。「自己覚醒」はむしろ「プラトン的」で、仏教的に言えば「自力の思想」であり、「全面的に神に寄りすがる」ことを説いた「他力の思想」であるイエスの思想とは全然合わない、となります。
 またグノーシスでは身体を否定的に見るわけですが、それでいくとイエスの身体性も否定しなければなりません。人間の姿を採ったイエスが説明できなくなるのです。キリスト教的グノーシスは従ってこのイエスの身体は
「仮の姿」として「幻」のようなものとしてしまいます。これも「プラトン的」です。
 こんな具合に、理屈の段階になると相当に「プラトン主義的なグノーシス主義」と正統キリスト教とは明確な違いを示してくるのでした。またグノーシス主義はキリスト教の司祭組織への批判をしたとされていますが、グノーシス主義は基本的に「真実の自己、神的なる魂としての自己を認識・知識」することにおいて「神との合一」をいうものですから
「儀礼に於ける司祭組織」など認めるわけもなかったでしょう。
 しかし、それにもかかわらずキリスト教にグノーシス主義が蔓延したのには、
「救済」「神との合一」という思想がキリスト教にもあったからで、この面で言えばグノーシスには「知的直観」という方法論が提示できて論理的に筋を通せたからでしよう。さらに「啓示者」という存在を見ていたことが「イエス」の存在を説明できたわけです。なぜグノーシス思想にもイエスが必要であったかというと、現在人間は「肉体の内」にいるわけで、ここからの完全離脱は如何に自己認識に達している人間といえども不可能だからです。キリスト教ではこのイエスへの「完全帰依による救済」を説いたわけですが、これは論理ではなく「信仰のみ」となり、「論理」ということならグノーシス主義の方がうまい説明をしていたと見なされたことが、キリスト教内部にグノーシスが入り込んだ理由だと思われます。

「グノーシス主義としてのマニ教」
 以上のようなグノーシス主義の系譜にマニ教が数えられているわけですが、それは例えば漢訳マニ教聖典が、「仏教」と関連づけて、自己のうちにある「光明」を「明性」と呼び「仏性」と等しいものとして、これを「覚り了解して」「思量」を尽くして「仏性」を得るといった表現や、「知恵によって明性を悟る」といった表現にはっきり現れています。この
「覚る」「了解する」「思量」「知恵」といった言葉はすべて「グノーシス」ですから、「マニ教」がグノーシス思想に数えられるとされるのも十分理解できます。
 すなわち、先ずマニ教においては本来光明に属すべき魂が現在は混迷の身体の内にとらわれており、その身体的感覚・欲望に翻弄されてますます暗黒へと沈み込んでいっているという現実認識があります。これは一つなる「始源」が分裂して「光と闇」とが生じ、その二つの原理が闘争することで混迷が生じ混沌の世界となったことがはじまりとされます。そしてそのただ中に魂は放り込まれているわけで、魂の持つ光性は物質世界の闇にはばまれ本来の自己を失っているわけです。こうした闘争の果てに再び光明は自己を回復して平安の「光の国」が現出するという「過去・現在・未来」にわたる世界像が示され、そして現在混沌の世界にある魂は自己が本来の光性を持つことを先ず持って「思い出さなくては」ならないわけで、そのための
「自己認識」が問われるわけでした。この「自己認識」というのがグノーシス思想そのものなのです。この限りマニ教もグノーシス主義にあるということは確実に言えます。
 しかしこれだけならマニ教のマニ教たる所以のところはなくただのグノーシス思想の一つとして終わってしまうわけですが、そんな単純な話しにはなりません。つまりマニ教にとってはこの「認識」はそれだけで終わるのではなくむしろこれは救済のための
「出発点」なのであり、ここからの本来性への真実の復帰がとりわけ問題とされるのでした。簡単に言ってしまえば、「自己認識」して本来の自己に気付いたとしてもそれを「保持し続け」完成させていくことが問われたのです。つまり魂はいくらこの地上で自己覚醒したとしても依然として暗黒の世界に留まっていることには変わりなく、つねにじゃまされ再び没落していく危険にさらされ続けているわけです。マニ教はここに大きな問題を見ていたようで、そのために「戒律」が定められたようです。

 それは「出家者」に五つ、「1、正直であること」「2、危害を加えないこと」「3、純潔であること」「4、言葉が清浄であること」「5、私有物の禁止」、となります。
 ようするに話しと行為と感情とがつねに清浄であることが求められたのでした。そしてひとたび罪を犯したとなると二度とゆるされることがないという非常に厳しい教えを持っていたのです。この
「罪の意識」というところがマニ教の一つの特色ともなると言えます。
 これ以外の戒律としては肉食をはじめ動植物を損傷してはならないこと、完全な情欲の禁止、週に二日の断食、大祭に先立つ一月の断食などがあります。これらの戒律のいくつかは後のイスラームに吸収されていっていると理解され、とりわけ「大祭に先立つ一ヶ月の断食」などが顕著であると思われます。
 以上のようにギリシャ思想の一つと言えるグノーシス主義はペルシャのマニ教と結びつき、それはさらにユダヤ起源のキリスト教と結びつき、やがてはイスラームとも融合するという「神の相関図」があるのでした。

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