8.イエスにまつわる伝承 - 6. イエスの十字架と復活 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

8.イエスにまつわる伝承〜イエスは如何にして「救世主キリスト」となったのか〜
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INDEX
1. イエス論とは。背景としてのユダヤ教
2. イエスとユダヤ教「パリサイ派」
3. イエスと洗礼者ヨハネ
4. イエスの教え「愛こそすべて」
5. イエスの行動、その使命と奇跡物語
6. イエスの十字架と復活
7. 12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」

6.

イエスの十字架と復活


はじめに
 イエスの十字架と復活というのは、キリスト教が確立してからの後、イエスが「神の子」とされていく最大の要因とも言え、キリスト者にとっては「生命線」となる出来事といえます。
 ところで、一般に流布しているイエスの
「十字架上での死」の意味は、「人類の罪をあがなうもの」と言われることが多いです。さらにもう少し加えて、そうしなければならないことはユダヤ教聖書に預言されていて、従ってイエスは十字架上の死を分かっていてそれを引き受け、そこにおいて「キリスト」となり得たのだ、などと説明されます。
 ただし、これは後世のキリスト教神学における
「贖罪論」が一般的な形で語られた時の説明で、実際はその「贖罪論」自体がひどく複雑でこんな簡単な形で説明しきれるものではありません。しかし、神学論争はおいておき、一般にはこの程度でいいということは言えます。そして実際多くのキリスト者はこのようにイエスの十字架を理解しているようですし、そして、再三指摘してきたように、キリスト教信仰においてはそれで良く、信仰としては正しい態度、と言えるでしょう。
 しかし、私達の扱いは思想史的な扱いでした。この態度で、現行の「福音書」でこれを保証しようとすると、案に相違して全くと言っていいほど保証できないのです。福音書には
「人類の罪のあがない」などいう概念自体がほとんどないからです。ですから「十字架の場面」でもこうした形での説明は全くされていません。あるのは、「イエスが十字架上で死んだ」そして「復活した」という二点だけで、その意味についても殆ど何の説明もなく、「復活」についてのみイエスの「神性」を、それもかろうじて「示唆する」程度にとどまっています。
 しかし、これだけではイエスの
「十字架上の死」とは何だったのかさっぱり説明がつかないものですから、「マルコ福音書」では、イエスが十字架の上で息絶えた時、神殿の幕が引き裂けたという情景を加えて、百人隊長が「まことにあの人は神の子であった」と語った場面を附加しているのでした。これはこれまでの経緯からしてひどく唐突で、「何故?」と言いたくなるくらいのものです。「マタイ福音書」はこの「マルコ」の言い方をそのまま引き継いでいますが、「ルカ」では矢張りいきなり「神の子だった」とは唐突すぎると思ったせいか「正しい人だった」と言い換えています。
 「ヨハネ福音書」に至ってはこのあたりのことは全く描かれてきません。「ヨハネ福音書」においてはどうも
「復活」の方に重点があるようで、その場面は延々と語っていくのですが「十字架」の場面は弟子ヨハネにイエスの母マリアが託されたという印象深い場面以外は、ひどく簡単な描写になっているのです。
 つまり、「ヨハネ福音書」では十字架は要するに「死をもたらした手段」くらいの扱いになっているということです。こうして「死と復活」というつながりで(つまり、十字架は特別視されず)、「イエスの復活」に重点がかけられて語られてくるとなるわけでした。
 これは、伝道師「パウロ」でも同様と考えられます。しがって、使徒たちのところでは本来は
「死と復活」だけで良かったものが、キリスト教としてローマ帝国内に確立していった時「十字架での死」というものがクローズアップされて「十字架」に意味が付与され、その時代の解釈を「マルコ福音書」は引き継ぎ、「マタイ福音書」もそうしたけれど「ルカ福音書」は少々引き下がり、「ヨハネ福音書」は元通りにして十字架を特別とはしなかった、となりそうです。
 こんな具合に少々厄介なのですが、他方、この「復活」というのは現行の『聖書』においても
「使徒たちにとってすら大きな躓きとなる事柄」だったのだ、ということが克明に告げられてくるのであり、簡単に「信じなさい」と言えるような事柄ではなかったことは非常に大事なこととして指摘されておかなければなりません。ですからここは少し詳しく見ていく必要があります。

 これについてもキリスト教文書以外に証言がありません。従って、ここでは現行の『聖書』をもとにその事件を追ってみたいと思います。
 現行の『聖書』でイエスの十字架と復活を描いているのはいうまでもなく四つの福音書となりますが、ここには細部でさまざまの異なりが見られます。その異なりのところに各福音書記者の意図が現れているわけですが、その基盤となってくるのは
「マルコ福音書」となります。四つの福音書の中でももっとも早く書かれたとされており、「マタイ福音書」と「ルカ福音書」はこれをベースに自分なりの福音書を著したとされているからです(「ヨハネ福音書」は別の資料によっているとされる)。
 マルコ福音書の書かれた時期ですが、時代的には紀元後70年前後くらいかとされており、イエスの十字架刑による昇天(およそ紀元後30年くらいと推定)の後、40年くらい経っています。(なお、以下「福音書」という言葉は省略して「マルコ」「マタイ」「ルカ」「ヨハネ」と表記していきます。)
 この頃「マルコ」を皮切りに、こうした文書が相次いでたくさん書かれていったのですが、その理由はキリスト教共同体が各地で作られ組織だって行ったとき、イエスに関わっての教えが曖昧では困るというところから共同体ごとにその基盤を確立しようとする運動が起きていたからでしょう。
 さて、「マルコ」の性格ですが、これは
「イエスの言行を描くことで、イエスが神の子にしてキリストであることを証す」といった筆致のものであり、思想・神学的意味づけというようなものは殆どありません。もちろん歴史的事実の記述といったものではなく、「物語」として語ることでキリスト者に「イメージとしてイエスの真実を捕らえてもらおう」というような性格のものです。それだけに「生き生きとしたイエスの姿」というものが彷彿としてきます。それをベースにイエスの最後の場面を見ていきます。

「人の子」としてのイエス
 イエスは、自分に差し迫ってくる運命を察知して「ゲッセマネの園」に赴き、苦しみの中で父なる神への全身全霊を掛けた祈りをしていきます。つれてきたペテロ、ヤコブ、ヨハネの弟子たちは眠気に負け、必死に祈るイエスが「寝るな」という命令をしていたにも関わらず三度も寝てしまいイエスに叱責されますが、三度目の時に「もういい、時が来た、
“人の子”は罪人にわたされる」と言って弟子の「ユダ」たちが近づいてくるのを認めます。
 ここでの
「人の子」という言い方は「マタイ」も「ルカ」も引き継いでいる言い方ですが、その意味については今以てさまざまに議論されています。とりあえず一言でいえば「人の姿で天より来たり、地上を人として歩み、受難し復活し、天から再び地上に現れ最後を裁く者」といった意味合いになると理解しておいていいでしょう。つまり「人としての姿をとっているイエスの神性・キリスト性」を意味していると言えます。この言い方は、歴史的存在としてのイエスが用いていたとは考えられませんが(何故ならこれはキリスト教団が形成されて後の「イエス論」での見解ですから)、福音書の段階で「イエス自身が自分を語る時」の言葉として特殊化されて使用され、それ以外の用法はありません。これを記す福音書記者の意図は当然、「イエスとは神の子・キリスト」であることを証したいからに他ならず、それをイエス自身が言明しているとして、信仰者に対するイエスの意味を明確にしているものと言えます。

「ユダ」の裏切り
 さて、こうしてユダが近づき、合図の口づけをするという場面になります。「マタイ」「ルカ」も同様ですが、ただし、「ヨハネ」ではすでにイエスは全部分かっているものとして、「私がナザレのイエスだ」と名乗ってくるという描写になっています。(「ユダ」についてはかなり複雑なので「弟子たちの章」に少し詳しく紹介しておきます」
 ユダの回りには大祭司たちから差し向けられた武装の人々がいましたが、これに対してイエスの弟子たちの抵抗の場面が続きます。つまり、イエスの回りに居た弟子たちが剣を抜いて大祭司の僕の耳を切り落とすとなります。
 「マルコ」ではそれだけのものですが、「マタイ」ではここで有名な
「剣を元に収めよ、剣を取る者は皆剣で滅びる」という言葉が続きます。さらにそれに続けて「それとも私が父に願って、十二軍団よりも多い天の御使いたちを配下に置くことができないとでも思っているのか、しかしそんなことをすれば、こうならねばならないと書いてある聖書(もちろんユダヤ教の聖書)がどうして実現し得ようか」と続けて、イエスの受難は定められている「預言の実現」であることをイエス自身が知っていてそれを引き受けているのだ、としてきます。
 他方「ルカ」では、イエスは「やめなさい、それまで」と言って、その僕の耳にさわって傷を癒してあげた、となります。これは数ある
「病人の癒しの奇跡」を引き継いでいますが、要は「敵をも気遣う愛の人」としてのイエスを言いたかったからでしょう。
 「ヨハネ」では敵に斬りつけたのが「ペテロ」となっていて、イエスは「剣を収めよ、父が私にくださった杯をどうして飲まずにいられよう」と言ったことになっています。ここも
「天の定め」という理解をしているということでは「マタイ」に似ていますが、「マタイ」のように『ユダヤ教聖書』の成就という言い方はしていません。
 さて、こうしてイエスは捕縛にかかっていくわけですが、「マルコ」では「私は毎日神殿であなた方と一緒に居たのに私を捕らえなかった。しかしこうなったのは聖書の言葉が実現するためだ」と言ってきます。ここでの「マルコ」は後の「マタイ」と同様の言い方なので「マタイ」はこの「マルコ」を引き継いだということなのでしょう。
 こうしてイエスは捕縛されますが、この時「マルコ」は
「イエスの回りに居た人々はみんな逃げた」とあり、「マタイ」では「弟子たちは皆逃げた」となります。他方、「ルカ」は何も語っていません。「ヨハネ」では、イエスは「私がナザレのイエスである」と名乗って進み出て、それに続けて「この人たちを去らせてもらいたい」と言って全員無事に立ち去るようにした、となります。

大祭司の庭での尋問
 こうしてイエスは大祭司のところに連行されます。祭司長や長老、律法学者も集まって会議(サンヘドリン)が開かれ、イエスに対する尋問が行われます。
 さまざまのイエスの罪についての証言がなされるけれどそれらは互いに一致せず、なかなか有罪とすることができなかったとなります。
 ついに大祭司が立ち上がり、ずっと沈黙を続けているイエスに尋問し、
「おまえは、ほむべき方(つまり神)の子、キリストなのか」と尋ねます。それに対してイエスはやっと口を開き、「そうだ。おまえたちは“人の子”が力あるもの(つまり神)の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と答えます。これを聞いて大祭司は「これ以上の証言はいらない、神を汚す言葉を聞いたであろう」といってこうして会議はイエスの死刑を決定した、となります。こうしてイエスは侮蔑され殴られるなどしていきます。

「ペテロ」の三度の否認
 他方、この部分で有名な
「ペテロの三度のイエスの否認」の場面が入ってきます。それはペテロが連行されるイエスの後をつけて大祭司の庭に入りこみ、素知らぬ顔でみんなとたき火に当たって様子をうかがっていたとき、女中におまえもイエスの仲間ではないかと見とがめられ、そして三度にわたってそれを否定した時「鶏」が鳴いたが、これはあらかじめイエスが予告していたことだったのでペテロはそれを思いだし泣き出した、というものです。ここも細部の描写は福音書ごとに異なっていますが、大筋としては大きな違いはないでしょう。ペテロに対する予告において、人間は皆このように「弱い」ということを福音書記者は言いたかったのかもしれません。
 実際、福音書に描かれる弟子たちはそろいもそろって皆だらしなく、無知で信仰にも弱くすぐ心が揺れる存在として描かれているのです。これがイエスの昇天後にはすさまじく強い宣教の徒となっていくのであって、その変貌には驚くべきところがありますが、それを「使徒言行録」で伝える「ルカ」はこうした人間の変貌のあり方を福音書から始めて語っているとも言えます(ちなみに、「ルカ福音書」と「使徒言行録」はルカの手になる「前編、後編」という性格の文書です)。

「ピラト」の躊躇
 イエスに戻って、こうしてイエスは
ローマの総督「ビラト」のもとに送られてくることになります。ここでのポイントは、ピラトがイエスに向かって「おまえはユダヤ人の王か」と尋ねイエスがそれを肯定する場面と、「ピラトの躊躇」ということになるでしょう。ピラトの躊躇というのは、ピラトがイエスの有罪を認めることができず無罪釈放したかったけれど、群衆の騒ぎに負けてイエスを十字架に掛けていくことになる次第を言います。これについては矢張り古来から疑問があり、一般には、福音書がローマ総督ピラトにイエスの処刑を躊躇させているのはイエスの死についてローマ側の責任を軽減しようとしたためだろうなどと説明されますが、これは全然説明になっていません。何故なら、ここで「ローマ側のイエス処刑の罪の軽減」など語る必要性など全くないからです。ですから、ここでの意味は、「ユダヤ教側の罪深さ」を語ろうとしていると読むべきでしょう。つまり、ローマ総督ですら有罪と認めることのできなかったイエスを「強引に死刑にまで持ち込んだユダヤ教徒」となるからです。そういうわけで「マルコ」では、ユダヤ教の祭司たちがイエスを引き渡してきたのは、「ねたみ」からであることをピラトは分かっていたと記しているわけです。

ユダヤ人の王
 また
「ユダヤ人の王」という意味ですが、ここは少々厄介です。ユダヤ教的には「王」と言えば「ダビデ」を意味し、救済の預言においては「理想的な王」として他民族支配からの解放者を意味してきます。この「王」はまた同時に最高神官であり、宗教的指導者ともなります、祭政一致とはそういうことでこの形態は歴史的に殆どの民族がそうでした。
 他方、後のキリスト教的理解では
「人類の罪からの解放を実現する救済者にして支配者」という意味になるでしょう。
 四つの福音書で「ユダヤ人の王」といったときには二つの意味で使っています。一つはキリスト教的理解のもので、「ユダヤ人」という言い方で「人類ないし神に従う者」を代表させ、「王」ということで「解放者・救済者にして支配者」としているとしておいて良いでしょう。つまり
「人類の救済者にして支配者」という意味を込めているわけで、イエスがみずから「自分はユダヤ人の王」と自認している場合はこの用法です。従って      「ヨハネ」では、イエスは「ユダヤ人の王」であると自認してさらに「私は真理を証しするためにある」と付記してくるのでした。
 ただし、字面の上では「ユダヤ人の王」とは文字通り
「ユダヤ人の君主」となるわけでここに錯綜が生じてくることになります。それを典型的に表しているのが「マルコ」の場合で、つまり、イエスが「自分はユダヤ人の王だ」ということを自認している時には前者の意味で、他方「兵士たち」がイエスに紫の衣を着せて茨の冠をかぶせて侮辱し「ユダヤ人の王、万歳」と叫ばせている時には後者の意味なのであり、みすぼらしい罪人に向かっていう「皮肉」として最大の侮辱としているわけでした。さらにこの用法はイエスの十字架の上に掛けられた罪状に現れてきて、そこでは「ユダヤ人の王」ということで「ローマに対する反逆者」という意味にしています。この罪状は、要するに「宗教的指導者は同時に社会的指導者」であったことから生じている罪状であり、現代の目からはイエスは「宗教的改革者」と見られるでしょうが、当時にあってはそれは同時に「社会革命家」となってしまうであって、そうしたあり方を端的に「王を僭称する者」という言い方で表していたというわけです。

挿入の逸話、ユダの死
 以上の部分の大筋は四つの福音書とも変わりませんが、ただその細部がかなり異なっていて、「マタイ」ではここに
「ユダの後悔」の場面が入ってきます。つまりユダはイエスが有罪とされたのを見て後悔し、祭司長たちに銀貨30枚を返還しに来たけれど受け取ってもらえず、銀貨を聖所に投げ込んで出て行き首をつって死んでしまった、となります。祭司長たちはその金で畑を買い取り旅人の墓所を作った、そのためここは今以て「血の畑」と呼ばれているとなります。これはエレミアの預言が実現するためである、とマタイは付記していますが、これは一連のイエスの審判とは関係しません。
 ちなみに「その後のユダ」のことは他には「使徒言行録」の最初で触れられて、ユダはある地所を手に入れたがそこの穴に落ちてはらわたが引き裂け死んだ、そのためそこは「血の地所」と呼ばれている、とあります。従って両者とも「血の地所」という名前の由来話にしていると読めます。
他方、「ルカ」ではここに
「ピラトとヘロデ」という、ローマの総督とユダヤ人代官という二人のユダヤの支配者の関係の逸話を挿入していますが、これは当時の民衆にとっては何らかの感情を喚起するものだったのかもしれません。

ユダヤ人群衆の狂気
 さて、ともあれ、ピラトは群衆に負けてイエスを十字架にかけることを承認してきます。この時、四つの福音書は
「ユダヤ人群衆の狂気」を描いています。彼らはこの「過ぎ越しの祭り」の時の慣例となっている「特赦」を要求し、ピラトがイエスの放免を強く示唆するのに対して、強盗・殺人の罪にあった「バラバの放免」を狂気のように叫んでいるのでした。
 「マタイ」に至っては、ピラトは手を洗って自分はこの人の死に一切の罪がないと言ってくるのに対して、ユダヤ人群衆は
「その血の責任は我々と我々の子孫の上に降りかかっても良い」とまで叫んだと記しています。これは後にキリスト教徒によるユダヤ人迫害の根拠にされたとも言われるくらい強烈なせりふでした。

刑場へ
 こうしてイエスは刑場へと引き立てられることになります。その刑場が
「ゴルゴダの丘(文字通りには「どくろの丘」)」となります。現在この場所はイエルサレムの旧市街のど真ん中に想定されていますが(「聖墳墓記念聖堂」の場所)、それはあり得ない話しで歴史的な事実から言えば刑場というのは市街の外に設けられます。「ヨハネ」の言い方では「都に近かった」とあります。
 このとき「ヨハネ」では、イエスは自分で十字架を背負って歩いていきますが、他の三つでは「シモン」というキュレネ人が背負わされたとなっています。

十字架刑
 そして刑場にあって、イエスは十字架に掛けられその左右に二人の罪人が同じように十字架に掛けられたとなります。ちなみに、この十字架刑というのは奴隷の重罪人かローマないしローマ総督に対する反逆者に対して行われた刑罰なので、イエスの場合には
「反逆者」ということになります。そのため、イエスの罪状書きは「ユダヤ人の王」となっていますが、この時には先の「ユダヤ人の王」の意味のところで説明しておいたようなキリスト教的理解ではなく、文字通り「ユダヤ人の君主」という意味でのものとなります。だから「ユダヤ地方を収めるローマの総督に対する反逆」ということになるわけでした。
 また、二人の受刑者については「ルカ」だけが異なっていて、他の三つではこの罪人たちもイエスをののしったとあるのに対し、「ルカ」では「一人はののしったが、もう一人はイエスをかばい、イエスに対し天に昇った時には自分の名前を覚えていてくれとたのみ、イエスからおまえは私と共に神の御許にあることになるだろう」と約束されることになってきます。「ルカ」はとにかく
「愛のイエス」を語りますので、それがここにも現れていると言えます。

イエスの最後の言葉
 こうしてイエスは集まった人々によって嘲笑され、そして十字架上で死んでいくことになりますが、この時イエスが叫んだ言葉がいろいろと物議を醸すことになりました。つまり「マルコ」では「エローイ・エローイ・ラマ・サバクタネイ(古典発音だとこうなる)」となっていて、これはイエスの使っていた現地語(アラム語)で、意味は
「我が神は、我が神は、何故私をお見捨てになられたのか」となる、とギリシャ語原文聖書は翻訳しています。
 さらに「マタイ」では「エーレイ、エーレイ、レマ、サバクタネイ」となっています。これに対するギリシャ語訳は
「我が神よ、我が神よ、何故私を見捨てるのか」となっています。「マルコ」では「神」を主格にしているのに対して「マタイ」は「呼格」にしているので、「マルコ」では「疑問」に対して、「マタイ」は「悲痛な呼びかけ」となっています。実感的には「マタイ」の方がよさそうです。
 しかしいずれにせよ、これでは
「絶望」の言葉としか取りようがないので、ユダヤ教聖書の預言を成就するイエスの意志とか覚悟、あるいは後世に解釈される「イエスによる人類の贖罪」など全然でてきません。
 そのため困って、この言葉はアラム語版「詩編」22.2の前半の言葉に近いと理解して、従ってこのイエスの言葉はこの詩編全体を言おうとしたのだとし、そうだとするならこの詩編の最後は「神への信頼」の言葉となるので、このイエスの場合も同じく「神への信頼」を言おうとしているのだ、と説明されたりします。
 しかし矢張りどうも都合が悪いと「ルカ」も「ヨハネ」も思ったらしく、両者はこの言葉を削除して、「ルカ」では
「父よ、私の霊を御手にゆだねます」という言葉にし、「ヨハネ」では「すべてが完了した」と言って頭をたれて息絶えた、としています。「ルカ」「ヨハネ」ならキリスト論的に理解しやすいですが、しかしどうも「マルコ」「マタイ」の方が実際的とも思えます。そして、ここを素直に取れば「イエスの苦しみと絶望と悲しみ」が感じ取れるわけで、「マルコ」「マタイ」はそれを伝えたかったのだと理解しておいても良いと思います。実際この言葉は「ゲッセマネの園」でのイエスの苦悶の祈りと同一線上にあると理解できますから。
 「マルコ」や「マタイ」がこの言葉をのこしているのも、イエスの無実を知っていた人々、イエスを信じていた人々、イエスを愛していた人々は、こうして死んでいったイエスにより一層の親しみを持って心を寄せていくと思われたからでしょう。神や人を信ずるというのはそうしたものであり、「権威や理屈・神学」にあるわけではないからです。

イエスの最後
 この最後の時の情景ですが、イエスの叫びに「マルコ」と「マタイ」は、人々がイエスの言葉を「預言者エリア」を呼んでいる声と思い、本当に出現するか見届けようとした、と言っていますが、これはイエスの言葉「エローイ、エローイ、ないしエーレイ、エーレイ」を「エリア」と聞き間違えたということでしょう。場面としては臨場感があります。
 そしてイエスの死と共に神殿の幕が上下に裂けたとなり、「マタイ」ではさらに「地震が起き岩が裂け、墓が開き死体が生き返った」などと附加されて、イエスの死の場面を強調しています。しかし、こうした附加は「ルカ」や「ヨハネ」にはありません。
 そして、「マルコ」「マタイ」「ルカ」では、イエスの最後を見守っていた「百人隊長」が
「まことにこの人は神の子であった、(あるいは正しい人であった)」とつぶやいたと記しています。この言葉の唐突さとその意味については、この章の「はじめに」で指摘しておきました。

イエスを見届けていた人々
 この場面で興味深いのが、このイエスの最後の場面を見届けていた弟子たちのことですが、「ヨハネ」以外の福音書に
「イエスの弟子たち」は一人もいません。これは先の捕縛の場面で「皆逃げた」としているのと適合しています。
 「ヨハネ」は「弟子ヨハネ」を特別扱いして「イエスのもっとも愛された弟子」としていますからここにも彼一人いることになっていて、しかも
「イエスの母マリア」を託されるという有名な場面が入ってきます。この伝承は実際、小アジアの「エフェソス」に形となって現れ、この地には「ヨハネの墓・教会」と共に「マリアの庵の跡に作られた小さな聖堂」もあって現在ではたくさんの人々が訪れるところとなっています。
 弟子ヨハネをのぞいて、イエスの死を見届けていたイエスに身近な人々というのは
「すべて女性たち」となります。「マルコ」では「マグダラのマリア」「小ヤコブとヨセの母マリア」「サロメ(踊りの褒美に洗礼者ヨハネの首をもらったサロメとは別)」及びガリラヤから付き従ってきていた大勢の女たち、となります。
 「マタイ」では「ガリラヤからの大勢の女たち」「マグダラのマリア」と「ヤコブとヨセフの母マリア」として、「サロメ」が言及されずに「ゼベタイの子たちの母」となっています。ただ、「マルコ」と付け合わせると、「マルコ」での「サロメ」はこの「マタイ」での「ゼベタイの子の母」ということになりそうですが、はっきりしません。
 「ルカ」では「ガリラヤから従ってきた女たち」とのみで名前は挙げていませんが、イエスの埋葬される墓に詣でる場面では「マグダラのマリア」「ヨアンナ」「ヤコブの母」としています。
 「ヨハネ」では「イエスの母マリア」「その姉妹」「クロパの母」「マグダラのマリア」となっています。以上で気づかれるように
「マグダラのマリア」だけが一人すべての福音書に共通していることになります。この「マグダラのマリア」はイエスの復活に立ち会う女性として非常に特殊な位置にあるのですが、それは別途「イエスの弟子たち」の章で取り上げたいと思います。

イエスの埋葬
 こうして十字架上で死んだイエスですが、ここから
「不可解」なことが生じてきます。というのも、通常十字架に掛けられて死んだ者は、とにかく「国家的な重罪人」ですから普通の死罪にあった罪人のように遺骸が身内に戻されるなどということはなく、投げ捨てられて獣の餌食にされるか、せいぜい共同墓地に投げ込まれるかであり、立派な埋葬など行われないからです。
 しかし、イエスの場合、
「アリマタヤのヨセフ」という人がピラトに願い出てイエスの屍をもらい受けたとなります。十字架に掛けられた重罪人の扱いとしては異例であることを知っていたであろう「マルコ」は、「彼は地位の高い議員」であったと断って、ピラトがそれを許可したことのいいわけとしています。しかし、アリマタヤのヨセフがどうしてそんなことを願い出たのかは良く分かりません。「マルコ」は彼自身「神の国を待ち望んでいる人」であったと記していますが、このことは彼がイエスの弟子であったことを暗示するつもりかもしれません。そのため「マタイ」でははっきりと「イエスの弟子であった」としてその必然性を言おうとしています。しかし、「ルカ」では矢張りそうすることはできなかったようで、「神の国を待ち望んでいた」という「マルコ」を引き継ぎながら、「彼は善良で正しい人であった」「議会の議決や行動には賛成していなかった」とだけ付言しているだけです。「ヨハネ」はやはりそれでは苦しいと思ったのか、ここでも「密かにイエスの弟子となっていた」としています。
 もっとも、弟子ならば「願い出」のところは理解できますが、しかし、
何故ピラトは慣例に反してまで国家反逆罪という重罪人の埋葬を許可したのか、ということは説明されません。ピラトはイエスの無実を分かっていたからという説明もだめです。何故なら、イエスは結果的に国家反逆罪の重罪人として十字架に掛けられているのであり、ピラトは総督として正式に重罪人として認めてしまっているからで、ここに来て「反省した」などとは帝国に対しても部下への手前も言えた話しではないからです。ですから、ここは良く分からないとしか言いようがありません。
 またもう一つ大事なことが言われていて、「マルコ」では、ピラトはその願いを聞いて
「イエスがもう死んでしまったのかと不審に思って百人隊長に確認した」と記しています。というのも、十字架刑は残酷なものでしたが、通常は1〜2日は死ななかったとされているのです。イエスの場合は、「マルコ」では「九時に十字架に掛けられ」「三時に死んだ」となっているので、六時間ということになります。「ヨハネ」の場合でも、まだ安息日前の「準備の日のまま」なので同じくらいの時間となるでしょう。
 この早さは後に、イエスの復活という問題に際して
「イエスはまだ死んではおらず瀕死のままだった、だから息を吹き返した」とかの風評を生んでしまう根拠にされたようでした。ひょっとして「ヨハネ」の時代にもすでにこんな風評があったのかも知れず、そのためか「ヨハネ」は、「イエスが死んで、その死体を降ろす時に一人の兵卒が槍でその死体の脇腹を突いた、すると血と水が流れ出た」と記しています。この記述は他にはありません。ですから槍で突くということは通常はなかったと思われ、それをわざわざ記していることに「ヨハネ」は「イエスは確実に死んでいる」ということを示していると理解されます。もっとも「ヨハネ」は、それは聖書の言葉が成就するため、といういいわけを付けては居ますけれど、この場面のこととしては説得的ではありません。

イエスの復活
 ともあれ、こうしてイエスの死体は亜麻布をくるまれ、岩を掘って作った墓に埋葬され、その穴のいりぐちには大きな岩が転がされて蓋とされたとなります。その翌々日、つまり安息日の終わった日に、「マルコ」によると「マグダラのマリア」と「ヨセの母マリア」がイエスの収められた墓を見届けていたので、「サロメ」ともども三人で遺体に塗る香料を買い求めて墓に詣でた、となります。道々、入り口の蓋の石をどうやってどけたらいいだろうと話しながらきたのだけれど、ついてみるとすでに蓋の石がわきに転がしてあった、となります。
 女たちが墓に入ってみると、右手に真っ白な長い衣を着た若者が座っており、そして彼は
「ナザレのイエスを求めているのだろうがイエスは蘇ってここには居ない、おまえたちは今から弟子たちとペテロの所に行って、イエスはあなた方より先きにガリラヤに行く、そこで会うことになるであろう」と伝えよ、と言ったとなります。女たちは恐れおののき墓から逃げ帰り、そして人には何も言わなかった、恐ろしかったからである、という言葉でこの福音書は終わりとなります。
 現行の聖書はそれに「後文」を付けていますが、それは後世の付け足しであることが通説となっています。ですから、これが「本来」であったと見ていいでしょう。

 「マルコ」は以上のように
「天使によるイエスの復活の告示」だけで終わりにしているわけですが、この「イエスの復活」がキリスト教信仰の鍵となることはすでに最大の宣教者「パウロ」において明らかですので、「マルコ」を引き継ぐ残りの福音書はさらにここに一つの説明を付加してきます。
 「マタイ」の場合ですが、先ず、イエスの復活の予告がなされていたとして、ユダヤ人祭司長たちはピラトのもとに来て、「墓に番人をつけておいて欲しい、そうでないとイエスの弟子たちが遺体を盗み出して隠し、そしてイエスは蘇ったと言いふらすことになろうから」と頼み、こうしてピラトは番人を許可した、となります。これは、その後の「復活の伝承」に続けて、祭司長たちは番人に対して「イエスの弟子たちが、我々が寝ている間に遺体を盗み出した」と世の中に言いふらせ、と命令することにつながり、そのため
「イエスの遺体の盗みだしの話しはユダヤ人の間に広まっている」という文につながってきます。
 これで見る限り「マタイ」の時代には「イエスの復活」の話しと同時に「弟子たちの盗みだし」という説が流布していたらしいということが読み取れます。「マタイ」は、そうなった理由は「ユダヤ教祭司たちの命令にあった」ということをここで述べているわけです。
 さらに、この文脈に会わせるように、番人のついている筈の墓の場面で「マタイ」は、「マグダラのマリアと他のマリアが墓のところに行くと大きな地震が起こり、天使が降りてきて石を転がしその上に座った、番人は恐ろしさのあまり震え上がって死人のようになった」と描写してきます。これで、番人がいても大丈夫であったことの説明となるわけでした。
 ただし、「マタイ」の場合の「復活の場面」は基本的に「マルコ」を引き継いで天使が復活をつげるのですが、一つだけ異なっており、弟子たちの所に急ぐ女たちの前にイエスが姿を現して挨拶し、女たちはイエスの足を抱いて拝した、という文が加わり
「復活のイエスの描き」が加わります。そして弟子たちは天使に告げられたようにガリラヤにいくことになるのですが、「マタイ」はここでさりげなく「しかし、疑う者も居た」と付け加えています。この「復活」が当時からキリスト者にとって「躓き」となっていたのであろうということが推察される文となります。最後はイエスによる「宣教の命令」によって終わりとなります。

 「ルカ」になりますと、天使によるイエス復活の告示に続いて、「マグダラのマリア」たちは弟子たちに天使の語ったことを告げたけれど
「弟子たちはそれが愚かな話しと思われたので信じなかった」となり、やはり「マタイ」に見られたような「躓き」が弟子たちの間にあったことを告げています。
 それに続けて、二人の弟子がエルサレムから出て道を行っていた時にイエスが現れたが二人の弟子はそれがイエスとは分からず、そしてエルサレムで起きたイエスにまつわることを話し、復活の話しまでしたところ、イエスはまだ正体を表さないままで弟子たちの頑な心をせめて、モーゼからはじめ預言者の預言について解き明かし、宿について食卓についたところで一瞬姿を現したが消えた、となります。二人の弟子がエルサレムに帰ってみると弟子たちがあつまり、ペテロにイエスが現れたという話しがあり、そこで二人の弟子の道々での話しで持ちきりとなったところでイエスが弟子たちの中に姿を現した、となります。こうしてイエスは復活を自ら示して、祝福した後に彼らの元を離れ、弟子たちはエルサレムにあって神を褒め称えた、という形で終わります。宣教については命令というよりは「証人」という言い方をしてきます。
 ここでも、「復活」ということが弟子たちに「躓き」となっていて、「二人の弟子たちの逸話」によってようやく信じられていくという設定にされているのは注意すべきことでしょう。
 ちなみに、「マルコ」の本文につけられている後文はこの「ルカ」に似ていて、やはり
「二人の弟子が田舎道を歩いていたときイエスが現れる」となっています。おそらく後代の人が単純な形でおわっている「マルコ」に不満を感じて「ルカ」のこの部分を附加したのかもしれません。

 「ヨハネ」の場合は、この「躓き」をもっと深刻に描いていることは有名で、それは
「疑いのトマス」の場面となります。これは、イエスが弟子たちに現れたということを聞いたトマスが「イエスの十字架上での手に打たれた釘の跡、槍に刺された脇腹の傷に指を差し込んで確認するまでは信じることはできない」と言ったのに対してイエスが現れて確認させる場面です。これに対して後世のキリスト者は冷ややかに「疑いのトマス」などと呼んでおとしめて「信仰の薄い者」のように譬えるのですが、そう呼ぶ者の信仰に対する軽薄さが見え隠れするようです。何故なら、イエス自身、これがどんなに難しいことかを知っていて、「見たから信じたのだろうが、見ないで信じる者は幸いなのだ」と諭すだけでトマスを追い出しはしていないのでした。また先にみたように、弟子たちは殆ど全員が「信じなかった」のであり、イエスが現れてようやく信じたのです。トマスだけが何も特別疑い深いわけではなかったのです。
 なお、「ヨハネ」はこの後イエスが湖に現れて、弟子たちがとれなかった魚をたくさんとれるようにした奇跡を語り、ペテロに「自分を愛するか」と三度尋ねる場面とペテロの行く末を暗示し、愛する弟子「ヨハネ」についての予告をして終わりとなりますが、この最後の場面というのは一見「付け足し」のように見えて奇妙です。しかしこれについての説明は本題から少し離れてしまいますのでやめておきます。
 とにかく、「復活」というのはこのように、以上の福音書がこぞって告げているように、
「深刻な信仰の葛藤の中で」信じられていくものだということで、「キリスト教徒はイエスの復活を信じます」などと軽々しく言えるような事柄ではないということを福音書は示しているのでした。おそらくはこの葛藤の中でこそ真実の「イエスは神の子」とする信仰が芽生えて来るのでしょう。

 以上が福音書にみる「イエスの十字架と復活」であったわけで、キリスト教徒にとっては以上の説明で十分で、それ以上の説明はいらないはずです。しかし、もしこれを歴史的・科学的な態度で事実関係として見よ、ということになったら
問題は複雑怪奇となってきます。何故なら、十字架上での死は理解できますが、生物学的に「死からの復活」はあり得ないからです。それは自然の摂理に反することだからです。
 ですから、ここは「信仰の問題」としてそれ以上は問わないのが「正解」の筈なのですが、どうも現代の人は「科学や事実」にひどく弱く、科学での立証や事実だけが真実なのだと信じて疑っていない人々が多いと言えます。「信仰」は科学で立証されるものではないという「宗教の基本」すら忘れている「自称信者」たちが多すぎる気がします。
 しかしともあれ、その立場でこの「復活」を説明しろと言われるならば、
「実際には復活はなかった、それは弟子たちの策謀であった」といった、「マタイ」の時代のユダヤ教徒の間にあったと伝えられている態度が「あり得る話し」ということになってしまいます。これは「事実としてあり得る」からです。それで結局、ユダヤ教徒のように「死体が盗み出された」とするか、あるいは「替え玉説」とか現代人の好みそうな「三文芝居的解釈」をおもしろおかしく話題にするしかなくなってくるのですが、これらはやめにしておきたいです。
 このページでの立場である「思想家としてのイエス」を見る立場からもそうした解釈は無意味となります。信仰にしろ思想にしろ、大事なのは
「そこに人は何を見るか」ということなのであって、この場合「生物としてのイエス」がどうであったかといったことなど問われないからです。

 結論的に言うならば、大事なことは
「人はイエスの死に復活を見た」ということなのです。見ない人がいてもそれはかまいません。「見た」という人が、そこに「人間としてのあるべきあり方」というものを見て取って自分の人生を考え、「生きる」ということを自らのものとして引き受けて生きていくということがあれば、それは「思想として生きている」のです。そういう意味でイエスは、人に「真実の人としての生」を見させてくるものとして、「死んで復活した」人だったと言えると思われるのです。

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