8.イエスにまつわる伝承 - 3. イエスと洗礼者ヨハネ | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

8.イエスにまつわる伝承〜イエスは如何にして「救世主キリスト」となったのか〜
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INDEX
1. イエス論とは。背景としてのユダヤ教
2. イエスとユダヤ教「パリサイ派」
3. イエスと洗礼者ヨハネ
4. イエスの教え「愛こそすべて」
5. イエスの行動、その使命と奇跡物語
6. イエスの十字架と復活
7. 12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」

3.

イエスと洗礼者ヨハネ


はじめに
 この第三章はイエスが宗教者として活動していくその端緒のところを見ます。それはイエスに先立つ「洗礼者ヨハネ」との遭遇からとなります。
 キリスト教信仰の立場からすれば、洗礼者ヨハネは
「イエスの道を準備した者」でありそれ以上でもそれ以下でもありません。ここに「思想的関連性」を見ようとするのは「思想史的立場」からのもので、この章はそうした立場での解説です。したがって、神学的な視点での「イエスの道の準備」を解説するものではありませんので注意してください。

 ところでイエスについて、その幼年期から青年期にかけての行状については「ルカ福音書」に記述があるものの、それはルカの或る意図に基づいた「創作物語」であることは確実で、したがって他の福音書には全く触れられていません。従って、歴史学的にはそのルカの記述は事実ではなく、イエスの若い頃のことは歴史的に確実なことは何も分からない、となります。
 ただし、キリスト教信者にとっては歴史的事実などどうでもいいことで、宗教的に意味あることなら受容するということでこのルカの記述を受け入れています。
 他方、福音書に描かれてくるイエスのユダヤ教聖典の知識と解釈はすごいもので、押し寄せてくる論敵となるユダヤ教神官や学者たちをことごとく論破していってしまいます。ですから、若い頃にユダヤ教の神学について相当の勉強をし、しかもその理解において天才的才能をもっていたと考えられます。しかし、その勉学の経緯については全く謎のままです。
 文献的にイエスについて知られることは、「洗礼者(バプテスマ)のヨハネ」によって洗礼を受けてから十字架刑に処せられるまでの推定わずか2〜3年の行状だけです。イエスが神についての教えを人々に語っていたのはその2〜3年の間だけですので、世界を変えた人の活動期としては本当に短いものであり、テレビも新聞も本もない時代その教えの浸透性には奇跡的なものがあるのでした。
 それについてはこれから見ていくとして、以上のようなわけで私達はイエスについては「洗礼者のヨハネ」から見て行くことになります。これは実際、福音書の基盤となっている「マルコ福音書」がとっている書き方であり、この福音書は「ヨハネとイエスとの出会い」から書き始めているのでした。

洗礼者(バプテスマ)ヨハネ
 先に指摘したように、通常キリスト教会では、「洗礼者(バプテスマ)のヨハネ」については『聖書』に基づいて
「イエスの先駆者、道を準備した者」、むしろ「イエスの神性を証す人」という位置づけで語られます。
 したがってキリスト教的には「思想的発展」という視点でヨハネを
「イエスの師」というような位置づけで語ることはありません。というのもキリスト教にとって何より大事なのは「イエス」だけなのであり、そのイエスは「誰かの思想を発展させた人」ではないのであり、「神の子」として「神の言葉を地上に知らしめた神的な存在」だからです。ですから教会ではイエスをヨハネの上に位置づけて語るのを常としてきます。しかし、ここでは「思想史的に」どういった関係であったのかという視点で見ていきたいと思います。

 ところで、この洗礼者のヨハネや当時のユダヤ教についての証言は、キリスト教側の証言だけではなく、ユダヤの歴史家ヨセフスによっても与えられているのでした。ヨセフスはキリスト教徒ではありません。ですからキリスト教の思想内容には疎いと思われる反面、当時のユダヤ社会がどのようなものであったかについてのキリスト教の見方とは異なった証言の一つとなるわけです。したがって私達がこの時代を考察するときこのヨセフスの書(『ユダヤ古代史』『ユダヤ戦記』『自伝』など)は非常に大事な書となります。
「ヨセフスの証言」については後代の書き加えや改変などの問題もあるのですが、それについてはここでは詳しくは触れないことにします。
 ヨセフスはバプテスマのヨハネについては『ユダヤ古代史』においてヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の子)がナパタイの王アレタスとの戦いに敗れたいきさつということで言及してきて、ヘロデが破れたのは彼がヨハネを処刑した天罰なのだと言ってきます。
 つまりヨセフスは、このヨハネについて
「バプテスマ(洗礼者)と呼ばれたヨハネ」について、このヨハネは立派な人でありユダヤ人に対して「正しい生活」を送るよう進言し、仲間に対する「公平」と神にたいする「敬虔さ」を持つように説き、「洗礼」をうけるように教えた、と言ってきます。それなのにこんな立派なヨハネを殺したのでヘロデにたいして「神の正義の復讐」がなされたのだというわけでした。
 一方、このヨハネの特色としての
「洗礼」についてヨセフスは、聖書的な解釈である「悔い改め」と「神への服従の印」という理解では捕らえておらず、「肉体の浄化」のためとしていますが、その理由として「魂」の方は「正しい行い」によって浄化されるからである、と述べています。この理解は『聖書』にある理解とは異なっています。次いでヨセフスは、こうしたヨハネの下に多くの民衆があつまり、それを見たヘロデが自分に対する反乱の元になるのではないかと怖れヨハネを捕らえて処刑してしまったのだ、と述べています。
 以上に見られる証言は「洗礼者ヨハネ」という人物が多くのユダヤ人に受け入れられており、少なくともユダヤ教徒の一人であったヨセフスの目にも「立派な人物」で「正しい行い」をしつつそれを人々に教えていた人物であったことが伺えます。

 イエス登場以前にこうした人物が出現して一般大衆の心を引いていたという事実は、当時の人々がすでに伝統的な神官や律法学者に心酔はしていなかったということが理解できます。つまり、当時の人々は
「新たな預言者ないしメシア」を待望していたと考えられます。
 
「メシア・救世主」というのは、文字通りには「油を注がれた者」という意味で、実態としては「ユダヤの王」を意味したものでした。ただし、この当時の社会というのはどこでも「祭政一致社会」ですから、王が同時に「宗教的リーダー」ともなります。つまり「メシア」といった時には現実的な社会的な王にして宗教的なリーダーとなります。
 このギリシャ語訳が
「キリスト」ですが、キリスト教では「キリスト・救済者」とは「人類の救世主」として、また「罪からの救済者」として「魂の救済者」のニュアンスになってきますが、ユダヤ人の間では「社会的・政治的・宗教的に救い主」となるメシア像がイメージされていました。「メシア・キリスト」と呼ばれることとなる「イエス」の登場も突然のことではなく、こうした社会背景の下であり得たものだということを理解しておく必要があります。
 ということになると、洗礼者ヨハネの時代にはすでに、人々は伝統的神官や祭司階級に自分たちの救世主を求めず、新たに荒野で活動する「洗礼者ヨハネ」のような人物に救世主を期待するような社会背景があったということです。

 また、この同じヨセフスの『ユダヤ戦記』という別の書物に「古スラブ訳」というのがあり、そこに「ヨハネ」や「イエス」に関わる証言があります。
 それによると、当時髭を長くのばし獣の皮を身にまとった「野人」のような男が現れ、人々に対して「神はあなた方に律法の道を示すために私を遣わした、それを守ることによってあなた方はすべての人間から解放され私を遣わした至高の方(神)以外に支配者はいないことになる」と教えた、人々はこれに喜び多くの人々が彼に従った、彼のしたことというのは人々を「ヨルダン川」に沈め「悪い行いを止めるよう」に諭して立ち去られただけであった、さらに彼が述べていたのは「何者にも従属しない王が現れ、人々を解放し、すべての者を従える」ということであった、学者達が集められてヨハネを詰問した、しかしヨハネは逆に学者達に「恥ずべき行為を止め、神に従え」と言った、これに対してエッセネ派の男が怒り、「自分たちは毎日聖書を読んでいるのにお前のような野人が我々を教えるつもりか」といって飛びかかっていった、しかしヨハネは「私は君たちに真実の教えを明らかにすることはない、君たちがそれ(真実の教えを教える者、ここで言っている「何者にも従属しない王」と考えられる)を持とうとしないからだ、だからひどい災難が君たち自身の行いによって生じることになるだろう」と言って立ち去っていった、とあります。
 さて、ここに見られる洗礼者ヨハネ像は『聖書』にあるヨハネ像とほとんど同じで、
「真実のメシア、つまりキリスト教徒にとってはイエスの到来」を告げているようです。つまり、洗礼者ヨハネがいう「何者にも従属しない王、人々を解放する者」というのは「イエス」であると理解するわけです。しかし、これはどうもキリスト教が成立してからの「後付の説明」ではないかといわれ、後世の挿入の疑いが強いとされます。

 そこで今度は『聖書』の記述で洗礼者ヨハネ像をみてみましょう。洗礼者ヨハネの年代については何らの記述もないので分かりませんが、イエスの登場以前に活動していたのですからイエスよりは年長だったと考えられます。
 彼の登場も「洗礼者」となった後ですので若い頃のことは分かりません。登場してきた時にはすでにヨセフスにあったように
「野人」のごとき風貌であったことは『聖書』でも確認できます(「マルコ福音書」1.6。「マタイ福音書」11.18など)。
 しかし、こうしたあり方はすでにヨハネ以前の預言者たちにも見られるものでした。しかも、こうした「野人的預言者」について歴史家ヨセフスは「バンヌス」という人物に言及していて、彼はやはり荒野に住んで野に自生するものを食べ、木の葉を身にまとい、浄めのために日夜沐浴していたということを告げ、ヨセフス自身彼に傾倒して三年間彼の下にいたということを報告しています。バンヌスはヨセフスの時代ですからヨハネやイエスより後代の人になりますが、しかしこの記述にせよ先のヨハネについての言及にせよ、ヨセフスは彼等を「特殊・変人の風貌」とはしていませんのでこうしたタイプの人たちがユダヤ教に昔から多く存在していたのは確かのようです。つまり、このヨハネのありようは全く彼独特の風変わりなものではなくユダヤ教にあり得た
「預言者の一形態」であったのでしょう。
 一方「ルカ福音書」一章では、彼は「祭司」の出身とされています。しかし他の福音書ではヨハネについてしばしば言及してはいてもそういう記述はなく、これはユダヤ教的預言者に疎いけれど「司祭」の存在は知っている「異邦人」であるギリシャ人への伝道を意図していると見られる「ルカ福音書」の性格からきていることで根拠は薄弱と言えます。

洗礼者ヨハネの思想
 ヨハネの思想については、当時のユダヤの社会状況とキリスト教側の理解の両面から見られるべきでしょう。先ず社会状況に関して言えば、当時はローマのパレスチナ地方の支配が本格的に始まって90年くらい経った頃です(ポンペイウスによるエルサレム占領は紀元前63年になります)。そして傀儡政権ではありながらともかくユダヤ人社会をまとめ、イエルサレムにあった神殿の大がかりな改修に取りかかるなどした「ヘロデ大王」はすでになく、その後継者である息子達は無能でユダヤ人社会は乱れていました。
 しかし一方ユダヤ人たちには、150年ほど前には手にした一時的な自治も忘れられてはいなかったでしょう。そうした時代ですからユダヤの歴史を通して存在している
「メシア願望」は、当時非常に強くまた現実性のあるものとして願望されていたことと想像されます。
 ヨハネはそうした時代背景に出現してきたわけで、これはこれまでユダヤ社会の混乱期に常に現れた預言者の系譜にあるということは言えます。彼等はすべて「神」をより一層強く信仰すること、正しくあるために社会秩序となっている「律法」の厳守を命じていました。この限りヨハネは先行預言者と変わらないのですが、どうもその
「洗礼の思想」に独特のものがあったと推察されます。
 
「洗礼」は「沐浴」という意味でならばユダヤ教そのものに存在し、とりわけクムラン・エッセネ派では「宗教的儀礼」として重視された「身の清め」を重視していました。先に紹介した「バンヌス」も日夜沐浴していたことが伝えられていました。そしてその習慣はイエスの時代のユダヤ教にもありパリサイ派の人が「食事の前に手を洗わない」ということでイエスたちを咎める場面を『聖書』でしばしば目にします(マタイ15.1以下、マルコ7.1以下、ルカ11.37以下など)。そしてこの習慣は、現代の同じ中東の宗教であるイスラームにも非常に強く観察され、イスラームでは祈りの前に必ず定められた「沐浴」をするのが大事にされています。ですからこの習慣は中東に古くから伝統的に確立していたのではないかと推測されます。従って「沐浴」はユダヤ教においてもすでに「大事な宗教行事」として確立していたと考えられます。

 しかしヨハネの特異性はその「沐浴」は一回で良いとされていることで、単なる「日常的な清め」とはもはや意味が違うといえます。ヨセフスはこの特異性に気付いて居らず、沐浴を常に大事としていた「エッセネ派」や自分が従っていた「バンヌス」と同じレベルの「身の清め」と思っていたようですが、この特異性に気がついていたのがイエスであったと思われるのです。
 すなわちその理解が「マタイ福音書」などに描かれている理解であって、それは
「終末と審判」の思想の下に「悔い改め」を具現する儀式ということになります。つまりヨルダン川に身を沈めるという儀式は、今やってくる神の国の到来を見て「悔い改めて」「神に従う者」となる意思表示、そしてそれに伴う「救い」とその具現という意味合いを持つと捕らえられていると考えられます。
 簡単に言えば、真実に神に従う者として、過去の自分は
「洗い流し(一度死に)」、「新たなる者」として生き「救われる」ということを意味すると捕えられていると思われるということです。そしてこの「救い」というのはもはや「現実的な、豊かな土地の享受」というユダヤ教本来の目的ではなく、むしろ「神の下に救われる」というニュアンスになっていることが重要です。
 なぜならヨハネは「救い」ということを、ユダヤ教の本来の目的である「神から約束されたカナンの地の獲得」という現実的な「約束の地」の獲得とはせず、むしろ
「神の国」を強調していると見なせるからです。もっともこうした方向は「クムラン教団」にも濃厚に見られ、「パリサイ派」にさえ見られる思想なのですが、ヨハネの「洗礼の思想」はそうした思想性をより強固に精神的に深化させていると見なせるのでした。こんな具合に「新たな人間になる儀式」ですから一回でいいわけでした。
 さて、こんな具合に
「今ある自分を流し去り、真実に神に従う者として生きる」という意味に「洗礼」を理解したからこそイエスは「新たな神の教え」に出る自分の出発に当たって、ヨハネに「洗礼」を授けてもらったのだと理解されるわけです。もっとはっきり思想史的に言うならば、イエスはヨハネの「洗礼の思想」に真実を感じ取り、その真実を発展させて自分の思想を形成していったと考えられるということです。そのイエスがヨハネに見た思想の真実とは「身近に迫っている終末」「審判に於ける救い」「その終末の審判にのぞむための悔い改め」とであったと考えられます。イエスの積極的な教えの基盤は結局のところこの三点にあると考えられるからです。そしてこの基盤の下に「救いを企図する愛の神」が語られ、そのための道として律法をただ文字面で守れば良いということではなく「ただ一点、神を愛し、その愛で隣人を愛せ」と主張してくるのだと考えられるのでした。
 つまり思想史的にはヨハネは
「イエスの師」に相当し、核になる思想を与え、イエスはそれを発展させて一つの理論にしていったともいえるわけで、だからこそイエスはヨハネの洗礼を「積極的に受ける」ことから歩みだしたのでした。イエスにとってヨハネから洗礼を受けることは不可欠のことだったということです。もっとも聖書的にはヨハネはイエスの洗礼を躊躇・遠慮したと述べられていますが、これはイエスを高みにおくことからの記述となるでしょう。
 しかしここにおいて一つの
「宗教的革命」が起きてしまうのでした。ヨハネの場面だけならまだユダヤ教内であり得る一つの預言者の姿ともいえたでしょうが、ヨハネの「洗礼」に伴う「ただ一点、悔い改めのみ」とされていたもののイエスによる理解は、山ほど文字として書かれている一つ一つの「律法」の文字の遵守ではなくなり「その精神のみ」の遵守とされましたので、これはもう「律法主義」が核となるユダヤ教とは相容れないものになっていたからです。

イエスの場合
 こうして「洗礼者ヨハネ」を受け継ぐ形で、しかし彼とは独自に活動していったのがイエスであったわけですが、それは多分、洗礼者ヨハネには「核となる思想の正当性」はみられてもそれが論理的に明確にされておらず人々への教えとしては弱いと見られたからでしょう。
 他方、「洗礼者ヨハネ」自身もイエスの登場以降も活動を続けています。これは『聖書』によっても確認されます。そしてヨセフスにあったようにヘロデ・アンティパスによって殺されてしまうに至るとされます(その死にまつわって有名な「サロメ」の伝承、つまりヘロデにその踊りがほめられて、その褒美として、ヨハネに恨みを持つ母にそそのかされて「ヨハネの首」を所望し、ヨハネの切り取られた首がお盆に乗せられてサロメに渡されたといった物語が伝わっているのですが、これはもう小説的伝承以外ではないでしょう)。
 それはともかく、そういうことだとすると、ヨハネは『聖書』が伝えるような
「イエスが神の子であることを証す人」というわけではなかったことも了解できると思います。もし本当にヨハネがイエスの存在を「神の子」と信じ、自分の使命はイエスのために道を整えること(という具合に『聖書』はしているわけですが)と信じていたのなら、イエスの登場と共に自分の使命は終わったとして退き、独自に活動を続けるなどといったことはあり得ないからです。
 すなわち、イエスはヨハネと出会ってその思想に感化され「ヨハネの思想」を受け継ぎながらそれを発展させ、それ故にヨハネの下を去って自分独自の道を行ったのであり、一方その思想的影響を与えたヨハネの方はこれまでと同じように自分の道を行っているということなのでした。

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