7. 日本の神々と仏たちの正体 - 9.仏像とは何なのか | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

7. 日本の神々と仏たちの正体
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INDEX
1. 日本の宗教文化のありよう
2. 日本の伝統の宗教―神道―
3. 日本の伝統的な民衆の神々
4. 『古事記』の神々
5. 「神仏習合」とは何か
6. 仏教の発祥と仏陀の思想
7. 仏教の展開
8. 日本での仏教宗派と信仰形態
9. 仏像とは何なのか

9.

仏像とは何なのか


はじめに
 多くの宗教では
「崇拝の対象」を形にして礼拝をしております。例外なのは「偶像を作ってはならない」という具合に「意識的に偶像を拝する」という形となった「ユダヤ教」及びその系譜にある「イスラーム」くらいのもので、そこは「作らない」というところに自分たちの宗教の特色を主張しているのでした。
 しかし、同じ「ユダヤ教」の系譜にあっても「キリスト教」には
「聖画」があります。このように一般には「崇拝対象」を持つのが普通で、そしてその表現のところにその宗教の特色を主張しているのでした。仏教にもそれがあり、それは「仏像」と言われます。この章はその「仏像」のあり方を通して仏教の特質を見ていきたいと思います。

形に描かれた神
 古代ギリシャの場合には「神像」が大きく発展していました。現在の西洋美術の原点、故郷なのです。そこでの神ゼウスとかアポロンとかは
「一人一人の神が個々に識別」されて礼拝の内容によって対象となる神が変わってきました。またその神の像は、「人間そのもの」のように「写実的」に描かれてきます。
 それに対して日本における仏教の場合は、ギリシャ的な「この時はこの神(仏)」「あのときはあの神(仏)」といった明確な「職分の違い」というものをほとんど持ちません。そして、その姿もギリシャ的な「写実的人間像」ではなく、むしろ「超越性」を表すような様式的形姿となっています。
 古代ギリシャも仏教も同じように「人体をモデル」に神・仏像をつくっているのですが、このように大きな違いがあります。その像の制作の経緯からも両者の違いを示すことができます。ギリシャの場合は、「像の制作」ということが行われた時、それはそのまま
「神像の制作」でした。仏教はどうだったのでしょうか。

仏像の制作
 仏教の場合、「仏像」と命名できるものは、紀元前5〜6世紀と推定される釈迦の死後数百年の間は存在しませんでした。その間、信者が礼拝の対象としたのは釈迦の遺骨を納めたとされる「ストゥーパ」でした。また、釈迦の事績を描く「仏伝図」にしても、「菩提樹」「台座」「足跡」「法輪」など
「シンボル・示唆するもの」でしか表現せず、人間的な姿をした「仏陀そのもの」を描くということはなかったのです。
 他方、
「大地の精霊」のようなもの(「ヤクシー」という)は紀元前から制作されていました。この流れで、後に仏教に取り込まれることになる「伝来の神々(仏教に取り込まれて以降、インドラは帝釈天に、ブラフマーは梵天に、ラクシュミーは吉祥天に、といった具合)」の像も制作されていました。ですから「像の制作」ということを知らなかったわけではありません。要するに「仏陀像」にかんしてのみ意図的に制作していなかったわけで、ここでは「偶像を作ってはならない」とした「ユダヤ教」「イスラーム」などと同じ考え方をしていたわけでした。

 それが紀元後100年頃から突然
「ガンダーラ地方」において、さらに「マトゥラー」において「仏像」が制作されてくるのです。その経緯については定説とされるものはありません。良く分からないのです。
 考えられる経緯としては、この頃、いわゆる
「大乗仏教運動」が盛んとなっており、この大乗仏教は「一般庶民のもの」を大義名分としていたので、庶民感覚に合致する「分かりやすい表現」を求めたためかも知れません。実際この大乗仏教は後に「伝統の神々」を「仏教の守護神」という形で取り込んでしまうのです。伝統の神々は「像」に刻まれる習慣がすでにありましたから、この像の制作を「仏陀」にまで拡大してきたとも考えられます。このあたりは、「庶民の宗教感覚」の問題ですから、残された仏像やその他の遺物からは「仏像制作の理由」は推察できないでしょう。つまり美術史的には何も議論できないということです。

 ただし、この「仏像」の
「彫刻表現」の問題としては、ギリシャやペルシャなどの先行する彫刻文化の影響を強く受けていることは推定できます。初期のガンダーラ美術に「ギリシャ人的な風貌」が見られ、彫刻技法・様式においてもその影響が指摘できるのです。釈迦像も僧侶の形ではなく、波状の頭髪を持ち、顔はギリシャ風でした。着物も、深い平行線状のヒダをもつギリシャ彫刻の特徴をそのまま持っています。
 私たちになじみの縮れ毛の仏様は三世紀ころからはじめられ五世紀ころ定着したものでかなり後代になってからです。このガンダーラに端を発して、ここを原型とする様式や手法がやがて中央アジア、中国、朝鮮を経てわが国にまで伝わってくるのです。もちろん、物事はそうそう単純ではなくさまざまの複合要因をもち、像の制作についても異なった起源が考えられるのですが、おおまかな太い線としては以上のようなことが言えるでしょう。
 異なった起源については「マトゥラー」での仏像があげられます。マトゥラーの仏像にはギリシャ的な風貌が見られずインド的なので、ガンダーラとは別個に開発されていったと考えられます。この起源については、宗教的要因としては今指摘した「大乗仏教運動」が考えられるわけですが、様式的には紀元前から作られていた「ヤクシー」などの像の流れといえるのかもしれません。

日本での仏像崇拝のありかた
 日本における神崇拝の在り方は、自然物ないし自然物に
「神を宿らせたもの(依代、よりしろ)」を「崇拝対象」としていました。これは「仏像」が制作されるようになってもかわりませんでした。いや、その仏像に触発されて「神像」も作られたのですが、ついに一般化せずに廃れてしまったのです。日本の神は「自然の力」というのが本来であり、そうであり続けて「人格化」することはついになかったということです。これは一見「偶像崇拝」を廃する「ユダヤ教やイスラーム」と似ているとも見えますが、意味は全然違っており、日本の神は「自然性」を強く主張したからであり「イスラーム」などは「地上的存在からの超越性」を強く主張するからです。ですから日本での「神」は自然物に宿るものとして「依代」という「形」をとるのに対して、イスラームなどでは「まったく形に現れない」となるのです。
 他方「仏教」の方は伝来のはじめから
「仏像」という形で渡来したため「仏像」がそのまま崇拝対象となりました。その種類はたくさんのものになりましたが、僧侶階級はイザ知らず、一般庶民感覚としてはいずれにしても「仏」であるからということでの崇拝であり、仏像の種類の識別は殆ど意識していません。乱暴な言い方をしてしまうと、結局「仏像」も「神の依代」のごとくに見られていたのかもしれません(「依代」には「人型のようなもの」もあったから)。そのため、「個々の」仏像の種類や名称についてはあまり重要視されなかったのではないかと思われるのです。
 そして、なんでも「仏像」と呼んでしまうのですが、実はその仏像には
「クラス」があり、さらにそのクラスの中の仏に様々な種類があるのです。このクラス分けは日本独特のようですが、そのクラス分けを紹介しておきましょう。

1、第一のクラス、如来像
 釈迦像を本来とする
「本来の仏像」「如来」像とも呼んでいるものです。一般に知られているところでは、「釈迦像」の他、奈良の大仏で知られる「毘櫨遮那仏(びるしゃなぶつ)」、鎌倉の大仏で知られる「阿弥陀仏」、密教の主仏である「大日如来」、薬の壺をもった「薬師如来」などがそれになります。
 この如来像は大日如来を除いて
「衣のみ」をまとった姿で形象化されています。大日如来は「宇宙の王」ということなのでしょうか「王」を表す装身具をまとっています。この「如来像」は多くが「坐像」となっています。と

2、第二のクラス、菩薩像
 「菩薩像」で、菩薩はお釈迦様が
「仏陀となる前の姿」で、最高段階の修行に至っている「修行者」の意味です。ですから、本来は第二クラスのものとして第一の「如来」に劣るものの筈でしたが、やがて仏教的理想を具現しているように捕らえられていき、衆生の救済を担うような「信仰対象」になっていきました。
 菩薩像は装身具をたくさん身につけている姿で形象化されていますが、これは釈迦が出家する前の姿、つまり
「釈迦族の族長の息子」であった時代のものを表していると説明されます。ただし、インド古来の民族宗教であるヒンズー教の影響も濃厚にあるといえます。顔がたくさんあったり、手がたくさんあったりする像はその影響と思われます。菩薩像の代表的なものは「観音菩薩」でしょう。この観音菩薩は「十一面観音菩薩」とか「千手観音」「馬頭観音」とかいろいろな姿に身を変えます。
 この他には「お地蔵様」としてしられる
「地蔵菩薩」がとりわけ有名で、さらに「普賢菩薩」や「文殊菩薩」「日光」「月光」などが有名でしょう。また「弥勒菩薩」は思想的にも、未来に仏となって釈迦の救済に漏れたすべての衆生を救うとして非常に重要です。

3、第三のクラス、明王像
 「明王像」ですが、これは
「密教」に独特のもので、形姿としてはヒンズー教の神々が仏教に取り入れられて形象化したものと考えられます。初期段階は如来の「使者」という性格をもっていたようですが、後に「如来の変身像」とされていきます。
 役割としては
「度し難い民衆をしかりつけ教化する」というところにあり、したがって憤怒の表情をもっています。この下のクラスの「天部」の像も憤怒の表情をもつものがありますが、それらよりこちらの方が数段激しいです。すべて仏教に敵対するものを打ち砕く強さが要求されたからです。したがってその形も荒々しく恐ろしげな形相をもち武器を手にしています。代表的なものが「不動明王」ですが、その他にもたくさんおります。

4、第四のクラス、天部
 「天部」とは、つまり
「何々天」とよばれるものですが、これもむろん仏教本来のものではなく、民間信仰の神々が取り入れられて「仏教の守護神」「特殊技芸を司る神」にされたものです。
 守護神とされたものは鎧に身を固めた姿が多く、武器をもち、強そうな表情に形象されています。しかし、その形象はインド的なものから中国的となり、その表情もさまざまとなってきます。本来の仏でないところからそうした「自由化」が行われたのでしょうか。ただし、日本に入って「日本的姿化」することはありませんでした。これはあくまで
「渡来神」という性格を残しておくためだったかもしれません。
 この天部のうちよく知られているのが、お寺で「本尊」の四方を守っている
「四天王」で、その中の多聞天は「毘沙門天」としても有名です。またインド神話の天帝であったインドラたる「帝釈天」や万有の根源、ブラフマンである「梵天」もよく知られています。また「仏」や「菩薩」は性別を超えていますが、この天部は性別があり、女性の神もいます。神話世界の神々なのですから居て当然です。有名なところでは「弁天様」「吉祥天」などがいます。また、お寺の門のところで「門番」をしている「仁王様」もこの天部に属しています。これは二つの姿にあらわれていますが、本来「一体」のものの分身姿で、本体は「帝釈天」だとされています。

5、第五クラス、その他の像
 最後が「その他の像」で、ここには釈迦の
「十大弟子」の像、また、伝統的仏教では悟りの境地まで至りついているとされるのに、北方仏教ではまだ途中段階のものとして下にランクされてしまった「羅漢」の像、つまり十六羅漢とか五百羅漢と呼ばれてたくさんならんでいる修行者のような像がそれで、さらにまた「高僧」の像などが含まれます。高僧とされる人はたくさんおりますから、この種類はたくさんとなります。

 以上のような具合ですが、「如来信仰」「阿弥陀仏信仰」など「本来の仏」への信仰は厳然として存在する一方、観音様やお地蔵様への「菩薩信仰」も盛んでした。一方「不動明王」への信仰も強固なものがあり、こうして「仏像信仰」が盛んであったということは言えるのですが、しかし、その「仏」とか「菩薩」「明王」といった意識やさらに「観音様」と「お地蔵様」また「不動明王」の違いがどこまで意識されていたのかは、はなはだ怪しいです。
 本来「仏の像」は「お釈迦様」の像だけの筈です。ところが、後に、永遠の真理を悟った者がお釈迦様一人だけの筈はない、なぜなら「永遠」の長きにわたって真理は存在しているわけで、その「永遠」に対してたった一人しかそれを悟らなかったなどとはあり得ない、という変な理屈がつけられたようでした。
 もっとも、仏教的には、真理は釈迦一人のものではなく、彼は過去の諸仏のたどった道を見出だし悟りに至ったのであって、そこで人は釈迦のたどった道を追うことによって悟りに至れるのだという教えを言うもの、と解説されるようですが、いずれにせよともかく
「過去仏」が想定されました。こうして「複数」になってしまったら後はもうたくさんの仏が想定されてきても何の不思議もありません。実にたくさんの「仏様」が存在することになりました。
 とくにこれは北方仏教、いわゆる
「大乗仏教に特徴的」に見られるのですが、これは「民衆のもの」を標榜する仏教運動であり、その「民衆化」というところに仏像製作の性格が関係し、特に、その中の「密教」が民間信仰と融合して、その「民間の神様達」を「仏の世界」に位置付けていったことが大きな原因としてあげられるでしょう。

「仏」たちの特質
如来たち
 そうして膨大な数となった「仏」たちを少し見てみましょう。まず「仏」のクラスからですが、有名なのが「念仏宗」各派の本尊である
「阿弥陀様」でしょう。この仏様は自分に帰依するもの、つまり念仏を唱える人々を自分の領土たる「西方浄土」に救い取る仏様です。ちなみに仏様は自分の「国」を持っています。この仏様は今紹介したように、本来「念仏」を唱えることで「仏国へ往生」を求める人々の本尊という性格をもっており、病気回復などのお願いをする仏様ではありません。鎌倉の大仏様がこの「阿弥陀様」です。

 一方、
「病気回復」その他「災厄の除去」ということなら「薬師如来」がつかさどっているのであって、こちらは「現世利益」的な性格を持っています。この仏様は、古い像は釈迦像と同じ姿ですが、一般には「薬壺」をもっていることが多いのですぐわかります。

 そして「哲学的」なのが
「大日如来」でこの仏様は「宇宙の摂理」そのものを表している、とされます。これは民間信仰の「太陽信仰」に起源を持つと考えられ「大日」という名前がそれを表現していますが、やがて深遠な哲学的世界観の中心となり、世界を「金剛世界」と「胎蔵世界」の二つに考える「曼陀羅」の世界観に合わせ、この仏様は二つの姿をもって描かれてきます。この原形になるのが「毘盧遮仏(びるしゃなぶつ)」で、奈良の大仏様がこれです。
 ここでは
「大日如来が本体」なのであって、お釈迦様というのはその「現世化」なのだ、と説明します。この「大日如来」は「密教」の本尊になります。
 こんな具合にもう「仏様」の段階で「種類」が違うのですが、一般の人々にとってはこんなことはどうでもいいことで、
「仏様は仏様」なのであってそこに違いなどなく、どの仏様も大事に思われねばならない、といった感情になっているでしょう。ましてこの他にたくさんいる「仏様」など名前もしらない、というのが普通のようです。

菩薩たち
 同様のことは「第二クラス」の「菩薩」のところにもあり、一番有名なのが
「観音様」ですが、この観音様自体「十一面観音」「千手観音」「如意輪観音」「馬頭観音」「不空羂索(ふくうけんじゃく)観音」「准牴(じゅんてい)観音」などと「変身」してしまい、仕方なく元の観音様を「聖(正)観音」などと呼ばなくてはならない始末になっています。「十一面」は十一の威力を表し、「千手」は正しくは「千手千眼観自在菩薩」といい「千の手」に「眼」をもって衆生を見ており、慈悲の心でお救いくださる、というものでした。「馬頭」は観音様には珍しく「憤怒」の顔を持ち、これは「人間の煩悩、その現れとしての悪鬼・魔性」を打ち砕く、と説明されます。
 
「如意輪」は物心両方にわたって「利益」をもたらしてくれるという有り難い姿で、「不空羂索」は空をただよう衆生を「羂索(つまり、綱のことです)」で救ってくださるということです。「准牴」は「准牴仏母」ともいい、「諸仏の母」ということになり、そんなわけでこの仏様は「仏」の部にいれるべきともいわれていますが、普通には「菩薩部」にいれられています。    

 しかし、以上のようなことを、一般の人々は気にしません。こんなことは知らなくてもいいのです。「観音様」なのだからようするに
「救ってくださる」ということで十分だ、というのがほとんどの日本人の意識でしょう。そして実際、私たちにとってはそれでいいのであって、こんな「類別」にむしろ嫌気を感じてしまうでしょう。こうしたことは、信仰の問題とは全く遊離した問題となっているのです。ゼウスやアテネ、アポロンなどにそれぞれの神格をしっかり意識して神々をみて祭っていたギリシャ人とはもう「全く意識が違う」のです。これはもちろん「いい悪い」の問題ではなく、「神」というものをどのようなものとして意識していたかという「神意識の問題」「民族意識の問題」なのです。

 有名な観音様をもう少し紹介しておきますと、「文殊の知恵」で有名な
「文殊菩薩」がいます。実は彼は「実在の人物」だったようで釈迦の弟子だったのですが、知恵第一といわれ、死後、伝説的人物となってついには「菩薩」とまで信じられているわけです。もちろん「知恵の菩薩」となっています。通常「普賢菩薩」とペアを組み、普賢の方が「行ないし菩提心」を表して「白像」に乗っており、文殊の方は「獅子」に乗っています。また奈良にいくと必ず見学する「月光菩薩」「日光菩薩」も有名になっています。

 しかし信仰的には
「地蔵菩薩」「弥勒菩薩」が一番重要でしょう。地蔵菩薩は仏教教理的にはその名前が表しているように「大地があらゆるものを蔵し、それを育てるという徳」を表していますが、一般的にはお釈迦様から弥勒仏の出現までの56億7千万年の間を受け持って、六道(輪廻の説によると、この世界は六つの世界で構成され、天、人間、阿修羅、動物、餓鬼、地獄の世界からなっている、とされそれを六道といいます)にある衆生を見守っている菩薩と信じられ、ここから「六道地蔵」として六体ならんでいる姿が一般に見られるようになっているわけです。とりわけ「地獄」での救いが期待されました。

 そしてもう一つが
「弥勒信仰」ですが、これは今見ましたように、「釈迦以来56億7千万年後に出現する仏」とされ、釈迦以来の仏たちによる救済に漏れたすべての衆生を救済する仏とされました。仏になることは約束された「未来仏」ですのでしばしば「仏」として表象されることもあります。
 こんな具合に、信仰の上では
「現世での救済の祈り」という性格のつよい「観音信仰」、死後での六道のさまよいの中での救済、とりわけ地獄での救済願望としての「地蔵信仰」、そして「未来での救済」が願望されたところでの「弥勒信仰」といったものが一般庶民の信仰の在り方であったといえるでしょう。
 しかしこうなっても
「それぞれの仏そのものの仏格の意識」というものはほとんど生じていない、というのが正直なところでしょう。というのも、もう一つ良く知られた信仰に「不動信仰」があり、現在でも「お不動様」と呼ばれて親しまれている信仰があるのですが、この「不動」は「明王部」ですからさらに下のクラスになる筈なのです。しかしそんなことは全然知られておりません。またこの不動様の前身がかつての民間信仰の神「シバ神」であることも意識されていないのが普通です。異教の神ですから位が低く始めは「如来の使者」でしかなかったのですが、後には「大日如来の分身ないし変身の姿」の如くに信じられ、「貴族の守護神」とされ、さらにまた「修行者の守護神」としても一般化し、さらには庶民にまで広まったと考えられているものです。しかし一般庶民にとってはそんなことはどうでもよく、ようするに「悪」を退治して自分達を守ってくれる「有り難い仏様」ということでの信仰でしかないでしょう。

 こんな具合に「仏ないし仏像信仰」は展開しているのですが、ここにある信仰形態は、種類・姿・形は異なっていても
「皆同じ」なのであり、ただ「仏」というものに対する信仰という形になっていると言えます。
 少なくとも、ギリシャにおけるがごとく「女神アルテミスは敬愛するけれど、女神アフロディテは尊敬しないし礼拝もしない」(エウリピデス『ヒッポリュトス』)などというような類別意識はないのでした。こうした意味では、つまり「神・仏」にも類別を見ず、「神・仏」としてのみ意識するということで、
「神も仏も一つ」というような扱いになっていると言えます。
 これが日本人の「宗教感覚」なのであり、それはこのページの各章でみてきたように、日本人にとっては「神々」も「仏たち」も、要するに
「繁栄をもたらし」「成功をもたらし」「災厄を除去し」「平安をもたらす」そうした力、ようするに自然の中に生きている人間に対しての「根源としての自然的力」の形象化であったということで、これが日本の神々や仏たちの「正体」だったというわけです。

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