7. 日本の神々と仏たちの正体 - 4. 『古事記』の神々 | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

7. 日本の神々と仏たちの正体
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INDEX
1. 日本の宗教文化のありよう
2. 日本の伝統の宗教―神道―
3. 日本の伝統的な民衆の神々
4. 『古事記』の神々
5. 「神仏習合」とは何か
6. 仏教の発祥と仏陀の思想
7. 仏教の展開
8. 日本での仏教宗派と信仰形態
9. 仏像とは何なのか

4.

『古事記』の神々


古事記、日本書紀の神々
 日本の神々について語る時、前章で見た一般民衆の神々のほかに、やはり『古事記・日本書紀』の神々についても語っておく必要があります。というのも、これは多くが
「神社での祭神」となっていて、さらにいわゆる「日本神話」というときに必ず紹介されるものだからです。
 ここに見られる神々は、
「大和朝廷の創作した神々」です。それでも、「日本神話」といった時にはこの『古事記』の神々の話が紹介されてしまいます。その理由は、民衆レベルでの「神」は「自然的力」の象徴であって「人間化」されることが少なく、そのために「人間的な物語」にならず、いわゆる「神話」としてまとまらなかったことが第一の理由でしょう。
 さらにまた、その民衆の神は「地域性」が強かったために、物語となっていても
「地域伝承・民話」になってしまい、「日本人全体の神話」とはならなかったことなどが挙げられます。したがって、「神話」としてまとまっているのは、朝廷の神々の物語としての『古事記』のそれくらいしか存在しなかったわけでした。

天皇家の話としての『古事記』
 前置きはこれくらいにして『古事記』の本文を追ってみましょう。まず序文がありますが、それによると稗田阿礼という人が読み上げたものを太安万侶が書き留めたということになります。この目的は
「天皇家の歴史、いわれを正しく伝えるため」であるとされています。ですからはじめから「天皇支配の正当性」を物語るものだとはっきりと断っていたのでした。
 稗田阿礼が物語った内容は「帝紀」と言われる「天皇家の系譜」と、「旧辞」と言われる「その天皇にまつわる物語」とを整理したものでした。整理されたものですから当然、ギリシャ神話などに見られる矛盾・不整合といったものはみられず、体系だっていて「自然神」から「人格神」そして「天皇」へときれいに繋がります。

世界の形成
 物語のはじめは「世界の形成神話」からです。ここに語られてくる神々がやがて天皇家につながってくるのであり、言葉を返せば、
「天皇家は世界形成の主体」に由来する、という含みが込められているのでしょう。これはしかし「支配者の神話」であるなら当然の態度であるとも言えます。
 そのはじめは、
「高天原(たかまがはら)」に生成してきた神は「天の御中主(あめのみなかぬし)の神、次に高御産巣日(たかみむすひ)の神、次に神産巣日(かみむすひ)の神」と言われてきます。序文の方で「宇宙のはじめができてきたけれど万物を形成すべき形も気もなく、名前もなく何の動きもなく、だれもその形を知らない、そうしたところに天と地がわかれ、そこに三柱の神々が生じた」とあり、このあたりの記述は中国の「宇宙創世説」によっていると言われています。実際、この当時すでに中国・朝鮮からの渡来人は相当の数になっており、朝廷内部に深く関与していたことはよく知られています。中国の思想が根底にあっても少しも不思議ではありません。

世界の三区分
 ここに見られるいくつかの名前のうち、まず
「高天原(たかまがはら)」というのが注目されますが、この『古事記』では世界を「天」と「地」と「地下」の世界とに分け、「天」は「天つ国(あまつくに)」とし、また別名「高天原」となります。「地」は「芦原の中つ国(あしわらのなかつくに)」と呼ばれ、要するに私たちが住んでいるこの地です。「地下」については実はあまりはっきりせず、要するに「はるかなる遠い地」なのですけど、地を中心に立体的に考えれば、天に対して「地下」ということになってきます。これは「根の国(ねのくに)」と呼ばれます。

 こうした宇宙観は一見したところ普遍的とも見えるのですが、果たしてこれが日本人一般の考え方であったかどうかは疑問です。古代日本人の観念はこんな風に明確に世界を三分割して論理的に考えることはなく、この
「自然世界を一つなるもの」として見ており、死者にしても「地下」へ行くというより、たとえば「海の彼方」を想定したり「山」に想定したりで、こんなところから「祖霊信仰」が成立しえたのであって、異なった空間へ行くとはとうてい考えられていないようです。
 しかし、「天皇」の立場に立てば、自分たちの祖先はこの地上を超えた遙かなる高みから「降臨した」としなければならないわけで、そうすることで「権威」を主張できるわけです。中国の
「天」の思想が背景にあるのでしょう。中国では「支配者」は「天子」というわけで、天からの権威を持っている者と主張されたのでした。その構造がここに主張されたのでしょう。

天の御中主(あめのみなかぬし)の神
 一方、「天の御中主」の神というのは全く観念的な神であり、宇宙の中心といったような意味合いをもたされているのでしょうが、この後何らかの働きを示してくることはありません。『日本書紀』などではほとんど無視に近く「付随的に」名前が挙げられてくる程度です。ですから後に平安時代にまとめられた「神々名鑑」ともいうべき『延喜式』にも名前が見あたらないことになってしまいます。要するに、「論理上」要請された神にすぎないのですが、このように「論理」を持っているところが「作為」があるということなのです。ただし、この『古事記』の神に宗教を読みとろうとした平田篤胤などはこの神に宇宙の最高神をみてきますが、それは彼の「神学上」の要請からでした。

高御産巣日(たかみむすび)の神
 「高御産巣日」の神はこの後も大活躍で、最大級に大事なことの命令はこの神から発されてくることになります。後の
「天孫降臨」の時もそうであり、つまり「天皇」をこの地上に送り出してきたのはこの神だったのです。そんなわけで、天皇家の本来の「祖先神」はこちらの方で、のちにその「巫女」がこの神と同体と見られて「天照大神」とされ「祖先神」とされたのではなかろうかという見解まで提出されております。
 この神は
「むすび」と言う名前をもっているように「生産」にかかわる神であり、日本人の神観念が基本的に「自然の生産力」にあることを考えれば、この神がはじめに生じた神の一人とされていることは納得が行くと同時に、「朝廷も」一般日本人と同じ神観念を根底にもっていたことが推察できるわけです。

神産巣日(かみむすび)の神
 もう一柱が「神産巣日」の神でしたが、こちらも活躍していきます。この神も「むすび」と言う名前をもっているように「生産」に関わる神であり、文字通り穀物から種をとり
「五穀の祖」となっています。またこの神はもちろん「天つ国」の神ですが「国つ神」系の「出雲」と深い関係を持ち、出雲の国土造成神である「おおあなむち(大国主と同じとされますが本来は出雲の国土造成神で、この神ばかりでなくかなりの神が集合同化されて形成された「大国主」の神に吸収同化したと考えられています)」が殺されてしまった時、その命を再生したのもこの神です。
 以上の「三柱の神」を『古事記』では特別の名前で呼んでいませんが、通常特に
「造化三神」と呼んでいます。

別天つ神(ことあまつかみ)
 これらの三柱の神々は「独り身」で「姿を隠した」と言われてきますが、これは「人間的姿」としては現れないということで「これ以下登場しない」という意味ではないことは「たかみむすび」の神や「かみむすび」の神の活躍をみれば明らかです。ところで、以下神々の名前は、すでに一般に漢字で知られる神々は別として、できるだけ「ひらがな」で表記することにします。
 さらにこれらの神々に続いて
「うましあしかびひこじ」の神と「あめのとこたち」の神が生じたとされます。前者は、この大地が「水に浮かんだ油」のように「形態」を持たないところに現れた神で、「芦の芽」のように「形」を出した神ということでしょう。
 後者は
「天の常立ち」と漢字で表わされるように「天を確立」したわけで「柱」のようなイメージでしよう。相当に理屈っぽいです。またこれらの神々も「独り身」で姿を隠したとされ、以上の五柱の神々を『古事記』では「別天つ神(ことあまつかみ)」と呼んでいます。

神世(かみよ)七代
 さらに神々の生成は続き、次に
「国の常立ち(くにのとこたち)」と「豊雲野」の神が現れます。前者は当然「天の常立ち」に続いているわけで「国の柱」ということになり「国土形成の基」を建てているわけでしよう。
 豊雲野はいろいろ解釈されているのですが、どうもピンとくる解釈がありません。雲の下なる野原というイメージなのでしようか。「国常立ち」が「縦軸的柱」ならこちらは「横的広がり」のようです。この神々も「独り身」でやはり「姿を隠して」います。
 この神々に続いては
「ういじに」「すいじに」のペアーの神が現れます。そしてさらにペアーの神々が数代生じて、いよいよ「伊耶那岐(いざなぎ)」「伊耶那美(いざなみ)」の神々が生じてくることになるのでした。ペアーの神々は五組で十柱になりますがこれらはやはりペアーで数えるとされ、そして先の独り身の二柱を併せて「神世七代」呼ぶ、と言われてきます。こんな風に「三柱の神々」「別天つ神五代」「神世七代」などと呼ばれて「三・五・七」とされるところなどは中国の影響をもろに表している、と言われています。

国生みの物語
 さて、
「いざなぎ、いざなみ」のペアーは「天つ神」たちに「この漂っている国を直して固めなさい」と命じられます。そこで二人は、天の浮き橋に降り立って、両刃の刀のようなもので海をかき回して引き上げますと、その刀の先からぽたりと落ちた「塩」が固まって「島」になります。二人の神はここに降りて来まして、いよいよ結婚です。そして非常に有名な語り合いをするわけで、それが「あなたの体はどのように成っていますか」「私の体は出来上がってはいるのですが、一カ所合わさっていません」「私の方は出来過ぎて余ってしまっているところが一カ所ある。そこでですが、その余ったところをあなたの合わさっていないところに刺し入れて、そうして国を生んだらと思うのですがいかがでしょう」というものでした。
 この場面でこの『古事記』の神というのがまったく
「人間並」であるという印象がもたれてしまうのですが、その印象はまさに当たっているのであって以下の物語も全く生々しい人間の物語となっていきます。この『古事記』の神というのは全然「超人間的」とならないのです。

 ともあれ話しを続けますと、この「国生み」の物語は以下、「女が先にものを言うとよくない」という話になり
「男性上位」の思想を表明し、さらに日本国土の形成順序の話となって、淡路島から四国、隠岐島、そして九州、さらに長崎の壱岐の島と対馬、そして佐渡に飛んでやっと本州を生み出します。当時の朝廷の日本国土観が伺えて興味深いですが「西日本」が中心であることがよくみえます。この後も島を生んで行くのですが、現在の県名で言えば、岡山県にある半島、香川県の島、山口県の島、大分県の島、長崎県の島々となってしまいます。
なお、この場合「いざなぎ」たちに代表されている一番若い神が天なる神に命じられて地上に降臨するというパターンは「天孫降臨」の物語にもあらわれてくる重要な形式であって、「祭り」というのはこうした
「神招来」の儀式かもしれないとも考えられています。

いざなみ、火の神を生み、大やけどをする
 一方、「いざなぎ、いざなみ」の神は国土を生んだ後、
「自然物」となる子供作りに励まなければなりませんでした。それは、海やら川やら風や木や山、野原から霧やら谷やら思いつく限りといえるほどでとてもここに列挙できるような数ではありません。
 そしてその最後に
「火の神(ひのかぐつち)」を生むのですが、火なんか生んだものですからたまったものではないわけで、「いざなみ」は女性の陰部に大やけどをしてしまい、床につき、苦しみの中にもどしたり大小便を流してしまいます。しかし、もどしたものから「鉱山・鉄の神」たる「かなやまひこ」など、大便からは「粘土の神様」、そして小便からは「水の神」、つぎに「わくむすひ」という神様を生みますが、その子供が食物の神「とようけひめ」といい、大事な神様となります。つまり、「とようけひめ」は食物の神となって、後「天孫降臨」の際「ににぎのみこと」に従い、そして現在「伊勢神宮」の外宮に祭られています。                       

殺された「ひのかぐつち」
 ところで、「いざなみ」の神はそれがもとでついに死んでしまいます。「いざなぎ」の神は嘆き悲しんで涙を流し、そこからも
「泣きの神様」なんかを生んでいますが、一方、怒りにまかせてなのでしよう、火の神たる「ひのかぐつち」を刀で斬り殺してしまいます。そして殺された「かぐつち」の体や血からまたたくさんの神々が生まれ出ました。

いざなぎの黄泉の国訪問
 そしてまた「いざなぎ」は「いざなみ」を恋しと
「死者の国」たる「黄泉つ国(よみつくに)」へと追いかけていきます。そして「いざなみ」に、まだ国土造りは終わっていないから一緒に戻ろうと誘うわけですが、「いざなみ」はすでに「黄泉の国」の食物を食べてしまったのですんなり戻るわけにいかず、「黄泉つ国」の神々と相談しなければならない、と言ってきます。
 そして
「決して中を見ないこと」という約束で扉の中に入ってしまいます。しかし、あんまり長いので「いざなぎ」は待ちきれなくなり、火をともして中へ入ってしまいました。そこには「うじ」にたかられ、恐ろしげな雷の神がその体にとりついている「いざなみ」がおりまして、「いざなぎ」はびっくり仰天して恐ろしく、あわてて逃げ出していきます。
 「いざなみ」にしてみれば「恥をかかされた」格好になったわけで、「追いかけさせる」わけですが、「いざなぎ」は「山ぶどう」の実やタケノコを生やしたりして時間をかせいだり、剣をぬいて振りかざして逃げたり、やっと「境界」近くの
「黄泉つひら坂」のふもとまで逃げ、そこに生えていた「桃」の実を三個投げつけると追ってきた「雷の神」たちはひきあげます。そこで「いざなぎ」は桃を祝福し、人々が苦しんでいる時には助けてやってほしい、と告げたりしていますが、そこについに「いざなみ」自身が追いかけてくることになります。 

 そこで「いざなぎ」は
「千引きの岩」を引っ張ってきて「黄泉つひら坂」をふさいでしまいました。こうして「岩」をはさんで「向かい合う」形になり、「いざなぎ」は「縁切り、つまり離婚」をいいわたします。こうして「いざなみ」は「そんなことを言うのなら、私はあなたの国の人々を一日に千人殺してしまいますよ」と言ってきますが、それに答えて「いざなぎ」の方は「それじゃ、私の方は千五百の産屋をたてることにしょう」言いまして、ここに一日に千人死んで千五百人生まれることになったと告げてきます。一方、この「黄泉つひら坂」は「出雲」にあると語られており、この『古事記』の世界は「出雲」を中心とすることが早くも示され、そして実際そうなっていくのでした。

死ぬ神
 なお、以上の物語に見られる
「神が死ぬ」という考え方はキリスト教などでは絶対に考えられもしないことですから、欧米化の激しい日本でもいつの間にかそんな考え方が一般になってしまいました。しかし、「神が死ぬ」ということは日本ではふつうだったのです。これはとりわけ珍しいとも言えず、エジプト神話やメソポタミアの神話にもあり、北欧神話にもあり、けっこう各民族に見られるものです。これは「世界」というものが「自然世界として一つ」と考えられているからでしょう。「死ぬ」ということは「消滅」を意味するのではなく、一つなる自然世界の中での「住む場所の移動」という感じで捉えられているからだと思います。ただし死の世界は「暗く嫌な場所」のようですけど。従ってまた神が「生き返る」ということもしょっちゅうあるわけです。
 他方ギリシャでは、神々はやることなすこと人間と全然変わらないのに、ただ「不死だ」ということで「神」ということが主張されてくるというのもあります。

いざなぎの禊ぎ(みそぎ)
 ところで、逃げ帰って来た「いざなぎ」ですが、「ひどく恐ろしいけがれた国に行ってしまったものだ、からだを清めなければ」と言って、筑紫(九州)の日向の国(宮崎と鹿児島)の橘の小門(おど、海が狭くなり流れが早くなっているところ)で「身をそそぐ」ことになります。これが「禊ぎ・払い」の「禊ぎ(みそぎ)」の始まりです。そしていろいろの物を投げ捨てまして、そこからまた神々が生じて来ますが、体を水に付けたところからもさまざまな神々が生まれてきます。こうしてたくさんの神が生まれたその最後に「左目」を洗った時に
「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が、「右目」を洗った時に「月読(つくよみ)」の神が、そして「鼻」を洗った時に「建速須佐の男(たけはやすさのう)、素戔嗚尊(須佐之男・すさのう)」が生まれてきます。

天照大神、月読みの神、すさのうの誕生
 これを見まして「いざなぎ」の神は喜び、「天照大神」には
「高天原」を支配するよう命じ、首飾りの玉を与えました。これは高天原を納める者の印であり、その名前を「みくらたな」といい、「稲をしまっておく倉の神」ということで、朝廷の仕事が何かを示していると同時に日本人の神に対する考えもよく表れています。
 「月読の神」とは
「月齢を数える神」ということで、したがって「夜を支配」することになります。
 そして「すさのう」には
「海を治める」よう命じました。日本は四面を海に囲まれているのですから「海の神」というのは大事で、さぞかし「すさのう」は喜んで大活躍するのかと思うとさにあらずで、全然働かずただ「泣いてばかり」でした。その後も「すさのう」は「海の神」としての何らの働きも示してこないことになります。結局、「海の神」として確固たる職分を示す神はほかにも出現せず、日本民族は「海」を身近にしている民族なのに、「海」に対する意識の薄さを感じさせてきます。
 要するに、これは大和朝廷が
「農耕の部族」であったからでしょう。このことは「天照大神」の持つ「首飾りの玉」が「稲の守り」であることにもよく表れています。
 また、次に示すように、「すさのう」は天つ神系にとっては
「荒ぶる神」となるのですが、地上にあっては「災害を治める神」であり、また「根の国の主」として後に「大国主」に「国の支配を保証・宣言」してくる神であって、どうも「出雲系」の主神であったものが、朝廷側に支配されてしまった時に「取り込まれ」たのではないかと考えられます。
 朝廷側たる「天の神系」にとっては、彼は強大で難敵であり様々の苦渋をなめた事なのでしょう。しかし恭順したところで、その位置づけをしかるべくしなければならなかった、ということなのだと考えられます。以下少し詳しく見ておきます。

すさのうの追放
 さて、その「すさのう」ですが、泣いてばかりで、その「泣きは凄まじく」さまざまの災いをうみだしていきます。日本人の神観念の中にある
「荒ぶる神」の原型の姿がここに見られております。そこで「いざなぎ」の神が理由を尋ねますと、自分は死んだ母の国、「根の堅州国(ねのかたすくに)」に行きたい、などと言ってきました(「すさのう」は本来「いざなぎ」が一人で生み出した神の筈で「いざなみ」とは関係ない筈なのですが)。これを聞きまして「いざなぎ」はひどく怒り、ではおまえはここに住んでいてはならない、と追放の処分を言い渡しました。
そこで「すさのう」はまず天に出向いて「天照大神」にあってからということで天に向かいますが、これを見て「天照大神」の方は「侵略か」と恐れ、弓矢を手に身を固めて迎えますが、「すさのう」は事の次第を報告にきたまでで邪心はないと釈明し、その誓約をたてます。

 ここに二人の神は「子供なる神々」を生むことでその「真偽」を計ろうとさまざまの神を生み出していきます。その中で「天照大神」の子供とされたものはさまざまの
「氏族の祖先」とされてきまして、朝廷配下の氏族の由来の話となっております。
 一方「誓約」の方は「すさのう」の勝ちとされ、ここに「すさのう」は勝者の常のおごりによって大暴れし、はじめは我慢していた「天照大神」も「機織り」の女が驚かされて機織りの棒を女陰にぶつけ死んでしまうに及んで、
「天の岩屋戸」に隠れてしまいます。
 こうして天も地も真っ暗となってしまいます。ここに「悪しき神」は騒ぎ立ち、困った神々は集まって対策を練り、かくして有名な「あめのうづめ」のストリップ・ダンスとなり、大笑いして騒ぐ神々に隠れていた天照大神は何事かと声をかけてきたところに、あなた様に勝る尊い神がこられたので喜んでいます、と答え、いぶかった「天照大神」が顔を出してきたところに「鏡」を差し出して外に誘い出し、出てきたところを
「たじからお」の神が引っぱり出してしまい、即座に後ろに「しめなわ」を張って再び中にはいることが出来ないようにしてしまいました。
 こうして一方、「すさのお」の方は天から追放ということになります。またこの話の中での「すさのう」の罪は
「田畑のあぜを壊したり、溝を埋めたり、馬の皮をはいだり」で、これらは「天つ罪」と呼ばれ重罪とされました。大和朝廷が「農耕部族」であったことがこうしたことからも知られます。

八俣のおろち
 この後の物語は「すさのう」の遍歴となり、「食物の神、おおげつひめ」を殺してしまう話からはじまり(この場面に「かみむすびの神」が出てきて、殺された神から生じた穀物の種をとることになります)、そして有名な「八俣のおろち」の話となります。八つの首を持った巨大な大蛇を酒で酔っぱらわせ退治した話で、この時大蛇からでてきたのが
「草薙の剣」でこれは「三種の神器」の一つとなっています。この話も有名であるところから神話学的にさまざま解釈されていますが、この話の機縁となっているのが「くしなだひめ」といいこれは『日本書紀』では「奇稲田姫」であることから話全体は「田圃(たんぼ)」にかかわり、八俣の大蛇とは「氾濫する河川」で要するに「治水」の話であるとか、大蛇は「山賊」を意味するとかいろいろ言われています。なお、この話の舞台は「出雲」の「鳥髪」というところとされています。

大国主の物語。因幡の白兎
 この後話は「すさのう」の子供たちの列挙となり、そして大国主につなげられてきます。こうして話は「天つ国」の話から
「出雲」系の英雄「大国主」の神の話へと転換しまして、やがて「国譲り」となり「天孫降臨」となっていくという、朝廷が、強敵であった「出雲」を恭順させていく経緯を述べる見事な筋道が敷かれてきます。

 大国主の神の話は、全体的展開は大国主がこの国の主となる所以を述べるものですが、その説話そのものには多くの他の英雄たちの物語が「大国主のもの」として取り込まれてしまっているようで、かなり複雑になっています。その始まりの話というのが、これは一般にもよく知られている
「いなばの白兎」の話からでした。すなわち、大国主のたくさんの兄弟(といっても神々はみな兄弟みたいなことになってしまうわけで、同じ両親を親とする兄弟というわけではなさそうです)、それは八十神(やそがみ)と表記されます。
 その彼らが皆
「稲羽(後の因幡で現在の鳥取県)の八上ひめ」と結婚しようと「稲羽」に行った時に「おおあなむじ」の神に旅の荷物を入れた袋を背負わせていきます。その彼らが「気多(現在の鳥取県気多岬)」に来たとき一匹の兎が裸にされて横たわっているのを発見します。その兎に彼らは「海の水を浴びて、風にあたり高い山の尾根に寝ているがいい」と親切めかして助言します。しかしそんなことをしたらたまったものではないわけで、哀れ兎の皮膚はひび割れ、塩がしみてひどく痛みます。そして泣いているところに「おおあなむじ」が、やっと大きな荷物にヒーヒーいいながら通りかかってきました。
 そして泣いているわけを聞くわけですが、兎が答えて言うには「自分は(現在の)隠岐の島(島根県)にいたのだけれどここにわたりたいと思い、鰐(ふか)を騙して、仲間のかず比べをしようと言って横並びにさせてその上をわたってきたのだけれど、渡り終わる時、騙したのだと言ってしまい、最後の鰐に捕まって丸裸にされてしまったのです。そして横たわっていると八十神がやってきて助言してくれたのでそうしたところひどいことになってしまったのです」というわけでした。そこで「おおあなむじ」は兎に「河口の方に行き、真水で体を洗い、がまの穂を敷いて横たわっていれば直きよくなるよ」と教えました。兎がそうしたところ、もとのように直りました。これが
「稲羽の白兎」というわけで、今は「兎神」となっているとされます。この時、その兎は「八十神は決して八上ひめを得ることは出来ません。荷物なんか背負わされているけれど必ずあなたが得ることになるでしょう」と言ったのでした。

赤い猪
 果たして、八十神が「八上ひめ」のところにきましたところ、「自分はあなた方とは結婚しません。
おおあなむじと結婚するつもりです」とこたえました。こうして八十神はひどく憤り、「おおあなむじ」を殺そうと思います。そして、山につれていき、ここに赤い猪がいるが、これを追い出すからきっとそれを退治するのだぞといいつけて下に待たせておき、上から真っ赤に焼いた石を転がし落とします。哀れ「おおあなむじ」はその石に焼かれて死んでしまいました。それを「おおあなむじ」の母は悲しみ、天に行き「かみむすび」の神にお願いしたところ「赤貝」を意味する女神と「はまぐり」を意味する女神とを派遣してくださり、二人の女神が貝の粉と汁とで薬を調合して体に塗ってくれて生き返ることができました。これは古代の「治療法」を語ったものなのでしょう。

「根の堅州国での大国主」
 これをみて八十神は、再び「おおあなむじ」を騙して山につれていき、「木の俣」に挟んでしまいます。しかしまた母親が見つけてくれて助かりますが、母親はこんなところにいたらまたいつか殺されてしまうだろうということで彼を遠くにやることにします。八十神はしつこく追いかけてきますので、「おおやびこ」の神が「根の国」にいる「すさのう」のもとにいくがよいと助言しまして、こうして「おおあなむじ」は
「すさのう」のところにいき、これまたよく知られた「求婚説話」と呼ばれる、「求婚に当たっての試練」の物語となります。
 すなわち、彼が「根の国」に行きましたところ「すさのう」の娘である
「すせりひめ」と会い、二人は関係をもって「すさのう」のところに行きますが、すさのうは彼を試そうというのでしょうか、その夜、蛇のたくさんいる小屋に彼を寝かせます。「すせりひめ」は彼にへびの皮の「ひれ」つまりスカーフのようなものを渡して、蛇が食いついてきたらそれを三回振るようにといいました。果たしてそうしますと蛇はおとなしくなり安眠できました。次の日は「むかで」と「蜂」の小屋でしたが、同じように「すせりひめ」の助けで切り抜けました。次の日、「すさのう」は原っぱに鏑矢を遠く飛ばし、それを「おおあなむじ」に取りに行かせて、原っぱに火を付けてしまいます。彼の周りが火の海になってしまいましたところ、ねずみが現れて「内はほらほら外はぶすぶす」と言いましたのでそこを強く踏んだところ「穴」があき、そこに身を伏せている間に火は通りすぎていきました。矢の方はねずみが持ってきてくれました。「すせりひめ」は葬式の準備をし、「すさのう」も彼が死んだものと出てきましたので、「おおあなむじ」は矢をもって出ていきました。こうしてまた次の日、今度は頭のシラミをとれと命じられましたが、そのシラミとは大ムカデでした。「すせりひめ」は「椋の実と赤土」を渡し、その実を砕いては赤土を口から吐き出させて、シラミをとっている振りをさせたところ、「すさのう」は心地よく眠ってしまいました。
 そこで、「おおあなむじ」は、「すさのう」の髪の毛を天井のたる木にくくりつけ、小屋の前には大石をおいて塞ぎ、「すさのう」の宝であった太刀と弓矢、また、琴を盗みだし、「すせりひめ」をおぶって逃げだします。ところが、琴が木にふれ大きな音がして「すさのう」は目を覚まし起きあがり、追いかけようとして小屋を引き倒してしまいますが、髪の毛をほどかなければなりません。その間にどんどん逃げていくことに成功します。とうとう「よもつひらさか」までまたところで遠く「すさのう」が声を飛ばして、その太刀と弓矢で敵対する神々を追い払い、
「大国主」となって国を支配し、「すせりひめ」を正妻として「うかの山」に宮殿を造れ、と言ってきました。つまり、「すさのう」は「おおあなむじ」を認めたというわけでした。かくしてこの国、つまり「国つ神」の地、具体的には「出雲」は大国主のものとなったのでした。

すくなひこなの神
 その後、話は「八千矛の神(大国主の別名)の歌物語」という、文学的には意味がありますが、全体的物語には大して意味のない歌が挿入され、さらに出雲系の氏族の家系の列挙となり、「すくなひこな」の神の話となります。これはどうやら
「蔓芋の種」の擬人化と見られる点と、「渡来の神」として「現れ、また去っていく」という「渡来神」の姿が描かれていることで重要です。
 つまり、彼は小さな「蔓芋」のさやの船に乗って現れましたが正体がしられず、そこで「くえびこ」という「天下のことを知る山田の案山子」にたずねたところ
「かみむすびの神の子」で名前は「すくなひこな」であるということでした。そこで「かみむすび」の神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったという。そして後、この神は海のかなたへと渡っていってしまった、となります。
 この
「海の彼方からくる神」「助っ人として来て、やがて帰っていく」という観念は日本人に独特の外国観を反映しています。こうしてまた「海からやってきた」「みもろの山の神」、つまり大和の三輪山の話と続き、さらに「大年の神、つまり稲の実りの神の系譜」が挙げられて、再び話しは「天つ国」に戻り、「大国主の国」との関係が語られてくることになります。

天つ国からの使者
 「天つ国」と「大国主の国」との確執の始まりは、天つ国の「天照大神」が「あの地はいい国だから私の子が治める地にしよう」などと勝手なことを言い出したことにあります。「あの地」というのは「芦原の中つ国」であり、もちろん大国主の国のことです。端的に言ってしまえば、隣の国がこちらを見て「あの国は良さそうだから自分の支配地にしよう」、と言ったわけで、完全な
「侵略」の意図を明らかにしたというわけです。事実的・歴史的には実際そうであり、大和朝廷が各地を侵略していった歴史をうかがわせます。実際、これ以降の物語は、天つ国、つまり朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。
 先ず、天照大神は「おしほみみ」を遣わし、様子を探らせます。その報告によると「あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ」ということでした。これは要するに、強敵になりそうだということでしょう。そこで天照大神は他の神々と相談し、「先遣隊」を送り込みます。これは恐らくは恭順を迫りにいったということでしようが失敗で、どうも逆に説得されてしまったようで三年経っても返事をよこさなかった、とされています。そこで再び
「あめのわかひこ」を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさなかった、となります。そこでまた、その様子を探らせようと「雉の鳴き女」というのを差し向けます。そこでその「雉」は「あめのわかひこ」のところに来まして天の神の言葉を伝えますが、「天の事どもを探る女」という意味の者が、この雉は天のスパイであることを見抜いたのでしょう、その鳴き声がよくないから殺すのがよいと進言し、そこで「あめのわかひこ」は天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。ところがこの矢が勢い余って、天まで飛んで「天照大神」と「たかみむすび」の神のところまで飛んでいってしまい、それが「あめのわかひこ」のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。こうして「たかみむすび」はもし「あめのわかひこ」が命令通り征服戦争を遂行しているならよし、そうでなく反逆の心で(雉を射殺したのなら)「あめのわかひこ」に当たれといって投げ返すと、それは寝ていた「あめのわかひこ」に当たり死んでしまいました。多分、裏切り者ということで刺客が放たれ、暗殺されたということでしょう。

国譲り
 「あめのわかひこ」も失敗に終わりましたので、天照大神は「次はどの神を送ろうか」と言いますと、その場にあった神々が「剣」をイメージする「いつのおはばり」かその子供の
「たけみかずち」つまり雷の神になりますが、そのどちらかが良いだろう、と言ってきます。たしかに、強力な軍をイメージさせます。そして結局、「たけみかずち」が行くこととなり、彼は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って「大国主」に「天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか」と言ってきます。完全に脅迫です。

 大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、「大国主」にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。自分では判断つかない、自分の子供が返事するだろう、などと言ってきます。そこで一人目の子供の「事代主」を呼びつけ返事をさせると「この国は天照大神に献上するべきだろう」と言って、隠れてしまいます。どうも「たけみかずち」の軍を見て恐れたようです。
 しかし、もう一人の子供
「建御名方(たけみなかた)」は大きな石を片手に持ち上げ、戦いを挑んでいきます。しかしその結果「建御名方」は負けて投げつけられ逃げ出したとなり、現在の長野県の諏訪湖まで逃げたがそこで追いつかれ恭順を誓ったとなっていきます。
 こうして再び「大国主」のところに戻って、その心が問われるわけで、ここで大国主は自分の社が
「天照大神の社なみに」確定されているなら、という条件で恭順してくることになりました。これは無条件降伏とはかなり異なる在り方で、支配実権は譲るが名は譲らないといったところで、一族も名誉も確保されているということになります。
 こんなわけで、出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また頑張って戦った「建御名方」の諏訪大社も由緒と格式のある代表的神社となっているのでしょう。

天孫降臨
 一方、こうして出雲が平定されたとの報告を得て、天照大神と「たかみむすび」の神は「おしほみみ」を、芦原の中つ国に派遣しようとしますが、「おしほみみ」は自分が行こうと準備している間に子供が生まれたので、その子を行かせたいと思う、と言ってきます。その子の名前が
「ににぎの尊」というわけでした。こうして「ににぎの尊」が天より降りることととなり、降りて行こうとするとその道の真ん中に天と地を照らしている神がいます。そこで「天のうずめ」が命じられてその正体を確かめに行きますと、その神は、自分は国つ神「さるたひこ」というもので、「天よりの神」を迎えようとここにこうしていると答えてきました。こうして「ににぎの尊」は天より降りてきたわけで、彼は天照大神の孫に当たるわけで、それで「天孫降臨」となるわけでした。
 ここから先は完全に大和朝廷の組織作りの話しになっていきます。職業集団や氏族の成立の起源の話しというわけですので詳しくは割愛し、一般に知られている話しだけを紹介します。

このはなさくやひめ
 「ににぎのみこと」が美しい女性
「このはなさくやひめ」に会い、結婚したいと思い、その父「大山津見」の神に申し込んだところ、彼は承知しましたが、その姉の「いわながひめ」までくっつけてきました。ところがこの「いわながひめ」は非常に醜かったので「ににぎのみこと」は彼女を送り返してしまいます。ところが「大山津見」が言うには、自分が二人一緒に送ったのはわけがあったので、この「いわながひめ」は「永久に石のように存続する」という性格を持っていて、一方「このはなさくやひめ」は「花のように栄える」けれど花のように「はかない」という性格を持ち、両方を妻にしていれば「栄えて永久」ということになったのに、「いわながひめ」を送り返した以上は、「寿命が短い」ということになってしまう、というわけでした。
 ここに天皇の短命なことの理由が述べられているわけですが、実際この時代、天皇家は短命であったことがこうした話しを作らせているのでしょう。一方「このはなさくやひめ」はすぐ妊娠してしまいまして、そのため「ににぎのみこと」は、別に男がいたのではないかと疑ってしまいます。そこで彼女は「天の神の子供なら無事に生まれるでしょう」と言って「産屋」に入りそれに火をつけてしまいます。そして彼女は
「ほでり」「ほすせり」「ほおり、またの名をひこほほでみ」という三人の子供を生んできます。彼女の運命は不明です。

「海彦と山彦」
 ここから話しはこの子供のうち
「ほでり」「ほおり」の話しになっていきます。すなわち、「ほでり」は「海幸彦」と呼ばれ、「ほおり」は「山幸彦」と呼ばれることになりました。この「山幸彦」たる「ほおり」は、兄である「ほでり」に向かって、互いの道具を取り替えてみないか、と持ちかけます。「ほでり」は三度も断りますが、あまりにしつこいのでとうとう承知します。こうして「山幸彦」が海にいくわけですが、うまくいかず、大事な「釣り針」までなくしてしまいます。
 そこに「ほでり」が、やはり獲物は自分の道具でしかとれない、と言って道具を元に戻そう、としてくるわけですが、「ほおり」は「釣り針」を返せません。困って自分の刀で釣り針をつくって返そうとし、五百、千とつくるのですが、「ほでり」はやはり元のものでなければ、といってきます。困った「ほおり」が海辺で泣いておりますと
「しおつちの神」が出てきて、事情を聴き、助けてあげようということになり、まるで「浦島太郎」の話しの原型のような話しになって竜宮城のような「海神の宮」に行き、歓待され、「とよたまひめ」と結婚して三年経ちます。しかし、かつての事情を思いだしため息をついていると、海神が事情を聴いて、魚を集めて「はり」を探しだしてそれを持たせ、「ほでり」をやっつける方法を授けておくりだします。
 かくして「ほおり」は「ほでり」をやっつけて支配者となり「ほでり」は「従者」となったがその一族が
「隼人」となった、といってきます。このあたり朝廷がどんな部族であったのかをよく物語っており、「海の民」に対する「山の民」の優位が語られています。つまり「山幸彦」が海へと入りそこで歓待され、そこから「海幸彦」を支配下においた、という物語になっているわけです。

「とよたまひめ」
 ここから話しは「とよたまひめ」の妊娠となり、彼女は
「もとの姿」で子供をうまなくてはならないが「決してのぞき見しないように」と言い置いて「産屋」に入っていきます。しかしそう言われるとのぞきたくなるのが凡夫の常で「ほおり」はのぞいてしまいますが、そこに見たのは「鰐がのたうちまわっている姿」であったとなります。
 こうして「とよたまひめ」は恥をかかされたことで海へともどっていってしまいます。こうした、禁止されればされるほどそれを侵犯したくなるという
「タブーの侵犯」の説話は日本ばかりでなく世界中にある説話のパターンです。一方、子供は無事生まれていまして、その子は「うがやふきあえず」の尊といいました。一方、「とよたまひめ」はその妹の「たまよりひめ」をおくりその子の養育にあたらせました。こうして成長した「うがやふきおえず」の尊はそのまま乳母であった「たまよりひめ」と結婚してしまいい、四人の子供をもちますが、その中に「かむやまといわれひこ」の尊がおりました。この尊が「神武天皇」となるわけで、『古事記』はここから「中の巻き」となっていくのでした。

 『古事記』の「神代の物語」はこんな具合になっているのですが、さて、ここでも「神々」と言われていたのでついうっかり「神」についての物語であったのだと思ってしまいますが、これを世界の神話の代表ともいえるギリシャの神々と比較してみますと、とてもではありませんが
「神」などとはお世辞にもいえないということに気づかれるでしよう。
 ギリシャの神らしい超人的能力の発揮があったのは、「いざなぎ、いざなみの国造り」はともかくとして、他にはたった一人
「すさのう」くらいのもので、それも「八股の大蛇」の話しがあったから何とかなったので、それがなかったら彼も危ういことになってしまいます。
 つまり、ギリシャの神々は、第一に
「不死」であって、これはプラトンが言っているように「神であることの証明」みたいなものですが、『古事記』の神は不死ではありません。第二にギリシャの神々は「雷を落としたり、地震を起こしたり、風を吹かせたり自然現象を操作」してしまいますが 、そんな力も持ち合わせていません。また強大な力を持ち、怪物を倒したり、人間にさまざまの能力、気力を与えたり奪ったりもしてきますが、『古事記』の神はそんなこともしてきません。
 いや、一番大事なことなのですが、ここには
「人間」が現れてはこないのです。つまり『古事記』というのはもともと「天皇」とその周りの貴族の位置づけ、職能を描くのが目的であり、はじめから「人間のこと」を描いていたのです。「人間に対する神」を描いていたのではないのです。「神」という呼び名に騙されていただけなのです。「国造り」が終わった後、つまり「天照大神」の以降はむしろ人間的に「何々様」と読み替えて読んだ方が分かり易いのです。
 こんな具合に「人間の」物語だったのですから「他に」人間が出てくるわけもなかったのでした。天とか海とかの「場所」も単なる
「地域の別」とよめばよかったのです。もちろん、ここに出てきたいわゆる「神々」が後に神社の主神となっているということはその通りなのですが、その神と言われるものの実体は以上のようなものなのでした。

神社
 以上のような神は支配者である「皇室の神」です。ですから、その多くが崇拝を求められて
「神社の祭神」となっているのですが、残念ながら一般の人々はどの神社にどの神が祭られているのかなど全く意に介さず、知ろうともしません。要するに「神」でありさえすればいいからです。つまり「力」だけが問題なのであって「誰」であるとか「どんな職分」の神であるかは問題にされないのです。
 以下、有名神社について紹介しておきますが、「神社」と総称してはいますが、神社には何々「神宮」と呼ばれたり、何々「大社」、あるいは「宮」とか「社」とか呼ばれているものもあり複雑です。ここでは詳しい説明は割愛して簡単な紹介にしておきます。

「伊勢神宮」(三重県)
 これは本来「別格」の神社で、ここだけはただの
「神宮」と呼ばれるはずのものでした。つまり、本来「伊勢」という限定はいらないのであって、ここはすべての神社を代表しているということです。というのもここの主神は「天照大神」であり天皇家の祖先神であるからです。この神が「内宮」の主神ですが、外宮には食物神である「豊受けの大神」が祭られています。
 しかしその後、複数の「神宮」が作られたため「伊勢の神宮」と限定されてしまったというわけでした。今日では「神宮」というとむしろ東京の「明治神宮」を意味してしまうことが多いようです。

「熱田神宮」(愛知県)
 ここは三種の神器の一つである
「草薙の剣」が祭られていることで有名で、主神は「熱田大神」とされますが、これは要するに「天照大神」ということになってしまいます。その他この剣を八股の大蛇を退治して取り出した「すさのう」と、これを以て駿河で「草を薙って」この地を平定した(それゆえ「草薙の剣」と呼ばれることになった)「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が祭られているのは当然です。

「明治神宮」(東京都)
 「初詣」で有名な神社ですが、ここの祭神は
「明治天皇」であって、全く新しい神社です。しかし、今日、限定なしに「神宮」というとここを意味してしまうほどに有名になってしまいました。

「出雲大社」(島根県)
 ここの神は
「大国主大神」です。本来はここだけが「大社」と呼ばれていたことが『延喜式』に見られます。つまり「神宮」は本来「伊勢神宮」だけで、「大社」は「出雲大社」だけということのようでした。それが拡大されて後に各地にたくさん「大社」が作られていきました。

「春日大社」(奈良県)
 藤原氏の
「氏神社」として興隆したものですが、一般に「春日祭り」で有名となっています。祭神は「大国主」に国譲りの談判に行った「たけみかずち」と、『日本書紀』の方で「たけみかずち」と共に談判に言ったとされる「ふつぬしの神」です。共に「戦の神」とされています。

「諏訪大社」(長野県)
 大国主の国譲りの話しのところに出てくる
「たけみなかた」が祭られています。

「伏見稲荷大社」(京都府)
 一般に
「お稲荷さん」で親しまれているものですが、それらのお稲荷さんは「伏見稲荷」とは無関係に地方にあった信仰が取り込まれたものと考えられ、全国に数万の社が存在すると言われています。そうなったのもこの稲荷信仰は「食物、穀物の神」とされる一方、屋敷神ともされたりして氏族の守護を司るとされ、また他方でここの使い神である「狐による祟り」が考えられたりして、それ故地方ごとにあった様々の信仰形態が包括されてしまったといわれています。
 一応その
本家とされるのがここで、祭神は「食物、稲の神」とされる「うかのみたま」となります。今日でも「商売の神」として多くの信仰を得ています。もちろん全国数万の「お稲荷さん」も同様です。
 ちなみに愛知の
「豊川稲荷」も有名ですが、こちらは全く別系統で、仏教での「だきにてん」と稲荷が習合したものです。

「熊野神社」(和歌山県)
 一般に「熊野神社」と呼んで全国各地で多くの信仰を集めていたものですが、この「熊野信仰」の母体となっている神社は紀州の
「熊野三山」つまり「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」「熊野那智大社」をさします。
 この他に
島根にも「熊野大社」という非常に由緒ある社などもあってややこしいです。祭神は「本宮」が「けつみこ大神」とされますが、この本体は「すさのう」とされています。「速玉」は「速玉大神」ですが、この本体は「いざなぎ大神」とされます。「那智」は「おおあなむち」です。

「宇佐八幡宮」(大分県)
 これは
「宇佐神宮」が本名のようですが、一般に「八幡様」と呼ばれて親しまれているものです。祭神は「応神天皇」ですが、一般に「源氏の氏神」として有名で「八幡太郎義家」などと名前にまで使われていました。源氏の氏神とされていることに了解されるようにここは「戦の神」とされています。

「太宰府天満宮」(福岡県)
 俗称
「天神様」ですが、ここには「菅原道真」が祭られています。この菅原道真が九州の太宰府に流されて憤死し、そのたたりで京の都に「雷」が落ちて火事になるなどの災害が生じ、これは「道真の怨念によるたたり」であるとされました。そのため道真を「神として祭って」たたりを起こさないようにと「鎮めた」ものです。「雷」だったので「天神」と呼ばれたわけです。後にこの道真は書の達人であったところから「学問の神」とされていったのでした。
 この天神様のように、歴史上有名な人物が神格化されて祭られている場合も多々あります。
日光の東照宮には徳川家康が祭られています。
 こうした神の中で庶民に人気となって祭られているものに
「平将門」がおります。とくに「神田神社」一般には「神田明神」と言われて、銭形平次でも有名になっているものですが、ここの祭神は、一宮が「おおあなむち」、二宮が「すくなひこな」、三宮が「平将門」になっています。元来は「おおあなむち」が祭られたもののようでしたが、平将門の祟りがあったと見られた時、荒れ果てていたこの社に「合併して祭る」ということで祭られて以来興隆し、徳川時代には「天下祭り」と呼ばれていました。明治時代に一度、平将門は「別にされ」「すくなひこな」が合祀されましたが、昭和時代になって氏子の強い要求で再びここに祭られるようになりました。
 以上の神社は皆「人気」があってさまざまの地域に勧請されて祭られています。そのベスト15を上げておきます。
稲荷、八幡、天神、宗像・厳島、諏訪、日吉、熊野、津島、白山、八坂、松尾、鹿島、秋葉、金比羅

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