7. 日本の神々と仏たちの正体 - 2. 日本の伝統の宗教―神道― | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

7. 日本の神々と仏たちの正体
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INDEX
1. 日本の宗教文化のありよう
2. 日本の伝統の宗教―神道―
3. 日本の伝統的な民衆の神々
4. 『古事記』の神々
5. 「神仏習合」とは何か
6. 仏教の発祥と仏陀の思想
7. 仏教の展開
8. 日本での仏教宗派と信仰形態
9. 仏像とは何なのか

2.

日本の伝統の宗教―神道―


はじめに
 
日本人は「無宗教」であるなどといいますが、とんでもない話しで、日本人ほど伝統的な宗教を守っている民族は他にないくらいなのです。ただ、その伝統的な宗教というのは「生活習慣」となってしまっており「宗教」として意識されるものではなくなっているのです。ですから私達は「無宗教」だと思いこんでしまったのですが、「無」なのではなくむしろ「無意識」的なものなのだと言えます。実際、「生活習慣」は殆ど意識されませんが、それを形成しているのが日本の伝統的民族の宗教なのです。そこで、この章ではその「生活習慣となって、表面には隠れている日本の伝統の宗教」を見ていきます。
 その日本の伝統的宗教とは
「神道」ではないか、と多くの人が思います。確かにそうではあるのですが、ただし、この神道というのは実体がはっきりしないのです。そこで整理してみますが、ここもさまざまの整理の仕方や命名の仕方があって一様ではありません。とりあえず以下のようにしておきます。

1.古神道。
 「古い」というよりむしろ
「根源」といったような意味です。これは一般民衆のレベルにあって「理論」などは存在せず、ようするに「自然崇拝」「家・集団組織」の観念のもとに「祭儀」をおこなう場面のもので、これは宗教という意識をもたせず、むしろ人々の「生活習慣」となって現れてくるものです。この章で取り扱うのはこの場面のものとなります。

2. 大和朝廷の神道。
 これは
『古事記』『日本書紀』の「神々の体系」とそれに基づく「神道組織」ですが、天皇支配の正当性と貴族たちの職能と位置付けを語ったものであり、「神話」という形で伝えられたためしばしば「日本神話」と紹介されますが民衆はほとんど内容も神のあり方も知りません。ですからこれはあくまで「朝廷のもの」という性格しか持っていないのですが、ただし「朝廷のもの」ですから、当然これは朝廷によって日本全体のものとされて、「神社」の神の多くはここの神様たちとなります。

3. 学派神道。
 これは
伊勢神道とか吉田神道のように、神官が神道というものを思想化しようとしたもので神社なりに「神」というものの位置付けを試みたものです。しかし一般庶民は全く知らず、ただ神社やそれに関係する「神官・学者の論」でした。ただし、ここに神社の形成や発展史、社会的位置付けの論などがありますので日本史学の方では重要視されています。また、江戸後期の本居宣長などの「復古神道」は日本神道の在り方を根本的に見ようとしたばかりでなく、国家神道との関係でも非常に重要な位置を占めています。

4. 教派神道。
 これは明治時代になって、神道が「国家神道」として国家イデオロギーにされていったのに反発し、神道の
「宗教性」を強調し「宗教教団」をつくっていったものを言います。大きなものに13派ありますが、私たちになじみのところでは「天理教」「御岳教」「大隅教」などがこの立場にあります(ただし、難しく言うといろいろ議論があります)。

5. 国家神道。
 この名前でまず理解されるのが、明治以来戦前までの
「日本の政治イデオロギー」で、日本は「神の国」として世界の中心にあり、諸国はすべて日本の支配下にあるべき、とした「日本国家主義・軍国主義」の思想的基盤です。この思想に基づいてアジアを一つにまとめようとしたのが「大東亜共栄圏」の思想で、こうして日本は太平洋戦争へと入って行ったとされます。そのため大戦後この思想は廃棄され、天皇の「人間宣言」などが行われたのですが、現在でも「神道」というとこれが意味されることが多く、そのため「神道全体」が偏った見方をされています。というのも、現在でもこの思想を復活したいと考えている保守的な社会的リーダーがたくさんいるからです。

6. 神仏習合の神道思想。
 これは当初、仏教側が神道を取り入れ、自分の下に位置付けるために作り出した思想で、天台宗の立場のものとして
「山王神道」また真言宗の立場から「両部神道」などが説かれました。無論これに反論し、逆の立場で神道を論じる立場も生じています。いずれにせよ日本の宗教意識を探る上で大事です。

 以上のように一口で「神道」といってもその意味内容はさまざまだといえます。一般に「神道」というとやはり
「国家神道」がイメージされます。国家によって日本人全体に教育されてしまったからです。しかし私たちに「なじみのもの」といえばそれはいうまでもなく「古神道」となります。これが「一般庶民」の神道であり、今日にまで私たちの生活習慣に深く根を下ろしているものです。「生活習慣」ですから、なかなか「宗教」とは意識されないのですが、そうした「習慣」を作り上げたのがこの「根源の神道」なのです。
 他の神道はこの「根源の神道」をベースにし、意識的に一部を強調したり、自分の主張に都合よく「改変したり」「付け足したり」、あるいは「別途に物語を作って」形成したものです。しかし、「根源の神道」というのは一般庶民の生活習慣そのものですので、実際、
「宗教として意識されない」ということがあります。このことは重要な意味をもっていますので、取り敢えずそういうこととして心にとめておいて下さい。ということは「神の姿も朧ではっきりしていない」、ということを含んでいるからです。現代の日本人にとって「日本の神」ははっきりしていないというのは実感されているでしょうが、これは「現代」だからということではなく、「元来が」そういう性格なのだということなのです。日本の神というのは「世界一姿が隠れている神」なのです。

 こういうと、『古事記』や『日本書紀』の神々を引き合いに出して反論してくる人もいるでしょう。しかし、これは「古神道」とはいえません。むしろ、
「大和朝廷の国家神道」であって天皇家の由来とその支配の正当性、貴族たちの由来とその仕事・職分の位置付けがその内容となっているのです。つまり、ここでは「天皇はじめ貴族」の由来・職分が問題であったため、神々も「その先祖」として語られてくるのですが、それは、「天皇家の由来物語」に登場する主人公と脇役たちといった性格を持ち、決して「日本民衆」の神とは言えないのです。つまり、『古事記』や『日本書紀』の神々とは「朝廷の由来を語るもの」でしかなく、実態として日本人の中に「生きている」神ではないのです。むろん、朝廷の先祖ですから「神々として祭られる」ということになりましたが、一般の庶民はほとんどその神々を知りません。「支配者の思想」ですから被支配者たる一般庶民に影響しなかった筈はないのですが、この始末なのです。これは「現代だから」なのではなく、大昔からなのです。したがって、この『古事記』の神は別に取り扱われねばならない問題だ、としなければならないでしょう。

 さて、今の問題とも関連しますが、日本人の神の在り方を説明するのによく引用されて有名なものに西行法師が伊勢神宮(天皇家の祖先神が祭られている日本の代表的神社)に行った時の歌があるのですが、その内容は
「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」つまり「誰がいらっしゃるのか知らないけれど、なんとなく神々しくて涙がでるなあ」などというものでした。西行法師ほどの知識人(鎌倉時代を代表する歌人の一人。もともとは武士であり鳥羽上皇に仕えていたが、後に出家し諸国を遍歴した。1190年没)がこの伊勢神宮の神様(内宮が天照大神、外宮は豊受大神)を知らないとは絶対にあり得ないといえますが、ようするに西行法師がいいたかったことは、日本人にとって「神」ということで大事なのは「名前」ではなく「神々しさ」なのだ、ということなのでしょう。天照大神といえば天皇家の祖先神なのですから誰でも知っていて不思議はないのに、こう言われてしまうほどなのです。ですから一般庶民がここに祭られている神を知らなくてもあまりとがめられません。
 これはすでに西行法師に先立つ「菅原孝標の娘」による『更級日記』(1020年から1058年までの日記)の中にもあり、そこでは、「常に天照御神を念じ申せ、という人あり、
いずこにおわします、神・仏にかはなど……」(いつも天照大神を拝みなさいという人がいるけれど、だけど、どこにいるんだろう……「神」なんだか「仏」なんだか?………)などと言われています。もちろんここは「以前は浅はかであった自分はこんな始末であったが、段々分別がついてやがてどこそこの神と知れるようになったのだが……」という文脈ですから「全然知られない」というわけではないのですけれど、それにしても「分別がついて信心深くならなくては知るにいたることはない」というのは「神」の存在の在り方としてははなはだ頼りないといわなければならないでしょう。

 こんなのが古代の日本人の神意識であり、これは今日の私たちと全然変わらないとすら言えるでしょう。では日本人の心にある「神」とはいかなるものなのでしょうか。
 それは今紹介した西行法師の歌に秘密が隠されています。すなわち、「名前」など知られなくてもよい、はっきり言ってしまえば
「名前などなくてもよい」ものなのです。ということは、仮に「名前」が付けられて表現されても、それらの神々に本質的な区別などみられない、ということになります。「神様ならそれでいい」のであって「誰」でなければならないという発想は持たれないということです。
 私たちも神社にお参りに行った時「何の神様だから」ということを気にしているでしょうか。そんな人は多分殆どいないでしょう。「何々の神」というのが日本ではむしろ特殊な神様なのです。それは人々の生活にひどく関係している場合生じることもありますが一般的ではありません。このタイプで一番有名なのは「学問の神様」とされている「天神様」ですが、これはたまたまその天神様が人間であった時の菅原道真が学問の秀才であったからそうされてしまっただけで、彼が祭られたはじめから「学問の神」として祭られたわけではないのです。彼は、貶められ裏切られて不遇のうちに死んだと考えられ、死んだ時に都に「雷」が落ちて災厄が生じ、それは彼の怨念による「祟り」だとされて「天神(雷をおとしたのだから)」として
「神として祭り上げ」、静かにしていてもらおうとして「神格化」されたものです。それが後になって、彼の「学問に秀でていた」という特性がたまたま注目されて「学問の神」にされただけの話しです。同様の特性は例えば商売の神とか何とかの神様にみられますが、これは全く本質的なのではなくて、偶然のことなのです。縁結びの神として有名な出雲大社にしても同様です。ここは本来大勢力をもっていた「大国主神」を祭るというだけのことだったのですが、後代になって、たぶん彼の結婚ばなしが有名だったせいでしょう、縁結びにされてしまっただけの話です。

 では日本の「神」において何が問題なのかというと、結論的に言うならば、神として
「御利益」があるかどうかだけが問題だと言えます。「神として」ということは、人間には知られざること、人の手におえないことにたいして、「力」を貸してくれることが要求されているということなのです。「力」を貸してくれるなら誰であってもよく、誰々などということは問題にされないのです。要するに「人の力を超えたもの」であることだけが要求されているのです。ですから「神」でありさえすればいいのであって「誰」ということは問題にされないのです。ただそうはいっても「力」として大きな方がいいとは思いますから、勢力の強い神社に行く、ということはあり、そのため有名になった神社が各地に「支社」を持つなどという現象も出てきます。つまり、こちらの方でも力を発揮して下さいと「呼ばれる」のです(これを「勧請(かんじょう)」といいます)。そのため全国各地に稲荷神社や天神様、熊野神社などが見られるわけです。

 つまり、日本人にとっての「神」というのは
「力の象徴」なのです。これはしかし、民族宗教の基本の在り方でした。「神」というのは「生命力・生産力の象徴」でした。日本の神はこの性格をずっと保ち続けている世界でもまれな神なのです。この「神」は私たちに「豊作」をもたらしてくれることが期待され、健康を保持してくれ、「子宝」を授け、家を繁栄させてくれること、「成功」が期待されています。何か困ったことが起きた時はそれを助けてくれ、苦難や悪がこないよう守ってくれることが期待されています。「困った時の神頼み」です。ですから、姿がはっきりしないのです。「力」であってそれ以上人格的な性格をもたないのですから当然です。祭る時は「何か」に「その力を宿らせる」ものなのです。それ自体としての姿など、もともと持っていないのです。
 「神」が「生産力」「生命力」という「力」であるということは、日本の「祭り」を見ればはっきりします。例えば山村の祭りでみると、春になると「山」に籠っていた神様を里に呼び出して「田の神」になってもらいます。これが春祭りです。そして秋になって、お疲れになった神様に収穫物の新鮮なものをお食べただいて「山」でお休みしてもらうよう感謝の祭りをして送り出します。これが秋祭りの由来です。その他何かがあると
「呼び出して」行事をします。これは漁民でもかわらず、彼等の祭りは「大漁」を祈り、あるいは航海の安全を祈る物です。

 その「祭る」時は、神様が
「宿る」ものを用意して、その「宿り」に宿ってもらうようしかるべく祈ります。そしてその「宿ったもの」が「神」と認められるのです。この宿らせるものを「依代(よりしろ)」といいます。一般には「榊」のような常緑樹が使われますが、とくに何でなければならないということはありません。岩を使っていたり、あるいは人形をつかうこともあります。そして、神は通常は「偉大なもの」に宿っている、とされ、例えば大岩(この場合を「磐座(いわくら)」と呼びます)とか大木、山、川などがその座とされ、しめ縄でそうであることが示されています。もちろん「海」もそうなりますし、小さな「島」が「神」とされていることもあります。このしめ縄というのは「その中には何者も入ってはならない」としたバリヤーみたいなものだと思って下さい。こんな具合に「神」というのは人々の繁栄の願いに基づき「祭られる」ものであって、人々の生活に密着して神との関わりの行事は「生活習慣」となっていたのです。ですから、現代でも、「ただの衣食住の場」でしかない都会をのぞき、多くの地方では「祭り」は一般庶民にとって「生活の柱」になっているのです。人々は「祭り」を通して「地域社会の一員」であることを確認し、地域社会の一員として生活していくのです。これは多くの民族にも見られ、人々が「祭り」が大好きなのは、それがただの「馬鹿騒ぎ」とは違った、ある種の「生活のリズム・人生のリズム」を形成しているものであったからです。

 祭りばかりではありません。日本では例えば「家」をたてる時など敷地の回りに竹を立て縄でグルリと囲んで真ん中に榊の木の枝を立てて、神主さんが榊で作ったハタキの大きなものを振っているのを見ることができます。
 また、何かというと神社にいって「お願い」をしたり、御札を買ったり、新車にお祓いをしてもらったりして、そんな具合に「根源の神道」は今に生きているのです。もちろん、家を建てたり、新車を買った時ばかりではありません。私たちは日常的にこの根源の神道と関わっているのです。日本人にとっての二大行事といえる
「正月やお盆」というのは、もともと「根源的神道」の行事なのです。正月というのは「年神」を迎えるもので、お盆は「祖霊」を迎えるものです。ただし、お盆は後に仏教が「葬式」を管轄するようになったことから、「祖霊」も仏教が扱うとして「仏教の行事」のようになってしまいました。
 こういったものは生活習慣化しており、意識されませんが、しかし私たちは今述べたように、何かあると神社にいって、お賽銭をあげて何か頼みごとをする「意識的行動」をしています。子どもができるよう「お札」をもらい、できたらできたで安産のお守りを買って、生まれるとお宮参りにいき、7・5・3にも神社にお参りし、家をたてるに「地鎮祭」を行い。安全祈願のお祓いをしてもらい、受験となったら「合格祈願」の絵馬を掲げ、といった按配です。そして何かと神社にいっては「うまくいくようお願いこと」をしています。こんな具合に、私たちは私たちの一生の「始め」から神様に世話になり、死ぬ直前まで病気回復の祈願などで世話になって(死んでしまったら今度だけはお寺ですけど)、一年を神の行事で過ごしているのです。
 他方で、「力」としての神が「悪く」出た場合には人間に大きな災害をもたらします。これを
「荒らぶる神」といいますが、この神様が落ち着いて静かにしていてもらうために「鎮の場所」として神社におさまってもらっている場合があります。先程の菅原道真も、彼が不遇の中に死んだ時天変地異がおきて雷が皇居に落ちるなどして、それが道真の霊魂のせいだということになって、その霊を鎮めるために彼を神として祭ったのが始めなのです。天から「雷」を落とした怨霊だったので、「天神」として祭られることになったというわけです。このように、日本の神というのは、善きにつけ悪しきにつけ人知を超えた「力」の象徴だったのです。

 また、この「力」「生命力」「生産力」という観念は、それに対する
「畏怖」の感情をも持たせてくるわけで、「自然の偉大さ」に対する恐れと同時に畏敬の念も持たせます。こうして自然に対する「祈願、感謝、恐れ、畏怖、畏敬」の念が混じりあった「自然崇拝」という宗教観念を生じさせました。私たち日本人の伝統的宗教観念とはこの「自然崇拝」であってといっていいでしょう。
 これを基盤としながら、一方で古来の日本人は
「土地」にしがみついて、土地との関係で「神」を見、土地に関わった人間関係、集団として自分達を捕らえ、「土地」を中心に物事を考えていったのです。ですから、日本人にとっての「神」とは「家・村・集団」のものとなり、個人的にはほとんど意識されない神となったのです。こんな具合ですので、「神」といっても「人間的姿」でイメージされることは少なく、したがって、ギリシャの神々のような姿で「人格化」されることがほとんどなかったのです。以下そうした日本人の宗教観念を幾つかの代表的概念を説明することで見ていきたいと思います。この段階で現代の日本人も依然として古代日本人の血を脈々とうけついで、「日本の神」の下の住民であることがより明白になってくる筈です。

日本神道の性格
 根源的な神道の性格をみていくのにはさまざまの視点・論の立て方が可能ですが、ここでは以下のような項目でみていきます。 1、むすび(産霊、産巣日、産日、産魂などと表記される)。 2、祭り。 3、地域性(シマ、氏神と氏子、集団帰属性、内と外、集団主義など)。 4、日本的倫理(誠・清明心、「和」、村八分、禊と払え、黒不浄と赤不浄、ハレとケとケガレ、祟り、我執など)。 5、祖霊。

1、「むすび」
 これは、ようするに
「産む」ということであって「生産力」「生命力」を意味しています。つまり「むす」というのが「産む」ということで、霊力をあらわす「ひ」がくっついて「産み成す神霊」といった意味になります。こうした神観念が、「土地」との絡みで考えられた時「産土神(うぶすなかみ)」と表現され、これが後「氏神」「鎮守神」と同化されていきます。
 この具体的な信仰が、農民にとっては、五穀を実らす
「山」に対する信仰となります。ですから、この性格を今日まで保っている日本神道では基本的に「神」を「人間の姿」で考えることは、比喩的な表現以外、ほとんどないのです。一方、この「山」に対する信仰は「山そのもの」が「神」と見られるわけではなく、そこに宿っていて実りをもたらす「力」が「神」として崇められているので、したがって、この「神」は里に降りてきて「田の神」になります。そういうわけでこの「神」は山や田に宿るだけではなく、自然的な生命力が見られる何にでも宿ります。人々はそうした「宿っているもの」を、宿っている限りにおいて「神」として祭ったわけです。大きな岩(磐座、いわくらと言いますが、「いわ」というのは本来は「堅固」なるものの意味で、「神が鎮座まします座」といった意味です)や大木(この場合、「ひもろぎ」とよび、神霊たる「ひ」が「籠る(もる)」「木」と説明されます)。普通には「榊」が一般ですが本来は常緑樹たらなんでもよいものでした。正月に立てる「門松」も「年神」を宿らせるものです。

 これがすべての基本ですから、大和朝廷が自分達を語ろうとした時も、
天皇家自体がそうした「むすびを司る」ものである、ということを語ってくるのも全く当然でした。なぜなら、そうしなければ「民衆の王」であることすら主張できません。つまり「皇祖」は「太陽神・天照大神」で、地上に降りたのは孫の「ニニギの命」といわれますが、これは「稲」に関わる名前であり、彼がこの日本に降りてくるのも「生産力」を表す「タカミムスビの神」の命という形になっているのです。こうして、「天皇」自体が「稲をもたらすもの」し日本全土に君臨するいわれが語られたことになるのです。

2、祭り
 日本の神が「むすび」という「生産力の神」だということはその「神」を「祭る」というのも基本的に「生産」に関わってくるわけで、それが日本の「祭り」の大きな特色になります。
 すなわち、祭りというのは、
「神」を招きその意思を明らかにし、それに付随して神を供応して喜ばせ、「力」をつけてもらう一方、自分達もその「力」に与かって「繁栄」を促進しようというものだったのです。つまり「祭り」とは本来、神様を迎え、神の託宣を仰ぐものでした。つまり神様の「意思を明らかにしよう」というもので、ここから必然的に「祈願」が行われるようになり、それに伴い「捧げ物」がされるようになったと考えられています。ですから、祭りはもともと「神の意思を明らか」にするための「術・業」が主体で、ですから祭りには「歌舞」が中心的役割を果たしているのです。
 つまり
「歌舞」とは「神の意思が体現」される場であったのです。シャーマンとおなじ役割を持ったものです。間違っても「人々を慰めるためのショー」などではありませんでした。また、祭りはさまざまの形態を持つようになりますが、農民の「生産祈願」型で説明してみると、祭りというのは「収穫」に関わるのが主体です。人々は「種蒔き」の時期に神を呼んで祭り(春です)収穫時には(秋)その「初穂」を神にささげます(ちなみにこれを祭儀として公式にしたものは「神嘗祭(かんなめさい)」といい、最大のものは伊勢神宮で10月15〜16日に外宮で、16〜17日に内宮で行われ、また皇居でも17日に執り行なわれます)。そして、その収穫物を神と共に親しく食して神の力と合一しようという祭りを行います(これは「新嘗祭(にいなめさい)」といい11月23日に行われています。この日が「勤労感謝の日」とされ祭日になっているのはこのためで私たちも神様の「恩恵」をこうむっているわけです)。

 さて、この「力」としての神は要するに
「エネルギー」として考えれば分かりやすく、ということになると「充電」してやらねばならないということになります。そこで定期的に神を祭らねばならないということになります。
 「まつり」というのは「まつらう」でもいいですが「たてまつる」と同義だと思ってもいても構いません。祭りというのは「神様」に「奉る」とも解され、この筋で説明すれば、それは
神を喜ばせるもの、力を充電して差し上げるためなのでした。そしてそれと同時に自分達もその力に与かろうというのですから、この神が力で充満していなくては困るわけで、祭りというのは大掛かりなものになったのです。こうして、祭りというのはまず「汚れ」を払って、神官が神を招き寄せて神が宿るべき「依代(よりしろ)」に神を宿らせ、食事(神饌といいます)を差し上げ、歌舞で神意を問い、春祭りなら農耕の所作を演じて豊作を願ったりします。

 また
「みこし」は祭りにつきものですが、これは要するに「持ち運び用神社」ということで、ここに神がおります。この「みこし」を地域内全部に運んでいくことで「神様の力」は全域に及ぶことができるわけです。この時、神様の力を強くしてやるために「みこし」を激しく振ってふるいたたせます。この時の掛け声に種類があり、例えば歌にある「モメモメ」というのは大きく激しく上下左右に振ることをいい、「サセサセ」というのは高く担ぎ挙げグルグル回すような動きで、交差点や社殿前の広場などでやっています。みこし同士が喧嘩するのは、神様を鼓舞し強くするためであったり、地域内の集団の「自己主張」であったり「占い(つまり勝ったが豊作になる、など)」であったりすることもあります。祭りに喧嘩がつきものなのはこんな事情もあったのです。

 こうして今度は神様との
「交歓」の儀式で、「直会(なおらい)」といいますが、ようするに「飲んだり食ったり」です。これは「ご苦労さん会」ではないのでして、神様と同じものを食することによって神様の力に与かり、一方、その神の食物と同じ物を「皆で」食することによって「身内」であることを確認し絆を強くするという「大事な儀式」なのです。ですから一人でボソボソ食べていては駄目なわけで一族全員、村中総出でやらなくてはなりません。そして同じ神の下にある地域の皆さんと深い絆を確認するわけです。といっても要するにドンチャン騒ぎですけど、これをやらなくては祭りとは言えません。この「食事の共」というのは多くの民族に見られる習慣です。

3、神と地域性、シマ、氏神と氏子、集団帰属性
 今、祭りをみたわけですが、この「祭り」にもう一つ大きな特色がみられます。それは
「地域性」ということです。祭りは一定の地域に限定されるのです。ということは「神様」も地域限定性があるということなのです。これは日本の古神道に特徴的なこととして理解しておく必要があるでしょう。もちろん「天皇家の神」は日本全体に及ぶ、としますが、それは天皇が日本全体を支配領域とするからで、しかしだからといって各地方地方の神がなくなるということにはなりません。地方地方に別にその地域を支配する神がおり、これは限りなく「細分化」します。ですから「神様の数」も限りなくなってしまうのです。そしてその神様の力は自分の領域の外には及ばないのです。
 この、神がその
「領域を占める」働きのことを「シル」といいますが、これは要するにしめ縄をはって、境界の限定された空間(シマ、クニ)を示し、それを自分の地として「占めて」他者の侵入を許さない、という意味となります。分かりやすくいえば「縄張り」のことです。日本の神というのはこうした「縄張り」をもっているということです。

 こうした構造をはっきり示しているのが「氏神」「氏子」という概念であり、ある地域にはその地域の守り神として「氏神」がおり、その住民はその地域の神の「氏子」として認識されます。そして「氏神」はその地域の「氏子によってのみ」祭られ、その氏子にのみ恵みを与えるということになっています。この関係にはっきりみられるように日本の神は「家族、一族、部族」の神という性格が強いのです(ただし、これは文字通り血縁的一族と限定されるわけではなく、土地に結び付けられた集団とみなしていいです)。
 この、本来は「氏族の神」であったと考えられる「氏神」は「土地」に絡むことから
「産土神」と同化し、また「土地の守護神」である「鎮守の神」とも同化し、「その土地を守りその土地に豊かさをもたらす」という理解となっていきました。ですから、他の神に属している者に対しては自分達の集団の人間として受け入れるということはしません。神は「自分とは違った神の氏子」によって祭られたところで喜ぶ筈がなく、したがって恵みを与えてやることもない筈だからです。これは「意地悪」でそうしているのではなく、「地域のものとして各人は認識される」という、日本人の「人間観」ですのでなかなかなくなりません。つまり、人間を集団の一員として見、個人としてみるという見方がないのです。
 何故「氏子」ということが大切なのかというと、集団を維持・繁栄させることが日本の神の使命ですから、集団構成員はその
「神への帰属意識」をもつことが要請され、それにこだわるからです。これが「社会倫理」とされます。日本人の「群れたがる」性格はこんなところに原因があり、何をするにも「仲間と一緒」にし、思い切ったことは「集団でなければ」やれない、という性格を持っているのもここに原因があります。「仲間意識」というよりむしろ「独立的自己の確立」という概念自体がないのです。日本人の言い方として「我々日本人は……」という言い方がよくされるということが指摘されていますが、これは「自分一人では責任はとれません」ということの裏返しの表現とも言えます。実際日本人は古来「集団の意志決定において生きてきた」と言えます。この「集団帰属性」は社会倫理にともなって、日本人の倫理・道徳観を育成してきました。いうまでもなく「集団・社会優先の倫理」です。

 ここからまた、日本人論の中でよく指摘される
「内・外」という概念が出てきます。ある地域の中で同じ神の下にある人々が「内」であり、その外側の人々はすべて「外」となります。そして「内」にあるものはすべて「一族」と見なされます。ここから、外人に対する特殊なものの見方が生じたり、「排他性」が指摘されることにもなります。つまり「福は内」の思想といわれているものですが、「自分の所だけに」福を呼び入れ、鬼は外に、つまり他の地域に行ってくれ、ということです。一方、この「内」という思想の延長上に「日本民族単一論」というものが主張されることがあります。日本民族が南方系と北方系の混交であること、大陸からの民族の流入、また歴史時代になっても、特に上流階級に朝鮮・中国の血が大量に入っていることなどがあっても平気で「単一民族」と言ってきますが、この時の意味は「人種として単一」という意味ではないのです。むしろ「日本人として認められ、この日本の神のもとにある人々はみな同じ」といったような意味合いなのです。日本民族は「単一」だからアメリカのような民族問題などない、と考える日本人が非常に多いのはこんな事情があるからです。

内なるものの長所
 なぜそうなったのかというと、「内」というのは
「家、一族」と見なされるということですから、家族的なつながりと絆が生じ、「助け合い」の精神が生じてくるのです。家族ですから何といっても安心です。ここに寄り掛かっていれば、何か事があっても助けてもらえます。「寄らば大樹のかげ」というわけです。力が足りない時は力を貸してくれます。誰かに出し抜かれるということもありません。こうした「一体感、安心感」が何よりなのです。そして「強い」のです。毛利元就ではありませんが「三本の矢」になっているのです。とにかく、自分の分を尽くしていれば、それが大したことではなくても、集まって大きくなっているのです。ですから孤独にがんばらなくてもいいのです。自分であれこれ考え工夫しなくても、全体からやれといわれたことだけやっていればいいのです。つまり「効率的」なのです。個人個人の戦う「競争社会」では負けたら悲惨ですが、そういうこともありません。横並びで皆で進んでいこうというわけです。日本企業の「護送船団」方式というのがこれです。少々失敗しても他が助けてくれるシステムになっているのです。これが日本をここまで強く、安定させ、負けても復興が早かった秘密です。ですから日本人は今でも「集団帰属性」が強く、すぐグループをつくろうとします。「どこに属しているか」を気にします。血液型などいい例です。流行に遅れまいとするのもこの精神からです。皆と一緒でなければ安心できないのです。日本の女子高校生をみていると「ああ、本当に日本人は昔から変わらないな」と安心したりガッカリしたりします。本当に昔の「伝統的意識そのもの」が観察されるからです。つまりここにも長所と同様「短所」もあるのですが、それが相変わらずだという事が観察されてしまうからです。

集団主義、つまり個人は問題とならない
 短所としてはすでに「外」に対する「排他性」を指摘しておきましたが、他にもあります。すなわち、人の評価を
「個人の人格、能力」で判断するのではなく、その人が「属している集団」で判断するということです。たとえば「東大生である」と聞いただけで「立派な人」と思い込んでしまいます。本当は傲慢で立身出世主義の冷たい人間であって、能力もただの暗記得意人間であることもあるのですが、なかなかそれを認めようとはしません。「どこそこ出身」といった時の「どこそこ」だけが問題にされ、「その人個人」は問題にされないのです。
 また、そういう判断になるのは内部的に
「均一」と思われているからなのであって、これは実際そう要請されているものなのです。「集団内」の人間はその集団の「構成員」としてあるのであって「何の某」としてあるのではありません。いってみれば「集団の歯車」なのです。そして歯車なのですから、一人一人は「一個一個」として「管理」されることになります。そうであって、集団の名前が「個人」を表し得るのです。この「管理」という性格は「集団主義」と切っても切れません。なぜならそうして始めて「決められた所に決められたように嵌まっている」という「秩序」が形成し得るからです。これを「和」といいます。ですから、日本人は自分の個性や主張をなかなか表にだしません。でしゃばるな、和を崩すな、という教えが厳然と生きているのです。

4、日本的倫理。
日本人の美徳観、誠・清明心
 以上のように、日本では
「己を押さえて集団に殉ずる」ということが美徳となってきます。自己主張せず、己の願望や考えなどはすて、一途に「集団のため」をのみ考え、そのためにのみ働き、集団のためとあらば「泥」をかぶり、あえて「死」をも選び取る、というのが最高の「美徳」なのです。「誠」というのはそうした「集団への従順の心」をいい、「清明心」というのも「集団に対して、心にやましいところはない」、という意味なのでした。

縦型社会の秩序としての和
 今、言及した「和」というのも「内なるものとして」であるのはいうまでもありません。「外」は敵となります。また「和」というのは集団の秩序ということであって、
「集団は家族」にたとえられますが、本家のお父さんが一番上で、それに弟やおじさんたちがおり、子供たちがいて、使用人がいます。集団はこのように「縦型社会」となっております。
 一方で、その
それぞれの階級のものは横一線でなければなりません。その線を上に出ることは許されないのです(出る杭は打たれます)。ですから、どんなに能力があっても「若造」が上にいくことなど許されません。「年功序列」の社会がこの社会の秩序なのです。一方、しばしばこの「和」というのは「全体責任」という形になっても現れてきます。昔の武士の家のように、誰かが不始末をしたら一族すべてが罪に問われ切腹させられたり追放されたりしたあれですが、今日では驚くべきことに「学校」に一番よく残っています。いわゆる「班」というやつで、その班の中の一人が忘れ物をしたり何か問題をおこしたら班員全員が責任を問われるというものです。

村八分
 そしてこの「和」はそれに触れたものを
「村八分」にするという形の「刑罰」となって現れます。この村八分というのは知っての通り、村人の誰かが村の掟に背いた時に行われる「制裁」です。「八分」というのは当て字で語義は「はじく」だろうといわれていますが、簡単にいってしまえば「仲間外れ」ということです。これは日本人には徹底的にこたえるもので、村落では「生き死に」にかかわってしまいます。今でもそうで「いじめ」はこういう形で行われています。仲間にいれないどころか、「無視」してしまうというわけです。そしてこの「村八分」は明確な罪がなくても、能力、姿・形、身体的特徴、などなど「集団からはみでている」と見なされただけで行われてしまいます(本人にはよく分からないのに、集団、ないしそのリーダーの気に障る、という理由だけで行われ得、それは今日のいじめと変わりません)。また、これは上の全体責任の裏返しみたいなところがあって、「個人的恨み」を全体で担わせて「個人の責任」を回避しようという卑劣な心もあり(とりわけ現代の「いじめ」に観察される)困った精神が作られてしまったのです。

禊(みそぎ)と祓い(はらい)
 「村八分」があるということは
「悪」とみなされるものがあるということですが、これに関わって、現代の私たちも良く知っている「禊と祓い」という概念があります。これは要するに「悪を除く」ということですが、日本にはキリスト教的な意味での「罪」すなわち「人間そのものが抱えている本来的罪」といった考え方はありません。人間はそれ自体としては「清らかで優れたもの」だとします。しかし、それに「汚れ」が降り懸かって「悪く、不浄に」なるのだと考えています。ですから、その「悪」を振り払えば「きれい」になると考えます。その汚れが一つには生命力の枯渇としての「死」であり、その前段階としての「病気」あるいは生命を脅かす「災い」などが悪です。これらは「不浄」なものと認識されます。禊ぎというのは「水や火」「身をそそいで清らかに」するためであり、「祓い」というのは文字通り「はらいのける」ものだと考えていていいです。

「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」
 今の不浄の概念と関係して「ハレ」と「ケ」という概念があります。また、これに加え「ケガレ」という概念があります。「ハレ」というのは今日でも
「ハレ着」という言葉に残り、ケガレはそのまま「けがれている」「けがらわしい」などという言葉に残っています。この時の「ケ」というのは「力・生産力」を表す「気」であると考えられ、「ケガレ」というのはこの「気が枯れた」という意味であろうとされます。「気が枯れた」時にこれを回復させるためにおこなわれるのが「ハレ」の日の行事としての「祭り」だというわけです。

祟り
 ですから、こうした祭りをとどこおりなく行わなかった場合や、神に対する侵犯などがあると「祟り」が生ずると考えられました。この祟りというのは日本の場合非常に強く意識され、神信仰の動機の一つとなっているほどです。それは
「災厄」となって現れるのが本来ですが、これが後には個人の霊の祟りまで考えられ、これを鎮めることが重要なこととなり「御霊信仰」などを形成させて行きました。

黒不浄と赤不浄
 一方、生命に関わる「不浄」として最大のものとして
「死」を意味する「黒不浄」「女性の月経、出産の血」を意味する「赤不浄」というものがいわれています。「黒不浄」は分かるとして、何故「赤不浄」が不浄とされたのかよく分かりません。女性に月経や出産はつきものですから、結局女性そのものが不浄なるものとされてしまいますが、これは日本だけの現象ではないので何か理由があるのでしょうがはっきりしません。とりあえず「血」は生命に関わりますから、これが「体外に出る」ということに恐れを抱いたというのは分かりますが、それだけではないような気がします。恐らくは「女性が子供を産む」という神秘的な力にむしろ恐れを抱いたのかも知れません。ですから当初女性は「神的」なものと思われたようです。その痕跡はたくさん見出だせます。しかしそれが逆転してしまうのです。つまり、社会が進展して、戦争などが集団の存続に関わり、男社会になった時、男達は女性を「恐れ」、それを疎外する方向に行ってしまったのではないか、と考えられるのです。男性がどうも無意識的に心の底で女性を恐れているのではないかというのはヨーロッパ中世での「魔女狩り」などにもみることができます。
 ともあれ、こうして身内のものが「死んだ」時にはその汚れは一族におよんでいるものとして、皆「家」に引きこもり、人々との付き合いを絶って、汚れが薄くなくなるまでじっとしていることになりました。今日の「忌中」という奴です。女性の方も、「月経時」は「汚れて」いるものとして引きこもっていなければならず、出産時には「家」に汚れが及ばないよう、「別に出産小屋」を建ててそこで出産するのが習わしとなりました。    

日常的な汚れとしての災いと人間的我欲、我執、怨念
 以上のような明確な不浄の他にも病気や怪我などさまざまの不浄があり、それは日々人間の身に降り懸かってきます。また自然的災害もあります。そしてもう一つ「罪」とされたのが「反集団性」であったわけですが、これも多くははっきりした形ででることはなく、日々の生活の中で蓄積されてくるものです。
 こうして人はさまざまに「汚れて行く」わけですが、その内面の身の汚れは
「我欲とか我執、怨念」などによるものとされます。人間ですから、誰だってこういうものを持つわけです。これがもちろん「目に見える」形であらわれたら「罰せられて」しまいますが、そうでなくても日々心の中に持つのが普通です。このままではやはり人はドンドン汚れていってしまいます。そこで人々はこれを「払い除けて」きれいになろうとしました。その時おこなわれたのが「禊・祓い」なのです。
 「禊」というのは、古事記にあるように「具体的なけがれを洗い流す」ものでしたが、特別取り立てた汚れがあるわけではない場合でも「日常的に身についた」汚れを落とすために行われることがあり、「水をかぶったり」「火の粉をかぶったり」するものです。「祓い」の方はむしろ具体的汚れや、あるいは予期されるものに対してそれを「祓い落とす」ためのもので、現代でも「車」を買った時神社で「お祓い」をやってもらうというのがれになります。ただし、今日その区別は殆ど意識されないどころか、悪い事をしてやめた代議士が「選挙」で再び選ばれて「禊はすんだ」などという始末で、「いいように」利用されています。しかし、日本人に、「人間に本来的な罪」というのはなく、汚れは外からくるもので、それを祓い落とせばきれいになる、という思想があるのは現代でも生きているような気がします。そして「祭り」にはこうした「禊」タイプのものもたくさんあり、さまざまの地方でみられる
「火祭り」とか「海、川などに入ったりの祭り」などがこうしたものと言えます。神社にいった時「手や口をそそぐ」のも同じ思想からです。                

祖霊
 「祖霊」というのは柳田国男が言い出したものとして有名になっているものですが、これは字の通り
「祖先の霊」ということで、日本における「神」の実体とはこれだ、という主張でした。一般には、日本の神とは世界中の民族特有の宗教に共通する「自然力」「生産力」として説明されますが、日本の場合には「先祖」信仰が元だと言うわけです。確かに日本における「神」の位置付けを観察する時、この「祖先信仰」でうまく説明できるものがたくさんあります。
 つまり、
「氏神=祖霊」というわけです。先祖は死んでどこか遠いところに行ってしまったわけではなく、その霊はしかるべき年数を経て、子孫の法要によって汚れた霊(死霊)から浄化されて「祖霊」になると言われます。そして最終的に「氏族の神=氏神」となるというわけです。そして、この祖霊はしょっちゅう「この世」に出てきては家を守り「子孫を保護する」とされます。お盆というのは本来この「祖霊」の祭りなのであって、「仏教」の行事ではありません。何故なら、仏教では死者の霊は仏の世界に行っている筈で、この世に舞い戻ってきたりする訳ありませんから。

 「祖先崇拝」とは本来的に「日本の伝統信仰」のものなのです。こんなわけで柳田は、さらに田の神、山の神まで祖霊であったと主張してくるわけですが、これは世界中に分布している「民族宗教」の「生産力」という性格を少々見落している感じがします。
一方、それともう一つ、大事なことですが、私たちは「祖霊」というと何となく「私たちのご先祖」と思ってしまう傾向がありますが、これも違います。古代にあっては、日本人は「個々人」として捕らえられることはなく「家・集団のメンバー」としか認識されません。この「家・集団」は大きくなり当然「首長」を持ちます。ところが、この首長が死んだ時、そのメンバーは核を失った思いで、その首長の「力」が存続してメンバーを見守っていることを期待します。こうして、その「力」は「首長」にあったところからそれは「首長の霊」とされ、「その霊」が
「祖霊」として、若き新首長である子孫の中に現れ、メンバーを以前のように指導し守ってくれることを期待したのです。これが「氏神」と同じであることはいうまでもありません。

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