7. 日本の神々と仏たちの正体 - 1. 日本の宗教文化のありよう | 小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授

7. 日本の神々と仏たちの正体
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INDEX
1. 日本の宗教文化のありよう
2. 日本の伝統の宗教―神道―
3. 日本の伝統的な民衆の神々
4. 『古事記』の神々
5. 「神仏習合」とは何か
6. 仏教の発祥と仏陀の思想
7. 仏教の展開
8. 日本での仏教宗派と信仰形態
9. 仏像とは何なのか

1.

日本の宗教文化のありよう


はじめに
 
このページは「日本の神々と仏様たち」をテーマにしていますが、これは要するに「日本の宗教」を見るということになりますがと、同時に「日本人」というものを考えてみようということになります。というのも、「日本的な精神」というものが「日本人の宗教観」のところにもっとも良く見えてくるからです。そういうわけでこのページはいわゆる「宗教学」的な解説というよりむしろ日本的精神に迫る「思想文化論」となってきます。

日本的精神の変遷・変容
 現在の日本はすっかり「欧米化」してしまっていますが、日本の文化の歴史を振り返ると、農耕民族としての日本人の持っていた
「自然崇拝」、つまり自然そのものを「神」として繁栄を祈願し、収穫に当たって感謝し、あるいは災厄の除去を祈るといったタイプの「祭儀・儀礼」を中心として「社会習慣、生活習慣」を形成していました。
というよりむしろ逆に、農耕を生活習慣として、それが「家」から「氏族」に広がり社会化されて社会習慣となって、その習慣が人間の力ではどうにもならない「自然の力」に対しての「祈り、感謝、願い」といったものを中心としていたため、今日の文化分類では「宗教」とされる概念で説明されることになったと言うべきでしょう。これが後世
「神道」などとして意識化されたのですが、この神道は複雑な展開となったため、本来の姿がみえにくくなっています。それについては順次見ていきます。

 日本では、こうした「自然崇拝」の段階から、のちに「神道」とよばれる宗教形態へと進んだのですが、他方で、先行文明である
「中国」から「文字」をはじめとして高度な中国文化を学んでそれを模範として文化を形成していくこととなりました。これが日本の世界の文化との接触の始めです。
 当時その中国文化はインド由来の
「仏教」を大きな文化としていたため日本もこれを学ぶことになります。仏教の伝来は「朝鮮経由」ですが、これは多くの大陸文化の経緯もそうなります。朝鮮が「窓口」だったのです。
 こうして日本もその文化が「仏教」化しました。はじめは奈良のいわゆる「南都六宗」が文化を代表して天皇・貴族すら凌駕する勢いに、天皇は京都に都を移してしまい奈良への対抗として「最澄の天台宗」「空海の臨済宗」の勢力を大きくさせていきました。こうしてその後の日本の仏教文化はこの二つの宗派が源流となります。最澄と空海の二人とも中国に留学して中国の仏教を学んで日本で広めたものです。
 こうして仏教が大きな勢力となったところで在来の
「神道」との関係が問題になりました。やはり神道は日本人の生活習慣そのものでしたから、これを廃棄することなどは決してできなかったからです。そこで仏教はこの神道を取り入れて、日本の神というものの本体は「仏」なのだという形で二つを融合させていったのです。これを「神仏習合」と呼んでおり、日本の神というのは仏が日本の地に「仮に神の姿をとって現れたもの(これを「垂迹(すいじゃく)」説といい、こうした神の在り方を「権現」とよびます)としたのでした。こうして神道の方も仏教の影響を受けるわけで、日本的な自然崇拝の典型であった「山岳信仰」なども仏教的な色彩を帯びて「修験道」が発達していきました。

 一方、先に受容していた中国の思想面での影響としては、
「儒教」の教えが中心となった思想が輸入され日本的に展開しました。「朱子学」「陽明学」などがその代表的なものです。また一方で「道教」「易」「陰陽道」などの中国伝来の思想あるいは「呪術」が発達していきました。
 こうして幕末に至ったところで
「西洋文化」が流入してきます。その西洋文化は古代ギリシャ文化の再生という性格を持っており「哲学から人文系の学問」「民主主義をはじめとした社会科学」も大きな成果だったのですが、むしろ近代科学の特色としての「自然を支配し利用する」という形で発展した「自然科学」の成果が目に見え、それは人間の欲望の充足として羨望の的となり日本はこの追求に躍起となっていきます。いわゆる「西洋に追いつき追い越せ」という標語がそれになります。
 こうして「西洋文化の輸入」に邁進する日本ができあがり、政府は多くの留学生を欧米に派遣したり外国人教師を雇っていきました。これが現在にまで続いている日本社会の動向といえます。しかし「科学だけ」というのは文化的に無理ですから西洋文化の基盤となる「人文科学」「芸術」などの精神文化も学ばれていき、
「学問」「芸術」などが西洋化していきます。医学なども「漢方」から「西洋医学」となり、芸術も「西洋絵画・彫刻」となっていきました。音楽も演劇も同様です。現在「琴・三味線」などやる人は特殊な人たちであり「ギターやピアノ」が音楽の主流です。演劇も「能・狂言」「歌舞伎」は文化的には認められていますが一般的な鑑賞の対象にはならず「西洋的ドラマ」が主流となっています。その近代西洋の精神は哲学的には「人間主義」であり、芸術の理念は「リアリズム(写実主義)」でありこれらは古代ギリシャ精神の受容から結果してきたものです。また近代特有の「功利主義」は近代西欧の特徴となります。日本はこれらを受け入れていったのです。

近代民主主義の正体
 他方
「民主主義」を初めとした社会科学の受容は第二次世界大戦の後であり、これは敗戦に伴って伝統的な「天皇中心の封建体制」の打破を求められたところから起きたものです。ただ近代民主主義はフランス革命の理念を骨幹としており「自由・平等・博愛」といった三本の柱を持ったものでした。ところがこの民主主義は「制度的には」古代ギリシャの民主主義を踏襲していますけれど、この背後にある精神は西洋が1000年にもわたって守り続けて西洋人の血肉となっていた「キリスト教」にあり、とりわけ「博愛」というのが入っているのが古代ギリシャの民主主義と大きな違いとなっています。
 しかし日本は西洋の受容に当たってもこのキリスト教は全く理解できず、民主主義についてもそれを
「表面的な制度」としては受容しましたけれど、訳の分からない「博愛」の精神は棚に上げて、その代わりに日本的な「和」の精神を持って代替しようとしました。
 しかしこれは無茶な話で、そのため日本のいわゆる民主主義は西洋の概念からする民主主義とは全く異質のものとなってしまい、西洋型の民主主義は「個人」を基本とするのに対して、日本は結局は
「家父長制度」「お上意識」「和(集団に同調する意識)」を濃厚に残してしまいました。
 ちなみに「平等」というのは、すべての人間は
「神の前に等しい」というキリスト教の精神でした。「自由」というのは、すべての人間は「神の前に平等」なのだから、その平等なる人間が、不当にその身体・財産・思想・信条・感情などを束縛されてはならない、という「神の前に等しい人間としての自由」をいうものでした。
「博愛」というのは当然
「その神の前に兄弟・姉妹」であるすべての人類を文字通り「兄弟・姉妹として愛する」、というものです。
 しかし、日本がこのキリスト教に基づく民主主義からキリスト教的色彩をすべて取り払って受け入れたというのは、まさに日本的な
「外来精神の受容の典型」であったといえます。つまり、日本文化の原点・模範となっている中国文化は「母親」みたいなものでしたからその文化の受容も無理なく細部まで行われていたのですが、それでもやはり日本的に改変・展開させていくのです。この「原日本的な精神」を決して「譲らない」ところが、実は「異質な文明」であった「仏教」の受容に当たってはっきり現れて「神仏習合」という形にしていたのであり、とりわけ異質な西洋文化の場面でより明白な形で示されたのです。

日本的精神
 この「譲らない」日本的精神とは何なのか、これは原日本人以来の
「集団・家族」を原点としてものを捕らえるという精神といえます。これは「和」を大事にし「集団に同調すること」「集団のために働き、犠牲となる」ことを「美徳」と呼んできた日本人のあり方です。ですから宗教にしても「家の宗教」という形になって「個人の信仰告白」など要求されませんし、それはさらに「村ごと、集落ごとの宗教」となってきます。
 実際、日本人ほど「村八分」を怖がる民族は少ないようで、最大の「いじめ」が「しかと・無視」という形になったり、何より「他人の目」をおそれ、「みんなと一緒」ということに安心します。
「出る杭は打たれる」からです。
 他方、「民主主義」は
「個人」を原点とします。「神の前に自分が悔い改める」ことが要求されるのです。こうしたギャップの無理解が最近の日本で大きな問題となってきていると言えます。以上を整理してまとめてみると以下のように整理できます。

古神道
 「神道」といってもいろいろなのですが、ここでは
「日本人の習俗・習慣」の宗教的表現を「古神道」と名付けておきます。日本人のものの考え方、習慣、文化の原点ですが、「神道」などと宗教的には意識されていません。
 古来
「祭りや祭儀」として生活の中にあり「生活習慣」となっているもので、年神を迎えて「正月」を寿ぎ、祖先の霊を供養し、豊作を祈って祭り、一年や生涯の節目節目に祝い、太陽や雨に感謝し、山や海に畏敬の念を持ち、木々や土地を大事にする「自然崇拝の心」の現れです。これは今日でも地方的祭り、神社の祭礼などに形として残ってきます。しかし「西洋文化」の受容と同時に「自然崇拝」の心は非常に薄くなってしまいました。
物の考え方としては具体的な生活を重視し
「繁栄」を第一とします。これにプラスになるものが「善・正・美」でありこれにマイナスとなるものが「悪・不正・醜」とされます。ここから「自然崇拝」と「家族制の尊重」が生じ、良い面としては「労働を尊重し」「自然を大事にし」「家族・集団の秩序・和を尊び」「自然や人に感謝する」ということがありました。古代の日本的倫理観の根源はここに多くがあります。
 しかし戦後ここにマイナスの要因が見られるようになりましたが、それはこの体制が家父長制という「封建制」と結びついていて「個人の自由・平等」がなかった点、家族・身内意識の裏に
「内・外」という「排他的感覚」があったこと、「個人が集団の犠牲にされる」「能力より年長という非能率」などなどが指摘されました。
 この反省のもとに戦後に西欧の民主主義を導入したのですが、確かに
「封建制」は少なくなりましたが、その代わりに古来の良い面も同時に失われていきました。

仏教
 日本の受容した仏教のものの考えかたとしてもっとも重要だったのは
「来世の幸福」を教えたという点でしょう。「古神道」は現世の繁栄幸福を司るものでしたから「来世の幸福」という観念はほとんどありませんでした。ここで「仏教によって死後仏の極楽世界に行ける」という庶民の願望が満足されるようになったのです。日本では生前の祈りはほとんど神社に行くのに葬式だけは仏教でやるのはこのためです。
ここからまた
「極楽に行くために悪いことはしてはいけない」「罰があたる」といった倫理観も生じた。また仏教は「苦しみの世界からの脱出」ということを主張していたことから「苦しみ、病気などからの救済」ということも期待されました。

儒教
 中国思想のもっとも代表的なもので、それによって古代日本の支配者は
「社会組織」を形成し、さらにそれに関わる社会的倫理観を思想的に体系付けました。基本の構造は「天(これは、とりあえず難しいことは抜きにして、西洋的には「神」としておいていいでしょう)」の思想で、宇宙万物は天に由来し天に従って動いているとする思想です。
 ここから、「人間は天に従わなければならない」「天はその子(天子)を地上に遣わしているので人民はそれにしたがわなければならない」「親は子供にとって天と同様であり、したがって子どもは親に服従すべし」「夫(男性)は妻(女性)にとって天と同様であり、したがって妻(女)は夫(男)に服従しなければならない」「年長者は年少者にとっては天と同様であり、したがって年少者は年長者に従わなければならない」「友人同士は対等であり互いに相手に対して尽くさなければならない」という教えとなります。これを一般に「人倫五常」などと呼んでいますが、完全に封建的な思想で「支配者」にとってこれほど都合のいい思想はまたとないので、今日でも保守的な人々によって明に暗に復活が望まれています。

日本人の生活
 以上をまとめて「日本」というものを描いてみましょう。日本人は以上の原理を巧みに使い分けて生活法を作り出したと言えます。すなわち、日常の生活は、
原理的には「古神道」となりますがそんな宗教性などほとんど意識せず、単なる「生活習慣」として「繁栄」「成功」「災厄の除去」を願いつ生活し、現在の日本人もそうしています。昔にあってはその繁栄は「農耕民族」のあり方から「家中心」となって、社会的存在としての人間としては「お家のために」という倫理観を作っていきました。「家」とは結局「家父長制」となり、ここでの倫理観は当然封建的となります。「誠」とは「集団に殉ずる心」をいい、皆のために「泥を被る」を美徳とします。
 西洋民主主義の下に育った筈の現代ですら日本人はこの感覚を頑なに保持しており、また何かの集団に属すること、皆と同じであることに安心する
「集団帰属性」を強く持っています。他方これには大きな利点もあって、この「集団制」は「三本の矢」にたとえられるように誰に対しても「強く」、また束ねられた稲にたとえられるように「倒れず」、また内部にいる限り「互いに助け合う」ことが必須であったために弱い者も「生きて」いけたのです。欠点は「個人」というものが認められず、民主主義とはそりが合わない点にあります。

 さらに日本人は
「社会統治組織」として「儒教」を用いましたが、それは日本古来の「家父長制」と儒教がうまく一致していたためで、こうして「公・私の別」「男性優位」「年長者優位」の組織が作られ、ここから「年功序列」の制度なども確立しました。これにも実は大きな長所もあってこれは「秩序の確立と維持」において優れた制度なのです。欠点はもちろん「封建制」そのものの代表みたいなものであることにあります。

 また一方、「一人一人の人間としての倫理」は
「仏教」に求め、「地獄の思想」「バチの思想」を強調することで「悪事」への抑止力としました。また意識化されたところでの神道は「死」を穢れとしたため庶民の持っていた祖先への思いとしての「祖先崇拝」がうまく処理できず、そこでその「祖先崇拝」という役割も「仏教」が受け持つことにされていきました。

 さらに日本人は「日常生活」「社会組織」の面においてこれをうまく運営していくために
「呪術」を用いていきました。ただしこれは古代人全般に観られる現象ですが、日本はそれが非常に高度に組織化されていたことに特徴があります。
 その最大のものが中国思想での
「陰陽道(おんみょうどう、おんようどう)」となります。これは、元来は「天地の理法」に基づいた「自然現象」の調和のあり方を観る「呪法」でしたが、ここから時代が下がるにつれて「人間の吉・凶」の占いからさらには「魔物退散」にまで拡大されていったものです。簡単に紹介すると以下のようです。

陰陽道
 この宇宙は「陰・陽」と「木・火・土・金・水」の五つの要素から成り立っているとします。これを
陰陽五行説と言います。陰陽は「月・太陽」に代表され、「夜・昼」「秋・春」「北・南」「女・男」といった対極に当てはめられます。この陰陽は「木・火・土・金・水」の五行において現れ、それによって自然界の現象のさまざまが現れてくるとします。
 したがってこの五行に対する陰陽の働きが読み取れれば自然界の流れが読み取れるわけで、それはまた自然物の一部である人間への作用の如何も読み取れるとされます。
 こうして
「方位方角、位置、運動、時間などの吉・凶」が占われます。ところがこの五行にはさらに「十干・十二支」と呼ばれる分類要素が加わってくるためこの組み合わせの数は膨大な数となってきます。
 十干とは五行に
「兄弟(えと)」が加わってでてくるもので「甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)・・・」などとなります。十二支とは「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」であり、これが加わると例えば「丙午(ひのえうま)」などとなります。これはようするに五行の「火」に十干を出す「兄弟(えと)」の「兄(え)」が加わって「丙(ひのえ)」となりこれに「午(うま)」が加わったものをいいます。陰陽道はこれが出現した年を「火災」が多いと判ずるのですが、それは「火」の「兄」でありしかも「午(うま)」とは南を指すからというわけです。

 私達が家を建てる時の
「鬼門」といった概念もここからでているもので、玄関の位置、床の間の位置、台所の位置、庭の配置、池の向きなどなどすべてに渡って吉・凶が占われてくるのです。
 
「風水」というのは、元来は「風や水」の流れの如何を読んで人間への影響をいうものですが、これにもこの陰陽道の影響の下にあります。
 そして現代人は今でも結婚式などでの
「大安」にこだわりますが、これも陰陽道による「吉日」の判定です。一方、後代の陰陽師は「呪法」を用いて「式神」などを手繰り「魔物退散」を司りますが、ここでも重要なのはその「魔物の正体」の判別であって、「何にせよ厄がとりつかないように」といった類の曖昧な呪法ではありません。
 さらには
「仏教での呪術」がありますが、これは「魔物退散」というよりむしろ「魔物がとりつかないように」というタイプの呪法で主に朝廷において用いられました。すなわち「陰陽道」は物事の「吉・凶」の判断に用いられ、仏教が「魔物退散」に用いられたというわけです。

伝統的日本文化の特質
 分かりやすく日本の文化の特質を簡単にまとめると以下のようになります。

政治・ ・・中国の「天子」に代わる「天皇」による国家体制。中国の君主制、官僚制から学ぶ(律令制など)。
生活・ ・・日本民族の伝統の「古神道」に基づき「繁栄」を祈り、「祭り」「祭儀」で節目をつける。
死後の事、祖先のこと、難儀のことはインド・中国経由の「仏教」で祈り、儀礼を行い「救い」を求める。
文学・ ・・中国の文学から学ぶ。文字は中国の漢字をそのまま採択。
芸術・ ・・仏教の教えの絵画的表現。また仏像彫刻。中国の「彩墨画」の技法に学ぶ。
学問・ ・・中国の「四書・五経」。および「仏典」。
演劇・ 音楽・・・中国の宮廷儀礼の作法に学び、音楽は「雅楽」、演劇は中国的「京劇」の流れにある「歌舞伎」など様式美の追求。

 これらは明治以降に始まり戦後顕著となる「西洋化」によって、消失したり、衰弱したりしたものが多いですが、しかし、依然として生命力を保って居るものも多いです。

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